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靖国神社という「装置」

まだ、靖国神社のことが頭を離れません。
桜を見上げるたびに、素直になれない自分を感じるのです。

愛するものを守るため、命を捨てる……。

たしかに、その姿は、美しい。

祖国のために戦い命を落とした兵士たちは、
英霊として、神となり、美化され、ここにまつられる。

そして、首相が、英霊の前に頭を下げに来る。
「多くの尊い犠牲があって、今の平和な日本が存在する」と言って。

たしかに、その通りだが……。

僕は、靖国神社内の博物館内を歩きながら、
一歩ごとに恐怖を感じました。
お前も国のために死ね、と言われているようで。

靖国神社全体から僕が受けとったメッセージは、
「国のために命を投げ出したものは美しい」

しかし、僕は、愛するもののためには、墜ちてでも生きたい。

えてして、「お国のため」とは、「権力側のため」ということ。

権力側が、その野望を達成するために必要となるのは、
消耗品である兵士の人命。
靖国神社、それは兵士に人命を捧げさせるための権力側の「装置」。

だいたい、「お国のために命を投げ出せ」という側は、
絶対に、お国のために命を投げ出さなくてもいい側。

昨日の新聞に、自民党の改憲案が出ていました。
「自衛のために、自衛軍を保持する」
「自衛軍は国際の平和と安定に寄与する」

「自衛」のためでない戦争が今まであったでしょうか?
どんな侵略も、「自衛」をうたって始まるのです。
あの強いアメリカでさえ、自衛のために、イラクに攻め入ったのです。
ないものをある、と言ってまで。

「国際の平和と安定のため」、それ以外に戦争の理由はあるでしょうか?
中東に平和と安定もたらすために、アメリカは軍隊を送っているのです。
何万人もの民間人を殺してまで。

我が国も、アジアの国際平和と安定のために、軍を送ったのです。
二千万人ものアジア人を殺してまで。

幼い人間の集団は、腕力で、ものごとが決まります。
しかし、大人の集団になると、コトバで、ものごとが決まるようになります。
これを成長と言うのです。
この僕でさえ、娘に手をあげることをやめたくらいですから。
なのになぜ、愚かな大人たちは、人類の成長を逆行させようとするのでしょう。

僕の住む小さな田舎町でも、「九条の会」が立ち上がったようです。
僕もさらに一歩踏み出してみようと思います。

娘よ、戦争は、地震と違って、がんばれば止められるぜ。
また、デモにも、つきあっておくれ。

Love and Peace ^^v

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Comments

ヤスクニ問題は、さまざまな意見がありますが、個人的にはヤスクニに奉られている人たちは『被害者』でありながら、彼らを戦場に駆り立てた『加害者(俗にいうA級戦犯)』とともに奉られている点があります。
アジア諸国の非難の中、出向く為政者の目には、さまざまな悲しみ・苦しみを抱えて亡くなった若者ではなく、その裏にいる戦犯者に手を合わせているような気がします。

>娘よ、戦争は、地震と違って、がんばれば止められるぜ。
頑張りましょう!!

Posted by: Take | April 09, 2005 at 07:21 PM

中国の反日デモの根底には、
靖国神社の問題もありますよね。
教科書問題も。

憎まれたら、憎みかえすのではなく、
その気持ちを理解しようとつとめるべき。
聖書の精神でもあり、九条の精神でもありますよね。

為政者が戦犯者に手を合わせている、
というご指摘。
鋭いですね。

Love and Peace ^^v

Posted by: ジロー | April 12, 2005 at 11:25 PM

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