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キッチン歳時記 夏

「水無月」

 六月は、一年で一番忙しい時期。こんな僕でも、連日のサービス残業を行うことになる。僕は生徒会の顧問、文化祭準備で、いろいろと作業があるのだ。モモの高校も同じ日に文化祭が開催される。モモは弦楽合奏部のコンサートミストレス、いよいよ、最後の公演を控え、プレッシャーを感じているようだ。
 僕は学校の仕事は嫌いではないのだが、帰りが遅くなり、夕飯をつくる時間が削られるのは痛い。とても、痛い。仕事は手を抜いても、晩ごはんは手を抜かない主義だからだ。
 いつもなら、とっくに晩ごはんを食べ終わっている頃、ようやくうちに着き、すぐにキッチンに立つ。白米は浸水させてあるので、火をつけて、炊きあがって、蒸らすまで、二十分はかかる。その間に、簡単なおかずをつくる。
 たいてい、やや遅れて、モモが帰ってくる。
 帰りに、イカを買ってきた。胴体から、ワタと足を引き抜き、それは別にして、まず胴体を輪切りにして、バター醤油で炒める。小鍋に、ワタとぶつ切りにした足を入れ、酒と醤油で、煮る。仕上げに、おろし生姜と刻みネギとごま油を足して、大人のゲソ煮ができあがる。モモはまだこれは食べられない。
 このイカは、素早くできて、白米にとてもあう。
 もらいもののキュウリがあったので、スティック状に切った。これは、ディップをつけて食べる。最近うちで大流行のディップは、醤油こうじとマヨネーズをあえたもの。
 もっと時間のない時には、しかたなく冷凍食品を使う。僕は、基本的に冷凍食品は食べない。シングルファーザー・デビューしたての頃は、毎日のように食べていた。レンジでチンを三回もすれば、弁当ができあがることに、最初は感動したのだが、一つ食べ飽きて、嫌いになったら、他のすべての冷凍食品も嫌いになってしまった。冷凍食品特有の工業製品臭さに耐えられなくなったのだ。
 また、余ったごはんをパックに詰めて冷凍して、レンジで解凍して食べたりもしていたのだが、ついでに、この冷凍ごはんも嫌いになってしまった。
 だから、うちの冷凍庫には、冷凍食品が、一品の例外を除いて、入っていることはない。その一品が、讃岐うどんだ。ふつうの冷凍うどんに比べ、五玉入って、百円ほど高いが、あの讃岐うどんのコシはしっかりと残っている。もう十年以上前、組合の会合で、青年部長として、四国の集会に行き、初めて讃岐うどんを食べたのだが、それはカルチャーショック以上のものだった。これまで、うどんだと思っていたうどんが、実はうどんではなかったことを知ったのだ。それ以来、讃岐うどん一筋だ。
 冷凍うどんをさっと茹でて、冷水にさらし、どんぶりに入れ、油揚げの短冊切りをフライパンでカリカリに煎って、うどんにのせ、大根は鬼おろしで粗めにおろし、刻みネギといっしょにトッピング。あとは、ポン酢をかけていただく。おそらく、我が家の最短料理かも知れない。五分もあれば、できあがりだ。もし、美味を労力で割った数値を出せば、もっとも高い数字が出てくるだろう。

 いよいよ文化祭前夜、いつも以上に帰りが遅くなり、サービス残業にもくたびれたので、うちの近所の餃子屋でモモと待ち合わせして、夕飯にすることにした。
 この餃子屋は、本当の餃子屋で、餃子しか売っていない。他に注文できるのは、ごはんとビールだけ。まさに専門店。実は、この店主、高校の同級生である。
「ジローさん、いらっしゃい」
 僕は一年遅れて高校に入ったため同級生でも一つ年上、ゆえに、さんづけで呼ばれている。店主は、高校時代からまったく変わらない愛想のいい笑顔で、僕たちを迎え入れてくれた。店内には、テーブルが一つ。多くの客は、餃子を持ち帰る。
 彼の高校時代のあだ名は、当然ながら、ギョーザ。
 ギョーザの息子が店を手伝う。息子は、電話番や配達。実は、僕の現在の教え子で、モモと同い年である。妹もいて、時折、店に出てきて、手伝う。
 ちなみに、ギョーザも僕と同じ、シングルファーザーである。
「モモ、見習え。店手伝って、モモより勉強できるんだぞ。少しはがんばれ」
「すごーい。がんばりまーす」
 と、モモは手を叩きながら、軽く受け答える。息子はかなりのシャイボーイ、モモと目も合わせず、聞き流し、水の入ったグラスを持ってきてくれた。
  ここの餃子は、具と皮の美味さはもちろんのこと、焼きがすばらしい。限りなく揚げに近い焼き。外はカリッと、中はジューシーと、このハーモニーが絶品なのだ。
 ライスは、僕はふつう盛り、モモは小盛りを頼んだ。息子が持ってきた皿には、それぞれ十コずつ餃子がのっている。一人前は八コのはずだ。
「ありがとう」と、僕がいただきますの前に、厨房のギョーザに聞こえるように大きな声で言った。
「いつも、こいつが世話になってますから」
 ギョーザが店の奥から出てきてくれた。
 酢醤油にラー油を垂らし、一ついただく。
「ギョーザ、やっぱり、世界一だよ。な、モモ」
「うん、世界一おいしい」
 と、モモは右手に箸、左手にスマホ。
「ジローさん、うらやましいよ」
「ええ?」
「娘さんと一緒にごはんなんか食べてさあ」
 そんなもの当たり前である。僕と一緒でなければ、モモは夕食にありつけない。
 ギョーザの娘は中学に入り、気難しいお年頃になったという。
「うちも、いろいろあったからさ。全面戦争してたけど、今は休戦中。な?」
「そうそう」
 モモは、テーブルの上に置いたスマホの画面を見ながら、テキトーに答える。
「ま、うちは二人しかいないから、休戦しないと、生活が成り立たないんだって」
  ここでは、焼き餃子だけでなく、生餃子も売っている。お持ち帰りで、生餃子を二人前注文。明日、蒸して、弁当に入れる予定。そして、夜は、野菜をたっぷりと入れたスープに入れて、餃子鍋にするつもりだ。
「ジローさん、一人前、おまけしといたから」
 僕たちは深く頭を下げて、家路についた。
 そして、無事、文化祭が終わると、僕は生徒会本部のメンバー達と打ち上げをした。もちろん、ここのギョーザの餃子で。

 新聞の家庭欄で、ベジブロスなるものを知った。ベジは野菜、ブロスはダシ。野菜のクズをとっておいて、煮出してとるダシ。酒を少し足すらしい。
 早速、挑戦してみた。夕食を作り終えた後、その日出た、タマネギの皮、トマトのヘタ、ジャガイモの皮、キュウリの切れっ端、ネギの青いところを鍋に入れ、水と酒を足して、煮込んだ。
 野菜は、細胞壁の中にうま味成分があり、熱することで、細胞壁が壊れ、中からうま味が出てくるのだそうだ。また、このベジブロスには、風邪などを予防する成分も含まれている。うま味と栄養、一石二鳥だ。
 さて、その日の夕食を食べ終わり、デザートのパイナップルを食べ終わって、皿を洗ってから、煮込んだ野菜クズをザルで漉して、その琥珀色のベジブロスを味見。
 説明ができない味。甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、辛い、どれでもない。これこそ、ダシのうま味というのだろう。滋味深い味わい。これを使ったら美味しそうな料理を次々に連想させる。
 翌朝、ベジブロスで、リゾットを作ってみた。タマネギとニンニクを炒め、ベジブロスを足し、ごはんとトマトとパルメザンチーズを入れて、塩コショウして、少し煮込んだ。
 まさに朝食にふさわしい爽やかな味。化学調味料ゼロ。
  今まで三角コーナーに捨てられていた野菜のクズが、とたんに輝きだした。うちのガラクタが、よそで宝物になることは、よくあることだ。 
 モモを起こして、食べさせると、「あっさりしすぎじゃない」、と。肉食のモモには、おそらく、ベーコンでも入れて、動物性のダシを加えればよかったのだろう。
 その日の昼休み、学校の購買で、食パンが売れ残っていた。何十年もこの学校の生徒の腹を満たしてきたパン屋のおじさんがかわいそうになって、ついつい買ってしまった。四斤も。職員室で、パンにあうおかずは何かと、同僚に訊いたら、「あれ、あれ、あの野菜をいっぱい入れた赤いスープみたいなの」、と。他の同僚も、同じものを思いついたのだが、名前が浮かばない。三、四人で、誰が最初に思い出すかのレースのようになった。
 そう、ラタトゥイユ、僕が勝利した。
 帰り、いつもの食料品店(スーパーじゃない)に寄ったら、熟れ熟れの大きなトマトが出ていた。まさに、理想の食材。即、狩った(買ったじゃない)。
 まず、ナスをサイの目に切って、炒めて、皿に取った。ナスは、モモのもっとも嫌いな野菜だ。次に、ベーコン、ニンニク、タマネギを炒めた。白ワインを入れたいところで、日本酒を代用。上善水如という酒があったので、それを投入。いい酒らしいのだが、うちでは日本酒は料理にしか使わない。
 そして、ナスを戻した。湯むきなんて、トマトに失礼なことをしないで、テキトーに切って投入。キノコ類からもダシが出るので、エリンギを切って足した。
 今日は、中華鍋を使っている。炒めてから、煮込むには、最適。これは、僕が高校を卒業して、うちを出たとき、父が持たせたものだ。これなら炒めてから煮込めるぞ、と。もう二十数年使っている。
 そして、ベジブロスを注いだ。味付けは、塩とコショウのみ。ミルで、岩塩と四色ペッパーを、ゴリゴリと。
 そして、味見。久しぶりの絶品。それぞれの食材が個性をぶつけあうが、ベジブロスがそれらをまとめ、塩コショウが引き締める。
 その日の夕食は、ラタトゥイユとパンのみ。
「パンが進むねえ」とモモ。
 ナスの存在には気づかず、スプーンが止まることもない。
「ナス、食べてるじゃん?」
「え、入ってる?おいしいよ」
 よし、シュフの勝利。
 
 雨の日が続いている。ツユ入りしたようだ。
 梅に雨と書いて、ツユ。そう、雨が降り出す季節になったら、梅を何とかしなくてならない。
 どっさりと梅をとってくる。友人宅の庭の木から。感謝こそされるが、カネは請求されない。こちらも、感謝。
 水につけて、あく抜き。
 翌日、ヘタをとって、水分を丁寧にふき取り、冷凍庫へ。
 また一日待って、ガラス容器に氷砂糖とともに、梅をどっさり入れる。
 そして、待つ。ひたすら、待つ。時間が、モモも僕も好物の梅シロップをつくってくれる。
 と、マブダチのブログに、画像付きで書いてあった。まったく、グッジョブである。
 ベランダに出ると、プランターのバジルの葉が茂っている。数枚の葉っぱに黒い粉のようなものがついているのを発見。
 ついに、出たのだ。虫の糞だ。その黒い粉の上にいるはずだ。
 なかなか見つからなかったのだが、ついに、バジルと同じ緑色の芋虫を見つけた。指でつまんで、ベランダの外へポイ捨て。合計四匹ほど。これ以上、放置したら、葉がすべて食べられてしまう。よって、収穫することにした。
 収穫後、葉っぱを水洗いして、ハンドル式回転水切り器で、水を切って、すり鉢へ。ニンニクのみじん切り、、粉チーズ、オリーブ・オイル、塩も入れる。バジルの葉を、キッチンばさみでジョキジョキ切ってから、擂り粉木でゴリゴリと。
 フードプロセッサーを使えばすぐできるのだが、マブダチもがんばってるし、初摘みということで、なんとなく手仕事にしたのだ。
 ガンジーに思いを馳せる。ガンジーは、当時イギリス植民地だったインドで、宗主国イギリスの機械化(奴隷化)に対抗し、毎日、糸車を回し続けたのだ。
 ゴリゴリ、ガンジーガンジー、腕が疲れても、ガンジーガンジー。    
「いい香りだねえ」
 と、最近、ダイニングテーブルで勉強をするモモ。
「やってみるか?」
「いそがしいからねえ、ちょっとねえ」
 ガンジーガンジー。
 この労力は、マブダチの梅シロップとなって返ってくるはずだ。
 このカネにまみれた資本主義社会における男と男の物々交換。
 ガンジーガンジー。
「文月」

 
 いよいよ、暑くなってきた。夏休みを前にして、すでに猛暑。夏になったからといって、食欲が減退することなど、まったくない。今日はちょっと食欲が出ない、などと一度は言ってみたいものだ。生きるために食い、食うために生きる僕には、死ぬまで縁のない台詞だが。
 梅雨が明け、マブダチから、梅干しが届いた。梅シロップのおまけ付き。
 梅シロップを水で割り、氷をたくさん入れて飲む。時に焼酎も入れる。この季節、僕の密かな楽しみだ。
 今年は残念なことに、その美味がモモに知られてしまい、モモも梅ジュースを嗜むようになってしまったのだ。
 さらに残念なことに、キンキンに冷やして、水筒に入れて学校に持っていくという始末。
 梅干しは、弁当でも活躍。大きな梅を二つにちぎって、お互いのご飯の真ん中に置く。黒ごまと塩を散らす。これが、冷えたご飯に実にあう。
 この梅ものを、マブダチは、毎年、タダでくれるのだ。
 僕もお返しに、ベランダファームで収穫したバジルを、すり鉢ですったペーストを用意してあったのだが、留守中にその梅が届いたので、渡しそびれてしまった。
 バジルが順調に生育しているので、もう一回つくれるだろう。次に会ったとき、それもあげることにしよう。
 マブダチとは、実にありがたい存在だ。

 今日も猛暑になりそうなある朝、モモが、ほしいものがある、と。また服かと思って、聞き流すことにした。
「あのね、凍った果物をアイスクリームにする機械欲しい」
「は?」
 テレビでお笑いタレントが賞賛していたらしい。
 さっそく、ダイニングテーブルの上のコンピュータを立ち上げ、ググってみる。
 どうやら、ヨナナスというらしい。で、その機械は、六千数百円。連日の猛暑、アイスクリームより果物のほうがいいに決まっている。迷いはなかった。ネット上で販売しているサイトを見つけ、クリックしてしまった。
 バナナをぶつ切りにして、タッパーに入れ、冷凍庫に放り込み、待つこと二日、宅急便で、そのヨナナスマシーンが届いた。
 宅急便に遅れて、帰ってきたモモが、まだ箱に入ったヨナナスマシーンを見つけ、興奮し始めた。
「パパ、ナイス、パパ、最高」
 こんなに褒められたことは、ここ数年で初めてのことだ。
 モモはすぐに、箱をアイフォンで撮影していた。感動すれば何でも、写メって、アップするのが、女子高生である。この速報性、他に活用できないものか。
 夕食後、もちろん、デザートはそのヨナナスである。
 筒の中に凍った果物を入れ、棒で押し込むと、回転刃が果物をペースト状に削っていき、
筒の先からニュルニュルとアイスクリームのようなものが出てくる。それを、ガラス皿で受け止める。マシーンを分解して洗うのだが、分解したところにも、そのアイスクリームのようなものがついているので、シリコンスプーンでかき出した。
 そして、試食。一口食べて、僕とモモは、一瞬黙った。歓声を上げる前のタメ。
「すごい、ほんとにアイスだ」
「たしかに、文明の進歩は侮れない」
 翌日、パイナップルを買ってきた。カットして、凍らせ、その次の朝、バナナとブレンドして、ヨナナスをつくってみた。
 バナナの甘さとパイナップルの爽やかさ、見事なハーモニー。
「こっちは、もっとおいしい」
 モモはまた写メ。そのとき、ちょっとひらめいた。バナナと一緒に、板チョコを割って入れて、スイッチを押した。
「パパ、店出せるよ」
 そして、桃。両親が食べきれないほどオスソワケしてもらい、困っていたので、とりあえず、わけてもらい、カットして凍らせた。
 さて、桃ヨヨナス。鮮やかなピンクのシャーベット。桃は大好きな果物だが、桃の新たな一面を知り、いっそう桃が好きになった。
 もはや、これは革命である。いつか、リアル・ジロー's カフェを開くとき、夏の定番メニューにするしかない。僕も写メって、とりあえず、フェイスブックにアップした。

 この季節、素麺の季節でもある。
 そういえば、素麺は買ったことがない。いつも、実家でもらってくる。
 その実家でも、素麺は買ったことがない。いつも、お客さんにオスソワケしてもらうらしい。
 母は、オスソワケ名人だ。店のお客さんからオスソワケをもらったら、ありがたくいただく。もし、うちで食べきれなほどいただいたら、他のお客さんにもらってもらう。すると、またそのお客さんが、他のオスソワケを持ってくる。たいてい、またうちでは食べきれないほど。それが、僕のところに来たり、またまた他のお客さんのところに行く。まわりまわって、オスソワケの連鎖が断たれることがない。
 実家では、正月の餅も買ったことがない。僕がわけてもらっても、そのオスソワケで足りるのだそうだ。
 決して、売り上げは多くない両親の店だが、カネ以外の収入はかなり多いようだ。
 さて、夏になれば美味しい素麺、しかもただ、しかし、毎日のように食べれば、さすがに飽きてくる。
 沖縄風にするのも、一つの手だ。素麺をもやしと一緒に茹で、ざるにあけ、流水で冷まして、塩を揉み込み、フライパンで三十秒炒め、紅ショウガと刻みネギをトッピング。
 もちろん美味、しかし、何度も食べれば、飽きてくる。
 最後は、父に教わった酢味噌だ。めんつゆのかわりに、酢味噌で食べるのだ。小鍋に、酢と味噌と砂糖を入れ、水を足して、火にかけて混ぜる。おろし生姜も入れれば、爽やかな味になる。
 これは、さすがに大人の味、モモは食べられない。酢味噌と刻みネギは、飽きてしまった素麺に新たな命を吹き込んでくれる。

 最近、本屋で見かけて買った本、「(株)貧困大国アメリカ」。なかなかの本である。
 かつて、ベトナム戦争時にジャングルに蒔かれた枯れ葉剤をつくった会社、モンサントのことが書いてある。
 モンサントは農薬を売るため、その農薬に耐性を持つ作物の種を、遺伝子を組み替えて作り、農薬と抱き合わせで売りまくっているらしい。肥料もつけて、三点セットで。
 広大な農地を買い占め、効率よく、一つの作物を大量に育てる。農薬は、飛行機で散布。もはや、農業ではなく工業、大量生産だ。
 そして、近隣の小規模農場に、安売り戦争を仕掛けては、次々と追い込んでいく。
 追い込まれた農家は、モンサントの三点セットを買うか、廃業するかを迫られる。
 自然界では、多様な生物が、人智を超えた複雑さで、支え合っている。自然の自然たるゆえんは、その多様性と複雑性にある。単一作物の大量生産は、自然に逆行する。自然界では、虫は食いつ食われつ、均衡を保っている。ある害虫を駆除したら、その害虫に食べられていた他の虫が大量発生することもあるだろう。
 同じ作物ばかりを育てれば、同じ栄養素ばかりが、土から奪われ、その土地はやせていく。収穫量は最初は増えても、やがて必然的に減っていく。
 農薬に耐性を持つ虫や雑草が進化してくれば、さらに強い農薬を買わなくてはならなくなる。遺伝子組み換え種子は、特許品なので、特許料も払い続けなくてはならない。
 土地はやせても、モンサントは肥える。
 許せないのは、ハイチ大地震の時。いちはやく、援助を申し出たモンサント。得意の三点セットを提供する。ところが、外来種子を国内に入れることは、ハイチでは違法。
 そこで諦めるモンサントではない。緊急時であることを理由に、その法律を無視。ハイチに、モンサント三点セットが導入されてしまった。
 あとは、無料提供の期間終了後、モンサントにカネが入り続けるというオチ。惨事を利用して、弱者につけ込み、食いものにしていくのだ。
 かなり不真面目だったが、いちおう農業高校を卒業した僕の怒りがこみ上げてきた。
 許せない。You are what you eat.あなたはあなたが食べたもの。そんなものを食べるような人間にはなりたくない。
 
 ここで思いつく友人は一人しかいない。自衛隊員、サラリーマンを経て、農場研修を終え、最近、就農した強者だ。つい数日前、オーガニック野菜の宅配を始めた、とフェイスブックで告知していた。
 即決。二千円のおまかせコースを注文。
 翌々日、アマゾンばりの早さで、段ボール箱が届いた。
 床に座って、すぐに箱を開けると、まず、見たことのない形のトマトがいくつも出てきた。ひだが多いものや、長細いものなど。完熟した長細いものを、挨拶代わりにかぶりついてみた。
 トマトがデザートになるとは知らなかった。瑞々しく、甘酸っぱく、体中に染みわたる、これがオーガニックの力なのだろう。
 空芯菜、紫蘇、ルッコラ、ミントなど、少しずつ囓ってみた。どれも、人間が自然の一部であることを思い起こさせる味。それは、美味しさを超えていた。体の奥に眠る野生を目覚めさせるシグナル。夕食前に、野生動物のように草をはんだ。
 今にも破裂しそうな勢いのあるナスの光沢が美しかった。しかし、ナスはモモのもっとも苦手な野菜である。
 冷蔵庫には、母が庭で育てたピーマンもある。ピーマンは、モモの二番目に嫌いな野菜である。
 数年前にもらった手作りの味噌の存在を思い出した。
 この季節、祖母がよくつくってくれた料理がある。ナスとピーマンの甘味噌炒めだ。
 少年時代の夏とまだ若かった祖母を思い出し、晩ごはんのメニューは決まった。モモの嫌いな野菜の第一位と第二位のコラボ。シュフ魂が燃え上がる。
 この日も猛暑、汗をかいて帰ってきたモモが、「今日、そうめんね」と。開けっ放しの段ボール箱を見つけ、中をのぞき込んだ。
「トマト、食べてみ。おやつがわりに」
 モモがおそるおそるプチトマトをほおばった。
「甘い。おいしい」
 そういえば、先日、母が庭で育てたプチトマトを食べたばかりだ。その不味さは、天下一品だった。とても同じ野菜とは思えない。
 キッチンに立つ僕の背に、モモが言う。もうすぐ夏休みだから、本気で勉強する、と。モモはそんなことを何度もこれまで言ってきたので、適当に返事をしておく。
 まず、半月型に切ったナスを炒める。油は、ナスが吸ってしまうので、ちょっと多め。ナスがしんなりしたら、ピーマンを入れる。みりんをたっぷり足し、フライパンを傾け、みりんのたまった部分で、味噌を溶き、全体に絡める。砂糖や醤油で味の微調整をすればできあがり。
 素麺を茹で、ネギを刻み、ショウガをおろした。つゆはまとめてつくったのがあった。
 おかずは、ナスとピーマンの味噌炒めのみ。
「ええ、ナスピーじゃん」
「おう、文句あっか。シゲさんに言え」
 シゲさんとは、この野菜を送ってくれた彼のことである。モモとも顔なじみだ。
 モモはシゲさんの顔が浮かぶのか、申し訳なさそうに、苦手なナスとピーマンに箸を付ける。今日はほかにおかずはない。一口目は無言、二口目で「食べれるよ」と。そのうち、「おいしいじゃん」と言った。
「これは、おばあちゃんの味だぞ。いつも夏になるとつくってくれてさ」
 やさしい味のシゲさんのナスに、たくましい味の母のピーマン、その組み合わせもよかったのだろう。
「たくさんつくっちゃったから、明日の弁当にも入れていいか?」
「全然いいよ」
 シゲさんの野菜は、食べれば食べるほど、食べたくなる。体が、野菜をもっと食わせろ、と命令してくるようだ。
 野菜は、工業製品ではない。顔の見える作物なのだ。
「デザートはトマトだぞ」
「いいねえ」
 シゲさんの野菜は、大地のエネルギーをくみ取り、こちらの体に注入してくれる。
 僕はナスピーを食べながら、空芯菜の使い道を考えていた。実は、初めて使う食材だ。
 宅配野菜は、何が届くかわからない。そこが、いい。
 古来、人類は、その日、手に入るものを食べていたはずだ。その日採ったもの、その日狩ったものを。
 つくりたいものをつくるのがシェフならば、あるものでつくるのがシュフ。僕は後者だ。
 食後のトマトを食べながら、夏休みになったら勉強を本気ですると言うモモ。いよいよ、受験本番、夏を制すものは受験を制す、と高校教師の僕にもの申してくる。
 夏休みは、友達も通う塾に行きたい、と言った。そういえば、僕も高三の時、塾に通わせてもらった。大学受験の塾は安くはないが、しかたあるまい。この夏は、バカンスに出かける予定もないので、バカンス代をそちらにまわせばよい。ま、僕も、年々、物欲もなくなっているので、ちょうどよい。
 昼間、学校で勉強して、夕方、塾へ行き、そこで十時までがんばるという。
「はいはい。晩ごはんは、そっちで食うのか?」
「うん。近くにコンビニあるけど、でも、コンビニごはん食べるような人になりたくないんだよねえ」
 たしかに。コンビニごはんを食べさせるような親にはなりたくないものだ。
「じゃ、お弁当、よろしくね」
 これで、モモの夏休み中、朝晩と二回弁当をつくることになった。
 望むところだ。シュフ魂が燃え上がる。

「葉月」

 毎日キッチンに立つことを、誇りとし、喜びとしているシュフではあるが、たまには外で食べることもある。
 高円寺には初めて来た。商店街の細い路地には、小さな店がひしめきあい、中年のヒッピーのようなひとたちと、よくすれ違う。
 昼間、ブンガクの会合があって上京し、そのまま帰るのはもったいないと、ここまでやってきたのだ。モモの夕飯やお守りは、父に依頼してきた。モモいわく、じいじはパートナー、父は最強のベビーシッターだ。今頃、ハンバーガーかハンバーグでも食べ終わり、食後のデザートで盛り上がっていることだろう。
 これまでの人生で嗅いだことのない素敵な香りを堪能しながら、つまり今宵のガイド役の女性の香水にうっとりとしながら、僕が気に入るに違いないという店へ連れていってもらった。
「すごくいい匂い、田舎では絶対に嗅げない匂い」と何度も言ってしまった。
 その店にはクーラーがない、と彼女が申し訳なさそうに言った。望むところだ。ふだんクーラーなしで暮らしているので、たまにクーラーの効いたところに長時間いると、クーラー病になってしまう。体がだるくなり、ゴロゴロするしかなくなるという、シュフには大敵な病い。
 開けっ放しの店のカウンターに座る。お通しとともに団扇も出てくる。竹の骨のもの。ギャラリーも兼ねる、アンティークな店内、カウンターには、調味料とともに古本が並ぶ。古本酒場コクテイルである。
 お通しは、冷たいレバー。粗挽きコショウがかかっていて、塩加減がちょうどいい。
 僕が感激していると、彼女が言う。
「文士料理なんです。本の中に出てくる料理を再現してるんですよ」
 その後注文した、鶏のレモン煮、冷製タン、ナス炒め、空芯菜と豚肉の炒め物、キュウリとミョウガの酢の物、塩焼きそば、どれもブラボーな味。
 生まれて初めて嗅ぐ香り、ブンガク的な雰囲気、楽しい会話、帰りの新幹線を一つ遅らせて、モモの土産を一つ増やすことにして、夜は更けていった。
 
 早速、冷たいレバーを再現することに。近所の八百屋で鶏レバーを買ってきた。ハツもついていた。ひと口大に切って、水で洗って、塩漬けにして、冷蔵庫で四時間寝かす。
 ちょっと茹でて、冷めるまで放置。水を切って、また冷蔵庫でキンキンに冷やす。
 食卓に上ったのは、翌々日の朝。
「レバー、食べれるか?」
「当たり前じゃん」
 ミル挽きコショウをレバーにかけて、味見。
「よし、同じ味だ」
 モモに食べさせながら、おとといの武勇伝を語る。いい香りの女性とこれを食べた、と。「いい、きれいな人には、たくさん友達がいるんだよ。パパは、そのうちの一人だから。わかった?」
 ちょっと、にやけていたのだろう。反省。
「で、レバー、どうよ?」
「ああ、おいしい、おいしい」
「弁当にも入れるぞ」
「いいよ」
 シュフたる者、外食したらタダで帰ってきてはならない。一つは新しい料理を覚えてこなくては。
 その日もレバーを仕込んだ。実家に持っていくためだ。夏バテに効いのだが。
 
 この夏は、史上もっとも暑い夏となった。東京では、熱中症で、百人以上が命を落としたらしい。
 うちは、クーラーを使わないのだが、さすがにこの暑さのため、扇風機を二つフル回転させている。最初は、一人一台、自分だけに風を当てていたのだが、もっといい方法を見つけた。扇風機は首を振るからこそ、風が心地よい。むこうを向いて少し待たせて焦らすところも、また心憎い。小さい扇風機で低いところに、大きいほうで高いところに、首を振りながら風を送るにした。上下左右、様々な方向から風が届き、実に心地よい。
 実家でも、クーラーを使わないのだが、この夏は九十二歳の祖母には危険すぎた。
 母から僕に与えられた任務は、祖母がデイケアに行かなくて、実家にいるときの安否確認だ。
 実は、この夏の初め、祖母は夜中に脱水症状で病院に行ったことがある。その時は点滴で元気になったのだが、気は抜けない。
 夏休み中、午後はできるだけ時間をとって、祖母のところにいった。スポーツドリンクを持っていき、薬だと言って飲ませたり、西瓜に塩を振って食べさせたりした。
 チューブの練乳を買った。アイスロボ3の季節がやってきた。それは、かき氷製造器。オモチャのようにちゃちに見えるが、まだ動く。
 そのうち、祖母が寝込んでしまった。以前は、朝起きたら、布団を畳んで押入に収納し、きちんと眉を描いて、台所でテレビを見たり、洗濯物を畳んだりしていたのだが。
 このまま寝たきりになったら、と思うと気が気ではない。
 三十五度を超える猛暑日が続く。祖母も起きてこない。
「おばあちゃん、かき氷だよ」
 と、布団に横になって、イヤホンをつけて、テレビを見ている祖母に声をかける。
「今、来ただか」
 練乳をたっぷりかけたかき氷の入った茶碗を二つ持って、布団の空いているところに座る。
「起きてよ。寝たままじゃ食べられないよ」
「悪いねえ。このごろじゃ、もう起きてられんだよ」
 いよいよか、と緊張しつつ、二人でかき氷にスプーンを突き立てる。
「おいしいねえ。買ってきただか?」
「今、お勝手でつくっただよ」
「何でもできるだねえ。男だに、よくやるねえ。えらいねえ」
 祖母はいつもこれを言う。女でもできんことだ、とも。
 そういえば、この夏、節電のせの字も聞かない。ここの電力会社は、東京でも電気を売るらしい。そんなに電気が余っているのなら、とクーラーをつけてやった。僕が窓を閉め始めたので、祖母が驚く。
「クーラーをつけるよ」
「そんなのあるだか?」
 祖母はうちにクーラーがあることに、さらに驚く。そういえば昨年は使わなかったので、その存在を忘れてしまったのだろう。
「あれやあ、頭痛くなってきたやあ」
 かき氷を食べると、祖母はいつもこうなる。
「おばあちゃん、休み休み食べてよ。で、映画でも観るか」
「いいねえ、横になって見させてもらうでねえ」
 最近、買ったばかりの「オペラ座の怪人」のDVDをかける。祖母は最初わけがわからなかったようだが、そのうち音楽に魅了されていったようだ。ところどころ拍手しながら見ている。
 祖母がイヤホンで聴いているので、僕は隣の部屋で、襖を開け、冷気をわけていただき、高校野球を見ながら、シエスタすることにした。
 そんな日が数日続いたら、いつの間にか、祖母はまた朝布団を畳んで、眉を描いて、起きてくるようになった。
「いつまでも寝てるわけにゃいかんだよ。やることあるでねえ」
 僕は午後のシエスタが習慣になりつつあった。そういえば、昼寝は夏の季語だ。
「布団しいてやるかね」
 今度は祖母がそんなことを言うようになった。

 モモからメールが届く。
「今日は手弁で、よろしく」
 今日は忙しく、晩ごはんの弁当を時間かけて食べられないので、勉強しながら片手で食べられる弁当を用意しろ、という意味だ。
 布巾を濡らして絞って、おしぼりケースに入れる。
 手弁のバリエーションは、サンドイッチやおにぎりに加え、蒸しパンやトルティーヤもある。
 蒸しパンは、シリコン製のキッチングッズ「ルクエ」に、薄力粉100g、ベーキングパウダー7g、砂糖50g、油20cc、牛乳または豆乳80ccを混ぜて流し込み、電子レンジで5分加熱すればできあがる。サイの目に切ったサツマイモを入れたり、塩コショウしてチーズをのっけたり、砂糖を減らしてブルーベリージャムを垂らしたり、といくつかのバージョンがある。
 トルティーヤは、強力粉100g、塩ひとつまみ、オリーブ油大さじ半分、ぬるま湯50ccを混ぜて、こねて、30分休ませる。三等分して、丸く延ばして、油を引かないフライパンでちょっと焼く。具は無限のバリエーションがあるが、最近つくったのは、アボカドを潰し、塩コショウして、マヨネーズとあえたもの、茹でて裂いた鶏胸肉、トマト少々を入れて、丸めてラップで包む。
 ライスバーガー風おにぎりは、この夏、考案した。茶碗に半分ごはんを入れ、鶏胸肉の照り焼きと千切りキュウリをのせ、マヨネーズと、もう半分ごはんをその上によそい、ハンバーガー型に握り、白胡麻を散らす。
 夜弁当は、つくってから食べるまでの時間が短いので、温かい麻婆ナスを持っていき、温かいごはんに、食べる直前にかける、なんてワザも可能だ。
 俳句のように制限があると、創作意欲はいっそう刺激されるというものだ。

 ちょくちょく、両親の店に行っては、母のコーヒーをいただく。父の寿司をいただくことも。もちろん、タダで。実にありがたい。
 八月に入り、いつも飲むコーヒーは、ホットからアイスになった。
「たまにゃ、自分でやりないよ」
 母がくたびれていると、自分でドリップすることになる。時に店番をすることがあるので、練習しておけということだ。
 アイスの豆は、ホットとは違う専用の豆。豆の量は1.5倍だが、抽出量は少なく1杯100cc。氷を入れて一気に冷やし、氷の入ったグラスに注ぎ、キンキンに冷えればできあがり。少し多めの豆とひと手間、値段がホットより少し高いのも納得だ。
 コーヒーは、苦いと思ったら、美味しいコーヒーではない。コーヒーの味と苦さは別のものだ。チェーン店のコーヒーは苦い。だから、たいてい僕は飲み干せず、席代と新聞や雑誌の情報料としてカネを払ってくる。
「パパ、アイスコーヒー買ってきて」
 モモが友達にアイスコーヒーをもらい、それが美味しかったらしい。
「飲めるのか?」
「まあね。眠気覚ましにもなるしさ」
 モモがメーカー名を言った。1リットルのペットボトルで200円もしないという。
「そんなのおかしいだろ」
「いいじゃん、買ってきてよ」
 試しに買ってきた。ま、コーヒー味のジュースといったところか。
 その濃さと甘さを確認して、うちの豆を挽いて、ドリップして、氷で冷やして、水筒に入れ、モモに持たせた。
「で、コーヒー美味かったか?」
 モモが水筒を流しに持ってきたときに訊いた。
「うん、美味しかったよ」
「コーヒーの味わかるのか?」
「わかるよ。ちょっと砂糖入れればね」
「明日も持ってくか?」
「うん。頼むよ」
「あれ、うちのコーヒーだぞ」
「パパがつくったの?」
「じゃ、買ったのは?」
「ちょっと飲んで捨てた」
 もったいないだとか、偏ってるとか言われ、コーヒー1リットル200円で売る罪について話そうと思ったが、めんどくさいのでやめておいた。
「資本主義の奴隷はゴメンだ」
「まったくアカなんだから」
 モモはアカの意味がわかるようになったらしい。
 ま、コーヒーの味もわかるようになったことは喜ばしいことである。

 八月や六日九日十五日  作者不詳
 そんな俳句があることを知った。
 毎年、八月六日は、広島風お好み焼きをつくる。モモが小学四年の年の八月六日、僕たちは広島にいた。原水爆禁止世界大会というものに一度行ってみたかったのだ。本当に世界中から平和を求める人たちが集まっていることに驚いた。炎天下、蝉の声を聞きながら、平和式典の様子を眺め、夜は灯籠も流した。
 その旅の間、広島風お好み焼きを三回食べた。お好み焼きの作り方をずっと観察して、うちのフライパンで再現してみた。試行錯誤の結果、なんとか似たようなものができるようになった。
 まず、焼きそばを炒めて、皿にとる。薄力粉を水でシャビシャビに溶き、フライパンに垂らして、丸く延ばす。そこに千切りキャベツをドサッと置き、もやし、焼きそば、豚の三枚肉を重ね、軽く塩コショウをする。シャビシャビの薄力粉を少しその上からかけて、しばらく焼いてから、ヘラを二つ使って、勇気を持ってひっくり返す。しばらく焼いてから、お好み焼きを持ち上げて、その下に少し溶いた卵を流し込み、またお好み焼きで封じ込め、卵が固まればできあがり。
 八月六日の昼、ひさしぶりに、焼いたのだが、非常にうまくできた。そこで、食後にもう二枚焼いて、実家にも持っていった。料理は分けあえば分け合うほど、美味くなる。
 三日後、スーパーで長崎皿うどんを見つけたので、袋に書いてあるレシピ通りにつくって、昼ごはんにした。揚げた細麺に熱々のあんをかけ、熱っ、とろっ、パリっと、食感も楽しい。モモがこんなに大きくなる前に、長崎の世界大会にも行くべきだったことを、後悔しつつ、長崎皿うどんを食べ終えた
  十五日は、特別なものはつくらず、いつも食べているようなものを、いつも通り食べた。
 正午、モモは学校にいて、僕はプールサイドにいたのだが、サイレンにあわせて、それぞれ黙祷をした。

 完熟トマトが切れなくなった。包丁を研がなくてはならない。
 小学生の頃、父に教わり、図工で使う彫刻刀や田舎男子の必需品小刀をよく研いだ。だから、僕の刃物はクラスで一番輝き、当然、一番よく切れた。
 僕のメイン包丁は、高校を卒業してからずっと使っている。一人住まいを始めるとき買ってもらったものだ。関孫六の銘、鋼をステンレスで挟んだ刃。これが一番長いつきあい、もはや手の延長とも言える。
 サブ包丁は、グローバルの13cmのペティナイフ。持ち手までステンレス一体型、切れ味はこの方が上だ。医療用メスもつくるメーカーらしい。
 それよりさらに小さい包丁は、これも関孫六。鋼なので、ちゃんと水気をとらないとすぐに錆びるが、切れ味は抜群だ。鶏肉をブスブス刺したり、イチゴのヘタを採ったり、飾り包丁を入れたり、と小技に大活躍する。
 さて、もう一丁は、父にねだってもらった刺身包丁。銘は正本。日本刀のように輝く、板前の魂ともいえる包丁を、魂ごと引き継いだ。細くて長くて、先はとがってない型、まさに刺身を切るためだけのに特化したもの。刺身を切るときは、包丁を前後させてはいけない。細胞が壊れ、水気が出てきて、不味くなる。だから一太刀で刺身を切り落とせるよう、刺身包丁は長いのだ。
 砥石は、凸凹がひどくなってきたので、砥石用の砥石で表面を平らに研いでおいた。数分、水につけておく。
 早速、小さい包丁から、研ぎ始める。塗れ布巾の上に砥石を置き、ボウルに張った水をちょくちょくかけながら、砥石の上を一定の角度で刃を滑らせる。刃がちゃんと当たっているかどうかは、音と感触で判断する。
 研げたかどうかは、電灯の下で刃先を上に向ければ、すぐわかる。刃先が、鋭くなければ光を反射するが、鋭ければ反射しない。
  最後に刺身包丁を慎重に研ぎ終わると、厳粛な気持ちになる。
 そういえば、モモの包丁もあった。先が丸い子ども用の小さい包丁。いちおう、研いでおく。こんな包丁でも、よく切れるようになる。
 土曜日の遅めの朝食の後、無事にすべて研ぎ終えた。
「ついでに、モモの包丁も研いどいてやったぞ」
 ダイニングテーブルで、暗記物をしていたモモに恩を着せる。
「ほんと、ありがとう」
「じゃ、梨でも切ってみるか?」
「パパが切っていいよ」
 ま、ちょうど切れ味も試したかったところだ。

 ダイニングテーブルの上のノートパソコンで、シングルママフレンドに勧められたDVDを見た。ドキュメンタリー映画「フォーク・オーバー・ナイフ」。タイトルの意味は、食事のフォークは手術のメスよりすごい。つまり、Let food be thy medicine. 食べ物を汝の薬とせよ、と。
 生きていくのに必要な、栄養素の一つ。タンパク質。これがなければ、力は出ない。だから、肉を食べて、筋肉をつける。
 と、多くのひとは思っているし、僕もそれを疑ったことはなかった。
 映画には、筋肉隆々の格闘技のチャンピオンが出てくる。実は、彼はベジタリアン。植物性タンパク質でも、筋肉はつくし、チャンピオンにもなれるのだ。
 植物性タンパク質だけを与えられたラットと、動物性タンパク質だけを与えられたラット、どちらが癌になりやすいか。圧倒的に、後者。少し怖くなってきた。
 ジャンクフードを食べると、なぜ太るか?栄養素の乏しいジャンクフードを食べても、人間の体はすぐ満腹を感じない。だから、食べ過ぎる。油と糖分は、麻薬性があるので、もっと食べたくなる。太るわけだ。皮肉なことに、貧困層は安いジャンクフードに走るため、貧困層ほど肥満が多いらしい。
 骨をつくるには、カルシウム。だから、牛乳は欠かせない。多くの人も、もちろん僕もずっとそう思っていた。しかし、牛乳とは、そもそも、牛の赤ちゃんのためのもの。牛でもない、赤ちゃんでもない、人間の大人が、せっせとカルシウムをとるために牛乳を飲む。しかも、毎日。たしかに、おかしい気もする。
 映画で紹介された実験では、牛乳が、人間の骨をちっとも丈夫にしないことが証明される。学校の給食で毎日飲んでいた牛乳、給食で出たのだから体にいいはず、と卒業後もいつも冷蔵庫に常備させてきた。
  DVDを見終わると、これまで一度も疑ったことのない肉と牛乳の神話が一気に崩れ落ちた。
  カネか。日本中の学校の給食で、牛乳を子ども達に毎日飲ませれば、卒業後もずっと買ってくれるだろう。パンも同じ理由か。給食では、ごはんよりパンの方が圧倒的に多かった。米が主食の日本人に、なぜパン食を強いるのだろう。アメリカの小麦粉を売るためか。またカネだ。
 菜食が最良の薬、映画はそう主張する。もう、肉も牛乳もいらなくなってきた。

 僕はパソコンの電源を切り、キッチンに立つと、圧力鍋で玄米を炊いた。
  その夜、モモと郊外の巨大ショッピングモールに行くことになっていた。モモの誕生日が近いので、プレゼントに夏服を買うために。また他にも、モモはいろいろと買い物もあるのだそうだ。
 この巨大ショッピングモールの進出で、商店街の個人商店はほぼ壊滅に追い込まれ、町の風景が変わってしまった。ショッピングモールは、まるで、資本主義帝国の侵略者のようだ。
 資本主義の奴隷になるわけにはいかない。せめて、胃袋の中という聖地だけは侵略させるわけにいかない。フードコートやらで、ジャンクフードを食べるわけにはいかない。
 だから、夕食は、車の中で食べることにした。
 枝豆に塩を振って、フライパンで、少し水を張り、蓋をして蒸し焼きにした。炊きあがった玄米に、枝豆を混ぜて、豆ごはんにした。そして、まだ熱い玄米を、握った。具は塩昆布。胡麻を擦り、表面にまぶした。このおにぎりを、竹を編んだ弁当箱に入れた。もしラップで包んだりしたら、水蒸気が水滴になり、おにぎりの表面が濡れてしまう。
 モモと合流し、ショッピングモールの駐車場の車の中で、窓を全開にして、夜風に当たりながら食べた。
「パパ、おかずは?」
「入ってる」
「なるほどね」
 いつもより、夕食の時間が遅れ、僕たちはそうとう空腹だった。空腹は、たしかに、最良のスパイスだ。
 玄米には、白米にはない、力がある。おかずに頼らない自立した美味。
「けっこう美味しいね」
「当たり前だ。ベジ弁だぞ。体が喜んでるのが、わかるか?」
「はいはい」
 ベジタリアンになろう考えている、と言ったら、「勝手にどうぞ」とモモが即答した。
「押しつけないでよ」
 モモはやはり肉食だ。
 さて、モモのショッピングのついでに、僕も小物を買った。度つきゴーグル、レ・ミゼラブルのDVD、深夜食堂という漫画の新刊、食材も少々。あっという間に、予算以上のカネを落としていた。不覚にも、すっかり、資本主義の奴隷に成り下がっていた。
 おまけに、翌日は、モモとバーベキューに出かけることにもなっている。
 キッチンのチェ・ゲバラになる道は、遠く、険しく、そして誘惑が多すぎる。

「長月」

 まだ蝉が鳴いたり、昼間三十度を超えたりもするが、夕方にはすっかり涼しくなる。
 夜になれば、外では、秋の虫が、三重奏か四重奏くらいで、なかなか賑やかになってきた。
 毎年、秋めいてくると、あんなに毎日飲んでいて麦茶が美味しくなくなる。素麺も食べたくなる。実に、不思議だ。
 九月はちょっと難しい月である。夏野菜はもう終わりで、かといって、秋野菜はまで出てこない。九月の料理というと、何も思いつかない。
 ここのところ、弁当もマンネリ化してきた。白米、緑の野菜、卵焼き、肉のメインおかず、フルーツ。白米が、日の丸弁当になったり、おにぎりになったりするが、代わり映えはまったくしない。
 夜の弁当も、マンネリ化。速くつくれて、速く食べられるものということで、のっけ弁の頻度が高くなってきた。ごはんの上に、おかずをドーンとのせて、タレを染みこませ、ちょこっと付けあわせ。非常にシンプルな弁当。
 別に不味いわけではないので、今のところ、モモも文句を言ったりはしないが、シュフとしては納得のいかない日々が続いている。
 そろそろ、修行に出るころなのだろう。修行で一番いいのは、旅だ。旅先の地元食材を使った料理に、料理観を何度も変えられてきた。飲み会や外食などでも、発見がある。
「つけ麺いっちゃう?」
 と、突然、モモが言った。土曜日の昼ごはんをどうするか、僕が訊いたのだ。
 自慢の教え子の一人が、ラーメン屋の店長を務めている。そういえば、ここしばらくご無沙汰だ。
 即決。
 車をちょっと走らせ、この町と隣町の境目をちょっと超えたところの店に到着。カウンターと窓際のテーブル席が三つほどの小さめの店だ。
 カウンターの向こうの厨房にいた店長は、すぐに気づき、頭を下げた。僕たちはテーブル席に腰を下ろし、僕たちは二種類のつけ麺を注文した。
 店長は黒いTシャツを着て、店内は黒を基調としたインテリア。余計な色がない分、ラーメンに集中ができる。
 それぞれのつけ麺を半分食べ、スープを交換して、残り半分を食べた。
 彼のつくるラーメンは、説明ができない。もちろん、美味。いつも外で出会った美味を、うちで再現しようと思うのだが、これは説明ができないので、再現もできない。
 だから僕はただその美味を鑑賞するだけ。コンサートの感動にお金を払うように、その美味の感動にお金を払う。一杯千円もしないのに、この充実感。感謝の言葉しか浮かばない。
 レジでおつりをもらっていると、彼がわざわざ出てきて、頭を下げた。
「つけ麺、ハンパねえぞ」
「ありがとうございます。あれ、俺が五分でテキトーに考えたレシピなんですけどね」
「マジか。やりよるわ。な、モモ。」
「ほんと美味しくて、ハンパなかったです」とモモが言うと、店長はまた深々と頭を下げた。

 翌日、日曜の晩、またつけ麺を食べたくなったので、スーパーで、市販のつけ麺を買った。うちに帰ると、ショウガとニンニクと長ネギのみじん切りをごま油で炒め、挽肉を足して、さらに炒め、スープの素を入れて、スープをつくった。味見をすると、教え子の味にはとうてい及ばないが、スープの素を使っているだけに、僕には出せない美味が出た。
 麺は、もやしと一緒に茹でて、かさ増しした。
 モモをダイニングに呼び、テレビを見ながら、食べた。
「どうよ?」
「いいよ」
「いいよって何だ?」
「美味い、美味い」
 二回言われると、言葉の重みが半減する。
 テレビでは、バイト学生がネット上に厨房でのいたずら写真を投稿し、その店が閉店に追い込まれ、学生は損害賠償を請求されるというニュースが流れていた。
「バカだねえ」とモモ。
 僕も他に言葉が浮かばない。
 うちは、基本、外でバイトがつくるようなものは食べない。僕は料理ができるので、僕より料理が上手なプロにしかカネを払いたくないのだ。
 今日は疲れたからコンビニ弁当とか、帰り遅くなっちゃったからファーストフードとか、シュフの辞書にはない言葉だ。
 やはり、ここは美味しい手打ち蕎麦屋理論だ。この理論を拡散しなくてはならない。
  たとえば、腕のいい蕎麦職人がいる。小さな店を出し、好評を博している。
 しかし、一人で蕎麦を打っているので、一日に出せる蕎麦の量には限りがある。だから、日々、売り切れゴメンの商売だ。
 もし、ここでカネに執着したら、バイトを一人雇って、倍の蕎麦を打ち、売り上げを倍増することを思いつくだろう。
 そして、実際に売り上げが倍増したら、さらに欲が出て、バイトをもう一人雇い、三倍の量の蕎麦を打ち、売り上げを三倍にしたくなるだろう。
 職人の両側にバイトを配置し、二人に手伝わせて蕎麦を打つが、職人が打った蕎麦とまったく同じというわけにはいかない。それでも、これまでの評判の貯金で、客は増え続ける。
 やがて、バイトをさらに増やし、さらに売り上げが増えると、店を拡張することを思いつく。
 ここで、借金をすることになる。
 さて、この段階で、職人は、美味しい蕎麦をつくるために蕎麦を打っていた初心を忘れ、カネを稼ぐために蕎麦を打つようになっている。やがて、蕎麦の味が落ち、その口コミが徐々に広がっていき、売り上げが伸び悩むようになる。
 もしこの時点で、バイトのいたずら写真投稿などあれば、店は、即、閉店に追い込まれるだろう。
 バイトが増えれば、目が届かなくなるのも無理はない。カネのために働くバイトの意識がさほど高いとも思えない。
 口コミがさらに広がると、売り上げがぐんぐん落ち始める。バイトを減らし出費を減らすが、営業の存続が危うくなっていく。しかし、借金は、しっかり、残ったままだ。
 そして、借金が返せなくなり、店を畳むことに……。
 実は、腕のいい蕎麦職人が売り切れゴメンの店を営んで時点で、もうそれは大成功だったのだ。しかし、この大成功を大成功と思わないから、大失敗をすることになってしまう。
「もうバイトがつくったの食べたくない」とモモ。
「いくら安くても、いくら腹減っててもか?」
「やっぱ、食べるかも」
 手打ち蕎麦屋理論をモモに話すのは今、と思っているうちに、モモがダイニングテーブルで勉強を始めてしまったので、またそのうち話すことにした。

 僕は高校三年生のクラス担任である。僕のクラスでは、月曜日の七時間目、週に一回あるロングホームルームの時間で、調理実習をすることになっていた。実は、一学期にも調理実習を行い、今回で二回目。
 この学校の家庭科教師は実に厳しい。各班にレシピを提出させ、添削をしてから、ようやく調理室を貸してくれる。五十分の時間内に調理して、食べて、片づけまで終わらせなくてはならない。前回は、完璧に終わったと思ったら、シンクに水滴が残っていたと叱られてしまった。
 一年生のとき男女共学で家庭科を学んだ生徒達は慣れたもので、無理をせず、シンプルなレシピで調理を始めた。
 僕はというと、料理が苦手な女子三人の班に、勝手に入れられていた。前回はホットサンドをつくり好評で、今回もホットサンドということになった。
 パンは購買で三斤予約しておいた。具は、チョコ&バナナとハム&チーズ。僕のキッチンから、パン切り包丁、食パンを切るための道具のパンカットガイド、、直火用ホットサンドメーカー、四色ペッパーミルと岩塩のミル、研ぎたてのペティナイフを持ち込んでいた。
 他の班を見わたすと、蒸しケーキ、パンケーキ、たこ焼きなど。
  僕の班はこの前とまったく同じものをつくるので、生徒達だけでつくらせた。そこで、僕は調理室の中を見回りながら、アドバイスをしたり、味見をしたりした。
 生徒達はとにかく僕に食べさせようとする。生徒達より英語が上手な僕は尊敬しないが、生徒達より料理が上手な僕は尊敬するらしい。シュフの僕に褒めてもらいたいのだ。少し食べては、表情豊かに、大げさな褒める。生徒達はテストでいい点をとったときより喜ぶのが、実におもしろい。
 おやつにしてはちょっと食べ過ぎたが、生徒達のつくるものはどれも微笑ましいほどの力作。とにかく、褒めまくった。
 できたら褒めるのではなく、褒めるからできるようになる。と、母がどこかから聞いてきて、僕に話した。教師は褒めるプロでもある。次はもっと美味しいものができあがるはずだ。
 今回も時間内に片づけが終わり、僕が最終点検をして、シンクの水滴も一滴残らずふき取った。各班長は、家庭科教師に使用させてもらったお礼を言いにいった。
 で、家庭科教師の講評。調理中、はしゃぎすぎ。あれでは、料理につばきが飛ぶ。
 たしかに、僕も生徒と一緒になってはしゃいでいたのは事実で、反省しなくてはならないのだが、どういうわけか調理室を他の者に使わせたくないようだ。自分のキッチンを荒らされるような気になるのだろうか。
 それでも、卒業間際にもう一度調理実習を敢行することを企んでいる。

 この時期、仕事はたいてい六時に終わる。終わらなくても、終える。
 そして、うちのキッチンに直行し、二回目の弁当をつくる。
 九月に入っても頻度が多いのは、ワンボックスのっけ弁。ごはんを炊いて弁当箱に入れ、その上に千切りキャベツをのっけた。鶏胸肉を薄く切り、片栗粉をまぶし、フライパンで焼き、塩コショウ、醤油、みりん、ショウガのすり下ろし、仕上げのごま油で味付けをしたものを、キャベツの上にのっける。蓋をして、モモのところに届ける頃には、タレがキャベツの層を突き抜け、ごはんに達しているだろう。タレの染み具合を計算に入れた、少し高度な弁当、のはず。
 月のきれいな夜、弁当を持って、モモを学校に迎えに行った。そこから塾に送り届けるのだ。移動中の車のラジオで、その夜が中秋の名月で、しかも満月とのこと。次は8年後だとも。
 名月のことを忘れてていた。あわてて、途中でコンビニにより、和菓子コーナーで団子を買った。
 モモを塾の駐車場で下ろした。
「月を見ろ」
「すごーい」
「中秋の名月だってさ」
「よく聞くけど、どういう意味?」
「知らないのか?古典で習うだろ」
 実は僕もよく知らなかった。
「とりあえず、月見て、この団子も食っとけ」
 モモは和菓子の存在に喜び、月を見上げながら、塾の建物の中に入っていった。
 さて、それから僕が向かったのは、実家である。母と祖母と兄が、ちょうど夕食後のお茶を飲んでいたところだった。
 実家は、平屋の小さな家だが、南に一間の廊下がついている。だいぶ物置き化されているが、縁側らしき空間が残っている。やはり、月見は縁側だ。僕のアパートのベランダで、というわけにはいかない。
 団子を買ってきたというと、縁側に実家の面々が集まってきた。縁側の向こうの小さな庭で、今宵も秋の虫がおそらく四重奏で賑やかだ。
「何とも言えないねえ」と祖母。
 母がお茶を持ってきてくれ、兄もこちらにやってきた。
 そういえば、父がいないが、残業と言いつつ、パチンコだろう。父の分の団子は残しておいた。
「東京でも同じ月を見てるだかいやあ」と祖母。
「同じ月だけど、ビルが邪魔で見えんかもね」
 実家のまわりは、田んぼなので、町の灯りがない。ゆえに、月がいっそうきれいに見えるのだろう。コンビニ団子だが、意外に美味い。
「さ、私ぁ忙しいで、こんなことばっかしてられやあ」
 と、祖母が言った。まだ皿洗いが残っていて、その後、洗濯物も畳むという。
「おばあちゃんも大変だねえ」
「私ぁ、用がいっぱいだねねえ」
 祖母が台所に戻ってからも、しばらく、兄と月を見ていた。
「兄ちゃん、月、見える?」
「アイ」と兄は元気よく返事はするが、団子にしか興味はないようだ。やはり、月より団子か。

 縁側でコンビニ団子祖母と食う

 そんな俳句をつくってみたが、どうもしっくりこない。それでも、こっそりフェイスブックにアップした。

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