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恋文(上)

(1)

 土曜日の朝は、ゆっくりと目覚めることにしている。モモは十時をすぎないとベッドから出てこない。たいてい僕のほうが先に起きだして、たまっていた家事を片づけたり、じっくり時間をかけて朝食の準備をしたりする。
 平日は、駆け抜けるように生活する僕たちには、こんなスローな朝が必要なのだ。
 モモと二人で暮らすようになって三度目の春、モモは小学校三年生となった。去年はそれほどでもなかったのだが、今春、僕は少し緊張している。なぜなら、突然予想外の転勤を言いわたされ、新しい高校に勤務することになったからだ。
 僕はパジャマ姿のまま、ベランダに出た。植物たちに水をやるためだ。面倒なので、ベランダのサンダルを履かず、スリッパのまま外に出た。その瞬間、僕は息を呑んだ。そして、寝室に走った。ネルのパジャマに身を包み、至福の寝顔のモモの体を揺すった。
「モモ、大変。起きて。大変なことになった」
「なに?」
 モモは目をつぶったままクールに言う。
「来れば、わかるから。起きて」
「あと五分」
 ここで五分待っても、また「あと五分」と言うに決まっている。僕はモモの体を抱き起こした。
「だから、なに?」
 モモはまだ目を開けようとしない。
「だから、来ればわかるって」
 今にも倒れそうに立つモモの体を後ろから押して、ベランダに連れていった。
「モモ、サンダル履いて」
「パパも」
「はいはい」
 僕たちはベランダに出た。
「あ、咲いた……」
 モモはそう漏らすと、そのまま黙った。寝起きの不機嫌はすっ飛んだようだ。
 プランターで、一番東端のチューリップが咲いていたのだ。赤に黄色が混ざった品種。少し勢い余って、いわゆるチューリップ型より開いた感じに咲いていた。
 去年の春、僕は突然ベランダにいくつもプランターや植木鉢を置いて、植物を育て始めた。そのうち、モモも自分の鉢を三つほど買い、自分で世話をするようになった。ところが、夏が終わり、秋が深まり、寒くなってくると、すべて枯れてしまった。それでは、どうにも淋しいので、大きめのプランターにチューリップの球根を植えたのだ。
 僕は冬を越さなくては咲かない花があるとは知らなかった。あの長く厳しい寒さに耐えてこそのチューリップなのだ。・咲いた、咲いた」の歌は、チューリップ以外にはありえない。ひまわりや朝顔では歌にならない。冬を越すからこそ、歌にもなるのだ。
「パパ、いつまで、ここにいるの?」
「まだチューリップ見てるよ」
「モモはもういいから」
 と、モモはさっさと中に入ってしまった。
 僕はまだベランダで、冬に少しだけ芽を出して、寒さに耐えていたチューリップを思い出していた。春をじっと待っていたチューリップ。僕も待った。植物を育てるようになって、僕は待つということを学んだ。
 すると、またモモがベランダに戻ってきた。モモにもチューリップの尊さがわかったのかと思ったら、モモが言った。
「パパ、おなかすいた。何か作って」
 
 ブランチの後は、それぞれのソファに寝ころびながら、それぞれの時間を過ごした。モモはマンガにビデオ、僕は読書にうたた寝。
 午後になり、僕はソファから身を起こし、パソコンと本を数冊、旅行バッグの中に入れた。パソコンは、小説を書くためのものだ。僕は昼間は英語を教え、夜は小説を書く。本は一冊しか出してなく、執筆だけでは食べていけないが、本業は小説家だと思っている。
 僕が支度をしている最中、モモは持っていくマンガを選ぶために本棚のところに行き、そこに座り込んでマンガを読んでいた。
「おい、モモ、支度は?」
「ああ、ごめん、ごめん」
「まったく、いつも遅くなるんだよね」
「でも、スローがいいんでしょ。パパ、いつも言ってるじゃん」
「スローにするためには、急がなきゃいけないんだって」
 自分の言葉に矛盾を感じつつ、僕はイライラし始めた。
「モモも、パパに似たんだよ」
「なに?」
「おじいちゃんが言ってたよ。パパものろまだったって」
 まったく、モモとはいいコンビの父が言いそうなことだ。僕は吹きだしてしまった。
 
 僕たちは、たいていの週末、実家に行く。
 旅行バッグと、それぞれのバイオリンを持って、軽自動車に乗り込んだ。
 バイオリンは、モモと習い始めて、もう一年になる。モモは、一年生の時、突然、バイオリンを習いたいと言った。その時は聞き流したのだが、モモは半年間言いつづけた。ついに根負けした僕は、二年生進級を機に、原稿料をつぎ込んで、バイオリンを買ったのだ。
 おじいちゃんの先生のもとで、最初の二回ほどレッスンを後ろで見たが、とにかくもどかしかった。簡単そうに見えたからだ。それに、座って見ているだけでは退屈で、時間が無駄にも思えてきた。
 そこで、僕は先生に訊(き)いた。僕にもできるだろうか、と。できないことはないという答えだった。そして、次のレッスンでのこと、先生は僕に中古のバイオリンを見せた。
 即決だった。安価でそのバイオリンを手に入れ、次のレッスンから、モモと二人で習うことになったのだ。
 時にさぼることもあるが、僕たちはたいてい毎日弾く。僕はモモより上手いと思うのだが、モモは僕より上手いと思っている。ライバルなのだ。
 実家までは、車で三十分ほど。その平屋の小さな家には、祖母と兄がいる。祖母は八十四歳で、最近耳が遠くなり、物忘れが増えた。兄は小児麻(ま)痺(ひ)による重度の心身障害者で、知能はもう何年も前に、モモに抜かれてしまった。言葉は数語しか言えない。利き手ではない左手は動かず、年々、腰も曲がり、数年前一人では歩けなくなり、トイレも介助が必要になってしまった。兄の老化の進行は、とても速いようだ。
 両親は、夜になると、実家に帰ってくる。少し離れたところで、小さな飲食店を経営しているからだ。この店は、以前営んでいた居酒屋を経営不振で閉めた後、日曜大工が得意な父が自前で改装して作った店だ。一回り小さくなったが、日当たりがよくなった。寿司職人の父と喫茶店を営みたい母が、双方譲らず生まれた、寿司もケーキも食べられる店。
 以前はその敷地内に家族で暮らしていたのだが、居酒屋を閉めた際、先祖が残してくれた大きすぎる家屋の部分を取り壊して、駐車場を広くした。その際、実家の面々はこの小さな家に引っ越してきたのだ。この家は、両親が二十年以上も前に建て、ずっとひとに貸していたが、最近空き家になったのだ。
 僕は実家の小さな庭の隅に軽自動車を停めた。隣の家の庭では、洗濯物を取り込む人影が見えた。ばあば、だ。ばあばは、幼少時の僕の乳母的存在で、よくばあばにあずけられたことを覚えている。僕が生まれて初めて歩いたのは、ばあばのうちでのことで、ばあばはそのことを何度も僕に話した。
「ばあば、こんちは」
 と、僕が言うと、モモも「こんちは」と続いた。
 ばあばは、家の境界の垣根のところまで来て、言った。
「あんたもえらいね。今日もイチロー君のお世話に来ただら」
 何となく、僕はうなずいた。ばあばは、感心と同情のまなざしで、僕を見つめている。
 ばあばは、独身の僕が週末デートもしないで、子連れで、実家に来ることを、哀れんでいるのだろう。
「ほんとにえらいねえ」
 と、ばあばは目を潤ませる。僕は困ってしまう。そんなにえらいことでもないのだ。僕はこれまでの人生、充分、自分のためには生きてきた。自分のためだけに生きることに、ようやく飽きたのだ。
 それに、もう恋にもうんざりしている。これまでの恋は全敗に終わった。最近、歌謡曲などを聞くと、腹が立つ。好きだ、会いたい、抱きしめたい……、二人がよければ、それでいいのだろうか。もうそんな恋は卒業だ。
 恋は、愛とは根本的に違うと思う。字を見れば、恋は心が下にあり、下心がありありと伺える。恋は、燃え上がるが、冷める。必ず、冷める。恋は、お互いに奪いあう。奪いつくして、終わる。これまで、今度こそ最後の恋とさんざん胸を焦がしてきたが、もう充分だ。結婚に結びついた大恋愛が終わりを告げてからというもの、恋などという一過性の感情を信じることはできなくなってしまった。
 そんな僕には、この頃、家族がいいようだ。燃え上がることも、冷めることもない情が、その量を変えることなく持続し、さして相手に求めることもなく、求められることもない。これがいいのだ。
 モモが玄関の戸を開け、・ただいま」と大きな声で言った。中からテレビの大きな音が聞こえてくる。
 上がって、居間の戸を開けると、祖母と兄が、テレビを見ながら、お茶を飲んでいた。兄はちゃぶ台の前に座り、大きな湯飲みに刺さったストローを吸っている。
「あれ、びっくりしたやあ。モモちゃん、よく来たねえ。兄ちゃん、ジーが来たよ」
 ジーとは、僕のことだ。ジローと発音できないので、兄はジーと僕を呼ぶ。
 居間の隅には、発泡スチロールの箱でできたおまるが置いてある。父が作ったものだ。軽くて頑丈で、四十センチほどの高さで、木の板の蓋がのせてある。
 僕は座(ざ)椅(い)子(す)を出してきて、腰を下ろした。
「パパだけ、それ使ってずるい」
 と、モモは僕の膝(ひざ)に腰を下ろした。
「兄ちゃん、おりこうさんにしてましたか?」
 と、僕が訊くと、兄は笑顔になり、目をあわせずに「アイ」と答えた。
「ずっと、いい子にしてただよ。おばあちゃんが、用がいっぱいあったもんで、ようやく今お茶にしたとこだっただよ」
 祖母は、いつも忙しい。用がたくさんあるのだ。用が増えてなくても、祖母の行動が遅くなっているので、年々忙しくなるようだ。
「今、お茶いれてやるでね」
 祖母が台所に行くと、兄は、早速、ちゃぶ台に手をつき、腰を上げ、声を出した。
「パパ、兄ちゃんおしっこだって」
 と、モモがいった。
「モモが膝にのってるから、できない」
「はいはい」
 と、モモは兄のパンツを下ろし、おまるに座らせた。小さなころから、兄のおしっこを見ているモモは、汚いとも思わないようだ。
 僕もすっかり居間におまるがあることに慣れた。そもそも、人間なんて、うんちまみれで生まれ、うんちまみれで死んでいくのだ。
 このおまるは、いろいろと用途がある。父はよくおまるの上に湯飲みを置いている。先日、母はこの前おまるに肘(ひじ)をつき、頬(ほお)杖(づえ)でうたた寝していた。僕は先ほどから座(ざ)椅(い)子(す)の横のおまるを、肘置きにしている。
 祖母が緑茶が入った湯飲みを持ってきた。
「このお茶は、ぬるいでね。そうしないと、おいしくないだで」
 居間に緑茶の香りが広がった。
 おしっこの音が止んだので、僕はモモを膝から下ろし、兄のパンツを上げ、おまるに蓋をした。
 静かで、スローな午後だ。僕の鼻は、兄のおしっこを避け、緑茶の香りだけを嗅(か)ぎとっていた。
 
 午後三時をまわり、そろそろ遠足の時間となった。遠足とは、兄を外に連れだし、好物のカフェオレを飲ませることを意味する。
 兄には、毎日、必ずすることがいくつかある。遠足はその一つで、他には、日めくりのカレンダーを破ることや、風呂に入ることなどだ。一つでも欠かすと、兄は大騒ぎをするので、すべてこなさなくてはならない。
 僕はお茶を飲みつつ、兄のおしっこの世話をしながら、座椅子でずっと本を読んでいた。兄は、僕の読書を妨害するかのように、数分おきに、尿意を僕に訴えた。三回に一回ぐらいしか、おしっこは出なかった。
 モモは隣の座敷でゴロゴロしながら、テレビを見たり、マンガを読んだり、至福の時を過ごしていた。
 時々、兄は僕の顔をのぞき込み、何かを言おうとする。兄とのコミュニケーションは、すべてがイエス・ノークエスチョンだ。兄は首を縦か横に振ることはできるので、いろいろ質問して、本意を探っていく。しかし、僕にはたいてい兄の言っていることがさっぱりわからず、適当に答えては、また視線を本に落としてしまう。
 兄は、やはり、コミュニケーションをしたかったのだろう。おまるは、言葉を使えない兄にとって、数少ないコミュニケーション・・・ツールの一つなのだ。
「じゃ、兄ちゃん、遠足行く?」
「アイ」
 と、兄は元気よく、右手を挙げて、答えた。
「モモも行く」
 と、モモが隣からやってきた。
 僕は洗濯物を畳んでいた祖母に、遠足に行くと告げた。
「ほい、晩のおかぞ、何にする?」
 モモが、祖母のおかぞという表現にくすりと笑った。
「私ぁ、肉のまんじゅうみたいなの食べたいやあ」
 僕が何のことかわからずにいると、モモが言った。
「モモもハンバーグ食べたい」
 祖母は、出てこない言葉がめっぽう増えた。
「やっとくことあるかね?」
「じゃ、タマネギみじん切りしておいて。シイタケも戻して、みじん切り」
 兄がその会話の最中に玄関まで這(は)っていった。そして、・ジー、ジー」と僕を呼んだ。
「今、行くよ」
「兄ちゃん、待っててね。すぐ行くから」
 と、モモも言った。
「兄ちゃん、いいねえ。ジーとモモちゃんと遠足で」
「おばあちゃんも行く?」
 と、モモが誘った。
「ありがとね。私ぁ、用がたくさんあるで、お留守してるよ」
 祖母は、本当に、いつも忙しいのだ。
 兄を車に乗せるには、コツがいる。助手席側から、使える方の右手を前のシートの肩にひっかけ、右足から踏み込んでいく。兄の力を最大限に引き出し、こちらの力は最小限というのが、介護のコツだ。兄は後部シートに腰を下ろすと、何度も指をならした。
「パパ、兄ちゃん、ナイスナイスしてるよ」
「うれしいんだよ」
 僕たちは、祖母に見送られ、出発した。
 途中、コンビニで、兄のためのカフェオレとどら焼き、モモはおまけ付きのペットボトルのお茶とチョコ菓子を買った。
 五分もしないうちに、湖にしては小さく、池にしては大きい、大池と呼ばれる池についた。まわりは水田で、おそらく人工の用水溜め池なのだろう。
 菜の花が池の周りの小道沿いに一斉に咲いていた。
「パパ、探検行ってくる」
 モモが車を降りて走っていった。僕は兄にカフェオレをストローで飲ませた。
 菜の花のむこうの水面には、数十羽の水鳥が浮かんでいる。車窓を開けると、やわらかい風が吹きこんできた。
「パパ、つくし、つくし」
 モモの声が聞こえてきた。カフェオレを飲み終えた兄の口の中に、僕はどら焼きを一口分ずつちぎって入れた。よだれがたれてくると、すぐにティッシュで受け止めた。兄はまた指をならした。
「おいしい?」
 兄は笑顔で頷(うなず)いた。その拍子に口からあんこが少し落ち、僕はまたティッシュでキャッチした。
 モモは車の中に帰ってくると、菓子を食べ、お茶を飲んだ。
「パパ、タンポポもあったよ」
 菜の花の黄色に、タンポポの黄色が、緑の中に鮮やかなこの場所にいると、時間を忘れてしまう。兄はどこを見るわけでもなく、車の中でじっと座っている。モモは、外に行ったり、戻ってきたり、忙しい。僕は車窓から外を眺めながら眠くなってきた。
 
 実家の台所では、洋食を作る時は僕がメインシェフで、祖母が助手となる。タマネギのみじん切りにバターを入れて、レンジでチン。シイタケも祖母がみじん切りしておいてくれたので、挽(ひき)肉(にく)と卵と混ぜ、タマネギを加えて、手でこねた。
 その間、兄のおしっこの世話は、僕の座椅子に座ったモモが見ている。
「モモちゃん、ありがとうね。兄ちゃん、モモちゃんのいうことちゃんとききないよ」
 と、祖母が時おり声をかける。兄は下をむいて、ニコニコしている。
 祖母が、その間に皿を並べたり、つけ合わせの野菜を切ったりした。僕はハンバーグのタネをフライパンに入れ、赤ワインをふりかけた。
「おばあちゃん、ケチャップとソース、しょう油で、ソース作って」
 祖母は言われたとおりに、ソースを作ってくれる。
「ほい、こんなんでいいだか」
 ソースの味を見た。少し砂糖を足した。最後にソースをフライパンの上でからめて、ハンバーグができあがった。
 兄のために、テーブルに新聞を敷いて、その上にトレイをのせ、そこにどんぶりごはんを置いた。ごはんの上に、レタスとハンバーグとトマトを切ってのせた。ハンバーグ丼だ。
 モモが兄の手を引いて、テーブルまで連れてきた。よほどお腹が空いていたのだろう。椅子に座ると、何度も指をならした。
 両親の分もハンバーグを焼いた。店が終わってから夜食に食べられるように、ラップをかけておいた。
「手を合わせてください」
 と、モモが大きな声でいった。兄も手を合わせた。
「いただきます」
 と、モモが言い、僕と祖母は唱和した。兄はアーと言って頭を下げ、スプーンを握って、ハンバーグを食べ始めた。時にスプーンの手を離し、指をならす。
「パパ、兄ちゃんナイスナイスやってるよ」
「兄ちゃん、おいしい?」
 と、僕が訊くと、また指をならした。
「ジロー、レストランみたいだやあ」
 祖母がしみじみと言った。
「こんなおいしいハンバーグ初めてだやあ」
 これまでも、僕は同じ水準のハンバーグを何度か実家で作ってきたが、祖母は忘れてしまったようだ。この頃は何を作っても、祖母はこんなにおいしいのは初めてと言ってくれるので、助かる。
 
 十時を過ぎ、両親が店から帰ってくると、実家もにぎやかになる。
「モモちゃん、兄ちゃんのお世話ありがとう」
 と、母が言った。モモは大して世話してないのだが、モモがうれしそうな顔をしていたので、僕は黙っていた。
「モモ、そろそろ、バイオリンやってくれるか?」
 父がモモにそう言うと、ちょっとしたコンサートになる。
 モモが、今練習している曲と、兄のために「結んで開いて」を弾く。兄は、首をゆらして聞いている。
 ライバルの僕としては、その演奏にいろいろ言いたいことがあったのだが、両親や祖母からは万雷の拍手だ。
「こんなにすてきな曲、初めて聞くやあ」
 と、祖母が言う。この曲は、ここ一カ月、ずっと弾いている。進歩すると、祖母には新曲に聞こえるのだろう。
「パパもちゃんと練習するんだよ」
「はいはい」
 この頃、実はモモについていくのが必死な僕は、隣の部屋の隅でひっそりと練習した。
 そのとき、祖母がテレビの前に正座した。耳にはイヤホンが差し込まれている。
「ほい、始まるでね。おばあちゃん、見にゃいかんでね」
 と、祖母は、イヤホンしているせいか、大声で言う。・冬のソナタ」が始まるのだ。最初はバカにしていた僕だが、祖母があまりにもいいというので、三回目から見て、すっかりはまってしまった。今夜はキッチンのテレビで、母のお夜食につきあって見ることにした。
「ジローのハンバーグは、店に出せるよ。ほんとにおいしい」
 母は、僕が何をしても、最大限に褒(ほ)める。執筆でスランプの時は、とても助かる。
 居間で、モモは父にまとわりつき、そのかたわらには兄がいて、その存在を示すかのように、おしっこを何度も訴えている。そのたびに、モモが世話をしていた。
 僕はヨン様がすぐに好きになった。あの誠実さがいいのだ。嘘(うそ)をつきそうにないし、打算的になったり、裏切ったりもしないだろう。日本の女性が熱を上げるのも、無理はない。
 母は、さほど熱を上げてはいないようだったが、とにかく、祖母は違った。次の日になっても、何度も言う。
「昨日の韓国のドラマ、よかったやあ。何度も思い出すやあ」
 これが、余韻というものなのだろう。
 恋にはうんざりの僕でも、ひとを好きになることはすばらしい、と思うようにはなってしまった。
 一つだけ、気になることがあった。祖母が何を思いながら冬ソナを見るのだろうか、と。おそらくもう恋をすることはない祖母だが、画面のむこうに何かを見ているようなのだ。
 冬ソナのエンディングの音楽が流れ始めた。その時、母が言った。
「引っ越しの時に、おじいちゃんの手紙出てきたから、ジローにあげるよ」
 いつか小説の役に立つだろうから、とも言った。母が、タンスの中から、手紙の束を持ってきた。
 数十通の古い茶色の封筒と葉書。見たこともない切手が貼(は)ってあり、軍事郵便の判と検閲の判が押してあった。なめらかな筆跡の宛(あて)名(な)はどれも祖母の名前だった。その手紙はすべて、生まれたばかりの娘、つまり僕の母の顔を見ることなく戦死した祖父が書いた、祖母への恋文だった。
(つづく)
連載 小説(2)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 この春、僕が勤務することになった緑が丘高校は、いわゆる進学校だった。この街には、工業高校と、商業高校、そして、普通高校の緑が丘高校の三校がある。この街では、入学試験の偏差値が一番高いらしいが、この街より少し大きな隣街にも、進学校があり、学力の高い中学生はそちらに流れているという。そちらに行けなくて、しかたなくここに来る生徒も多いようだ。ヤンキーが多くて、僕には居心地がよかった前任校の工業高校とは、緑が丘高校は百八十度違う学校のようだ。
 さて、今度の学校では、朝補習とやらがあるらしい。ゼロ時間目授業と呼ばれるものだ。一時間目の前に、授業をやるから、ゼロ時間目。出勤が、その日は一時間早くなるのだろう。それに加えて、土曜講座、勉強合宿などもあるという。僕は英語教師なので、そんな進学指導に携わるのだろう。英語は、主要受験科目なのだ。
 シングルファーザーにとっては、働きにくそうな職場だ。モモを起こし、朝ご飯を食べさせて、送り出し、花に水をやって、それから自分の弁当をつくる朝に、一時間早く出勤するような余裕はない。土曜日は、モモの小学校が休み、だから仕事は入れられない。勉強合宿とは、夏休みあたりに、三泊四日くらい生徒を監禁して、朝から晩まで勉強させるのだろう。まったく、これでは、教師か生徒か、どちらを鍛える合宿かわからない。
 僕は、思ったより集まった餞(せん)別(べつ)で新調したグレーの三つボタンスーツに身を包み、数年前に移転して新築されたばかりだという緑が丘高校の校門をくぐった。この春は、まだ肌寒く、校門周辺の桜は元気がなかった。
 この日、モモの小学校は始業式。モモは、新しい担任の先生が誰になるかを気にしながら、めずらしく早く起きて、登校していった。
 この日、緑が丘高校では、新年度最初の職員会議が予定されていた。初めて、これから同僚になる教師たちに会うのだ。
 ここで、英語を教えることは決まっているものの、他に担当するものが何かはまったくわからない。どの部の顧問になるか、どの課で仕事をするか、教師という職業は、授業以外に何を担当するかで、ライフスタイルが大きく左右される。
 学校の玄関を通り、事務室に声をかけると、応接室に案内された。会議用長机のまわりに、すでに五人の教師たちが、きっちりとスーツを着込み、うつむいて、静かに資料か何かを読みながら、緊張の面もちで座っていた。僕が一番若いようだった。唯一の三十代だろう。
 頭を下げて、挨(あい)拶(さつ)すると、その教師たちも、表情を崩さず、頭を下げてくれた。ふだんなら沈黙に耐えられず、すぐ誰かに話しかけるのだが、誰も話したそうではなかったので、僕もみなにならって、机の上に置かれていた茶封筒から会議資料や学校紹介パンフなどを出して、黙って眺めていた。
 校内の仕事の役割分担表があった。僕は自分の名前を探した。ぽつりぽつりと、大して重要ではないポストに僕の名前が書かれていた。クラス担任でもなかった。この一年は、まず慣れろ、ということなのだろうか。それとも、大勢に影響のないところに配置され、干されたのだろうか。
 僕は応接室に五つ並んでうつむいた頭越しに、窓の外を見た。小さな山が連なっている。遠くの緑を見ることが目にいいと聞いたことがあるので、しばらく山の木々を眺めていた。緑と一口にいっても、濃淡もあり、いろんな葉の形もあり、風に揺れ方も様々、数え切れない種類の緑を見ていて飽きることはなかった。
 一つ、気になることがあった。それは、部活動の顧問のことだった。どの資料を見ても、部活動の顧問のことは書かれていなかった。
 しばらくすると、その部屋に、猫背で、鼻眼鏡をかけた教頭が入ってきた。
「先生方、どうもすみません。先ほどまで、ちょっともめてまして、ようやく部活動の顧問が決まりましたので、今お配りします」
 と、教頭は何度も頭を下げながら言った。
 部活動の顧問の決定は、管理職にとって、もっとも困難な業務だろう。教師も必死だ。もし経験のないスポーツの部の顧問になり、毎週末、練習試合なんてことになれば、ライフスタイルが脅かされかねない。
 僕は水泳部の監督ということだった。ほっとした。水泳ならば、ブランクはあるが、十年ほど顧問をしたことがある。水泳のいいところは、シーズンスポーツであること。夏期だけがんばれば、オフシーズンとなるし、練習時間も一日二時間程度、これならばなんとか学童の迎えに間にあうだろう。
 僕はまた窓の外に目をやった。新緑に、目に癒されるような気がした。
 
 三十代のオトコは、働き盛りである。十年を越す経験がありながらも、まだ若い。管理職の期待も大きく、学校では中心的な存在だ。たいてい、クラス担任や運動部顧問に加えて、校務でももっとも大変なポストを任せられる。サービス残業や休日出勤は当たり前だ。
 シングルファーザーになる前は、僕も当然、そのような存在だった。
 三十代のオトコの仕事は、家事と育児を免除されていることが、大前提である。早くうちに帰る必要もなく、子どもの面倒を見る必要もなく、すべてを仕事に打ち込むのだ。だからこそ、プロジェクトXのような大仕事もできるのだろう。
 学校では、オンナの教師は、うちのことがあるだろうからと、定時の五時に帰ることが、暗黙の了解で許されている。しかし、その反面、三十代のオトコのように重責のあるポストにつくことはほとんどない。そのことで、引け目を感じるオンナの教師は多いようだ。
 僕は、サービス残業をしない。モモの学童保育所が六時に閉まってしまうからだ。休日出勤は、モモを連れて行けない場合、断らなくてはならない。早朝補習は、モモがうちを出てからでなくては、出勤できないから、これも不可能だ。勉強合宿も無理。僕は男でも、オンナなのだろう。
 なぜ五時に仕事を終えなくてはならないのか、今、それがよくわかる。その時間に帰らなくては、夕食をつくれないし、食卓を家族で囲むことができないからだ。
 しかし、学校は五時には終わらない。もし、全員が五時に学校を後にしたら、学校業務は立ち行かなくなるだろう。
 先ほどの鼻眼鏡の教頭が、また応接室に入ってきて、背中を丸めて言った。
「それでは、先生方、会議室のほうへご案内します。そこで、お一人ずつ、自己紹介をしていただきますので、よろしくお願いします」
 年齢順に廊下に並び、教頭の後をついていった。僕は自己紹介の言葉を考えながら、最後尾を歩いた。オーソドックスな自己紹介なら、名前と前任校、趣味などを紹介すればいいだろう。
 しかし、僕にはカミングアウトという問題があった。シングルファーザーであることを、いずれ新しい同僚たち伝えなくてはならない。
 困るのは、雑談をしているときなど、話が家族のことになったりして、僕がシングルファーザーであることを知った相手が、突然、フリーズすることだ。そして、しばらく沈黙して、同情のまなざしで僕を見つめる。たいてい言うのが、・大変ですね」という言葉だ。この言葉ほど、無意味なものはない。同情するなら、学童の迎えに行ってくれ、といつも思う。気まずい雰囲気となり、僕は努めて明るく振る舞わなくてならなくなる。これが、疲れるのだ。
 会議室にぞろぞろと入っていくと、大きな長方形に並んだ会議机に座っている新たな同僚たちの視線が一斉にこちらに向けられた。
 まず、五十代で、おそらくこの学校が最後の勤務校となる男性教師が、そつなく挨拶をした。そして、その後も、無難な挨拶が続いた。僕の前の女性教員が元気よく挨拶を終えた。この学校の卒業生ということで、感慨深いものがあるようだった。
 僕の番になった。初めに名前と前任校を言った。そして、続けた。
「僕はシングルファーザーですので、突然、学校から帰ったり、突然、学校を休んだりすることもあるかもしれませんが、その時はご容赦下さい。飲み会はいつも子連れ。家庭に仕事は持ち込みませんが、仕事に家庭を持ち込むことは多々あり、ご迷惑をおかけするとは思いますので、あらかじめ謝っておきます。どうぞよろしくお願いいたします」
 いつしか、僕の口が勝手に動いていた。その挨拶の途中で、笑い声が聞こえた。無事に笑いもとれて、カミングアウトもできて、これで安心だ。
 もうこれからは、気をつかうのは、僕ではなく、まわりになるだろう。慣れるより、慣れさせろ、だ。
 僕はある言葉を思い出した。
「汝(なんじ)の道を行け、人をして言うに委(まか)せよ」
 たしか、マルクスの言葉だ。
 シングルファーザーも三年目ともなると、ずいぶん、図々しくなるものだ。自分でも驚いた。
 
 その後、会議は、校長の所信表明演説となった。校長は、生真面目そうで、口べただった。
 口べたな演説は、たいてい、長くなる。言いたいことがたくさんあるのはわかるのだが、焦点がぼやけてきて、やがてポイントがわからなくなる。すると、こちらの集中力も切れてくる。
 おそらく、校長に求められる資質の一つに、長く話せるというのがあるのだろう。しかも、おもしろくないことを長く話し続けるのだ。それによって、職員や生徒の忍耐力をつけるのが目的に違いない。
 最後に、校長は、・数値目標」をいくつも掲げた。教育委員会からのお達しで、数値目標を掲げ、その達成度によって各学校に予算が配分されるというのだ。
 国公立大学進学者五十人以上、生徒の出席率九九パーセント、部活動県大会出場十種目以上、など。おかしかったのは、生徒は一日に挨拶を三人以上にする、他人のために一日三分は行動するなどといったこと。誰も笑わないので、僕は笑いをこらえていた。
 想像力がないと、こうなってしまうのだろう。数字にしないと、ものの価値がわからなくなるのだ。ものの価値を、値段でしか計れないように。
 人間の価値を、どうやったら、数字で表すことができるのだろう。テストの点数、五十メートル走のタイムなどは、人間の一面にしかすぎない。
 あなたの好きな人のすばらしさを数字で表せ。そんなことを言われても、困ってしまう。髪の長さ、体重、身長、年齢、年収など、数字を並べても、伝わってくるものは少ない。むしろ、数字で表現できないところに、ひとの魅力はあるのだろう。
 人間を数字で呼ぶことは、ナチスのユダヤ人収容所で行われていたことだ。人間は数値化できない、数字を越えた存在なのだ。もし、完全に人間を数値化してしまったら、ある意味、その生命を奪ってしまうことにもなりかねない。
 数字で割り切れないところから、芸術が生まれ、文化が育つのだ。
 僕は考えすぎなのだろうか。まわりの職員は、校長の話に、何の反応も示さず、うつむき加減で、じっとしている。静かに話が終わるのを待っているのだろうか。それとも、校長に共感しているのだろうか。
 
 会議が終わると、教師たちは各教科に別れて、また会議をすることになった。
 組合の集会などで何度か顔を見かけたことのある教師が、僕を英語科研究室に案内してくれた。
「石田です。先生の小説、読んだよ。毎回、楽しかったなあ」
 と、石田先生は、開口一番そう言った。連載時に読んでくれたのだ。お世辞でも、社交辞令でも、とにかくうれしかった。
 団塊の世代、ソフトな表情とソフトな語り口。ようやく、名前と顔が一致した。学生運動の闘士だったと聞いたことがある。僕は頭を深々と下げた。
「ありがとうございます。また、頼りにしてますので、よろしくお願いします」
 石田先生によると、この学校でも、組合員は少数派ということだった。小さくとも、僕を迎えてくれるネットワークがあることはありがたかった。
「今年は、先生は、一年生担当ですよ。僕も一年担当だから、いっしょにがんばりましょう」
「ああ、はい」
「適度に、ね」
 石田先生は、すべてを受け入れるような笑顔を見せた。
 英語科研究室に入る前、こっそり聞いた。
「先生、朝補習とか、土曜補習とか、あるんでしょ?」
 僕がもっとも恐れていたことだ。前任校の工業高校には、そういったものがなかったのだが、この学校は事情が違うのだ。
「まあ、いいよ。オレがやるからさ」
 何だか悪いような気がした。しかし、ラッキーだ。数年前なら、そのようなものは、僕がすべて引き受けていただろう。仕事を断り、やる気がないと思われることが、恐かったからだ。だから、きつい仕事は、たいてい喜んで引き受けていた。ひとが嫌がる仕事を引き受ければ、引き受けるほど、自分の地位が確立するような気にもなっていた。また、組合員としても、・権利ばかり主張して仕事しない」と思われたくはなかった。
 しかし、この頃では、積極的に、そのようなお言葉には甘えさせてもらうことにしている。あと十年もして、モモが自立したあかつきには、またバリバリ働くつもりだ。
 
 英語科の会議は簡単に終わった。カミングアウトしたせいか、なんとかモモとの生活に影響がでないポジションで、緑が丘高校での一年を始められることになった。これも、石田先生のおかげだ。どこかモモと旅行に行ったら、おいしいものでも買ってきてあげよう。
 他の教師たちは、まだ学校に残って、新学期の準備にとりかかったようだったが、僕は席を立つと、まず笑顔を作った。そして、胸を張って、顔を上げて言った。
「それでは、お先に失礼します」
 英語科には、サービス残業をいとわない真面目で熱心な教師が多いようだ。僕は浮いてしまうかもしれないが、これもやむなしだ。
 駐車場に急いだ。ちょうど疲れが僕に追いついたようだ。車のシートに座ると、体が急に重くなった。とにかく、今日一日は、新しいものを見て、新しいことを聞き、僕の頭の許容量をはるかに超えた情報量に圧倒され、外国にいるようだった。
 僕は、小学校のことなど、モモとのシンプルな会話が恋しくなった。
 モモを小学校の空き教室にある学童保育所に迎えに行った。
 モモが一人だけが残っていた。
「どうもありがとうございました」
 と声をかけると、コーチと呼ばれる指導員が「お疲れさま」と言ってくれた。
「パパ、遅い」
「ごめん、会議でさ」
「モモちゃん、お父さんもお仕事がんばったんだから」
 と、コーチがかばってくれた。
 モモが重そうなランドセルを背負ってやってきた。
「新しい教科書もらったよ」
「で、新しい先生は?」
「さき先生」
「女の先生?」
「うん、若いよ。今年、先生になったんだって」
 僕より一回りも若い先生だ。もう、先生に甘えるわけにはいかない。今年の僕たちのテーマは自立ということにしよう。
「ありがとうございました」
 と、モモと僕が声をそろえてコーチに言って、駐車場に向かった。
「モモ、晩ごはん何にする?」
 と、運転席に座ると、助手席のモモに訊いた。
「カレー」
「また、カレー?」
「いいでしょ。今日は三年生最初の日なんだから」
 と、モモは訳のわからない理由を言った。
 新しい職場での一日を終え、だいぶ疲れたので、早くつくれるものにした。トマトカレーだ。タマネギの粗みじん切りを炒(いた)め、鶏肉を投入、塩コショウして、水を足し、コンソメを入れてしばらく煮込む。トマトを切って入れさらに煮込み、最後にルーを入れる。二十分もあればできあがるだろう。
 
 夜十時になった。ようやく、一日が終わり、僕はキッチンテーブルについた。モモは寝室にいる。もう眠ったのだろうか。
 この頃、モモが寝る時間が遅くなってきている。放っておけば、十一時でも平気で起きている。学校で眠くならないかと心配して訊(き)くと、モモは「全然」といつも言う。どうやら、僕の血を引き、夜型人間のようだ。
 僕はやかんを火に掛け、コーヒー豆を、手動式ミルに入れて、挽(ひ)き始めた。
 ここからは、僕の時間である。あまりにも寝るのが遅いモモにずっとつきあっていると、夜、僕は何もできなくなってしまう。とにかく、小説執筆の時間は確保しなくてはならない。そこで、モモと相談して、夜十時になったら、パパの時間ということに決めた。モモは起きていてもいいが、僕は僕のためだけの時間を持つことにしたのだ。
 まず、湯をカップに注ぎ、カップを温めた。やかんの湯が少し冷めるのを待って、ドリップする。
 静かな夜、僕はコーヒーの香りを楽しんでいた。
 すると、ダイニングの戸が、いきなり開き、僕は驚きのあまり、ドリップ中の湯をこぼしそうになった。
 笑顔でモモが立っていた。
「パパ、まだ寝ないの?」
「寝ない。小説の仕事」
 と言っても、実はスランプで、ここのところ何も書けていない。
「モモ、明日学校だぜ。寝なくていいのか?」
「だって、眠いのなくなっちゃったんだもん」
「パパは知らないよ」
 これは、最近、モモによく言うようになった言葉だ。
 朝、何度起こしても、なかなか起きないモモに言う。
「パパは知らないよ」
 そして、最後に、こう言うのだ。
「朝ご飯とうちの鍵、テーブルの上にあるから。パパはもう行くよ。じゃあね」
 すると、モモが飛び起きてくる。一人で取り残されるのが嫌なのだ。
 僕は、キッチンで突っ立っているモモに言った。
「じゃ、牛乳温めて飲みな。眠れるらしいから」
「うん、そうする」
 モモは自分のマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジに入れた。
「何分?」
「一分半」
「いち、さん、ゼロ?」
「そう、一分三十秒」
 一年前の僕なら、ここで怒り狂って、怒鳴っていただろう。人間の主人が、時計ではなく、自分自身であると知ってからは、前には口癖だった「はやく」をあまり言わなくなった。
 娘は、マグカップを持って、ソファに座り、そこに置いてあった毛布を膝(ひざ)に掛けた。
「パパ、仕事してて。モモはここで寝るから」
「はいはい」
 僕は照明を落として、パソコンを立ち上げ、クッキーの缶を開けた。中には、乾燥剤とともに、先日、実家からもらってきた手紙が入っている。戦地から、祖父が祖母に書いた恋文だ。
 僕は一番上の葉書を一枚とりだした。軍事郵便と表に書いてあり、検閲の欄に、印が打たれていた。
 モモに目をやると、ホットミルクを飲み終え、白いヒゲを生やして、目をつぶっていた。僕は毛布をかけなおした。
 葉書の消印は、かすれていて読めない。六十年ほど前の葉書だから無理はないだろう。その字は、黒いインクで、流れるように書かれていた。達筆だ。
 
   拝啓
 新緑の候とはなりましたが 御前にはその後御変わり有りませんか 自分はその後益々頑健にて軍務に奮闘致し居りますから何(なに)卒(とぞ)御安心下さい
 ○○○に於(お)いて小犬を求め 丸(まる)公(こう)と名付け可愛がって居ります 夜は何(い)時(つ)も自分の部屋に寝 早くから起きて自分を起こして呉(く)れます 今は○内の人気者ですよ 自分は又ヒゲを生やし出しました 今は中々立派ですぞ 然し御前に会う時は笑われますから剃(そ)るつもりです 金谷の親族の方に御前から宜(よろ)しく伝えて下さい 体に気を付けて下さい
 
 ヒゲを生やした祖父を想像してみた。おそらく祖母と結婚したばかりの頃だ。考えることといえば、新妻のことばかりだろう。祖母は、若い頃、なかなかの美人だったそうだ。葉書からは、血気盛んな青年将校というより、ただの恋する青年としか、僕には思い浮かばない。
 これまで、おじいちゃんと呼んできたが、すでに僕は祖父が戦死した年齢を超えている。今さらながら驚いた。まだ若いつもりの僕の年齢までも、祖父は生きられなかったのだ。
 おそらく、その葉書が書かれたのは、広島あたりだろう。基地があって、祖母が面会に行ったという話を母から聞いたことがある。
 僕は祖父のことをほとんど知らない。戦争のことは思い出したくもないという祖母に、当時のことを訊いたこともない。
 僕は、数ヶ月前、地元の新聞の一面に載った写真を思い出した。それは、北海道で、イラクに向かう自衛隊の船を家族が見送る写真だった。日の丸だけでなく、旭(きよく)日(じつ)旗(き)も振られていた。祖父も、そのように送り出されたのだろうか。
 僕は、葉書を手に、もどかしくなった。僕の体の中に、その血が流れているはずの祖父が、あまりにも遠く思えたからだ。この手の中に、祖父の書いたものがあるにもかかわらず、僕と祖父、僕と第二次世界大戦の隔たりを埋められない。その隔たりは、六十年という時間だけではなかった。
 僕はパソコンに、その葉書の文言を打ち込んだ。この目を通して、この指を通して、祖父の命を、僕の中に吹き込もうとしたのだ。僕の目は、冴えてきてしまった。しかし、まだ、祖父は遠くにいる。
 パソコンの電源を落とすと、熟睡して、すっかり重くなったモモをソファから抱き上げ、ベッドまで運んだ。(つづく)

連載 小説(3)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄
 
 ようやく、うちに帰ってきた。緑が丘高校の長い一日が終わり、モモを学童に迎えに行き、スーパーに寄って、食材も買った。
 スーツ姿のまま、キッチンに立った。ごはんは、タイマー付の炊飯器がすでに炊きあげ、保温中だ。今夜のおかずはコロッケ。
「モモ、パパがごはんつくっている間に、バイオリン練習しておけば」
「はいはい」
「返事は一回」
「やればいいんでしょ、やれば」
 と、モモはソファから重そうに体を起こす。
「まったく。モモがやりたいって言って、始めたくせに」
「だから、今、やるんだって」
「じゃ、がんばって。おいしくて、カロリー低めのコロッケつくるから」
「パパも、あとで、やるんだよ」
「パパは、さぼったことありません」
 熱しやすく冷めやすい僕が、意外にも真面目に毎日バイオリンを練習している。ライバルであり同志でもあるモモの存在が大きいのだろう。
 モモのバイオリンが聞こえてきたときだった。ジャガイモを茹(ゆ)でている間に、タマネギをみじん切りしていて、突然、指に電気が流れたような痛みを感じた。
 僕は大きな声を上げていた。左手の親指の先もみじん切りしていたのだ。僕は右手で、左の親指の根元を握った。指先の真っ赤な血が、テントウ虫のように、表面張力で盛り上がっている。
「パパ、大丈夫?」
 僕は、指先からぶら下がる皮を、手で引っ張ってとった。
「大丈夫。モモ、絆(ばん)創(そう)膏(こう)」
 モモはすぐに絆創膏を持ってきた。
「モモが貼(は)る」
「頼む」
 モモが痛そうな顔で、ティッシュで血を吸い取り、傷口に絆創膏をあてた。また鋭い痛みを感じたが、黙っていた。
 絆創膏を貼り終えた頃、僕もようやく落ち着いてきた。左手を顔の前に上げたまま、ダイニングテーブルの椅(い)子(す)に腰掛け、まだうずく痛みに耐えていた。
 その時、モモが言った。
「パパ、モモが料理をする」
「できる?」
「教えてくれれば、できるって」
 僕は、うちの今年のテーマを思い出した。自立。モモが料理を覚えて、家事分担が進めば、お互いの自立につながる。これは、チャンスだ。逆境こそチャンスなのだ。
 モモは、まず、タマネギのみじん切りを続けた。涙が出るからと、水泳のゴーグルをつけて、切った。
「モモ、ニャンコの手」
 ニャンコの手とは、タマネギを押さえる指先を、切らないように、内側に曲げることだ。
「わかってるって。パパこそニャンコの手しなかったから、切ったんだよ」
 たしかに。
 時に、僕が見てられず、手を出すと、モモが怒った。
「モモがやるって言ってるでしょ」
「はいはい」
「はいは一回」
「………………」
 フライパンを弱火にかけ、パン粉を入れ、木べらで、かき混ぜる。
「茶色くなったら、すぐ火を止めて」
 僕が皿を出すと、その中にモモが重そうにフライパンを持って、茶色くなって香ばしくなったパン粉を入れた。
 ざるにあげておいたジャガイモが、少し冷めたので、モモが皮を剥(む)く。
「パパ、熱い」
 水を出して、指を冷やしながら、剥くように言った。
 ボールの中でジャガイモをつぶし、そこに炒(いた)めたタマネギと挽(ひき)肉(にく)を入れた。いつも使っているフライパンが、モモが持つとやけに大きく見えて、おかしかった。
「モモ、塩コショウして」
「どれくらい」
「適当」
「てきとうってどれくらい」
「そう言われても、わかんないよ」
 塩コショウだけは、片手でできるので、モモが僕にやらせてくれた。
 モモは、コロッケのタネを、両手で、丸めていく。
 つい手を出し、口を出したくなるのだが、ぐっとこらえた。待つことが、大事なのだ。ベランダの緑たちのように、待たなくては、自ら育たないのだ。
 オーブンを温め、天板にオーブンシートを敷き、タネに煎(い)ったパン粉をまぶし、その上に置いた。
 僕はずっと見ていて、指示を出すだけだ。モモは、手つきが雑だが、思ったより手際よく料理をする。
 オーブンでコロッケを焼いている間、つけ合わせのサラダをつくった。ちぎりレタスとプチトマト。僕が食器を出して、モモが盛りつけた。モモの真剣な表情は、ずいぶんとひさしぶりに見たような気がした。
「できた」
 と、モモがうれしそうに言った。僕まで、指の痛みを忘れ、うれしくなった。
「パパ、写真とって」
 僕はケイタイについているデジカメで、逆境から生まれたローカロリー・コロッケを撮った。
 記念写真のあと、いよいよ一口食べてみた。
「パパ、おいしい」
「たしかに、うまい」
 揚げてないので、ボリューム感には欠けるが、まずくはない。モモは、自分でつくったということに感動して、よけいおいしく感じるのだろう。
「初めて全部つくったね」
 と、モモが誇らしげに言うと、僕はコロッケをほおばったままうなずいた。
 その時、テーブルの上にあったケイタイが鳴った。モモの母親からだった。僕はコロッケを呑(の)み込んでから、電話に出た。
「あ、もしもし、元気?」
 元気そうだった。新しいフルタイムの仕事に就き、新しい車も買い、充実してきたようだ。
「モモも、元気。あ、そうそう……」
 僕は今日起こったことを話した。
 モモが口をはさんだ。
「ちゃんと、モモが一人で全部つくったって言ってよ」
 僕はケイタイをモモに渡した。モモは、早速、コロッケをつくったことを自慢した。
「パパ、ママがかわってって」
「いつがいい?」と彼女が言うので、・いつでもどうぞ」と答えた。
 それで、今週末、モモが彼女のところに行くことになった。最後に、彼女が信じられない言葉を言った。
「いい子に育ててくれて、ありがとう」
 僕は彼女にけなされたことしかなかった。無神経で自己中心的で最低なオトコと何度言われたかわからない。それが、ここ数年で初めて褒(ほ)められたのだ。
「いえいえ、一番大変なとき、育てていただいたからさ」
「一人、でね」
「はい」
 反論の余地はない。
「じゃ、がんばってね。仕事人間」
 この頃では、彼女のほうが労働時間が長い。
「よく言うよね。まったく」
「体も大事にね。もう、若くないんだし、さ」
「そちらに言われたくありません」
「そっか、こっちが四ヶ月年上か」
 と、僕たちは笑った。
 ケイタイを切ると、モモが何について話していたか、知りたがった。
「モモがいい子だってさ」
「ふーん。パパとママ、仲いいじゃん」
「そりゃね」
 モモが何かいう前に、僕はすかさず言った。
「一緒に住んでないからさ」
 モモは納得がいかないようだった。
 僕の指先はまだ痛んだが、指を切って本当によかったと思った。
 
 金曜の夜、仕事を終えた彼女が迎えに来て、モモを連れていった。
 土曜の朝は、一人、うちで目覚めた。トーストだけの簡単なブランチをとり、そのままキッチンで、新聞を読んだり、ニュースを見たりしていた。
 嫌な言葉が、何度も出てきた。・自己責任・。イラクでボランティア活動などをしていた三人の若者たちに浴びせられた言葉。武装勢力の人質となったが、ようやく解放され、日本に帰ってきたのだ。
 ・反日分子」などという言葉さえ、出てきてしまった。政府に逆らうもの、もはや非国民なのか。・国際貢献・。これも、嫌な言葉だ。迷彩服に身を包み、銃を持った自衛隊は、アメリカに貢献しているのだ。少なくとも、イラク人にはそう見られている。あの若者たちこそ、国際貢献してるのではないだろうか。
 嫌な言葉で、嫌な気分になった。ベランダに出て、マグカップを片手に、しばらく植物たちを眺めていた。朝顔の蔓(つる)が、少しだけ伸びてきた。ひまわりは、まだ背が低いが、葉が増えてきた。買ったときは覚えていたのだが、その名前を忘れてしまったいくつかの花が鉢の中で咲き出した。バジルも葉が増えてきた。夏には収穫して、パスタにからめて食べるつもりだ。
 ベランダのむこうに、茶畑が見える。明るい緑だ。もうすぐ新茶が飲めるだろう。
 僕はキッチンに戻り、緑茶を飲むことにした。
 のどかな田舎の風景、しかし、僕の胸の中はまだ波立っていた。仕事や家事に追われているときは気づかないのだが、ずっと波立ったままでいるのだ。
 何か匂いがする。形には見えず、言葉にはできないが、たしかに匂う。
 まだ、着任して一週間も経たない緑が丘高校でも、プンプン匂うのだ。
 生徒たちは、一年生ということもあってか、おとなしく、従順だ。教師たちは、熱心で、真面目、いつも忙しそうにしている。そんな教師たちの中で、僕は何をしていいのかわからず、ひとり時間を持て余し、オールのないボートのように漂っているような気がする。
 一年生を教える英語教師集団は、僕を含めて四人。団塊の世代、組合の仲間でもある石田先生。僕と同年代の女性教師、几帳面な山口さん。年齢は訊(き)いていないが、おそらく僕より二つ、三つ上だろう。そして、もう一人、僕より年下で、そろそろ三十代の男性教師、竜崎。僕より若いということは、大きな意味を持つ。僕が教師になったのは、バブルの最後の年。景気がよく、給料の安い公務員の教師など人気がなかったときだ。だから、採用試験も易(やさ)しかった。しかし、バブルがはじけたあとは、安定した収入を得られる公務員の人気が上がった。採用も狭き門となった。僕はあと一年若かったら、教師にはなれなかっただろう。僕より若いということは、その狭き門をくぐってきたということで、竜崎などは、優秀な教師だということになる。
 石田先生は、温厚でリベラルなベテラン、僕のよき話し相手だ。山口さんは、モモと同じ年の娘がいて、子育てや料理のことでも、話があう。しかし、竜崎とだけは、会話が弾まない。僕が何を訊いても、的確で必要最小限の言葉だけが返ってきて、会話がそこで終わってしまうのだ。
 数日前、その竜崎の担任するクラスの前を通ったときのことだ。竜崎は、通称、特進、特別進学クラスの担任である。入学試験の上位者を集めたクラスだ。その教室の後ろの黒板に、受験勉強のコツが、各教科、何項目にもわたって書かれていた。熱心で生徒思いだと感心して読んだ。僕にはできないことだ。その黒板の上には、大きな字で横書きに書かれていた。
「勝ち組に入るために」
 下にも、大きな字で書かれていた。
「負け組に入らないように、今日からがんばろう」
 週末のキッチン、緑茶の入った湯飲み茶碗を前に、嫌な言葉が僕の頭の中をいくつか回り始めた。・勝ち組・負け組」という言葉も、嫌な言葉だ。このプンプン匂う社会を象徴する言葉のような気がする。
 竜崎の父親は、どこかで校長をしていたらしく、最近定年したそうだ。竜崎には、三歳の息子がいるという。しかし、僕が山口さんと、育児の話をしているときなど、竜崎にふっても、ほとんど話に加わらない。
 僕は優秀な竜崎をひがんでいるのだろうか。だから、無意識に竜崎のあらばかり探してしまうのだろうか。
 ただ、僕が勝ち組にも負け組にも入れないアウトサイダーであることだけは、間違いないようだ。
 キッチンでお茶を一杯飲み終えて、このように職場のことを週末になっても考えていることが、僕の主義に反することだと気づいた。仕事に家庭を持ち込んでも、家庭に仕事を持ち込まないのが、僕の新しい主義なのだ。
 
 昼前、僕は気分を変えるために、祖父の恋文を読むことにした。
 もったいなくて、一度に一通ずつ読むことにしている。検閲があるせいか、さしさわりのない近況報告がほとんどで、若くてきれいだったらしい祖母への思いが主に綴られていた。
 さぞ、会いたかったことだろう。新婚の男など、考えることといえば新妻のことだけだ。しかし、手紙に妻への思いがあふれてくると、祖父は軌道修正をしていた。
 その検閲済みの葉書には、小さな字がきれいに並んでいた。
 
 宇品の別れは一寸淋しかったね 良く御前と二人で語ってから別れたかった 酔っぱらって寝てしまいすまなかった 翌日は御前の事が頭に浮かび眠られなかったよ 夫婦の愛情は格別だからね 然しこんな女々しい事は書いたが一度公務に立った時は一切を忘れ 吾(わが)國(くに)の為(ため) 生を捧げる事は今迄(まで)の修養にて十分出来る筈(はず)ですから 決して御前の顔に泥を塗る様な見苦しいことは決してしないからね 何か事が有った時は夫は笑って靖國の神になったと思って居て呉(く)れ
 
 宇品とは、広島の地名だ。そこに、祖父は滞在していて、祖母が面会に行ったのだろう。・靖國の神」とは、靖国神社に奉(まつ)られる戦死者、つまり、祖父は「英霊」として今も靖国神社で眠っているのだ。このとき、僕の心の中で初めて、第二次世界大戦と祖父と靖国神社がつながった。
 愛するひとを思い、生き続けることは、・女々しく・、・見苦しい」ことで、一切を忘れ、国のために、桜のように散ることが、男らしいとされた時代。
 今も昔も、日本でも他の国でも、ひとがひとを好きになることは変わらないはずだ。誰かを好きになり、いっしょにいたいという気持ちは、僕にも想像できる。僕もモモの母親には、激しく恋をした。会っているときも、会っていないときも、考えることは彼女のことばかりだった。ひとが一人生まれるには、そんな燃えるようなラブ・ストーリーが必要なのだ。
 僕は祖父のラブ・ストーリーを書いてみたいと思った。手紙をすべて読めば、ストーリーが立ち上がってくるのだろうか。生まれてもいない時代、会ったこともない人物を、僕にはとても書けそうにはないが。
 
 その日の夕方、僕は実家の台所に、祖母と立っていた。兄がおしっこを訴えると、交替で、面倒を見た。その晩のおかずは、太(た)刀(ち)魚(うお)の煮付け。祖母の得意料理、我が家の味を伝授してもらうことにしたのだ。
 僕の頭の中には、ここに来る前に読んだ祖父の手紙の言葉が、まだ残っていた。
 祖父は南国にいて、食べ物のことを書いていた。
 椰(や)子(し)の実の上を切って、中の甘い汁を飲むこと。その後、半分に割って、中の果肉をとって、醤(しよう)油(ゆ)につけて食べると、烏(い)賊(か)の刺身のような味がすること。
 パパイヤの塩漬けのことや、台湾バナナよりも味が劣るというモンキーバナナのことも書いてあった。
 好きな人を思う気持ちと同じように、おいしいものを味わう幸せは、戦時中も今も変わらないようだ。
 青年将校といえば、形容詞は「血気盛んな」となりそうだが、祖父はただの恋する食いしん坊な青年としか思えなくて、笑ってしまった。
 祖母は、火にかけただし水に、醤油、酒、みりん、砂糖を適当に入れていく。そして、いつものように、煮え立った汁に指を入れて味を見た。以前、真似をして、やけどしそうになったので、僕はスプーンですくって味を見た。甘くて、こってり、我が家の味だ。
「おばあちゃんは、甘いのが好きだだよ」
 そして、祖母は戦時中の話を始めた。あのころは、砂糖など、手に入らなくて、宝石に見えた、と。
 祖母は配給のことを話した。その言葉は何度も聞いたことがあるが、どういうものか詳しくは知らなかった。食料を好きなだけ買えなくなったという。家族の人数に応じて買える量が決まっていて、切符のようなものを持っていかなくては、買えなかったそうだ。
 今は、好きなだけ料理に砂糖を入れられる時代、僕には想像することができない。
 配給だけでは、栄養失調になり、飢え死にしてしまう。そこで、ヤミのものを買いにいく。祖母は、生まれたばかりの僕の母を乳母車に乗せ、いい着物を着て、農家をまわったという。いい着物を着るのは、みすぼらしい格好をしていると、警察にヤミを疑われてしまうからだ。警察にばれたら、没収されてしまう。ある農家では、乞(こ)食(じき)のように扱われ、頭を下げ続け、市価より高いヤミ値の食材を買ってきたという。ヤミの食材を、乳母車の底に隠し、赤ん坊をその上に置いて帰ってきたそうだ。
「栄養失調で、死んだひともいただよ」
「近所に?」
「学校の先生とか、かたいひとは、ヤミをやらなかったでね」
 物忘れが多くなった祖母が戦争中のことをよく覚えていることに驚いたが、戦争の話は聞きたくも話したくもないと言っていた祖母が、僕が訊くと、いろいろ話してくれることにもっと驚いた。今まで、祖母に戦争の話はしないようにしていたのだが、もうそんな気遣いもいらないようだ。
 魚が煮えると、取り出し、残った汁の中に、半分に切って格子の切れ目を入れたナスを入れた。つけあわせだ。今日のおかずは、これだけ。もちろん、それで充分だ。
 僕は兄を食卓まで連れてきた。椅子に座らせ、テーブルに新聞を敷き、トレイを置く。そこに、骨をとった太刀魚の身がのったどんぶりご飯をのせる。
 兄は、何度も指を鳴らした。
「兄ちゃん、ナイスナイスだね。おいしいよ」
 と、僕が言うと、笑顔になった。ご飯は、兄にとっては、数少ない楽しみの一つなのだろう。
 箸(はし)を進めている間も、祖母の戦時中の食べ物の話が続いた。
 米のご飯は、食べられなかったという。夕食のサツマイモのお粥(かゆ)に、かすかに米が浮いていればいいほうだったそうだ。
「肉や魚は?」
 と、僕は聞いた。
「肉なんか見たことなかったやあ。ここらの漁師もみんな兵隊に行ってたで、魚もなかっただよ」
 人間は、サツマイモだけで生きていけるのだろうか。僕はかつてベジタリアンになろうとしたが、一日で挫折したことがある。
「カボチャもよく食べたやあ。体が黄色くなるまで食べただよ」
 僕は生ゴミ処理機を買ってからというもの、残飯はその中にどんどん捨てる。いずれ、肥料になるからと、罪悪感もあまり持ったことがない。
 ところが、祖母は、残り物にはなんでもラップをかけてとっておく。僕やモモには炊きたてのご飯を食べさせるが、自分は冷やごはんをよく食べている。
「毎日、お米のごはんが食べれて、今でも時々、夢じゃないかなあって、思うだよ」
 祖母はご飯を食べ終わると、茶碗に緑茶をそそぎ、最後の一粒、ぬめりまでおなかに流し込む。僕は腹の贅(ぜい)肉(にく)に手を当てながら、ひもじいとはどういうことなのだろうかと思った。好きなものが好きなだけ食べられ、むしろ食べ過ぎないように気を遣う今、想像することができなかった。
「兄ちゃん、おいしかった?」
 と、僕が訊くと、兄がまた指をならした。祖母がお茶をいれ、兄はストローで飲みはじめた。
 
 僕は居間で、兄とお茶を飲みながら、テレビを見ていた。お茶がなくなると、祖母が新しいお茶を入れてくれる。
 この頃は、うちで何でも自分でやるので、不思議な気がしたが、黙っていた。
 これが、もし母だったら、おせっかいだとか、その行為が男をだめにするとか言っていたところだ。
 店を閉めて、両親が帰ってきた。兄はうれしいのか、大きな声を上げた。
 夜が更けてくると、祖母が言った。
「ほい、今日も見るでね。韓国のドラマ」
「冬のソナタでしょ」
「何時からやるだい?」
「十一時ちょっと過ぎ」
 毎週のことなのだが、祖母は覚えていられないのだ。
「ほい、ところで、ソナタって何だい?」
 今度は、僕が困ってしまった。そういえば、ソナタとは、よく聞く言葉なのだが、どういう意味なのだろう。英語なのだろうか。
 僕が黙っていると、祖母が言った。
「英語の先生でもわからんだか」
 わからないものは、わからなかった。
 祖母は、十一時になると、テレビの前に正座して、イヤフォンを耳にはめて、・冬ソナ」が始まるのを待っていた。
 祖母のところでは、音が聞こえないので、僕はキッチンで母と見ることにした。父は風呂に入ると、兄と布団に横になった。兄はいつも父と寝るのだ。
 やがて、テレビの画面が白くなった。濁りのない澄み切った銀世界。
 母は隣で僕といっしょに、ビールを飲みながら見ているが、ただドラマを見る以上の感慨はないようだった。
 一方、祖母はちがった。時折、祖母の溜め息や、合いの手を入れるような声が、キッチンまで聞こえてくる。イヤホンをつけているせいか、声がやけに大きかった。
 たしかに出演する俳優たちは、美男美女ばかりだ。しかし、このドラマの美しさは、それだけではないような気がする。
 何が僕や祖母をここまで惹(ひ)きつけるのだろう。ヨン様もいいが、恋敵のサンヒョクもなかなかだ。僕はいつしか二人を尊敬のまなざしで見つめていた。どちらも、同じ一人の女性に恋をして、とにかく、その気持ちに正直で、どこまでも誠実なのだ。
 ドラマが終わる頃、その美しさがわかるような気がした。ひとがひとを好きになるという行為は、純粋に美しいのだ。その美しさは、死を覚悟しつつも、恋心を隠すことのなかった祖父の恋文の文面にも感じられたものだ。
 たしかに、恋は美しい。それでもなお、恋は、僕から遠くにあるものだった。(つづく)

連載 小説(4)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 転勤してからの一番大きな変化は、通勤時間が二倍になったことだ。といっても、十分が二十分になっただけのことだが。それでも、朝の時間は、一分でも貴重なのだ。特になんでもギリギリにする僕にとっては。
 出勤も、もちろん、いつもギリギリだ。僕とモモの住む教職員住宅には、新しい同僚もいるのだが、朝、ベランダの緑たちに水をあげていると、・お先に」などと声をかけて、駐車場から出ていく。パジャマ姿の僕は、・じゃ、のちほど」などと答える。早々と出勤して、うちにいる時間を短くして、労働時間を長くするのは、嫌いなのだ。僕は朝たいてい一番最後に職員室に入る。しかし、遅刻はしない。時間と原稿の締め切りを守るのは、大切なことだ。
 朝、とにかく一番大変なのは、モモを起こすことだ。モモは僕の血をしっかりと引き継いだのか、夜型人間だ。小学校では、・夜九時に寝て、朝六時に起きましょう」というのだが、モモがそれを守ったことは、年に一度、遠足のときくらいのものである。
 朝六時、アラームがなる。恥ずかしながら、僕はモモとダブルベッドで寝ている。いちおう公式には、ベッドも風呂も別ということになっている。だから、もし僕が口を滑らせて、モモの友達に事実をばらしようものなら、大変なことになる。
 さて、僕は目を覚まし、隣のモモを起こす。
「パパ、あと少し」
「わかった」
 と言って、僕も眠る。
 五分後、またアラームがなる。モモを起こす。・パパ、あと少し」とモモ、・わかった」と僕。これを数回繰り返す。
 そして、これ以上眠れない時間になると、僕はベッドを抜け出し、朝食を作る。
 今年のうちのテーマは、・自立」だ。モモが三年生になってからは、もう何度もモモを起こすことはやめた。
 ベッドを出るときに、僕は言うのだ。
「じゃ、パパは起きるから」
 そして、決めぜりふ。
「起きなきゃ、パパは知らないよ」
 モモはすぐには起きないが、それでも、僕はキッチンに行ったら、もう起こさない。
 ここで覚悟しなくてはならない。このまま、モモが目を覚まさず、遅刻してもかまわない、と。僕は朝食と家の鍵をテーブルに置いて、出ていくだけだ。
 ・自己責任」という言葉は、こういう時に使う言葉なのだ。イラクから帰ってきた若者たちに、自分が国際貢献できない鬱(うつ)憤(ぷん)をはらすかのように、浴びせかけるのではなく。
 自分の一日は、自分の意志で、始めるべきだ。それが、朝、自分で起きるという行為なのだ。
 僕は、まず、小鍋でお湯を沸かした。そこにウインナーソーセージを入れる。バターロールに、切れ込みを入れて、レタスを挟む。そこに温まったソーセージも挟み、ケチャップをかければ、ミニドックのできあがりだ。小皿に、ミニドックを一つ置いて、脇にプチトマトを二つほど添える。これで、牛乳でも飲めば、完(かん)璧(ぺき)な朝食だ。
 僕は寝室のモモを見に行きたくなるが、ぐっとこらえる。そして、冷凍しておいたご飯を電子レンジに入れる。四分間、解凍する間に、ベランダのプランターで育てているネギを収穫してきて、みじん切り。焼き豚もみじん切り。そして、中華鍋を火にかけた。
 そこで、ようやく、モモの登場だ。もうパジャマから、体操服に着替えている。
「パパ、今日も、一人で起きたよ」
 誇らしげだ。
「やるな、なかなか」
「パパは、小学三年生の時、自分で起きてた?」
「そういえば、起きてない」
「おばあちゃんに起こしてもらってたんでしょ。モモの勝ち」
 たしかに、モモは、僕が子どもの頃にできなかったことを、いくつもできる。たしかに、負けだ。
 モモが、朝食のテーブルにつくと、僕は立ったままミニドックを一口頬(ほお)張(ば)り、中華鍋にごま油をたらし、溶き卵を入れた。次にネギと焼き豚を投入、ご飯を入れて、塩、コショウ、中華の素で味付けして、火を最強にして炒める。重い鉄の玉じゃくしの丸いところで、ご飯を鍋肌に押しつけ、玉じゃくしをひっくり返してご飯をほぐし、力を込めて、中華鍋をあおる。あっという間に弁当ができあがった。
「パパ、またチャーハン」
「どれだけおいしいの作れるか、研究してるんだって」
 その時、ドアの呼び出し音が聞こえた。
 同じアパートに住む一つ年上の小学生が、モモを呼びに来たのだ。モモはギリギリまでうちにいるので、その子が待ちきれずにうちまでやってくる。
 そうすると、僕がせかさなくても、モモが急いで支度をする。そして、風が通りすぎたかのように、・いってきます」と、モモはうちを出ていった。
 ここまでが、分刻み、いや秒刻みのたたかいだ。しかし、ここからは一転して、スローな時間が流れる。
 ベランダに出て、植物に向きあうと、僕の体内時計が切り変わる。僕は体内時計には二種類あると思う。動物時間と植物時間だ。
 最近まで、僕の体内時計は、ずっと動物時間だった。いつも、目に見える変化とすぐに出る結果を求めていた。子どもの頃、飼い犬にお座りを教えたことがあるが、菓子をエサに、すぐに芸を仕込むことができた。犬は、こちらの声に、すぐに答えてくれた。
 一方、植物は、こちらの声にはまったく耳を貸さない。ベランダでガーデニングをするようになったとき、僕は植物時間の存在を知った。植物の成長していく様は、ゆっくりすぎて目に見えない。結果もすぐに出ない。鉢や土など環境を整え、水をあげるくらいのことしかできない。してあげられることは、毎日、少しずつだけ、あとはひたすら待つ。日々の変化は見えないが、忘れた頃には、植物はしっかりと成長している。
 シングルファーザーになる前は、ひとを育てることは、動物を調教することに似ていると思っていた。しかし、今は、それが植物を育てることに似ていると思う。
 決して僕の思い通りにはならず、もちろん僕のものでもないモモは、毎日は気づかないが、この二年を振り返ってみれば確実に成長している。もし僕が体内時計が動物時間のままで、モモを育てたとしたら、きっとこの生活は破(は)綻(たん)していただろう。モモは、とても調教できるような存在ではないからだ。
 僕にとってベランダガーデニングは、つい動物時間に戻ってしまう体内時計を、植物時間にあわせるための行為なのだ。
 そんなことをベランダで考えていると、目の前を次々に同僚たちが出勤していく。
 時計を見たら、もううちを出なくてはならない時間だった。まだパジャマを着ていた僕は、慌てて支度を始めた。
 せっかく植物時計にあわせた僕の体内時計が、一気に動物時間に戻ってしまい、時の刻みが高速で回り始めていった。
 
 僕は車を降りると、弁当とバッグを持って、職員室へ急ぐ。駐車場から、職員室までは、一年生の教室の前の廊下を歩いていく。
 腕時計を見たら、あと二分だ。僕は廊下を走りだした。そんな僕を見て、笑っている生徒がいる。人なつっこい生徒が話しかけてくるが、適当にあしらった。
 職員室に入る前、竜崎のクラスの前を通った。・勝ち組に入るために」と勉強のコツが背面黒板に書かれているあの教室だ。教壇には、紺のスーツできめた竜崎が立っていた。特進クラスの生徒たちが、机に向かっている。これが、ゼロ時間目の授業なのだ。僕がベランダの花に水をあげていたころ、竜崎はすでにここで英語を教えていたのだ。
 職員室の席に着くと、少し汗ばんだので、上着を脱いだ。息が切れていたが、まわりに悟られないように、静かに息をした。
 そこで、朝の打ち合わせ開始のチャイムが鳴った。もちろん、今日も間にあった。僕は何でもギリギリにするが、時間は守るのだ。
 竜崎が、意気揚々と、チャイムの余韻が残るうちに、席に着いた。まわりが竜崎に「おつかれさま」と囁(ささや)き、ねぎらっていた。
 僕は出勤時間に間に合ったのにもかかわらず、一瞬、後ろめたさを感じた。
 朝の打ち合わせが始まった。教頭が司会をして、教師たちが次々と立って、連絡事項を伝えていく。新学期ということもあって、あわただしい。僕の頭の中に収まりきらない情報が乱れ飛んでいた。この学校のどこに何があるかも、いつ何があるかもわからない僕には、打ち合わせの言葉が外国語のように聞こえた。
 打ち合わせが終わって、一段落していると、同じ英語科の山口さんが通りかかり、僕に声をかけてくれた。
「先生、お弁当作ってきたの」
「ああ、はい」
「えらいのね。私はいつも給食弁当頼んでるから」
 そこで、しばらく弁当談義。山口さんは、自分の弁当を作ると、うちで何もしない夫に「俺のも作れ」と言われるので、それが癪(しやく)で弁当は作らないのだそうだ。夫も高校教師だという。きっと働き盛りなのだろう。
 竜崎が、出席簿を持って、職員室を出ていった。特進クラスの朝の会に出かけたのだ。山口さんも、クラス担任なので、慌てて竜崎の後を追った。
 前任校でもそうだったのだが、弁当を作ってくる男性教師は、この学校でも僕一人なのだろう。女性が弁当を作ってきても褒められないのに、男性の僕が作ると褒められる。たしかに不公平ではあるが、褒められることはうれしい。しかし、男の弁当はどうしても注目を集めるので、手を抜いた弁当は作れなくなってしまう。これも、なかなか大変ではある。しかし、おいしいお昼が毎日食べられるので、よしとすることにした。
 その弁当が食べられる昼休みまでは、まだ時間がある。朝は始まったばかりだ。まわりの教師たちがキビキビと動き出した。僕は今日も波に乗り遅れたようだった。
 しかし、前任校では考えられなかったこのスローなペースも、嫌いではなかった。
 
 緑が丘高校の生徒は忙しい。毎週水曜日の朝は、英単語テストがあり、週二回は授業の最初に英文法の小テストもある。英語の授業は毎日あり、毎授業の予習が義務づけられている。僕が教室に行くと、たいていほとんどの生徒が机に向かって、英文法のテキストを見ている。小テストが、毎回そのテキストの数ページから出題されるのだ。
 継続は力なり。学問に王道なし。意志あるところに道は開ける。竜崎クラスの背面黒板に書かれていた言葉だ。たしかに、その通りだ。毎日勉強することは、まったく間違ってはいない。
 ほとんどの生徒たちは、真面目で従順だ。ほとんどの教師たちも、真面目で従順、そして熱心、いつも忙しそうだ。
 宿題が出るのは、英語だけではない。数学の教師も熱心で、国語の教師も熱心ときている。理科や社会の教師も熱心だろう。
 ある教室に行ったら、坊主頭の生徒が僕に言った。野球部員だ。
「先生、宿題出すのはいいんだけどさ、俺は一人だから」
「え、一人って?」
「宿題出す先生は何人もいるけどさ、宿題やるのは、俺一人だってこと」
 彼に言われるまで、僕は気づかなかった。
 英語教師ががんばることはいいことだ。数学教師ががんばることもいいことだ。他の教科の教師たちががんばることもいいことだ。しかし、すべての教科の教師たちががんばって、宿題を出したら、それは悪いことになるかもしれない。やりきれない分量の宿題を与え、宿題が終わってないと、生徒たちを叱る。これでは、生徒たちはたまったものではないだろう。
 
 授業を一つ終えて、職員室に帰ってくると、小テストを採点して、コンピュータに点数を打ち込み、次の小テストを作る。そして、あっという間に、次の授業の時間となる。また授業を終えて帰ってくると、小テストの採点をして、点数を打ち込む。
 午前中の授業が終わり、給湯室にお茶をいれに行くと、石田先生も湯飲みを持ってそこに立っていた。
「もう、慣れた?」
「なんだか、忙しいですね」
 石田先生は、笑った。
「これで、来年、クラス担任にでもなれば、もっと忙しくなるよ。今年は様子見で、楽させてもらいなよ」
 緑が丘高校では、これで暇で楽なほうなのだ。不安になった。
 ようやく、今朝作ったチャーハン弁当の蓋を開けた。冷めてはいるが、一口食べると、合格点の味だった。
 職員室の自分の机で、半分ほど食べた頃、竜崎がプリントを抱えて出ていった。小テストの点数が悪かった生徒たちを呼び出して、再テストを行うのだ。
 また、昼休みに弁当を食べているだけで、後ろめたさを感じてしまった。今日、二回目だ。
 そのとき、背後から声をかけられた。
「せんせい」
 語尾が少し上がった口調。笑顔で、女子生徒が二人立っていた。英語の教科書を持っている。背が高くて静かな生徒と、小柄で明るい生徒の二人。
「今日の訳、聞き逃したんで、教えていただきたいんですけど」
 驚いた。前任校は、ワイルドなヤンキーが多い工業高校で、女子生徒はわずかしかいなかったが、緑が丘高校は、女子生徒のほうが多いのだ。女子生徒に、質問を受けることなど、教師になりたての頃以来だ。少し、感動してしまった。
 質問が終わると、背の低い明るい生徒が僕に言った。
「先生、おいしそうなお弁当」
「おいしいよ」
 僕は一口食べた。
「うん、おいしい」
「愛妻弁当?」
 と、背の低い明るい生徒が言うと、もう一人の生徒に肩のあたりを叩(たた)かれた。
 僕は最初の授業で、自己紹介をしたとき、僕の家族構成のことも話していた。
「料理好きなんだよ」
「晩ごはんも、作るんですか?」
 と、背の高い生徒が、敬語で言った。
「うん。朝ごはんもね」
「すごい、男の料理?」
 と、背が低い生徒が言うと、僕は答えた。
「どうかなあ。料理に男も女もないんだよ」
 背が高い生徒が、僕を見つめて、うなずいた。
「先生、ジェンダーフリーですね」
 その言葉は、どこかで聞いたことがあったような気がしたが、実は意味を知らなかった。
「まあね」と曖(あい)昧(まい)にうなずき、後でその言葉を調べようと思った。
 午後の授業の予鈴がなると、彼女たちは教室に戻っていった。
 入れ替わりに、竜崎が、不機嫌な顔で帰ってきた。自分の机につき、昼食をとりながら、隣の数学教師にこぼしてた。
「まったく、あいつら、できないんだよな」
 隣の教師も同調していた。
「ぜんぜん、勉強してきてない」
 隣の教師も、出した宿題がこなせてない、というようなことを言っていた。
 僕はあの丸坊主の野球部の生徒が言っていたことを思い出した。宿題を出す教師は何人もいるが、宿題をするのは一人だ、と。
 時に教師は、生徒にできないことをやれと要求して、できないからと叱ることがある。なぜこんな簡単なことができないのか、と。教師が、その教科ができるのは、そればかり何年もやっているからだ。決して生徒より頭がいいからではない。このことをつい忘れてしまい、悪循環に陥ってしまうのだ。
 この学校の実態は、僕にはまだよくわからない。これが、悪循環なのか、それとも竜崎が言うように生徒の努力不足なのか、これから見極めなくてはならないだろう。
 こういうことを考えてしまう僕は甘いのだろうか。
 自立、その言葉が、頭に浮かんだ。自立は、自分で立つこと。その基本は、自分で考えることだろう。しかし、生徒たちは、自分で考える暇もなく、次から次へと宿題が与えられる。
 もし自分で考えることを忘れてしまったら、命令でしか動けなくなってしまうだろう。まるで、オールのないボートのように。競争に敗れたり、そのことを恐れたりしたら、不安にも孤独にもなるだろう。そうなると、自由から逃走して、強く大きなものに服従して、安定を得たくなる。こうして、ファシズムのサポーターになっていく。服従という新しいオールを手にして。
 僕の机の上には、E・フロムの「自由からの逃走」が置かれている。この学校には、毎朝、十五分、読書の時間があり、今、それを読んでいるのだ。この本に、そんなことが書かれていた。僕は自由が好きで、モモはもっと好きだが、自由が怖い人も多いようだ。
 フロムがこれを書いたのは、四〇年代。ナチスが台頭してきた頃だ。当時、ユダヤ人のフロムは、ドイツを逃れ、アメリカに亡命していた。
 食後のお茶を飲んでいると、また匂(にお)ってきた。プンプンと。これはファシズムの匂いなのだろうか。
 ちょうど、フロムに影響されて、考えすぎているだけなのだろうか。ただの考えすぎなら、いいのだが。
 教師たちは、悪いことをしているわけではない。むしろ、いいことをしているのだ。生徒の学力を上げることに必死だ。熱心に、真面目に、従順に。
 日本が戦争にむかったときも、きっと国を思う多くのいいひとたちが、熱心に、真面目に、従順に、突き進んでいったのだろう。日本を守るため、アジアの国々の解放のため。
 いいひとが、いいことのために、突っ走り、いつしか引き返せなくなっていく。ファシズムの最大の支援者となっていることにも気づかずに。
 今、自衛隊は、・国際貢献」や「復興支援」といういいことのために、イラクの地に足をつけている。迷彩服に、自動小銃を持って、出陣式をした上で。自衛隊は、・いいこと」をしているのだから、それを批判する者は、・反日分子」なのだ。
 ファシズムに知らず屈している人間は、ファシズムに屈しない人間を非難する。自分達のように屈せよ、とは言わず、非国民などと言って。
 あのイラクで拘束された青年に「自己責任」という言葉を浴びせかけたひとたちが、ファシズムのサポーターに思えてきた。ファシストは、一人ではやってこない。サポーターたちに歓迎されて、笑顔でやってくるのだ。
 本当に、考えすぎならばいいのだが。考えすぎであってほしいと、心から願った。
 
 ようやく、金曜日の夜になった。モモは、金曜日のことをドラえもんの日と呼ぶ。
 夜七時から、テレビでドラえもんが放映されるからだ。僕たちは、ドラえもんの日が大好きだ。日々の様々な義務から解放され、ソファで寝ころび、ダラダラと夜更かしができるからだ。翌朝に備えて夜早く寝る必要がないということは、実に、自由で心地よい。
 僕の体内時計が、また動物時間から植物時間に戻っていく。
 モモが、またカレーが食べたいというので、僕はおばあちゃんのカレーを作った。僕がまだ料理ができない頃、モモと実家に行くと、祖母が必ず作ってくれたのが、このごく普通のカレー、つまりおばあちゃんのカレーだ。
 僕はカレーを煮込みながら、モモとテレビでドラえもんを見ていた。
 暴力でガキ大将に君臨するジャイアン。そのジャイアンに媚(こ)びる、金持ちのおぼっちゃんスネ夫。そんなジャイアンと、スネ夫にまで、いつもいじめられるのび太。勉強も喧(けん)嘩(か)もからっきしダメ、唯一の救いはドラえもん。未来の世界から持ってきたさまざまな夢の道具を使って、暴力と金が支配する社会の中で苦しむのび太を助けてくれる。
 ブッシュがジャイアンで、小泉がスネ夫で、僕たち国民がのび太のように思えてきた。しかし、現実ののび太たちには、ドラえもんはいない。万国ののび太は団結するしかないのだ。
 僕はのび太が嫌いだ。何か困ると、すぐ「ドラえもん、道具出して」と甘えるからだ。
 今夜も、テレビの中で、のび太がいつものように、いじめられ、ドラえもんに泣きついている。
「ったく、甘ったれるなっつーの」
 と、僕はテレビに向かって言う。
「いいの、アニメだから」
 と、モモが僕をなだめるが、僕はさらに言う。
「現実にはドラえもんはいないっつーの」
「だから、アニメだからって言ってるでしょ」
 モモにきつく言われ、僕は黙った。
 今日は一日、だいぶ考えすぎるようだ。
 
 カレーを食べ終わると、モモはソファにまた寝ころび、音楽番組を見ていた。僕はテレビに背を向け、流(は)行(や)りの歌を聞きながら、またキッチンに立って、ニンジンを薄く半月型に切り、タマネギも薄く切った。
 バターで炒め、塩コショウをして、水を差し、コンソメの素を放り込んで、煮込んだ。翌日、実家に持っていくスープだ。便秘気味の兄に野菜をとらせるためだ。
 スープは、じっくり煮込む。ことこと、一時間以上。時間は最良のスパイスなのだ。
 このごろ、僕とモモは、ほとんど口をきかず、ダイニングキッチンで毎晩時間をつぶす。お互いの時間、お互いの空間の中で、好きなことをしている。自立の表れだろう。
 自分で自分のことをやるのは、とても気分がいい。学校で、自分でアイロンをかけたワイシャツを着て、自分で作った弁当を食べると、ようやく大人になれたような気がする。
 大人になるということは、自立することなのだ。子育ても、なんでもしてあげるのではなく、なんでも自分でできるようにしてあげることなのだろう。
 シングルファーザーデビューをして、家事や育児をするようになって、少しは自立という意味がわかってきた。
 自分で自分のことができるようになると、僕の心の中に変化が起こった。大きな変化だ。僕は他人にも何かをしてあげたくなったのだ。それまで自分で自分のこともできなかった僕には、他人に何かをしてあげようと思う余裕がなかったのだろう。
 ニンジンが軟らかくなると、フードプロセッサーにかけた。そして、また鍋に戻して、生クリームを注いで温め、味を調え、ニンジンスープのできあがりだ。
 ソファで漫画を読みながら、テレビの歌を聞いているモモに、味見をさせた。
「うまい。何のスープ」
 僕は笑って、ニンジンだと答えた。ニンジンが嫌いなモモは驚いていた。
 スープが冷めたら、鍋の取っ手をはずして、タッパーの蓋をする。この鍋は、実家がスープの冷める距離にある僕にはとても便利だ。むこうで、また温めなおすのだ。
「モモ、歯磨きは?」
「わかってるって」
 モモが不機嫌に答えた。眠くなってきたようだ。そろそろ、祖父の恋文を読む時間となった。(つづく)

連載 小説(5)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 ゴールデンウィーク、今年ほどありがたいと思ったことはない。新しい職場で、訳もわからず四月を駆け抜け、ここで一息つく必要があったのだ。
 僕はふと旅に出たくなった。どこかに行きたいのではなく、旅に出たくなったのだ。僕にとっての旅は、どこかに行く手段ではなく、旅そのものが目的なのだ。
 モモとの二人暮らしでいいことの一つは、機動力がついたことだ。シングルになる前は、旅行などほとんど行かなかったのだが、今は違う。
 とにかく、決断が早い。僕が「行く?」と訊(き)き、モモが「行こう」と答えれば、即、出発となる。
 ゴールデンウィークの初日、僕とモモは実家にいた。僕たちだけで旅に出て楽しむのも悪いと思い、一日、兄の世話をすることにしたのだ。モモは、・兄ちゃん、兄ちゃん」と兄にまとわりつき、僕はおやつにホットケーキを焼き、祖母と兄に食べさせ、店に出ている両親にも届けた。晩ごはんは、圧力鍋を使って、父の好物のビーフシチューをつくった。祖母は、・このカレーはいつもと味が違うけど、おいしいやあ」と何度も言った。
 夜九時近く、モモと僕はバイオリンの練習をした。それは、実家の面々にとっては、ミニコンサートとなった。兄は頭を揺らしながら聞き、終わると指をならした。
 実家の面々の拍手が鳴り終わると、僕たちは旅立つことにした。
「気をつけないよ」と、祖母。
「疲れたら、休むだよ・、と母。
「お前たち、どこ行くんだ?・、と父。
 行きたいところは一つあるのだが、それ以外は決めていない。
「山のほう」
 旅に出るとき、僕はあまり計画を立てない。目的地に着き、予想していたものが、予想通りあることを見ることは、僕にとって旅ではない。旅とは、予想していないものに出会う行為なのだ。これを実家の面々に説明するのは、難しそうだったので、僕は黙っていた。
 僕たちは、自分の持ち物をそれぞれのトートバッグに放り込んだ。
「モモ、なんでそんな縫いぐるみ持ってくわけ?」
「必要だからに決まってるでしょ」
「何に使うわけ?」
 そこで、母がモモをかばって言った。
「モモちゃんには必要なんだよね。パパにはわからないんだから」
 モモは勝ち誇ったように微笑んだ。
「じゃ、一つにすれば」
 と、僕が言うと、・一人じゃ、さみしいんだよね」と母が言った。
 モモは「そうそう」と母に同調して、なぜ僕がそんな簡単なことが理解できないのか、不思議そうな顔をしていた。
 
 僕の軽自動車はワンボックス型で、後ろの座席を倒すと、真っ平らになり、僕とモモが横になれる充分なスペースがある。その平らなところに、カーペットを敷けば、立派なキャンピングカーだ。
 モモはパジャマに着替えて、車の後ろに乗り込んだ。少し粒の大きな雨が降り出していた。外はひんやりとしていた。
 両親が傘をさして見送りに来た。
「じゃ、また来るよ」と、僕が車の窓を開けて言った。
「おみやげ買ってくるからね」と、モモが言った。
 走り出すと、雨がフロントガラスに突き刺さってくるようだった。
「パパ、どこで寝るの?」
 と、モモが背後から言った。モモはすでに寝袋に下半身を入れ、眠そうな顔をしている。
「眠くなったところ」
「じゃ、モモも起きてる」
「いいよ、眠いんでしょ」
「だって、パパに悪いからさ」
「モモが起きてても寝てても、運転できるから大丈夫」
「でも、もう少し起きてる」
 と、言いながらモモはあくびをした。僕はCDをかけた。
「ンチャ、ンチャ、ンチャ」
 と、モモが歌い出した。レゲエだ。Love and Rebel、愛と反抗の音楽。
 しばらく走り、信号で止まって、後ろを見ると、あんなに起きていると言ったモモが寝袋に入って、蓑(みの)虫(むし)のように眠っていた。
「ノー、ウーマン、ノー、クライ」
 と、僕は歌った。モモが起きていれば、・イェッ、イェッ、イェッ」と歌うのだが、それがないので少し淋(さび)しくなった。
 北に向かっていた。海のほうではなく、山のほうだ。目指すは、長野の高原。
 僕が一つだけ行きたいところというのは、無言館だ。戦没画学生の遺作だけを集めているという。その場所はよくわからなかったが、どうしても見ておかなくてはならないと思った。
 僕の車にはナビゲーションはついていない。地図があるだけだ。そして僕は「地図が読めない男・、はたしてたどり着けるのだろうか。
 しかし、こんな状態で旅に出ることが、僕もモモも好きなのだ。少しだけ、冒険の匂(にお)いがするからだろう。これまでの人生、僕はいつも見切り発車をしてきたような気もする。
 
 朝、寝袋の中で目覚めた。少し寒かった。モモは隣で蓑虫のまま眠っている。
「モモ、朝だよ」
「うん」
 モモは目を開けない。
「朝ごはんどうする?」
「寝てる」
 僕は寝袋を出て、ジャケットをはおり、外に出た。昨夜あんなに降っていた雨は上がり、快晴だった。
 昨夜は暗くてわからなかったのだが、高い木々に囲まれた空き地だった。道路の向こうは崖(がけ)、かなり高いところで眠っていたことに驚いた。朝(あさ)靄(もや)がかかってる。
 この景色をモモに見せようと、もう一度起こしたが、モモは眼(め)を開けなかった。
 しかたなく僕は一人で朝食をとることにした。モモは、僕が運転中に食べればいい。まず、キャンプ用コンロでお湯を沸かすことにした。
 二人がけの折り畳みの椅(い)子(す)を出して座り、高原のひんやりした空気を味わった。雨に濡れた木々の葉が朝陽に輝き、鳥が囀(さえず)っている。
 お湯が沸くと、コーヒーをいれた。昨夜買っておいたコンビニのパンの袋を開けた。右手にコーヒーカップ、左手にパン、二九八○円にしては座り心地がいい折り畳み椅子に身を預けた。このコーヒーもこのパンも、この場でなくては、これほどおいしいとは思わなかっただろう。
 幸福感は、ふとしたときに訪れる。僕はなぜか急に、自分がいかに幸せかを実感した。
 一人ではあるが、一人ではない朝食。
 モモとでなければ、このような旅には出なかっただろう。
 
 モモが目覚めたのは十時近くだった。案の定、その頃、僕は道に迷っていた。どちらに向かっているのかもわからず、ひたすら車を走らせていた。
「パパ、今どこ?」
「わからない」
「何県?」
「たぶん、長野県」
「じゃ着いたの?」
「着いたようで着いていない」
 山の中の田舎道、対向車はほとんどなく、自動販売機もコンビニも朝から見かけていない。誰かに道を訊(き)きたいのだが、歩いているひともいない。
「パパ、おなか空いた」
「昨日買っておいたパンあるから食べれば」
 モモは寝袋から出てきて、パジャマのまま、朝食をとりはじめた。
「パパ、地図見ればいいじゃん」
「見ても、地図のどこにいるか、わからない」
 走れば走るほど、僕はどこを走っているのかわからなかった。
 朝食を終えたモモが僕に言った。
「パパ、お茶にしよう」
「え、朝、コーヒー飲んだんだけど」
「パパだけずるい」
「起こしても起きなかったくせに」
「それでもずるい」
 モモはお茶をあきらめなかった。モモにとって、何でもフェアでないことは許せないのだ。
 ちょうど、川原に下りる道を見つけたので、そこでお茶にすることにした。僕もじっくり地図を見たかったので、このティータイムはちょうどよかった。
 目の前のこの川は、日本で五番目に長い川で、はるか南で大きな河口となり海に合流する。
 柳の木が何本も生えていて、その木陰に僕たちは折り畳み椅子を出して座った。陽(ひ)が高くなってきて、朝のような冷え込みはなく、柳の枝を揺らす涼風が心地よかった。
 僕は本日二度目のお湯を沸かした。
「モモはミルキードリンクね」
 ミルキードリンクとは、モモの好物で、コーヒーにいれる粉末ミルクと砂糖をお湯に溶かしたもの。本当にお菓子のミルキーの味がするのだ。僕もそれを飲むことにした。
 あの大きな一級河川が、僕たちの目の前で、細い渓流となっている。そのやさしい流れを見ながら、口の中に広がるミルキードリンクの味を堪能した。
「モモ、これうまいね」
「でしょう」
 さすが、モモの好物だけのことはある。ミルキードリンクを無言で三口くらい飲んでから、モモがしみじみと言った。
「パパ、なんかいいねえ」
「うん、なんかいいねえ」
 五月の風に吹かれて、僕は少し眠くなった。
 
 モモは、車の後ろのカーペットの上に寝ころんでいた。
「パパ、いつ着くの?」
「こっちが知りたいよ」
「大人なのに?」
「そう、大人なのに」
「何の絵があるの?美術館行くんでしょ」
「戦争で死んだひとが描いた絵」
「また、戦争?」
「ま、つきあってくれ。小説の仕事だから、さ」
「じゃ、キーホルダー一個ね」
 モモは、旅に行く先々で、キーホルダーを買い、コレクションすることを趣味にしている。僕が教えたわけではないのだが、僕も小学生の時キーホルダー集めが趣味だった。
 途中で道を訊き、しばらく標識を頼りに走り、ようやく進む方向が定まってきた。なんとか無言館のある上田市にたどり着けそうだ。
 長野の道路は両側に緑が豊富で、高原の空気は透き通っているようだった。
 モモはゴロゴロしながら、マンガを読んだり、メモ帳に絵を描いたりしていた。それらに飽くと、僕としゃべった。モモは小学校でのできごとを大事件のように話す。それがおかしくて、僕はいつも楽しませてもらっている。モモのクラスメイトの名前も全員覚えているので、話がリアルに想像できた。モモが静かになり、後ろの様子を見ると、また蓑虫になり眠っていた。モモは実に自由気ままだ。
 途中、あまりにもおなかが空いたので、また車を川原に停めて、お湯を沸かして、カップラーメンをつくった。僕が食後のコーヒーを飲んでいると、モモは靴と靴下を脱いで、浅瀬を歩いた。
 そんな道草も食いながら、やっとのことで三時頃、無言館の駐車場にたどり着くことができた。エンジンを切って、後ろを見ると、モモは熟睡していた。実に心地よさそうな寝顔だったが、揺り起こした。
 静かなところだった。小高い丘の上に、それはあった。
「モモ、着いたぞ。起きろ」
「今どこ?」
「美術館」
「キーホルダーある?」
「わからない。でも、あったら買ってやる」
「じゃ、起きる」
 寝る子は育つらしい。モモはきっと、筍(たけのこ)のように育ってくれるだろう。
「行くぞ、筍」
「何それ?」
 僕は駐車場から歩きながら、無言の意味を教えた。無言とは、しゃべらないことだから、館内ではしゃべってはいけない、と。
「地震が来ても?」
「そのときは、いい」
「じゃ、火事は?」
「そのときも、いい」
「じゃあね……」
「無言」
「ラジャー」
 モモは親指を突き立てて見せた。僕も親指を突き立て、モモの親指とこすりあわせた。これが、この頃、僕とモモの間で流(は)行(や)っている。
 コンクリートがむきだしの三角屋根の建物に僕たちは入っていった。
 僕は美術館を見るとき、まず早足で全部を見る。そして、気に入った絵のところだけに戻り、じっくり見る。一つずつ見ていくと、僕の集中力は長続きしないので、最初のほうしかちゃんと見られないからだ。
 モモにも、そうするように言っておいた。
 館内には、ゴールデンウィークということもあってか、たくさんひとが入っていた。そして誰もが無言だった。
 モモは僕と別れ、来館者たちの間をすり抜け、次々に絵を見ていった。
 僕もまず全体を見てまわろうと思ったのだが、一番最初の絵の前で、足が、いや体が止まってしまった。
 裸婦像だった。何か覚悟を決めたかのような凛(りん)とした横顔。まだ熟す前の裸体を画家の前にさらすモデルは、画家が恋する女性だったようだ。
 
 あと五分、あと十分、この絵を描きつゞけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら、必ずこの絵の続きを描くから……
 
 僕には、充分美しく見えるこの絵は、未完成なのだそうだ。画家の筆によって、まだ美しく仕上げられる予定だったのだ。
 裸婦像の横には、その画家の自画像が置かれていた。髪を真ん中で分け、眼鏡をかけたその顔は、どう見ても、絵筆のかわりに銃を持つ兵士には見えなかった。
 
 二十年四月十九日、ルソン島バギオにおいて戦死。享年二十七歳。
 
 ルソン島は、たしかフィリピンだ。僕の祖父が死んだのもフィリピンだ。
 戦地では、その画家が眼を閉じれば、いつでもこの絵が浮かんだだろう。いや、この絵がさらに美しく仕上げられたイメージが浮かんだはずだ。それは、最後に、永久に目を閉じたときにも瞼(まぶた)の裏にくっきりと描かれていたにちがいない。
 僕はふと思った。祖父も永久に目を閉じたとき、きっと若くて美しかった祖母の姿がその瞼の裏に焼き付いていたのだろう、と。
 画家とその画家が恋する女性を引き裂いた戦争。しかし、引き裂かれまいとする熱情が、この絵をここに転写したのだ。たとえ命は奪われても、この恋だけは奪われまい、と。
 僕は一歩下がってその絵をもう一度見た。僕の視界に、裸婦像と自画像が収まった。
 彼女の視線のまさにその先に、画家のやさしくナイーブそうな顔があった。画家は、今、その恋する女性のまなざしの中にいる。
 戦争で永久に引き裂かれた二人ではあったが、ようやくここで再び巡り会えたのだ。二人は並んだまま、ここに永久に残るだろう。無言のまま。
 モモに見られないように、僕は素早く涙をハンカチでぬぐった。
「パパ、ちょっと来て」
 と、モモが僕の袖を引っ張って、好きな絵を見つけては、僕を連れて行くのだ。モモの好きな絵は、たいてい動物の絵か美人画だった。モモが見つけた絵を鑑賞しては、そのたびに、僕はこの絵の前に戻った。今日はこの絵を見れば、充分だった。
 
 その夜、僕たちは別所温泉にいた。温泉街を少し散策して、大衆食堂で夕食をとった。僕は信州そば、モモはいつものようにカレーライス。そして、公衆浴場の温泉に、男湯女湯に別れて入った。木造で、天井が高く、小さな温泉だった。
 入浴後、今夜の寝る場所を探さなくてはならなかった。まだ寝るには早かったので、コンビニに明日の朝食を買いに行ったり、ファミリーレストランでお茶をしたりして時間をつぶした。
 夜も更けて、僕たちはもう一度別所温泉に戻った。翌日、朝風呂に入ろうと思ったのだ。公衆トイレ付きの市営駐車場を見つけ、今夜はそこを宿にすることにした。
 僕たちは公衆トイレで歯を磨き、車に戻り、寝袋に入り、並んで横になった。
「パパ、なんで今日、あの絵だけずっと見てたの?」
 僕は、戦争で引き裂かれたあの二人がやっとあそこでまた会えたのだと、説明した。
「パパ、なんかいいねえ」
「うん、なんかいいねえ」
 うちでは、この頃、言葉にできない感動をその表現で表すようになった。
 静かな暗闇の中で、少し心細かったので、懐中電灯を上からぶら下げ、しばらく本を読むことにした。モモは「夢のチョコレート工場」を読み始めた。
 しばらくすると、モモが言った。
「パパ、時々ね、泣きたくなるときない?」
「あるかなあ」
「今、そうなんだけど」
「なんで?」
「なんでかわからないけど」
「そっか」
 モモもおセンチになる年頃になったのだろう。
 今まで、僕が突っ走ってきたのは、泣きたくなる気持ちから逃げ続けてきたからなのだろうか。
「パパはどういうとき?」
「泣きたくなるときのこと?」
「そう」
「もうあのときは戻ってこないなあってときかな」
「楽しいとき?」
「そう、あんな楽しかったときはもう戻ってこないなあって、さ」
 モモに理解できただろうか。しばらく、間があった。
「パパ、元気出して。これからもっと楽しいときあるよ」
「そうだね。そう思うことにする」
 いつの間にか、僕が慰(なぐさ)められていた。
「パパ、眠い?」
「電気、消す?」
「いいよ。本、読むんでしょ」
「悪いね」
「おやすみ」
「グッナイ」
 モモはあっという間に寝ついた。僕はしばらく本を読んだが、眠くなってきたので、電気を消した。そして、眼をつぶった。電気を消して、寝ようとすると、眠気が覚めることがよくあるが、このときもそうだった。
 あの裸婦像が瞼の裏に浮かんだ。あの画家が最後に想像した彼女の姿。祖父のことも思った。戦地から恋文を送り続けた祖父も、最後に抱きしめた若くてきれいな祖母を瞼に焼き付けて、永久に眼を閉じたはずだ。
「もう会えないかもしれない」
 と、祖父は祖母に会うたび言ったそうだ。祖母は、祖父を見送り、祖父の形見に爪と髪を持ち帰った。
 僕は今まで愛する人と会って、これが最後かもしれないなどと一度たりとも思ったことがない。愛する人とは永遠に何度でも会えるとさえ思っている。
 恋する女性に、もう会えないかもしれないと思いつつ、兵士は出征していったのだ。
 戦争が愛を引き裂くとは、そういうことなのだ。涙が止まらなくなった。
 僕は、明日になれば家族に会えるし、モモとはいつでも一緒だ。祖父は、赤ちゃんが生まれることを楽しみにしていた。祖母が最後に送った手紙には、生まれたばかりの赤ちゃんの写真を入れたそうだ。祖父は最後にそれを見てから死んだのだろうか。それとも、生まれたことも知らず死んだのだろうか。いずれにせよ、祖父はもう一度妻に会い、生まれたばかりの娘を抱きたかったことだろう。
 僕はいつもモモと一緒に過ごしているが、これこそ祖父が夢見ていたことだろう。僕が毎日モモと過ごしているのは、祖父の遺志を引き継いでいるからなのだろう。僕は、今、祖父が生きられなかった人生を生きている。運命を感じた。
 あの画家は、恋をして、絵を残した。その恋は、あの絵の中で永遠に生き続けるだろう。しかし、祖父は何を残したのだろう。
 恋文だけが、残っている。祖父が祖母を心から愛したという事実だけが、残っている。僕がそれを物語にしなくては、何も残らなくなってしまう。僕はあの恋を、この「今」につなげなくてはならないのだ。
 涙が出尽くした頃、僕はペンを執(と)ろうと思った。
(つづく)

連載 小説(6)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 夕食後、皿洗いをすませ、ダイニングテーブルに戻り、腰を下ろすと、ほっと一息だ。
 モモはダイニングテーブルで先ほどからずっと絵を描いている。僕はこっそり気づかれないようにのぞき込んだ。モモは未完成の絵を見られるのが嫌いなのだ。相変わらず、やけに頭と瞳が大きく、足が細くて長い少女の絵だった。少女マンガの真似だろう。
 僕はとりあえず、祖父の手紙が入ったクッキーの缶とパソコンをダイニングテーブルの上に置き、一生懸命絵を描いているモモの横顔を、明日の朝食と弁当のことを考えながら、ぼんやり見ていた。
 そのとき、つくづく思った。これは、戦死した祖父が見れなかった光景なのだ、と。僕が父親になったのは、二十六歳の時。祖父が父親になったのも、二十六歳の時。もし、戦死した祖父が僕の年齢まで生きたのなら、モモと同じ年の娘を見ていたことになる。一瞬、これが祖父の生きられなかった人生なのだと思った。この今が、とてもいとおしくなった。
 僕は祖父の手紙を一通だけ缶から取り出した。消印はよく読みとれなかった。下宿から送ったものらしく、検閲の印は押されていない。
 
 本日は御前の写真を久し振りに見て懐かしく嬉しかったよ 其れに今日まで三日間週番で疲れて帰って来たら 下宿のおばさんが疲れたでせう休まる薬を上げますよと言って渡すのだから余計にさ
 
 お国のために命を投げ出す覚悟はできているという青年将校は、いったん兵舎から下宿に帰り、ペンを持てば、ただの妻に恋する青年だったようだ。
 
 どうだな赤ん坊の様子 益々大きくなって来ただろうね 盛んに動くな 今一度御前の御(お)腹(なか)に触って見たいね 生まれたら可(か)愛(わい)いだろうな 然(しか)し今は赤ん坊がお腹の中に居る為(ため)会えないと思うと邪魔の様な気も寿(す)るね せめて僕の満期まで出来なかったら良かったとつくづく思うよ 此(こ)んな事書くと赤ん坊が怒るかも知れないかな
 
 祖父は、生まれ来る我が娘に対しても嫉妬しているのだ。僕にもそんなことがあったことを思い出し、吹き出してしまった。
「パパ、何がおかしいの?」
「何でもない」
「何でもなかったら、笑うわけないでしょ」
「ああ、そうか」
「もう、いい」
 と、モモはお絵描きに戻った。
 僕はその手紙をパソコンに打ち込んだ。祖父が祖母に最後に会ったのは、祖母が僕の母を身(み)篭(ご)もったときのことだ。それは、瀬戸内海の因(いんの)島(しま)という島でのことらしい。・満期」になったらとあるが、祖父はもちろんそれまでは生きていない。
 
 名前は男の場合にはうちで今一度相談してよいのが有ったら知らせて呉(く)れ
 
 名前は、二人で女の名前だけ決めてあったらしい。祖父が船に乗っていたので、太平洋から一字とって、洋子と。不思議なことに、女の子が生まれてくることがわかっていたようだ。この話は、母から何度も聞かされていた。今も祖父は南方の太平洋の底に眠っているはずだ。いい名前だと思う。
 モモは、ようやくお絵描きを止めた。その絵は、僕には見せようとしなかった。そのできに満足しなかったらしい。
「バイオリンは?」
「先に、お風呂にする」
 と、モモは風呂場にさっさと行ってしまった。
 それから、僕は一人ダイニングテーブルに頬(ほお)杖(づえ)をつき、祖父のことを考えていた。
 僕が祖父のことで知っているのは、陸軍にいたこと、輸送船に乗っていたこと、中尉だったこと、戦死したのはレイテ島あたりということ、そして、これらたくさんの手紙を祖母に送ったということだけ。
 祖父のことを何か書きたいとは思うのだが、あまりにも何も知らなすぎる。だいたい、どこでどのように死んだのかさえわからないのだ。
 祖父はどういう青年だったのか、どのようにして将校になったのか、祖母とはどうやって知り合ったのか、そんなことさえ僕は知らないのだ。疑問が、次々と浮かんだ。死ぬのは怖くなかったのか。本気で天皇のために命を捧げるつもりだったのか。いつもどんなことを考え、どんな服を着て、どんなものを食べていたのか。
 どうして将校になることを決意したのだろうか。どのようにして将校になったのだろうか。陸軍の学校にでも行ったのだろうか。それとも、将校が足りなくなって、試験や訓練を受けて、階級が上がったのだろうか。
 祖父が死んで、もう六十年も経つ。どうすれば、その六十年の時間を埋められるのか。どうすれば、祖父に近づくことができるのか。
 考えれば考えるほど、わからないことが増えていく。
 しかし、祖父のことを知らないと、前に進めないような気もする。僕にとって、祖父を知るということは、祖父を書くということだろう。書くということは、作品の中で僕が祖父の人生を生きるということなのだ。それは、死んでしまった祖父を、再生させることなのだ。
 うまく書けるかどうかは、もはや問題ではない。書かなくては、前に進めない。何かを書く前に、こんなことを思ったのは初めてだった。
 
 ようやく、バイオリンの練習が終わったのは、十一時ちかくだった。モモのあと、もちろん、僕も弾いた。
 時間が遅くなると、モモは眠くなるのか、不機嫌になり、演奏も雑になる。さらに、この頃、曲が難しくなってきて、その上、長くなってきている。もともと、下手なところに、そんな悪条件が重なった演奏を聴いていると、僕もつい一言コメントしてしまう。
 それで、たいてい喧(けん)嘩(か)になる。次に、僕が弾くと、モモが仕返しをするかのように、辛口でコメントしてきて、また言い争いとなる。バイオリンに関しては、僕たちはライバルで、お互い相手より上(う)手(ま)いと思っているので、よけい始末が悪い。モモは、自分より下手だと思っている僕に何か言われると、本当に腹が立つようだ。
 歯を磨き、日記の時間となった。僕とモモは、ベッドで並び、上体を起こし、それぞれ日記を書く。モモは膝(ひざ)にハードカバーの日記帳を置き、文章を少しだけ書き、余白に絵を描いていた。
 
 今日はバイオリンのれんしゅうで、パパとけんかした。
 
 絵は、モモが僕に跳び蹴りをしている場面だった。あんなにお互い不機嫌だったことも忘れ、二人で吹き出してしまった。
 僕は膝に乗せたパソコンで日記を書く。
「パパ、ずるい。パソコンで書くなんて」
 と、モモが毎日言う。
 僕のパソコンはインターネットにつながっていて、この日記はネット上で公開されている。ブログと呼ばれる最近流行のものだ。今のところ、ほんの数人の知人が読んでくれているだけだが、そんな知人がときに、日記にコメントを書きこんでくれたり、Eメールを送ってくれたりすることもあり、それがなかなかおもしろい。
「パパ、それ、毎日、書いてるの?」
「当たり前。パパは、モモみたいに何日もまとめて書いたりしないよ」
「あっそ」
 モモの手前、日記は毎日書いている。モモは何にでも公平を求めてくるので、モモに何かをやらせるなら、僕もやらなければいけなくなる。モモ以上に。まったく、モモにはいつも鍛えていただいている。二人で暮らすようになったこの二年あまり、すくすく育つモモに負けず、僕もずいぶん成長したような気がする。
 いつもなら、モモが寝たあと僕はキッチンで小説の仕事の時間となるのだが、今日僕がベッドにいるのには、理由があった。
 今、僕が学校で使っている教科書で、もうすぐ「星の王子さま」を扱うレッスンを教えることになったため、・星の王子さま」を読むことにしたのだ。童話と言うこともあり、一人で黙読するのも味気ないので、今日から毎晩読み聞かせをすることにした。
「書いちゃった? 早く読んで」
「はいはい。ちょっと待って」
 僕は日記を書き終え、パソコンの電源を切った。
 ・星の王子さま」を読むのは、久しぶりだった。モモに数年前読んだことがあるのだが、その時のモモには難しすぎて、僕も本文をやさしい日本語に同時通訳して読み聞かせすることが億(おつ)劫(くう)になり挫折してしまった。
「この絵はなんだ?」
 僕は挿絵の一つをモモに見せた。
「帽子でしょ。おじいさんがかぶるような」
 それは、どう見ても、ソフト帽にしか見えない。
「残念。答えは、ゾウを飲み込んだウワバミでした」
「ウワバミ?」
「大蛇、大きな蛇のこと」
「え、ゾウより大きい?」
「そう。ま、お話だからさ」
 この絵は、語り手であるパイロットが、子どもの頃に描いて、大人が誰もわかってくれなかったというもの。
 パイロットが、砂漠に不時着して、飛行機を修理しているところに、いよいよ星の王子さまの登場だ。
「ね、羊の絵を描いて」
 僕は王子になりきって読んだ。モモは絵を描くのが好きなので、この本の書き出しに興味を持ったようだ。
 パイロットは、久しぶりに絵を描くこととなり、幼少時に描いた、ソフト帽にしか見えないあの絵を王子に描いて見せた。
 僕は王子の声で読んだ。
「ちがう、ちがう、ぼくウワバミにのまれているゾウなんて、いやだよ。ウワバミって、とてもけ(・)ん(・)の(・)ん(・)だろ」
「けんのん?何それ?」
 僕にもわからなかった。
「無視、無視」
「ま、いっか」
 王子は、パイロットの描いた羊は、どれも気に入らなくて、何度も描き直させる。
「じゃ、また質問。どうやったら、上手に羊の絵が描けるでしょう?」
「そんなのわかんないよ」
 僕はまた挿絵を見せた。箱の絵だ。
「何それ?」
「この中に羊が入ってて、王子はこの絵が一番気に入ったんだよ」
「ふーん」
 箱の中にいるらしい羊を喜ぶ王子が言う。
「おや…、この羊、寝ちゃったよ」
「ね、パパ、なんで王子は見えないのにわかるの?」
「イマジン」
「ああ、想像するだっけ」
「そう、頭の中に絵を描くこと。じゃ、羊も寝たことだし、眠るとしよう」
「わかった」
 僕は電気を消した。
 
 週末、実家に行くことに、新しい意味が加わった。取材だ。祖父を書くためには、祖母に話を聞き、祖父の人物像を僕の頭の中に浮かび上がらせなくてはならない。
 この頃、実家の台所で、祖母と僕の息が合ってきた。また、兄の世話も、家事と並行して、あうんの呼吸でこなしていく。何にしろ、分担は大事だ。ことがはやい。
 台所で、僕は祖母に料理をいろいろと教わりながら、祖父のこともいろいろ訊(き)く。
 そんなとき、モモは畳の上でゴロゴロしながら、テレビを見たり、マンガを読んだりしている。僕が居間に行き、勉強するように小言を言うと、モモが言い返す。
「いつも忙しいんだから、たまにはいいでしょ」
 たしかに、子どもにはそういう時間も必要なのかもしれない。
「じゃ、そのアニメ終わったら、宿題やるんだよ」
「これ終わったら、他のアニメあるもん」
「なんだそれ」
「いいの、いいの。今日は休みなんだから。モモはいつも忙しいの」
「じゃ、兄ちゃんの面倒見ててよ」
「オッケー。ねえ、兄ちゃん」
 兄はにこにこしながら、・アイ」と答えた。
「パパ、今日の晩ごはん何?」
「魚」
「ええ、魚?」
「大丈夫、パパじゃなくて、おばあちゃんがつくるから」
「なら、食べる」
 僕のほうが絶対モモより忙しいのにと思いながら、僕は台所に戻った。
「おばあちゃん、いつ結婚したの?」
 祖母は、昭和十七年二月四日に慌てて結婚式を挙げ、近所の料理屋で披露宴を簡単に済ませたそうだ。前年の十二月八日に、真珠湾攻撃があり、太平洋戦争が始まったばかりのころだ。
 慌てていた理由は、婚約中に祖父の召集令状が来たからだ。祖父は徴兵され兵役についたが、いったん除隊して、実家に帰っていたところだった。
「結婚はとりやめてもいいって、おじいちゃんは言っただよ」
「なんで?」
「生きて帰れるかわからないからだよ」
 祖母は僕にアジの三枚下ろしを教えながら、話している。今夜は、アジのフライだ。魚はスーパーで切り身しか買ったことない僕は、おそるおそるアジに包丁を入れている。
 祖母は、嫁いできても、祖父とは一日も暮らさなかった。新婚旅行も、もちろん行っていない。
 祖父は、初めて祖母を見かけたとき、一目惚(ぼ)れしたそうだ。そして、祖母のうちに見合いを申し込んだが、即座に断られた。祖母は乗り気ではなく、祖母の両親もよくわからない申し込みに戸惑ったようだ。
 しかし、祖父はあきらめきれず、再三見合いを申し込む。
「それで、聞き合わせをしただよ」
 聞き合わせとは、つまり身元調査のことだ。祖母の父が、祖父はどんな人物かと聞いてまわったところ、一人も悪く言うひとはいなかったという。除隊となってからは、寿司屋の跡取り息子として、家業を手伝っていた。人望は厚く、町の青年団長もしていたらしい。
「お父さんが、聞き合わせから帰ってきて、お前をあそこにくれてやることにしたって言っただよ」
「それで、決まったの?」
「それで、決まっただよ」
「会ったこともないのに?」
「昔はそうだっただよ」
「おばあちゃんは、好きになったの?」
「好きも嫌いもないだよ」
 祖母は照れてそう言ったのだろうか、それとも本心なのか。
「その頃、恋愛結婚とかなかったの?」
「少しはあったけど、そんなことすりゃ、恥ずかしかっただよ」
「恋することが?」
「そんな時代じゃなかっただよ」
「デートするとつかまるの?」
「つかまるわけじゃないけど、恋なんていうひとはいなかったねえ」
 祖父の書いた恋文には、言葉にはおさまりきらない恋心が綴(つづ)られている。少し祖父に同情してしまった。
 それでも、婚約を解消してもいいと言われたにもかかわらず、祖父が生きて帰ってこれるかわからないのにもかかわらず、祖母は求婚を受け入れたのだ。
「だって、結婚を断れたんでしょ? 婚約破棄してもいいって言われたんでしょ?」
「断れるわけないだよ。もし断ったら、まわりに何て言われるかわからんよ」
 これから戦地に赴く帝国陸軍将校との婚約破棄など想像できない時代だったのだ。
 僕は祖父の手紙の一節を思い出した。
 
 便りは中々御前は呉れないね 今に呉れるだろう呉れるだろうと思っていたが一週間の余(あまり)寄(よ)越(こ)さないから待ちくたびれて出すはけだ 一度ぐらいは御前から先に呉れるだろうと思ってね
 
 僕は祖父の恋文を読みながら、実は祖父が片思いだったのではと思っていたのだが、祖母が親に勝手に決められた結婚ならば無理もないのかもしれない。
「最初は好きも嫌いもなくても、そのひとが一番いいと思うようになるだよ」
 と、祖母が言った。まんざらでもなかったようだ。
「そんなことより、あんたは結婚どうするだい?」
「考えてないよ」
「そのほうがいいかもしれんね」
 そういえば、再婚のことなど考えたこともなかった。
 
 僕はものを考えるとき、書いてみないと、頭の中が整理できない。そんなとき、公開日記であるブログは、うってつけだ。
 日曜の夜、実家から帰り、モモが眠ると、キッチンでパソコンに書いてみた。
 
 よくある恋の表現の一つ。
「君は僕のものだ」
 今思えば、暴言だと思う。僕も言ったことがある。
 英語だと、You belong to me・(君は僕に所属している)。
 これも、ひどい。
 人間は、誰かのものになることも、誰かを自分のものにすることもできないのだ。
 娘を見ていて、いつもそう思う。
 あんなに小さくても人格を持った一人の独立した人間なのだ、と。
 僕のものになるどころか、僕の思い通りになったことすらない。
 再婚はしないつもりだ。
 だいたい、そんな相手もいないだろうが、
 法的にも、因習的にも、女性をもう所有したくないのだ。
 恋も乗り気ではない。
 恋すれば、相手を独占したくなり、所有したくなるからだ。
 
 こんな雑文を読んで、僕にEメールを送ってくる見知らぬ女性がいるとは、このときは予想もしていなかった。(つづく)

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