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キッチン菜時記 秋冬

「神無月」

 揚げ物は、実は苦手だ。カロリーが高そうで、油の処理も面倒だ。
 しかし、絶好の体育大会日和で、モモの高校の体育大会が行われる日となれば、揚げないわけにいかない。揚げ物のため、いつもより早く起きた。モモも、めずらしく早起きをして、洗面所で、髪のセットに時間をかけている。朝練があるのだそうだ。
 毎年、体育大会の日の弁当は決まっている。高校生の弁当のおかずランキング堂々の第一位の鶏の唐揚げだ。
 一口大に切った鶏もも肉は、酒と醤油とすりおろニンニクの下味をつけ、一晩寝かせておいた。その鶏肉を、ボウルの中で片栗粉にまぶしたら、ギュッと握り、余計な粉ははたく。
 油の温度は百八十度、少し色づいたら、いったん網の上に放置。その間に、余熱が芯まで届く。油を二百度まで上げ、もう一度揚げて、きつね色になれば、できあがりだ。
「いい匂い、朝ごはんのもある?」
 モモが頭の上に大きな団子をのっけてやってきた。お団子ヘアだ。
「味見がてら、食べていいぞ」
 僕も立ったまま一ついただく。外はカリッと、中はジューシー、ニンニクも効いている。
「たしかに、うまいな、これ」
「なら、もっと、つくってよ」
「たまに食べるから、うまいんだって」
「いいじゃん、もっとつくれば」
「太るぞ」
「ならいい」
 よし。
 揚げ物は、やはり面倒だ。
 
 翌日は、僕の勤務する高校の体育大会だった。
 バリバリの文系の僕が担任するクラスは、全国レベルの選手もいる、バリバリの体育会系クラス。担任教師が冷めているにもかかわらず、生徒達は熱い。賞状を荒稼ぎした体育会系生徒だけでなく、文化会系生徒達も、ムカデ競争や長縄跳びなどのレクリエーション種目で活躍し、クラス対抗で準優勝した。
 閉会式後、生徒達をねぎらうと、アスリート達にクッキーを要求された。
 毎年、ホワイトデーのお返しに配るクッキーが、ちょっとした評判なのだ。
「じゃ、今晩、クッキー焼いてくるぞ」
 生徒達は、閉会式の結果発表と同じくらい、喜んだ。ま、生徒達を大して応援しなかった罪滅ぼしだ。
 帰りに、最近高価な無塩バターと、粉砂糖を買って帰る。
 夕食の片づけが終わると、作業にとりかかった。
 三対二対一が黄金比だ。薄力粉一八○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g。それに、卵黄一ヶと塩少々。これで、四十枚分。
 ココナツも買ってきたので、それを混ぜることにした。
 まず、室温に戻して、柔らかくしたバターを練る。最初は重いが、途中からふっと軽くなる。粉砂糖を少しずつ混ぜ、卵黄も投入して、さらに練る。ふるった粉とココナツとあわせ、ゴムべらで、切るように混ぜる。徐々に粉っぽさがなくなり、固まってくる。二等分して、それぞれラップにのせ、30センチ筒状に丸めて包み、冷蔵庫で冷やす。急いでるときは、冷凍庫。
 固まったら、沢庵を切るように、八ミリくらいの厚さに切る。一本で二十枚くらい。その間、オーブンを一八○度に予熱して、天板にオーブンシートを敷き、その上にクッキーのタネを並べ、十六分焼く。焼けたら、網の上にのせ、冷ます。これをもう一本焼いて、四十枚と少しできた。
「いい匂いだねえ」
 部屋中に漂う甘く香ばしい匂いに、つられてモモがやってきた。
「味見してあげるよ」
 両端の形の悪い部分のクッキーを四枚、山分けすることにした。
「美味しいねえ。これなら、みんな喜ぶよ」
 ま、いつも通りだ。味見クッキーは二枚ずつのはずが、僕が紅茶を淹れているうちに、三枚とられてしまった。
「もう食うなよ。足りなくなったら恨まれる」
 残り一枚のクッキーは、モモに取られる前に、半分、口に入れた。
 硬すぎず、柔らかすぎず、絶妙のサクサク感。レシピ完成までの道のりを思い出しながら、紅茶を一口飲み、残り半分を食べた。

 一年ほど前、ブンガクの研究集会で、三重の鳥羽に行ったときのこと。
 僕が海鮮丼を食べていると、恩師でもある同志が、伊勢うどんを食べていた。極太でもちもちしたうどんに、ダシのきいた濃厚なタレと刻みネギがかかっているだけのシンプルなもの。つゆの中に入ったコシのあるうどんとは、対極のうどん。ネギが、そのうどんとタレの強い個性がぶつかりあわないように調整役を果たしているようだ。
 新鮮な魚介類が何種類もてんこ盛りの海鮮丼をむこうにまわしての伊勢うどんのその存在感。
 一口食べさせてもらえばよかったと、一年経った今でも後悔している。
「これがありゃ、他に何もいらないなあ」
 その同志の言葉が今も忘れられない。
 そんな伊勢うどんを思い出したのは、生命保険がきっかけだ。
 実は、自分がどんな生命保険に入っているのか、よくわかっていなかった。このアパートにまで上がり込んでだりもする生保レディーにしつこく勧誘され、これなら保険に入ったほうが楽な気になった。とにかく、ありとあらゆる不幸のパターンを示され、不安を煽られ、様々な特約をつけてもらっているうちに、何がどうなっているのかわからなくなった。
 当然、毎月の保険料の支払いは、複雑になればなるほど、高額になった。
 職場で、数字に強そうな同僚に、どんな保険に入っているか、と訊くと、そんな同僚でさえ自分が加入している保険について説明できなかった。これには、驚いた。
 ふつう、何か買うとき、自分がどんなものを買うのかわからないなんてことはない。しかし、生命保険に関しては、訳のわからない複雑な商品にカネを払わされている。毎月、口座から引き下ろされ、何もしなければ、定年になるまで何十年も。
 そして、その集められたカネは、運用に回され、生命保険加入者は、気づかないうちにマネーゲームに参加させられる。石油を買い占め、値段をつり上げてから、売りさばき、巨万の富を手に入れ、世界中に迷惑をかけているような投資家に、無意識に、間接的に、手を貸していることになるのだ。また、莫大なCM料、働き者の生保レディの給料、さらにはバブル崩壊時に出た損失の補填にまで、訳もわからず払いこんだ保険料が注ぎ込まれている。
 生命保険は、人生で二番目に高い買い物と言われる。そんな高額商品に、それがどんなものかも知らずにカネを払い続けてきたことが恥ずかしい。
 生命保険とは、もし僕が死んだら、モモが大学に通えるくらいのカネを残すために、月々保険料を払うという、シンプルな行為だ。どんぶりに何が入っているか一目瞭然の素うどんのように。
 しかし、その生命保険が、様々な恐怖を煽られ、様々な特約を契約させられ、トッピングが多すぎて、もはや上に何がのっているかわかない、ぐちゃぐちゃうどんのようになっている。
 共済というのもある。みんなでカネを少しずつ出し合って、誰かが困ったら、その人にあげる。もし、そのカネが余ったら、返ってくる。
 共済型の素うどんのほうが好きだ。僕が入っている教職員組合でも取り扱っている。実は、こちらにも加入していた。今、僕が死んでも、二千五百万円ほどモモに支払われるらしい。
 ということで、こちらの共済を残し、生命保険は解約することにした。ぐちゃぐちゃトッピングうどんはやめて、伊勢うどんを選んだのだ。
 それにしても、伊勢うどん、どんな味がするのだろう。その一杯を食べるためだけでも、伊勢に行ってみたい。
 生保レディに電話をしたとき、多少泣きつかれたが、勇気を出して解約したら、数日後、百万円ほど、返ってきた。ますます、わけがわからなくなった。
 交通費を含めても、伊勢うどんを何度も食べに行けそうだ。

 モモが、明日の土曜日は模擬試験を受ける、という。
「勝負だからね」とモモは気合い充分。
 明朝は早めにうちを出て、コンビニに寄り、菓子を買うという。
「頭使うと、甘いものほしくなるからね」
 うちは、試験の朝は、カレーと決まっている。かつて、有名なスポーツ選手が、試合のある日は毎朝、カレーを食べると聞き、それ以来、試験の朝は勝負カレーとなった。高校受験の朝もカレーを食べた。
  以前は、前の晩にカレーをつくり、翌朝、温めて食べていたのだが、この頃は、朝、弁当をつくりながら、手早くつくってしまう。和カレーだ。
 肉とタマネギとシメジを炒め、スティック状に切ったジャガイモも加える。薄目のダシつゆを注ぎ、砂糖を少し足して、煮込み、野菜がやわらかくなったら、最後にルーを溶かす。ほうれん草を、レンジでチンして、水にさらして、絞って、トッピング。十五分もあればできてしまう。
 この和カレー、ごはんだけでなく、うどんにもよくあう。
 翌朝、コンビニに寄る時間を捻出するため、慌てて朝の支度をした。僕も勤務する学校で模試の監督をすることになっていたので、モモと一緒にうちを出た。
 僕も試験監督中、この時間にモモが受けているはず英語の問題に目を通した。和カレーを朝食べたくらいでは、モモにはとても答えられそうにない。僕まで、焦ってきた。
 今年は、こんな思いをあと何度もするのだろう。何度も、朝カレーもつくるのだろう。

 ようやく秋らしくなってきた。
 この時期、大学のAO入試の季節である。AO入試とは、偏差値では測れない受験生の才能や個性を問う入試である。
 僕のクラスの生徒の一人がプレゼンテーションを見てほしいと頼んできた。彼女の夢は料理教室の先生だ。彼女は、毎朝の自分の弁当をつくり、休日には父親とカフェ巡りをして舌を磨き、日々、美味を追求している。さらに料理の研究を深めるため、家政学部志望だ。僕とは非常に話の合う生徒の一人である。
 放課後の空いている教室で、プレゼンテーションの練習をすることにした。
 彼女は椅子に座ると、スケッチブックを取り出した。
「私はフードポットを使ってどんな料理ができるか、いろいろ試してみました」
 スケッチブックの表紙をめくると、スープの写真と、イラストを使ったレシピが書いてあった。
 フードポットとは、スープ用の保温容器のことである。朝、熱いスープを入れて学校に持っていけば、昼、まだ温かいスープを飲むことができる。
 彼女の説明によれば、フードポットに米を大さじ二杯入れて、湯を注ぎ、三時間待てば、お粥になるらしい。つまり、単なる弁当容器ではなく、保温調理器としても使えるのだ。
 リゾットや、マカロニ入りミネストローネなど、登校する前にうちで仕込んでおけば、授業を受けている間に、保温調理が進み、お昼にはあったかい弁当ができあがる。
 これは、革命だ。
 彼女はスケッチブックをめくりながら、次々とフードポットのレシピを紹介し、その試行錯誤を語っていく。料理においては、失敗例も、成功例に劣らず、役に立つ。すべきことだけでなく、すべきではないことも知らなくてはならないからだ。
 彼女のスケッチブックをめくる手が止まらなくなった。
「悪い、実は職員会議が始まるからさ。もう行かなくちゃ」
「あ、お忙しいところすみませんでした。ところで、私のプレゼンテーションどうでしたか?」
「むずかしいなあ」
「え、やっぱりダメですか」
「落ちる要素を見つけるのがむずかしい」
 いったん、落ち込んだ表情を見せた彼女が笑顔を見せた。
 AO入試で、絶対に必要なものがある。パッションだ。彼女にはそれが充分ある。
 僕は絶対に合格すると思った。絶対にフードポットを買おうとも思った。

 早速、モモにフードポットを買いにいった。いつくか類似品があり、スープジャーやら、フードコンテナーやら、名前も様々。どれもさほど保温能力には差はなさそうだったので、洗いやすさで選んだ。
 和カレーをつくって、フードポットに入れた。うどんとほうれん草を茹でて、タッパーに入れ、モモの塾弁当にした。食べるときに、和カレーをかけるのだ。
 二人の友達に味見されたほど、好評だったようだ。
 翌日は、トマトリゾット弁当。その翌日には、麻婆茄子を入れ、麻婆茄子丼弁当。またその翌日は、つけ麺弁当。
 ぶっかけ系弁当で、僕のレパートリーが一気に広がった。連日、友達に味見されるほど、好評のようだ。
 保温調理弁当は、そのうち挑戦してみることにしよう。
 彼女が受かったら、もう一度、あのスケッチブックを見せてもらい、もっと教えてもらおう。

 一年に一度の人間ドックの季節がやってきた。
 調整期間を設けて臨む同僚もいるが、僕はいたっていつもの生活を続けて、前夜八時から絶食して、ドックに入った。
 身体測定、血液検査、聴力検査、視力検査、超音波エコー検査、肺活量検査などを着々と片づけ、最後のクライマックス、甘いヨーグルト味のバリウムを飲んでの胃の中のレントゲン撮影で、全行程終了。
 昼休み、ようやくごはんが食べられる。毎年、このごはんが楽しみだ。一つひとつの食材の滋味が、昨夜からバリウム以外入ってない体内の隅々まで染みわたる。
 そして、午後は、先生に呼ばれて、結果発表。
 今年も、すべての項目で異常なし。五年前、ダイエットして、十キロほど体重を落としてから、ずっと異常なし。ダイエット前は、もちろんメタボで、必ず何かの項目でひっかかり、再検査になっていた。
「まったく問題ありません」
 と、初老の先生。頭を下げて、隣の部屋へ。
 若い女性の管理栄養士の先生からの食事指導だ。
「よろしくお願いします」
 と、頭を下げたら、先生が驚いた。
「ジロー先生でしょ。やだ、こんなところで」
 栄養士の先生は、僕がクラス担任をした教え子だった。
「まだ体型保ってたんですね。うれしいですよ」
 ちょうど、彼女が高校三年生の時にダイエットしたのだ。九月から卒業式までで、十四キロほど痩せ、カリスマダイエッターとして、初めて生徒に、特に女子に尊敬されたものだ。さすがに四キロほど体重が戻り、その後、マイナス十キロのあたりで体重は安定している。
 お互いの近況報告、思い出話などで、盛り上がった。彼女は、大学在学中に管理栄養士の資格を取り、現在に至る、と。
「まったく、偉いよ。僕の誇りだよ」
「いえいえ、先生にはお世話になりましたから」
 たしかに、ちょっと変わった生徒ではあったが、まるで彼女が天使であるかのような推薦書を書いたのを覚えている。
「で、なんか指導してくれよ」
「だって、先生、問題ないですもん」
「なんか指導するのが仕事だろ」
 僕にせがまれ、彼女が勧めたのは、ファイトケミカルが入ってる野菜や果物。
 ファイトケミカルphytochemicalとは、英語を見ればわかるように、たたかう化学物質ではない。植物中にある天然の化学物質のことで、抗酸化作用のあるポリフェノールなどが有名。ビタミン、ミネラル、脂質、糖質、タンパク質の五大栄養素、第六の栄養素が繊維で、そして、第七と栄養素と呼ばれているのが、そのファイトケミカル。
 ちょっと、彼女の説明が難しくなってきた。
「わかった、わかった。うち帰って、ググッとくから」
 と、答えて、栄養指導は終わりにした。彼女いわく、今まで通りでまったく問題なし、とのこと。また、健康な体で来年会いに来ると約束して、彼女にお礼を言った。

 十月もついに最終日。最近、この田舎の町でも、高校生達が騒ぎ出す。
 モモも、昨夜、コンビニに行き、ハロウィーンのお菓子を買い込んだ。
 三年前くらいから、この日、学校に行くと、生徒達が「ハッピーハロウィン」とか「トリック・オア・トリート」とか言って、菓子を交換しあっている。僕も毎年菓子をわけてもらっているありがたい日。
 さて、弁当である。うっかりしていて、ハロウィーンには特に何も用意していなかった。
 で、朝、布団の中でひらめいた。
 まず、チキンライスをつくった。タマネギと鶏胸肉とエリンギを塩コショウして炒め、酒を振り、ケチャップと混ぜ、さらに炒めて、チキンライスの素を仕込んだ。そして、ごはんが炊けたら、その鍋の中にチキンライスの素を入れてかき混ぜれば、できあがり。
 いつもなら、ここから、薄焼き卵で巻いて、オムライスにするのだが、今日はかわりに海苔をはさみで切って、目と鼻と大きな口の形にして、チキンライスにのせた。オレンジのカボチャがわりのジャック・オ・ランタン弁当だ。つけあわせも弁当箱に詰めて、いちおう写真に収めてから、モモに見られる前に蓋をして、包んだ。
 モモがいつものようにキッチンにやってきた。おなかが空いた、と。
 面倒なので、うちの朝ごはんは、たいてい、弁当と同じもの。
 僕たちはチキンライスの朝ごはんを食べ、うちを出た。
「パパ、今日の弁当何?」
「ま、いつもつくってるようなもの」
「ふーん」
「どうせ、いっぱい菓子食べるんじゃね。だから、弁当はテキトーなのにしといた」
「ま、いっか。いってきます」
 モモは校門の前で車を降り、鞄と弁当箱と菓子の入った袋を持って学校に入っていった。
 今年も菓子を生徒達から巻き上げて食べることになりそうなので、夕食の低カロリーな献立を考えながら、ハンドルを握っていた。

「霜月」

 そういえば、この一ヶ月、肉は鶏肉しか買っていない。たいていお得な胸肉ばかり、時にササミや手羽元、そして、たまにとっておきのジューシーなもも肉。
 胸肉を使いこなせたら、一人前のシュフだと思う。火を通しすぎればすぐ硬くなるし、脂が少なくボリュームにも欠けるこの食材、実は、安くてカロリーが低くて、工夫次第でかなりの料理がつくれる。その特徴を知り尽くして、使いこなせるようになりたいものだ。
 鶏ハムは、一時期、よく作った。二五○gの胸肉に、砂糖大さじ一、塩大さじ一を擦り込み、コショウをふりかけて、ラップで包み、冷蔵庫の中に二日寝かせる。そして、それを九分茹でて、そのままゆで汁の中に四時間置くと、ハムになる。ゆで汁は、ダシが出ているので、スープなどに使える。鶏ハムを初めてつくったときには、あまりの感動に、職場や実家で振る舞ったほどだ。もちろん、好評で、何人もの同僚、もしくは同僚の配偶者にレシピを書いてわたした。
 これを書いている今も、仕込んだ胸肉を冷蔵庫で寝かせているところだ。明日の夜、茹でて、一晩おけば、明後日の朝にはハムができているだろう。
 そのまま食べてもよし、サラダに入れてもよし、チャーハンの具にしてもよし、と鶏ハムはずいぶんと役に立つ。
 胸肉は、刺身のように薄く斜めに切り、片栗粉をまぶし、ショウガ焼きにすることもある。胸肉をレンジでチンして、冷ましてから、手で細く裂いて、バンバンジーにすることもある。薄切りをさっと茹で、醤油砂糖ごま油であえて、しゃぶしゃぶ風にすることもある。一口大に切って、塩こうじをつけて、しばらく置き、レンジでチンすることもある。
 親子丼にも焼きうどんにも、このごろは胸肉だ。
 以前は、もも肉のほうが好きだったのだが、今は断然胸肉派。今度、唐揚げも胸肉で挑戦してみたい。

 祖母が布団から出てこなくなった。十一月初めの日曜日、一日、僕は実家にいたのだが、祖母はずっと寝ていて、トイレに這っていこうとしても行けず、しかたなく布団の横のポータブルトイレで用を足した。時折、息をしているか、ちょくちょく確かめに行ったが、ずっと目をつぶっていた。食事は、母が布団の横のちゃぶ台の上に用意してあったのだが、まったく口をつけなかった。
 そのうちよくなるだろうと、思って、翌週の半ばの晩、祖母の顔を見に来たら、相変わらず寝ていた。
「こうしてるのが、一番楽だよ」
 声をかけると、祖母は半分目を開けて、そう答えた。
 そのうち、そのうちと思っていたら、あっという間に二週間が経ち、週三回通っていたデイケアセンターにも行かなくなってしまった。朝、母が声をかけても、頭がふらふらするから寝てる、などと答え、また眠ってしまうらしい。
 頭がふらふらするのは、ずっと寝ていて急に立った時の血流の関係だろう。頭がふらふらするからといって寝ていれば、次に立ったときはもっとふらふらするはずだ。これでは、悪循環で、寝たきりになってしまう。
  病院に連れて行きたくても、布団から出られないので、それもできない。祖母は九十二歳、このまま眠るように逝くのなら仕方ない、と母とも話した。
 毎晩、モモは十時半まで塾にいるので、その時間まで実家で過ごすことにした。
「おばあちゃん、僕だよ」
 布団の中にいる祖母に声をかける。
「ジローか、よく来たねえ。ゆっくりしてきないよ」
「ゆっくりしてくけど、いつも寝てるじゃん」
「悪いねえ、具合がよくないだよ。もう長かないよ」
 このまま寝付いてしまうのだろうか。もしそうなれば、毎日祖母の世話をする母の負担はハンパではないだろう。定休日以外は、両親は昼間店に出る。実家から店までは、車で十分ほどだが、営業と介護の両立は難しいはずだ。
 祖母は布団に入ったまま、イヤホンをつけ、テレビを見ている。ちょうど、カナダの旅番組を放映した。バンフという町が紹介されていたが、その町は祖母と言ったことがある。ナイヤガラを見たいと祖母が言って、一緒に行ったことがあるのだ。お金はすべて祖母が出し、僕が鞄持ち兼通訳で。
「おばあちゃん、あそこ行ったことあるじゃん」
「ほうかいねえ」
「カナダだよ。ナイヤガラの滝を見にいったとき」
「そうだっけねえ」 
 画面にはコロンビア大雪原が映っている。
「あれ、行ったじゃん。万年雪のとこ、歩いたじゃん」
「ああ、覚えてるよ」
 もう二十年ほど前のことだ。
  祖母が布団の中でもぞもぞ動きだした。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「いつも、寝てばっかじゃ、あんたに悪いで、起きるだよ」
 僕が布団をめくり、少し手を貸して、祖母はようやく上体を起こした。
「あれや、頭がふらふらするやあ」
「ずっと、寝てたからだよ。ちょっと起きりゃ、治るよ」
 ちょうどナイヤガラの滝がテレビに映った。
「おばあちゃん、あそこ行ったじゃん」
「ああ、行ったけねえ。昔、洋画で見ただよ」
 布団の上に座ったまま、しゃべっているうちに、祖母は頭がふらふらしなくなったようだ。そのとき、ちょうど母の晩ごはんの準備ができたようだ。母が、祖母の布団のところまで、ごはんを持ってこようとしたので、僕がストップをかけた。
「おばあちゃん、ごはん食べるとこまで、行くか。みんなで食べるか」
「ここで、いいやあ」
 と、祖母。
 しばらくテレビのカナダの風景を見てから、もう一度乗り気ではない祖母に同じことを言った。
「そうだねえ。あっちぃ行くかねえ」
 祖母は布団に座ったままカーディガンを羽織った。
「おばあちゃん、手つないでいく?」
「いいよお。ちゃんと行けるで」
 祖母はそろそろと立ち上がり、ゆっくりと、短い歩幅でテーブルまで進んだ。
「お母さん、ひさしぶりだねえ。うれしいやあ」
 母が驚いた。
 おかずは、焼き鮭と大根切り干しの煮物。父が握った寿司も少しあった。
「なんだか、せつないやあ」
 祖母は食欲はないようだ。台所のテレビでまたカナダの番組を見ながら、少し箸を付けただけで、布団に戻ってしまった。
「布団からここまで来ただけでも大きな進歩だよ」
 僕がしょんぼりしていると、母がそう言った。
 布団の中の祖母に僕が帰ることを伝えた。
「悪いねえ。見送りも行けんで」
 祖母はこれまではいつも必ず玄関の外まで出て、僕を見送ったのだが。

 次の日曜日、両親は急な葬式に行くことになり、午後から、僕は祖母と兄と実家で過ごすことになった。昼にモモとうちでうどんを食べ、うちにある食材と炊飯用鍋を持って、モモを塾に送り、実家へ行くと、入れ替わりで、両親が出かけていった。
 祖母は、あいかわらず、布団の中にいた。祖母の寝る部屋の隣の四畳半の座敷で、兄とテレビを見るともなく見ていた。
 祖母は、時々、兄を心配して、這ってやってくる。
「兄ちゃん、大丈夫か。おばあちゃん、具合悪くて、ごめんね」
 そして、僕に言う。
「あんた、兄ちゃんのこと頼むでねえ。おばあちゃんは、寝てるで。悪いねえ」
 心配いらない、と祖母に言うが、祖母はそんなことはすぐ忘れてしまうので、またしばらくすると起きてきて、兄の心配をする。
 ひとは誰かのために生きようとする。兄の存在は、祖母の寿命を延ばしているようだ。そういう僕も実家に来て、タイガーマスクの伊達直人になろうとしているのだが。
 さて、黄昏時、ハンバーグをつくりはじめた。豚の挽肉に、タマネギと椎茸のみじん切りを混ぜ、つなぎに卵を使い、塩コショウとナツメグをふりかけて、捏ねる。ボール状にして両手でキャッチボールをして空気を抜き、楕円形にする。僕はいい加減なので、大きいのもできれば、小さいのもできる。
 そして、鉄のフライパンに油を引き、ハンバーグを強火で焼き始める。ハンバーグは焦げで美味くなる。テフロンのフライパンだと、この焦げができない。やはり、フライパンは鉄だ。両面焼き目をつけたら、赤ワインをふりかけ、蓋をして弱火で焼く。
 その間、ソースをつくる。おたふくソース、ケチャップ、醤油、隠し味に砂糖、これを適当に混ぜて、ハンバーグにかけて、もう少し焼けばできあがる。
 僕が料理をしている間、祖母がちょくちょく起きてきて、兄の世話を焼いている。お茶はあるかだの、おしっこは出ないかだの、さみしくないかだの。
 ごはんは、うちからもってきた鋳鉄の鍋で炊いた。実家のごはんは、僕にはやわらかすぎるのだ。どういうわけか、父や母には、やわらかいごはんのほうがいいようだ。たとえ血がつながっていても、この溝は埋まりそうもない。
 皿にレタスを敷き、ハンバーグをのせ、まわりに半分に切ったプチトマトを散らした。。 そして、祖母をダイニングに呼んだ。何回か兄の世話をするために起き出したため、それがウォーミングアップになったらしく、すんなりと布団を出て、歩いてやってきた。
「おかずは何だいやあ」
「挽肉でこれつくったよ」
「あれ、なんて言うだっけかやあ」
「コロッケじゃない?」
「コロッケじゃないねえ」
 僕はあえて教えない。
「これ好きなの?」
「好きだよお。何ていったけかやあ」
「肉団子じゃない?」
「肉団子でもないし、コロッケでもないし、ハンバーグでもないしねえ」
 通り過ぎてしまった。思い出せないようだ。
「ハンバーグじゃない?」
「そうだ、そうだ、ハンバーグだやあ。美味しいでねえ。兄ちゃん、ハンバーグだって美味しそうだねえ」
 兄のどんぶりにごはんをよそい、その上にレタスを敷いて、ハンバーグを一口大に切ってのせた。祖母には、ごはんを少しと小さなハンバーグ、僕のごはんは中盛りと中くらいのハンバーグ。
 祖母の箸が進んだ。
「おいしいやあ」
「肉はひさしぶり?」
「そうだねえ、食べたこたあないねえ」
 食卓の会話もよく弾んだ。祖母は生まれて初めて肉を食べたことの話をした。魚屋のうちに生まれ、女学校を卒業して、横浜で座敷奉公したときに、その主人に映画に連れて行ってもらった後、生まれて初めての肉、ビフテキをごちそうになったのだ。
 これは何度も聞いたことがある話。祖母の話は、音楽に似ている。音楽は同じ曲を何度聞いても楽しめるように、祖母の話もオチはわかっていても、ついまた聞きたくなるのだ。
 最近、食卓まで来るのがやっとだった祖母が饒舌になり、もう一つハンバーグを食べ、ごはんをおかわりもしたことは、ちょっとした事件だった。
 そのハンバーグは、塾にいるモモにも届けた。ごはんの上に千切りキャベツを敷き、その上にソースをたっぷりかけたハンバーグをのせた弁当だ。
 気づけば、両親にもとっておくはずだったハンバーグまで、僕たちは食べてしまった。 

 ハンバーグを食べた翌朝、祖母は目覚めがよく、久しぶりにデイケアセンターに出かけていった。
 モモに夜の弁当を届け、実家に顔を出したら、母がそう教えてくれた。
「あのハンバーグが効いたんだよ、きっと」
「お母さん達も食べたかったやあ」
 本当に申し訳ないことをした。ひさしぶりににつくったハンバーグはちょっと美味しすぎたのだ。
 祖母はデイケアで疲れたのか、夕食は早めに済ませ、もう横になっていた。
 茶の間で、兄とゴロゴロしながら、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、高齢者の栄養失調を特集していた。
 粗食が一番、とずっと思ってきた。もちろん、粗食では満足できないのだが。野菜中心で肉より魚、とメタボ診断の度に言われてきた。もちろん、野菜少なめ、魚より肉が好きなのだが。
 高齢者は、食が細り、自然と粗食をとるようになる。野菜と魚、ごはん少々、と。
 テレビでは、これが高齢者の栄養失調の原因になる、と言う。八十歳でエベレスト登頂した男性が毎日肉を食べる映像が流れた。
 粗食で、タンパク質不足になると、運動能力も落ち、寝たきりになる可能性も高まるらしい。それは、おそろしいことだ。
 で、その番組の結論、高齢者こそ肉、効率よくタンパク質をとるには肉。
 あのハンバーグで祖母が元気になったのは、肉を食べたからだったのだろう。
 いつもは母が実家のごはんをつくる。母も粗食信仰者の一人。祖母にいつも大根切り干しだのヒジキだのほうれん草のお浸しだのを食べさせてきた。母は料理があまり上手ではなく、それで粗食となれば、さらにおいしくなくなる。おいしくなくなれば、食欲も湧かず、さらに少食となっていく……。この悪循環が、祖母が起きられなくなった原因だったのだろう。
 僕はちょくちょく肉料理を届けることにした。肉食女子に十年以上料理をつくってきたので、肉料理は得意だ。
 
 今年は、秋はあったのだろうか。いつの間にか真冬になってしまった。
 ちょっと冬用の帽子が欲しくなった。ニットのハンチングあたり。うちから車で郊外に行くと、巨大ショッピングモールがある。あらゆるものを売っていて、カネさえあれば一日時間をつぶせる場所だ。しかし、帽子は帽子屋で買いたい。その巨大ショッピングモールができたおかげで、町中の商店街は商売上がったり、次々に店が畳まれ、町の風景が変わってしまった。近所の店がなくなったおかげで、買い物に行けなくなったお年寄りは困っているらしい。時々、近所のスーパーの駐車場にタクシーが止まっているが、そんなお年寄りが来ているのだろう。
 幸い、近所に帽子屋がある。六月の父の日には、父へハンチングを買った。店員さんが実に丁寧に帽子の蘊蓄を教えてくれ、ベストな帽子を選んでくれる。
 で、その帽子屋で、グレーのニットのハンチングを選んでもらった。早速、その帽子をかぶると、ふとパンが食べたくなった。
 やはり、パンもパン屋で買うのがいい。この町には、自家製天然酵母パンをつくている店が一つあるのだ。
 夕食は、そのパンとシチューなんて組みあわせがよさそうだ。

「師走」

 職員室には、バツイチがちらほら。けっこういるものだ。その一人、先輩の体育教師、今は学校の近くのアパートに住む。信じられないほどお洒落な部屋、実に不似合いである。先輩は、全国レベルの部活の顧問、遠征に次ぐ遠征で、サービス残業は過労死ラインの百時間は余裕で超えている。
 そんな先輩のアパートで、毎月、給料日に近い金曜日、バツイチじゃない同僚も誘って、鍋を囲む。バツイチナイトだ。鍋は、先輩がいつもつくってくれる。男の中の男の料理だ。
 さて、はっきり言わせてもらうと、僕は男の料理が嫌いだ。いや、大嫌いだ。
 いばってつくる。ほめることを強要する。繊細さに欠ける。無駄が多い。だいたい、基本ができてない。たまにつくって、美味くできるほど、料理は簡単なものではないのだ。
 ということで、今回は僕が調理係に立候補し、ようやく先輩に了承してもらった。
 本気を出すのもどうかと思ったので、モツ鍋にした。うちに帰って作れるような簡単なものというコンセプト。
 仕事が終わると、いったんうちに帰り、キッチンでモモの夜の弁当をつくる。急いでいるときは、麺だ。
 うちの冷凍庫にある唯一の冷凍食品、讃岐うどんを茹でる。
 白菜とタマネギとシメジを炒め、時間差で鶏胸肉を入れて、さらに炒める。ここに、赤みそとみりんと醤油を溶いて、味付け。香りが立ってきたら、できあがり。味噌焼きうどんだ。ネギとプチトマトをトッピングして、これをタッパーに入れ、お茶といっしょにモモのところへ届ける。
 この頃のモモの口癖は「時短」、さんざん遊んできたので、今さらながら残り時間の少なさに焦っているのだ。
「車弁でしょ?」
 車に乗り込むなり、モモが言った。
「車弁っていえば車弁かな」
 学校から塾まで送っていく間に、車の中で食べる弁当が、車弁。
 父としての任務を果たし、買い出しへ。キャベツ、もやし、ニンニク、カップじゃなく袋に入ったインスタントの塩ラーメンを、いつもの八百屋で買う。モツだけは、肉屋で。みそ漬けになったものを一袋百八十円で売っている。やはり、肉は肉屋だ。
 先輩のアパートに着くと、持参したマイ包丁で、野菜をザクザクと切って、大鍋に入れる。水を足して、モツをのせ、蓋がないのでフライパンを伏せて置き、火にかけた。
 野菜がやわかくなったら、キッチンからリビングに運び、卓上コンロの上にのせた。
 歓声が沸く。そして、即席ラーメンを全員にわけた。袋を開けてもらい、スープの素を鍋の中に投入してもらい、味をつけた。
 ラーメンは各自、適当な大きさに割って、鍋の中に入れ、自分で入れた分は責任を持って自分で食べるようにお願いした。麺が残ると、ブヨブヨになって、よろしくないのだ。
 同僚との会話は、ほぼ職場内のストレスの原因に関するもの。ここですべて話して、ストレスを解消するのが、この会の趣旨でもある。
 もちろん、モツ鍋は好評だった。安くて、簡単で、美味。レシピなど、書き留める必要もなく、帰ってから再現可能。
 さて、先輩はというと、実は自分が食べるより、みんなに食べさせることに生き甲斐を感じていたらしく、今日は出番がないので、いつも以上に飲んで、酔っぱらって、片づけは頼むと言い残し、まだ僕たちがいるにもかかわらず先に寝てしまった。
 次回は、やはり、先輩を立てて、男の料理で我慢すべきなのだろう。
 
 今年も忘年会シーズン到来。僕は酒をほとんど飲まないのだが、飲み会は好きだ。コミュニケーションは楽しいし、新しい料理も覚えることができる。飲み会に行くたびに、たいてい、うちのキッチンで気に入ったおつまみを再現する。
 飲み会の前には、たいていモモの夕食を用意してから、飲み屋に行くのだが、たまに仕事が長引いてしまい、夕食をつくれなくなることもある。コンビニの弁当やスーパーのお総菜を買えば済むことなのだが、シュフ魂を持つ者として、その妥協はできない。
 そんなときは、力強い味方がいる。寿司職人の父だ。電話一本で、喜んで寿司弁当をモモに届けてくれる。
 なんとかこの冬も父の助けを借りながら、忘年会シーズンを切り抜けることができた。
「ほんとは、パパ、楽しんでんでしょ?」と、モモ。
「だから、パパは酒は嫌いだし、宴会も仕事なんだって」
「いいな、大人は」
「だから、仕事なんだって」
「別に行ってもいいけどね」
 別に言われなくても行く。仕事なのだから。

 さて、終業式も終え、僕の高校もモモの高校も冬休みに入ったのだが、僕は三年生のクラス担任、娘も高校三年生で受験生ということで、冬休み返上、受験モード突入だ。
 なんとクリスマスには、それぞれの学校で、センター試験対策模擬テストを実施することになっていた。進路課が、クリスマスつぶしの作戦に出たようだ。センター試験まで、もう一ヶ月はない。徐々に緊張が高まってくる。
 気づけば、クリスマスイブになっていた。例年は、大騒ぎするモモだが、今年は夕食をボーイフレンドとラーメンを食べるだけ、と受験生らしくするとのこと。よし。
 イブの朝、ロールキャベツの挽肉のタネの活用を考えていたら、まだうちにモモの母親がいたとき、彼女がクリスマスにつくっていたミートローフを思い出した。当時、クリスマスと言えば、ミートローフだった。
 実は、彼女と食べたごはんは、ほとんど覚えていない。結婚していた頃は、料理などしたことはなく、ただ出されたものを、受動的に、ただ食べていた。まるでエサのように。
 まず、ブロッコリーをレンジでチンした。長方形の型に、挽肉のタネを敷き詰め、ブロッコリーをその上に並べ、残りのタネで覆った。ソースは、ケチャップとおたふくソースと醤油を適当にブレンドして、タネの表面に塗って、一八○度に予熱したオーブンに入れて、二○分。
「これ、美味しいねえ」
 とはモモの反応。
 つけあわせは、プチトマト。それと、天然酵母の食パン。
「小さい頃、いつもクリスマスに食べたのだよ」
「そうなの」
 小学校入学前のことだ。覚えていないのも無理はない。
 冬休みでも、モモも僕も学校に行く。モモは自習室で勉強して、明日の模擬試験に備え、僕は職員室でクラスの生徒達の受験用書類作成デスクワーク。
 モモが朝ごはんを食べている間に、弁当を仕上げた。最近のモモのリクエストは、速弁。時間がもったいないので、速く食べて、すぐに机に戻りたいのだそうだ。
 となれば、のっけ弁。鶏胸肉を7ミリくらいの厚さに切り、片栗粉をまぶし、照り焼きにして、ごはんにのっけて、青ネギと白胡麻をトッピング。つけ合わせは、プチトマト、ポテトサラダ。ワンボックスに詰めた。

 通勤路の途中に、ブラジル人が営む食料品がある。以前はコンビニだったのだが、これにかわって二年ほどが経つ。仕事帰りに通りかかったら、「鶏の丸焼き980円」と貼り紙がしてあった。ちょっと勇気を出して、買うことにした。店の奥のガラス張りの厨房で、棒にささった鶏がグルグルまわっている。
 日本人の客はほとんど来そうにない店だが、僕が入っていくと、レジの女性がとてもうれしそうな顔で、いらっしゃいませ、と歓迎してくれた。エキゾチックな音楽が流れ、まったく読めない横文字の商品が棚にずらりと並び、ちょっとした海外旅行気分。
 目当ての鶏の丸焼きと、マテ茶のティーバッグを買った。レジで満面の笑みで、たどたどしい日本語で応対してくれる女性が、「クリスマスのケーキはいかがですか」というので、それもいただいた。生クリームでデコレーションされたケーキではなく、巨大なカップケーキ。ドライフルーツ入りだという。
 実家の面々には、クリスマスプレゼントを用意してあったので、鶏とケーキと一緒に持っていくことにした。
 ちなみにクリスマスプレゼントは、最近、僕も愛用し始めたレッグウォーマー。もう、レッグウォーマーのない冬は想像できなくなってしまった。

 脳の働きをよくする料理ついて、いろいろ調べてみた。脳の唯一の栄養源はブドウ糖、試験の合間のチョコもいいらしいが、やはり、米のごはんが一番いいようだ。だから、模擬テスト当日の朝は、カレーライスだ。ま、以前から、テストの日の朝食はカレーライスと決まっているが。
 タマネギ、スティック状に切ったジャガイモ、しめじ、鶏胸肉を炒め、和風だしと醤油とみりんを入れて煮込む。最後にルーを投入、レンジでチンしたほうれん草を水につけて冷まして絞って、トッピングして、和カレーのできあがりだ。
 受験当日には、消化の悪いものは厳禁らしい。験を担いでのカツ丼などもってのほか。消化が悪く、消化のために胃に血が集まってしまい、脳まで充分に行き渡らないそうだ。
 油っぽいのもよくないらしいので、弁当のおかずは消化の良さそうな肉団子にした。ハンバーグのタネを手のひらでボール状に丸め、蒸籠で蒸す。固まってから、タレと絡める。タレの材料は、醤油、みりん、砂糖、酢、水溶き片栗粉。
 サブおかずは、ポテトサラダとプチトマトとブロッコリーと卵焼き。ごはんはやや少なめ。それは、満腹も、消化のために血が胃に集めてしまうからだ。
 とにかく、低GI食品が一番いいらしい。低GIとは、すぐに血糖値を上げるのではなく、徐々に上げていくという意味。たとえば、白砂糖と黒砂糖。精製された白砂糖は、すぐに血糖値を上げる。しかし、すぐに上がる分、すぐに下がる。これは、高GI。黒砂糖は逆、すぐに上がらない分、すぐに下がらない。だから、受験のように、一日頭をフル回転させなくてはならないなら、低GI食品がいいということだ。甘いものや揚げ物ばかり摂取する子どもはキレやすい、と聞いたことがあるが、それはこれが原因なのだろう。
 もう少し研究する必要がありそうだ。料理で、モモの頭がよくなるのなら、安いものだ。

 クリスマスに、イチゴののったケーキを食べるのは、どうやら日本だけらしい。ケンタッキー・フライドチキンが予約しないと買えないほど売れるのも、日本だけらしい。
 同僚のアメリカ人が驚いていた。
 きっと、製菓会社がバレンタインデーにチョコという習慣を日本でつくったのと同じ手法だろう。
 だいたい、サンタクロースは、その昔、緑の服を着ていたのだ。それが、一九三一年にコカコーラの宣伝に赤と白の服を着たサンタを登場させてから、コカコーラが世界侵出して、ついでにサンタも紅白になってしまったようだ。
 資本主義の力は侮れない。
 さて、僕はケーキ作りも好きで、クリスマスには毎年ケーキを焼いている。今年も、生クリームと、クリスマス価格でなかなかのお値段名イチゴも買ってきてある。
 今年は、ふと思いついて、スポンジケーキでなく、シフォンケーキにすることにした。こちらのほうがカロリーが低い。
  シフォンケーキは、実にすばらしい発明品だ。アメリカの保険外交員の男性が一九二七年に考案し、そのレシピは、二十年ほど秘伝だったという。
 真ん中に煙突が立ったようなアルミの型を使う。中の空洞のおかげで、熱を内側にも伝えられる。
 卵を三つ、卵黄と卵白に分ける。ちょっとでも卵白に卵黄が混ぜったら、不思議なことに泡立たなくなるので慎重に。うちにはハンドミキサーがないので、手動でメレンゲをホイップ。僕の泡立て器は、ワイヤーが多い柳宗理のもの。その中にワイヤーのボールを入れたので、そこらの泡立て器とはちょっと、いやだいぶ違う。これで、卵白三個分に、砂糖四○gを三回に分けて混ぜながら、メレンゲを作る。
 メレンゲづくりの前に、卵黄には、砂糖二○g、は、水三五cc、油三五cc、ふるった薄力粉を六○g入れて、小さな泡立て器で、さっくり混ぜておいた。
 オーブンは、一八○度で十分、一六○度で二十分。余熱の間に、ボウルをひっくり返してもおちないくらいに卵白を泡立てメレンゲにして、卵黄と混ぜ、型に流し込む。メレンゲづくりは、なかなかの重労働だ。モモに一度やらせたらすぐに挫折したほど。
 後は竈(かまど)の神様にお任せだ。十分経ったとき、膨らんできたシフォンケーキに、少し切れ目を入れる。
 焼き終わったら、型をひっくり返して、ワインボトルに刺し、冷ます。
 型の内側にくっついたままのケーキを、さらに重力で下にも膨らませる。このアイディアがすごいと思う。
 ケーキが冷めたら、型から取り外す作業に取りかかる。これは慎重に行わないと、表面が破れてしまう。シフォン専用の細くて薄いナイフを、型とケーキの間に刺し込み、ゆっくりと回していく。焦ると破ける、焦るな、焦るな、と何度も自分に言い聞かせながら。
 ケーキは、祖母、父、母、兄、僕とモモで、六等分した。
 問題は、デコレーションだ。少し考えたが、六等分した時点で、生クリームの雪化粧は無理。ホイップした生クリームをポトッと落とし、そこにイチゴを埋め込んでよしとした。
 スポンジなみのふわふわの食感、生クリームとイチゴのハーモニー、形はいまいちだが、味は合格点。
 タッパー三つに二切れずつ入れて、うちに二切れ残し、実家に四切れ持っていった。
 もちろん、実家では大好評、記念撮影もした。ちょっとしたタイガーマスク気分。
 うちに帰ってきたモモにケーキを勧めたが、美容の関係で明日にする、と。
 で、翌朝、起きるとすぐケーキを食べたモモ、僕が当然残すと予想していたもう一切れも食べてしまった。
「ま、いっか」
「何、それ?」
「ま、パパのなくなっちゃったけど、ダイエットしたと思えばいっか」
「そうそう、ラッキーじゃん」
「で、美味かったのか?」
「めちゃめちゃ美味しかった。買ったのみたい」
 よし。

 十二月三十日、実家の近所の肉屋で、豚肉一キロを買ってきた。三枚肉が欲しかったのだが、売り切れだったので、ちょっと脂少なめの部位。
 紹興酒は、三軒回って、ようやく最後の一本を手に入れることができた。
 夜、豚肉を四センチ角に切って、二時間ほど蒸した。三枚肉なら三時間ほどか。
 ゆで卵と一緒に、肉を大きな鍋に入れ、水、紹興酒、黒砂糖、醤油、生姜、香辛料の八角を入れて、ことこと二時間ほど煮込み、眠くなったので、中断。
 翌朝、冷えて固まった脂が少しあったので取り除き、煮詰めていった。もう部屋中が、香辛料の効いた甘い香りが充満している。
「味見してやろうか?」
 と、起きてきたモモ。
「ま、いいんじゃない」
 悔しいことに、モモの舌はかなりの精度の味覚を持っている。
 二段の重箱に、卵と肉と分けて入れた。僕がシングルファーザーになってからの定番のお節だ。

 先月は、寝たきりになり、いよいよか、と思った祖母だが、年末に向けて、日に日に元気になり、このごろでは起きると、布団を畳み、なんと押入に片づけるようにもなった。完全復活のようだ。
 で、大晦日、今年は無理だろうと思っていた僕と祖母のお節づくりは、例年通り決行だ。「おばあちゃん、お節つくるよ」
「もう正月か?」
「明日だよ」
「全然、そんな気がしないやあ」
 昔は、もういくつ寝るとお正月、と歌って正月を待ち望んだらしい。そして、祖母は歌い出した。
 うちのお節は、きんぴらごぼう、大根と人参のなます、黒豆。きんぴらとなますを、僕たちが担当し、黒豆は母が担当する。
 実家の台所で、僕がごぼうの笹がき、祖母が大根と人参の拍子切りで、お節づくりがスタートした。
「もう正月か?」
「明日だよ」
「全然そんな気がしないやあ」
 それぞれ、包丁を使いながら、この会話を数分ごとに繰り返した。
 切ったごぼうを水を張った鍋に入れた。あく抜きだ。
 祖母の作業が遅れていたので、ヘルプに入る。大根は、繊維に沿って切るのだそうだ。僕は繊維を断つように切っていたので、途中から祖母に習った。切り方の異なる大根があるが、大勢に影響はないだろう。
 切り終わった大根と人参は、ボールの中に入れ、祖母の指示で塩をふって、手で揉んだ。 ここで、一息。お茶を祖母に淹れてもらい、お茶請けは干し芋。僕たちの大好物だ。昭和の頃は、石油ストーブの上で、少しあぶってから食べたのだが、それがもうできないのが残念だ。
 ごぼうが入っていた水が真っ茶色になった。大根と人参から水が出てきた。ごぼうをザルにあげ、しばらく茹でた。柔らかくしろと、母からの指令だ。
 大根と人参をてぬぐいで包み、ぎゅうぎゅう絞る。絞っても絞っても、水が出てくる。ついに水が出てこなくなったら、ボールに移し、味付けだ。延命酢という甘酢があったので、それと和えた。味を調える必要もなく、祖母が「こんなもんだよ」とOKを出した。
 柔らかくなったごぼうをまたザルにあげ、ごま油をひき、ごぼうを炒め、みりんと醤油で味付け。我が家は甘口なので、砂糖を少し足し、煮詰まって照りが出てくれば完成。
「黒豆はどうするだい?」
「それはお母さんがやるよ」
「やれるだか?」
「そりゃ、おばあちゃんがやるみたいにはできないけどさ」
「もう正月か?」
「明日だよ」
 祖母はくたびれたようなので、しばらく横になってもらった。
 僕にはもう一つの使命があった。そばつゆづくりだ。うちは、年越し蕎麦を晩ごはんの時に食べる。そばと天ぷらは母がスーパーかどこかで買ってくるので、紅白歌合戦が始まる前に用意しておく。
 父は寿司を握って持ってくるはずだ。紅白を見ながら、寿司をつまむのも恒例行事。
 ダシをとって、醤油、みりん、酒、砂糖、味見を何度かしながら、つゆを仕上げた。うちの味は、ちょっと甘めで濃いめだ。
 これで、あとは年が明けるのを待つばかり。
 僕は今年の大晦日は、紅白は見ないつもりだ。受験生のモモが正月返上を宣言したので、うちに帰り、モモとそばを食べたら、キッチン菜時記でも書きながら、静かに年を越すことにした。
 正月返上宣言のモモは、暖房を断つ宣言もした。寒い年越しになりそうだ。
 今年を振り返れば、いい年だった。とにもかくにも、祖母とお節をつくることができ、いつものメンバーで、年を越し、いつもの正月が迎えられそうだ。
 年が明けることは、実にめでたい。明けましておめでとうの意味が今さらながらよくわかった。

「睦月」

「睦月」最終回

 元旦の朝、うちで、モモに雑煮を食べさせた。あまり美味しくない、という。
 我が家の伝統的雑煮は、具は、たいてい、大根、水菜、白菜、長ネギなどの野菜を二種類ほど、それだけ。弱火にかけた醤油ダシの中に、餅は焼かずに入れて、野菜とともに柔らかくなるのを待ち、鰹節削りをトッピング。
 実家なら、ここに昨夜つくったお節料理が並ぶ。ごぼうのきんぴら、紅白なます、黒豆煮。この三つがあれば、他に何もいらない。この黄金比のような組み合わせは、おそらく祖母が嫁入りしていらい崩されたことはないだろう。
 にもかかわらず、この三種のお節料理を、モモはあまり好きじゃない、という。
 たしかに、僕も十代の頃は、うちのお節をありがたいと思ったことはなかった。ただ、餅をひたすら食べていたような気がする。初めて、そのお節が美味いと思ったのは、大学に入り、この町を離れ、一人暮らしをするようになったころのことだろう。
 今日もせっぱ詰まったモモは、一日うちで勉強するという。僕はまだ餅を一つしか食べてなくて、モモの邪魔をするわけにもいかず、お節も食べたかったので、モモが文句を言いつつ雑煮を食べ終え、机に向かうと、実家に行った。
 実家では、餅を買ったことがない。毎年、おすそわけで餅をもらうのだ。餅が届くと、すぐに両親は隠してしまう。次のおすそわけが来るからだ。それもまた隠すと、その次のおすそわけも届く。僕も餅をかなり分けてもらうのだが、それでも実家では一月いっぱいは毎朝餅を食べている。
 実家に行くと、ちょうど雑煮ができたところだった。ここ数年は、祖母から引き継いで、母がつくった雑煮だ。
 兄は、餅が苦手だ。喉につかえたら大変、と母が雑煮のかわりに、ごはんをよそう。僕がつくった中華風豚の角煮と煮卵を、レンジで温め、キッチンばさみで一口大に切り、ごはんにのせて食べるのだ。
「おばあちゃん、今日からお正月だよ」
 テーブルについた祖母に声をかける。
「わかってるよ、そんなこと。これからお餅食べるだで」
 本年は最初から調子がいいようだ。
「モモちゃんはどうしてるだい?」
「うちで受験勉強だよ」
「がんばってるだねえ。お年玉持ってってよ」
「ありがと」
「もう高校か?」
「大学だよ。受かればね」
 祖母が餅を食べるときには、近くに掃除機を置いておく。もし、餅が喉につかえたら、掃除機で吸い出す、とどこかで聞いたことがある。   
  祖母と母は三つ、父は四つ、僕は二つ餅をお椀に入れた。雑煮の上に、薄く削られた鰹節をかけると、湯気で踊り出す。
  たしかに、実家の雑煮と僕の雑煮は、やはり少し違う。同じ材料で、同じようにつくっているはずなのだが、モモが言う通り、僕の雑煮のほうが不味い。
 いちおう、新年の挨拶をかわし、大晦日につくったお節料理と雑煮をいただく。
 きんぴら、黒豆、ごぼうのハーモニー、実に美味だ。モモがこの美味を味わえないことが、重ね重ね残念だ。
「もういくつ寝るとお正月って、子どもの頃、いつも歌ったやあ」と祖母。
  父からもモモへのお年玉をもらう。それを胸ポケットに入れて、箸を進めた。
 家族が健康で、美味しいものを一緒に食べる、これに勝る幸せはないかもしれない。
 そして、餅とお節を食べながら、密かに新年の抱負を決めた。現状維持、と。不可能かもしれないが、挑戦するだけの価値はある。この健康、この美味、この幸せを、今年も全力で維持するのだ。
 うちでの元旦の恒例行事は、午後にファミリーレストランに行くことと、夕ご飯は、僕がボーナスで買った三段重の高級お節料理をつつき、夜はホームシアターで映画を見ることだ。祖母と母は、高級お節を肴にウイスキーを飲むことも毎年のこと。
 お節料理は、そもそも正月くらいシュフが料理をしなくて済むようにするもの。ま、シュフには、生活がある限り、休みはないのだが、お節のおかげで、たしかに料理の時間は短縮でき、ゴロゴロする時間もできる。まったく、正月は、実にありがたい。

 正月三が日、祖母は大晦日と元旦と張り切って疲れたのか、寝てばかりいた。
 両親は店、モモは受験勉強ということで、僕は兄と四畳半の座敷でダラダラと、テレビを見たり、食べたり、読んだり、わりと正月を楽しんでいた。
 祖母は、布団は畳まず、好きなときに寝たり起きたりとマイペース。
 実家の台所の隅に、あんこの缶詰を見つけた。そうだ、お汁粉だ。餅は潤沢にある。
 さっそく、あんこを鍋に入れ、水を足し、火にかける。
「おばあちゃん、おやつにお汁粉食べよう」
 布団で横になって、テレビを見ていた祖母に声をかけた。
「あるだか?」
「あんこ、さっき見つけた」
「じゃ、いただくだやあ。あんた、つくってくれるだか?」
「つくるよ。待ってて」
  しばらくすると、祖母が台所にやってきた。
「塩、入れたかね?」
 祖母がいつも言うのだが、塩を入れると、お汁粉は甘くなるのだ。
「しょっぱくならないの?」
 僕は驚いたふりをする。
「塩入れんと、甘くならんだよ」
「へえ」
 さらに驚く振りをする。
 塩を入れる前と後で、味見をしてみたが、たしかに後のほうが甘い。
「おばあちゃん、ほんと、甘くなったよ」
「昔から決まってるだよ。お汁粉に塩を入れるって」
 美味いお汁粉には、塩という反体制派が必要なのだ。よりよい国のためには、反体制派が必要なように。
 餅は、電子レンジで少し温め柔らかくして、お汁粉に入れた。
 食卓に、祖母と兄と三人で座り、おやつだ。兄は餅が苦手なので、餅はなし。マグに入れて、ストローで吸う。
 冷蔵庫には、たしか甘い黄粉もあった。汁粉に飽きたら、黄粉餅だ。ごはんにもおやつにもなる餅、偉大な食材だ。

 三が日も終わると、あっさりしたものが食べたくなる。
 一月四日の昼、まだ餅はたくさんある。そんなときは、餅しゃぶだ。
 切り餅を、厚さ二ミリほどの短冊に切る。大根と人参は、ピーラーで薄く切る。鶏のササミか胸肉を、刺身包丁で、これも薄く切る。水菜は、半分に切る。
 そして、テーブルの上のカセットコンロには、ひさびさに使うしゃぶしゃぶ鍋がのっている。ドーナツ状の中央に煙突が立ったようなこの鍋、いただきものだが、実は高級品らしい。鍋の中心の空洞の分、火に当たる表面積が増え、熱伝導効率がよい。
 モモが、勉強部屋からやってきた。
「調子、どうよ?」
「だめだめ」
「まじか。ま、食え」
 ひさしぶりのしゃぶしゃぶ、しかも餅しゃぶ、モモも僕も大好物である。
 ポン酢は、父がつくった業務用のものをもらってきた。ダシが効いて、酸っぱさがやさしい。
 センター試験が近づき、緊張が高まっている。正月は、お笑い番組が多いので助かる。ビデオで録りだめした漫才やコントを、ごはんのたびにちびちび見ている。
 笑っているうちは、緊張を忘れることができる。
 餅は、湯につけると、薄いのですぐに柔らかくなる。大根は、湯の中でと透き通ってくれば、食べ頃だ。鶏肉は白くなれば、すぐに食べられる。モモは大根と鶏肉ばかり食べている。
「おい、人参食え」
「食べてるって」
 おそらく嘘だろう。人参は、くたくたになるまで待たないと、美味しくない。
  餅が足りなくなりそうだったので、途中で追加分を切った。
  モモは、大して人参を食べることなく、二十分ほどで勉強部屋に戻っていった。

 受験生ごはん、リサーチの結果、豚肉、ネギ、やはり、ごはんが脳にいいらしい。
 しかし、験を担いでのカツ丼というのはよくないという。油っこいトンカツは、消化が悪く、脳に行くはずの血流が胃袋にとどまってしまい、脳に十分な栄養を送ることができなくなるらしい。
 挽肉ならば消化にいいだろう、とセンター試験当日の弁当のおかずは、タマネギの入ったハンバーグにした。腹八分目ということで、ごはんは少なめ。
 一月も半分以上終わっても、朝食はまだ餅。このごろは、キムチ鍋に餅を入れたものがモモには好評だ。
 弁当を持たせ、モモを送り出し、長い一日となった。
 そして、すっかり暗くなったころ、モモが公衆電話から電話をかけてきた。ここ数日、モモはケイタイを断っていたのだ。
「やっと、公衆電話見つけた。迎え来て」
 駅からうちまでは歩けば、小一時間。もう半分ほど歩いた、という。
 うちまでの道のりの四分の三ほどで、モモに追いつき、車に乗せた。
 うまくいかなかったようだ。
 うちに着くと、急いでごはんを炊いた。冷蔵庫に、豚の細切れがあった。
「なべか、しゃぶしゃぶか、生姜焼き、どれ?」
「生姜焼き」
「じゃ、二十分でつくる」
 モモの部屋のドア越しに聞くその声から察するに、そうとう悪かったのだろう。
 豚肉には、片栗粉をまぶした。タマネギを炒め、しなしなになったら、エノキと豚肉を入れて、炒める。タレは、醤油、みりん、生姜のすり下ろし、ごま油。
 キャベツの千切りの上に、タレたっぷりの豚の生姜焼きをのっけて、半分に切ったプチトマトをまわりに添えた。
 二十分後、モモは厚着の部屋着に着替えて、食卓にやってきた。
 今日も寒いうちの中。受験で、この冬は、暖房を断っている。僕もうちの中でもダウンジャケットを羽織り、下半身には毛布をスカートのように巻き、帯がわりのエプロンを締めている。
「あんなにがんばったのにさ」
「ま、お笑いでも見よう」
 僕は、いちおう笑顔は取り戻し、ごはんを食べ始めた。もちろん、生姜焼きは美味。
 緑茶の入った湯飲みから湯気が白く立っていた。

 いつまでも落ち込んではいられないのが、受験だ。センター試験後も、まだまだ勝負は続く。
 ド背水の陣、とモモが一日に何度も言う。
 たたかいはここから、たたかいは今から、ソレソーレ、と僕が一日に何度も歌う。
 平日の夜の弁当は、車弁。塾の食堂で食べると、友達としゃべってしまい、時間がもったいないから、車の中で食べる、とモモ。
 センター試験後、モモは日に日に明るくはなってきていた。
 六時半、塾の駐車場で待っていると、モモが車に乗り込む。少し移動して、近くの公園の外灯の下に車を停めた。いつしか、ここが定位置となっている。
 モモに弁当を渡すと、モモはひきかえに僕にノートを渡す。次の受験では、英語のエッセイを書かなくてはならないのだ。モモが食べている間に、添削して返す。
「言いたいこと、理由二つ、もう一回言いたいこと、わかってきたな。このパターン」
「いちおうね」
 車弁は、たいてい、のっけ弁か麺類。
「今日も大根おいしいね。甘い」
「上のほうのだからね」
 最近、うちでは野菜スティックが流行っている。ディップは、醤油こうじとマヨネーズを混ぜたもの。絶品だ。僕も味見で、冬大根を食べたが、瑞々しい、甘かった。
「明日、にんじんとかセロリとかも、どうよ?」
「うん、遠慮しとく」
「はいはい」
「パパ、もう行くよ」
「はいはい」
 二十分も経たないうちに、車弁は終わり、塾に戻る。
「じゃ、健闘を祈る」
「いってきまあす」
 モモは小さなビルの塾の中に戻っていった。

 モモの首都決戦が始まった。
 僕は有給休暇を取り、モモと朝六時にうちを出て、東京までつきそうことにした。
 さすがに、朝起きて弁当をつくるのは大変なので、前夜、モモを早めに寝かせ、朝ごはんと弁当をつくった。
 まず、白米を炊いた。
 生姜のみじん切りをごま油で炒め、白ネギとエリンギのみじん切と豚挽肉を入れて、酒を振り、さらに炒める。コチュジャンと醤油とみりんを混ぜたもので、味付け。肉味噌だ。
 ごはんがさめたら、茶碗にラップを敷き、その上にごはんをのせ、具になる肉味噌を汁を切ってのせ、さらにごはんをのせて、ラップごと握る。新幹線の中で食べる朝食用のおにぎりだ。海苔は、市販の韓国海苔。モモの好物である。ラップはまだ包まないで、開いたままにして、おにぎりを冷ます。今、ラップで包んだら、水滴がついてしまう。
 ワンボックスの弁当箱に、残りのごはんをいれ、その上に肉味噌をのっける。これは、昼食用。ブロッコリーをチンしたものと、作り置きしたポテトサラダと、プチトマトがつけあわせ。
 朝食も弁当も似たものになってしまったが、これはうちではよくあることなので、大丈夫だ。
 十二時を過ぎ、モモは眠ったようだ。
 できあがった弁当が冷めないと、蓋ができないので、待っている間、緑茶を一杯飲んだ。
 僕は、イベント前には、眠れないタイプ。テーブルの上で、パソコンを立ち上げ、受験会場と新幹線の時間を確かめる。もう、何度も見ているのだが、最終確認だ。きっと、明日の朝も確認するのだろう。
 弁当はまだ冷めない。長い夜が終わらない。

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