日曜日の喫茶店
学生時代、東京に住んでいて、
日曜日だからといって、
特に会う人も、特に行くところもなく、
そんなときは、喫茶店に行ったんです。
コーヒーを一杯だけ注文して、
3時間くらい、ボーっとしていました。
同じように喫茶店に来ている、
日曜の孤独な暇人を眺めながら、
ずっと考えていたんです。
僕の存在に何の意味があるのか、と。
冷めたコーヒーの横には、
哲学書、小説、洋書などがありましたが、
もちろん、その答は書いてありませんでした。
ただ、サルトルの本を除いて。
実存は本質に先行する。
これが、僕が見つけた答といえば答え。
モノは、本質があって、存在する。
たとえば、ペンは、書くという本質のために存在する。
一方、人間は、本質よりも先に生まれてしまったので、
本質は、もともとなく、自分で見つけなくてはならない。
だから、僕には何の意味もない、が正解。
さんざん、喫茶店に通って、ようやく救われたんです。
「人間とはなんであるか」が、ブンガク部学生のテーマ。
そのことに気づいたのが、大学に行った最大の収穫でした。
教職免許など、そのおまけのようなもの。
その後、人生の先輩、祖母に聞いたんです。
人間の存在の意味は?、と。
祖母は、即答しました。
そんなバカなこと考えたことないよ。
サルトルと祖母、僕の青春時代のまさに双璧。
今日、ひさしぶりに、喫茶店に3時間半いたんです。
モーニング。
娘と。
宿題が終わらず、場所をかえて勉強したい、というので。
僕は、持参したラジオをイヤホンで聞きつつ、
新聞各紙、シュフ雑誌をペラペラ、
日記を書いたり、アイディアをメモしたり、
読まなきゃならないものを読んだり、
パソコンでDVDを見たり、
気づけば、3時間半が過ぎていました。
で、娘よ、夜もいっちゃう?
Love and Peace ・・)v
今日もランキング応援ヨロシクお願いします<(_ _)>→クリック!