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九条という墓標

今日の午後は、家族休暇。
僕のクラスの生徒たちには、ちゃんと言っていきました。
「今日の午後は、娘の参観会で家族休暇とるから。じゃ」

今年度初めての参観会は、道徳の授業。
先生が相田みつをさんの黒板に書きました。

花をささえるくき
くきをささえるえだ
えだをささえるみき
みきをささえる根
根は(       )だなあ

「(  )にはどんな言葉が入るかな?」と、先生。

大切、大事、命などと子どもたちが答えました。

正解は、「根は(見えねん)だなあ」

次に、先生は「いのちのまつり」という絵本を読み聞かせしてくれました。
舞台は沖縄、そこに引っ越した少年が、石の小さな家を見て驚きます。
その家は、お墓でした。沖縄のひとは、先祖をとても大事にするのです。

一人のひとがいるということは、
お父さんとお母さんがいて、
おじいちゃんが二人、おばあちゃんが二人いて、
ひいおじいちゃんが四人いて、ひいおばあちゃんが四人いて……

絵本の最後の1ページが折り畳んであり、それを開くと、大きな絵になり、
その少年の後ろに、数え切れないほどの先祖の顔がありました。

「このたくさんのご先祖様の一人でもいなかったら、この子はここにいないんだよ」

とても、いい授業でした。
たくさんの命によって生み出される一つの命、
その大切さがとてもよく伝わりました。大人の僕にも。

帰りに娘と話しました。
「食べたものの命も数えたら、すごくなるよ」、と僕。
「今日、朝、ベーコン食べたから、豚の命一つでしょ」
「今日はサカナリアンの日だから、夜に魚の命一つずつでしょ」
「一日、三つくらいの命たべるから……」
「待て、植物も命だから、それも数えると……」
僕たちは黙り、今ここに、生きてある神秘を思いました。

今、次作のため、第二次世界大戦のことをいろいろ調べています。

日本国憲法が生まれるためにも、多くの命が必要でした。
あの戦争で、2千万人のアジア人、310万人の日本人の命が犠牲となりました。

憲法9条は、僕の祖父を含む、その多くのなくなった方たちの永遠の墓標。
神聖なる墓標に、手を触れされるわけにはいきません。
靖国神社に参拝することでなく、
憲法を堅持することこそ、供養となるのです。

Love and Peace ^^v

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Comments

ここでまた戦争によって亡くなる方が出たとしたら、第2次世界大戦で亡くなった人は、「なんだよ!俺たちが命がけで守ろうとしたのは、未来の子や孫だったんだぞ!」「俺たちもしょうがないとはいえ、家族を泣かせてしまった。それを判ってくれたんじゃなかったのか」
「同じ過ちで悲しみを生み出すのなら、俺たちは犬死じゃあないか」
そう言われそうです。
仰るとおり、間違えを繰り返さないことこそが供養なんでしょう。

ぼくもBlogを始めました。まだ使い方がよく分かりません。

Posted by: Take | April 14, 2005 at 04:23 PM

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