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恋文(下)

       連載 小説(13)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 雪乃さんからメールが来ない日々が続いている。もうすぐ十二月、押入からオイルヒーターを出したばかりだ。
 平日の夕食後、モモの反対を押し切ってテレビを消して、ようやく静かな夜になった。
「モモ、宿題終わったの?」
「まだ」
「じゃ、すぐやる」
「はいはい」
 僕は紅茶の入ったマグカップを持ってソファに座り・本を開いた・この頃、不在と愛の関係の研究をすすめているのだ。モモが・宿題に集中できず・話しかけてくるたびに、僕は本から目を離さず適当に答えた。
「パパ、聞いてるの?」
「聞いてるって」
「いつも本ばっかり」
 僕は一息ついて、本をパタンと閉じた。
「じゃ、好きなだけ話して。聞くから」
「もう、いい」
 と、モモがぶっきらぼうに答えるので、僕はまた本を開いた。
「ほんと、本ばっかり」
 僕がまた本を閉じると、モモが言った。
「本読んでて。モモは宿題やるから」
「なんか、話そう。小学校のことでもさ」
「もういいって」
「はいはい」
 僕が読んでいるのは、『夜と霧』。著者のフランクルはユダヤ人、第二次世界大戦中、強制収容所に入れられ、充分な食べ物も命の保証もなく、生死の境をさまよった。そのときの記録である。
 ある朝早く、フランクルたちは極寒の中、強制労働の現場まで、ぬかるみを行進していた。少しでも隊列を乱すと、監視兵に容赦なく長靴で蹴(け)られた。歩けないものは、歩けるものの肩を借りて歩いた。
 そのとき、フランクルは妻に会ったのだ。もちろん、実際に会ったわけではない。不在の彼女をしっかりと胸に感じたのだ。
 フランクルは言う。
「思いつく限りもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、充たされることができるのだ(※)」
 心が震えた。
「愛は人が人として到達できる究極にして最高のもの・
 僕はその言葉を何度か繰り返し呟(つぶや)いた。
「パパ、何?」
 と突然モモが話しかけてきた。
「ちょっと、これよくない?」
 僕はその言葉を繰り返した。モモは、僕の言葉を聞き流してから、言った。
「宿題終わったから、テレビつけてもいいでしょ?」
「はいはい」
 僕は集中力を維持するたたかいに挑みながら、ページをめくった。テレビの音というのは、無駄に騒がしい。特にCMの音が耳につく。
 何度も一進一退を繰り返しながら、読み進めていくと、また心が震える文章を見つけた。
「愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり本質に深くかかわっている」
 フランクルの妻は、当時、別の収容所に入れられていた。彼女が生きているかどうか、フランクルには知るすべがない。結局、フランクルは家族で一人だけ生き残り、彼女とは再会することはなかった。そのフランクルは、監視兵の怒号にせかされ、つるはしを振るいながら、妻を思う。
「妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもどうでもいい。それはいっこうにわたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった」
 僕は愛を知った気になっていた。しかし、まったく愛を知らなかったことに気づいた。愛とは、それほどまでに深い感情、いや行為なのだ。
 フランクルは、見えない妻を見ていた。それは存在を超えた存在だった。
 いよいよ、テレビの音に耐えられなくなり、ソファのモモに目をやると、モモは自分で毛布を掛けて、眠っていた。
 僕はテレビを消して、祖父のことを思った。祖父は、簡単に沈められる輸送船の上で、死がすぐ目の前まで迫ってきているときに、きっと祖母と語っていたのだろう。
 そういえば、祖父は洋上で書いていた。
 
 別れてから又二ヶ月余りになりましたね 僕はなんだか長く会わない様な気がしてなりません 本年は洋上に於(お)いて新喜を迎へ感慨深きものが有りました 内地は厳寒の候というのにこちらは汗びっしょり流して遥(よう)拝(はい)式を挙行しましたので何だか正月の気分はなかったね この頃は毎晩良い月夜で南十字星が夜空に輝いて居り月を見ると無骨な自分も歌の文句を思い出しセンチになります
 
 千里離りょと思いは一つ
 同じ夜空の月を見る
 
なんて俺にも似合わない歌を口(くち)吟(ずさ)みます 弱気な男だと思って笑ふでないよ
又俺は口ヒゲを生やし始めたよ 然(しか)し内地帰りの時には落としますよ 又御前に笑われますから 又有る人曰(いわ)くヒゲを生やすと口づけの時ヒゲが鼻に入って困るから落とせとね ハァ……
自分達の結婚一周年記念になりますね 一緒に居れば有意義な事も出来ませうがこんな遠く離れては仕方有りません
然し奈良への行楽は我々一生の中にも良き思い出の一つだろうと思います あんなに楽しい一日は今までに有りませんでした あの時を思い出しては又一人微笑んで居ります
此度の帰りは遅くなるだらうと思いますから便りも何時御前の所へ行くか解(わか)りませんが 便りのない間は元気で働いて居ると思って居て下さい 今度は男として働き甲斐の有ると思います 御前も正月で大変忙しいでせうと察します 共に一戦を銃後に於いて頑張りませう 又二人楽しく送る日が有るのですから それを楽しみに僕も御前にだけ苦労はさせません では呉(くれ)々(ぐれ)も体に十分気を付けて僕の帰りを待って居て下さい
 
 土曜日、僕とモモが新しく行くところができた。兄がデイケアに行くことになり、その施設に兄を迎えに行くようになったのだ。母によれば、市の福祉サービスで行けることになったらしい。兄は平日の昼間は施設に通い、毎週末は実家で祖母と過ごしていたのだが、これからは土曜日だけ、その施設で世話になることになったのだ。朝連れていくと、昼食と夕食まで出て、夜八時まで預かってくれ、困ったときには、宿泊することもできる。母いわく「兄ちゃんの終(つい)の棲(すみ)家(か)も見つかった」ということだ。もし誰も兄の面倒を見られなくなっても、障害者年金で、その施設にお世話になることができるのだ。
 そのことを母と電話で話していたのを聞いたモモが言った。
「兄ちゃん、もう帰ってこないの?」
「帰ってくるよ。だから、迎えに行くんだって」
「だって、ずっと預かってもらえるって言ってたじゃん」
「誰も面倒見れなくなったらだって。大きいおばあちゃんが死んで、じいじとばあばが死んで、パパがよぼよぼになったら、困るだろ」
「モモが面倒見る」
「あ、そっか。じゃ、頼むよ」
 僕たちは、右手の親指と親指を擦(こす)りあわせた。
 施設は、町のはずれの田んぼの真ん中、街灯もない淋(さび)しいところにある。玄関に車を横づけすると、職員が押す車椅(い)子(す)に乗せられた兄が笑顔で出てきた。
「兄ちゃん、楽しかった?」
 と・僕が訊(き)くと・兄は動く方の右手の指を鳴らした。
「ナイスナイスだ。兄ちゃん楽しかったんだね」
 と、モモが兄の肩を叩(たた)いた。
 兄は人気があるらしく、見送りに二人の女性が来ていた。
「また、来てね。今度はまた土曜日だね」
「気をつけて帰りないよ」
 二人の髪は白いものが混ざっていた。彼女たちにとって、ここは終の棲家なのだろう。
 モモは助手席を兄に譲り、後部座席に座った。助手席が兄の指定席なのだ。僕は兄を車に乗せた。ちょっとしたコツがあり、僕が軽く手を添えるだけで、兄が上(う)手(ま)く座ると、みんなが兄をほめた。兄はうれしそうに微笑んで、指を鳴らした。
 車が走り出すと、モモが言った。
「兄ちゃん、モテモテだったね」
「そう、パパみたい」
「パパ、自分でそういうこと言わないほうがいいよ」
「はい」
 途中・コンビニによって・兄のためのカフェ・オレを買った・そして・いつもの公園の駐車場に車を停めて・兄にストローで飲ませた・これも兄の日課の一つだ。
 祖母のいる実家に着き、ひと息すると、やがて両親が寿司を持って帰ってくる。
 土曜の夜は寿司と決まっているのだ。僕はちらし寿司、モモはツナ巻きだ。
 ようやく、家族全員集合して、団らんとなる。といっても、家族は好き勝手に過ごす。モモは父の膝(ひざ)に座り、母はビールで晩(ばん)酌(しやく)を始める。祖母は、・冬のソナタ」以来ファンである韓国ドラマを見る。僕は兄のそばで座椅子に座り、兄の面倒を見ながら、『夜と霧』の続きを読んだが、集中することができなかった。
 寝るときは、僕とモモは祖母の部屋に行き、川の字に横になった。
 モモが寝入ると、僕はいつものように祖母に祖父のことを聞いた。この夜は、結婚の頃の話だった。
 
 日曜日の午後、モモは隣の座敷でちゃぶ台に向かっていた。月末が近づいているのに、今月号の学習帳がまだ終わってないのだ。かなりたまっているようだ。月末までに終わらせないと、月がかわってからテレビ禁止になる。これは僕が決めたうちのルールだ。テレビ好きなモモは、それは困るので、必死になっている。
 僕はまた居間で、兄のそばで座椅子に座って、膝にパソコンをのせている。昨夜聞いた祖母の話を書きとめようとしていたが、細かな情景がなかなか浮かばなくて、うまく進まなかった。
 兄がちゃぶ台に手をつき・腰を上げて・僕を呼んだ・パンツを下ろして・おしっこさせろという意味だ。
「兄ちゃん、ダメ。自分でやらなきゃ」
 僕は決めていた。今日一日で、兄がパンツを下ろせるようにすることを。かつては一人でトイレに行っていた兄、多少老化が進んだといっても、それくらいはできないわけがない。
 兄は、さらに大きな声を出すが、僕は無視。モモが、隣の座敷から、声をかけた。
「パパ、兄ちゃん、うるさいよ」
「今日は自分でパンツ下ろせるようになるまでがんばるんだから、我慢して」
「じゃ、兄ちゃん、がんばって」
 モモに声をかけられた兄はにっこりして、いったん腰を下ろした。兄の左手は完全に使えない。兄は一人で立つこともできない。だから、膝立ちになり、右手一本でパンツをおろすのだ。時間はかかったが、なんとか兄はパンツを自分で下ろすことができた。
 ここで、褒(ほ)めなくてはいけない。
「兄ちゃん、えらかったね。できたね、すごいね」
 と、僕が騒いでいると、モモも隣の座敷からやってきた。
「兄ちゃん、やったね」
 と、モモは兄の頭をなでた。兄は、指を鳴らした。パンツを履くのは難しそうだったので、それは僕が助けた。
 すると、大きな変化が起こった。これまで、兄はひどいときには、五分に一回くらい尿意を訴え、本当に憎たらしくなるほどだったのだが、頻繁に訴えなくなったのだ。この変化は、大きな進歩である。
 たぶん、兄にとって、おしっこは家族の気をひくための行為で、尿意があったわけではなかったのだろう。これからは自分でパンツを下ろさなくてはならなくなったので、さすがの兄も面倒になったにちがいない。
 しばらくして、また兄が尿意を訴えたときは、洗濯をしていた祖母を呼んできた。
「あれやあ、兄ちゃん、自分でできるようになっただねえ」
 祖母とモモと僕で、拍手をした。兄は笑顔で、指を鳴らした。
 祖母は、兄がおむつをとったときの話をした。当時、兄は四歳、まだおむつをはめていた。祖母と兄は、養護施設に泊まり込んで、歩行や言語の訓練をしていた。祖母は、おむつのことで、他の保護者から悪く言われたという。親がちゃんとしつけしてないからできないのだ、と。
 そんなある日曜日、他の障害者や保護者が帰省していたため、祖母は朝からトイレを独占して、兄を便座に座らせていた。何時間も。しかし、兄はなかなかおしっこをしなかった。それでも、祖母はトイレのそばでずっと待っていた。
「そんときゃ、私ぁ、鬼になっただよ」
 最初は怒っていた祖母も、長期戦になると、手を合わせて拝んだという。
 そして、ついに、兄は生まれて初めてトイレでおしっこをした。祖母は涙を流した。兄も一緒に泣いた。
 何度聞いても、いい話だ。子どものころから数え切れないほど祖母から聞いたことがあるが、何度聞いてもいい話だ。
「兄ちゃんは何でもできるだよね」
 と、祖母が兄に話しかけた。兄はうつむいたまま、ニコニコしていた。
「いつも、日曜日は兄ちゃんとデパート行ったっけねえ。まだ兄ちゃんが舗装靴履いてたもんで、バス乗ったりするの大変だったねえ。それで食堂行っただよね」
 兄もそのことを覚えているのか、うれしそうに祖母の話を聞いていた。
 今日一日で自分でズボンとパンツを下ろせるようになり、おしっこの回数が減ったことは、それ以来の大きな偉業である、と僕は思った。
 そして、モモが、ようやく学習帳を終わらせた。
「パパ、もうモモの部屋行ってもいいでしょ」
「はいはい、どうぞ」
 モモは縁側廊下の一角に自分の部屋を持っている。モモに甘い僕の父が、古いテレビとビデオデッキと座椅子を置き、タンスで仕切って作ったのだ。秘密基地っぽくて、モモのお気に入りだ。
 その後、兄は何度かズルをして自分でパンツを下ろさずおしっこをしようとしたが、僕も昔の祖母にならって鬼となった。
 僕とモモのこの頃のテーマは自立だ。自立したものどうしでなくては、助けあえない、と思う。兄はもちろん自立などほど遠い重度の障害者なのだが、それでも自ら立とうとする姿勢がなくてはいけないと思う。
 寄りかかる関係は続かない。寄りそう関係でなくては。愛とは、寄りかかるものではなく、寄りそうものなのだから。
 僕は兄を励まし続けた。
 兄のパンツを下げることが上達すると突然、物語が胸の奥から湧きおこってきて、僕の手が動き始めた。
 
 きほは、車窓から冬の枯れ野を眺めながら、悔しさと腹立たしさに口を真一文字につぐんでいる。汽車はやがて目的の駅に着く頃だった。向かいあう席の老夫婦をちらりと見ると、駅弁を一つずつ買って膝にのせていた。その包み紙には、・熱だ!力だ!協力だ!総力戦一人一人がみな戦士」などと、書かれている。ほんの数週間前の年の暮れ、日本が真珠湾で成果を上げて、米英と戦闘状態に入ってからというもの、そんなものが町にあふれている。しかし、きほにとっては、戦争はまだ遠い国でのことだった。頭の中は、今、次雄とのことしかなかった。
 汽車を降りると、正月の雰囲気がすっかりなくなった町を、空っ風に吹かれ、下駄を鳴らしながら、次雄のもとへと急いだ。歩いて五分とかからないところに、次雄の家はある。次雄の母が女将として料亭を営んでいて、次雄は、すでに板前の修業を終え、家業を手伝っている。
 この縁談は、むこうから一方的に申し込んできたものだ。何度か断ったにもかかわらず、結局、きほの父親が勝手に決めた縁談である。とは言うものの、きほはその運命を引き受ける覚悟はできていた。次雄が、男前でこそないものの、何度か会ううちに、何とも言えず安心感を与えるところに、思いも芽生えつつあったのだ。
 料亭の勝手口にまわり、そこにいた女中に声をかけると、すぐに奥座敷に通された。火鉢が一つぽつんと置かれた、きれいに片づいた部屋だった。
 先ほどの女中が茶を出すとほぼ同時に、前掛けをほどき右手に握りしめながら次雄が入ってきて、きほの前に正座してうなだれた。
「どういうことなの? 婚約を破棄してもかまわないとは」
 と、きほが切り出した。昨夜、きほの家に電話があった。次雄の母親が、きほの母親にそう告げたのだ。
「それだけしか聞いてないのか?」
「そうだけど。それにしても、ひどい話じゃない」
 次雄のうちも商売屋なら、きほのうちも魚屋で商売屋だ。おたがい、急いで電話に応答して、何かを聞きもらしたのかもしれない。
 次雄は、いったん立ち上がり、その部屋から出て、手紙らしきものを片手にすぐ戻ってきた。
「これが来たんだよ」
 きほは、また正座した次雄から、それを手にとり、本当に赤いことに驚いた。
「召集令状ってことは、次雄さんも戦争に行くってこと?」
 次雄は頷(うなず)いた。きほは、汽車の中で向かいに座っていた老夫婦の弁当の包み紙を思い出した。総力戦、一人一人がみな戦士。ついに、戦争が目の前にやってきたのだ。
「俺は、今度また軍に戻れば、将校だ。でも士官学校を出たわけじゃなく、急造の将校だから、最前線に行かなくちゃいけないんだよ」
 少し間があった。それで、ようやく、きほにも話がわかってきた。
「そんなの、また生きて帰ってくればいいことじゃない」
「ことはそう簡単じゃないんだよ」
「まさか、それで婚約破棄しようと思ったわけ?」
 次雄は頷いた。
「次雄さん、死ぬつもりなの?私を残して?」
「生きて帰りたい気持ちはあるさ。でも、喜んでくれ。お国のために戦えるんだ……」
 次雄は前掛けを握りしめ、うつむいて、黙った。
「ままならないんだよ」
 それが、次雄の口からようやく出た言葉だった。
「私は結婚するって決めたの。だから、今日はもう帰る。入隊まで、まだ日があるんでしょ。それまでに式を済ませなくちゃ」
「いいのか?」
 次雄は顔を上げなかった。
「決めたの。もう、決めたんだから」
「すまない」
 きほは、背筋を伸ばしたまま、なんとか笑顔をつくった。これ以上何と言っていいかわからず、その部屋を出た。
 来た道を、風に吹かれながら、足早に戻っていくきほを、次雄は慌てて追った。
「待ってくれよ。送っていくから」
「お店はいいの?」
「だいじょうぶ。俺は手伝いのまねごとしてるだけだから」
「じゃ、洋画にでも行きましょうよ」
「今から?」
「そう、今から。この町は小さいけど映画館があるから好き。『スミス氏都へ行く』を見たいな」
「それは、上映されないよ」
「どうして?」
「アメリカ映画だから」
「そんなの誰が決めたの?」
「だから、ままならないんだよ」
 きほは、・ままならない」という言葉に腹立たしくなった。これから、そんなままならないことばかり起こるのかと思うと、いっそう怒りが込み上げてきた。
 結局、その日は二人は駅で別れた。別れ際、改札口できほが次雄の耳元に囁(ささや)いた。
「私、決めたんだから。次雄さんを、好きになるって」
 二人は手を握りあうこともなく、次雄は立ちつくし、きほは軽やかに帰っていった。
 
 僕はこの文章を祖母に読んで聞かせようと、一瞬、思ったが、やめた。
 いつしか、夕食の準備の時間になっていた。買い物に行かなくてはならない。祖母は、僕がつくる夕食を楽しみにしている。
「おばあちゃん、夕食、どうする?」
「なんだか、肉を食べたいやあ。ずっと食べてないでね」
 モモが話に入ってきた。
「じゃ、焼き肉にしよう。おばあちゃんも食べたいって言ってるから」
 魚屋に生まれ、幼少から魚を食べ続けてきた祖母は、今では肉が大好きなのだ。
 夕食後、僕とモモはうちに帰った。
 雪乃さんからのメールが久しぶりに来たのはその夜だった。(つづく)

連載 小説(14)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 モモが寝静まった日曜日の夜、僕はダイニングテーブルの上にパソコンを置き、スイッチを入れた。そして、早速、メールボックスを開いた。少し投げやりな気持ちだった。どうせ雪乃さんからのメールは来ないだろう、と。
 はたして、メールが一通届いていた。
 僕は自分に言い聞かせた。落ち着け、舞い上がるな。これが最後のメールですとかそんなことが書かれているかもしれない。
 件名は、・おひさしぶりです」だった。
 
 ずいぶんとご無沙汰になってしまいましたが、ジローさんはお元気でしたか?
 今日、ようやく私のコンピュータが修理から戻って、ネットにつながりました。ジローさんに最後にメールをしたそのすぐあと、コンピュータの画面に何も映らなくなったのです。
 メールが途絶えていた日々がとても長く感じました。
 今、こうしてメールを書きながら、本当にホッとしているんです。
 ジローさんとのメールは、私にとってはライフ・ラインですから。
 重荷に感じたとしたら、ごめんなさい。でも、事実なのです。
 会うことはなくても、ジローさんのコトバに触れることに、癒(いや)されるのです。
 もし、私のことを覚えていてくださり、ご迷惑でなかったら、お返事お待ちしています。
雪乃
 
 僕はそのメールを何度も読み返した。明日からまたがんばろう、と思った。特に何をがんばるというわけでもないのだが、日に日に寒くなるにつれて熱を失いつつあった気力をまた取り戻すことができた。
 楽観的なはずの僕が、雪乃さんからのことに限っては、悲観的に考えていたので、とにかく安心した。
 そのとき、僕はふと気づいた。これまで悲観的になるのは決まって恋をしているときだったと。
 僕は雪乃さんからのメールに浮かれてもいたのだが、たった一文が気になり、また悲観的になってしまった。雪乃さんは、・会うことはなくても」とたしかに書いていた。以前のメールにも、僕は肉体をともなわないコトバであるとも書いていた。
 つまり、雪乃さんは、僕と会う気はないということなのだ。(※)DVのサバイバーである雪乃さんは、もう男性に近寄れないのだろうか。
 僕はダイニングテーブルに両肘(ひじ)をつき、うなだれるあごを両手で支え、大きくため息をついた。
 
 僕の学校もモモの小学校も冬休みに入った。
 暮れも差し迫った頃、うちも世間に習って、大掃除なるものに挑戦した。しかし、目標としていたイメージの半分ほど終わったところで、僕はモモを乗せて、車を運転していた。
「パパ、あんないい加減でいいの?」
 大掃除のことだ。
「いいよ。死ぬわけじゃないし。いい加減が、よい加減なんだって」
「まだ汚いとこあったよ。ガラスとか網戸とか」
「それは、春休みにやればいいんだって。春のほうがあたたかいから、窓開けたりしても寒くないし」
「ふーん」
「モモはいつ四年生になる?」
「次の四月」
「そう、春は新しい年が始まる季節でしょ」
 モモは僕の家事理論に納得したのか、もう質問してこなかった。
 僕は町で一番大きな本屋の駐車場に車を停めた。正月用の本を買いに来たのだ。この正月も寝正月と決め込んでのことだ。
 モモは「チョコレート工場の秘密」という児童文学の本を選んだ。
「パパ、早くしてよ」
「ちょっと、待って」
 僕はDVとジェンダーの本を一冊ずつ選んだ。
「なんでパパだけ二冊なの?」
「これは勉強だって」
「ずるい」
 納得いかないモモはもう一冊本を選んできた。マンガだった。僕は渋々レジで精算して、包装を断り、バッグに本を入れ、少しきれいになったうちに戻った。
 
 大掃除の残りを春休みに延期してからというもの、師も走る十二月、しかも年の暮れにも関わらず、僕とモモは意外にうちでのんびりとしていた。
 起きるのは毎日昼近く、ブランチを食べ、テレビを見て、それに飽きると本を読んだ。
 モモはオイルヒーターの近くに小さく丸くなって座り、・チョコレート工場の秘密」を読みふけっていた。僕はソファで、DVの本とジェンダーの本を交互に読んだ。僕は飽き性なので、並行読書が好きなのだ。
「パパ、何か飲みたい」
「じゃ、ココア飲もう」
「いいねえ」
 僕たちはジャンケンをした。僕が勝ったので、モモがココアを準備した。ただマグカップに牛乳と粉末ココアを入れ、レンジでチンするだけだが、これが冬はとてもおいしい。
 僕の読んでいる本は、その甘くて温かいココアとは対照的だった。DVとは、どこか遠いところのことだと思っていたのだが、DVの芽はまわりにいくらでもあることがわかった。まるで小さいうちに芽を摘んでおかないと大変なことになるバオバブの木のように。星の王子さまの小さな星に生えるバオバブの木は、放っておけば、太い根を深く張り、星をこわしてしまうほど大きくなってしまうのだ。
 DVの本には、暴力について、詳しく書いてあった。まず、暴力の目的について。それは、こわがらせ、自由を奪い、コントロールすること。
 たとえば、妻が外出しようと思っても、夫に怒られるのが恐くて、外出できないでいる。これが、すでにDVなのだ。たとえ、身体的暴力がなくても、恐がって、自由を失い、コントロールされているからだ。
 暴力の性質は、上から下へ、つまり強いものから弱いものへと向かい、下に行くほど増大していく。たとえば、高校の部活などで、三年生に叱られた二年生が、一年生をさらにひどくしごいたり、と。
 きっと対等なパートナーどうしなら、暴力など存在しないのだろう。
 ふと、学校を思い出した。教師が、生徒を恐がらせて、自由を奪い、コントロールしていないだろうか、と。これは学校では、めずらしいことではない。
 僕は、たしかに、モモの母親から、自由を奪い、彼女をコントロールしていた。僕が家事や子育てに参加しないことで、彼女にそれらすべてを押しつけ、彼女の自由を奪い、結果的に、彼女をコントロールし、独占すべく、うちに閉じこめていたのだ。
 冬の日は短く、いつしか暗くなってきた。ずいぶんとおとなしくなったモモは、ヒーターの前で、猫のように丸くなり眠っていた。僕は灯りをつけ、もう一杯ココアをつくり、続きを読むことにした。
 暴力の下降増大の法則は、軍隊でも見られたことだ。会社でうだつの上がらない男が、うちで妻にいばるというのも、この法則だ。上にペコペコ、下にビシビシ、少なくないオトコたちは、この法則を生きている。強きに弱く、弱きにはめっぽう強い。
 僕はふと子どものころ、本物のプロレスラーを近くで見たことを思い出した。とにかく、山のように大きいのだ。背が高く、腕や足が太く、胸板が厚かった。女性にとっての暴力夫は、僕にとってのプロレスラーのようなものだろう。
 僕は初めて、恐いと思った。とても腕力ではかなわない相手が怒ったときの恐怖は尋常ではないはずだ。
 雪乃さんの味わった恐怖は、僕の想像をはるかに超えたものだったはずだ。雪乃さんが、言葉を重視する理由が、少しわかったような気がした。暴力の対極にあるものが、まさに言葉だからだ。
 
 大(おお)晦(みそ)日(か)の夜、僕とモモは実家にいた。昼間、僕たちは多少店や実家の大掃除を手伝い、今は実家の面々と、紅白歌合戦を見ながら、天ぷら蕎(そ)麦(ば)を食べている。
 この日、京都の料亭のお節料理も宅急便で届いた。これは毎年、僕がボーナスで買うことになっている。
 年を越さない年越し蕎麦を食べ、フライングでお節をつつくことが、我が家の伝統行事だ。
 僕は蕎麦を食べ終わると、隣の座敷のテレビで格闘技を見始めた。お気に入りの歌手が出たときだけ、居間に行った。
 紅白歌合戦が終わり、行く年来る年が始まると、僕とモモは出かける準備を始めた。いちおう、十二時になり年が明けるのを待ち、実家の面々と新年の挨(あい)拶(さつ)を交わしてから、車に毛布や防寒具を積み、乗り込んだ。
 僕たちは初(はつ)日(ひ)を見に行くのだ。今年で二回目、二回続けば、我が家の伝統行事の一つになるだろう。僕もモモも早起きが苦手なので、軽キャンピングカーで、海辺へ行き、朝まで眠り、起きたらすぐに初日を拝むという計画だ。
「これ持ってきないよ」
 と、母が追いかけてきて、使い捨てカイロをモモに手渡した。
 僕たちが向かったのは、実家から一番近い海岸である。途中のコンビニで、飲み物やパンを買い込み、駐車場に車を停めた。耳を澄ませば、車の中まで波の音が聞こえてくる。
 僕は地球に申し訳ないと思いながら、エンジンをかけたままにして、暖房をつけっぱなしにした。そうしないと、寒さで眠れないだろう。
 僕の車の後ろの部分は、絨(じゆう)毯(たん)が敷いてあり、ちょっとした部屋になっている。
「なんか心細いね」
 と、モモが言った。まったく同感だ。
「じゃ、ラジオもつけっぱなしにしておこう」
 人の声がすれば、多少、気も紛れるだろう。
 寝袋にくるまり、その上に毛布を掛けて、僕たちは並んで横になった。体の下から、エンジンの振動と熱が伝わってくる。
「パパ、目覚ましかけた?」
「だいじょうぶだって」
「何時に太陽のぼるかわかってるの?」
「七時前くらいだよ」
 モモの心細さが、眠さに負けたようだ。お年玉の使い道について話しあっているうちに、モモは眠ってしまった。
 一方、僕はなかなか寝つけないでいた。
 僕は本を開いた。DVの本は読み終えたので、ジェンダーの本だ。オトコらしさが、いかに権力者によってつくられてきたかが書かれていた。咲いて散るより、散って咲け、桜のように潔く国のために黙って死んでいくオトコらしさは、戦争を遂行する為政者たちによってつくられたのだ。
 本を閉じて、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。ラジオでは、どこかの女優がすでに新年の抱負を語り始めていた。今年は、映画に挑戦し、役作りに力を入れたい、と。
 俳優が演じるということは、台本を読んで、表情を作り、体を動かすだけではないらしい。与えられた役になりきって、実生活を送るのだそうだ。どんな食べ物をどんなふうに食べるのか、どんなものが好きなのか、これを見たらどう思うのか、あれをしたらどう感じるのか、すべてが理解できて、自分の血となり骨となったとき初めて、いい演技ができるというのだ。
 まだ若そうなその声に、力を感じた。役作り、それは小説にもいえることだろう。
 ラジオの音量を下げ、気持ちよさそうに眠るモモの隣に横になると、目をつぶった。
 
 俺は今朝目覚めて、驚いた。いつも見る天井板の木目の模様が違ったからだ。すぐに、他の座敷だと気づいた。妻をめとったらここで一緒に寝起きするようにと前々からいわれていた座敷の天井だったのだ。
 簡単に八幡神社での婚礼儀式、このうちの大広間での三三九度をすませ、新婚生活初めて迎えるこの朝は、俺の出征の朝でもあった。隣におそらく眠っていたきほは、すでに台所にでも立っているのだろう。きほの布団は、足下に畳んで置かれている。枕元には、軍服が畳んで置いてあり、それを見るとぎゅっと身が引き締まった。その上に、赤い点々のついた手ぬぐいがあった。俺はうつぶせになり、布団の中から両腕を伸ばし、その手ぬぐいを手にとった。千人針の実物を見たのは初めてだ。広げてみると、・武運長久」の文字と虎の絵が、縫い目の赤い点線で描かれていた。
 後悔の念が心の奥底から、込み上げてきた。昨夜は飲み過ぎた。昨夜の宴席で、親戚に加え、町の青年団の団員までが、めでたいめでたいと酒を注ぎにきた。俺は団長ゆえ、団員からの酒は断るわけにもいかず、勧められるがままに素直に飲み続け、気づいたらこの朝を迎えてしまったのだ。どうして、きほとの時間を過ごさなかったのだろう。話したいことは、山ほどあったのだ。俺は千人針を握りしめ、涙をこぼしそうになった。こぼさなかったのは、きほが朝食の準備ができたと、呼びに来たからだ。
 俺は即座に布団の上で正座して・きほに頭を下げた。
「すまない。昨日はお前と話もしないうちに酔っぱらって寝てしまって」
「私、怒ってるわよ」
 きほはなぜか笑顔だった。
「本当にすまない」
 俺は酒を呪った。酒の失敗は過去何度かあったが、まさかこんな大事なときに失敗するとは思わなかった。
 きほが俺と向かいあって正座して、千人針を持った俺の手に触れた。
「これ作るの大変だったんだから」
 急いで、作ったのだ。知人にはみな頼み、針で縫ってもらったという。きほの手に力が入ると、きほの目が潤んだ。きほは涙をこぼす前に、さっと立ち上がって台所に戻っていった。
 きほは何も言わなかったが、俺にはそのことがありがたかった。生きて帰ってきてと言われても、立派にたたかって死んできてと言われても、俺はどうしていいかわからない気持ちになっただろう。
 やはり、結婚はすべきではなかった。
 子どものころからの教育と、日頃の鍛錬で、死ぬ準備はできていた。国のため、家族のため、そしてきほのためにたたかい、俺の命とひきかえに国や家族やきほが救われるのなら、笑って靖国の神になるつもりだった。その気持ちに嘘はない。人間は誰もがいずれ死ぬのだ。それならば、咲いて散るより、散って咲くだけだ。
 しかし、俺はきほを妻として迎えた。惚れた女とようやく夫婦になれたのだ。きほと一回でも多く会いたい、一日でも長く暮らしたいと思う気持ちが生じるのは、自然なことだろう。困るのは、生きたいと思ってしまうことだ。
 国のために死にたいというのも事実なら、きほのために生きたいというのも事実だった。まったく正反対のどちらも、心の事実で目には見えないが、決して消すことはできない。
 俺は、両親ときほを呼んで、正座して爪を切った。いつも気丈な母は何も言わず切った爪を紙に包んだ。父は、何か気が利いたことを言いたかったのだろう。そういう性格だ。しかし、何も浮かばなかったのか、ずっと黙っていた。俺が自分の感情を言葉にできなかったように、父も感情を言葉にできなかったのだろう。今は沈黙がありがたかった。
 
 玄関を出ると、驚くほど多くの日の丸が振られている。空が澄んでいて、いつも吹いている空っ風は止んでいた。一瞬、目がくらむほどのまぶしさを感じた。
 背後にきほがいることはしっかりと感じていた。隣組で用意したのか、のぼりまで立っている。
 万歳がところどころで起こった。歌も始まった。
  勝ってくるぞと勇ましく
  誓って故郷を出たからは
  手柄立てずに死なりょうか
  進軍ラッパ聞くたびに
  まぶたに浮かぶ旗の波
 振り向くと、きほも歌っていた。きほと軍歌が似合わなくて、目があうと、お互い微笑みがこぼれた。
 いくつもの種類の感情が同時に胸のうちに巻き起こった。感情が胸からはちきれそうになるのを、軍服と外(がい)套(とう)が押さえ込んでいた。俺は背筋を伸ばし、皆に敬礼をした。
 万歳合唱が起こり、また「勝ってくるぞと勇ましく」と歌い始めた。
 裏のうちの子どもも来ていた。近所のじいさんばあさんも、遠い親戚も近い親戚も集まっていた。みな、日の丸を振りながら、俺を駅まで見送りに来てくれた。
 俺は先頭を歩きながら、出征の見送りのしきたりはよくできたものだ、と思った。恐怖や不安や疑問など抱えていても、前へ前へと背中を押してくれるからだ。このしきたりは、出征兵士たちに躊(ちゆう)躇(ちよ)することをまったく許さない。そのおかげで、覚悟は決まるものの、一方では、残酷なような気がした。
 駅のホームに入ってきたのは、身内だけだった。これで少しは話ができるので助かった。
「絶対に会いにいくから」
 と、きほが言った。
「ああ、頼む」
 面会の機会くらいはあるだろう。幸い、俺は将校だ。内地にいるときは、兵舎の外に下宿することになるはずだ。
 きほの右手が、俺の左手の袖に触れていた。俺は両親や親戚の面々にまなざしを送りながらも、意識は左手のその部分だけに注がれていた。きほの好きな洋画なら、ここで抱きあっていることだろう。
「むこうに着いたらすぐ手紙を出すよ」
「ちゃんと行き方も書いてね。会いに行くんだから」
 汽車に乗ると、ホーム側の窓際に座り、まわりの乗客に頭を下げ、窓を開けさせてもらった。汽車が走り出し、俺は窓から身を乗り出して、帽子を振った。汽車はぐんぐんと俺をきほたちから引き離し、きほの姿がどんどん小さくなっていった。
 
 なにやらにぎやかな人声が聞こえてきて、僕は目が覚めた。もう外は明るくなっていた。
「モモ、起きろ、朝」
 モモは見慣れぬ場所で目覚め少し驚いたようだ。
「ああ、初日の出か」
 昨夜は一台も停まってなかった駐車場に車がたくさんあった。僕たちがマフラーと手袋をして外に出ると、ひとの流れが逆なことに気づいた。どうやら、帰っていくようだった。
「モモ、走れ」
「ちょっと待ってよ」
 浜まではすぐだ。防砂堤の階段を上りきると、一気に海が目の前に広がった。そして、すでに太陽は水平線を離れていた。
「パパ、もう太陽出てるよ」
「すまん、目覚ましかけわすれた」
「もう、楽しみにしてたのに。また一年待たなくちゃいけないよ」
「ま、ちょっと遅れたけど、あれは初日だからさ、拝んどけば」
「何を?」
「世界の平和」
「はいはい」
 僕たちはとりあえず太陽に向かって手を合わせた。
 すると、こちらに金髪の若者が歩いてきた。
「先生、今頃来たの?」
 僕が工業高校に勤めていた時の生徒だった。当時はなかなかの問題児で、今は自動車の部品を作っているはずだ。
「まあね」
「ちょっと遅くない?」
 彼と後ろにいた仲間が笑った。
「寝坊した」
 彼らがさらに笑った。彼も高校生の時はよく遅刻していたにもかかわらず。それにしても、この海岸に誰よりも早く来たにもかかわらず、寝坊したのは、たしかに情けない。
 僕はモモの肩に手をまわし、今年初めての太陽に向かっていった。
「今年のスタートは最悪だ。だけど、あとはよくなるだけ。スタートは悪いくらいがいいんだって」
 娘はしばらく間をおいて言った。
「はいはい」
 僕たちが肩を組んで、砂浜を帰っていくと、背後から彼らの声が聞こえてきた。
「すげえ、プラス思考」
「ある意味、かっこよくねえ」
 僕は振り向かなかった。時には、背中で教えることも大切なのだ。
「パパおなか空いた」
「帰ったら、おもちが待ってるよ」
 僕は早く祖母の雑煮を食べたくなった。きんぴらごぼうとなますと黒豆も、祖母がつくってくれてある。そんなにおいしいものは、世界にもそうないだろう。
「パパ、初日に何お願いした?」
「モモは?」
「ないしょ。パパは?」
「パパも内緒かな」
 実は、世界の平和に加え、雪乃さんのこともお願いしたのだ。(つづく)

連載 小説(15)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 モモが、ソファで毛布にくるまったまま、眠ってしまったころ、僕のケイタイが鳴った。モモの母親からだった。
「いつも娘がお世話になります」
 と、僕が少しおどけて言った。
「こちらこそ、いつも娘がお世話になっています」
 いつもの挨(あい)拶(さつ)を交わした後、彼女が言った。
「今週末、モモを借りていい?」
「どうぞ、どうぞ。いつでも、どうぞ」
 この前、モモが泊まりに行ったとき、彼女はモモの宿題の様子を見て、心配になったそうだ。
「私、算数のドリル買ってきたから、モモにやらせてみる」
 僕たちは、しばらく、モモの教育について話した。彼女は、僕以上に、そのことを真剣に考えていた。
「この前なんか、一桁(けた)の計算、指使ってたんだから。もう三年生なのに」
 驚きだった。それは問題だ。一年生の時、モモは二十くらいまでの暗算はできたはずだ。毎晩のように、僕がストップウォッチで計り、モモは、時には泣きながら、計算をしてきたのだ。
 彼女の分析によると、僕が芸術至上主義を掲げ、情操教育ばかりに熱を入れた結果らしい。
「そっか、調子に乗りすぎた……。ごめん」
「だいじょうぶ、まだモモは小さいから挽回可能」
 彼女の考えでは、芸術至上主義は間違っていない、と。ただバランスをとるべきだ、と。その通りだと思う。
 ここで、一回電話を切って、僕からかけ直した。
「いいのに」
「まだ、僕のほうが稼いでるからさ」
「そうね」
「慰謝料代わりに」
 彼女はふき出した。
「やっぱり、慰謝料もらっとくんだった」
 僕は彼女にいろいろと自慢したくなった。
「飲み会なんて、この頃、全部断ってるよ。もし行くなら、モモと一緒。二次会なんて、もう何年も出てないから」
「ああ、そうなの。どうせ飲めないんだから、ちょうどいいんじゃない」
 たしかに、その通りだ。僕は酒が苦手だ。
「仕事だって、サボりまくり、断りまくり、休みとりまくり、すっかり干されてるんだから」
「ああ、そうなんだ。でも、クビにならないでね。モモの教育費稼いでもらわなくちゃ」
 まったく、その通りだ。
「組合活動なんて、すごいよ。今は、月一回、組合の新聞にコラム書くだけなんだから。しかも、在宅勤務で」
「へー、変わったんだ。あんなに燃えてたのに」
「そうそう。だから、もうとにかく絶対出世の見込みはなし。どう?」
「それはすごい」
 ようやく、信じてもらえたようだ。
「料理だって、毎日作ってるんだから」
「インスタントラーメンしか作らなかったのに?」
「必要に迫られれば、覚えるんだって」
「信じられない」
「ま、うちは散らかってるけどさ」
「それは想像がつく」
 少し間があって、彼女はポツリと言った。
「もっと早くからそうなってればよかったのに……」
「そりゃ、無理だって。僕は痛いめにあわなきゃ、気づかないタイプだから」
「かもね」
 また間があって、彼女が言った。
「再婚は?」
「しないよ。もしかして、するの?」
「いつかはしたいなあ」
「え、結婚はもうこりごりとか言ってたくせに」
「そんなこと、私言った?」
「ま、いいけど。その時はお幸せに。じゃ、週末、モモを頼むよ」
「はい、お預かりします」
「おやすみ」
「おやすみ」
 長い電話だった。三十分以上話しただろう。離婚後、彼女とこんなに長く話したのは初めてだった。こんなに笑って話したのも、初めてだ。
 すっかり熟睡して重くなったモモをベッドまで運び、僕はまたソファに戻り、パソコンを膝にのせて、ブログを書き始めた。
 
 「あったかい気持ち」
 
 冷たい気持ちでもなく、熱い気持ちでもなく、
 あったかい気持ちなんです。
 離婚して、もうすぐ三年になります。
 一緒に暮らしていた頃は、
 いつもお互いイライラしていて、
 あんなに毎日ケンカしていたのに、
 今は、嫌なことはあまり覚えていないのです。
 離婚ホヤホヤの頃は、
 彼女のことを思い出すだけでも、ムカムカしたのに、
 この頃は、彼女には、あったかい気持ちしか残っていないのです。
 
 だからといって、よりを戻したいというわけではないんです。
 彼女が、誰を愛そうと、それもいいんです。
 ただ、彼女のことを思うと、あったかい気持ちになるんです。
 こんな気持ちもあるとは、知りませんでした。
 
 あの頃は、激しく恋すればするほど、お互いを傷つけあっていました。
 それはおそらく、お互い、相手を自分のモノにしようとしあっていたからでしょう。
 ひとは、誰も自分のモノにはできないし、誰のモノにもなれないのに。
 
 ジョン・レノンのLoveという歌の一節。
 Love is free・
 
 今はその意味が分かるような気がします。
 愛とは、束縛とは無縁なもの。
 そう、愛は、自由なんです。
 
 彼女には、彼女らしく生きて、幸せになってほしいんです。
 ま、余計なお世話でしょうけど。
 今、彼女と出会ってよかったな、と心から思います。
 彼女との出会いがなくては、娘との出会いもなかったわけですから。
 
 このあったかい気持ちは、もう熱くなったりも冷めたりもしないような気がします。
 そして、この気持ちを知ってからの恋は、ちょっと違ってくるような気がするんです。 
 僕はこの文章を書き終えてから、・ある愛の詩」の中のセリフを思い出した。
 Love means not ever having to say sorry・
 (愛とは決して後悔しないもの)
 きっと人生には無駄な出会いなどないのだろう。彼女と結婚したことは正解だったと思う。
 僕はふと立ち上がった。急にモモの寝顔を見たくなったのだ。
 
 その翌日の夜九時近く、彼女が残業を終えてから、モモの迎えに来た。
 モモがいなくなってからパソコンを立ち上げると、雪乃さんからメールが届いていた。
 
 「こんばんは」
 
 昨日のブログ、とっても共感しました。
 Love is free なんてステキな言葉。
 さすが、ジョン・レノンですね。
 ジョン様とお呼びしたほうがいいかしら(笑)
 
 でも、私は元夫と、ジローさんたちのような関係は築けそうにありません。
 絶対に。
 私は近寄ることも、声を聞くこともしたくないんです。
 ジローさんは、きっと理想の離婚相手なんでしょうね。
 そんなこと言われてもうれしくはないでしょうけど(笑)
 
「あったかい気持ちを知ってからの恋は違ってくる・、と書いていましたよね。
 ジローさんが、この先、どんな恋をするのか、興味津々です。
 
 それでは、また。
 
 僕は寝る前に、そのメールを何度も読んだ。
 僕が理想の離婚相手だということが、少し誇らしくなってきた。理想の離婚相手は、そう簡単になれるものではないだろう。僕はひとりで声を出して笑った。
 
 その週末、土曜の夜は、いつものように兄を施設まで迎えに行き、実家に行った。
「モモちゃんがいないと、さみしいねえ」
 と、祖母が何度も僕に言った。
「いつも一緒だから、何とも思わないよ」
 と、僕は何度も同じことを答えた。
 両親が店から帰ってきても、同じことを言った。僕はまた同じことを何度も言った。そして、いつもモモと一緒にいない彼女こそさみしいのだろう、と思った。今頃、モモがむこうの家を明るくしているにちがいない。
「ほい、あれ見るかね」
 と、祖母が言った。祖母との会話には、以前から「あれ」が多いのだが、この頃では僕はだいぶ分かるようになってきた。
 祖母が押入の奥から、衣装ケースを出してきた。中にはカーキ色の軍服が入っていた。厚手の布のコートだ。その存在を母から聞いて、見せてほしいと祖母に頼んでおいたのだ。
「何度洗っても、油の染みがとれなかっただよ」
 言われてみれば、色がくすんでいるような気がする。重油の染みだという。
 袖を通してみた。ぴったりとサイズがあった。
「あんた、やっぱり生まれかわりかもしれんねえ」
 そして、祖母はそのコートにまつわるエピソードを話してくれた。前にも何回か聞いたことがあったのだが、今回は僕がいろいろ質問したので、今までになく詳しく話してくれた。
「そんなの昔のことだで、細かいとこまで覚えてないやあ」
 と、祖母が何度か言った。しかし、細部こそ肝心なのだ。なかなか情景が浮かばなくて、もどかしくなった。
 祖母と枕を並べて、電気を消しても、僕と祖母は話し続けた。祖母が眠った頃、僕は目が冴えてきてしまった。そこで、座椅子に座り、暗闇の中パソコンを立ち上げた。不思議だった。一行書いたら、資料で読んだことと、祖母の話や祖父の手紙が、少しずつつながっていった。
 
 輸送船の船尾には、敵機を撃ち落とすための高射砲が二台とりつけられている。一台の高射砲は、砲手十二人で扱い、それぞれの高射砲を分隊長が監督する。二台の間には高くなった指揮所があり、そこに観測と監視を担当する兵士と、この小隊を指揮する小隊長が立つ。中尉である次雄は、その小隊長だ。
 陸軍ではあるが、船に乗るのが次雄たち船舶砲兵だ。海軍船と輸送船のもっとも大きな違いは、海軍の船は装甲されているのだが、輸送船の多くは民間の船を徴用して、塗りかえ、高射砲を取り付けただけのものが多く、装甲はされていないことだ。だから、敵にとって、海軍船に比べ、輸送船はより簡単に沈められる。
 それと、海軍船が全員海軍兵士によって運航されるのに対して、輸送船は商船会社の船員が船を動かし、船舶砲兵が船を守るということも大きな違いだ。
 次雄は、船員たちを気の毒に思うことが多々あった。帝国陸軍兵士は、戦争に行く覚悟はできている。そのための修練は積んできている。ところが、船員の多くは、覚悟をする間もなく、会社からの命令で軍属となり乗船している。なにも戦争に行くために、船乗りになったわけではないだろう。あまり見かけることはないが、船長はいつも毅然としている。大したものだ。飯を炊いたりする朝鮮人たちは、どんな気持ちなのだろう。洋上では、高射砲を撃つことも、船の舵(かじ)をとることも、炊事をすることも命がけだ。
 航海中、よく言われることは、・死ぬときは死ぬ」だ。次雄ももう何のために死ぬかは、あまり考えなくなっていた。人間、誰もがいつかは死ぬ。その早いか、遅いかは、運命である。とにかく、戦うことに必死だった。生き残らなければ、戦えないのだ。また、戦わなければ、生き残れないのだ。
 航行中、船舶砲兵小隊は、四つの組に分かれ、一時間交代で、指揮所の歩(ほ)哨(しよう)に立つ。極度の緊張と集中を要する歩哨を一時間勤めたら、三時間は休むことができる。ただし、危険地帯に入れば、一時間ごとに、二手に分かれて休む。そして、戦闘となれば、小隊員全員が配置につく。
 高射砲は、甲板から高くなったところに砲座が設置されているため、船舶砲兵たちは、その下に天幕をはり、むしろを敷いて、そこに休んでいる。
 次雄がまどろんでいると、怒号が聞こえてきて目が覚めた。分隊長の伍長が、砲手の一人を叱(しか)りつけていた。
「どうしたんだ?」
 上体を起こした次雄が、声をかけると、分隊長が説明をした。上等兵の中田が、手紙に女々しいことを書いていたというのだ。
「ちょうど、いい。俺が歩哨に上がるから、中田も連れて行く。あとは任せておけ」
 二人は、指揮台に登ると、沈みつつある夕日に輝く海面を見渡した。輸送船は、船団を組み航行するので、他の船数艘(そう)が視界に入ってきた。
「隊長殿、先ほどはありがとうございました」
 中田は、あのまま次雄が連れ出さなかったら、伍長にさらに責められていたことだろう。当然、殴られもしたはずだ。
「待て、まだ許したわけではないぞ。何があいつを怒らせたんだ?」
 中田は、故郷に残してきた恋人へ書いていたという。
「許(いい)嫁(なづけ)ではないのか?」
「そんな話をする前に召集されたんであります」
 九州で炭坑技術者だった中田は、その炭坑の事務所に働く彼女と親しくなったばかりだったという。
「そうだったのか。その気持ちはわからないでもないな」
「隊長殿は、奥様を残されての応召ですよね?」
「ま、俺のことはいい」
 とは言ったものの、次雄はきほのことを語っていた。次雄は、中田が書いている以上のことをきほに書き送っていた。将校の郵便の検閲は、下級兵士に比べ、さほど厳密ではないのだ。
 それがきっかけで、次雄は中田をよく側に置くようになった。ようやく、信頼してのろけられる部下を一人確保できたのだ。例の分隊長には、次雄がしっかりと中田を教育すると言いふくめておいた。
 
 昭和十八年の秋、黄(たそ)昏(がれ)時の海は凪(な)いでいた。宇品から太平洋岸沿いに航行していて、季節は秋といっても甲板は冷え込んでいるため、次雄たちは外(がい)套(とう)を着ていた。
「お前の故郷はここからは遠いな」
 と、次雄が中田に言った。笑顔だった。
「隊長の故郷は近いんでありますか?」
「先ほど船員に聞いたら、この海を北にいったあたりだそうだ」
 薄闇の中に家の灯(あか)りが点(とも)り始めていた。
「それでは、思いも募りますね」
「まあ、そんなところだ」
 次雄は監視を続けながら、この前、きほの手紙に書かれていたことを思い出していた。すでに出征しているきほの弟の謙作が、軍用列車で故郷を通ったときのことだ。ホームには、事前に連絡を受けていて、きほや両親、親族が集まっていた。列車が近づいてくると、用意しておいた日の丸の小旗を振りながら、目を凝らして、謙作を捜した。列車は、軍用ゆえ、停車することはない。すると、車窓から顔を出して手を振る兵士が何人か見えてきた。そのうちの一人が謙作だったのだ。その再会はわずか数秒だっただろう。
 そんなつかの間でも、きほに会えた謙作がうらやましく思えた。
 その時だった。船は魚雷攻撃を受けた。
 
 次雄は海水と重油が染みこんだ外套を着たまま、寝静まった町の夜の道をひたすら歩いていた。あれから何時間が経ったのだろう。夜明けは近づいているようだ。所持品はすべて失った。今や所持品といえるものは、この軍服の外套だけだ。
 冷たい秋の夜風に吹かれ、濡れている分いっそう寒さが身にしみたが、もうずいぶんと歩き続けているため、体が熱を持ち始め、その寒さに抗っていた。
 この方角でいいはずだ。見覚えのある通りに入ったようだ。次雄は歩き続けた。まだ、わずか数時間前のあの戦闘が頭から離れなかった。
 指揮所において、中田と黒い海面の監視活動をしていたときだ。突然、大爆音が聞こえ、船が大きく揺れた。次雄は指揮所から振り落とされそうになったが、腰のあたりをひどく打って、踏みとどまった。船の右舷に魚雷が当たったようだ。
 次雄たち船舶砲兵は、次の攻撃を警戒しつつ、潜水艦のいる推定方向に砲撃を開始しようとしたが、被雷した右側面から海水が滝のように流れ込んできたため、すぐに船が傾き始め、・総員退避」の号令がかかった。
 次雄は、腰の痛みを感じる間もなく、船が沈み始めたため、近づく海面に、救命胴衣をつけて、できるだけ高いところから、できるだけ遠いところを目指して、飛び込んだ。船が沈没するときの渦に巻き込まれたら、いとも簡単に溺死してしまうからだ。
 水中から様々なものが、浮上してきた。船の中から出てきたのだ。
 とにかく、船から少しでも遠ざかるように、泳ぎ続けた。極度の疲労のため、いったん泳ぐのをやめ、漂流物につかまり、振り返ると、炎上する船が、舳(へ)先(さき)を高く上げ、沈んでいくのが見えた。部下たちの安否はわからなかったが、隣にいた中田は生き残り、ともに漂っていた。まわりには、まったく動かない兵士も浮かんでいた。負傷しているか、死んでいるものだった。
 救命胴衣だけでは、体は水中にあり、冷えていくので、できるだけ大きな漂流物につかまり、上体を少しでも海面から上に出そうと試みた。その時、次雄はあまり何も感じなかった。腰の痛みも、恐怖も怒りも悲しみも、今は生き残るために、まずは感情は脇に置いておかねばならない。
 次雄は潮の流れにも助けられ、ようやく上陸すると、一緒に泳いできた中田に、それぞれ広島の連隊に戻り、再会することを誓って、別れた。
 砂浜を抜けると、道はあったが、あたりは真っ暗だ。遠くの家の灯りの見える方向を目指し歩き始めた。幸い、腰の痛みは、海水で冷やしたせいか、さほど感じなくなっていた。
 あの船員の言葉がたしかなら、二十キロ近く歩くことになるのだろうが、この先にうちがあるはずだ。たとえ船員がまちがっていても、どんな道も、距離が違うだけで、たしかにうちへ通じている。次雄は歩き続けた。
 
 今が何時なのかはわからない。月明かりをたよりに歩き続け、なつかしい風景がうっすらと見えてきた。やはり、あの船員は正しかったのだ。
 疲労と空腹感とともに、様々な感情が込み上げてきた。死の恐怖、仲間を失った悲しみ、生き残ったことへの安堵、米英への怒り、輸送船が沈んだことの無念。そして、すべてを押しのけて、一つの思いが込み上げてきた。
 きほに会いたい。
 空が紫がかって白んできた頃、ついに次雄はうちの玄関の前に立った。戸を何度も叩いて、声を上げた。ずいぶんと待たされて戸が開くと、次雄のいない家に次雄の妻として嫁いだばかりのきほが立っていた。
 
 気づいたら朝方だった。僕は少しでも眠ろうと思った。布団に横になって、目をつぶったが、その目が回るほどに様々な感情が渦巻いていった。
 やがて、その渦の真ん中から一つの思いが込み上げてきた。
 雪乃さんに会いたい。(つづく)

連載 小説(16)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 二月の朝は、まだ暗く、寒い。一分でも長くベッドの中にいたい。
 僕は夢を見ていた。もう起きなくてはならない。歩(ほ)哨(しよう)に立つ順番だ。どうして、こんなことになったのだろう。この前まで、日本は平和だったのに……。
 目が覚めた。今が平和な日本であることを確認して、もう少し眠った。温かい毛布に包まれ朝ギリギリの時間まで眠る。これほど、幸せなことはない。
 祖父の足跡を追っているうちに、そんな夢を何度も見るようになった。
 僕は戦争について知りたいと思っていた。・もはや戦後ではない、戦前である・、と誰かが言ったのを聞いたからだ。それから、どんなに戦跡を訪ねても、どんなに戦記や歴史の本を読んでも、どんなに写真やデータを見ても、ピンと来なかった。戦争があったことはわかる。戦争で死んだ人がいたことはわかる。しかし、それは、僕にとっては戦争を知ったことにはならなかった。あの戦争を、分析して高みの見物を決め込んでも、意味がないのだ。
 僕にとって、戦争を知るとは、祖父の目で戦争を見ることだと思った。それはつまり、祖父を書くことだった。祖父の思いに僕の思いを重ねて、僕が小説の中で祖父を生きることでもあった。
 そんな夢から覚めるたびに、自由を感じた。僕の人生を、僕が決めて、僕が思うように生きられることに感謝した。あと五分眠ることもできるのだ。
 目覚めると、バレンタインデーの朝だった。昨夜は、遅くまで、僕はモモとキッチンに立っていた。モモがバレンタインチョコを作るのを手伝わされていたからだ。作るといっても、市販のチョコレートをいくつか溶かして、混ぜて、型に流し込むだけなのだが。
 モモのほうがめずらしく僕より早く目覚め、僕を起こした。
「早く起きて、今日はバレンタインデーなんだから」
 と、モモは僕には関係のないことを言った。
 ミルクココアとトーストの朝食をとりながら、僕はモモに訊(き)いた。
「ところで、何人にあげるわけ?」
「だから、三人だって」
 モモは、女の子の名前を三人言った。
「なんで、女の子にあげるわけ?」
「パパ、友チョコ知らないの?」
 友情を深めるためのチョコレートというものがあるのだそうだ。
「クラスの男の子にあげなくていいわけ?」
「パパ、わかるでしょ」
 参観日皆勤賞の僕はモモのクラスメイトは全員知っている。男の子たちには、もっとがんばってほしいと思う。
「たしかに……」
「パパもらえるかなあ、チョコ。もらったら、ちょうだいね」
「ま、期待するな」
 そして、僕はモモにバレンタインチョコの由来を話した。製菓会社が、チョコを売るために、そんな日をでっちあげた、と。
「だから、チョコなんて、本当はあげなくてもいいんだって」
「はいはい」
 と、モモが答えた。
「だから、パパはバレンタインチョコには反対なんだって」
 ところが、残念なことに、チョコは僕の大好物でもあった。
「パパ、もらえなかったらさ、モモのあげるよ」
「ま、ありがとよ」
 学童では、バレンタインデーには、おやつはチョコと決まっている。モモは、それを毎年くれるのだ。
 僕はバレンタインチョコには、いい思い出はない。高校のときは、チョコを手渡しされ、お礼を言ったら、クラスメイトにあげてと頼まれたり、そんな僕に同情した母が、毎年、こっそり郵便受けにチョコを入れたりした。
 まったく、バレンタインデーは、僕には迷惑な一日なのだ。
 
 今年もバレンタインデーの一日が終わり、僕は学童にモモを迎えに行った。
「モモ、チョコもらえたと思う?」
「パパがもらえるわけないでしょ。はい、これ」
 と、モモが同情のまなざしで僕を見つめて、学童のおやつで出た百円くらいのチョコレートを僕に手渡した。
 学童のコーチは、その光景を見ていて、・モモちゃん、えらいねえ、お父さんにチョコレートあげて」と言った。
 駐車場まで歩きながら、僕はモモに言った。
「モモ、チョコありがとう。これで、やっと二十個になったよ」
 モモは、・うそ」と大きな声で言った。
「パパ、車に乗ったら、チョコ食べさせて」
「え? パパはチョコもらえるわけないんでしょ」
「ちがいます、ちがいます。パパがもらえないわけありません」
 モモは、頼みごとをするときだけ、言葉遣いが丁寧になる。
「じゃ、モテモテのパパ、チョコレートをくださいっていったら、あげる」
「はい、モテモテのパパ、チョコレートをください」
 と、モモは頭を何度も下げた。
「しかたがないなあ」
「モテモテのパパ、ありがとうございます」
 僕たちは車まで走り、さっそくチョコレートを食べた。ナッツが入ったものだ。他にも、チョコ味のクッキー、チョコのケーキ、板チョコ、マーブルチョコ、チョコならなんでもあった。
 今朝、一時間目の授業に行くと、まず教卓にチョコレートが五個置かれた。廊下でもいくつかもらい、昼休みも職員室でもらい、放課後は顧問をしている水泳部の女子部員が全員くれた。それで十九個、モモのを入れて、二十の大台に乗ったのだ。こんなにたくさんチョコレートをもらったのは、三十数年生きていて初めてのことだった。
 チョコをくれた女子生徒のほとんどは言った。・モモちゃんと食べてください・、と。
 だから実は、チョコをたくさんもらったのは、モモのおかげでもあったのだ。
 それでも、一人だけ、・先生はカッコイイから」と言った女子生徒がいた。もちろん、僕の外見がかっこいいわけではない。家事と育児ができて、仕事より家庭を優先する大人の男性が、カッコイイということだった。
 一方、モモは、友チョコを三人にあげたにもかかわらず、二人からしか回収できなかったようだ。
「ま、元気出せ」
 と、僕は助手席のモモの肩を叩いた。
「チョコもっと食べるか?」
「食べる、食べる」
「じゃ、言うことあるだろ」
「モテモテのパパ、チョコください」
「やっぱりもう、それ言わなくてもあげるよ」
 だいたいチョコのほとんどはモモのおかげでもらえたのだ。モモにも、チョコを食べる権利はある。
 結局、その日の晩ごはんはチョコになってしまった。うちにつくまでに、僕たちはチョコを食べ過ぎて、食欲がなくなってしまったのだ。
 それでもまだチョコはたくさん残っていた。
 
 この頃、夜、僕はよく途方に暮れるようになった。
 モモが眠った後、リビングルームで、僕は段ボール箱の前の床に座る。箱の中には、元船舶砲兵で画家でもある先生のうちから借りてきたたくさんの資料が入っている。他にも、祖父の手紙が入ったクッキーの缶、僕が集めてきた本や、東京の防衛庁防衛研究所資料室で見つけた祖父直筆の陣中日誌のコピーもある。
 祖父について調べようとするのだが、どこから手をつけていいのかわからない。たった一つの段ボール箱が、大きな海のように思えてきた。
 まずはクッキーの缶を開け、床に封筒や葉書を広げ、一枚ずつ手にとり、眺めていた。そして、この葉書を見つけた。
 
前略
先日は突然帰省し御前の元気な姿を見て安心致しました 色々無理な事を言って寿(す)まなかったね 自分は無事帰隊致しましたから御放念下さい
汽車は呉経由の為大変遅くなり廣島に着いたのは二十四時過ぎ 電車はなくなり宇品まで歩いたよ 荷物は首に巻き一寸百姓の様な姿 街に何か有ったのかポリ公に二度尋ねられ一寸間が悪かったよ 廠(しよう)舎(しや)に着いたのが一時四十分さ 一汽車前に出れば何の事もなかったのにね 一時間程別れるのが惜しかった為に そうしたのだから仕方がない
今回は紙入れを海でなくしました 紙入れには未練はないのですが 然し其の中に御前の写真が入って居たのは大失策 寿まないが紙入れはどうでも良いから写真は送って呉れ それから両親をよろしく頼みます 困ったら何でも相談してあげてください きっと喜ぶはずですから
草々
夫より
 最愛の妻へ
 
 これは祖父の乗っていた船が魚雷を受け沈没し、命からがら岸まで泳ぎ着き、海水と重油でずぶ濡れの外(がい)套(とう)を着たまま夜通し歩いて帰ってきたときの顛(てん)末(まつ)の記述だ。
 そういえば、この場面を書いたときから、祖父の一部が僕の中に存在しているように思えてきた。変な夢を見るようになったのも、そのときからだ。
 ケイタイにもカメラがついている今と違って、当時、写真は、写真館に行って撮る貴重なものだったのだろう。別れを惜しんで帰りの汽車を一時間遅らせた祖父は、戦地でもいつも妻の写真を持ち歩いていたにちがいない。
 それほど思っていた女性から、あの戦争は、祖父を引き離したのだ。一瞬にして涙が溢(あふ)れ出てきた。
 僕はスープをつくることにして、キッチンに立ち、水の入った鍋を火にかけ、ジャガイモとニンジンと大根を細く切り、タマネギも薄く切り、次々と放り込んだ。切れ目を入れたソーセージも入れた。あとは時々アクを取り、固形スープと塩こしょうで味をつけるだけだ。これは、明日の朝食のスープになる。モモの好物のソーセージが入った野菜スープだ。
 スープを煮込んでいる間、鍋の様子を見ながら、ダイニングテーブルで、パソコンを立ち上げ、ブログにバレンタインデーのことを書いた。
 
 バレンタインデーの由来を最近知りました。
 
 西暦三世紀ローマでのこと。
 当時は戦争中で、皇帝は悩んでいました。
 若者たちが、愛する人を残して、戦争に行きたがらなかったからです。
 そこで、皇帝は、結婚禁止令を出しました。
 しかし、愛しあう男女の絆は、そう簡単に断ち切れるものではありません。
 若者たちに同情したキリスト教司祭の聖バレンタインは、
 恋人たちをこっそり結婚させてあげました。
 ところが、それは、皇帝の知るところとなり、
 聖バレンタインは、二月十四日、処刑されてしまったのです。
 
 そう、バレンタインデーは、愛と戦争と平和を考える聖なる日。
 男が女にチョコレートをもらって、うかれる日じゃないんです。
 
 しかし、それでも、本命チョコ、来年こそ欲しいと思ってしまうのでした。
 
 ブログを書き終わると、メールボックスを開いた。また、最近、間隔が長くなってきた雪乃さんのメールは今夜も来ていなかった。
 頬杖をつきながら、今日もらったチョコレート・ボンボンの箱を開けた。これはブランデー入りなので、モモは食べられない。だから、僕がすべて食べることにした。
 チョコレートには、中毒性があるのだろう。チョコの包みを開ける手がとまらなくなった。僕は湯を沸かして、紅茶をいれた。棚の奥にずっとしまってあったブランデーを出してきて、紅茶にたらした。ブランデーも中毒性があるようだ。
 少し頬が火(ほ)照(て)ってきた。僕は酒が苦手で、ほとんど飲むことがない。だから、少量のアルコールでも、僕には充分効くのだ。
 気づけば、キーボードを叩き始めていた。書きながら、なんだか気分が解放されていくような気がした。そのうち、僕自身が体を離れ浮遊して、祖父の魂と共鳴しあうような不思議な感覚に陥った。
 
 昭和十八年の十月、瀬戸内海に浮かぶ因(いんの)島(しま)に秋風の吹き始めたころ、きほは丘の上の将校用の長屋のような借家で、長い一日を終えようとしていた。洗濯物が乾き、物干し竿から衣類をはずして、海を見下ろした。ドックに数艘、船が浮かんでいるのが見えた。そのうちの一艘が近々次雄が乗り込むものだろうと思った。子どもの声がする隣の借家からは、魚を焼く匂いが漂ってきた。隣にも、将校が家を借りて、暮らしていた。
 それにしても、どのようにすれば魚が手に入れられるのか、きほは不思議に思った。実家は、魚屋だったため、魚が手に入らなくて困るなどということがあるとは、想像することもできなかった。きほは、今夜もれんこんを煮なくてはならないことを思い、うらやましくなった。
 
 次雄は、将校の執務室で、陣中日誌を書き終えようとしていた。
 左手は、首から吊ってある。内地に帰る前の航海中、次雄たちの船は、南洋で空襲を受け、また沈没した。次雄は二回目の沈没も生きのびた。左手の負傷は、そのときのものだ。骨折していた。一晩海を漂流したのち、巡洋艦に救出され、ようやく内地に帰ってきた。今、次雄たちは、因島で、次に乗船する輸送船の修理を待っている。乗船命令が出るまでの束の間の兵士の休息だった。
 次雄は二回目の沈没の際、初めて小隊の部下を失った。部下が目の前で息絶えていくのを見とったのだ。今も自分が生きていることを、現実に思えないときもある。生きていることが、申し訳ないと思うことさえあった。
 しかし、陣中日誌の記入が終わり、表紙を閉じる頃になると、生きている喜びが込み上げてくる。次雄は、軍服の襟を正し、背筋をのばし、兵舎をあとにする。けっして、うかれた表情は見せられなかった。
 将校になると、兵舎内で過ごす部下たちと違い、外の下宿で生活することが許される。将校ならば、家族を呼び寄せて暮らすこともできるのだ。だから、ここにいる間、次雄は、毎日、きほのもとに帰る。次雄たちが担当する高射砲の取り付けられた輸送船の修理がドックで済むまでは、このような日が続くのだ。次雄は、幹部候補生の試験を合格し、一年訓練を受けて、将校になって本当によかったと思った。
 兵舎の門の守衛に、敬礼をして、次雄は足を速めた。
 丘を上り、長屋に近づくと、魚を焼く匂いがしてきた。また、隣の岡田中尉のところだろう。次雄は、今夜も夕食のおかずはれんこんであることは知っていた。たしかに魚は食べたいが、毎晩れんこんを食べているうちに、れんこんもなぜか好物になっていた。
 
 毎晩、狭い借家では、話はつきることがなかった。
 次雄もきほも、ラジオもつけず、何度も笑いながら、話し続けた。布団に入ってからも、どちらかが眼が開けていられなくなるまで、話は止まらなかった。
 故郷の次雄の家に、きほが嫁いできたものの、夫婦としては一日も暮らしてはいない。ここでの暮らしが、初めての夫婦らしいものだった。
 しかし、無情にも、次雄に乗船命令が下った。
 
 執務室のドアが開くと、中田が立っていた。
「隊長殿、今回の航海は、その腕が完治していないため、見合わせていただきたく思っているのですが」
 次雄は、笑って、中田の肩を叩いた。そして、腕を首から吊っていた三角巾をとった。
「お前たちだけで、行かせられるものか」
 と、添え木をして包帯で巻いてある左手を上下左右に振って見せた。
 中田は頭を下げ、もう一度同じことを言った。次雄は笑顔でとりあわなかった。
 次雄が骨折しているのは、たしかだ。治りつつあるとはいえ、完全ではないことも事実である。
「高射砲を実際に撃つのはお前たちだ。俺の仕事は指揮、これくらいの怪(け)我(が)なら、問題はない」
 その日は、因島で過ごす最後の夜である。次雄は、一秒でも早く帰りたかったので、それ以上中田を相手にしなかった。
 たしかに、中隊長に申し出れば、今回の乗船は見合わせることはできるだろう。
 もし、きほが中田と同じことを言ったのなら、気持ちも揺れたのかしれない。しかし、中田のすすめで気持ちを変えることは、多少なりとも部下を預かる将校として、自分に許すことはできないことだった。
 
 丘の上の長屋の一室で、今(こ)宵(よい)は最後の夜と、次雄は飲み過ぎない程度に、れんこんの煮物を肴(さかな)にして酒を飲んだ。
「今日、部下が俺を心配して言ってきたんだ。今度は危ないなどと言って」
 次雄は、次の航海を見合わせるように勧められたことを言った。
 きほは、その部下と同じ気持ちだった。戦争の勝ち負けより、この生活が続くかどうかのほうが、よっぽど大きな問題だった。
 次雄は目の前に、左腕を横にしてかかげ、手のひらを握ったり開いたりした。
「もう大丈夫だよ。添え木ももうすぐとれる。二回沈んでも大丈夫だったんだ。俺は死なないような気がするよ。憎まれっ子世にはばかる、さ」
 きほは、次雄にあわせて笑顔をつくったが、何も言うことはできなかった。腕の負傷を理由に内地に残ると言い出すほうが、次雄には勇気のいることなのだろう。それでもきほは、一言でも次雄が弱音を吐いたのなら、足にすがりついて行かないよう懇願するつもりだった。
 一方、次雄は強がってはみたものの、きほは引きとめるものと思っていた。傷病兵としての申告は恥ずかしいことではあったが、きほが言うならば、申告をしたかもしれなかった。
 この夜の二人は、お互い、相手の口から望む言葉がこぼれることをずっと待っていた。しかし、最後まで、お互いの望む言葉のたった一語さえ、相手から聞かれることはなかった。
 
 翌朝、次雄は、もんぺ姿ではなく、着物を着たきほを見送った。船着き場から、ポンポン船と呼ばれる小さな船で、駅のある尾道に帰っていった。次雄は、怪我した左手も振って、小さくなっていく船をずっと見ていた。
 きほが身(み)篭(ご)もったのは、この島でのことだった。そして、これが二人が会った最後だった。
 
 僕は、夏、モモと降り立った因島のことを思い出していた。船を下り、しばらく歩き、ようやく見つけて入ったお好み焼き屋の近くに、兵舎の門柱だけが残っていた。その門を通って、祖父は祖母のもとに帰ったのだろう。二人の夫婦生活は、わずか一週間。その七日間は、あの暗雲立ちこめる時代で宝石のように美しく輝いた日々だったはずだ。
 やがて死にゆく祖父は、因島で命をつないだ。その後、僕の母が誕生した。そして、僕も生まれた。
 母は、因島でのことをよく僕に話した。行かずにすんだ戦争に行って死んだ父親を、愚かだと思うときもあれば、立派だったと思うときもある、と。国を愛する男らしさが、妻を愛する祖父の自分らしさを殺し、ついには命さえ奪ってしまったのだ。
 僕は自分の新婚の頃にもあった、一人の人間の誕生の背後にある恋物語を思い出していた。
 パソコンの電源を落とす前に、もう一度、メールボックスを開けてみた。
 すると、雪乃さんからの久しぶりのメールが来ていた。
 
 ごぶさたして、すみません。
 いつもジローさんはすぐにメールを返信してくれるのに、申し訳ないと思っています。
 ジローさんのメールが一通来るたびに、心がジローさんに近づくことを感じます。
 それでも、慎重すぎるくらいに慎重になってしまうんです。
 きっと、まだ男の人が恐いんだと思います。
 あれだけやさしかった元夫が豹変したことが、トラウマになったのでしょう。
 
 メールの間隔が空く理由がわかり、少しはホッとしたが、埋まりそうで埋まらない男女の深い溝を感じた。それが埋まらないのなら、どう橋を架けたらいいのだろうか。ひさしぶりに、さみしいという感情が湧いてくるのを感じた。
 
 ジローさんとのメールは、私にとってはリハビリのようなものなんです。
 こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
 
 実は……、昨夜はうちも娘と二人でチョコレート作り。
 娘は、今日、クラスの男の子にあげたようです。
 私もつくったんですよ。
 ジローさん、迷惑でなければ、もらってくれますか?
 もしよかったら、住所を教えてください。
 
 それでは、また。
 
 バレンタインデーの二日後、夕方、モモとうちに帰ると、郵便受けに小包が入っていた。見知らぬ名字の下に、雪乃と書いてあった。
「パパ、何それ?」
 うちに入る前に、ドアの前で、包みを開けると、きれいな包装紙に包まれたチョコレートが入っていた。
「これで二十一個目だ」
 また、モモが頭を下げた。
「モテモテのパパ、チョコレートをください」
「ごはん前だからダメ」
 これをモモにあげるのは、惜しかった。
 雪乃さんの直筆を初めて見て、雪乃さんがこの世界に実際に存在することを今さらながら実感して、ホッとした。
 そして、小包の差出人の住所欄を見て、心臓の鼓動が速くなった。雪乃さんの住所は、うちから車で一時間もかからないところだったのだ。
 キッチンに立ち、包丁を握っても、胸は高鳴ったままだった。
 すると、モモが僕を呼んだ。振り向くと、手にはチョコと一緒に包みに入っていた雪乃さんからのカードがあった。
「パパ、ここに『モモちゃんと食べてください』って書いてあるよ。ごはん食べたら、チョコもらうからね」
 勝手に見るなとモモに怒りながら、雪乃さんからチョコをもらえたのも、モモのおかげかもしれないと思っていた。(つづく)

連載 小説(17)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 日曜日の昼下がり、ドアのチャイムが鳴り、モモの同級生が、二人やってきた。モモが出迎えて、その子たちがキッチンにやってきた。
「いらっしゃい」
「おねがいします」
 と、二人は頭を下げて、早速エプロンをして、頭に三角巾を巻いた。
 今日は、うちでクッキー教室を開くことになっていたのだ。モモが僕のつくるクッキーがおいしいと学校で同級生に話し、その二人がぜひクッキー作りを習いたいとモモを通して頼んできたのだ。
 僕はバレンタインデー以降、クッキーの試作を繰り返していた。それは、もちろん、雪乃さんにもらったチョコのお返しを作るためだ。
 三月に入り、僕はついにクッキー作りの黄金比を発見した。それは、一:二:三だ。うちのオーブンなら、粉砂糖三十グラム、無塩バター六十グラム、小麦粉九十グラムで、一度に二十枚ほど焼くことができる。これに、塩をほんの少し、卵黄一個も加える。
 僕が試作を繰り返せば、モモも試食を繰り返し、ついにその黄金比のおかげで、モモが満足するクッキーを作ることができるようになった。モモは、味にはうるさく、僕よりも舌は過敏なようだ。モモがおいしいといえば、たいてい誰もがほめてくれる。
 料理はつくづく誰かのためにするものだと思う。その誰かへの思いが大きければ大きいほど、その味もおいしくなるのだ。
 僕が作るクッキーがおいしいのも当然といえば当然だ。雪乃さんのために作っているのだ。気合いが違う。
 
「じゃ、小麦粉、九十グラム入れて」
 モモの同級生のしっかりものの子のほうが、はかりを前にして戸惑っていた。はかりの針がボールの重さを示していたからだ。
「足し算すればいいんだって」
 僕ははかりのネジをまわして、針をきりのいい百グラムに合わせた。
「百足す九十は?」
 子どもたちは納得して、何度も頷(うなず)いた。モモがボールに小麦粉を入れたのだが、まわりにこぼしただけでなく、小麦粉を入れすぎて、目盛りをオーバーしてしまった。
「だからいつも言ってるだろ。料理は、慎重にやれって」
「はいはい」
 と、モモが言った。
 もう一人の同級生が、スプーンで小麦粉を袋に戻した。こちらの子は、モモと同じでいたずらっ子のようだ。
「これ、甘くない」
 と、その子が指についた小麦粉を舐(な)めて言った。
「ほんと、まずい」
 と、モモも小麦粉を舐めた。しっかりものの子は、そんなことはしなかった。
 三人は、粉砂糖やバターもそうとう苦労をして、必要な分量を量った。
 ここまで済ませて、しっかりものの子が言った。
「みんな、手を洗ったのかなあ」
 その子以外の僕たち三人は、あわてて手を洗った。
「いつもは洗うんだけどなあ」
 と、僕が言うと、モモが続けた。
「そうそう、今日だけ、忘れちゃったんだよ」
 クッキー教室は、僕が忍耐を学ぶ場でもあった。自分でやったほうが数倍早くできることも、手を出さず眺めているのはなかなか大変なことだ。少しでも手を出すと、子どもたちは怒り、自分ですると言い張った。
 僕の仕事は、濡(ぬ)れた布巾でこぼれた粉を拭きとることと、モモといたずらっ子の同級生が砂糖やクッキーのタネを舐めないように見張ることだけだった。
 
 タネを棒状にしてラップで包み冷蔵庫で冷やす間、モモたちはトランプで遊んでいた。
 本当はモモはテレビゲームが欲しいのだ。しかし、僕はモモがどんなにねだっても、これまで買い与えてはこなかった。
 モモがいつも言う。
「クラスで、ゲーム持ってないのモモだけなんだから」
「ああ、そう」
「一人だけなんだよ。持ってないの」
 演技派のモモは目を潤ませる。
「それは気の毒にねえ。パパの子だったばっかりにねえ」
「もういい」
 何度も繰り返されてきた会話だ。
「パパも入ってよ。三人じゃつまらないから」
 しかたなく、僕もトランプに参加した。モモたちは、七並べをやっていた。モモは七並べがどういうわけか大好きで、トランプといえば七並べをやりたがる。
 僕は七並べのどこがおもしろいのかさっぱりわからなかったのだが、モモたちは真剣で、本当に楽しそうだった。
 いつしか、僕も熱くなってきた。七並べには戦略が必要で、思ったより奥が深かった。
 一時間近く七並べをして、冷蔵庫を覗(のぞ)いた。すると、クッキーのタネが固くなっていた。
 オーブンを百八十度になるまで予熱する間、モモたちが順番に包丁でクッキーを切った。見守るということは、本当に大変な作業だ。子どもたちの手つきは危なっかしく、厚さも均等ではない。つい、手と口を出したくなるが、モモに厳しく叱られるので、グッと辛抱していた。
 それでもつい声だけは出てしまう。すると、モモが振り返り、僕をにらみ、唇の前に人差し指を立てる。
 手を切ったら切ったで、それも勉強だ。僕は開き直ることにした。
 ようやく、たくあんのように切り終わったクッキーのタネを天板に並べた。焼く時間は十六分。モモたちは顔をくっつけて、ターンテーブルの上で回るクッキーを見つめていた。
 十分を過ぎた頃から、甘く香ばしい匂いが部屋に充満してきた。
 モモたちは待ちきれないのか、オーブンのタイマーからずっと目を離さない。
 ようやく、焼き上がると、まだ軟らかいクッキーを網の上に載せた。あとは、冷やすだけだ。モモがうちのどこからか、うちわを持ってきて仰いだ。疲れるので、子どもたち三人で交代に仰いだ。
「パパ、まだ食べちゃだめ?」
「だめ」
 僕はずっとクッキーを見張っていた。気を許したらいつ勝手に味見をされるかわからない。モモたちの味見は、いったん始まったら、クッキー一つでは決して終わらないだろう。
 ようやくクッキーが冷え、固くなったようなので、僕は一人一個の味見を許した。
 僕も一つ食べてみたが、本当においしかった。固くもなく、軟らかくもなく、ちょうどよい歯ごたえ、くどくない上品な甘さ、完(かん)璧(ぺき)だ。
 僕は湯を沸かした。残りのクッキーは、紅茶を飲みながら、みんなで味わうことにしたのだ。
「午後の紅茶だ」
 と、モモの友だちのいたずらっ子のほうが言った。
「ティータイムっていうんだよ」
 と、モモが生意気なことを言った。
 僕はストレートティー、子どもたちはミルクと砂糖をたっぷり入れたミルクティーを飲んだ。無為な時間を、おいしいものを味わいながら過ごすほど、贅(ぜい)沢(たく)なことはない。口の中でクッキーの甘さを紅茶の苦みで、中和させながら、そう思った。
 さて、モモの友達が帰る時間となった。残ったクッキーを分けることになり、僕が提案した。
「じゃ、うちの人の数だけ、持って来な」
 彼女たちは、田舎の三世代家族なので、祖父母のぶんと兄弟のぶんもとっていった。
 いつしか、背後にいたモモが僕の袖を引っ張り、耳打ちをした。
「パパ、そうすると、モモは二つしかもらえないよ」
 たしかに、そうだ。忘れていた。しかし、すでにモモの友達は家族分、六個、七個ととっていた。
 僕はモモの肩に手をかけて、囁(ささや)いた。
「心配するな。ホワイトデーで百枚くらい焼くから、味見しまくれるぜ」
 僕とモモは右手の親指どうし擦(こす)りあわせた。
 
 ホワイトデーまで、あと一週間ほど残した頃(ころ)、モモは突然熱を出した。僕の勤務する学校に、昼休み、モモの小学校から電話がかかってきた。
 保健室の先生からで、モモがベッドで寝ている、と。熱は三七度ちょっとというので、少し安心して、すぐに迎えに行くと先生に言いつつ、一つだけあった午後の授業をこなして、介護休暇をとって小学校に行った。インフルエンザのシーズンは終わったので、さほど心配ないと踏んでいた。
 迎えに行くと、モモは自分で駐車場まで歩いて、車に乗った。
「大丈夫か?」
「大丈夫。でも、ちょっと寒くてだるい」
 顔が少し赤い。僕が授業をしている間に、熱が上がったのだろう。額を触ると、すでに七度以上の熱さだった。
「欲しいものあるか?」
「アイス、プリン、ヨーグルト」
 モモが熱を出すと、何も食べなくなるので、食べたいというものを食べさせることにして、コンビニで要求のものをすべて買ってうちに帰った。
 翌日は金曜日で、大事をとって、モモを休ませることにした。モモの熱はだいぶ下がったようだ。一日、うちでおとなしくしていれば、完治するだろう。
 その日の僕の時間割は飛び飛びに授業があったので、うちと学校を何度も往復することにした。
 朝、ベッドで眠るモモを起こして言った。
「じゃ、一回学校行ってくるから。なんかあったらケイタイに」
 僕は電話の子機を枕元に置いた。
「暇になったら、映画でも見てな」
 ベッドの横にイスを置き、ノートパソコンとDVDをその上に載せておいた。
「土産は何欲しい?」
「アイス、プリン、ヨーグルト」
「オーケー。これ、朝ごはん」
 僕は冷蔵庫から出してきたゼリー状の健康食品を枕の横に置いた。寝たままでも、口をつけて吸えば食べられるすぐれものだ。パッケージを見るかぎり、ビタミン豊富で栄養はあるらしい。
「パパ、ありがと。いってらっしゃい」
 眠いのか、弱っているのか、モモにはめずらしいか細い声だった。
 その日は、結局、三回出勤して、三回帰宅した。午前中に一回戻ると、モモは気持ちよさそうに眠っていた。買ってきたアイスを冷蔵庫に入れ、また職場に戻った。昼休みは、食材を買って帰った。うちは、風邪のときは、カレーうどんと決まっている。中華鍋で、豚肉、タマネギ、ジャガイモを炒(いた)め、そばつゆとカレールーを入れて、少し煮込む。うどんを茹(ゆ)で、その湯でほうれん草にさっと火を通す。カレーのつゆとうどんと合わせ、ほうれん草を添えればできあがりだ。
 うちに入ると、モモは起き出して、ソファーで横になって、テレビを見ていた。カレーうどんをさっと作り、いっしょに食べて、また職場に戻った。
 最後の授業が終わると、その日は早く帰ってきた。
「モモ、暇だった?」
「べつに」
 たくさん寝て、たくさんテレビ見て、映画鑑賞もして、なかなか充実していたようだ。
「パパ、明日も休みたい」
「どうぞ」
「いいの?」
「どうぞ、明後日も」
「やったー」
 モモは熱で曜日の感覚を失っていたようだ。それにしても、僕も土日はゆっくりしようと思った。
 
 原因は、プリンだった。僕は確信している。
 どうしても、我慢ができなかったのだ。モモがあまりにもおいしそうにプリンを食べていたので、その食べかけを食べたのだ。・パパ、うつるよ・、とモモが言ったが、僕は無視した。
 その金曜の夜、体がだるいような気がしてきた。
 土曜に目覚めてみると、今度は頭が痛くなっていて、背中や関節も少し痛んだ。それでも、風邪で寝込んだことも、仕事を休んだこともない僕は、そのうち治るだろうと、多少無理して、朝食や昼食を作ったり、アイロンがけや、簡単な掃除を済ませた。
 しかし、午後になると、寒気がしてきて、立つのも億(おつ)劫(くう)になってきた。モモの風邪が完全にうつったようだ。風邪は、ここ数年ひいたことがなかったので、忘れていたつらさだった。ソファーで、毛布にくるまっていた。
 夕方になると、症状は悪化、僕はベッドに横になると、そのまま、とうとう起きあがれなくなった。
 モモが何度も、寝室と居間を行ったり来たりして、飲み物を運んだり、額の冷やしタオルを変えてくれたりした。
「パパ、大丈夫?」
「たぶん、寝てれば治る」
 とても車を運転して病院や薬屋まで行く気力はなかった。
「置き薬の中から風邪薬探してきてくれ」
 モモはいつになく機敏に動いた。僕に薬を飲ませたモモに僕は言った。
「テレビ見てていいよ。なんかあったら呼ぶから」
 土曜の夜は、モモの好きな番組が立て続けにあるのだ。
「じゃ、いつでも呼んでね。ナイチンゲールになるから」
 モモの夕食は、ごはんに昨日のカレーうどんのつゆをかけて食べてもらった。和風カレー丼だ。家事分担を目指し多少家事をモモに仕込んでおいて正解だった。
 僕はベッドの中で、体調によって、気力がここまで左右されるということを初めて知った。気力だけでなく、食欲もさっぱりなくなっていった。
 風邪などめったにひかないせいか、あまりのつらさに、もしかしたら死ぬんじゃないかとさえ思ってしまった。
 モモはCMの度に寝室に覗きに来たようだ。僕はそれに気づくこともあれば、気づかないこともあった。
 なぜか、僕は大げさに死ぬときのことを考えていた。ひとは死の床に伏せって、何を思うのだろう、と。ただの風邪でこれだけ気力を失うのなら、死の病にあっては、あらゆる欲がなくなるだろう。そのとき、救いとなるものはあるのだろうか。
 もしあるとしたら、今の僕に思いつくことは、命がつながっているという実感だ。
 モモが、僕の額の濡れタオルを換えに来た。そんなモモを、暗闇から眺めながら、そう思った。僕の命はたしかにモモへとつながっている。
 
 次雄はまた中田と監視所に立っていた。深夜の歩(ほ)哨(しよう)である。船は静かに南洋を進んでいた。夜間は、敵機の空爆はめったにない。いくら性能のよいアメリカ機でも、パイロットは空から海面の輸送船が見えないからだ。
「隊長、自分は無念であります」
「もう言うな」
 次雄は月を映す静かな海面を眺めていた。近々、九州で炭坑技術者だった中田は召集解除となり、帰国することになりそうなのだ。本国では、石油でも木炭でも石炭でも、燃料となるものはすべて総動員されるのだろう。
「しかし、隊長……」
「戦争の道具は、銃弾だけじゃない。石炭だって、立派な武器だ。お前もむこうで戦うことになるんだよ」
 中田は言葉をつまらせ、また言葉にならない何かを言いかけたが、次雄が制した。
「もう言うな」
 唇を噛(か)みしめて海面の監視を続ける中田の傍らで、次雄は南洋でしか見られない星座、南十字星を見上げていた。小さくとも明るく色鮮やかな星座。毎晩、それを見つけるのが日課のようになっている。きほとは、同じ空の下にいるといつも思うのだが、南十字星はきほとの距離も感じさせた。いつかこの戦争のことを懐かしく話しながら、ともに南十字星を見上げることがあるのだろうか。
「中田、実はな……」
 中田がようやく顔を上げた。次雄は、きほが身(み)篭(ご)もったことを部下に初めて話した。
「そ、それはおめでとうございます」
 中田が次雄に深々と頭を下げた。
「だから、お前は帰らなきゃいけないんだよ」
「え、どういうことでありますか?」
「お前の命はまだつながっていない」
「それは、そうでありますが」
「故郷であのこが、待ってるんだろ」
 中田は無言で頷いた。
「俺はこれで死ねる」
 二人は黙った。船が波を切る音だけが聞こえた。
「もう、名前は決めたんだよ。この前、因(いんの)島(しま)で、もし子どもが生まれたら、俺はいつも太平洋にばかりいるから、太平洋の洋に子で、洋子とな」
「では、隊長、男の子の場合は」
「決め忘れた。男が生まれたら、その時はあちらで考えてくれるだろう」
 次雄が豪快に笑うと、中田も控えめに笑った。
「おい、監視観測活動中だぞ」
「はい」
 中田は笑いをこらえて、敬礼をして、任務に戻った。
「中田、お前に頼みがある」
「はい、何なりと」
「お前と別れるまで、俺は手紙を書けるだけ書く。日本に戻ったら、なんとかきほに届けてくれないか」
「はい、命にかえてでも」
「そんな大げさなもんでもないんだよ」
 と、次雄は目を海面から離さず笑った。
 
 土曜から日曜にかけて、僕はずっとベッドで寝ていた。そして、ようやく日曜の夜、布団の中でドッと汗をかくと、熱が下がってきた。
 モモは、この週末、うちにあるものをなんとか食べつないできた。
 僕は少し食欲が出てきたので、キッチンに立ち、おかゆをつくって、食べた。モモにはそれに卵とタマネギを入れ、醤(しよう)油(ゆ)で味付けして、おじやをつくった。
 食べ終わると、モモは風(ふ)呂(ろ)に行き、僕はパソコンを立ち上げた。
 雪乃さんからメールが来ていた。しばらくブログが更新されていないので、どうかしたのか、と。たとえメールが頻繁に来なくとも、ブログは毎日気にしてくれていたのだ。僕は一人微笑んだ。モモがいたら、何があったか、しつこく訊(き)かれそうなほどのにやけかただっただろう。
 僕は返事に、思い切って書いてみた。ホワイトデーのクッキーをお届けしたい、と。できれば、手渡ししたいのだが、送ってもかまわない、と。そのメールを送信するとき、数秒ためらったが、結局、送信ボタンをクリックしてしまった。
 僕は調子に乗りすぎたようだ。案の定、雪乃さんからのメールはまたなかなか来なくなった。そして、ようやくホワイトデー直前に届いたメールには、こう書かれていた。
 
  クッキー、送ってもらえますか?
  楽しみにしています。
(つづく)

連載 小説(最終回)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 僕は予熱したオーブンにクッキーのタネを入れると、またダイニングテーブルにつき、祖父の手紙を読み始めた。
 クッキーの味見目当てに僕を手伝っていたモモは、十一時を過ぎついに眠くなり、一人でベッドルームに行った。
 昨日も今日も、うちに帰るとオーブンは回りっぱなしだ。明日はホワイトデー、義理クッキーを配り歩かなくてはならない。
 雪乃さんには、一番最初に焼いたクッキーを、昨日コンビニから、宅急便で発送しておいた。到着日を指定しておいたので、ホワイトデーには雪乃さんのもとに届くはずだ。
 祖父の手紙は、娘の出産が書かれたものだけを集めてみた。
 
 其後如何 愛の結晶にも異常なしかな 御前は相当御(お)腹(なか)も大きくなり大変だろうな 男が戦場に苦労するのと同じだろうね 大いに案ずるよ 体も早六ヶ月との事 お腹も相当なものでせう 見たいですね 赤チャンも活動し始めたとの事 さては僕に似てイタヅラな赤チャンかな 顔は何と言っても僕に似ない方が良いのだがね 僕も早く赤チャンの顔を見たいね 余り予定より早すぎては困るがね 体には呉(くれ)々(ぐれ)も十分気をつけて下さい 自分は益々元気ですから安心してくれ 便りも出来ず御産の事が解らず心配して居ります 間違いはないとは思いますが 矢張り心配でね お前も御母さんとはちょっとへんな気が寿(す)るね この頃は商売繁盛で毎日土木作業土方の親方ですよ 御(お)蔭(かげ)で体の調子は良いよ 裸でやるので顔や背中は真黒です 比島(フイリピン)人顔負けです お前と会ったら此(こ)れが私の夫かとびっくり寿るでせう 然し男性的になったよ 今の処(ところ)は多忙な為(ため)面白い事がないがそのうちに探すよ 便りを表記の処に呉(く)れ 手に入るから
 
 祖父の船はフィリピンに上陸したようだ。そこで、出産の報を待っていたのだろう。祖父は船を下り、間近に迫ったアメリカ軍上陸に備え、要塞構築のための土木作業の監督をしていたようだ。
 部屋の中に甘く香ばしい匂いがたちこめ、ついに最後のクッキーが焼き上がった。あとは冷まして、袋詰めするだけだ。
 
 次雄は露営用の天幕の中のランプの下で、ようやく手紙を書き終えた。昼間の炎天下での土木作業の疲れからか、まぶたが重くなったが、両手の平で頬(ほお)を叩(たた)き、眠気を吹き飛ばそうとした。今夜は眠るわけにはいかなかった。
 部下の中田が、炭坑技術者として召集解除となり、深夜、輸送船に乗り、本国へ帰ることになっているのだ。
 次雄はランプをはずし、手に持って、外に出た。小隊の有志で、山を下り、湾岸で中田を見送ることになっていたのだ。有志の数は思ったより多く、中田は感極まったのか、言葉少なにうつむき、戦友に囲まれ歩いていった。
 午前三時のことだった。物資の積み下ろしを担当する船舶工兵たちが輸送船への荷積みを終えようとしていた。湾内にはすでに艦隊を組む船が数艘(そう)浮かんでいる。
「隊長殿、いよいよお別れであります」
 中田は両拳を握りしめ、唇を震わせながらそう言った。
「無事に帰国できることを祈っている。お前にはむこうで大事な仕事があるんだからな」
 そして、次雄は中田の肩に腕をまわすと、脇に連れていった。
「すまないが、これを頼む」
 次雄は封書を何通か中田に渡した。
「はい、肌身離さず、隊長の命だと思って」
 次雄が噴き出した。
「そんなものでもないんだよ。単なる妻への手紙なんだから」
 と、次雄はまた笑ったが、中田はあわせて笑うことはできなかった。
「隊長、赤ちゃんは無事に生まれたんでありますか?」
「もうそろそろだろう。知らせを待っているところだ。さ、もう行け。おいてかれるぞ」
 中田は、敬礼をして、戦友たちに別れを告げにいった。そして、何度か振りかえりながら走っていき、やがて日中より安全な夜の闇(やみ)の中の輸送船へ紛れていった。
 
 翌朝からまた次雄は、新たに配属された初年兵四十人を指揮して、要塞構築のための土木作業にとりかかった。船舶砲兵は陸軍でありながら海の兵隊だったのだが、今度はまさに陸の上での陸軍らしい任務となった。
 土木作業を指揮するのが職務だが、次雄も積極的につるはしを握った。上半身裸となって土を掘るのは、無心になるための行為だった。次雄は、すぐにきほと生まれ来る子どものことを考えてしまった。それを考えないときには、決まって一つの場面が繰り返し現れた。
 それは、この上陸前の戦闘でのことだ。次雄たちが乗る輸送船はフィリピンを目指していた。そのとき、突如、敵機が現れた。上空から編隊を組み爆撃する機影の中から、戦闘機が一機、急降下してきたのだ。急降下爆撃は、射程距離が狭まるので、命中率が格段高くなる。もちろん、同時に、攻撃を受ける危険も伴う。
 次雄たちは高射砲をキーンキーンと休まず撃ち続けて、弾幕を張っていた。上空の敵機には遠すぎて届かないので、ねらいは弾幕を破り、急降下爆撃を仕掛けてきた戦闘機に絞った。その時、一瞬、次雄は見たのだ。真っ白な顔のパイロットの必死の表情を。まだ幼さが残り、ひどく怯えていた。かわいげのある顔立ちだった。あんなに憎んでいたアメリカ兵の顔が、鬼畜とはかけ離れた、あまりに人間的だったことに次雄は驚き、言葉を失った。結局、そのパイロットの急降下爆撃も、次雄たちの高射砲射撃も、ともに功を奏さず、戦闘は終わった。
 以来、次雄はそのパイロットから逃れられないでいるのだ。パイロットには、なぜか敵意も憎しみも感じなかった。では何を感じさせているのか、次雄はそれ以上深く考えなかった。その先を考えると、自分が何を考え出すかわからなくて、こわくなった。だからこそ、パイロットの顔を振り払うかのように、つるはしを振るい続けた。
 
 義理クッキーを配り歩いて一日が終わり、学童へ迎えに行くと、モモが言った。
「パパ、モモのクッキーは?」
「あれだけ味見して、まだ食べるのか?」
「あったり前じゃん」

 夕食後、紅茶をいれ、モモとクッキーを食べた。僕はここ数日クッキーの味見をしすぎて、もうおいしいのかおいしくないのかわからなくなっていた。
 少し、不安になってきた。満を持して雪乃さんに送ったクッキーは、はたしておいしかったのだろうか。
「ほんと、パパのクッキーはおいしいね」
 と、モモが言ったので、その言葉を信じることにした。
 ティータイムをとりながら、テーブルにパソコンを置き、スイッチを入れた。もう雪乃さんはクッキーを一枚くらい食べているだろう。そして、早速メールをチェックした。
 メールは来ていなかった。ため息をついて、もう一枚クッキーを食べた。
「ほんとにおいしいか?」
「うん」
「なら、いいけど」
「パパ、おいしくないの?」
「よくわからなくなってきた」
「じゃ、パパのも食べてあげるよ」
 モモが僕のクッキーを奪ったが、抵抗する気力もなくなっていた。
 
 モモは、この頃、いつまでも起きている。十時前に寝たことなど、遠足の前の日以外、一度もない。バイオリンに触る程度の練習をして、宿題と風呂をすませると、テレビドラマを見ながら、鼻歌まじりに、少女マンガのような絵をずっと描いている。
「モモ、眠くないの?」
「ぜんぜん」
「学校では、眠くないの?」
「ぜんぜん」
 睡眠時間も、大人はひとそれぞれだが、子どももそうなのだろう。
 明日は土曜日だ。モモも僕も夜更かしをする日だ。
 僕はモモを放っておき、テーブルで祖父の手紙を読むことにした。
 
拝啓
夜はランプ生活です 今書く便りもランプ引き寄せ書いています 暗くなるとホタルが澤(たく)山(さん)飛び廻(まわ)り内地を思い出させます 本日の夕食は筍(たけのこ)をとり煮て食べたが甘かったよ 閑(ひま)にでもなれば海岸に出て魚でも獲る予定です 之(これ)からも大いに修養に勉め立派な野(や)僧(ぞう)になる覚悟です 若いお母さん現在に於(お)いては種々労苦も多い事とは思いますが大いに頑張って下さい 此度は表記の処(ところ)に落ち着きましたから 便りはジャンジャン出して貰(もら)い度(た)いね 赤ん坊の調子は如何(いかが)なりや 段々愛可(かわい)くなって来たでせう 一目見度いね 出来たら子供と一緒に写真を撮って送って呉れないかな ご両親様は初孫の事だから珍しがって居られるでせう 御両親様と子供の事は頼みます 体には呉々も注意して呉れ 決して無理はするな
  南十字星輝く南海の涯(はて)より御前の多幸を祈る
草々
 
 祖父に出産の知らせは届いていたのだ。ということは、女の子が生まれたのも知ったはずで、男の子の名前は考えてなかった祖父は、ほっとしたことだろう。
 自分の両親のことを、御両親様と書いてあり、一瞬、おかしいと思ったが、そういえば、祖父は子どものない夫婦のところへ、養子としてもらわれてきたのだった。それゆえに、両親には、実の親以上に気をつかっていたのだろう。
 一度、祖母に聞いたことがある。祖父は娘の写真を見たのかどうか、と。祖母は、生まれて百日目の時に写真館に行き写真を撮って、すぐに戦地に送り、それきりだ、と言う。
  
 中田を乗せた輸送船は、護衛艦に守られ、無事に南洋を渡りきり、門司港へと帰ってきた。中田が下船する際、憲兵が船に乗り込み、所持品検査を始めた。
 近く、フィリピンあたりで、今大戦を決する海戦が行われるらしい。そのため、特に南方からの船は、防(ぼう)諜(ちよう)上の取り調べがかなりきびしくなっているということだった。
 生真面目そうな三十代らしき憲兵が、中田を問いただした。
「これは、何だ?」
「隊長殿から預かった手紙であります。これはお渡しするわけには参りません。奥様にお届けする約束であります」
 中田は、連行され取り調べを受けるか、手紙を引き渡すか迫られ、返事をできないでいるうちに、手紙は奪われてしまった。
 検閲を受けてない手紙が、国内に持ち込まれることなど、防諜上許されるはずがなかった。
 早く任務を終わらせたい憲兵は、中田の言葉を待たず、中田に船を下りるように命じた。
 
 僕の母が生まれたのは、七月。すでに、サイパンが陥落し、本土空襲も始まっていた。祖母たちが暮らしていた家にも焼(しよう)夷(い)弾(だん)が落ち、女中さんが干したばかりでまだ濡(ぬ)れていたおむつをかけて消火したという話も何度も聞いたことがある。
 乳児を背負って外出するのは、そうとう危険だっただろう。祖母は、ようやく百日目のときに、舅(しゆうと)と姑を(しゆうとめ)連れ、乳児を背負って、写真館に行ったのだ。
 
 南国の陽射しは激しい。次雄たちの船舶砲兵小隊は、大発と呼ばれる小型の船に乗り込んだ。バターン半島ラマオの陣地構築作業を終え、次はレイテ島での作業に取りかかることになっていた。
 次雄は船に乗っているのに、高射砲を気にしなくてもいいことに、居心地の悪い気がした。大発は、上陸用船艇であるため、船首に機銃がついているだけの軽武装だが、船体が小さい分、機動力はあった。
 レイテ島までの航行中、次雄は露営地が変わることで、手紙を受け取れなくなるのではないかと心配ばかりしていた。生まれたばかりの娘の写真が海を渡ってもうすぐ届くはずだ。
 
 実際、この頃では、米軍の空爆が激しさを増し、これまで以上に輸送船が沈められている。軍事郵便もほとんど届かなくなっていた。
 パソコンで、ここまで書くと、メールボックスを開いた。まだ、雪乃さんからのメールは来ていなかった。ため息をひとつついて立ち上がると、ソファで毛布にくるまりテレビを見ているうちに眠ってしまっていたモモをベッドまで運んだ。
 キッチンに戻ると、テレビを消して、音楽をかけた。暗いカウンターだけのバーで流れているようなジャズだ。僕は酒は弱いのだが、そんなバーが好きなのだ。照明を落として、またパソコンの画面に向かい、続きを書こうとしたのだが、キーボードを打つ手が止まってしまった。
 愛するひとのために命を捧げる若い兵士……、そんな美談を僕は書こうとしているのだろうか。ひとのいい祖父は、やむを得ず戦争に巻き込まれた被害者……、そう書いてまとめてしまっていいのだろうか。
 殺される側にいた祖父は、同時に、殺す側にもいたのだ。被害者であるとともに、それ以上に加害者でもあったのだ。片方だけを見れば、美談にもなるだろう。当時の政府が、戦死した勇敢な英雄を脚色して教科書に載せたように。
 僕が書いているのは、どんな物語なのだろう。
 紅茶に少しブランデーをたらし、それを飲みながら、もうすでに何度も開いているメールボックスを見てみた。
 ようやく、雪乃さんからのメールが届いていた。もう午前一時を過ぎていた。
 
  「ジローさん、こんばんは」
 
もうきっとおやすみになっていますよね。
クッキー、わざわざ、この日に送ってくださり、ありがとうございました。
とっても、おいしくて、娘ととりあいになりました。
もちろん、ちゃんと私の分は確保してあります。娘のよりも多く(笑)
どうして、あんなにサクッと焼けるのですか?
 
さきほど、娘を寝かしつけ、一人でお茶をいれ、クッキーを食べたのです。
誰にも邪魔されず、一人で一口ずつ味わいながら。
気づくと、涙が頬を伝っていました。
 
ジローさんの手を感じることができたんです。
その手は、こんなにおいしいクッキーを作ったり、
毎日私に元気を与えてくれるコトバを書くのです。
決して、暴力を振るったりはしない手。
 
いつかジローさんが書いたことに、とっても共感したんです。
 
お互い、自分の足で立って、
見つめあうのではなく、
ともに同じ方向を見つめ、
よりかからず、よりそう。
 
そんな二人が理想なんでしょ?
私に一文、書き加えさせてください。
 
手をつないで、と。
 
これを書くのに、
これを送信する勇気をふりしぼるのに、
今日は何時間もかかってしまいました。
 
それでは、今から送ります。
 
 僕は深夜のキッチンテーブルで一人、いい映画を見終わったような余韻に浸っていた。
 頭の中で音楽が流れてきた。一瞬、何の映画のテーマ曲だったかわからなかったが、すぐに思い出した。チャップリンのモダンタイムズだ。
 一本の道が続く。そのむこうには山が重なって見える。その道を、チャップリンとヒロインが、手をとりあって歩いていく。そして、THE ENDとなる。
 雪乃さんと、いつか、暗くてジャズが流れるバーに行くことも夢ではないかもしれない。
 
 土曜の夜、僕はモモと実家にいた。祖母は隣の座敷で、テレビの前に正座して、・冬のソナタ」が終わって新しく始まった韓国ドラマを見ていた。モモは父にまとわりついていて、母はキッチンのテーブルで晩(ばん)酌(しやく)。僕は座(ざ)椅(い)子(す)に座り、膝にパソコンをのせて、兄の面倒を見ながら、祖父の最後を書き始めた。
 祖父がいたのは昭和十九年十月十八日のレイテ島のあたり、大発の墓場と呼ばれていた海域だ。その二日後にはアメリカ軍がレイテ島に上陸する。
 
 次雄たちの乗った船が、レイテ島に近づいた。次雄はそこが死地だと思っていた。高射砲を撃つことが任務である次雄たちは、何もできずただ甲板にじっと座っている。上陸したら、海に手(しゆ)榴(りゆう)弾(だん)を投げて、爆発後浮いてくる魚をとって食べようなどと考えていた。今後ジャングルに入るようなことになれば、栄養確保も難しくなるはずだ。
 終わりは突然訪れた。米軍の機影が視界に入った。ぐんぐんと近づいてくる。
 この船には、高射砲は配備されておらず、船長は爆撃を回避するため蛇行運転を始めた。
 来るな、今は徒手空拳だ。むこうに行け。次雄は部下たちに動揺を見せないよう努めながら、そう願った。通り過ぎてくれ。いずれ死ぬ覚悟はできているが、まだ娘の顔を見ていない。待て。写真が届いてないのだ。もう少しだけ待ってくれ。
 
 祖母が言うには、戦死の公報には「全身爆傷」と書かれていたそうだ。その公報は、終戦後、一年以上経ってから届いたという。
 たしか祖母の話では、生まれたばかりの母の写真を撮ったのは、誕生から百日目だったはずだ。それならば、計算すると、その日にはすでに祖父はこの世にはいなかったことになる。祖父が最後に書いた恋文は、中田が憲兵に取りあげられ届かず、生まれたばかりの娘の写真も祖父のもとには届かなかった。
 祖父は、愛するもののために死んだのではなく、ただ愛するもののために生きることができなかったのだ。それ以上でも、それ以下でもなかった。
 僕は祖父を書いて、祖父を生きたような気がする。そして、物語が生まれた。物語はいったん生まれたら、決して死を迎えることはないのだ。
 祖母は、韓国のドラマを見ると胸がいっぱいになり、その夜は眠れなくなって、次の日も一日中ずっと考えているという。きっと、今も祖父との物語が胸のうちに存在していて、それを思い出しているのだろう。
 
 僕のケイタイが鳴った。メールの着信音だ。
 
  今、電車に乗りました。よろしくお願いします。
 
 今うちを出て、車で駅まで行けば、少し早めに着くだろう。
「モモ、早く支度しろ」
「だって、何着てけばいいかわかんないんだもん」
 僕はモモの洋服だんすから適当に選び、コーディネイトした。
「パパ、これでいいの?」
「大丈夫」
「本当かなあ」
 モモは頭をひねった。
 僕も多少は小学生の女の子のファッションがわかってきたつもりだ。
 窓際に行き、天気がいいことを確かめて、メールを返信した。
 
 では、駅の北口で待っています。後で電話します。
 
「ほんとにいいのかなあ」
 と、洗面所の鏡で自分の姿を見てきたモモが言った。
 今度は、僕がモモに訊(き)いた。
「パパの格好、ダサさくない?」
「別に」
「じゃ、かっこいい?」
「それはない」
「じゃ、恥ずかしくない?」
「ま、いいんじゃない」
「本当かなあ」
 僕は頭をひねった。
 
 ようやく、僕たちはミルクティーの入った水筒とホットサンドが入ったランチボックスを持って、車に乗り込んだ。
「パパ、だから、どこ行くの?」
「花見行くんだって」
「誰と?」
「シングルママフレンド」
「何それ?」
「ま、友達ってこと」
「ふーん」
「モモと同い年の子も来るってさ。楽しみにしてるらしいよ」
「男の子?女の子?」
「女の子」
「やったー」
 駅前で車を停(と)めた。心臓の鼓動が速くなった。こんなに緊張するとは、思ってもみなかった。
 もう時間だ。僕は呼吸を落ち着かせ、雪乃さんのケイタイにかけてみた。
「パパ、がんばれよ」
 助手席のモモがすべて見透かしたように、僕の肩を叩いて、微笑(ほほえ)んだ。
 そして、数秒後、僕は初めて雪乃さんの声を聞いた。(完)

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