« キッチン歳時記 夏 | トップページ

キッチン歳時記 春

「如月」

 You are what you eat.
 あなたは、あなたが食べたもの。
 この言葉を知ったのは、衝撃だった。この体はもちろんのこと、この指の爪先も、この髪の一本も、食べ物以外からはつくられてはいない。当たり前といえば、当たり前だが、当たり前のことを忘れて暮らすことが多々な僕である。
 ふと、モモを思う。モモというのは、高校二年生の同居人、娘である。
 このうちには、大人は僕一人、シュフ(シェフではない)も僕一人。ということは、She is what I cook.でもある。つまり、彼女は僕が料理したもの。
 こりゃ大変、と十一年間、キッチンに立ち続けてきた。
 生きるために食べ、食べるために生きる。うちの家訓である。娘も僕も、食いしん坊だ。いつも、次に何を食べるかを考えている。並の食いしん坊ではない。この英才教育の結果、モモの舌は、高度に進化してしまった。美味センサーの感度がかなりの精度で、ちょっとした味の違い、ほんのちょっとのミスも見抜かれてしまうようになってしまった。
 教師の教師は生徒であるように、モモにはずいぶんと鍛えてもらったものだ。

 朝六時十五分。僕の目覚まし時計が鳴る。まだ十五分ある。ベッドを出るのは六時半だ。二月に入り、少し朝が明るくなったような気がする。夢うつつのこの十五分で、弁当のメニューを考える。
 新年を迎え、ちょっとした革命が起こった。焼きおにぎりだ。
 長年、何度トライしても失敗してきた焼きおにぎりを、ようやくマスターしたのだ。今のところ、モモに大好評である。
 六時半、意を決し、闇の中、ベッドを出る。暗いキッチンの電気をつけ、コンロに火をつける。コンロの上には、ストウブというメーカーの鋳鉄直径16センチの鍋が載っている。以前は、土鍋で白米を炊いていたのだが、ふたを割ってしまったので、その後、この鍋を使っている。昨夜のうちに米は水につけておいた。タイマー付きの電気釜を使っていたこともあるのだが、直火炊きの美味を知ってから、もう電気釜に戻れなくなってしまった。僕は高校教師なので、一人暮らしを始める教え子に、餞別として譲った。
 強火、沸騰したら、弱火にして、最後に蒸らす。弱火の時間は、一合で五分といったところ。
 気づけば、この女子高生弁当づくりも、あと一年となってしまった。女子高生は、見た目が十割。弁当も自己表現の一手段。弁当箱を開けたとき、まず美しくなくてはならない。量と味を重視する茶色系男子弁とは一線を画す。
 ここ数ヶ月、モモは母親に買ってもらった新しい弁当箱を使っている。
 以前は、スカイブルーとピンクのスリムな二段のを使っていたのだが、最近は眠っている。
 弁当は、短歌や俳句に似ていると思う。文字数が決まっていて、そこに詰めていくように。
 この新しい弁当箱は、小振りな二段、ふたにはアンパンマンのイラスト。下段にはおかず、シリコン製のハート形のカップを二つ入れ、メインのおかず一品、サブのおかず二品で構成される。肉料理がメインに、ポテトサラダや卵焼きがサブ、すき間にプチトマトやブロッコリーなど。上段には、俵型おにぎりを二つ。ふたは側面が格子状になっていて、ごはんから出る蒸気を逃すようになっている。
 ごはんを炊いている間に、おかずをつくる。豚肉を茹で、湯を切り、砂糖と醤油とごま油とあえ、ネギを散らす。こんなものでも、立派なメイン。
 ポテトサラダは、週末にドカンとつくるので、詰めるだけ。ジャガイモとニンジンを蒸し、キュウリとタマネギを塩もみして、ベーコンを炒め、塩こしょう、砂糖少し、マヨネーズで味付け。こしょうは、四色の粒をミル挽き、これが決めてのようだ。
 卵焼きは、小さな卵焼き器でつくる。砂糖、塩、水を入れて。最近のブームは、黒こしょうとチーズを入れて。油は、スプレーで。チーズを入れて、ヘラでパタンパタンと巻き込む。ハート形のカップに入れるため、ハート形にカット。あまった部分は、その場で食べてしまう。 
 ごはんが炊けたら、茶碗に一杯とって、あとは軽く握ってバウルーに入れる。バウルーとは、パンを挟んでホットサンドを直火でつくるもの。
 友人がツイッターで画像付きで何度もアップして自慢してきて、すぐに買ってしまった。これも革命を起こしたツールだ。焼きおにぎりにも、大活躍。
  白米に焦げ目が付いたら、醤油とみりんのタレをつけて、仕上げに少し焼く。
  朝ごはんは、たいてい、弁当のおかずを味見を兼ねて流用する。朝ごはんのおかずと弁当のおかずが、ほぼかぶるが、今のところ、文句は言ってこない。
 僕の弁当は、漆塗りの弁当箱にごはん、プラスチックのものにおかずを入れる。ごはんの弁当箱は、静岡の山奥で職人が一人で作る逸品。
 弁当のごはんの大敵は、蒸気のフィードバックだ。湯気が弁当箱の表面に当たり水となり、ごはんが水を吸い込み、悲劇となる。この漆塗りの弁当箱は、その蒸気を逃しつつ吸収し、冷めてもごはんが美味い。いや、冷めたときは冷めたときの美味さがある。
 実は、この弁当づくり、これが後一年しかないとはさみしくなってくる。娘が一人暮らしを始めても、僕は自分の弁当はつくるだろうが、毎朝の達成感はぐっと減ってしまうだろう。このキッチン菜時記を書き始めたのは、この最後の一年を記録しておこうと思ったからだ。
 弁当づくりが大変だろう、とよく言われるが、そんなことは思ったことはない。むしろ、楽しんでいる。それより、毎朝、娘を起こすほうがよっぽど大変だ。
 一人暮らしをしたら、自分で起きられるようになるのだろうか。だいぶ、甘やかしすぎてしまった。後悔はしている。

 二月には、大きなイベントがある。バレンタインデーだ。
 最近は、チョコ界もデフレのようだ。以前は、本命チョコをドーンとあげて終わりだったのだが、義理チョコに加え、友チョコ、さては男子からの逆チョコ。一つ一つのチョコの質が落ち、チョコの量が上がったのだ。中には、大きなタッパーに入れて持っていき、休み時間に手づかみで食べてもらうスタイルも。
 僕は高校教師なので、職業柄、義理チョコを女子生徒からもらうのだが、このタッパー手づかみチョコに、お返しをしなくてはならないのは、シャクだ。しかし、彼女たちはしっかりとお返しを要求してくる。
 だから、ホワイトデーには、僕も大きなタッパーにクッキーを入れて持っていき、つまんでもらおうか、と企んでいる。
 この年のバレンタインデーは、木曜日。週末に材料を買い込んでおいた。
 モモのプランは、カップケーキと、チョコクッキーと、チーズケーキ。
 欲張りすぎだと思う。ボーイフレンドには、それらの詰め合わせをあげるようだ。
 もちろん、モモが一人ですべてできるわけではないので、僕も手伝わされることになる。シュフ業も、はや十年以上、もちろん、そこらの女子高生に負けないレベルでは菓子は作ることができる。
 チーズケーキは混ぜて焼くだけ。カップケーキは、紙の型にホットケーキミックスでつくった種を流し込んで焼くだけ。
 で、クッキーである。
 薄力粉一六○g、ココアパウダー二○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g、卵黄一ヶ、この材料で、オーブンを二回使えば、五十枚くらい焼ける。
 今年は、このチョコクッキーに、ココナツも入れた。
 タネをあらかじめ仕込んで冷蔵庫で寝かせておき、焼くだけにしておく。
 たくわんくらいの厚さに切って、一八○度で、十六分焼く。オーブンから出したら、揚げたての天ぷらを置くようなすのこ付きのバットに置いて冷ます。固すぎず、柔らかすぎず、サクッとした食感。毎年、おかげさまで、好評である。
 昨年は午前三時までかかった作業が、今年は日付が変わる前に終わった。
 やはり、キッチンでは段取りが大事。
 翌朝、僕もチョコココナッツクッキーを少し持っていこうと思ったのだが、モモがすべて持っていってしまった。
 その夜は、うちで、モモとチョコ品評会。僕が三十個、モモが二十個ほど持ち帰り、晩ごはんは抜きで、スイーツを食べまくった。もちろん、食べきれなかったが。
 味部門、ビジュアル部門、努力部門など、それぞれ選びながら、お互いの批評を聞きある。年に一度の至福の夜だ。
 ちなみに、この年のベストは、僕のクラスで一番の問題児のつくったチョコを挟んだ抹茶味のマカロン。これには、シュフの僕も脱帽だった。

 僕はケチである。うちは電気で暖房するので、電気代が、冬、跳ね上がる。原発のこともあり、電気に依存しすぎるのは悔しいので、この冬は、職場からうちに帰れば、これでもかと重ね着をする。このアパートは、欠陥住宅なのか、冷え込みもかなりだ。
 防寒ズボンを穿き、カナダで買ったカウチンセーターを着て、ネックウォーマーをつける。それでも寒いので、下半身に毛布を巻き付け、カフェエプロンでしめる。
 さて、ここでキッチンに立つ。モモが高校生になってからは、たいてい僕のほうが帰宅が早い。
 以前は僕も熱血高校教師としてサービス残業に励んでいたのだが、常温高校教師兼シングルファーザー兼シュフとなってからは、時間の使い方が上手くなったのか、単に職場で干されているのか、早く帰れるようになったのだ。
 モモは、いろいろと忙しいのだそうだ。はい。
 冬は鍋である。毎晩。
 寒い中、歩いてうちに帰ってくると、温かい鍋料理が待っている。これが、いいのだそうだ。僕にはそんな経験が十年以上ないのでよくわからないが、モモはそう言っている。
 卓上コンロを使うこともあるが、うちの鍋はとてもいいモノなので、コンロからテーブルの上に置けば、食べ終わるまで充分温かい。
 ル・クルーゼのココットロンド20cm、色はブルー。フランスの小さな村でつくられ、三代は使えるというモノ。土鍋ばりの保温性、土鍋ではできない炒め物もできる。今や、この鍋のないシュフ道は考えられない。
 我が家の一番人気は、キムチ鍋。市販のスープを入れて、簡単に。同じ具で、水炊きも。ポン酢をつけて。豚肉、白菜、ネギ、豆腐、エノキなど。僕はこれに葛切りを入れるのが大好きだ。
 湯豆腐もすごいと思う。ただ、昆布を入れた湯に豆腐を入れるだけで、あんなに美味になるのだから。しかも、低カロリーで、安上がり。実は、鍋の王様かもしれない。白菜やネギやエノキも一緒に湯の中へ。鍋の真ん中に置いたカップに醤油を入れる。薬味は、ネギと鰹節。
 トマトがたくさんあれば、トマト鍋も。オリーブオイルと塩こしょうとワインでイタリア風に。水を入れず、野菜の水分を引き出して、スープをつくるのがコツ。
  豚汁は、うちでは鍋扱い。根菜を中心に、これでもかと具を入れて。
 おでんも鍋と言えば鍋。これに白米だとさみしいので、焼きおにぎりか、炊き込みごはんにする。 
 鱈や鳥の手羽元を入れて、寄せ鍋にすることも。これは、だしがよく出るので、ごはんは残しておき、最後に卵も入れて、雑炊にする。
 ポトフだって、鍋だ。ごろごろ野菜と手羽元やベーコンを、市販のコンソメスープで煮込む。塩こしょうで味を調える。炭水化物は、半分に折ったスパゲッティーを入れると、一鍋完結。
 去年から人気急上昇なのは、モツ鍋。近所の肉屋(スーパーではない)で、モツのみそ漬けを買ってくれば、もうほぼ完成。キャベツ、ネギ、ニンニクスライス、ニラ、もやしどっさり入れて、モツをのせ、水と酒を足し、ふたをしてグツグツと。これにあうのは、市販の袋入りの即席ラーメン塩味。付属の粉スープも足して、麺を適当に割り入れて食べる。これも、安い割に美味。
 そういえば、昨日の鍋は、白菜、白ネギ、椎茸、豚肉の水炊き。仕上げに、大根鬼おろしを入れて。ポン酢で食べたら、あっさりな美味。
 鍋のすごいところは、鍋にあふれるほど野菜を入れても、かさが減り、二人でぺろりと食べられてしまうところ。野菜でおなかをいっぱいにしても、気持ち悪くならないので助かる。それに、卓上コンロは現代の囲炉裏である。古来、人間は、夜、火の周りに集まった。暖をとり、腹も満たした。鍋をすれば、部屋もずいぶん暖まり、電気代も節約できる。
 さて、今夜は、しゃぶしゃぶにでもしようと思う。娘の母親の嫁入り道具で、銅と錫のすばらしいしゃぶしゃぶ専用鍋があるのだ。しゃぶしゃぶと言えば、牛肉だが、鶏のささみや胸肉を薄くスライスしたのも、けっこう、いや、かなりいける。大根をピーラーでひらひらにスライスしたのも、しゃぶしゃぶする。こんな淡泊な食材でも、鍋とポン酢さえれば、ごちそうになる。つくづく、鍋とポン酢は偉大だと思う。
 そういえば、父はすし職人で、ポン酢もつくる。今度、ペットボトル持参でもらいにいこう。父は、ちょうだいといえば、たいてい何でもくれる。この前は、板前の命ともいえる刺身包丁をもらった。まさに、命をちょうだいする日本刀の輝き。心して、譲り受けた。
 そうだ、ささみをこれでスライスしよう。
 今、日曜日の昼下がり、すでに腹が減ってきた。

「弥生」

 花より団子とはいったものだ。今年は、なんだかめんどくさくて、ひな人形を出すのを先延ばししていたら、結局、出しそびれてしまった。
 ここ数年は、五体あるうちのメインの二体だけ、コーヒーテーブルの上に、ちょこんと載せておくようにしていた。モモも小さい頃は出せば喜んだのだが、ここ数年はあまり興味がないようだ。
 で、ひな人形より五目ちらし寿司となるわけである。
 土曜日の昼前、団塊世代の同志達三人が、うちのダイニングに集まった。月に一回開催される社会変革のための読書会である。今月の本は、「小さな建築」という新書。これまで大きな強固な建築ばかり建てて喜んできた現代人。あの震災後、大きく強固なものは、いったんことが起これば、取り返しのつかないものになるということを学んだ。そこで、この手で扱える小さなサイズの建築をつくって、しなやかなに自然とつながろう、というメッセージに我々は感銘を受けた。
 僕が特に気に入ったのは、本の中で紹介されていた待庵という、わずか二畳の茶室。この狭い空間の中に、無限の宇宙が展開されている。京都の山崎に唯一現存する利休作の茶室、いつか、モモをつきあわせて、ぜひ見に行きたいものだ。
 そんなことを話しながら、同志達をこき使って、僕は五目ちらし寿司をつくる。モモは部活に行っているので、男ばかりの厨房である。
 白米をル・クルーゼで三合炊く。寿司酢は、米一合に対して、酢20g、砂糖20g、塩5g。これをあらかじめ混ぜておく。
 ごはんが炊きあがったら、しっかりと十五分は蒸らす。
 ゴボウ、レンコン、ニンジン、椎茸、油揚げを切り、醤油、みりん、酒、砂糖で煮る。
 薄焼き卵をつくり、冷まして、錦糸卵をつくる。
 ほうれん草と卵のおつゆをつくる。
 蒸らしたごはんに、寿司酢をかけ、飯台に広げ、混ぜて、一つの山にまとめて、十分待つ。また、すし飯を飯台に広げて、うちわであおいで、冷ます。
 煮込んだ五目とすし飯とあえて、ごまを散らし、錦糸卵を乗せて、完成。
 まぐろを、父から譲り受けた刺身包丁で、刺身にする。
 ここまで、我々は誰一人としてサボることなく、働いた。
 同志達とほんの話をしながら、五目寿司をいただく。もちろん、美味い。我々は、自分たちを褒めあい、おかわりもする。
 そのうち、モモが帰ってきて、合流して、大してありがたがりもせず食べる。
「で、美味いのか?」
「うん、おいしいよ」
「ひな祭りだから」
「ああ、そうか。パパ、デザートは?」
 まだ食べ終わらないうちにモモが言うと、同志の一人が買ってきたメロン味のクリームが入ったロールケーキが出てきた。
 これには、モモはたいそう喜び、食べて終わってからも、賞賛の言葉を惜しまなかった。
 たしかに、ふんわり感がたまらないロールケーキだった。本当にメロンが入ったクリームもリッチな味わいで、ちょっとした名物らしい。
「ところで、モモ、ひな人形、出しそびれた。すまない」
「ああ、いいよ、いいよ」
 モモはロールケーキをもう一切れ食べた。モモも、もちろん、花より団子のようだ。

 モモの弁当は、基本的に、おにぎりと、メインのおかず一つ、サブおかず二つで、構成されるのだが、たまにそうじゃないバージョンの弁当も持っていく。
 長方形のタッパーを使うワンボックス型。ごはんの上に、メインおかずをのっけ、その汁をいい具合に染みこませる、のっけ弁、いや、染み弁。 
 これは、僕が高校生の時、隣の席のクラスメイトの小谷がいつも持ってきた弁当。今も、その味はこの舌が覚えている。まず、ごはんがつややかで冷めてもおいしく炊かれている。その上に、焼き肉や塩昆布などがのっていて、朝詰めて、学校で食べるまでの間に、いい具合に染みこんで、いい色がついていた。
 その弁当は、いつも分けてもらった。早弁だ。
 僕は、弁当は持っていかず、昼は、小谷も誘って、学校を抜け出して、近くのお好み焼き屋で食べるというのが日課だった。その店には、僕たちのたばこがキープしてあり、お昼を食べて、一服して、至福の時を過ごし、午後の授業に備えたのだ。
 さて、モモのワンボックス弁当箱は、ふたがピンクで、キティちゃんの絵がついている。
 ごはんを入れ、豚のショウガ焼きや鶏の照り焼きなどをのっける。端っこに、シリコンのハート形のカップも置き、サブおかずを詰める。
 汁は多すぎても水っぽくなり、少なすぎても味が薄くなり、「いい加減」が難しい。
 一番簡単なのは、ボウルに醤油とニンニクすり下ろしを入れ、牛肉の薄切りをフライパンで焼いたら、ボウルの中に漬ける。それを、ごはんの上にのっけ、刻んだネギを散らすだけ。シンプルだけれど、侮れない美味さ。
 モモは、肉食なので、ごはん、牛肉、またごはん、また牛肉、と二段弁当にするのが好きだ。
 三色ごはんは、僕も小さい頃、好きだった弁当だ。晩ごはんにうちで食べるときも、長方形の弁当箱に入っていた。
 挽肉を、醤油みりんで煮て、そぼろにする。卵はマグに砂糖と塩と水を一緒に入れ、電子レンジで一分ほど温めると、盛り上がってくるので、いったん取り出して、箸でかき混ぜ、もう少し温めれば、いり卵になる。後は、ほうれん草を、ルクレというシリコンスチーマーで、一分半ほど温め、水にさらして、絞って、みじん切りにして、醤油と鰹節とあえる。これで、上にのっけるものは、完成。
 この具だと、染みこまないので、ごはんは、さくらごはんに。白米一合につき、醤油、酒、各大さじ一杯入れて、いつものように炊くと、ほんのり味がついたごはんになる。
 この三色弁当は、ワンボックス弁当の王者である。

 弁当は、職場や学校に持っていくだけのものではない。
 モモがうちにいて、僕が外出して食事を用意できないとき、弁当をつくってテーブルの上に置いておく。
 うちは、家事分担制である。食事は僕、掃除はモモ、と。だから、毎回、ごはんはつくる。モモと違って、大人なので、責任は果たす。モモは、大人ではないので、時に言い訳をして、僕に掃除を押しつけることもある。
 僕が朝早くうちを出て、モモが昼間うちにいるという場合、朝ごはんと昼ごはんを別の弁当箱に入れて、テーブルの上に置いておく。朝ごはんは、ホットサンドとサラダ、昼ご飯は、何かをのっけて染みこませたワンボックス弁当といった具合に。
 うちでは、鉄瓶で湯を湧かすのだが、これがちょっと難しい。取っ手は熱くなるし、注ぐときに、急な角度をつけると、ふたが落ちて、そのとき上がる蒸気でやけどをする。非常に危険なツールだ。だから、鉄瓶で湧かした湯もポットに入れておく。あとは、モモが適当に、お茶を用意する。お茶は、重要である。欠かすことはできない。
 金曜日の夕食は、たいてい、車の中で食べる。それは、金曜日の夜は、バイオリンのレッスンがあるからだ。モモは小学校二年生の時からバイオリンを習っていて、今は高校の弦楽合奏部に所属している。たまたま、同学年に経験者がいなかったため、コンサートミストレスとなった。部長とは違うらしい。部員をまとめるのが部長で、演奏をリードするのがコンミスということだ。
 金曜日、僕は急いでうちに帰ると、ネクタイを締めたまま、すぐにおにぎりやホットサンドをつくり、通気性のいい弁当箱につめる。まだ温かいので、湯気を逃がすためだ。
 そして、もちろん、お茶も用意する。この季節は、みかんも入れる。また、急いでモモの学校まで迎えに行き、車で三十分ほどのバイオリン教室まで行くのだ。
 この金曜の夕方は、そうとう、おなかが空く。モモも、おなか空いた、といって車に乗ってくる。モモは後ろのシートに座るとすぐ、膝の上で弁当箱を開き、食べ始める。
 僕はハンドルを握ったまま、隙を見ては、後ろから食料を受け取る。運転しながら、片手で食べられることが、車中弁当の条件だ。だから、おにぎりやパンなのだ。おかずは、具の中にある。
 この車中弁は、テーブルの上の料理とは異質の美味。それは、きっと制限があるからだろう。不倫の恋が盛り上がるのは、制限があるから、と聞いたことがある。
 たまに残業で、弁当を用意できないときは、僕の学校の購買でパンを買っておく。良心的な値段で、化学添加物を使わないで焼かれ、もう何十年も、この学校の生徒達の空腹を満たしてきたという伝統あるパン屋のパンだ。
 ここの名物は、パン耳。耳だけで一斤、値段は五十円。超人気商品で、なかなか買うことができない。この耳は、もはや耳ではない、と形容されるほど、パンの白いふわふわの部分がかなり残る、お得な商品なのだ。
 このパン耳は、何もつけず、そのまま食べる。これが、美味い。僕はたいてい買いそびれてしまうので、心やさしき同僚に一枚だけ恵んでもらったり、すれ違った生徒から一枚だけ巻き上げる。一枚だけだ。そして、きちんと礼を言って、職員室でインスタントコーヒーをつくって、一口ひとくち丁寧に食べる。ほんとに、美味い。不思議なのは、運良く、買うことができて、うちに持って帰って食べると、美味しくないことだ。
 おそらく、めったに買えないものを、一枚だけ恵んでもらい、感謝しつつ、学校という制限の多い場所でいただくからこそ、美味いのだろう。美味道とは、実に奥深い。やたら、高級食材を使い、有名シェフがつくる高価な料理だけが、美味とは限らないのだ。
「野菜は?」
 と、最近、モモは必ず聞く。野菜を食べないと、美しくなれない、と信じているのだ。
 だから、バイオリンのレッスンからうちに帰ってから、サラダとフルーツを食べるのも、金曜のルールだ。

 よくモモと、あれはおいしかった、と話す料理がある。
 それは、一月に、禅寺で食べた精進料理である。
  モモは、とあるワークショップの泊まりの合宿に参加していて、その合宿所が禅寺だった。僕はモモの迎えに行きながら、興味本位で精進料理ランチを食べるつもりだった。モモたちは、前日から滞在して、夕飯、朝食と、精進料理をすでに食べ、早朝、座禅まで経験していた。
 厨房から、手分けして、食堂の座敷まで、料理を運ぶ。そして、お坊さんの厳しい指導のもと、姿勢を正し、無言で、細かな作法を守り、一口ひとくち噛みしめる。沈黙の中、自分が噛む音がよく聞こえる。まるで食材がささやきかけてきて、食材と対話するかのようにいただく。
 おかわりすることは許されるが、残すことは許されない。
 もちろん、肉も魚も卵もない。
 白米、味噌汁、煮物、胡麻豆腐が入った四つの朱塗りのお椀。沢庵が分けられ、一切れ、残すように言われる。
 ごはんは、噛めば噛むほど、甘くなる。
 味噌汁の具は、もやしとしめじ。この組み合わせは初めてだ。だしは、おそらく昆布と椎茸。深みのある味。
 煮物は、人参、蓮根、ごぼう、椎茸、高野豆腐。食材の一つひとつの味がよくわかる。個性を表現しつつ、一つの椀の中に共存して、口の中で無限に広がるハーモニー。煮物の力を知った。
 あとは胡麻豆腐である。もちっとした食感、コクのある味、甘味噌との相性が非常によい。
 うちで出したら、肉食系のモモが残しそうなメニューばかり。しかし、モモを見ると、行儀よく、静かに、丁寧に噛んでいる。
  先ほど、お茶は大事だと、書いたが、ここではお茶は出ない。白湯が最後に出てくる。一つのお椀に白湯を注ぎ、一切れ残した沢庵と箸で、お椀の中をきれいにする。そして、次のお椀にその白湯を注ぎ、同じことをする。もちろん、残りの二つのお椀も順にきれいにし、最後にその白湯を飲み干す。
 これが、無言の精進料理のすべてだ。
 世の中にこんなに美味なものがあったかと思われるほどの美味。舌だけでなく、体、いや魂にまで染みわたる滋味。
 最後に、和尚さんが、お話をしてくれた。
 この食事が用意されるまで、どれだけの人間が、どれだけの手間と時間をかけたかを想像してほしい。自分がこの食事を食べるに値する人間なのか、自分に問うことも忘れてはいけない。この込み上げる感謝の気持ちこそ、ごちそうさまの意味だ、と。
 これまでの人生で食べてきた分も思い起こして、ごちそうさまを言わせていただいた。
 後で、モモに聞くと、不味そうと思っていた精進料理がこんなにも美味なことに感動した、と。朝の粥も美味で、朝の座禅も苦痛ではなかったらしい。
 五十分の沈黙。心を無にすると、あっという間に座禅の時間は終わるらしい。
「呼吸に集中するといいんだってさ」
 と、モモが経験者の顔で言った。いつか、試してみよう。
 

 甘いものの誘惑には勝てない。どうしても、勝てない。肉は断てても、甘いものは断てそうもない。
 三月十四日は、ホワイトデーである。あれだけの甘いものを女子高生からいただいたバレンタインデー、来年もいただくためには、ホワイトデーできちんとお返しをしなくてはならない。僕のお返しの評判がよければ、来年のバレンタインデーでチョコをまたたくさんいただける、という計算だ。
 毎年、ホワイトデーには、クッキーを焼く。今年は、二種類。プレーンとチョコ味のものを。
 プレーンの材料は、薄力粉一八○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g、卵黄一個、塩少々。室温に戻して柔らかくしたバターを練る。ふわっと軽くなるまで、ひたすら練る。砂糖を少しずつ足し、卵黄と塩も入れ、さらに練る。粉とあわせて、ヘラで粉っぽさがなくなるまで、切るように混ぜ、二つの固まりにして、ラップに包み、筒状にする。
 クッキーのタネに、しわが寄り、沢庵のように見える。これを、冷蔵庫に入れて固める。
 この間、チョコクッキーのタネをつくる。薄力粉を一六○gに減らし、ココアパウダーを二○g足す。今年は、たまたま、おつまみ用ピーナッツがあったので、包丁で細かく刻み、タネに混ぜ込んだ。これも、冷蔵庫に入れて、固める。
 プレーンクッキーのタネが固まったら、沢庵をイメージして、切る。その厚さがちょうどいい。筒一本で、二五枚ほど。
 オーブンの天板にクッキングシートを敷き、クッキーを並べ、一八○度で一六分焼く。
 しばらくすると、甘く、香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がり、幸福感に包まれる。
 焼き上がったら、網の上に、クッキーをクッキングシートごとのせ、そのシートだけを引き抜いて、冷ます。最初は柔らかいが、冷めると、堅すぎず、柔らかすぎず、サクッとした食感になる。これで、クッキーの美味が倍増する。
 この香りにつられ、ちょうど焼き上がる頃、モモが部屋からやってきて、味見をしてあげる、と言う。
 端っこの形の悪いのを、モモに食べさせる。
「めちゃめちゃ美味い」
 よし。これで、来年もチョコがもらえる。
「また、チョコのが焼けたら、戻ってこい」
「うん、モモも学校に持っていく」
「はいはい」
「パパがつくったことは内緒ね」
「はいはい」
 オーブンはこれから回りっぱなしだ。日付が変わっても、しばらくはこの甘く香ばしい匂いは消えそうもない。

 
 通販生活という雑誌が届いた。護憲、反原発、沖縄独立論と、なかなか読み応えのある社会派雑誌の側面を持つカタログ。著名人が、商品を実生活で使ってみての感想が、リアルに述べられる。まるで、その商品がその人を作りあげているかのように。
 おまけに、「きえない雲」という映画のDVDもついている。原発事故後の世界を描いた問題作。このDVD欲しさに、そのカタログ雑誌を取り寄せたのだが、そのDVDを観る前に、一つ注文してしまった。なかなか、やるものである。
 ちょうど、うちの急須にひびが入ったので、新しいのが必要だったのだ。商品名は、「正直急須」、手作りなので、数量限定、早くしないと入手困難になると言われれば、つい買ってしまうのが人情。全国大陶器市にて千円で買った急須を引き継ぐそれのお値段は、五倍以上、となかなか。
 数日後届いたその急須、大きさはちょうど二杯分、要は一煎目の湯が一滴残らずちゃんと切れれば、二煎も美味しいということ。そのために湯切りがしやすいように工夫されていた。 たしかに、お茶が美味く淹れられる。お茶が、美味いことは、重要なことであるので、その出費には納得がいった。
 実家の面々がお茶を飲むときは、急須は使わない。茶こしを使う。茶葉は、茎茶と粉茶のブレンド。茶こしを、大きな湯飲みの上に置き、ポットのお湯を少し回しながら茶葉に注ぐ。いわゆる、寿司屋のお茶だ。子どもの頃から飲み慣れているせいか、このお茶が一番美味いと思う。
 実は、最近、抹茶にも興味がある。暮れにモモと京都を日帰り旅行したとき、喫茶店で一休みして、抹茶セットを頼んだ。小さな和菓子と抹茶。先に和菓子を食べ、口の中が甘ったるくなったところへ、抹茶を流し込む。このハーモニーがたまらない。
 僕は、農業高校造園科の出身で、庭と茶道は授業で習った。もちろん、ほぼそのすべてを忘れてしまっているが、庭を見るのも、抹茶を飲むのも、今も大好きである。
 この旅では、小さな枯山水の庭ばかり見た。よけいなものをそぎ落とし、シンプルだけれど、かえって深い世界観に感銘を受けた。
「わかるか、この美しさ?」
 砂と石でつくられた宇宙を、モモと眺めなら、僕はきいた。
「バカにしてんの?わかるに、きまってんじゃん」
 モモが、利休の朝顔の話をした。高校の授業で、日本史の先生が教えてくれたそうだ。
 利休のうちの朝顔がきれいだと評判になっていた時、時の権力者、秀吉がその朝顔を見にくることになった。利休は朝顔の花をすべてとってしまったという。
 そして、いよいよ秀吉がやってきて、朝顔がないことにとまどい、茶室に通されると、その床の間に朝顔が一輪だけ活けてあった。秀吉はいたく感動したということだ。
 さすがは、娘が無理して入学した高校だけのことはある。
「そうか、美は引き算ってことか」
「おしゃれだって、そうでしょ。コテコテ着飾ったら、逆にダサダサだもん」
 高価な茶道具を売買するような茶道は興味がないが、究極の美と至高のもてなしを追求する茶道の精神は、実に興味深い。 
 美味も引き算なのかもしれない。食材が多ければ多いほど、調味料を足せば足すほど、美味くなるというものでもない。最小限の食材から最大限の美味を出すことこそ、料理道なのだろう。
 きっと、あの禅寺の精進料理に通じるものがあるはずだ。
 キッチンは、日々精進の場である。

 ようやく、イチゴが安くなってきた。
 近所の八百屋で、一パック一五八円なんてものも。早速、三パック買い占め、夕食のデザートに出したら、モモは二つしか食べなかった。
 たしかに、イチゴはおいしくなかった。小さくて、堅くて、甘くない。
 もともと三パックも買ったのは、食べるためではなく、ジャムをつくるためだった。
 ペティナイフでイチゴのヘタをとって、ル・クルーゼに放り込む。砂糖をどっさりその上にのせ、火にかけてしばらくすると水分がどっと出てくる。
 あとは、ひたすら木べらでかき混ぜる。レモン汁を入れるのだが、レモンがなかったので、酢を代用。味見をすると、特に問題はないようだった。
 モモは最近、キッチンで勉強するようになった。電子辞書より、英語教師の僕のほうが便利だと気づいたようだ。時に、僕の知識を試すような質問もしてくるが、今のところすべて答え、父の威厳をコツコツと高めているところだ。
「パパ、いい匂いだねえ」
 と、モモが宿題の英語長文問題集と格闘しながら、つぶやいた。
 キッチンで、ひとり立って、鍋に向かい、ひたすら木べらでかき混ぜる。なかなか水分はなくならない。一時間弱、この静かな時間は、ちょっとした禅のようだ。まるで鍋の中の泡のように、雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消え、繰り返し浮かぶ雑念はやがて煮詰まっていく。
 毎年この季節にジャムをつくるので、この香りは僕に春を意識させる。
 春は、新しい生活を控え、不安を抱える季節でもある。
 もう十一年も前の春のこと、家事も育児もほとんど専業主婦の妻まかせだった僕が、離婚を機に、シングルファーザーになることを思いついた。一年後にはジャムをつくるようになるとは、まったく予想もしなかった。
 最初につくった料理は、今もはっきりと覚えている。
「今日からパパが料理つくるぞ」
「え、つくれるの?」
 当時、小学校一年生のモモは心配そうに言った。
「ま、見てろって」
 豚の細切れ、レタス、焼き肉のタレで、焼き肉だ。ホットプレートをテーブルの上に置き、白色トレイからそのまま肉を出して焼き、包装用セロファンを開き、レタスをちぎり、肉を巻き、小皿に入れた焼き肉のタレをつけて、食べる。
 ごはんは、炊き方がよくわからなかったので、電子レンジで温めるパックのごはん。これも、パックから、ダイレクトに食べる。茶碗も皿もない、あるのはタレの小皿だけ。洗い物も少なくて済む。
「パパ、おいしい」
「当たり前だ。パパは天才だから」 
 そのときは、本当に美味しかった。感動的なまでに。
 しかし、もし今、同じメニューを食べても、美味しいとは思わないだろう。
 それに、そんな手抜き料理、僕のシュフ魂が許さない。
 焼き肉の翌日の夕食は、豚細切れ、長ネギ、すき焼きのタレで、すき焼き。鍋でつくり、そのまま鍋敷きの上に鍋を置いた。生卵にディップして食べたが、これも美味。
「パパ、これもおいしい」
「だから、パパは天才だって言っただろ」
 これも、今は決して作れない手抜きメニュー。
 その後も、すき焼きのタレは大活躍。肉じゃがや、親子丼など、すべてそのタレで味付けをした。
「うまいか?」
「うまい、うまい。パパは、やっぱ、天才だ」
 当時、まだ小学校一年生の娘をだますのは、とても簡単な時期だった。
「おい、ジャムできたぞ」
 英語の長文に疲れ、眠そうな娘に言った。
「やった、ほんと、いい匂い」
 シングルファーザーデビューして一年、二回目の春を迎えようとしていたときに初めてジャムをつくった。だいぶ、料理も覚え、ル・クルーゼの鍋を買ったころだ。売り物にならないイチゴをどっさりもらい、ジャムの作り方も教わったので、その鍋で毎晩のようにジャムをつくった。
「ヨーグルトに入れて食べるか?」
「九時すぎてるでしょ。今食べたら、絶対太るから、明日ね」
 小学生だった頃のモモは、好きなものを好きなだけ好きなときに食べていたのだが、今は、女子高生は見た目が十割、とダイエットを気にしてばかりだ。
 好きなものを、好きなだけ、好きなときに食べていたら、実は美味からは遠のく。
 モモの態度は、たしかに、正しい。

「卯月」

 今年の桜は、かなり早いようだ。四月一日には、満開になっている。
 僕は、花見が好きだ。桜の花も美しいと思うが、やはり、花より団子だ。
 祖母が、デイケアに行かない日の午後、有給休暇を取って、花見に出かけることにした。「モモ、おばあちゃんを花見につれてくぞ」
「うん、行こう、行こう」
 春休み中のモモは喜ぶ。モモが行けば、祖母も大喜びだろう。
「おやつ、持っていこう」
 ということで、近所の和菓子屋で、味噌まんじゅうを買って、祖母の迎えに行った。モモにとっては曾祖母、九十二歳、多少、頭の回転はスローになったが、元気である。
 両親の店にも寄った。弁当が欲しい、と言うと、父は喜んで寿司を握ってくれた。
 実家に行くと、台所のテーブルのところに座った祖母が、テレビを観ながら、なにやら声を出していた。新聞を読んでいたのだ。祖母は、何でも読むときは、必ず音読だ。
「おばあちゃん、元気かね」
「あれ、おかえり。モモちゃんもいっしょか」
「うん、おばあちゃん、ただいま」
「モモちゃん、髪の毛がきれいだねえ」
 銀髪パーマの祖母は、モモの長い黒髪をいつも褒める。
「おばあちゃんも、頭かっこいいよ」
「昨日、美容院行ってきただよ」
 祖母はお洒落だ。
「今日は、学校はないの?」
 と、僕が聞く。
「今日は休みみたいよ」
 学校とは祖母のデイケアセンターのことだ。
「おばあちゃん、何の勉強してるの?」
 と、モモが聞くと、祖母は恥ずかしそうに答える。
「そりゃ、勉強って勉強じゃないだよ。社会に出てからのことを勉強するだよ」
 祖母は、未来志向だ。
「勉強、わかるの?」
 と、僕が意地悪く聞く。
「わかるもわからんもないだよ」
「ぼけてるひとも、いるの?」
「そんな人は、一人もいないよお。みんな、しっかりしてるし、私より若いでねえ」
「おばあちゃん、この子、誰だっけねえ?」
 と、突然僕が祖母に質問をする。モモが祖母に微笑む。
「あれやあ、あんたの子どもじゃん」
「おばあちゃん、さっきまで名前呼んでたじゃん。ナナちゃんじゃないか?」
「ナナちゃんじゃないねえ。何だっけねえ?モモちゃんじゃないしねえ」
 モモも笑いをこらえきれない。
「おばあちゃん、今、名前言ったじゃん」
「ああ、そうか。モモちゃんだ。忘れるわけないよねえ」
「おばあちゃん、今年は桜が早く咲いたから、花見行くよ」
「じゃ、着替えてくるでねえ」
 祖母は多少洒落た服を来てきた。
「これ、おかしくないかいやあ」
 モモと僕が褒めると、祖母はご機嫌のようだった。たしかに、お洒落を忘れたら、さらにボケてしまうだろう。
 花見といっても、桜の咲いているところを車でいくつか通って、どこかの公園の桜の下に車を停め、お寿司とおやつを食べ、少し散策して、ケイタイで記念撮影をすれば終わりだ。
 モモは帰りの車の中で、アイフォン5で撮ったばかりの花見風景の画像を見せていた。
「こんなにちっちゃくなっちゃって、しわくちゃのおばあちゃんになっちゃって」
 と、祖母は自分の姿に驚いている。
「おばあちゃんは美人だよ」、と僕。激しく同意するモモ。
「ありがとねえ。だけど、この写真機は便利だねえ。私も買うかやあ」
 祖母は、新しもの好きだ。
「おばあちゃん、来年も花見行こうね」
 と、モモが言う。
「楽しみにしてるでね」
 これで、祖母は来年まで元気だろう。来年は九十三歳だ。

 翌日、朝から、モモはスプリングキャンプとやらに泊まりがけで出かけることになっていた。
 まだ桜が咲いているのに、花見をしないのはもったいない。非常にもったいない。そこで、この日は、水泳部員を、部活の後に、連れて行くことにした。選手二人、マネージャーの計女子三人。
 僕は朝早く起きて、モモにホットサンドの朝食と、ホットサンドの弁当を持たせて、送り出した。
 八枚切りのパンに、ハム&チーズ、ポテトサラダ&ベーコン、チョコ&バナナなどを挟んで、バウルーで焼く。バウルーは、ホットサンド専用の調理器具。四角いフライパンを二つ、蝶番でつなげ、パンを挟んで、ひっくり返して、両面を焼くことができる。今年の正月に導入した新兵器。ここのところ、大活躍。
 パンほど、焼き方で味が変わる食べ物はないだろう。パンを焼くときは、高温でなくてはならない。だから、電気の家庭用トースターなどでは、イマイチなのだ。高温で焼けば、表面に素早く焼き目が入り、中の水分が残る。電気で、じわじわ焼くと、中の水分が抜けてしまう。だから、うちで食パンをトーストするときは、焼き網付き鉄器を使う。
 バウルーは、パンを挟み込んで、密閉して、直火で焼くので、さらに中の水分が抜けにくく、美味しく仕上がる。外はカリっと、中はモチっと、このコントラストが重要だ。
 バウルーを予熱して、具を挟んだパンをセットして、両面を焼き、小皿にとって、キッチンばさみで半分に切り、通気孔があるサンドイッチ用のランチボックスにホットサンドを入れていく。あっという間に焼け、すぐに焦げてしまうので、気を抜くことができない。
 水泳部の練習は、早めに切り上げ、近くの公園に移動した。小雨が降ってきたので、公園の隅の屋根のあるあずま屋のベンチに座り、ホットサンドを食べた。もちろん、桜を見ながら。ここまでの移動中、コンビニに寄って、菓子を千円分買い込んだので、それも食べた。飲み物は、僕がうちから持ってきた熱いマテ茶。ブラジルのスーパーで買ってきたものだ。このごろ、モモとはまっている。紅茶でもない、中国茶でもない、ちょっと変わったお茶。
 部員の一人が、校内の恋愛事情に詳しく、新たに誕生したカップルや破局したカップルの話で盛り上がる。彼女たちと話していると、あっという間に一時間や二時間は過ぎていく。
「先生、娘がいなくて、さみしいもんで、私たち誘ったんでしょ?」
  と、マネージャーが言う。
「違うって。部員の団結を強めて、今シーズンをたたかう志気を高めるためだ」
 彼女たちは僕の言葉は信じなかったようだ。

 実は、その翌日も、花見を決行。この日、僕につきあわされたのは、僕が顧問の生徒会本部のメンバーたち。
 ホットサンドの評判を聞きつけた生徒会長が、メンバーを招集したのだ。全員そろうと、十人を超える。とても、早起きしてホットサンドを全員分つくれないので、パンと具材とバウルーと卓上コンロを持っていき、前日と同じ公園の桜の木の下で、せっせとパンを焼いた。
 この日は、天気がよく、ブルーシートを敷いて、青空の下、桜吹雪舞い散る中での花見。最高である。いちおう、新年度に向けての会議も行う予定だったのだが、予想通り、何も決まらず、花見に集中した。
 この日のホットサンドは、焼きたてだったので、前日以上の評判だった。
 
 さて、その翌日も、四日目の花見を決行。
 うちから、車でちょっと行ったところに、一面の菜の花畑があるのだ。ちょっとした名所にもなっている。
 この日は、シングルマザー・フレンドが弁当を持ってやってきた。
 彼女のうちの家庭菜園でその朝採れた野菜がどっさりと入ったおかず、そして、彼女が採ってきてくれたばかりのタケノコが入った五目混ぜごはん。
 車のフロントガラス越しに、菜の花畑を眺めながら、春の弁当をいただく。
 タケノコは、彼女が採ってきてくれるものが、一番おいしい。みずみずしく、やわらかくて、これを食べたら、スーパーで売っているものは食べられなくなる。
 弁当の中の野菜は、やさしい味がした。僕はもりもり食べた。彼女の分も、半分いただき、一人前ともう半分。いつも思うのだが、野菜でおなかをいっぱいにしても、食後、苦しくならない。これが、肉だと苦しくなる。苦しくないということは、体が喜んでいるということだろう。舌だけでなく、体にも美味しいごはん。心を込めて、ごちそうさま、と言った。

 花見の後は、うちで料理教室をすることになっていた。
 桜のピンクに触発され、イチゴのババロア。彼女のリクエスト。
 イチゴ一パックをミキサーにかけ、砂糖六○gとレモン汁大さじ一杯を入れる。レモン汁がなかったので、酢を代用。
 続いて、生クリーム一五○ccをサラサラにホイップ。ゼラチンをマグに入れ、湯を注ぎ、そのマグを湯の入ったボウルに入れ、湯煎。
 イチゴを湯煎のマグに少し入れて混ぜ、それを残りのイチゴと合わせる。
 次に、ゼラチン入りイチゴに、生クリームを少し入れて混ぜ、それを残りの生クリームと合わせる。二段階で、混ぜると、よく混ざる。
 後は、型に流し入れ、冷蔵庫に入れて、固まるまで待機。
 うちにあった煎餅と和菓子と日本茶で、ティータイム。
  鉄瓶で湧かした湯を、いったん湯飲みに入れて、冷ましてから、急須に移し、緑茶を淹れた。
 さて、小一時間おしゃべりをした後、生クリーム五○ccに五gの砂糖を入れ、ホイップ。今度は、角が立つまで。
 冷蔵庫から、ババロアを取り出して、表面を指先でつついてみると、もう固まっていた。型をテーブルの上に置き、ホイップした生クリームを真ん中に落とし、彼女にババロアの型を回してもらい、僕がヘラで生クリームを中央から徐々に外側に薄く広げていく。ちょっとした、ろくろ。生クリームが全面を覆ったら完成。

 そして、コーヒーを淹れて、彼女と味見をすることに。
 コーヒー豆を手回しミルで挽き、細口ケトルで、ドリップ。
 このごろ、多少、うちのコーヒーが美味しくなってきたが、まだまだだ。
 母が店で淹れるコーヒーは、当たり前のことだが、カネがとれる味だ。たまに母が芸術鑑賞などで出かけるとき、店番を頼まれ、僕がコーヒーを淹れるときがあるが、そのときは母の指導の通り、母の道具で淹れるので、ほぼ同じ味が出る。
 しかし、不思議なことに、同じ豆をもらって、うちで淹れると、信じられないほど不味い。コーヒーは、実にデリケートな飲み物なのだ。
 たとえば、お湯の温度が、熱め、ふつう、温めの三段階、豆の量が、多め、普通、少なめの三段階、豆の挽き具合が、粗挽き、中挽き、細引きの三段階、お湯を注ぐ速度が、速め、普通、遅めの三段階としたら、三かける三かける三かける三で、八十一通りの段階のコーヒーができることになる。この中から、ベストの段階を見つけるとなると、それはとても一朝一夕でできることではない。
 うちのコーヒーは、まだ研究段階である。
 といっても、そこらのチェーン店のコーヒーよりは美味しい。挽きたての豆をハンドドリップするだけで、大きな違いが出るのだ。
 ババロアを型から出して、切り分けると、ちょうどいい具合に固まっていた。皿に取って、一口食べる。トッピングの生クリームの甘さが序曲となり、甘酸っぱいババロアのもっちりした食感が主旋律となり口の中に世界をつくる。ババロアの余韻が残る口の中の世界に、熱くてほろ苦いコーヒーが流れ込んでくる。
 至福のハーモニーだ。
 あとは、レシピを詳しく紙に書いて、彼女に渡した。以前、このババロアをあげたら、彼女の家族に好評だったそうだ。光栄なことである。次は、彼女が自分で挑戦してみる、と。
 残りのババロアを彼女に渡すと、彼女は僕にタケノコを渡して、帰っていった。
 その際、簡単なレシピを教わった。タケノコを小さなサイの目に切り、甘じょっぱく煮るだけのお総菜。そのまま食べてもよし、ごはんにのっけてもよし、となかなか応用が利くという。
 彼女を見送ったら、早速、つくってみることにした。
 キッチンとは、なかなかのデートスポットである。

 春は、花粉症の季節でもある。僕は大丈夫なのだが、モモがここ数年、花粉症による鼻づまりに苦しんでいる。
 三十年前は花粉症に苦しむひとはまわりにはいなかった。三十年前と今とでは、実は花粉の量はさほど変わっていないということだ。
 ならば、何が違って、何がどう影響しているのか?まだ、わかっていないことは多いようだ。排気ガスの量は増えただろう。これは、シュフの努力ではいかんともしがたい。
 化学調味料の摂取量も増えただろう。これなら、シュフの努力で、減らすことはできそうだ。
 うちは、工場でつくったものは極力食べないようにしている。野菜や肉や魚を買ってきて、うちにある調味料で料理する。酒やみりんや醤油や塩こしょうは、化学調味料はさほど入ってないだろう。
 ダシは、面倒なので、市販の粉末のものをよく使ってしまうが、ここに化学調味料はてんこ盛りなはずだ。まずは、ダシの改革にとりかかった
 僕が子どもの頃、朝、祖母がよく鰹節を削っていた。おもしろがって削らせてもらったことを覚えている。引き出しのついた長方形の木箱の上にカンナがひっくり返されてのっていて、削られた鰹節は、木箱の引き出しの中に落ちる。
 煮干しも、ダシに使っていた。その煮干しを、おやつ代わりに食べたこともあった。
 とりあえず、鍋の中に水と干し昆布を入れ、火にかけた。干し昆布は、沸騰する前に取り出し、鰹節を水切りざるごと鍋に入れて、さらに煮込んだ。
 匂いは、記憶と結びつきやすいという。僕は子どもの頃を思い出していた。毎朝、祖母が土間のお勝手で味噌汁をつくってくれた。そこから漂っていた匂いだ。
 ざるごと鰹節を引き上げ、だし汁ができた。
 味見をすると、祖母の味を思い出した。あのやさしい味は、これが決め手だったようだ。これまで、何杯も味噌汁をつくってきたが、いつも何かが欠けている気がしていたが、ようやく、その訳がわかった。
 この味噌汁は、モモが、美味い、とおかわりをした。これは珍しいことだ。これまで、僕の味噌汁を残すことはあっても、おかわりをしたことはなかった。
 ちょっとおもしろくなって、食後、ダシについて調べてみた。
 和食のダシで、有名なのは三種類。鰹節と干し昆布と干し椎茸。不思議なのは、鰹節と昆布の組み合わせだと、一プラス一が、七にも八にもなるという。昆布と椎茸の組み合わせもそう。後者の組み合わせは、動物性のものが入らないので、精進料理のダシに使われる。ところが、鰹節と椎茸の組み合わせは、二くらいにしかならないらしい。
 さて、ダシをとったこのうま味は、第五の味と言われている。甘味、塩味、酸味、苦味の四つのわかりやすい味とは、一線を画しつつも同格の味。なんともいえないうま味。
 最近では、このうま味より、化学調味料の味のほうを、美味しいと感じる子どもが増えているんだとか。だから、食品店では、化学調味料を使ったほうが、よく売れるので、それを使わざるをえなくなることも多々あるらしい。
 親の価値観が、子どもの価値観に大きく影響するように、親の舌も、子どもの舌に大きく影響を与えるのだ。そういえば、母が嫌いなレーズン、僕も嫌いだ。そして、モモも苦手だ。
 この舌で美味を見いだし、そして、その美味を、たとえ残されようと子どもに食べさせることは、親の役目。ある栄養士が言っていた。愛情を持って、不味いものを出す、と。

 さて、四月も終わろうとするある夜、うちでコーヒーを淹れてみた。ミルを調節して、少し豆を荒く挽いてから、ドリップした。 
 そして、一口飲んで、これまでお長かった年月を思い出した。ひょっこり、ようやく満足のいくコーヒーの味を出すことができたのだ。
 豆は、通勤途中に、奇跡のように存在するコーヒー豆専門店で買ってきた。まだ若い店主が、一人で、小さな店を営んでいる。
 母が淹れるコーヒーとは違うが、ちょっと個性のある苦さがやさしく味わい深い。
 モモは、まだコーヒーは苦手である。この美味を共有できないことは、家族として非常に残念である。これも、愛情を持って、出し続けるしかあるまい。
 夜、モモが宿題を終えてないのに、眠くなる。このときが、チャンスだろう。コーヒーで目が覚め、頭もすっきりする、と言って飲ませよう。もちろん、愛情を持って、苦いものを出すのだ。

「皐月」

 そのうち、そのうち、と思っているうちに、五月になってしまった。五月一日、 メーデー。八時間を仕事に、八時間を睡眠に、八時間を僕に。
 仕事が八時間で終わらなくてはならないのは、そう、晩ごはんをつくるため。仕事は手を抜いても、一日を締めくくる晩ごはんを手を抜かないのが、シュフの道というものだ。
 早速、バジルの苗を買ってきた。ベランダに出て、プランターの土を耕し、新たに土も足して、苗を植えた。今年は、レモンバームの苗も買ってきた。最近買ったレシピ本に、やたらとレモンバームが出てきたのだ。ついでに、毎年育てる朝顔の種もまいた。この種は、去年の秋にここでとったものだ。
 最後に、水をまいて、畑仕事は終了。
 本当の畑で育てることにも、実は興味がある。僕は農業高校を卒業したのだが、農業をまじめに勉強しなかったことを、今は後悔している。当時、農業にはまったく興味がなかった。農業後継者と不良は、農業高校に行く時代で、僕はその後者だったのだ。
 それでも、better  late than never、遅れても、まったくやらないよりはまし。この日の畑仕事も、遅れたが、やらないよりはまし。夏には、収穫できるだろう。
 そもそも、料理を覚えたのも、三十を過ぎて、シングルファーザーになってから。
 人生に遅すぎることなど、そう多くないのだ。
 
 ゴールデンウィークに入り、モモは母親のところに出かけていった。
 昼食に、ふとパスタを食べたくなったのだが、常備していたはずのスパゲッティの乾麺がなかった。頭をよぎったのは、イタリアのマンマ達が麺棒をつかってパスタ生地を伸ばしている背中だった。パスタ専用の机、一メートル近い長さの麺棒。
 実は、うちにパスタマシーンはある。ニューヨークで見つけて、衝動買いして、重かったが、ずっと抱えて持ち帰ってきたものだ。かなりのすぐれモノだが、一人分のパスタにわざわざ出すのも面倒なので、イタリアのマンマになることにした。
 シリコンのぶよぶよのボウルに、強力粉一○○g、卵一個、オリーブオイルと塩を少々入れて、フォークでまとめる。そして、ボウルに入れたまま、右手の平の下のあたりで、こねて、こねて、こねる。僕はこの作業がどういうわけか大好きだ。左手で、ボウルを回したり、タネを返したりして、右手の平に体重をのせて、無心に作業を続ける。
 そして、ラップにつつんで、休ませる。
 うちにある野菜は、トマトとタマネギだけ。ガーリックオイルをフライパンに入れる。これは使い切れなかったニンニクをせっせとみじん切りにして、瓶の中の油に漬けたものだ。ニンニクが無駄にならないし、腐らないので、重宝している。
 ガーリックの香りが立ったら、タマネギのあらいみじん切りを入れ、塩こしょうを振り、炒める。大きめのサイの目に切ったトマトも投入。ワインを振りかけたいところだが、ないので日本酒を代用、アルコールが飛んだら、ソースは完成。
 ダイニングテーブルを拭き清め、乾いたのを確認して、打ち粉をぶちまける。パスタのタネを麺棒で延ばす、延ばす、延ばす。目標は、きしめんの厚さ。打ち粉をケチるとくっついてしまうので、粉まみれになりながらも、延ばす、延ばす、延ばす。面積にしたら、枕と座布団の中間くらいまで。
 湯を沸かし始め、パスタ生地を、パタン、パタン、パタンと、畳んで、慎重に切る、切る、切る。麺の太さが揃わないこともあるが、目をつぶる。切ったら、すぐにほぐして、テーブルの上にしばらく放置。湯が沸いたら、塩を入れて、茹でる。
 茹で時間がはっきりしないので、パスタの固さを確かめるため、パスタを何度も口に入れる。讃岐うどん一歩手前くらいの固さになったら、湯切りして、ソースと混ぜればできあがり。
 緑が欲しい。どうしても、欲しい。ということで、プランターに植えたばかりのバジルの苗の小さな葉を食い意地に負けて摘んでくる。
 麺がちょっと太くなってしまったが、その分、この歯ごたえがいい。プリプリッとして。乾麺ではこうはいかない。食感も味の重要な要素であることを改めて知る。

 料理とは、当たり前のことだが、他者があって存在する。キッチンに立つ僕にできることなど、たかが知れてる。
 そもそも、料理をつくる、と我々は言うが、そもそも、つくることはできない。人間は、人間だけの力で、一つも食材をつくることができないのだ。自然からいただいた恵みを、ただ組み合わせているだけ。
 うちにある米一つとっても、何人のひとの、いくつの手間がかかっているのか、想像もつかない。
 いただきます、とは食材の命をいただくことはもちろん、多くの他者の手間と時間をいただくことでもある。だから、せめて料理は、誰かのためにする行為としたい。
 ということで、実家に行って、料理をすることにした。電話して、母にリクエストをいちおうきくと、焼き肉、もう肉は買ってあるから、焼いてほしい、と。せっかくはりきっていたところに、実にはりあいのないリクエスト。
 トングとフライパンを持っていくことにした。焼き肉には、トングだ。菜箸では、ちょっとやりにくい。
 さて僕は、フライパンについては、断然、鉄派だ。
 テフロンを使っていたこともある。最初、油を引かなくてもくっつかないことに感動したが、その効果はすぐに消え、油を引いてもくっつくようになり、結局、捨てることになった。そして、あの最初の感動が忘れられず、また新しいものを買うはめになり、同じことを繰り返す。つまり、使い捨てなのだ。
 実に愚かな資本主義の象徴的商品。決して持続することのない、極度の快感の味を教え、中毒にして、買わせ続けようという魂胆。まさに、ヤク漬け。
 鉄のフライパンは、油を引き、使い終わったら、たわしでこすって、水洗いして、火にかけて乾かして、片づける。これを繰り返すと、表面に油膜が蓄積され、さほど油を引かなくてもくっつかないようになる。
使えば使うほど、使いにくくなるテフロン、使えば使うほど、使いやすくなる鉄のフライパン。資源の有限なこの地球に暮らす者として、まよわず後者を選ぶ。
  今回は僕のフライパンコレクションの中から、グリルパンをもっていくことにした。
 このグリルパンは、ル・クルーゼで、お値段もなかなかのモノ。シングルファーザーになった年、誕生日に、自分へプレゼントしたモノだ。ずっしりと重いが、厚くて、熱が均等に入り、溝に余分な油も落ちる。十年以上も使い込み、例の油膜が表面に蓄積されている。

 両親の店に行き、母の指示を受け、食材を受け取り、兄の手を引き、車に乗せる。母は、カフェオーレをつくって、コーヒーの缶に入れ、ストローをさして、僕に持たせた。兄の好物だ。
「兄ちゃん、ジーと遠足行くよ」
 兄は、笑顔で、指をならす。ごきげんなのだ。
 いつも行く田んぼの真ん中の貯水池の畔。この池はなかなか大きく、文字通り、大池と呼ばれている。ついこの前まで菜の花が咲いていた池の周りには、今は新緑の鮮やかな雑草が五月の風に揺れている。助手席の兄に、カフェオーレを飲ませながら、僕は陽光を乱反射してまぶしい水面を目を細めて眺めている。
 その後、実家に行くと、祖母が大音響でテレビを観ていた。字幕放送の設定をして、少し音を小さくした。
「なんか手伝うかね」
 エプロンのひもを縛りながら、祖母がキッチンにやってきた。
「じゃ、ごはんを炊いて」
「はいね」
 祖母は、炊飯の水を入れるとき、計量カップを使わない。それで、毎回、同じように米が炊きあがるから、実に不思議だ。
 グリルパンをIHヒーターにかける。ガス火のほうが好きなのだが、祖母が何度も鍋を焦がすので、母が決断し、キッチンだけ電気式にしたのだ。たとえ、スイッチを入れっぱなしでも、四十五分で自動的に切れる。
 祖母は僕の隣で、キュウリとトマトを切ってくれた。
 両親が帰ってきて、家族が揃うと、ごはんは、少し柔らかめに炊きあがった。僕は堅めが好きなのだが、これは父の好みなのだ。
 グリルパンが熱くなったら、豚の脂身をつかって油を引く。そして、豚肉を焼き始めた。
 いつもタレは市販のもの。これも、父の好み。一家の大黒柱の好みは、無視するわけにはいかないのだ。
 トングで、肉をめくって、裏を見ると、横線の焼き目が入っている。九○度回転させる。そうすると、格子状の焼き目が入り、見た目がかっこよくなる。おそらく、味はあまり変わらないだろう。
 うちは、キュウリにはもろ味噌をつけて食べる。トマトは薄くスライスして、少しマヨネーズをつける。
 最初に焼き上がった肉を、兄のごはんの入ったどんぶりの上に、タレをつけてのっけて、キッチンばさみで食べやすく切った。これを、兄はスプーンで食べる。
 僕だけ立ったまま、肉を焼いては、テーブルに運ぶ。実家の面々は、焼きたてを食べる。僕も立ったまま焼きたてを食べる。めんどくさいので、ごはんもたったまま食べる。母が行儀悪いと文句を言うが、無視する。行儀より、味を優先させなくてはならない。
 
 次の日の晩ごはんも、僕がつくることになったのだが、リクエストはカレー。またしても、不味くつくるほうが難しい料理。父が食べたいと言ったそうだ。僕がつくったカレーを、と。大黒柱のリクエスト、やはり、無視することはできない。
 うちのカレーは市販のルーを使い、具はジャガイモと人参とタマネギといたってふつうのカレーなのだが、父いわく、母がつくるとしっかり不味くできあがるらしい。
 僕がつくるときは、圧力鍋を使う。速くて、うまく煮える。最初に、タマネギに少し塩を振って、しんなりするまで炒める。あとは、ジャガイモ以外の具も炒め、水を足して、圧力鍋で煮込み、二○分もしたら、火を止める。シンクで、蓋に水をかけ、圧を抜き、蓋を開けて、ジャガイモを入れる。ジャガイモは煮くずれると、溶け出して、カレーの味がぼやけるからだ。再度、蓋をして、もう少し煮込む。火を止め、自然に圧が抜けるのを待ち、ルーを入れて、溶かすだけ。
 この行程のどこを工夫すれば不味くできるのだろう。
 母は家族への愛情から、一手間かけたり、一つ具を足したりするのだが、たいてい裏目に出るタイプ。食べやすいようにと、野菜を薄く切りすぎたり、余分な脂を落とすため豚肉を茹でてしまったり、と。おそらく、不味さの原因は、そんなところだろう。
「おばあちゃんが、手伝ってくれたから、助かったよ」、といただきますの前に僕がねぎらう。「私は何にもしてやへんけどね」と祖母は言いつつも、誇らしげだ。
 この日も祖母と台所に立ち、野菜はすべて切ってもらったのだ。いつものふつうのカレーは、いつものようにふつうに美味だった。

 母が、山芋を店のお客さんにもらったから、とろろ汁にしよう、と言った。モモの苦手な料理、鬼の居ぬ間にいただこうという作戦。望むところだ。
 両親の店は、不思議なところで、しょっちゅうお客さんがおすそわけをしてくれる。農家のお客さんが多く、形が悪くて市場に出せないが、味はいい野菜を持ってきてくれるのだ。また、どこかに出かけた帰りに寄って、土産をくれたりすることも。
 母は、おすそわけの達人である。余れば、他のひとにまわしたり、店の近所の独居のお年寄りにも届けたりして、決して無駄にすることはない。
 両親の店は、決して繁盛しているようには見えないのだが、売り上げ以上の収入があるようだ。
 今日は僕の下ろし金を持っていくことにした。ちょっといいモノ。職人が、一つずつ目を立てて作った本格派下ろし金。片面が荒い目とその裏が細かい目と両面使える。アルミの安物と比べると、断然、こちらのほうが速く下ろせる。大根などは、繊維をつぶしすぎず、シャキシャキ感を残しつつ、みずみずしい大根おろしに仕上がる。
 両親の店に行き、山芋と鯖の切り身をもらった。味噌は、父がこれを持ってけ、と仙台味噌を持たせた。
 実家の物置から、久しぶりに、直径が洗面器より大きなすり鉢を出してきた。
 今日も祖母と台所に立つ。とろろ汁の作り方は、祖母に教わった。
  湯を沸かし、鯖を入れ、白くなったら、いったん引き上げ、骨をとる。皮もだいたいとる。鯖を戻して、味噌を溶く。
 その間、山芋の皮をむいて、下ろして、すり鉢の中に入れる。
 祖母にすり鉢を押さえていてもらい、すりこぎを当てる。左手の平にすり鉢の端を当て、そこを支点として、右手ですりこぎを回していく。左回りに回したら、祖母に反対だと言われ、右回りに回したら、ずっと楽だった。
「ほれ、かわってやる」、と祖母。交代ですると、さらに楽になった。
 すり下ろした山芋に、少しずつ鯖の味噌汁を足していく。
「おばあちゃん、鯖の身はどうするの?」
「いっしょにすっちゃえばいいだよ」
 ちょくちょく味見をする。やがて、我が家の味に近づいていく。
「あれ、ごはん炊かにゃいかん」
「もう、さっきお米研いで、火かけたよ」
「そんなの知らんやあ」
 祖母は僕の言うことは信じない。炊飯釜を触って熱かったので驚いている。
「あんたがやっただか?」
「おばあちゃんがやっただよ」
「そんなの知らんやあ」
 ま、とにかく、とろろ汁はできあがった。あとはネギを刻んで、薬味にするだけ。
 さっき火をつけたことは忘れても、我が家のソウルフードのレシピは忘れない祖母から、しっかりと伝承することができた。
「あれ、とろろはできたけん、ごはんを炊いてないやあ」
 祖母はまだ言っている。

 ちょっと遠くのスーパーにたまたま寄ったら、こうじを見つけ、二パック買ってきた。一つは、塩こうじに、もう一つは醤油こうじにすることにした。 
 こうじ二○○g、水三○○cc、塩六○gをタッパーに入れた。
 こうじ二○○g、水一○○cc、醤油二○○ccをもう一つのタッパーに。
 毎日かき混ぜれば、十日ほどで、二種類のこうじの調味料ができあがるはずだ。梅雨入りする前には、食べられるだろう。
 人間は、自分より大きな動物の命をいただき、美味にありつくこともあれば、目に見えないくらい小さいこうじ菌の世話になって、美味にありつくこともある。どちらの場合も、人間は他者の存在なくして美味を生み出すことができない。美味どころか、他者の存在によって、その生命をつないでいる。これを忘れてはいけない。
 謙虚に、謙虚に、ダブルこうじをかきまぜる。一日の始まりと一日の終わりに。まるで儀式のように。

« キッチン歳時記 夏 | トップページ

コメント

ジローさん、日記に書いてください、いつの間にか小説が、、、ゆっくり読みます!

気づいてくださり、ありがとうございました。

ま、キッチン菜時記は、
こちらで去年12回書いたものを、
季節ごとにまとめただけですが。

それでは、よい秋の夜長を。

Love & Peace ・・)v

ようやく読みました。老眼鏡をかけたら、読みやすいこと。そう、そういうう歳です。
食べるものすべてが人を創る。そうか!
今回、俳句が湯豆腐で苦心惨憺していましたのでありがとう!
俳句はいらないものと、いるものを大切にする文学です。

僕も老眼で、いつも鼻めがねですよ。
俳句は人生みたいですね。

新刊書、青灯買いますので著者、出版社を教えてください!!
本屋さんに言いましたが分からにと言われました。

ありがとうございます。
jiroatsumi@hotmail.com
に住所を知らせてください。
本の最後のページの郵便口座にお金を送ってください。
お手数をかけてすみません。
新作では、いよいよモモが巣立ちますよ。
小学校、中学校、高校のそれぞれの卒業の話です。

ジローさんのアドレスまでいったのですが、そこから分かりません。
リハビリの先生に教えてもらうのでお待ちください。

心配なので、ここにも書きます。
青灯、届きました。
宝物のように、わくわく!
ありがとうございました!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/25180/60261405

この記事へのトラックバック一覧です: キッチン歳時記 春:

« キッチン歳時記 夏 | トップページ