キッチン歳時記 春

「如月」

 You are what you eat.
 あなたは、あなたが食べたもの。
 この言葉を知ったのは、衝撃だった。この体はもちろんのこと、この指の爪先も、この髪の一本も、食べ物以外からはつくられてはいない。当たり前といえば、当たり前だが、当たり前のことを忘れて暮らすことが多々な僕である。
 ふと、モモを思う。モモというのは、高校二年生の同居人、娘である。
 このうちには、大人は僕一人、シュフ(シェフではない)も僕一人。ということは、She is what I cook.でもある。つまり、彼女は僕が料理したもの。
 こりゃ大変、と十一年間、キッチンに立ち続けてきた。
 生きるために食べ、食べるために生きる。うちの家訓である。娘も僕も、食いしん坊だ。いつも、次に何を食べるかを考えている。並の食いしん坊ではない。この英才教育の結果、モモの舌は、高度に進化してしまった。美味センサーの感度がかなりの精度で、ちょっとした味の違い、ほんのちょっとのミスも見抜かれてしまうようになってしまった。
 教師の教師は生徒であるように、モモにはずいぶんと鍛えてもらったものだ。

 朝六時十五分。僕の目覚まし時計が鳴る。まだ十五分ある。ベッドを出るのは六時半だ。二月に入り、少し朝が明るくなったような気がする。夢うつつのこの十五分で、弁当のメニューを考える。
 新年を迎え、ちょっとした革命が起こった。焼きおにぎりだ。
 長年、何度トライしても失敗してきた焼きおにぎりを、ようやくマスターしたのだ。今のところ、モモに大好評である。
 六時半、意を決し、闇の中、ベッドを出る。暗いキッチンの電気をつけ、コンロに火をつける。コンロの上には、ストウブというメーカーの鋳鉄直径16センチの鍋が載っている。以前は、土鍋で白米を炊いていたのだが、ふたを割ってしまったので、その後、この鍋を使っている。昨夜のうちに米は水につけておいた。タイマー付きの電気釜を使っていたこともあるのだが、直火炊きの美味を知ってから、もう電気釜に戻れなくなってしまった。僕は高校教師なので、一人暮らしを始める教え子に、餞別として譲った。
 強火、沸騰したら、弱火にして、最後に蒸らす。弱火の時間は、一合で五分といったところ。
 気づけば、この女子高生弁当づくりも、あと一年となってしまった。女子高生は、見た目が十割。弁当も自己表現の一手段。弁当箱を開けたとき、まず美しくなくてはならない。量と味を重視する茶色系男子弁とは一線を画す。
 ここ数ヶ月、モモは母親に買ってもらった新しい弁当箱を使っている。
 以前は、スカイブルーとピンクのスリムな二段のを使っていたのだが、最近は眠っている。
 弁当は、短歌や俳句に似ていると思う。文字数が決まっていて、そこに詰めていくように。
 この新しい弁当箱は、小振りな二段、ふたにはアンパンマンのイラスト。下段にはおかず、シリコン製のハート形のカップを二つ入れ、メインのおかず一品、サブのおかず二品で構成される。肉料理がメインに、ポテトサラダや卵焼きがサブ、すき間にプチトマトやブロッコリーなど。上段には、俵型おにぎりを二つ。ふたは側面が格子状になっていて、ごはんから出る蒸気を逃すようになっている。
 ごはんを炊いている間に、おかずをつくる。豚肉を茹で、湯を切り、砂糖と醤油とごま油とあえ、ネギを散らす。こんなものでも、立派なメイン。
 ポテトサラダは、週末にドカンとつくるので、詰めるだけ。ジャガイモとニンジンを蒸し、キュウリとタマネギを塩もみして、ベーコンを炒め、塩こしょう、砂糖少し、マヨネーズで味付け。こしょうは、四色の粒をミル挽き、これが決めてのようだ。
 卵焼きは、小さな卵焼き器でつくる。砂糖、塩、水を入れて。最近のブームは、黒こしょうとチーズを入れて。油は、スプレーで。チーズを入れて、ヘラでパタンパタンと巻き込む。ハート形のカップに入れるため、ハート形にカット。あまった部分は、その場で食べてしまう。 
 ごはんが炊けたら、茶碗に一杯とって、あとは軽く握ってバウルーに入れる。バウルーとは、パンを挟んでホットサンドを直火でつくるもの。
 友人がツイッターで画像付きで何度もアップして自慢してきて、すぐに買ってしまった。これも革命を起こしたツールだ。焼きおにぎりにも、大活躍。
  白米に焦げ目が付いたら、醤油とみりんのタレをつけて、仕上げに少し焼く。
  朝ごはんは、たいてい、弁当のおかずを味見を兼ねて流用する。朝ごはんのおかずと弁当のおかずが、ほぼかぶるが、今のところ、文句は言ってこない。
 僕の弁当は、漆塗りの弁当箱にごはん、プラスチックのものにおかずを入れる。ごはんの弁当箱は、静岡の山奥で職人が一人で作る逸品。
 弁当のごはんの大敵は、蒸気のフィードバックだ。湯気が弁当箱の表面に当たり水となり、ごはんが水を吸い込み、悲劇となる。この漆塗りの弁当箱は、その蒸気を逃しつつ吸収し、冷めてもごはんが美味い。いや、冷めたときは冷めたときの美味さがある。
 実は、この弁当づくり、これが後一年しかないとはさみしくなってくる。娘が一人暮らしを始めても、僕は自分の弁当はつくるだろうが、毎朝の達成感はぐっと減ってしまうだろう。このキッチン菜時記を書き始めたのは、この最後の一年を記録しておこうと思ったからだ。
 弁当づくりが大変だろう、とよく言われるが、そんなことは思ったことはない。むしろ、楽しんでいる。それより、毎朝、娘を起こすほうがよっぽど大変だ。
 一人暮らしをしたら、自分で起きられるようになるのだろうか。だいぶ、甘やかしすぎてしまった。後悔はしている。

 二月には、大きなイベントがある。バレンタインデーだ。
 最近は、チョコ界もデフレのようだ。以前は、本命チョコをドーンとあげて終わりだったのだが、義理チョコに加え、友チョコ、さては男子からの逆チョコ。一つ一つのチョコの質が落ち、チョコの量が上がったのだ。中には、大きなタッパーに入れて持っていき、休み時間に手づかみで食べてもらうスタイルも。
 僕は高校教師なので、職業柄、義理チョコを女子生徒からもらうのだが、このタッパー手づかみチョコに、お返しをしなくてはならないのは、シャクだ。しかし、彼女たちはしっかりとお返しを要求してくる。
 だから、ホワイトデーには、僕も大きなタッパーにクッキーを入れて持っていき、つまんでもらおうか、と企んでいる。
 この年のバレンタインデーは、木曜日。週末に材料を買い込んでおいた。
 モモのプランは、カップケーキと、チョコクッキーと、チーズケーキ。
 欲張りすぎだと思う。ボーイフレンドには、それらの詰め合わせをあげるようだ。
 もちろん、モモが一人ですべてできるわけではないので、僕も手伝わされることになる。シュフ業も、はや十年以上、もちろん、そこらの女子高生に負けないレベルでは菓子は作ることができる。
 チーズケーキは混ぜて焼くだけ。カップケーキは、紙の型にホットケーキミックスでつくった種を流し込んで焼くだけ。
 で、クッキーである。
 薄力粉一六○g、ココアパウダー二○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g、卵黄一ヶ、この材料で、オーブンを二回使えば、五十枚くらい焼ける。
 今年は、このチョコクッキーに、ココナツも入れた。
 タネをあらかじめ仕込んで冷蔵庫で寝かせておき、焼くだけにしておく。
 たくわんくらいの厚さに切って、一八○度で、十六分焼く。オーブンから出したら、揚げたての天ぷらを置くようなすのこ付きのバットに置いて冷ます。固すぎず、柔らかすぎず、サクッとした食感。毎年、おかげさまで、好評である。
 昨年は午前三時までかかった作業が、今年は日付が変わる前に終わった。
 やはり、キッチンでは段取りが大事。
 翌朝、僕もチョコココナッツクッキーを少し持っていこうと思ったのだが、モモがすべて持っていってしまった。
 その夜は、うちで、モモとチョコ品評会。僕が三十個、モモが二十個ほど持ち帰り、晩ごはんは抜きで、スイーツを食べまくった。もちろん、食べきれなかったが。
 味部門、ビジュアル部門、努力部門など、それぞれ選びながら、お互いの批評を聞きある。年に一度の至福の夜だ。
 ちなみに、この年のベストは、僕のクラスで一番の問題児のつくったチョコを挟んだ抹茶味のマカロン。これには、シュフの僕も脱帽だった。

 僕はケチである。うちは電気で暖房するので、電気代が、冬、跳ね上がる。原発のこともあり、電気に依存しすぎるのは悔しいので、この冬は、職場からうちに帰れば、これでもかと重ね着をする。このアパートは、欠陥住宅なのか、冷え込みもかなりだ。
 防寒ズボンを穿き、カナダで買ったカウチンセーターを着て、ネックウォーマーをつける。それでも寒いので、下半身に毛布を巻き付け、カフェエプロンでしめる。
 さて、ここでキッチンに立つ。モモが高校生になってからは、たいてい僕のほうが帰宅が早い。
 以前は僕も熱血高校教師としてサービス残業に励んでいたのだが、常温高校教師兼シングルファーザー兼シュフとなってからは、時間の使い方が上手くなったのか、単に職場で干されているのか、早く帰れるようになったのだ。
 モモは、いろいろと忙しいのだそうだ。はい。
 冬は鍋である。毎晩。
 寒い中、歩いてうちに帰ってくると、温かい鍋料理が待っている。これが、いいのだそうだ。僕にはそんな経験が十年以上ないのでよくわからないが、モモはそう言っている。
 卓上コンロを使うこともあるが、うちの鍋はとてもいいモノなので、コンロからテーブルの上に置けば、食べ終わるまで充分温かい。
 ル・クルーゼのココットロンド20cm、色はブルー。フランスの小さな村でつくられ、三代は使えるというモノ。土鍋ばりの保温性、土鍋ではできない炒め物もできる。今や、この鍋のないシュフ道は考えられない。
 我が家の一番人気は、キムチ鍋。市販のスープを入れて、簡単に。同じ具で、水炊きも。ポン酢をつけて。豚肉、白菜、ネギ、豆腐、エノキなど。僕はこれに葛切りを入れるのが大好きだ。
 湯豆腐もすごいと思う。ただ、昆布を入れた湯に豆腐を入れるだけで、あんなに美味になるのだから。しかも、低カロリーで、安上がり。実は、鍋の王様かもしれない。白菜やネギやエノキも一緒に湯の中へ。鍋の真ん中に置いたカップに醤油を入れる。薬味は、ネギと鰹節。
 トマトがたくさんあれば、トマト鍋も。オリーブオイルと塩こしょうとワインでイタリア風に。水を入れず、野菜の水分を引き出して、スープをつくるのがコツ。
  豚汁は、うちでは鍋扱い。根菜を中心に、これでもかと具を入れて。
 おでんも鍋と言えば鍋。これに白米だとさみしいので、焼きおにぎりか、炊き込みごはんにする。 
 鱈や鳥の手羽元を入れて、寄せ鍋にすることも。これは、だしがよく出るので、ごはんは残しておき、最後に卵も入れて、雑炊にする。
 ポトフだって、鍋だ。ごろごろ野菜と手羽元やベーコンを、市販のコンソメスープで煮込む。塩こしょうで味を調える。炭水化物は、半分に折ったスパゲッティーを入れると、一鍋完結。
 去年から人気急上昇なのは、モツ鍋。近所の肉屋(スーパーではない)で、モツのみそ漬けを買ってくれば、もうほぼ完成。キャベツ、ネギ、ニンニクスライス、ニラ、もやしどっさり入れて、モツをのせ、水と酒を足し、ふたをしてグツグツと。これにあうのは、市販の袋入りの即席ラーメン塩味。付属の粉スープも足して、麺を適当に割り入れて食べる。これも、安い割に美味。
 そういえば、昨日の鍋は、白菜、白ネギ、椎茸、豚肉の水炊き。仕上げに、大根鬼おろしを入れて。ポン酢で食べたら、あっさりな美味。
 鍋のすごいところは、鍋にあふれるほど野菜を入れても、かさが減り、二人でぺろりと食べられてしまうところ。野菜でおなかをいっぱいにしても、気持ち悪くならないので助かる。それに、卓上コンロは現代の囲炉裏である。古来、人間は、夜、火の周りに集まった。暖をとり、腹も満たした。鍋をすれば、部屋もずいぶん暖まり、電気代も節約できる。
 さて、今夜は、しゃぶしゃぶにでもしようと思う。娘の母親の嫁入り道具で、銅と錫のすばらしいしゃぶしゃぶ専用鍋があるのだ。しゃぶしゃぶと言えば、牛肉だが、鶏のささみや胸肉を薄くスライスしたのも、けっこう、いや、かなりいける。大根をピーラーでひらひらにスライスしたのも、しゃぶしゃぶする。こんな淡泊な食材でも、鍋とポン酢さえれば、ごちそうになる。つくづく、鍋とポン酢は偉大だと思う。
 そういえば、父はすし職人で、ポン酢もつくる。今度、ペットボトル持参でもらいにいこう。父は、ちょうだいといえば、たいてい何でもくれる。この前は、板前の命ともいえる刺身包丁をもらった。まさに、命をちょうだいする日本刀の輝き。心して、譲り受けた。
 そうだ、ささみをこれでスライスしよう。
 今、日曜日の昼下がり、すでに腹が減ってきた。

「弥生」

 花より団子とはいったものだ。今年は、なんだかめんどくさくて、ひな人形を出すのを先延ばししていたら、結局、出しそびれてしまった。
 ここ数年は、五体あるうちのメインの二体だけ、コーヒーテーブルの上に、ちょこんと載せておくようにしていた。モモも小さい頃は出せば喜んだのだが、ここ数年はあまり興味がないようだ。
 で、ひな人形より五目ちらし寿司となるわけである。
 土曜日の昼前、団塊世代の同志達三人が、うちのダイニングに集まった。月に一回開催される社会変革のための読書会である。今月の本は、「小さな建築」という新書。これまで大きな強固な建築ばかり建てて喜んできた現代人。あの震災後、大きく強固なものは、いったんことが起これば、取り返しのつかないものになるということを学んだ。そこで、この手で扱える小さなサイズの建築をつくって、しなやかなに自然とつながろう、というメッセージに我々は感銘を受けた。
 僕が特に気に入ったのは、本の中で紹介されていた待庵という、わずか二畳の茶室。この狭い空間の中に、無限の宇宙が展開されている。京都の山崎に唯一現存する利休作の茶室、いつか、モモをつきあわせて、ぜひ見に行きたいものだ。
 そんなことを話しながら、同志達をこき使って、僕は五目ちらし寿司をつくる。モモは部活に行っているので、男ばかりの厨房である。
 白米をル・クルーゼで三合炊く。寿司酢は、米一合に対して、酢20g、砂糖20g、塩5g。これをあらかじめ混ぜておく。
 ごはんが炊きあがったら、しっかりと十五分は蒸らす。
 ゴボウ、レンコン、ニンジン、椎茸、油揚げを切り、醤油、みりん、酒、砂糖で煮る。
 薄焼き卵をつくり、冷まして、錦糸卵をつくる。
 ほうれん草と卵のおつゆをつくる。
 蒸らしたごはんに、寿司酢をかけ、飯台に広げ、混ぜて、一つの山にまとめて、十分待つ。また、すし飯を飯台に広げて、うちわであおいで、冷ます。
 煮込んだ五目とすし飯とあえて、ごまを散らし、錦糸卵を乗せて、完成。
 まぐろを、父から譲り受けた刺身包丁で、刺身にする。
 ここまで、我々は誰一人としてサボることなく、働いた。
 同志達とほんの話をしながら、五目寿司をいただく。もちろん、美味い。我々は、自分たちを褒めあい、おかわりもする。
 そのうち、モモが帰ってきて、合流して、大してありがたがりもせず食べる。
「で、美味いのか?」
「うん、おいしいよ」
「ひな祭りだから」
「ああ、そうか。パパ、デザートは?」
 まだ食べ終わらないうちにモモが言うと、同志の一人が買ってきたメロン味のクリームが入ったロールケーキが出てきた。
 これには、モモはたいそう喜び、食べて終わってからも、賞賛の言葉を惜しまなかった。
 たしかに、ふんわり感がたまらないロールケーキだった。本当にメロンが入ったクリームもリッチな味わいで、ちょっとした名物らしい。
「ところで、モモ、ひな人形、出しそびれた。すまない」
「ああ、いいよ、いいよ」
 モモはロールケーキをもう一切れ食べた。モモも、もちろん、花より団子のようだ。

 モモの弁当は、基本的に、おにぎりと、メインのおかず一つ、サブおかず二つで、構成されるのだが、たまにそうじゃないバージョンの弁当も持っていく。
 長方形のタッパーを使うワンボックス型。ごはんの上に、メインおかずをのっけ、その汁をいい具合に染みこませる、のっけ弁、いや、染み弁。 
 これは、僕が高校生の時、隣の席のクラスメイトの小谷がいつも持ってきた弁当。今も、その味はこの舌が覚えている。まず、ごはんがつややかで冷めてもおいしく炊かれている。その上に、焼き肉や塩昆布などがのっていて、朝詰めて、学校で食べるまでの間に、いい具合に染みこんで、いい色がついていた。
 その弁当は、いつも分けてもらった。早弁だ。
 僕は、弁当は持っていかず、昼は、小谷も誘って、学校を抜け出して、近くのお好み焼き屋で食べるというのが日課だった。その店には、僕たちのたばこがキープしてあり、お昼を食べて、一服して、至福の時を過ごし、午後の授業に備えたのだ。
 さて、モモのワンボックス弁当箱は、ふたがピンクで、キティちゃんの絵がついている。
 ごはんを入れ、豚のショウガ焼きや鶏の照り焼きなどをのっける。端っこに、シリコンのハート形のカップも置き、サブおかずを詰める。
 汁は多すぎても水っぽくなり、少なすぎても味が薄くなり、「いい加減」が難しい。
 一番簡単なのは、ボウルに醤油とニンニクすり下ろしを入れ、牛肉の薄切りをフライパンで焼いたら、ボウルの中に漬ける。それを、ごはんの上にのっけ、刻んだネギを散らすだけ。シンプルだけれど、侮れない美味さ。
 モモは、肉食なので、ごはん、牛肉、またごはん、また牛肉、と二段弁当にするのが好きだ。
 三色ごはんは、僕も小さい頃、好きだった弁当だ。晩ごはんにうちで食べるときも、長方形の弁当箱に入っていた。
 挽肉を、醤油みりんで煮て、そぼろにする。卵はマグに砂糖と塩と水を一緒に入れ、電子レンジで一分ほど温めると、盛り上がってくるので、いったん取り出して、箸でかき混ぜ、もう少し温めれば、いり卵になる。後は、ほうれん草を、ルクレというシリコンスチーマーで、一分半ほど温め、水にさらして、絞って、みじん切りにして、醤油と鰹節とあえる。これで、上にのっけるものは、完成。
 この具だと、染みこまないので、ごはんは、さくらごはんに。白米一合につき、醤油、酒、各大さじ一杯入れて、いつものように炊くと、ほんのり味がついたごはんになる。
 この三色弁当は、ワンボックス弁当の王者である。

 弁当は、職場や学校に持っていくだけのものではない。
 モモがうちにいて、僕が外出して食事を用意できないとき、弁当をつくってテーブルの上に置いておく。
 うちは、家事分担制である。食事は僕、掃除はモモ、と。だから、毎回、ごはんはつくる。モモと違って、大人なので、責任は果たす。モモは、大人ではないので、時に言い訳をして、僕に掃除を押しつけることもある。
 僕が朝早くうちを出て、モモが昼間うちにいるという場合、朝ごはんと昼ごはんを別の弁当箱に入れて、テーブルの上に置いておく。朝ごはんは、ホットサンドとサラダ、昼ご飯は、何かをのっけて染みこませたワンボックス弁当といった具合に。
 うちでは、鉄瓶で湯を湧かすのだが、これがちょっと難しい。取っ手は熱くなるし、注ぐときに、急な角度をつけると、ふたが落ちて、そのとき上がる蒸気でやけどをする。非常に危険なツールだ。だから、鉄瓶で湧かした湯もポットに入れておく。あとは、モモが適当に、お茶を用意する。お茶は、重要である。欠かすことはできない。
 金曜日の夕食は、たいてい、車の中で食べる。それは、金曜日の夜は、バイオリンのレッスンがあるからだ。モモは小学校二年生の時からバイオリンを習っていて、今は高校の弦楽合奏部に所属している。たまたま、同学年に経験者がいなかったため、コンサートミストレスとなった。部長とは違うらしい。部員をまとめるのが部長で、演奏をリードするのがコンミスということだ。
 金曜日、僕は急いでうちに帰ると、ネクタイを締めたまま、すぐにおにぎりやホットサンドをつくり、通気性のいい弁当箱につめる。まだ温かいので、湯気を逃がすためだ。
 そして、もちろん、お茶も用意する。この季節は、みかんも入れる。また、急いでモモの学校まで迎えに行き、車で三十分ほどのバイオリン教室まで行くのだ。
 この金曜の夕方は、そうとう、おなかが空く。モモも、おなか空いた、といって車に乗ってくる。モモは後ろのシートに座るとすぐ、膝の上で弁当箱を開き、食べ始める。
 僕はハンドルを握ったまま、隙を見ては、後ろから食料を受け取る。運転しながら、片手で食べられることが、車中弁当の条件だ。だから、おにぎりやパンなのだ。おかずは、具の中にある。
 この車中弁は、テーブルの上の料理とは異質の美味。それは、きっと制限があるからだろう。不倫の恋が盛り上がるのは、制限があるから、と聞いたことがある。
 たまに残業で、弁当を用意できないときは、僕の学校の購買でパンを買っておく。良心的な値段で、化学添加物を使わないで焼かれ、もう何十年も、この学校の生徒達の空腹を満たしてきたという伝統あるパン屋のパンだ。
 ここの名物は、パン耳。耳だけで一斤、値段は五十円。超人気商品で、なかなか買うことができない。この耳は、もはや耳ではない、と形容されるほど、パンの白いふわふわの部分がかなり残る、お得な商品なのだ。
 このパン耳は、何もつけず、そのまま食べる。これが、美味い。僕はたいてい買いそびれてしまうので、心やさしき同僚に一枚だけ恵んでもらったり、すれ違った生徒から一枚だけ巻き上げる。一枚だけだ。そして、きちんと礼を言って、職員室でインスタントコーヒーをつくって、一口ひとくち丁寧に食べる。ほんとに、美味い。不思議なのは、運良く、買うことができて、うちに持って帰って食べると、美味しくないことだ。
 おそらく、めったに買えないものを、一枚だけ恵んでもらい、感謝しつつ、学校という制限の多い場所でいただくからこそ、美味いのだろう。美味道とは、実に奥深い。やたら、高級食材を使い、有名シェフがつくる高価な料理だけが、美味とは限らないのだ。
「野菜は?」
 と、最近、モモは必ず聞く。野菜を食べないと、美しくなれない、と信じているのだ。
 だから、バイオリンのレッスンからうちに帰ってから、サラダとフルーツを食べるのも、金曜のルールだ。

 よくモモと、あれはおいしかった、と話す料理がある。
 それは、一月に、禅寺で食べた精進料理である。
  モモは、とあるワークショップの泊まりの合宿に参加していて、その合宿所が禅寺だった。僕はモモの迎えに行きながら、興味本位で精進料理ランチを食べるつもりだった。モモたちは、前日から滞在して、夕飯、朝食と、精進料理をすでに食べ、早朝、座禅まで経験していた。
 厨房から、手分けして、食堂の座敷まで、料理を運ぶ。そして、お坊さんの厳しい指導のもと、姿勢を正し、無言で、細かな作法を守り、一口ひとくち噛みしめる。沈黙の中、自分が噛む音がよく聞こえる。まるで食材がささやきかけてきて、食材と対話するかのようにいただく。
 おかわりすることは許されるが、残すことは許されない。
 もちろん、肉も魚も卵もない。
 白米、味噌汁、煮物、胡麻豆腐が入った四つの朱塗りのお椀。沢庵が分けられ、一切れ、残すように言われる。
 ごはんは、噛めば噛むほど、甘くなる。
 味噌汁の具は、もやしとしめじ。この組み合わせは初めてだ。だしは、おそらく昆布と椎茸。深みのある味。
 煮物は、人参、蓮根、ごぼう、椎茸、高野豆腐。食材の一つひとつの味がよくわかる。個性を表現しつつ、一つの椀の中に共存して、口の中で無限に広がるハーモニー。煮物の力を知った。
 あとは胡麻豆腐である。もちっとした食感、コクのある味、甘味噌との相性が非常によい。
 うちで出したら、肉食系のモモが残しそうなメニューばかり。しかし、モモを見ると、行儀よく、静かに、丁寧に噛んでいる。
  先ほど、お茶は大事だと、書いたが、ここではお茶は出ない。白湯が最後に出てくる。一つのお椀に白湯を注ぎ、一切れ残した沢庵と箸で、お椀の中をきれいにする。そして、次のお椀にその白湯を注ぎ、同じことをする。もちろん、残りの二つのお椀も順にきれいにし、最後にその白湯を飲み干す。
 これが、無言の精進料理のすべてだ。
 世の中にこんなに美味なものがあったかと思われるほどの美味。舌だけでなく、体、いや魂にまで染みわたる滋味。
 最後に、和尚さんが、お話をしてくれた。
 この食事が用意されるまで、どれだけの人間が、どれだけの手間と時間をかけたかを想像してほしい。自分がこの食事を食べるに値する人間なのか、自分に問うことも忘れてはいけない。この込み上げる感謝の気持ちこそ、ごちそうさまの意味だ、と。
 これまでの人生で食べてきた分も思い起こして、ごちそうさまを言わせていただいた。
 後で、モモに聞くと、不味そうと思っていた精進料理がこんなにも美味なことに感動した、と。朝の粥も美味で、朝の座禅も苦痛ではなかったらしい。
 五十分の沈黙。心を無にすると、あっという間に座禅の時間は終わるらしい。
「呼吸に集中するといいんだってさ」
 と、モモが経験者の顔で言った。いつか、試してみよう。
 

 甘いものの誘惑には勝てない。どうしても、勝てない。肉は断てても、甘いものは断てそうもない。
 三月十四日は、ホワイトデーである。あれだけの甘いものを女子高生からいただいたバレンタインデー、来年もいただくためには、ホワイトデーできちんとお返しをしなくてはならない。僕のお返しの評判がよければ、来年のバレンタインデーでチョコをまたたくさんいただける、という計算だ。
 毎年、ホワイトデーには、クッキーを焼く。今年は、二種類。プレーンとチョコ味のものを。
 プレーンの材料は、薄力粉一八○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g、卵黄一個、塩少々。室温に戻して柔らかくしたバターを練る。ふわっと軽くなるまで、ひたすら練る。砂糖を少しずつ足し、卵黄と塩も入れ、さらに練る。粉とあわせて、ヘラで粉っぽさがなくなるまで、切るように混ぜ、二つの固まりにして、ラップに包み、筒状にする。
 クッキーのタネに、しわが寄り、沢庵のように見える。これを、冷蔵庫に入れて固める。
 この間、チョコクッキーのタネをつくる。薄力粉を一六○gに減らし、ココアパウダーを二○g足す。今年は、たまたま、おつまみ用ピーナッツがあったので、包丁で細かく刻み、タネに混ぜ込んだ。これも、冷蔵庫に入れて、固める。
 プレーンクッキーのタネが固まったら、沢庵をイメージして、切る。その厚さがちょうどいい。筒一本で、二五枚ほど。
 オーブンの天板にクッキングシートを敷き、クッキーを並べ、一八○度で一六分焼く。
 しばらくすると、甘く、香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がり、幸福感に包まれる。
 焼き上がったら、網の上に、クッキーをクッキングシートごとのせ、そのシートだけを引き抜いて、冷ます。最初は柔らかいが、冷めると、堅すぎず、柔らかすぎず、サクッとした食感になる。これで、クッキーの美味が倍増する。
 この香りにつられ、ちょうど焼き上がる頃、モモが部屋からやってきて、味見をしてあげる、と言う。
 端っこの形の悪いのを、モモに食べさせる。
「めちゃめちゃ美味い」
 よし。これで、来年もチョコがもらえる。
「また、チョコのが焼けたら、戻ってこい」
「うん、モモも学校に持っていく」
「はいはい」
「パパがつくったことは内緒ね」
「はいはい」
 オーブンはこれから回りっぱなしだ。日付が変わっても、しばらくはこの甘く香ばしい匂いは消えそうもない。

 
 通販生活という雑誌が届いた。護憲、反原発、沖縄独立論と、なかなか読み応えのある社会派雑誌の側面を持つカタログ。著名人が、商品を実生活で使ってみての感想が、リアルに述べられる。まるで、その商品がその人を作りあげているかのように。
 おまけに、「きえない雲」という映画のDVDもついている。原発事故後の世界を描いた問題作。このDVD欲しさに、そのカタログ雑誌を取り寄せたのだが、そのDVDを観る前に、一つ注文してしまった。なかなか、やるものである。
 ちょうど、うちの急須にひびが入ったので、新しいのが必要だったのだ。商品名は、「正直急須」、手作りなので、数量限定、早くしないと入手困難になると言われれば、つい買ってしまうのが人情。全国大陶器市にて千円で買った急須を引き継ぐそれのお値段は、五倍以上、となかなか。
 数日後届いたその急須、大きさはちょうど二杯分、要は一煎目の湯が一滴残らずちゃんと切れれば、二煎も美味しいということ。そのために湯切りがしやすいように工夫されていた。 たしかに、お茶が美味く淹れられる。お茶が、美味いことは、重要なことであるので、その出費には納得がいった。
 実家の面々がお茶を飲むときは、急須は使わない。茶こしを使う。茶葉は、茎茶と粉茶のブレンド。茶こしを、大きな湯飲みの上に置き、ポットのお湯を少し回しながら茶葉に注ぐ。いわゆる、寿司屋のお茶だ。子どもの頃から飲み慣れているせいか、このお茶が一番美味いと思う。
 実は、最近、抹茶にも興味がある。暮れにモモと京都を日帰り旅行したとき、喫茶店で一休みして、抹茶セットを頼んだ。小さな和菓子と抹茶。先に和菓子を食べ、口の中が甘ったるくなったところへ、抹茶を流し込む。このハーモニーがたまらない。
 僕は、農業高校造園科の出身で、庭と茶道は授業で習った。もちろん、ほぼそのすべてを忘れてしまっているが、庭を見るのも、抹茶を飲むのも、今も大好きである。
 この旅では、小さな枯山水の庭ばかり見た。よけいなものをそぎ落とし、シンプルだけれど、かえって深い世界観に感銘を受けた。
「わかるか、この美しさ?」
 砂と石でつくられた宇宙を、モモと眺めなら、僕はきいた。
「バカにしてんの?わかるに、きまってんじゃん」
 モモが、利休の朝顔の話をした。高校の授業で、日本史の先生が教えてくれたそうだ。
 利休のうちの朝顔がきれいだと評判になっていた時、時の権力者、秀吉がその朝顔を見にくることになった。利休は朝顔の花をすべてとってしまったという。
 そして、いよいよ秀吉がやってきて、朝顔がないことにとまどい、茶室に通されると、その床の間に朝顔が一輪だけ活けてあった。秀吉はいたく感動したということだ。
 さすがは、娘が無理して入学した高校だけのことはある。
「そうか、美は引き算ってことか」
「おしゃれだって、そうでしょ。コテコテ着飾ったら、逆にダサダサだもん」
 高価な茶道具を売買するような茶道は興味がないが、究極の美と至高のもてなしを追求する茶道の精神は、実に興味深い。 
 美味も引き算なのかもしれない。食材が多ければ多いほど、調味料を足せば足すほど、美味くなるというものでもない。最小限の食材から最大限の美味を出すことこそ、料理道なのだろう。
 きっと、あの禅寺の精進料理に通じるものがあるはずだ。
 キッチンは、日々精進の場である。

 ようやく、イチゴが安くなってきた。
 近所の八百屋で、一パック一五八円なんてものも。早速、三パック買い占め、夕食のデザートに出したら、モモは二つしか食べなかった。
 たしかに、イチゴはおいしくなかった。小さくて、堅くて、甘くない。
 もともと三パックも買ったのは、食べるためではなく、ジャムをつくるためだった。
 ペティナイフでイチゴのヘタをとって、ル・クルーゼに放り込む。砂糖をどっさりその上にのせ、火にかけてしばらくすると水分がどっと出てくる。
 あとは、ひたすら木べらでかき混ぜる。レモン汁を入れるのだが、レモンがなかったので、酢を代用。味見をすると、特に問題はないようだった。
 モモは最近、キッチンで勉強するようになった。電子辞書より、英語教師の僕のほうが便利だと気づいたようだ。時に、僕の知識を試すような質問もしてくるが、今のところすべて答え、父の威厳をコツコツと高めているところだ。
「パパ、いい匂いだねえ」
 と、モモが宿題の英語長文問題集と格闘しながら、つぶやいた。
 キッチンで、ひとり立って、鍋に向かい、ひたすら木べらでかき混ぜる。なかなか水分はなくならない。一時間弱、この静かな時間は、ちょっとした禅のようだ。まるで鍋の中の泡のように、雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消え、繰り返し浮かぶ雑念はやがて煮詰まっていく。
 毎年この季節にジャムをつくるので、この香りは僕に春を意識させる。
 春は、新しい生活を控え、不安を抱える季節でもある。
 もう十一年も前の春のこと、家事も育児もほとんど専業主婦の妻まかせだった僕が、離婚を機に、シングルファーザーになることを思いついた。一年後にはジャムをつくるようになるとは、まったく予想もしなかった。
 最初につくった料理は、今もはっきりと覚えている。
「今日からパパが料理つくるぞ」
「え、つくれるの?」
 当時、小学校一年生のモモは心配そうに言った。
「ま、見てろって」
 豚の細切れ、レタス、焼き肉のタレで、焼き肉だ。ホットプレートをテーブルの上に置き、白色トレイからそのまま肉を出して焼き、包装用セロファンを開き、レタスをちぎり、肉を巻き、小皿に入れた焼き肉のタレをつけて、食べる。
 ごはんは、炊き方がよくわからなかったので、電子レンジで温めるパックのごはん。これも、パックから、ダイレクトに食べる。茶碗も皿もない、あるのはタレの小皿だけ。洗い物も少なくて済む。
「パパ、おいしい」
「当たり前だ。パパは天才だから」 
 そのときは、本当に美味しかった。感動的なまでに。
 しかし、もし今、同じメニューを食べても、美味しいとは思わないだろう。
 それに、そんな手抜き料理、僕のシュフ魂が許さない。
 焼き肉の翌日の夕食は、豚細切れ、長ネギ、すき焼きのタレで、すき焼き。鍋でつくり、そのまま鍋敷きの上に鍋を置いた。生卵にディップして食べたが、これも美味。
「パパ、これもおいしい」
「だから、パパは天才だって言っただろ」
 これも、今は決して作れない手抜きメニュー。
 その後も、すき焼きのタレは大活躍。肉じゃがや、親子丼など、すべてそのタレで味付けをした。
「うまいか?」
「うまい、うまい。パパは、やっぱ、天才だ」
 当時、まだ小学校一年生の娘をだますのは、とても簡単な時期だった。
「おい、ジャムできたぞ」
 英語の長文に疲れ、眠そうな娘に言った。
「やった、ほんと、いい匂い」
 シングルファーザーデビューして一年、二回目の春を迎えようとしていたときに初めてジャムをつくった。だいぶ、料理も覚え、ル・クルーゼの鍋を買ったころだ。売り物にならないイチゴをどっさりもらい、ジャムの作り方も教わったので、その鍋で毎晩のようにジャムをつくった。
「ヨーグルトに入れて食べるか?」
「九時すぎてるでしょ。今食べたら、絶対太るから、明日ね」
 小学生だった頃のモモは、好きなものを好きなだけ好きなときに食べていたのだが、今は、女子高生は見た目が十割、とダイエットを気にしてばかりだ。
 好きなものを、好きなだけ、好きなときに食べていたら、実は美味からは遠のく。
 モモの態度は、たしかに、正しい。

「卯月」

 今年の桜は、かなり早いようだ。四月一日には、満開になっている。
 僕は、花見が好きだ。桜の花も美しいと思うが、やはり、花より団子だ。
 祖母が、デイケアに行かない日の午後、有給休暇を取って、花見に出かけることにした。「モモ、おばあちゃんを花見につれてくぞ」
「うん、行こう、行こう」
 春休み中のモモは喜ぶ。モモが行けば、祖母も大喜びだろう。
「おやつ、持っていこう」
 ということで、近所の和菓子屋で、味噌まんじゅうを買って、祖母の迎えに行った。モモにとっては曾祖母、九十二歳、多少、頭の回転はスローになったが、元気である。
 両親の店にも寄った。弁当が欲しい、と言うと、父は喜んで寿司を握ってくれた。
 実家に行くと、台所のテーブルのところに座った祖母が、テレビを観ながら、なにやら声を出していた。新聞を読んでいたのだ。祖母は、何でも読むときは、必ず音読だ。
「おばあちゃん、元気かね」
「あれ、おかえり。モモちゃんもいっしょか」
「うん、おばあちゃん、ただいま」
「モモちゃん、髪の毛がきれいだねえ」
 銀髪パーマの祖母は、モモの長い黒髪をいつも褒める。
「おばあちゃんも、頭かっこいいよ」
「昨日、美容院行ってきただよ」
 祖母はお洒落だ。
「今日は、学校はないの?」
 と、僕が聞く。
「今日は休みみたいよ」
 学校とは祖母のデイケアセンターのことだ。
「おばあちゃん、何の勉強してるの?」
 と、モモが聞くと、祖母は恥ずかしそうに答える。
「そりゃ、勉強って勉強じゃないだよ。社会に出てからのことを勉強するだよ」
 祖母は、未来志向だ。
「勉強、わかるの?」
 と、僕が意地悪く聞く。
「わかるもわからんもないだよ」
「ぼけてるひとも、いるの?」
「そんな人は、一人もいないよお。みんな、しっかりしてるし、私より若いでねえ」
「おばあちゃん、この子、誰だっけねえ?」
 と、突然僕が祖母に質問をする。モモが祖母に微笑む。
「あれやあ、あんたの子どもじゃん」
「おばあちゃん、さっきまで名前呼んでたじゃん。ナナちゃんじゃないか?」
「ナナちゃんじゃないねえ。何だっけねえ?モモちゃんじゃないしねえ」
 モモも笑いをこらえきれない。
「おばあちゃん、今、名前言ったじゃん」
「ああ、そうか。モモちゃんだ。忘れるわけないよねえ」
「おばあちゃん、今年は桜が早く咲いたから、花見行くよ」
「じゃ、着替えてくるでねえ」
 祖母は多少洒落た服を来てきた。
「これ、おかしくないかいやあ」
 モモと僕が褒めると、祖母はご機嫌のようだった。たしかに、お洒落を忘れたら、さらにボケてしまうだろう。
 花見といっても、桜の咲いているところを車でいくつか通って、どこかの公園の桜の下に車を停め、お寿司とおやつを食べ、少し散策して、ケイタイで記念撮影をすれば終わりだ。
 モモは帰りの車の中で、アイフォン5で撮ったばかりの花見風景の画像を見せていた。
「こんなにちっちゃくなっちゃって、しわくちゃのおばあちゃんになっちゃって」
 と、祖母は自分の姿に驚いている。
「おばあちゃんは美人だよ」、と僕。激しく同意するモモ。
「ありがとねえ。だけど、この写真機は便利だねえ。私も買うかやあ」
 祖母は、新しもの好きだ。
「おばあちゃん、来年も花見行こうね」
 と、モモが言う。
「楽しみにしてるでね」
 これで、祖母は来年まで元気だろう。来年は九十三歳だ。

 翌日、朝から、モモはスプリングキャンプとやらに泊まりがけで出かけることになっていた。
 まだ桜が咲いているのに、花見をしないのはもったいない。非常にもったいない。そこで、この日は、水泳部員を、部活の後に、連れて行くことにした。選手二人、マネージャーの計女子三人。
 僕は朝早く起きて、モモにホットサンドの朝食と、ホットサンドの弁当を持たせて、送り出した。
 八枚切りのパンに、ハム&チーズ、ポテトサラダ&ベーコン、チョコ&バナナなどを挟んで、バウルーで焼く。バウルーは、ホットサンド専用の調理器具。四角いフライパンを二つ、蝶番でつなげ、パンを挟んで、ひっくり返して、両面を焼くことができる。今年の正月に導入した新兵器。ここのところ、大活躍。
 パンほど、焼き方で味が変わる食べ物はないだろう。パンを焼くときは、高温でなくてはならない。だから、電気の家庭用トースターなどでは、イマイチなのだ。高温で焼けば、表面に素早く焼き目が入り、中の水分が残る。電気で、じわじわ焼くと、中の水分が抜けてしまう。だから、うちで食パンをトーストするときは、焼き網付き鉄器を使う。
 バウルーは、パンを挟み込んで、密閉して、直火で焼くので、さらに中の水分が抜けにくく、美味しく仕上がる。外はカリっと、中はモチっと、このコントラストが重要だ。
 バウルーを予熱して、具を挟んだパンをセットして、両面を焼き、小皿にとって、キッチンばさみで半分に切り、通気孔があるサンドイッチ用のランチボックスにホットサンドを入れていく。あっという間に焼け、すぐに焦げてしまうので、気を抜くことができない。
 水泳部の練習は、早めに切り上げ、近くの公園に移動した。小雨が降ってきたので、公園の隅の屋根のあるあずま屋のベンチに座り、ホットサンドを食べた。もちろん、桜を見ながら。ここまでの移動中、コンビニに寄って、菓子を千円分買い込んだので、それも食べた。飲み物は、僕がうちから持ってきた熱いマテ茶。ブラジルのスーパーで買ってきたものだ。このごろ、モモとはまっている。紅茶でもない、中国茶でもない、ちょっと変わったお茶。
 部員の一人が、校内の恋愛事情に詳しく、新たに誕生したカップルや破局したカップルの話で盛り上がる。彼女たちと話していると、あっという間に一時間や二時間は過ぎていく。
「先生、娘がいなくて、さみしいもんで、私たち誘ったんでしょ?」
  と、マネージャーが言う。
「違うって。部員の団結を強めて、今シーズンをたたかう志気を高めるためだ」
 彼女たちは僕の言葉は信じなかったようだ。

 実は、その翌日も、花見を決行。この日、僕につきあわされたのは、僕が顧問の生徒会本部のメンバーたち。
 ホットサンドの評判を聞きつけた生徒会長が、メンバーを招集したのだ。全員そろうと、十人を超える。とても、早起きしてホットサンドを全員分つくれないので、パンと具材とバウルーと卓上コンロを持っていき、前日と同じ公園の桜の木の下で、せっせとパンを焼いた。
 この日は、天気がよく、ブルーシートを敷いて、青空の下、桜吹雪舞い散る中での花見。最高である。いちおう、新年度に向けての会議も行う予定だったのだが、予想通り、何も決まらず、花見に集中した。
 この日のホットサンドは、焼きたてだったので、前日以上の評判だった。
 
 さて、その翌日も、四日目の花見を決行。
 うちから、車でちょっと行ったところに、一面の菜の花畑があるのだ。ちょっとした名所にもなっている。
 この日は、シングルマザー・フレンドが弁当を持ってやってきた。
 彼女のうちの家庭菜園でその朝採れた野菜がどっさりと入ったおかず、そして、彼女が採ってきてくれたばかりのタケノコが入った五目混ぜごはん。
 車のフロントガラス越しに、菜の花畑を眺めながら、春の弁当をいただく。
 タケノコは、彼女が採ってきてくれるものが、一番おいしい。みずみずしく、やわらかくて、これを食べたら、スーパーで売っているものは食べられなくなる。
 弁当の中の野菜は、やさしい味がした。僕はもりもり食べた。彼女の分も、半分いただき、一人前ともう半分。いつも思うのだが、野菜でおなかをいっぱいにしても、食後、苦しくならない。これが、肉だと苦しくなる。苦しくないということは、体が喜んでいるということだろう。舌だけでなく、体にも美味しいごはん。心を込めて、ごちそうさま、と言った。

 花見の後は、うちで料理教室をすることになっていた。
 桜のピンクに触発され、イチゴのババロア。彼女のリクエスト。
 イチゴ一パックをミキサーにかけ、砂糖六○gとレモン汁大さじ一杯を入れる。レモン汁がなかったので、酢を代用。
 続いて、生クリーム一五○ccをサラサラにホイップ。ゼラチンをマグに入れ、湯を注ぎ、そのマグを湯の入ったボウルに入れ、湯煎。
 イチゴを湯煎のマグに少し入れて混ぜ、それを残りのイチゴと合わせる。
 次に、ゼラチン入りイチゴに、生クリームを少し入れて混ぜ、それを残りの生クリームと合わせる。二段階で、混ぜると、よく混ざる。
 後は、型に流し入れ、冷蔵庫に入れて、固まるまで待機。
 うちにあった煎餅と和菓子と日本茶で、ティータイム。
  鉄瓶で湧かした湯を、いったん湯飲みに入れて、冷ましてから、急須に移し、緑茶を淹れた。
 さて、小一時間おしゃべりをした後、生クリーム五○ccに五gの砂糖を入れ、ホイップ。今度は、角が立つまで。
 冷蔵庫から、ババロアを取り出して、表面を指先でつついてみると、もう固まっていた。型をテーブルの上に置き、ホイップした生クリームを真ん中に落とし、彼女にババロアの型を回してもらい、僕がヘラで生クリームを中央から徐々に外側に薄く広げていく。ちょっとした、ろくろ。生クリームが全面を覆ったら完成。

 そして、コーヒーを淹れて、彼女と味見をすることに。
 コーヒー豆を手回しミルで挽き、細口ケトルで、ドリップ。
 このごろ、多少、うちのコーヒーが美味しくなってきたが、まだまだだ。
 母が店で淹れるコーヒーは、当たり前のことだが、カネがとれる味だ。たまに母が芸術鑑賞などで出かけるとき、店番を頼まれ、僕がコーヒーを淹れるときがあるが、そのときは母の指導の通り、母の道具で淹れるので、ほぼ同じ味が出る。
 しかし、不思議なことに、同じ豆をもらって、うちで淹れると、信じられないほど不味い。コーヒーは、実にデリケートな飲み物なのだ。
 たとえば、お湯の温度が、熱め、ふつう、温めの三段階、豆の量が、多め、普通、少なめの三段階、豆の挽き具合が、粗挽き、中挽き、細引きの三段階、お湯を注ぐ速度が、速め、普通、遅めの三段階としたら、三かける三かける三かける三で、八十一通りの段階のコーヒーができることになる。この中から、ベストの段階を見つけるとなると、それはとても一朝一夕でできることではない。
 うちのコーヒーは、まだ研究段階である。
 といっても、そこらのチェーン店のコーヒーよりは美味しい。挽きたての豆をハンドドリップするだけで、大きな違いが出るのだ。
 ババロアを型から出して、切り分けると、ちょうどいい具合に固まっていた。皿に取って、一口食べる。トッピングの生クリームの甘さが序曲となり、甘酸っぱいババロアのもっちりした食感が主旋律となり口の中に世界をつくる。ババロアの余韻が残る口の中の世界に、熱くてほろ苦いコーヒーが流れ込んでくる。
 至福のハーモニーだ。
 あとは、レシピを詳しく紙に書いて、彼女に渡した。以前、このババロアをあげたら、彼女の家族に好評だったそうだ。光栄なことである。次は、彼女が自分で挑戦してみる、と。
 残りのババロアを彼女に渡すと、彼女は僕にタケノコを渡して、帰っていった。
 その際、簡単なレシピを教わった。タケノコを小さなサイの目に切り、甘じょっぱく煮るだけのお総菜。そのまま食べてもよし、ごはんにのっけてもよし、となかなか応用が利くという。
 彼女を見送ったら、早速、つくってみることにした。
 キッチンとは、なかなかのデートスポットである。

 春は、花粉症の季節でもある。僕は大丈夫なのだが、モモがここ数年、花粉症による鼻づまりに苦しんでいる。
 三十年前は花粉症に苦しむひとはまわりにはいなかった。三十年前と今とでは、実は花粉の量はさほど変わっていないということだ。
 ならば、何が違って、何がどう影響しているのか?まだ、わかっていないことは多いようだ。排気ガスの量は増えただろう。これは、シュフの努力ではいかんともしがたい。
 化学調味料の摂取量も増えただろう。これなら、シュフの努力で、減らすことはできそうだ。
 うちは、工場でつくったものは極力食べないようにしている。野菜や肉や魚を買ってきて、うちにある調味料で料理する。酒やみりんや醤油や塩こしょうは、化学調味料はさほど入ってないだろう。
 ダシは、面倒なので、市販の粉末のものをよく使ってしまうが、ここに化学調味料はてんこ盛りなはずだ。まずは、ダシの改革にとりかかった
 僕が子どもの頃、朝、祖母がよく鰹節を削っていた。おもしろがって削らせてもらったことを覚えている。引き出しのついた長方形の木箱の上にカンナがひっくり返されてのっていて、削られた鰹節は、木箱の引き出しの中に落ちる。
 煮干しも、ダシに使っていた。その煮干しを、おやつ代わりに食べたこともあった。
 とりあえず、鍋の中に水と干し昆布を入れ、火にかけた。干し昆布は、沸騰する前に取り出し、鰹節を水切りざるごと鍋に入れて、さらに煮込んだ。
 匂いは、記憶と結びつきやすいという。僕は子どもの頃を思い出していた。毎朝、祖母が土間のお勝手で味噌汁をつくってくれた。そこから漂っていた匂いだ。
 ざるごと鰹節を引き上げ、だし汁ができた。
 味見をすると、祖母の味を思い出した。あのやさしい味は、これが決め手だったようだ。これまで、何杯も味噌汁をつくってきたが、いつも何かが欠けている気がしていたが、ようやく、その訳がわかった。
 この味噌汁は、モモが、美味い、とおかわりをした。これは珍しいことだ。これまで、僕の味噌汁を残すことはあっても、おかわりをしたことはなかった。
 ちょっとおもしろくなって、食後、ダシについて調べてみた。
 和食のダシで、有名なのは三種類。鰹節と干し昆布と干し椎茸。不思議なのは、鰹節と昆布の組み合わせだと、一プラス一が、七にも八にもなるという。昆布と椎茸の組み合わせもそう。後者の組み合わせは、動物性のものが入らないので、精進料理のダシに使われる。ところが、鰹節と椎茸の組み合わせは、二くらいにしかならないらしい。
 さて、ダシをとったこのうま味は、第五の味と言われている。甘味、塩味、酸味、苦味の四つのわかりやすい味とは、一線を画しつつも同格の味。なんともいえないうま味。
 最近では、このうま味より、化学調味料の味のほうを、美味しいと感じる子どもが増えているんだとか。だから、食品店では、化学調味料を使ったほうが、よく売れるので、それを使わざるをえなくなることも多々あるらしい。
 親の価値観が、子どもの価値観に大きく影響するように、親の舌も、子どもの舌に大きく影響を与えるのだ。そういえば、母が嫌いなレーズン、僕も嫌いだ。そして、モモも苦手だ。
 この舌で美味を見いだし、そして、その美味を、たとえ残されようと子どもに食べさせることは、親の役目。ある栄養士が言っていた。愛情を持って、不味いものを出す、と。

 さて、四月も終わろうとするある夜、うちでコーヒーを淹れてみた。ミルを調節して、少し豆を荒く挽いてから、ドリップした。 
 そして、一口飲んで、これまでお長かった年月を思い出した。ひょっこり、ようやく満足のいくコーヒーの味を出すことができたのだ。
 豆は、通勤途中に、奇跡のように存在するコーヒー豆専門店で買ってきた。まだ若い店主が、一人で、小さな店を営んでいる。
 母が淹れるコーヒーとは違うが、ちょっと個性のある苦さがやさしく味わい深い。
 モモは、まだコーヒーは苦手である。この美味を共有できないことは、家族として非常に残念である。これも、愛情を持って、出し続けるしかあるまい。
 夜、モモが宿題を終えてないのに、眠くなる。このときが、チャンスだろう。コーヒーで目が覚め、頭もすっきりする、と言って飲ませよう。もちろん、愛情を持って、苦いものを出すのだ。

「皐月」

 そのうち、そのうち、と思っているうちに、五月になってしまった。五月一日、 メーデー。八時間を仕事に、八時間を睡眠に、八時間を僕に。
 仕事が八時間で終わらなくてはならないのは、そう、晩ごはんをつくるため。仕事は手を抜いても、一日を締めくくる晩ごはんを手を抜かないのが、シュフの道というものだ。
 早速、バジルの苗を買ってきた。ベランダに出て、プランターの土を耕し、新たに土も足して、苗を植えた。今年は、レモンバームの苗も買ってきた。最近買ったレシピ本に、やたらとレモンバームが出てきたのだ。ついでに、毎年育てる朝顔の種もまいた。この種は、去年の秋にここでとったものだ。
 最後に、水をまいて、畑仕事は終了。
 本当の畑で育てることにも、実は興味がある。僕は農業高校を卒業したのだが、農業をまじめに勉強しなかったことを、今は後悔している。当時、農業にはまったく興味がなかった。農業後継者と不良は、農業高校に行く時代で、僕はその後者だったのだ。
 それでも、better  late than never、遅れても、まったくやらないよりはまし。この日の畑仕事も、遅れたが、やらないよりはまし。夏には、収穫できるだろう。
 そもそも、料理を覚えたのも、三十を過ぎて、シングルファーザーになってから。
 人生に遅すぎることなど、そう多くないのだ。
 
 ゴールデンウィークに入り、モモは母親のところに出かけていった。
 昼食に、ふとパスタを食べたくなったのだが、常備していたはずのスパゲッティの乾麺がなかった。頭をよぎったのは、イタリアのマンマ達が麺棒をつかってパスタ生地を伸ばしている背中だった。パスタ専用の机、一メートル近い長さの麺棒。
 実は、うちにパスタマシーンはある。ニューヨークで見つけて、衝動買いして、重かったが、ずっと抱えて持ち帰ってきたものだ。かなりのすぐれモノだが、一人分のパスタにわざわざ出すのも面倒なので、イタリアのマンマになることにした。
 シリコンのぶよぶよのボウルに、強力粉一○○g、卵一個、オリーブオイルと塩を少々入れて、フォークでまとめる。そして、ボウルに入れたまま、右手の平の下のあたりで、こねて、こねて、こねる。僕はこの作業がどういうわけか大好きだ。左手で、ボウルを回したり、タネを返したりして、右手の平に体重をのせて、無心に作業を続ける。
 そして、ラップにつつんで、休ませる。
 うちにある野菜は、トマトとタマネギだけ。ガーリックオイルをフライパンに入れる。これは使い切れなかったニンニクをせっせとみじん切りにして、瓶の中の油に漬けたものだ。ニンニクが無駄にならないし、腐らないので、重宝している。
 ガーリックの香りが立ったら、タマネギのあらいみじん切りを入れ、塩こしょうを振り、炒める。大きめのサイの目に切ったトマトも投入。ワインを振りかけたいところだが、ないので日本酒を代用、アルコールが飛んだら、ソースは完成。
 ダイニングテーブルを拭き清め、乾いたのを確認して、打ち粉をぶちまける。パスタのタネを麺棒で延ばす、延ばす、延ばす。目標は、きしめんの厚さ。打ち粉をケチるとくっついてしまうので、粉まみれになりながらも、延ばす、延ばす、延ばす。面積にしたら、枕と座布団の中間くらいまで。
 湯を沸かし始め、パスタ生地を、パタン、パタン、パタンと、畳んで、慎重に切る、切る、切る。麺の太さが揃わないこともあるが、目をつぶる。切ったら、すぐにほぐして、テーブルの上にしばらく放置。湯が沸いたら、塩を入れて、茹でる。
 茹で時間がはっきりしないので、パスタの固さを確かめるため、パスタを何度も口に入れる。讃岐うどん一歩手前くらいの固さになったら、湯切りして、ソースと混ぜればできあがり。
 緑が欲しい。どうしても、欲しい。ということで、プランターに植えたばかりのバジルの苗の小さな葉を食い意地に負けて摘んでくる。
 麺がちょっと太くなってしまったが、その分、この歯ごたえがいい。プリプリッとして。乾麺ではこうはいかない。食感も味の重要な要素であることを改めて知る。

 料理とは、当たり前のことだが、他者があって存在する。キッチンに立つ僕にできることなど、たかが知れてる。
 そもそも、料理をつくる、と我々は言うが、そもそも、つくることはできない。人間は、人間だけの力で、一つも食材をつくることができないのだ。自然からいただいた恵みを、ただ組み合わせているだけ。
 うちにある米一つとっても、何人のひとの、いくつの手間がかかっているのか、想像もつかない。
 いただきます、とは食材の命をいただくことはもちろん、多くの他者の手間と時間をいただくことでもある。だから、せめて料理は、誰かのためにする行為としたい。
 ということで、実家に行って、料理をすることにした。電話して、母にリクエストをいちおうきくと、焼き肉、もう肉は買ってあるから、焼いてほしい、と。せっかくはりきっていたところに、実にはりあいのないリクエスト。
 トングとフライパンを持っていくことにした。焼き肉には、トングだ。菜箸では、ちょっとやりにくい。
 さて僕は、フライパンについては、断然、鉄派だ。
 テフロンを使っていたこともある。最初、油を引かなくてもくっつかないことに感動したが、その効果はすぐに消え、油を引いてもくっつくようになり、結局、捨てることになった。そして、あの最初の感動が忘れられず、また新しいものを買うはめになり、同じことを繰り返す。つまり、使い捨てなのだ。
 実に愚かな資本主義の象徴的商品。決して持続することのない、極度の快感の味を教え、中毒にして、買わせ続けようという魂胆。まさに、ヤク漬け。
 鉄のフライパンは、油を引き、使い終わったら、たわしでこすって、水洗いして、火にかけて乾かして、片づける。これを繰り返すと、表面に油膜が蓄積され、さほど油を引かなくてもくっつかないようになる。
使えば使うほど、使いにくくなるテフロン、使えば使うほど、使いやすくなる鉄のフライパン。資源の有限なこの地球に暮らす者として、まよわず後者を選ぶ。
  今回は僕のフライパンコレクションの中から、グリルパンをもっていくことにした。
 このグリルパンは、ル・クルーゼで、お値段もなかなかのモノ。シングルファーザーになった年、誕生日に、自分へプレゼントしたモノだ。ずっしりと重いが、厚くて、熱が均等に入り、溝に余分な油も落ちる。十年以上も使い込み、例の油膜が表面に蓄積されている。

 両親の店に行き、母の指示を受け、食材を受け取り、兄の手を引き、車に乗せる。母は、カフェオーレをつくって、コーヒーの缶に入れ、ストローをさして、僕に持たせた。兄の好物だ。
「兄ちゃん、ジーと遠足行くよ」
 兄は、笑顔で、指をならす。ごきげんなのだ。
 いつも行く田んぼの真ん中の貯水池の畔。この池はなかなか大きく、文字通り、大池と呼ばれている。ついこの前まで菜の花が咲いていた池の周りには、今は新緑の鮮やかな雑草が五月の風に揺れている。助手席の兄に、カフェオーレを飲ませながら、僕は陽光を乱反射してまぶしい水面を目を細めて眺めている。
 その後、実家に行くと、祖母が大音響でテレビを観ていた。字幕放送の設定をして、少し音を小さくした。
「なんか手伝うかね」
 エプロンのひもを縛りながら、祖母がキッチンにやってきた。
「じゃ、ごはんを炊いて」
「はいね」
 祖母は、炊飯の水を入れるとき、計量カップを使わない。それで、毎回、同じように米が炊きあがるから、実に不思議だ。
 グリルパンをIHヒーターにかける。ガス火のほうが好きなのだが、祖母が何度も鍋を焦がすので、母が決断し、キッチンだけ電気式にしたのだ。たとえ、スイッチを入れっぱなしでも、四十五分で自動的に切れる。
 祖母は僕の隣で、キュウリとトマトを切ってくれた。
 両親が帰ってきて、家族が揃うと、ごはんは、少し柔らかめに炊きあがった。僕は堅めが好きなのだが、これは父の好みなのだ。
 グリルパンが熱くなったら、豚の脂身をつかって油を引く。そして、豚肉を焼き始めた。
 いつもタレは市販のもの。これも、父の好み。一家の大黒柱の好みは、無視するわけにはいかないのだ。
 トングで、肉をめくって、裏を見ると、横線の焼き目が入っている。九○度回転させる。そうすると、格子状の焼き目が入り、見た目がかっこよくなる。おそらく、味はあまり変わらないだろう。
 うちは、キュウリにはもろ味噌をつけて食べる。トマトは薄くスライスして、少しマヨネーズをつける。
 最初に焼き上がった肉を、兄のごはんの入ったどんぶりの上に、タレをつけてのっけて、キッチンばさみで食べやすく切った。これを、兄はスプーンで食べる。
 僕だけ立ったまま、肉を焼いては、テーブルに運ぶ。実家の面々は、焼きたてを食べる。僕も立ったまま焼きたてを食べる。めんどくさいので、ごはんもたったまま食べる。母が行儀悪いと文句を言うが、無視する。行儀より、味を優先させなくてはならない。
 
 次の日の晩ごはんも、僕がつくることになったのだが、リクエストはカレー。またしても、不味くつくるほうが難しい料理。父が食べたいと言ったそうだ。僕がつくったカレーを、と。大黒柱のリクエスト、やはり、無視することはできない。
 うちのカレーは市販のルーを使い、具はジャガイモと人参とタマネギといたってふつうのカレーなのだが、父いわく、母がつくるとしっかり不味くできあがるらしい。
 僕がつくるときは、圧力鍋を使う。速くて、うまく煮える。最初に、タマネギに少し塩を振って、しんなりするまで炒める。あとは、ジャガイモ以外の具も炒め、水を足して、圧力鍋で煮込み、二○分もしたら、火を止める。シンクで、蓋に水をかけ、圧を抜き、蓋を開けて、ジャガイモを入れる。ジャガイモは煮くずれると、溶け出して、カレーの味がぼやけるからだ。再度、蓋をして、もう少し煮込む。火を止め、自然に圧が抜けるのを待ち、ルーを入れて、溶かすだけ。
 この行程のどこを工夫すれば不味くできるのだろう。
 母は家族への愛情から、一手間かけたり、一つ具を足したりするのだが、たいてい裏目に出るタイプ。食べやすいようにと、野菜を薄く切りすぎたり、余分な脂を落とすため豚肉を茹でてしまったり、と。おそらく、不味さの原因は、そんなところだろう。
「おばあちゃんが、手伝ってくれたから、助かったよ」、といただきますの前に僕がねぎらう。「私は何にもしてやへんけどね」と祖母は言いつつも、誇らしげだ。
 この日も祖母と台所に立ち、野菜はすべて切ってもらったのだ。いつものふつうのカレーは、いつものようにふつうに美味だった。

 母が、山芋を店のお客さんにもらったから、とろろ汁にしよう、と言った。モモの苦手な料理、鬼の居ぬ間にいただこうという作戦。望むところだ。
 両親の店は、不思議なところで、しょっちゅうお客さんがおすそわけをしてくれる。農家のお客さんが多く、形が悪くて市場に出せないが、味はいい野菜を持ってきてくれるのだ。また、どこかに出かけた帰りに寄って、土産をくれたりすることも。
 母は、おすそわけの達人である。余れば、他のひとにまわしたり、店の近所の独居のお年寄りにも届けたりして、決して無駄にすることはない。
 両親の店は、決して繁盛しているようには見えないのだが、売り上げ以上の収入があるようだ。
 今日は僕の下ろし金を持っていくことにした。ちょっといいモノ。職人が、一つずつ目を立てて作った本格派下ろし金。片面が荒い目とその裏が細かい目と両面使える。アルミの安物と比べると、断然、こちらのほうが速く下ろせる。大根などは、繊維をつぶしすぎず、シャキシャキ感を残しつつ、みずみずしい大根おろしに仕上がる。
 両親の店に行き、山芋と鯖の切り身をもらった。味噌は、父がこれを持ってけ、と仙台味噌を持たせた。
 実家の物置から、久しぶりに、直径が洗面器より大きなすり鉢を出してきた。
 今日も祖母と台所に立つ。とろろ汁の作り方は、祖母に教わった。
  湯を沸かし、鯖を入れ、白くなったら、いったん引き上げ、骨をとる。皮もだいたいとる。鯖を戻して、味噌を溶く。
 その間、山芋の皮をむいて、下ろして、すり鉢の中に入れる。
 祖母にすり鉢を押さえていてもらい、すりこぎを当てる。左手の平にすり鉢の端を当て、そこを支点として、右手ですりこぎを回していく。左回りに回したら、祖母に反対だと言われ、右回りに回したら、ずっと楽だった。
「ほれ、かわってやる」、と祖母。交代ですると、さらに楽になった。
 すり下ろした山芋に、少しずつ鯖の味噌汁を足していく。
「おばあちゃん、鯖の身はどうするの?」
「いっしょにすっちゃえばいいだよ」
 ちょくちょく味見をする。やがて、我が家の味に近づいていく。
「あれ、ごはん炊かにゃいかん」
「もう、さっきお米研いで、火かけたよ」
「そんなの知らんやあ」
 祖母は僕の言うことは信じない。炊飯釜を触って熱かったので驚いている。
「あんたがやっただか?」
「おばあちゃんがやっただよ」
「そんなの知らんやあ」
 ま、とにかく、とろろ汁はできあがった。あとはネギを刻んで、薬味にするだけ。
 さっき火をつけたことは忘れても、我が家のソウルフードのレシピは忘れない祖母から、しっかりと伝承することができた。
「あれ、とろろはできたけん、ごはんを炊いてないやあ」
 祖母はまだ言っている。

 ちょっと遠くのスーパーにたまたま寄ったら、こうじを見つけ、二パック買ってきた。一つは、塩こうじに、もう一つは醤油こうじにすることにした。 
 こうじ二○○g、水三○○cc、塩六○gをタッパーに入れた。
 こうじ二○○g、水一○○cc、醤油二○○ccをもう一つのタッパーに。
 毎日かき混ぜれば、十日ほどで、二種類のこうじの調味料ができあがるはずだ。梅雨入りする前には、食べられるだろう。
 人間は、自分より大きな動物の命をいただき、美味にありつくこともあれば、目に見えないくらい小さいこうじ菌の世話になって、美味にありつくこともある。どちらの場合も、人間は他者の存在なくして美味を生み出すことができない。美味どころか、他者の存在によって、その生命をつないでいる。これを忘れてはいけない。
 謙虚に、謙虚に、ダブルこうじをかきまぜる。一日の始まりと一日の終わりに。まるで儀式のように。

キッチン歳時記 夏

「水無月」

 六月は、一年で一番忙しい時期。こんな僕でも、連日のサービス残業を行うことになる。僕は生徒会の顧問、文化祭準備で、いろいろと作業があるのだ。モモの高校も同じ日に文化祭が開催される。モモは弦楽合奏部のコンサートミストレス、いよいよ、最後の公演を控え、プレッシャーを感じているようだ。
 僕は学校の仕事は嫌いではないのだが、帰りが遅くなり、夕飯をつくる時間が削られるのは痛い。とても、痛い。仕事は手を抜いても、晩ごはんは手を抜かない主義だからだ。
 いつもなら、とっくに晩ごはんを食べ終わっている頃、ようやくうちに着き、すぐにキッチンに立つ。白米は浸水させてあるので、火をつけて、炊きあがって、蒸らすまで、二十分はかかる。その間に、簡単なおかずをつくる。
 たいてい、やや遅れて、モモが帰ってくる。
 帰りに、イカを買ってきた。胴体から、ワタと足を引き抜き、それは別にして、まず胴体を輪切りにして、バター醤油で炒める。小鍋に、ワタとぶつ切りにした足を入れ、酒と醤油で、煮る。仕上げに、おろし生姜と刻みネギとごま油を足して、大人のゲソ煮ができあがる。モモはまだこれは食べられない。
 このイカは、素早くできて、白米にとてもあう。
 もらいもののキュウリがあったので、スティック状に切った。これは、ディップをつけて食べる。最近うちで大流行のディップは、醤油こうじとマヨネーズをあえたもの。
 もっと時間のない時には、しかたなく冷凍食品を使う。僕は、基本的に冷凍食品は食べない。シングルファーザー・デビューしたての頃は、毎日のように食べていた。レンジでチンを三回もすれば、弁当ができあがることに、最初は感動したのだが、一つ食べ飽きて、嫌いになったら、他のすべての冷凍食品も嫌いになってしまった。冷凍食品特有の工業製品臭さに耐えられなくなったのだ。
 また、余ったごはんをパックに詰めて冷凍して、レンジで解凍して食べたりもしていたのだが、ついでに、この冷凍ごはんも嫌いになってしまった。
 だから、うちの冷凍庫には、冷凍食品が、一品の例外を除いて、入っていることはない。その一品が、讃岐うどんだ。ふつうの冷凍うどんに比べ、五玉入って、百円ほど高いが、あの讃岐うどんのコシはしっかりと残っている。もう十年以上前、組合の会合で、青年部長として、四国の集会に行き、初めて讃岐うどんを食べたのだが、それはカルチャーショック以上のものだった。これまで、うどんだと思っていたうどんが、実はうどんではなかったことを知ったのだ。それ以来、讃岐うどん一筋だ。
 冷凍うどんをさっと茹でて、冷水にさらし、どんぶりに入れ、油揚げの短冊切りをフライパンでカリカリに煎って、うどんにのせ、大根は鬼おろしで粗めにおろし、刻みネギといっしょにトッピング。あとは、ポン酢をかけていただく。おそらく、我が家の最短料理かも知れない。五分もあれば、できあがりだ。もし、美味を労力で割った数値を出せば、もっとも高い数字が出てくるだろう。

 いよいよ文化祭前夜、いつも以上に帰りが遅くなり、サービス残業にもくたびれたので、うちの近所の餃子屋でモモと待ち合わせして、夕飯にすることにした。
 この餃子屋は、本当の餃子屋で、餃子しか売っていない。他に注文できるのは、ごはんとビールだけ。まさに専門店。実は、この店主、高校の同級生である。
「ジローさん、いらっしゃい」
 僕は一年遅れて高校に入ったため同級生でも一つ年上、ゆえに、さんづけで呼ばれている。店主は、高校時代からまったく変わらない愛想のいい笑顔で、僕たちを迎え入れてくれた。店内には、テーブルが一つ。多くの客は、餃子を持ち帰る。
 彼の高校時代のあだ名は、当然ながら、ギョーザ。
 ギョーザの息子が店を手伝う。息子は、電話番や配達。実は、僕の現在の教え子で、モモと同い年である。妹もいて、時折、店に出てきて、手伝う。
 ちなみに、ギョーザも僕と同じ、シングルファーザーである。
「モモ、見習え。店手伝って、モモより勉強できるんだぞ。少しはがんばれ」
「すごーい。がんばりまーす」
 と、モモは手を叩きながら、軽く受け答える。息子はかなりのシャイボーイ、モモと目も合わせず、聞き流し、水の入ったグラスを持ってきてくれた。
  ここの餃子は、具と皮の美味さはもちろんのこと、焼きがすばらしい。限りなく揚げに近い焼き。外はカリッと、中はジューシーと、このハーモニーが絶品なのだ。
 ライスは、僕はふつう盛り、モモは小盛りを頼んだ。息子が持ってきた皿には、それぞれ十コずつ餃子がのっている。一人前は八コのはずだ。
「ありがとう」と、僕がいただきますの前に、厨房のギョーザに聞こえるように大きな声で言った。
「いつも、こいつが世話になってますから」
 ギョーザが店の奥から出てきてくれた。
 酢醤油にラー油を垂らし、一ついただく。
「ギョーザ、やっぱり、世界一だよ。な、モモ」
「うん、世界一おいしい」
 と、モモは右手に箸、左手にスマホ。
「ジローさん、うらやましいよ」
「ええ?」
「娘さんと一緒にごはんなんか食べてさあ」
 そんなもの当たり前である。僕と一緒でなければ、モモは夕食にありつけない。
 ギョーザの娘は中学に入り、気難しいお年頃になったという。
「うちも、いろいろあったからさ。全面戦争してたけど、今は休戦中。な?」
「そうそう」
 モモは、テーブルの上に置いたスマホの画面を見ながら、テキトーに答える。
「ま、うちは二人しかいないから、休戦しないと、生活が成り立たないんだって」
  ここでは、焼き餃子だけでなく、生餃子も売っている。お持ち帰りで、生餃子を二人前注文。明日、蒸して、弁当に入れる予定。そして、夜は、野菜をたっぷりと入れたスープに入れて、餃子鍋にするつもりだ。
「ジローさん、一人前、おまけしといたから」
 僕たちは深く頭を下げて、家路についた。
 そして、無事、文化祭が終わると、僕は生徒会本部のメンバー達と打ち上げをした。もちろん、ここのギョーザの餃子で。

 新聞の家庭欄で、ベジブロスなるものを知った。ベジは野菜、ブロスはダシ。野菜のクズをとっておいて、煮出してとるダシ。酒を少し足すらしい。
 早速、挑戦してみた。夕食を作り終えた後、その日出た、タマネギの皮、トマトのヘタ、ジャガイモの皮、キュウリの切れっ端、ネギの青いところを鍋に入れ、水と酒を足して、煮込んだ。
 野菜は、細胞壁の中にうま味成分があり、熱することで、細胞壁が壊れ、中からうま味が出てくるのだそうだ。また、このベジブロスには、風邪などを予防する成分も含まれている。うま味と栄養、一石二鳥だ。
 さて、その日の夕食を食べ終わり、デザートのパイナップルを食べ終わって、皿を洗ってから、煮込んだ野菜クズをザルで漉して、その琥珀色のベジブロスを味見。
 説明ができない味。甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、辛い、どれでもない。これこそ、ダシのうま味というのだろう。滋味深い味わい。これを使ったら美味しそうな料理を次々に連想させる。
 翌朝、ベジブロスで、リゾットを作ってみた。タマネギとニンニクを炒め、ベジブロスを足し、ごはんとトマトとパルメザンチーズを入れて、塩コショウして、少し煮込んだ。
 まさに朝食にふさわしい爽やかな味。化学調味料ゼロ。
  今まで三角コーナーに捨てられていた野菜のクズが、とたんに輝きだした。うちのガラクタが、よそで宝物になることは、よくあることだ。 
 モモを起こして、食べさせると、「あっさりしすぎじゃない」、と。肉食のモモには、おそらく、ベーコンでも入れて、動物性のダシを加えればよかったのだろう。
 その日の昼休み、学校の購買で、食パンが売れ残っていた。何十年もこの学校の生徒の腹を満たしてきたパン屋のおじさんがかわいそうになって、ついつい買ってしまった。四斤も。職員室で、パンにあうおかずは何かと、同僚に訊いたら、「あれ、あれ、あの野菜をいっぱい入れた赤いスープみたいなの」、と。他の同僚も、同じものを思いついたのだが、名前が浮かばない。三、四人で、誰が最初に思い出すかのレースのようになった。
 そう、ラタトゥイユ、僕が勝利した。
 帰り、いつもの食料品店(スーパーじゃない)に寄ったら、熟れ熟れの大きなトマトが出ていた。まさに、理想の食材。即、狩った(買ったじゃない)。
 まず、ナスをサイの目に切って、炒めて、皿に取った。ナスは、モモのもっとも嫌いな野菜だ。次に、ベーコン、ニンニク、タマネギを炒めた。白ワインを入れたいところで、日本酒を代用。上善水如という酒があったので、それを投入。いい酒らしいのだが、うちでは日本酒は料理にしか使わない。
 そして、ナスを戻した。湯むきなんて、トマトに失礼なことをしないで、テキトーに切って投入。キノコ類からもダシが出るので、エリンギを切って足した。
 今日は、中華鍋を使っている。炒めてから、煮込むには、最適。これは、僕が高校を卒業して、うちを出たとき、父が持たせたものだ。これなら炒めてから煮込めるぞ、と。もう二十数年使っている。
 そして、ベジブロスを注いだ。味付けは、塩とコショウのみ。ミルで、岩塩と四色ペッパーを、ゴリゴリと。
 そして、味見。久しぶりの絶品。それぞれの食材が個性をぶつけあうが、ベジブロスがそれらをまとめ、塩コショウが引き締める。
 その日の夕食は、ラタトゥイユとパンのみ。
「パンが進むねえ」とモモ。
 ナスの存在には気づかず、スプーンが止まることもない。
「ナス、食べてるじゃん?」
「え、入ってる?おいしいよ」
 よし、シュフの勝利。
 
 雨の日が続いている。ツユ入りしたようだ。
 梅に雨と書いて、ツユ。そう、雨が降り出す季節になったら、梅を何とかしなくてならない。
 どっさりと梅をとってくる。友人宅の庭の木から。感謝こそされるが、カネは請求されない。こちらも、感謝。
 水につけて、あく抜き。
 翌日、ヘタをとって、水分を丁寧にふき取り、冷凍庫へ。
 また一日待って、ガラス容器に氷砂糖とともに、梅をどっさり入れる。
 そして、待つ。ひたすら、待つ。時間が、モモも僕も好物の梅シロップをつくってくれる。
 と、マブダチのブログに、画像付きで書いてあった。まったく、グッジョブである。
 ベランダに出ると、プランターのバジルの葉が茂っている。数枚の葉っぱに黒い粉のようなものがついているのを発見。
 ついに、出たのだ。虫の糞だ。その黒い粉の上にいるはずだ。
 なかなか見つからなかったのだが、ついに、バジルと同じ緑色の芋虫を見つけた。指でつまんで、ベランダの外へポイ捨て。合計四匹ほど。これ以上、放置したら、葉がすべて食べられてしまう。よって、収穫することにした。
 収穫後、葉っぱを水洗いして、ハンドル式回転水切り器で、水を切って、すり鉢へ。ニンニクのみじん切り、、粉チーズ、オリーブ・オイル、塩も入れる。バジルの葉を、キッチンばさみでジョキジョキ切ってから、擂り粉木でゴリゴリと。
 フードプロセッサーを使えばすぐできるのだが、マブダチもがんばってるし、初摘みということで、なんとなく手仕事にしたのだ。
 ガンジーに思いを馳せる。ガンジーは、当時イギリス植民地だったインドで、宗主国イギリスの機械化(奴隷化)に対抗し、毎日、糸車を回し続けたのだ。
 ゴリゴリ、ガンジーガンジー、腕が疲れても、ガンジーガンジー。    
「いい香りだねえ」
 と、最近、ダイニングテーブルで勉強をするモモ。
「やってみるか?」
「いそがしいからねえ、ちょっとねえ」
 ガンジーガンジー。
 この労力は、マブダチの梅シロップとなって返ってくるはずだ。
 このカネにまみれた資本主義社会における男と男の物々交換。
 ガンジーガンジー。
「文月」

 
 いよいよ、暑くなってきた。夏休みを前にして、すでに猛暑。夏になったからといって、食欲が減退することなど、まったくない。今日はちょっと食欲が出ない、などと一度は言ってみたいものだ。生きるために食い、食うために生きる僕には、死ぬまで縁のない台詞だが。
 梅雨が明け、マブダチから、梅干しが届いた。梅シロップのおまけ付き。
 梅シロップを水で割り、氷をたくさん入れて飲む。時に焼酎も入れる。この季節、僕の密かな楽しみだ。
 今年は残念なことに、その美味がモモに知られてしまい、モモも梅ジュースを嗜むようになってしまったのだ。
 さらに残念なことに、キンキンに冷やして、水筒に入れて学校に持っていくという始末。
 梅干しは、弁当でも活躍。大きな梅を二つにちぎって、お互いのご飯の真ん中に置く。黒ごまと塩を散らす。これが、冷えたご飯に実にあう。
 この梅ものを、マブダチは、毎年、タダでくれるのだ。
 僕もお返しに、ベランダファームで収穫したバジルを、すり鉢ですったペーストを用意してあったのだが、留守中にその梅が届いたので、渡しそびれてしまった。
 バジルが順調に生育しているので、もう一回つくれるだろう。次に会ったとき、それもあげることにしよう。
 マブダチとは、実にありがたい存在だ。

 今日も猛暑になりそうなある朝、モモが、ほしいものがある、と。また服かと思って、聞き流すことにした。
「あのね、凍った果物をアイスクリームにする機械欲しい」
「は?」
 テレビでお笑いタレントが賞賛していたらしい。
 さっそく、ダイニングテーブルの上のコンピュータを立ち上げ、ググってみる。
 どうやら、ヨナナスというらしい。で、その機械は、六千数百円。連日の猛暑、アイスクリームより果物のほうがいいに決まっている。迷いはなかった。ネット上で販売しているサイトを見つけ、クリックしてしまった。
 バナナをぶつ切りにして、タッパーに入れ、冷凍庫に放り込み、待つこと二日、宅急便で、そのヨナナスマシーンが届いた。
 宅急便に遅れて、帰ってきたモモが、まだ箱に入ったヨナナスマシーンを見つけ、興奮し始めた。
「パパ、ナイス、パパ、最高」
 こんなに褒められたことは、ここ数年で初めてのことだ。
 モモはすぐに、箱をアイフォンで撮影していた。感動すれば何でも、写メって、アップするのが、女子高生である。この速報性、他に活用できないものか。
 夕食後、もちろん、デザートはそのヨナナスである。
 筒の中に凍った果物を入れ、棒で押し込むと、回転刃が果物をペースト状に削っていき、
筒の先からニュルニュルとアイスクリームのようなものが出てくる。それを、ガラス皿で受け止める。マシーンを分解して洗うのだが、分解したところにも、そのアイスクリームのようなものがついているので、シリコンスプーンでかき出した。
 そして、試食。一口食べて、僕とモモは、一瞬黙った。歓声を上げる前のタメ。
「すごい、ほんとにアイスだ」
「たしかに、文明の進歩は侮れない」
 翌日、パイナップルを買ってきた。カットして、凍らせ、その次の朝、バナナとブレンドして、ヨナナスをつくってみた。
 バナナの甘さとパイナップルの爽やかさ、見事なハーモニー。
「こっちは、もっとおいしい」
 モモはまた写メ。そのとき、ちょっとひらめいた。バナナと一緒に、板チョコを割って入れて、スイッチを押した。
「パパ、店出せるよ」
 そして、桃。両親が食べきれないほどオスソワケしてもらい、困っていたので、とりあえず、わけてもらい、カットして凍らせた。
 さて、桃ヨヨナス。鮮やかなピンクのシャーベット。桃は大好きな果物だが、桃の新たな一面を知り、いっそう桃が好きになった。
 もはや、これは革命である。いつか、リアル・ジロー's カフェを開くとき、夏の定番メニューにするしかない。僕も写メって、とりあえず、フェイスブックにアップした。

 この季節、素麺の季節でもある。
 そういえば、素麺は買ったことがない。いつも、実家でもらってくる。
 その実家でも、素麺は買ったことがない。いつも、お客さんにオスソワケしてもらうらしい。
 母は、オスソワケ名人だ。店のお客さんからオスソワケをもらったら、ありがたくいただく。もし、うちで食べきれなほどいただいたら、他のお客さんにもらってもらう。すると、またそのお客さんが、他のオスソワケを持ってくる。たいてい、またうちでは食べきれないほど。それが、僕のところに来たり、またまた他のお客さんのところに行く。まわりまわって、オスソワケの連鎖が断たれることがない。
 実家では、正月の餅も買ったことがない。僕がわけてもらっても、そのオスソワケで足りるのだそうだ。
 決して、売り上げは多くない両親の店だが、カネ以外の収入はかなり多いようだ。
 さて、夏になれば美味しい素麺、しかもただ、しかし、毎日のように食べれば、さすがに飽きてくる。
 沖縄風にするのも、一つの手だ。素麺をもやしと一緒に茹で、ざるにあけ、流水で冷まして、塩を揉み込み、フライパンで三十秒炒め、紅ショウガと刻みネギをトッピング。
 もちろん美味、しかし、何度も食べれば、飽きてくる。
 最後は、父に教わった酢味噌だ。めんつゆのかわりに、酢味噌で食べるのだ。小鍋に、酢と味噌と砂糖を入れ、水を足して、火にかけて混ぜる。おろし生姜も入れれば、爽やかな味になる。
 これは、さすがに大人の味、モモは食べられない。酢味噌と刻みネギは、飽きてしまった素麺に新たな命を吹き込んでくれる。

 最近、本屋で見かけて買った本、「(株)貧困大国アメリカ」。なかなかの本である。
 かつて、ベトナム戦争時にジャングルに蒔かれた枯れ葉剤をつくった会社、モンサントのことが書いてある。
 モンサントは農薬を売るため、その農薬に耐性を持つ作物の種を、遺伝子を組み替えて作り、農薬と抱き合わせで売りまくっているらしい。肥料もつけて、三点セットで。
 広大な農地を買い占め、効率よく、一つの作物を大量に育てる。農薬は、飛行機で散布。もはや、農業ではなく工業、大量生産だ。
 そして、近隣の小規模農場に、安売り戦争を仕掛けては、次々と追い込んでいく。
 追い込まれた農家は、モンサントの三点セットを買うか、廃業するかを迫られる。
 自然界では、多様な生物が、人智を超えた複雑さで、支え合っている。自然の自然たるゆえんは、その多様性と複雑性にある。単一作物の大量生産は、自然に逆行する。自然界では、虫は食いつ食われつ、均衡を保っている。ある害虫を駆除したら、その害虫に食べられていた他の虫が大量発生することもあるだろう。
 同じ作物ばかりを育てれば、同じ栄養素ばかりが、土から奪われ、その土地はやせていく。収穫量は最初は増えても、やがて必然的に減っていく。
 農薬に耐性を持つ虫や雑草が進化してくれば、さらに強い農薬を買わなくてはならなくなる。遺伝子組み換え種子は、特許品なので、特許料も払い続けなくてはならない。
 土地はやせても、モンサントは肥える。
 許せないのは、ハイチ大地震の時。いちはやく、援助を申し出たモンサント。得意の三点セットを提供する。ところが、外来種子を国内に入れることは、ハイチでは違法。
 そこで諦めるモンサントではない。緊急時であることを理由に、その法律を無視。ハイチに、モンサント三点セットが導入されてしまった。
 あとは、無料提供の期間終了後、モンサントにカネが入り続けるというオチ。惨事を利用して、弱者につけ込み、食いものにしていくのだ。
 かなり不真面目だったが、いちおう農業高校を卒業した僕の怒りがこみ上げてきた。
 許せない。You are what you eat.あなたはあなたが食べたもの。そんなものを食べるような人間にはなりたくない。
 
 ここで思いつく友人は一人しかいない。自衛隊員、サラリーマンを経て、農場研修を終え、最近、就農した強者だ。つい数日前、オーガニック野菜の宅配を始めた、とフェイスブックで告知していた。
 即決。二千円のおまかせコースを注文。
 翌々日、アマゾンばりの早さで、段ボール箱が届いた。
 床に座って、すぐに箱を開けると、まず、見たことのない形のトマトがいくつも出てきた。ひだが多いものや、長細いものなど。完熟した長細いものを、挨拶代わりにかぶりついてみた。
 トマトがデザートになるとは知らなかった。瑞々しく、甘酸っぱく、体中に染みわたる、これがオーガニックの力なのだろう。
 空芯菜、紫蘇、ルッコラ、ミントなど、少しずつ囓ってみた。どれも、人間が自然の一部であることを思い起こさせる味。それは、美味しさを超えていた。体の奥に眠る野生を目覚めさせるシグナル。夕食前に、野生動物のように草をはんだ。
 今にも破裂しそうな勢いのあるナスの光沢が美しかった。しかし、ナスはモモのもっとも苦手な野菜である。
 冷蔵庫には、母が庭で育てたピーマンもある。ピーマンは、モモの二番目に嫌いな野菜である。
 数年前にもらった手作りの味噌の存在を思い出した。
 この季節、祖母がよくつくってくれた料理がある。ナスとピーマンの甘味噌炒めだ。
 少年時代の夏とまだ若かった祖母を思い出し、晩ごはんのメニューは決まった。モモの嫌いな野菜の第一位と第二位のコラボ。シュフ魂が燃え上がる。
 この日も猛暑、汗をかいて帰ってきたモモが、「今日、そうめんね」と。開けっ放しの段ボール箱を見つけ、中をのぞき込んだ。
「トマト、食べてみ。おやつがわりに」
 モモがおそるおそるプチトマトをほおばった。
「甘い。おいしい」
 そういえば、先日、母が庭で育てたプチトマトを食べたばかりだ。その不味さは、天下一品だった。とても同じ野菜とは思えない。
 キッチンに立つ僕の背に、モモが言う。もうすぐ夏休みだから、本気で勉強する、と。モモはそんなことを何度もこれまで言ってきたので、適当に返事をしておく。
 まず、半月型に切ったナスを炒める。油は、ナスが吸ってしまうので、ちょっと多め。ナスがしんなりしたら、ピーマンを入れる。みりんをたっぷり足し、フライパンを傾け、みりんのたまった部分で、味噌を溶き、全体に絡める。砂糖や醤油で味の微調整をすればできあがり。
 素麺を茹で、ネギを刻み、ショウガをおろした。つゆはまとめてつくったのがあった。
 おかずは、ナスとピーマンの味噌炒めのみ。
「ええ、ナスピーじゃん」
「おう、文句あっか。シゲさんに言え」
 シゲさんとは、この野菜を送ってくれた彼のことである。モモとも顔なじみだ。
 モモはシゲさんの顔が浮かぶのか、申し訳なさそうに、苦手なナスとピーマンに箸を付ける。今日はほかにおかずはない。一口目は無言、二口目で「食べれるよ」と。そのうち、「おいしいじゃん」と言った。
「これは、おばあちゃんの味だぞ。いつも夏になるとつくってくれてさ」
 やさしい味のシゲさんのナスに、たくましい味の母のピーマン、その組み合わせもよかったのだろう。
「たくさんつくっちゃったから、明日の弁当にも入れていいか?」
「全然いいよ」
 シゲさんの野菜は、食べれば食べるほど、食べたくなる。体が、野菜をもっと食わせろ、と命令してくるようだ。
 野菜は、工業製品ではない。顔の見える作物なのだ。
「デザートはトマトだぞ」
「いいねえ」
 シゲさんの野菜は、大地のエネルギーをくみ取り、こちらの体に注入してくれる。
 僕はナスピーを食べながら、空芯菜の使い道を考えていた。実は、初めて使う食材だ。
 宅配野菜は、何が届くかわからない。そこが、いい。
 古来、人類は、その日、手に入るものを食べていたはずだ。その日採ったもの、その日狩ったものを。
 つくりたいものをつくるのがシェフならば、あるものでつくるのがシュフ。僕は後者だ。
 食後のトマトを食べながら、夏休みになったら勉強を本気ですると言うモモ。いよいよ、受験本番、夏を制すものは受験を制す、と高校教師の僕にもの申してくる。
 夏休みは、友達も通う塾に行きたい、と言った。そういえば、僕も高三の時、塾に通わせてもらった。大学受験の塾は安くはないが、しかたあるまい。この夏は、バカンスに出かける予定もないので、バカンス代をそちらにまわせばよい。ま、僕も、年々、物欲もなくなっているので、ちょうどよい。
 昼間、学校で勉強して、夕方、塾へ行き、そこで十時までがんばるという。
「はいはい。晩ごはんは、そっちで食うのか?」
「うん。近くにコンビニあるけど、でも、コンビニごはん食べるような人になりたくないんだよねえ」
 たしかに。コンビニごはんを食べさせるような親にはなりたくないものだ。
「じゃ、お弁当、よろしくね」
 これで、モモの夏休み中、朝晩と二回弁当をつくることになった。
 望むところだ。シュフ魂が燃え上がる。

「葉月」

 毎日キッチンに立つことを、誇りとし、喜びとしているシュフではあるが、たまには外で食べることもある。
 高円寺には初めて来た。商店街の細い路地には、小さな店がひしめきあい、中年のヒッピーのようなひとたちと、よくすれ違う。
 昼間、ブンガクの会合があって上京し、そのまま帰るのはもったいないと、ここまでやってきたのだ。モモの夕飯やお守りは、父に依頼してきた。モモいわく、じいじはパートナー、父は最強のベビーシッターだ。今頃、ハンバーガーかハンバーグでも食べ終わり、食後のデザートで盛り上がっていることだろう。
 これまでの人生で嗅いだことのない素敵な香りを堪能しながら、つまり今宵のガイド役の女性の香水にうっとりとしながら、僕が気に入るに違いないという店へ連れていってもらった。
「すごくいい匂い、田舎では絶対に嗅げない匂い」と何度も言ってしまった。
 その店にはクーラーがない、と彼女が申し訳なさそうに言った。望むところだ。ふだんクーラーなしで暮らしているので、たまにクーラーの効いたところに長時間いると、クーラー病になってしまう。体がだるくなり、ゴロゴロするしかなくなるという、シュフには大敵な病い。
 開けっ放しの店のカウンターに座る。お通しとともに団扇も出てくる。竹の骨のもの。ギャラリーも兼ねる、アンティークな店内、カウンターには、調味料とともに古本が並ぶ。古本酒場コクテイルである。
 お通しは、冷たいレバー。粗挽きコショウがかかっていて、塩加減がちょうどいい。
 僕が感激していると、彼女が言う。
「文士料理なんです。本の中に出てくる料理を再現してるんですよ」
 その後注文した、鶏のレモン煮、冷製タン、ナス炒め、空芯菜と豚肉の炒め物、キュウリとミョウガの酢の物、塩焼きそば、どれもブラボーな味。
 生まれて初めて嗅ぐ香り、ブンガク的な雰囲気、楽しい会話、帰りの新幹線を一つ遅らせて、モモの土産を一つ増やすことにして、夜は更けていった。
 
 早速、冷たいレバーを再現することに。近所の八百屋で鶏レバーを買ってきた。ハツもついていた。ひと口大に切って、水で洗って、塩漬けにして、冷蔵庫で四時間寝かす。
 ちょっと茹でて、冷めるまで放置。水を切って、また冷蔵庫でキンキンに冷やす。
 食卓に上ったのは、翌々日の朝。
「レバー、食べれるか?」
「当たり前じゃん」
 ミル挽きコショウをレバーにかけて、味見。
「よし、同じ味だ」
 モモに食べさせながら、おとといの武勇伝を語る。いい香りの女性とこれを食べた、と。「いい、きれいな人には、たくさん友達がいるんだよ。パパは、そのうちの一人だから。わかった?」
 ちょっと、にやけていたのだろう。反省。
「で、レバー、どうよ?」
「ああ、おいしい、おいしい」
「弁当にも入れるぞ」
「いいよ」
 シュフたる者、外食したらタダで帰ってきてはならない。一つは新しい料理を覚えてこなくては。
 その日もレバーを仕込んだ。実家に持っていくためだ。夏バテに効いのだが。
 
 この夏は、史上もっとも暑い夏となった。東京では、熱中症で、百人以上が命を落としたらしい。
 うちは、クーラーを使わないのだが、さすがにこの暑さのため、扇風機を二つフル回転させている。最初は、一人一台、自分だけに風を当てていたのだが、もっといい方法を見つけた。扇風機は首を振るからこそ、風が心地よい。むこうを向いて少し待たせて焦らすところも、また心憎い。小さい扇風機で低いところに、大きいほうで高いところに、首を振りながら風を送るにした。上下左右、様々な方向から風が届き、実に心地よい。
 実家でも、クーラーを使わないのだが、この夏は九十二歳の祖母には危険すぎた。
 母から僕に与えられた任務は、祖母がデイケアに行かなくて、実家にいるときの安否確認だ。
 実は、この夏の初め、祖母は夜中に脱水症状で病院に行ったことがある。その時は点滴で元気になったのだが、気は抜けない。
 夏休み中、午後はできるだけ時間をとって、祖母のところにいった。スポーツドリンクを持っていき、薬だと言って飲ませたり、西瓜に塩を振って食べさせたりした。
 チューブの練乳を買った。アイスロボ3の季節がやってきた。それは、かき氷製造器。オモチャのようにちゃちに見えるが、まだ動く。
 そのうち、祖母が寝込んでしまった。以前は、朝起きたら、布団を畳んで押入に収納し、きちんと眉を描いて、台所でテレビを見たり、洗濯物を畳んだりしていたのだが。
 このまま寝たきりになったら、と思うと気が気ではない。
 三十五度を超える猛暑日が続く。祖母も起きてこない。
「おばあちゃん、かき氷だよ」
 と、布団に横になって、イヤホンをつけて、テレビを見ている祖母に声をかける。
「今、来ただか」
 練乳をたっぷりかけたかき氷の入った茶碗を二つ持って、布団の空いているところに座る。
「起きてよ。寝たままじゃ食べられないよ」
「悪いねえ。このごろじゃ、もう起きてられんだよ」
 いよいよか、と緊張しつつ、二人でかき氷にスプーンを突き立てる。
「おいしいねえ。買ってきただか?」
「今、お勝手でつくっただよ」
「何でもできるだねえ。男だに、よくやるねえ。えらいねえ」
 祖母はいつもこれを言う。女でもできんことだ、とも。
 そういえば、この夏、節電のせの字も聞かない。ここの電力会社は、東京でも電気を売るらしい。そんなに電気が余っているのなら、とクーラーをつけてやった。僕が窓を閉め始めたので、祖母が驚く。
「クーラーをつけるよ」
「そんなのあるだか?」
 祖母はうちにクーラーがあることに、さらに驚く。そういえば昨年は使わなかったので、その存在を忘れてしまったのだろう。
「あれやあ、頭痛くなってきたやあ」
 かき氷を食べると、祖母はいつもこうなる。
「おばあちゃん、休み休み食べてよ。で、映画でも観るか」
「いいねえ、横になって見させてもらうでねえ」
 最近、買ったばかりの「オペラ座の怪人」のDVDをかける。祖母は最初わけがわからなかったようだが、そのうち音楽に魅了されていったようだ。ところどころ拍手しながら見ている。
 祖母がイヤホンで聴いているので、僕は隣の部屋で、襖を開け、冷気をわけていただき、高校野球を見ながら、シエスタすることにした。
 そんな日が数日続いたら、いつの間にか、祖母はまた朝布団を畳んで、眉を描いて、起きてくるようになった。
「いつまでも寝てるわけにゃいかんだよ。やることあるでねえ」
 僕は午後のシエスタが習慣になりつつあった。そういえば、昼寝は夏の季語だ。
「布団しいてやるかね」
 今度は祖母がそんなことを言うようになった。

 モモからメールが届く。
「今日は手弁で、よろしく」
 今日は忙しく、晩ごはんの弁当を時間かけて食べられないので、勉強しながら片手で食べられる弁当を用意しろ、という意味だ。
 布巾を濡らして絞って、おしぼりケースに入れる。
 手弁のバリエーションは、サンドイッチやおにぎりに加え、蒸しパンやトルティーヤもある。
 蒸しパンは、シリコン製のキッチングッズ「ルクエ」に、薄力粉100g、ベーキングパウダー7g、砂糖50g、油20cc、牛乳または豆乳80ccを混ぜて流し込み、電子レンジで5分加熱すればできあがる。サイの目に切ったサツマイモを入れたり、塩コショウしてチーズをのっけたり、砂糖を減らしてブルーベリージャムを垂らしたり、といくつかのバージョンがある。
 トルティーヤは、強力粉100g、塩ひとつまみ、オリーブ油大さじ半分、ぬるま湯50ccを混ぜて、こねて、30分休ませる。三等分して、丸く延ばして、油を引かないフライパンでちょっと焼く。具は無限のバリエーションがあるが、最近つくったのは、アボカドを潰し、塩コショウして、マヨネーズとあえたもの、茹でて裂いた鶏胸肉、トマト少々を入れて、丸めてラップで包む。
 ライスバーガー風おにぎりは、この夏、考案した。茶碗に半分ごはんを入れ、鶏胸肉の照り焼きと千切りキュウリをのせ、マヨネーズと、もう半分ごはんをその上によそい、ハンバーガー型に握り、白胡麻を散らす。
 夜弁当は、つくってから食べるまでの時間が短いので、温かい麻婆ナスを持っていき、温かいごはんに、食べる直前にかける、なんてワザも可能だ。
 俳句のように制限があると、創作意欲はいっそう刺激されるというものだ。

 ちょくちょく、両親の店に行っては、母のコーヒーをいただく。父の寿司をいただくことも。もちろん、タダで。実にありがたい。
 八月に入り、いつも飲むコーヒーは、ホットからアイスになった。
「たまにゃ、自分でやりないよ」
 母がくたびれていると、自分でドリップすることになる。時に店番をすることがあるので、練習しておけということだ。
 アイスの豆は、ホットとは違う専用の豆。豆の量は1.5倍だが、抽出量は少なく1杯100cc。氷を入れて一気に冷やし、氷の入ったグラスに注ぎ、キンキンに冷えればできあがり。少し多めの豆とひと手間、値段がホットより少し高いのも納得だ。
 コーヒーは、苦いと思ったら、美味しいコーヒーではない。コーヒーの味と苦さは別のものだ。チェーン店のコーヒーは苦い。だから、たいてい僕は飲み干せず、席代と新聞や雑誌の情報料としてカネを払ってくる。
「パパ、アイスコーヒー買ってきて」
 モモが友達にアイスコーヒーをもらい、それが美味しかったらしい。
「飲めるのか?」
「まあね。眠気覚ましにもなるしさ」
 モモがメーカー名を言った。1リットルのペットボトルで200円もしないという。
「そんなのおかしいだろ」
「いいじゃん、買ってきてよ」
 試しに買ってきた。ま、コーヒー味のジュースといったところか。
 その濃さと甘さを確認して、うちの豆を挽いて、ドリップして、氷で冷やして、水筒に入れ、モモに持たせた。
「で、コーヒー美味かったか?」
 モモが水筒を流しに持ってきたときに訊いた。
「うん、美味しかったよ」
「コーヒーの味わかるのか?」
「わかるよ。ちょっと砂糖入れればね」
「明日も持ってくか?」
「うん。頼むよ」
「あれ、うちのコーヒーだぞ」
「パパがつくったの?」
「じゃ、買ったのは?」
「ちょっと飲んで捨てた」
 もったいないだとか、偏ってるとか言われ、コーヒー1リットル200円で売る罪について話そうと思ったが、めんどくさいのでやめておいた。
「資本主義の奴隷はゴメンだ」
「まったくアカなんだから」
 モモはアカの意味がわかるようになったらしい。
 ま、コーヒーの味もわかるようになったことは喜ばしいことである。

 八月や六日九日十五日  作者不詳
 そんな俳句があることを知った。
 毎年、八月六日は、広島風お好み焼きをつくる。モモが小学四年の年の八月六日、僕たちは広島にいた。原水爆禁止世界大会というものに一度行ってみたかったのだ。本当に世界中から平和を求める人たちが集まっていることに驚いた。炎天下、蝉の声を聞きながら、平和式典の様子を眺め、夜は灯籠も流した。
 その旅の間、広島風お好み焼きを三回食べた。お好み焼きの作り方をずっと観察して、うちのフライパンで再現してみた。試行錯誤の結果、なんとか似たようなものができるようになった。
 まず、焼きそばを炒めて、皿にとる。薄力粉を水でシャビシャビに溶き、フライパンに垂らして、丸く延ばす。そこに千切りキャベツをドサッと置き、もやし、焼きそば、豚の三枚肉を重ね、軽く塩コショウをする。シャビシャビの薄力粉を少しその上からかけて、しばらく焼いてから、ヘラを二つ使って、勇気を持ってひっくり返す。しばらく焼いてから、お好み焼きを持ち上げて、その下に少し溶いた卵を流し込み、またお好み焼きで封じ込め、卵が固まればできあがり。
 八月六日の昼、ひさしぶりに、焼いたのだが、非常にうまくできた。そこで、食後にもう二枚焼いて、実家にも持っていった。料理は分けあえば分け合うほど、美味くなる。
 三日後、スーパーで長崎皿うどんを見つけたので、袋に書いてあるレシピ通りにつくって、昼ごはんにした。揚げた細麺に熱々のあんをかけ、熱っ、とろっ、パリっと、食感も楽しい。モモがこんなに大きくなる前に、長崎の世界大会にも行くべきだったことを、後悔しつつ、長崎皿うどんを食べ終えた
  十五日は、特別なものはつくらず、いつも食べているようなものを、いつも通り食べた。
 正午、モモは学校にいて、僕はプールサイドにいたのだが、サイレンにあわせて、それぞれ黙祷をした。

 完熟トマトが切れなくなった。包丁を研がなくてはならない。
 小学生の頃、父に教わり、図工で使う彫刻刀や田舎男子の必需品小刀をよく研いだ。だから、僕の刃物はクラスで一番輝き、当然、一番よく切れた。
 僕のメイン包丁は、高校を卒業してからずっと使っている。一人住まいを始めるとき買ってもらったものだ。関孫六の銘、鋼をステンレスで挟んだ刃。これが一番長いつきあい、もはや手の延長とも言える。
 サブ包丁は、グローバルの13cmのペティナイフ。持ち手までステンレス一体型、切れ味はこの方が上だ。医療用メスもつくるメーカーらしい。
 それよりさらに小さい包丁は、これも関孫六。鋼なので、ちゃんと水気をとらないとすぐに錆びるが、切れ味は抜群だ。鶏肉をブスブス刺したり、イチゴのヘタを採ったり、飾り包丁を入れたり、と小技に大活躍する。
 さて、もう一丁は、父にねだってもらった刺身包丁。銘は正本。日本刀のように輝く、板前の魂ともいえる包丁を、魂ごと引き継いだ。細くて長くて、先はとがってない型、まさに刺身を切るためだけのに特化したもの。刺身を切るときは、包丁を前後させてはいけない。細胞が壊れ、水気が出てきて、不味くなる。だから一太刀で刺身を切り落とせるよう、刺身包丁は長いのだ。
 砥石は、凸凹がひどくなってきたので、砥石用の砥石で表面を平らに研いでおいた。数分、水につけておく。
 早速、小さい包丁から、研ぎ始める。塗れ布巾の上に砥石を置き、ボウルに張った水をちょくちょくかけながら、砥石の上を一定の角度で刃を滑らせる。刃がちゃんと当たっているかどうかは、音と感触で判断する。
 研げたかどうかは、電灯の下で刃先を上に向ければ、すぐわかる。刃先が、鋭くなければ光を反射するが、鋭ければ反射しない。
  最後に刺身包丁を慎重に研ぎ終わると、厳粛な気持ちになる。
 そういえば、モモの包丁もあった。先が丸い子ども用の小さい包丁。いちおう、研いでおく。こんな包丁でも、よく切れるようになる。
 土曜日の遅めの朝食の後、無事にすべて研ぎ終えた。
「ついでに、モモの包丁も研いどいてやったぞ」
 ダイニングテーブルで、暗記物をしていたモモに恩を着せる。
「ほんと、ありがとう」
「じゃ、梨でも切ってみるか?」
「パパが切っていいよ」
 ま、ちょうど切れ味も試したかったところだ。

 ダイニングテーブルの上のノートパソコンで、シングルママフレンドに勧められたDVDを見た。ドキュメンタリー映画「フォーク・オーバー・ナイフ」。タイトルの意味は、食事のフォークは手術のメスよりすごい。つまり、Let food be thy medicine. 食べ物を汝の薬とせよ、と。
 生きていくのに必要な、栄養素の一つ。タンパク質。これがなければ、力は出ない。だから、肉を食べて、筋肉をつける。
 と、多くのひとは思っているし、僕もそれを疑ったことはなかった。
 映画には、筋肉隆々の格闘技のチャンピオンが出てくる。実は、彼はベジタリアン。植物性タンパク質でも、筋肉はつくし、チャンピオンにもなれるのだ。
 植物性タンパク質だけを与えられたラットと、動物性タンパク質だけを与えられたラット、どちらが癌になりやすいか。圧倒的に、後者。少し怖くなってきた。
 ジャンクフードを食べると、なぜ太るか?栄養素の乏しいジャンクフードを食べても、人間の体はすぐ満腹を感じない。だから、食べ過ぎる。油と糖分は、麻薬性があるので、もっと食べたくなる。太るわけだ。皮肉なことに、貧困層は安いジャンクフードに走るため、貧困層ほど肥満が多いらしい。
 骨をつくるには、カルシウム。だから、牛乳は欠かせない。多くの人も、もちろん僕もずっとそう思っていた。しかし、牛乳とは、そもそも、牛の赤ちゃんのためのもの。牛でもない、赤ちゃんでもない、人間の大人が、せっせとカルシウムをとるために牛乳を飲む。しかも、毎日。たしかに、おかしい気もする。
 映画で紹介された実験では、牛乳が、人間の骨をちっとも丈夫にしないことが証明される。学校の給食で毎日飲んでいた牛乳、給食で出たのだから体にいいはず、と卒業後もいつも冷蔵庫に常備させてきた。
  DVDを見終わると、これまで一度も疑ったことのない肉と牛乳の神話が一気に崩れ落ちた。
  カネか。日本中の学校の給食で、牛乳を子ども達に毎日飲ませれば、卒業後もずっと買ってくれるだろう。パンも同じ理由か。給食では、ごはんよりパンの方が圧倒的に多かった。米が主食の日本人に、なぜパン食を強いるのだろう。アメリカの小麦粉を売るためか。またカネだ。
 菜食が最良の薬、映画はそう主張する。もう、肉も牛乳もいらなくなってきた。

 僕はパソコンの電源を切り、キッチンに立つと、圧力鍋で玄米を炊いた。
  その夜、モモと郊外の巨大ショッピングモールに行くことになっていた。モモの誕生日が近いので、プレゼントに夏服を買うために。また他にも、モモはいろいろと買い物もあるのだそうだ。
 この巨大ショッピングモールの進出で、商店街の個人商店はほぼ壊滅に追い込まれ、町の風景が変わってしまった。ショッピングモールは、まるで、資本主義帝国の侵略者のようだ。
 資本主義の奴隷になるわけにはいかない。せめて、胃袋の中という聖地だけは侵略させるわけにいかない。フードコートやらで、ジャンクフードを食べるわけにはいかない。
 だから、夕食は、車の中で食べることにした。
 枝豆に塩を振って、フライパンで、少し水を張り、蓋をして蒸し焼きにした。炊きあがった玄米に、枝豆を混ぜて、豆ごはんにした。そして、まだ熱い玄米を、握った。具は塩昆布。胡麻を擦り、表面にまぶした。このおにぎりを、竹を編んだ弁当箱に入れた。もしラップで包んだりしたら、水蒸気が水滴になり、おにぎりの表面が濡れてしまう。
 モモと合流し、ショッピングモールの駐車場の車の中で、窓を全開にして、夜風に当たりながら食べた。
「パパ、おかずは?」
「入ってる」
「なるほどね」
 いつもより、夕食の時間が遅れ、僕たちはそうとう空腹だった。空腹は、たしかに、最良のスパイスだ。
 玄米には、白米にはない、力がある。おかずに頼らない自立した美味。
「けっこう美味しいね」
「当たり前だ。ベジ弁だぞ。体が喜んでるのが、わかるか?」
「はいはい」
 ベジタリアンになろう考えている、と言ったら、「勝手にどうぞ」とモモが即答した。
「押しつけないでよ」
 モモはやはり肉食だ。
 さて、モモのショッピングのついでに、僕も小物を買った。度つきゴーグル、レ・ミゼラブルのDVD、深夜食堂という漫画の新刊、食材も少々。あっという間に、予算以上のカネを落としていた。不覚にも、すっかり、資本主義の奴隷に成り下がっていた。
 おまけに、翌日は、モモとバーベキューに出かけることにもなっている。
 キッチンのチェ・ゲバラになる道は、遠く、険しく、そして誘惑が多すぎる。

「長月」

 まだ蝉が鳴いたり、昼間三十度を超えたりもするが、夕方にはすっかり涼しくなる。
 夜になれば、外では、秋の虫が、三重奏か四重奏くらいで、なかなか賑やかになってきた。
 毎年、秋めいてくると、あんなに毎日飲んでいて麦茶が美味しくなくなる。素麺も食べたくなる。実に、不思議だ。
 九月はちょっと難しい月である。夏野菜はもう終わりで、かといって、秋野菜はまで出てこない。九月の料理というと、何も思いつかない。
 ここのところ、弁当もマンネリ化してきた。白米、緑の野菜、卵焼き、肉のメインおかず、フルーツ。白米が、日の丸弁当になったり、おにぎりになったりするが、代わり映えはまったくしない。
 夜の弁当も、マンネリ化。速くつくれて、速く食べられるものということで、のっけ弁の頻度が高くなってきた。ごはんの上に、おかずをドーンとのせて、タレを染みこませ、ちょこっと付けあわせ。非常にシンプルな弁当。
 別に不味いわけではないので、今のところ、モモも文句を言ったりはしないが、シュフとしては納得のいかない日々が続いている。
 そろそろ、修行に出るころなのだろう。修行で一番いいのは、旅だ。旅先の地元食材を使った料理に、料理観を何度も変えられてきた。飲み会や外食などでも、発見がある。
「つけ麺いっちゃう?」
 と、突然、モモが言った。土曜日の昼ごはんをどうするか、僕が訊いたのだ。
 自慢の教え子の一人が、ラーメン屋の店長を務めている。そういえば、ここしばらくご無沙汰だ。
 即決。
 車をちょっと走らせ、この町と隣町の境目をちょっと超えたところの店に到着。カウンターと窓際のテーブル席が三つほどの小さめの店だ。
 カウンターの向こうの厨房にいた店長は、すぐに気づき、頭を下げた。僕たちはテーブル席に腰を下ろし、僕たちは二種類のつけ麺を注文した。
 店長は黒いTシャツを着て、店内は黒を基調としたインテリア。余計な色がない分、ラーメンに集中ができる。
 それぞれのつけ麺を半分食べ、スープを交換して、残り半分を食べた。
 彼のつくるラーメンは、説明ができない。もちろん、美味。いつも外で出会った美味を、うちで再現しようと思うのだが、これは説明ができないので、再現もできない。
 だから僕はただその美味を鑑賞するだけ。コンサートの感動にお金を払うように、その美味の感動にお金を払う。一杯千円もしないのに、この充実感。感謝の言葉しか浮かばない。
 レジでおつりをもらっていると、彼がわざわざ出てきて、頭を下げた。
「つけ麺、ハンパねえぞ」
「ありがとうございます。あれ、俺が五分でテキトーに考えたレシピなんですけどね」
「マジか。やりよるわ。な、モモ。」
「ほんと美味しくて、ハンパなかったです」とモモが言うと、店長はまた深々と頭を下げた。

 翌日、日曜の晩、またつけ麺を食べたくなったので、スーパーで、市販のつけ麺を買った。うちに帰ると、ショウガとニンニクと長ネギのみじん切りをごま油で炒め、挽肉を足して、さらに炒め、スープの素を入れて、スープをつくった。味見をすると、教え子の味にはとうてい及ばないが、スープの素を使っているだけに、僕には出せない美味が出た。
 麺は、もやしと一緒に茹でて、かさ増しした。
 モモをダイニングに呼び、テレビを見ながら、食べた。
「どうよ?」
「いいよ」
「いいよって何だ?」
「美味い、美味い」
 二回言われると、言葉の重みが半減する。
 テレビでは、バイト学生がネット上に厨房でのいたずら写真を投稿し、その店が閉店に追い込まれ、学生は損害賠償を請求されるというニュースが流れていた。
「バカだねえ」とモモ。
 僕も他に言葉が浮かばない。
 うちは、基本、外でバイトがつくるようなものは食べない。僕は料理ができるので、僕より料理が上手なプロにしかカネを払いたくないのだ。
 今日は疲れたからコンビニ弁当とか、帰り遅くなっちゃったからファーストフードとか、シュフの辞書にはない言葉だ。
 やはり、ここは美味しい手打ち蕎麦屋理論だ。この理論を拡散しなくてはならない。
  たとえば、腕のいい蕎麦職人がいる。小さな店を出し、好評を博している。
 しかし、一人で蕎麦を打っているので、一日に出せる蕎麦の量には限りがある。だから、日々、売り切れゴメンの商売だ。
 もし、ここでカネに執着したら、バイトを一人雇って、倍の蕎麦を打ち、売り上げを倍増することを思いつくだろう。
 そして、実際に売り上げが倍増したら、さらに欲が出て、バイトをもう一人雇い、三倍の量の蕎麦を打ち、売り上げを三倍にしたくなるだろう。
 職人の両側にバイトを配置し、二人に手伝わせて蕎麦を打つが、職人が打った蕎麦とまったく同じというわけにはいかない。それでも、これまでの評判の貯金で、客は増え続ける。
 やがて、バイトをさらに増やし、さらに売り上げが増えると、店を拡張することを思いつく。
 ここで、借金をすることになる。
 さて、この段階で、職人は、美味しい蕎麦をつくるために蕎麦を打っていた初心を忘れ、カネを稼ぐために蕎麦を打つようになっている。やがて、蕎麦の味が落ち、その口コミが徐々に広がっていき、売り上げが伸び悩むようになる。
 もしこの時点で、バイトのいたずら写真投稿などあれば、店は、即、閉店に追い込まれるだろう。
 バイトが増えれば、目が届かなくなるのも無理はない。カネのために働くバイトの意識がさほど高いとも思えない。
 口コミがさらに広がると、売り上げがぐんぐん落ち始める。バイトを減らし出費を減らすが、営業の存続が危うくなっていく。しかし、借金は、しっかり、残ったままだ。
 そして、借金が返せなくなり、店を畳むことに……。
 実は、腕のいい蕎麦職人が売り切れゴメンの店を営んで時点で、もうそれは大成功だったのだ。しかし、この大成功を大成功と思わないから、大失敗をすることになってしまう。
「もうバイトがつくったの食べたくない」とモモ。
「いくら安くても、いくら腹減っててもか?」
「やっぱ、食べるかも」
 手打ち蕎麦屋理論をモモに話すのは今、と思っているうちに、モモがダイニングテーブルで勉強を始めてしまったので、またそのうち話すことにした。

 僕は高校三年生のクラス担任である。僕のクラスでは、月曜日の七時間目、週に一回あるロングホームルームの時間で、調理実習をすることになっていた。実は、一学期にも調理実習を行い、今回で二回目。
 この学校の家庭科教師は実に厳しい。各班にレシピを提出させ、添削をしてから、ようやく調理室を貸してくれる。五十分の時間内に調理して、食べて、片づけまで終わらせなくてはならない。前回は、完璧に終わったと思ったら、シンクに水滴が残っていたと叱られてしまった。
 一年生のとき男女共学で家庭科を学んだ生徒達は慣れたもので、無理をせず、シンプルなレシピで調理を始めた。
 僕はというと、料理が苦手な女子三人の班に、勝手に入れられていた。前回はホットサンドをつくり好評で、今回もホットサンドということになった。
 パンは購買で三斤予約しておいた。具は、チョコ&バナナとハム&チーズ。僕のキッチンから、パン切り包丁、食パンを切るための道具のパンカットガイド、、直火用ホットサンドメーカー、四色ペッパーミルと岩塩のミル、研ぎたてのペティナイフを持ち込んでいた。
 他の班を見わたすと、蒸しケーキ、パンケーキ、たこ焼きなど。
  僕の班はこの前とまったく同じものをつくるので、生徒達だけでつくらせた。そこで、僕は調理室の中を見回りながら、アドバイスをしたり、味見をしたりした。
 生徒達はとにかく僕に食べさせようとする。生徒達より英語が上手な僕は尊敬しないが、生徒達より料理が上手な僕は尊敬するらしい。シュフの僕に褒めてもらいたいのだ。少し食べては、表情豊かに、大げさな褒める。生徒達はテストでいい点をとったときより喜ぶのが、実におもしろい。
 おやつにしてはちょっと食べ過ぎたが、生徒達のつくるものはどれも微笑ましいほどの力作。とにかく、褒めまくった。
 できたら褒めるのではなく、褒めるからできるようになる。と、母がどこかから聞いてきて、僕に話した。教師は褒めるプロでもある。次はもっと美味しいものができあがるはずだ。
 今回も時間内に片づけが終わり、僕が最終点検をして、シンクの水滴も一滴残らずふき取った。各班長は、家庭科教師に使用させてもらったお礼を言いにいった。
 で、家庭科教師の講評。調理中、はしゃぎすぎ。あれでは、料理につばきが飛ぶ。
 たしかに、僕も生徒と一緒になってはしゃいでいたのは事実で、反省しなくてはならないのだが、どういうわけか調理室を他の者に使わせたくないようだ。自分のキッチンを荒らされるような気になるのだろうか。
 それでも、卒業間際にもう一度調理実習を敢行することを企んでいる。

 この時期、仕事はたいてい六時に終わる。終わらなくても、終える。
 そして、うちのキッチンに直行し、二回目の弁当をつくる。
 九月に入っても頻度が多いのは、ワンボックスのっけ弁。ごはんを炊いて弁当箱に入れ、その上に千切りキャベツをのっけた。鶏胸肉を薄く切り、片栗粉をまぶし、フライパンで焼き、塩コショウ、醤油、みりん、ショウガのすり下ろし、仕上げのごま油で味付けをしたものを、キャベツの上にのっける。蓋をして、モモのところに届ける頃には、タレがキャベツの層を突き抜け、ごはんに達しているだろう。タレの染み具合を計算に入れた、少し高度な弁当、のはず。
 月のきれいな夜、弁当を持って、モモを学校に迎えに行った。そこから塾に送り届けるのだ。移動中の車のラジオで、その夜が中秋の名月で、しかも満月とのこと。次は8年後だとも。
 名月のことを忘れてていた。あわてて、途中でコンビニにより、和菓子コーナーで団子を買った。
 モモを塾の駐車場で下ろした。
「月を見ろ」
「すごーい」
「中秋の名月だってさ」
「よく聞くけど、どういう意味?」
「知らないのか?古典で習うだろ」
 実は僕もよく知らなかった。
「とりあえず、月見て、この団子も食っとけ」
 モモは和菓子の存在に喜び、月を見上げながら、塾の建物の中に入っていった。
 さて、それから僕が向かったのは、実家である。母と祖母と兄が、ちょうど夕食後のお茶を飲んでいたところだった。
 実家は、平屋の小さな家だが、南に一間の廊下がついている。だいぶ物置き化されているが、縁側らしき空間が残っている。やはり、月見は縁側だ。僕のアパートのベランダで、というわけにはいかない。
 団子を買ってきたというと、縁側に実家の面々が集まってきた。縁側の向こうの小さな庭で、今宵も秋の虫がおそらく四重奏で賑やかだ。
「何とも言えないねえ」と祖母。
 母がお茶を持ってきてくれ、兄もこちらにやってきた。
 そういえば、父がいないが、残業と言いつつ、パチンコだろう。父の分の団子は残しておいた。
「東京でも同じ月を見てるだかいやあ」と祖母。
「同じ月だけど、ビルが邪魔で見えんかもね」
 実家のまわりは、田んぼなので、町の灯りがない。ゆえに、月がいっそうきれいに見えるのだろう。コンビニ団子だが、意外に美味い。
「さ、私ぁ忙しいで、こんなことばっかしてられやあ」
 と、祖母が言った。まだ皿洗いが残っていて、その後、洗濯物も畳むという。
「おばあちゃんも大変だねえ」
「私ぁ、用がいっぱいだねねえ」
 祖母が台所に戻ってからも、しばらく、兄と月を見ていた。
「兄ちゃん、月、見える?」
「アイ」と兄は元気よく返事はするが、団子にしか興味はないようだ。やはり、月より団子か。

 縁側でコンビニ団子祖母と食う

 そんな俳句をつくってみたが、どうもしっくりこない。それでも、こっそりフェイスブックにアップした。

キッチン菜時記 秋冬

「神無月」

 揚げ物は、実は苦手だ。カロリーが高そうで、油の処理も面倒だ。
 しかし、絶好の体育大会日和で、モモの高校の体育大会が行われる日となれば、揚げないわけにいかない。揚げ物のため、いつもより早く起きた。モモも、めずらしく早起きをして、洗面所で、髪のセットに時間をかけている。朝練があるのだそうだ。
 毎年、体育大会の日の弁当は決まっている。高校生の弁当のおかずランキング堂々の第一位の鶏の唐揚げだ。
 一口大に切った鶏もも肉は、酒と醤油とすりおろニンニクの下味をつけ、一晩寝かせておいた。その鶏肉を、ボウルの中で片栗粉にまぶしたら、ギュッと握り、余計な粉ははたく。
 油の温度は百八十度、少し色づいたら、いったん網の上に放置。その間に、余熱が芯まで届く。油を二百度まで上げ、もう一度揚げて、きつね色になれば、できあがりだ。
「いい匂い、朝ごはんのもある?」
 モモが頭の上に大きな団子をのっけてやってきた。お団子ヘアだ。
「味見がてら、食べていいぞ」
 僕も立ったまま一ついただく。外はカリッと、中はジューシー、ニンニクも効いている。
「たしかに、うまいな、これ」
「なら、もっと、つくってよ」
「たまに食べるから、うまいんだって」
「いいじゃん、もっとつくれば」
「太るぞ」
「ならいい」
 よし。
 揚げ物は、やはり面倒だ。
 
 翌日は、僕の勤務する高校の体育大会だった。
 バリバリの文系の僕が担任するクラスは、全国レベルの選手もいる、バリバリの体育会系クラス。担任教師が冷めているにもかかわらず、生徒達は熱い。賞状を荒稼ぎした体育会系生徒だけでなく、文化会系生徒達も、ムカデ競争や長縄跳びなどのレクリエーション種目で活躍し、クラス対抗で準優勝した。
 閉会式後、生徒達をねぎらうと、アスリート達にクッキーを要求された。
 毎年、ホワイトデーのお返しに配るクッキーが、ちょっとした評判なのだ。
「じゃ、今晩、クッキー焼いてくるぞ」
 生徒達は、閉会式の結果発表と同じくらい、喜んだ。ま、生徒達を大して応援しなかった罪滅ぼしだ。
 帰りに、最近高価な無塩バターと、粉砂糖を買って帰る。
 夕食の片づけが終わると、作業にとりかかった。
 三対二対一が黄金比だ。薄力粉一八○g、無塩バター一二○g、粉砂糖六○g。それに、卵黄一ヶと塩少々。これで、四十枚分。
 ココナツも買ってきたので、それを混ぜることにした。
 まず、室温に戻して、柔らかくしたバターを練る。最初は重いが、途中からふっと軽くなる。粉砂糖を少しずつ混ぜ、卵黄も投入して、さらに練る。ふるった粉とココナツとあわせ、ゴムべらで、切るように混ぜる。徐々に粉っぽさがなくなり、固まってくる。二等分して、それぞれラップにのせ、30センチ筒状に丸めて包み、冷蔵庫で冷やす。急いでるときは、冷凍庫。
 固まったら、沢庵を切るように、八ミリくらいの厚さに切る。一本で二十枚くらい。その間、オーブンを一八○度に予熱して、天板にオーブンシートを敷き、その上にクッキーのタネを並べ、十六分焼く。焼けたら、網の上にのせ、冷ます。これをもう一本焼いて、四十枚と少しできた。
「いい匂いだねえ」
 部屋中に漂う甘く香ばしい匂いに、つられてモモがやってきた。
「味見してあげるよ」
 両端の形の悪い部分のクッキーを四枚、山分けすることにした。
「美味しいねえ。これなら、みんな喜ぶよ」
 ま、いつも通りだ。味見クッキーは二枚ずつのはずが、僕が紅茶を淹れているうちに、三枚とられてしまった。
「もう食うなよ。足りなくなったら恨まれる」
 残り一枚のクッキーは、モモに取られる前に、半分、口に入れた。
 硬すぎず、柔らかすぎず、絶妙のサクサク感。レシピ完成までの道のりを思い出しながら、紅茶を一口飲み、残り半分を食べた。

 一年ほど前、ブンガクの研究集会で、三重の鳥羽に行ったときのこと。
 僕が海鮮丼を食べていると、恩師でもある同志が、伊勢うどんを食べていた。極太でもちもちしたうどんに、ダシのきいた濃厚なタレと刻みネギがかかっているだけのシンプルなもの。つゆの中に入ったコシのあるうどんとは、対極のうどん。ネギが、そのうどんとタレの強い個性がぶつかりあわないように調整役を果たしているようだ。
 新鮮な魚介類が何種類もてんこ盛りの海鮮丼をむこうにまわしての伊勢うどんのその存在感。
 一口食べさせてもらえばよかったと、一年経った今でも後悔している。
「これがありゃ、他に何もいらないなあ」
 その同志の言葉が今も忘れられない。
 そんな伊勢うどんを思い出したのは、生命保険がきっかけだ。
 実は、自分がどんな生命保険に入っているのか、よくわかっていなかった。このアパートにまで上がり込んでだりもする生保レディーにしつこく勧誘され、これなら保険に入ったほうが楽な気になった。とにかく、ありとあらゆる不幸のパターンを示され、不安を煽られ、様々な特約をつけてもらっているうちに、何がどうなっているのかわからなくなった。
 当然、毎月の保険料の支払いは、複雑になればなるほど、高額になった。
 職場で、数字に強そうな同僚に、どんな保険に入っているか、と訊くと、そんな同僚でさえ自分が加入している保険について説明できなかった。これには、驚いた。
 ふつう、何か買うとき、自分がどんなものを買うのかわからないなんてことはない。しかし、生命保険に関しては、訳のわからない複雑な商品にカネを払わされている。毎月、口座から引き下ろされ、何もしなければ、定年になるまで何十年も。
 そして、その集められたカネは、運用に回され、生命保険加入者は、気づかないうちにマネーゲームに参加させられる。石油を買い占め、値段をつり上げてから、売りさばき、巨万の富を手に入れ、世界中に迷惑をかけているような投資家に、無意識に、間接的に、手を貸していることになるのだ。また、莫大なCM料、働き者の生保レディの給料、さらにはバブル崩壊時に出た損失の補填にまで、訳もわからず払いこんだ保険料が注ぎ込まれている。
 生命保険は、人生で二番目に高い買い物と言われる。そんな高額商品に、それがどんなものかも知らずにカネを払い続けてきたことが恥ずかしい。
 生命保険とは、もし僕が死んだら、モモが大学に通えるくらいのカネを残すために、月々保険料を払うという、シンプルな行為だ。どんぶりに何が入っているか一目瞭然の素うどんのように。
 しかし、その生命保険が、様々な恐怖を煽られ、様々な特約を契約させられ、トッピングが多すぎて、もはや上に何がのっているかわかない、ぐちゃぐちゃうどんのようになっている。
 共済というのもある。みんなでカネを少しずつ出し合って、誰かが困ったら、その人にあげる。もし、そのカネが余ったら、返ってくる。
 共済型の素うどんのほうが好きだ。僕が入っている教職員組合でも取り扱っている。実は、こちらにも加入していた。今、僕が死んでも、二千五百万円ほどモモに支払われるらしい。
 ということで、こちらの共済を残し、生命保険は解約することにした。ぐちゃぐちゃトッピングうどんはやめて、伊勢うどんを選んだのだ。
 それにしても、伊勢うどん、どんな味がするのだろう。その一杯を食べるためだけでも、伊勢に行ってみたい。
 生保レディに電話をしたとき、多少泣きつかれたが、勇気を出して解約したら、数日後、百万円ほど、返ってきた。ますます、わけがわからなくなった。
 交通費を含めても、伊勢うどんを何度も食べに行けそうだ。

 モモが、明日の土曜日は模擬試験を受ける、という。
「勝負だからね」とモモは気合い充分。
 明朝は早めにうちを出て、コンビニに寄り、菓子を買うという。
「頭使うと、甘いものほしくなるからね」
 うちは、試験の朝は、カレーと決まっている。かつて、有名なスポーツ選手が、試合のある日は毎朝、カレーを食べると聞き、それ以来、試験の朝は勝負カレーとなった。高校受験の朝もカレーを食べた。
  以前は、前の晩にカレーをつくり、翌朝、温めて食べていたのだが、この頃は、朝、弁当をつくりながら、手早くつくってしまう。和カレーだ。
 肉とタマネギとシメジを炒め、スティック状に切ったジャガイモも加える。薄目のダシつゆを注ぎ、砂糖を少し足して、煮込み、野菜がやわらかくなったら、最後にルーを溶かす。ほうれん草を、レンジでチンして、水にさらして、絞って、トッピング。十五分もあればできてしまう。
 この和カレー、ごはんだけでなく、うどんにもよくあう。
 翌朝、コンビニに寄る時間を捻出するため、慌てて朝の支度をした。僕も勤務する学校で模試の監督をすることになっていたので、モモと一緒にうちを出た。
 僕も試験監督中、この時間にモモが受けているはず英語の問題に目を通した。和カレーを朝食べたくらいでは、モモにはとても答えられそうにない。僕まで、焦ってきた。
 今年は、こんな思いをあと何度もするのだろう。何度も、朝カレーもつくるのだろう。

 ようやく秋らしくなってきた。
 この時期、大学のAO入試の季節である。AO入試とは、偏差値では測れない受験生の才能や個性を問う入試である。
 僕のクラスの生徒の一人がプレゼンテーションを見てほしいと頼んできた。彼女の夢は料理教室の先生だ。彼女は、毎朝の自分の弁当をつくり、休日には父親とカフェ巡りをして舌を磨き、日々、美味を追求している。さらに料理の研究を深めるため、家政学部志望だ。僕とは非常に話の合う生徒の一人である。
 放課後の空いている教室で、プレゼンテーションの練習をすることにした。
 彼女は椅子に座ると、スケッチブックを取り出した。
「私はフードポットを使ってどんな料理ができるか、いろいろ試してみました」
 スケッチブックの表紙をめくると、スープの写真と、イラストを使ったレシピが書いてあった。
 フードポットとは、スープ用の保温容器のことである。朝、熱いスープを入れて学校に持っていけば、昼、まだ温かいスープを飲むことができる。
 彼女の説明によれば、フードポットに米を大さじ二杯入れて、湯を注ぎ、三時間待てば、お粥になるらしい。つまり、単なる弁当容器ではなく、保温調理器としても使えるのだ。
 リゾットや、マカロニ入りミネストローネなど、登校する前にうちで仕込んでおけば、授業を受けている間に、保温調理が進み、お昼にはあったかい弁当ができあがる。
 これは、革命だ。
 彼女はスケッチブックをめくりながら、次々とフードポットのレシピを紹介し、その試行錯誤を語っていく。料理においては、失敗例も、成功例に劣らず、役に立つ。すべきことだけでなく、すべきではないことも知らなくてはならないからだ。
 彼女のスケッチブックをめくる手が止まらなくなった。
「悪い、実は職員会議が始まるからさ。もう行かなくちゃ」
「あ、お忙しいところすみませんでした。ところで、私のプレゼンテーションどうでしたか?」
「むずかしいなあ」
「え、やっぱりダメですか」
「落ちる要素を見つけるのがむずかしい」
 いったん、落ち込んだ表情を見せた彼女が笑顔を見せた。
 AO入試で、絶対に必要なものがある。パッションだ。彼女にはそれが充分ある。
 僕は絶対に合格すると思った。絶対にフードポットを買おうとも思った。

 早速、モモにフードポットを買いにいった。いつくか類似品があり、スープジャーやら、フードコンテナーやら、名前も様々。どれもさほど保温能力には差はなさそうだったので、洗いやすさで選んだ。
 和カレーをつくって、フードポットに入れた。うどんとほうれん草を茹でて、タッパーに入れ、モモの塾弁当にした。食べるときに、和カレーをかけるのだ。
 二人の友達に味見されたほど、好評だったようだ。
 翌日は、トマトリゾット弁当。その翌日には、麻婆茄子を入れ、麻婆茄子丼弁当。またその翌日は、つけ麺弁当。
 ぶっかけ系弁当で、僕のレパートリーが一気に広がった。連日、友達に味見されるほど、好評のようだ。
 保温調理弁当は、そのうち挑戦してみることにしよう。
 彼女が受かったら、もう一度、あのスケッチブックを見せてもらい、もっと教えてもらおう。

 一年に一度の人間ドックの季節がやってきた。
 調整期間を設けて臨む同僚もいるが、僕はいたっていつもの生活を続けて、前夜八時から絶食して、ドックに入った。
 身体測定、血液検査、聴力検査、視力検査、超音波エコー検査、肺活量検査などを着々と片づけ、最後のクライマックス、甘いヨーグルト味のバリウムを飲んでの胃の中のレントゲン撮影で、全行程終了。
 昼休み、ようやくごはんが食べられる。毎年、このごはんが楽しみだ。一つひとつの食材の滋味が、昨夜からバリウム以外入ってない体内の隅々まで染みわたる。
 そして、午後は、先生に呼ばれて、結果発表。
 今年も、すべての項目で異常なし。五年前、ダイエットして、十キロほど体重を落としてから、ずっと異常なし。ダイエット前は、もちろんメタボで、必ず何かの項目でひっかかり、再検査になっていた。
「まったく問題ありません」
 と、初老の先生。頭を下げて、隣の部屋へ。
 若い女性の管理栄養士の先生からの食事指導だ。
「よろしくお願いします」
 と、頭を下げたら、先生が驚いた。
「ジロー先生でしょ。やだ、こんなところで」
 栄養士の先生は、僕がクラス担任をした教え子だった。
「まだ体型保ってたんですね。うれしいですよ」
 ちょうど、彼女が高校三年生の時にダイエットしたのだ。九月から卒業式までで、十四キロほど痩せ、カリスマダイエッターとして、初めて生徒に、特に女子に尊敬されたものだ。さすがに四キロほど体重が戻り、その後、マイナス十キロのあたりで体重は安定している。
 お互いの近況報告、思い出話などで、盛り上がった。彼女は、大学在学中に管理栄養士の資格を取り、現在に至る、と。
「まったく、偉いよ。僕の誇りだよ」
「いえいえ、先生にはお世話になりましたから」
 たしかに、ちょっと変わった生徒ではあったが、まるで彼女が天使であるかのような推薦書を書いたのを覚えている。
「で、なんか指導してくれよ」
「だって、先生、問題ないですもん」
「なんか指導するのが仕事だろ」
 僕にせがまれ、彼女が勧めたのは、ファイトケミカルが入ってる野菜や果物。
 ファイトケミカルphytochemicalとは、英語を見ればわかるように、たたかう化学物質ではない。植物中にある天然の化学物質のことで、抗酸化作用のあるポリフェノールなどが有名。ビタミン、ミネラル、脂質、糖質、タンパク質の五大栄養素、第六の栄養素が繊維で、そして、第七と栄養素と呼ばれているのが、そのファイトケミカル。
 ちょっと、彼女の説明が難しくなってきた。
「わかった、わかった。うち帰って、ググッとくから」
 と、答えて、栄養指導は終わりにした。彼女いわく、今まで通りでまったく問題なし、とのこと。また、健康な体で来年会いに来ると約束して、彼女にお礼を言った。

 十月もついに最終日。最近、この田舎の町でも、高校生達が騒ぎ出す。
 モモも、昨夜、コンビニに行き、ハロウィーンのお菓子を買い込んだ。
 三年前くらいから、この日、学校に行くと、生徒達が「ハッピーハロウィン」とか「トリック・オア・トリート」とか言って、菓子を交換しあっている。僕も毎年菓子をわけてもらっているありがたい日。
 さて、弁当である。うっかりしていて、ハロウィーンには特に何も用意していなかった。
 で、朝、布団の中でひらめいた。
 まず、チキンライスをつくった。タマネギと鶏胸肉とエリンギを塩コショウして炒め、酒を振り、ケチャップと混ぜ、さらに炒めて、チキンライスの素を仕込んだ。そして、ごはんが炊けたら、その鍋の中にチキンライスの素を入れてかき混ぜれば、できあがり。
 いつもなら、ここから、薄焼き卵で巻いて、オムライスにするのだが、今日はかわりに海苔をはさみで切って、目と鼻と大きな口の形にして、チキンライスにのせた。オレンジのカボチャがわりのジャック・オ・ランタン弁当だ。つけあわせも弁当箱に詰めて、いちおう写真に収めてから、モモに見られる前に蓋をして、包んだ。
 モモがいつものようにキッチンにやってきた。おなかが空いた、と。
 面倒なので、うちの朝ごはんは、たいてい、弁当と同じもの。
 僕たちはチキンライスの朝ごはんを食べ、うちを出た。
「パパ、今日の弁当何?」
「ま、いつもつくってるようなもの」
「ふーん」
「どうせ、いっぱい菓子食べるんじゃね。だから、弁当はテキトーなのにしといた」
「ま、いっか。いってきます」
 モモは校門の前で車を降り、鞄と弁当箱と菓子の入った袋を持って学校に入っていった。
 今年も菓子を生徒達から巻き上げて食べることになりそうなので、夕食の低カロリーな献立を考えながら、ハンドルを握っていた。

「霜月」

 そういえば、この一ヶ月、肉は鶏肉しか買っていない。たいていお得な胸肉ばかり、時にササミや手羽元、そして、たまにとっておきのジューシーなもも肉。
 胸肉を使いこなせたら、一人前のシュフだと思う。火を通しすぎればすぐ硬くなるし、脂が少なくボリュームにも欠けるこの食材、実は、安くてカロリーが低くて、工夫次第でかなりの料理がつくれる。その特徴を知り尽くして、使いこなせるようになりたいものだ。
 鶏ハムは、一時期、よく作った。二五○gの胸肉に、砂糖大さじ一、塩大さじ一を擦り込み、コショウをふりかけて、ラップで包み、冷蔵庫の中に二日寝かせる。そして、それを九分茹でて、そのままゆで汁の中に四時間置くと、ハムになる。ゆで汁は、ダシが出ているので、スープなどに使える。鶏ハムを初めてつくったときには、あまりの感動に、職場や実家で振る舞ったほどだ。もちろん、好評で、何人もの同僚、もしくは同僚の配偶者にレシピを書いてわたした。
 これを書いている今も、仕込んだ胸肉を冷蔵庫で寝かせているところだ。明日の夜、茹でて、一晩おけば、明後日の朝にはハムができているだろう。
 そのまま食べてもよし、サラダに入れてもよし、チャーハンの具にしてもよし、と鶏ハムはずいぶんと役に立つ。
 胸肉は、刺身のように薄く斜めに切り、片栗粉をまぶし、ショウガ焼きにすることもある。胸肉をレンジでチンして、冷ましてから、手で細く裂いて、バンバンジーにすることもある。薄切りをさっと茹で、醤油砂糖ごま油であえて、しゃぶしゃぶ風にすることもある。一口大に切って、塩こうじをつけて、しばらく置き、レンジでチンすることもある。
 親子丼にも焼きうどんにも、このごろは胸肉だ。
 以前は、もも肉のほうが好きだったのだが、今は断然胸肉派。今度、唐揚げも胸肉で挑戦してみたい。

 祖母が布団から出てこなくなった。十一月初めの日曜日、一日、僕は実家にいたのだが、祖母はずっと寝ていて、トイレに這っていこうとしても行けず、しかたなく布団の横のポータブルトイレで用を足した。時折、息をしているか、ちょくちょく確かめに行ったが、ずっと目をつぶっていた。食事は、母が布団の横のちゃぶ台の上に用意してあったのだが、まったく口をつけなかった。
 そのうちよくなるだろうと、思って、翌週の半ばの晩、祖母の顔を見に来たら、相変わらず寝ていた。
「こうしてるのが、一番楽だよ」
 声をかけると、祖母は半分目を開けて、そう答えた。
 そのうち、そのうちと思っていたら、あっという間に二週間が経ち、週三回通っていたデイケアセンターにも行かなくなってしまった。朝、母が声をかけても、頭がふらふらするから寝てる、などと答え、また眠ってしまうらしい。
 頭がふらふらするのは、ずっと寝ていて急に立った時の血流の関係だろう。頭がふらふらするからといって寝ていれば、次に立ったときはもっとふらふらするはずだ。これでは、悪循環で、寝たきりになってしまう。
  病院に連れて行きたくても、布団から出られないので、それもできない。祖母は九十二歳、このまま眠るように逝くのなら仕方ない、と母とも話した。
 毎晩、モモは十時半まで塾にいるので、その時間まで実家で過ごすことにした。
「おばあちゃん、僕だよ」
 布団の中にいる祖母に声をかける。
「ジローか、よく来たねえ。ゆっくりしてきないよ」
「ゆっくりしてくけど、いつも寝てるじゃん」
「悪いねえ、具合がよくないだよ。もう長かないよ」
 このまま寝付いてしまうのだろうか。もしそうなれば、毎日祖母の世話をする母の負担はハンパではないだろう。定休日以外は、両親は昼間店に出る。実家から店までは、車で十分ほどだが、営業と介護の両立は難しいはずだ。
 祖母は布団に入ったまま、イヤホンをつけ、テレビを見ている。ちょうど、カナダの旅番組を放映した。バンフという町が紹介されていたが、その町は祖母と言ったことがある。ナイヤガラを見たいと祖母が言って、一緒に行ったことがあるのだ。お金はすべて祖母が出し、僕が鞄持ち兼通訳で。
「おばあちゃん、あそこ行ったことあるじゃん」
「ほうかいねえ」
「カナダだよ。ナイヤガラの滝を見にいったとき」
「そうだっけねえ」 
 画面にはコロンビア大雪原が映っている。
「あれ、行ったじゃん。万年雪のとこ、歩いたじゃん」
「ああ、覚えてるよ」
 もう二十年ほど前のことだ。
  祖母が布団の中でもぞもぞ動きだした。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「いつも、寝てばっかじゃ、あんたに悪いで、起きるだよ」
 僕が布団をめくり、少し手を貸して、祖母はようやく上体を起こした。
「あれや、頭がふらふらするやあ」
「ずっと、寝てたからだよ。ちょっと起きりゃ、治るよ」
 ちょうどナイヤガラの滝がテレビに映った。
「おばあちゃん、あそこ行ったじゃん」
「ああ、行ったけねえ。昔、洋画で見ただよ」
 布団の上に座ったまま、しゃべっているうちに、祖母は頭がふらふらしなくなったようだ。そのとき、ちょうど母の晩ごはんの準備ができたようだ。母が、祖母の布団のところまで、ごはんを持ってこようとしたので、僕がストップをかけた。
「おばあちゃん、ごはん食べるとこまで、行くか。みんなで食べるか」
「ここで、いいやあ」
 と、祖母。
 しばらくテレビのカナダの風景を見てから、もう一度乗り気ではない祖母に同じことを言った。
「そうだねえ。あっちぃ行くかねえ」
 祖母は布団に座ったままカーディガンを羽織った。
「おばあちゃん、手つないでいく?」
「いいよお。ちゃんと行けるで」
 祖母はそろそろと立ち上がり、ゆっくりと、短い歩幅でテーブルまで進んだ。
「お母さん、ひさしぶりだねえ。うれしいやあ」
 母が驚いた。
 おかずは、焼き鮭と大根切り干しの煮物。父が握った寿司も少しあった。
「なんだか、せつないやあ」
 祖母は食欲はないようだ。台所のテレビでまたカナダの番組を見ながら、少し箸を付けただけで、布団に戻ってしまった。
「布団からここまで来ただけでも大きな進歩だよ」
 僕がしょんぼりしていると、母がそう言った。
 布団の中の祖母に僕が帰ることを伝えた。
「悪いねえ。見送りも行けんで」
 祖母はこれまではいつも必ず玄関の外まで出て、僕を見送ったのだが。

 次の日曜日、両親は急な葬式に行くことになり、午後から、僕は祖母と兄と実家で過ごすことになった。昼にモモとうちでうどんを食べ、うちにある食材と炊飯用鍋を持って、モモを塾に送り、実家へ行くと、入れ替わりで、両親が出かけていった。
 祖母は、あいかわらず、布団の中にいた。祖母の寝る部屋の隣の四畳半の座敷で、兄とテレビを見るともなく見ていた。
 祖母は、時々、兄を心配して、這ってやってくる。
「兄ちゃん、大丈夫か。おばあちゃん、具合悪くて、ごめんね」
 そして、僕に言う。
「あんた、兄ちゃんのこと頼むでねえ。おばあちゃんは、寝てるで。悪いねえ」
 心配いらない、と祖母に言うが、祖母はそんなことはすぐ忘れてしまうので、またしばらくすると起きてきて、兄の心配をする。
 ひとは誰かのために生きようとする。兄の存在は、祖母の寿命を延ばしているようだ。そういう僕も実家に来て、タイガーマスクの伊達直人になろうとしているのだが。
 さて、黄昏時、ハンバーグをつくりはじめた。豚の挽肉に、タマネギと椎茸のみじん切りを混ぜ、つなぎに卵を使い、塩コショウとナツメグをふりかけて、捏ねる。ボール状にして両手でキャッチボールをして空気を抜き、楕円形にする。僕はいい加減なので、大きいのもできれば、小さいのもできる。
 そして、鉄のフライパンに油を引き、ハンバーグを強火で焼き始める。ハンバーグは焦げで美味くなる。テフロンのフライパンだと、この焦げができない。やはり、フライパンは鉄だ。両面焼き目をつけたら、赤ワインをふりかけ、蓋をして弱火で焼く。
 その間、ソースをつくる。おたふくソース、ケチャップ、醤油、隠し味に砂糖、これを適当に混ぜて、ハンバーグにかけて、もう少し焼けばできあがる。
 僕が料理をしている間、祖母がちょくちょく起きてきて、兄の世話を焼いている。お茶はあるかだの、おしっこは出ないかだの、さみしくないかだの。
 ごはんは、うちからもってきた鋳鉄の鍋で炊いた。実家のごはんは、僕にはやわらかすぎるのだ。どういうわけか、父や母には、やわらかいごはんのほうがいいようだ。たとえ血がつながっていても、この溝は埋まりそうもない。
 皿にレタスを敷き、ハンバーグをのせ、まわりに半分に切ったプチトマトを散らした。。 そして、祖母をダイニングに呼んだ。何回か兄の世話をするために起き出したため、それがウォーミングアップになったらしく、すんなりと布団を出て、歩いてやってきた。
「おかずは何だいやあ」
「挽肉でこれつくったよ」
「あれ、なんて言うだっけかやあ」
「コロッケじゃない?」
「コロッケじゃないねえ」
 僕はあえて教えない。
「これ好きなの?」
「好きだよお。何ていったけかやあ」
「肉団子じゃない?」
「肉団子でもないし、コロッケでもないし、ハンバーグでもないしねえ」
 通り過ぎてしまった。思い出せないようだ。
「ハンバーグじゃない?」
「そうだ、そうだ、ハンバーグだやあ。美味しいでねえ。兄ちゃん、ハンバーグだって美味しそうだねえ」
 兄のどんぶりにごはんをよそい、その上にレタスを敷いて、ハンバーグを一口大に切ってのせた。祖母には、ごはんを少しと小さなハンバーグ、僕のごはんは中盛りと中くらいのハンバーグ。
 祖母の箸が進んだ。
「おいしいやあ」
「肉はひさしぶり?」
「そうだねえ、食べたこたあないねえ」
 食卓の会話もよく弾んだ。祖母は生まれて初めて肉を食べたことの話をした。魚屋のうちに生まれ、女学校を卒業して、横浜で座敷奉公したときに、その主人に映画に連れて行ってもらった後、生まれて初めての肉、ビフテキをごちそうになったのだ。
 これは何度も聞いたことがある話。祖母の話は、音楽に似ている。音楽は同じ曲を何度聞いても楽しめるように、祖母の話もオチはわかっていても、ついまた聞きたくなるのだ。
 最近、食卓まで来るのがやっとだった祖母が饒舌になり、もう一つハンバーグを食べ、ごはんをおかわりもしたことは、ちょっとした事件だった。
 そのハンバーグは、塾にいるモモにも届けた。ごはんの上に千切りキャベツを敷き、その上にソースをたっぷりかけたハンバーグをのせた弁当だ。
 気づけば、両親にもとっておくはずだったハンバーグまで、僕たちは食べてしまった。 

 ハンバーグを食べた翌朝、祖母は目覚めがよく、久しぶりにデイケアセンターに出かけていった。
 モモに夜の弁当を届け、実家に顔を出したら、母がそう教えてくれた。
「あのハンバーグが効いたんだよ、きっと」
「お母さん達も食べたかったやあ」
 本当に申し訳ないことをした。ひさしぶりににつくったハンバーグはちょっと美味しすぎたのだ。
 祖母はデイケアで疲れたのか、夕食は早めに済ませ、もう横になっていた。
 茶の間で、兄とゴロゴロしながら、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、高齢者の栄養失調を特集していた。
 粗食が一番、とずっと思ってきた。もちろん、粗食では満足できないのだが。野菜中心で肉より魚、とメタボ診断の度に言われてきた。もちろん、野菜少なめ、魚より肉が好きなのだが。
 高齢者は、食が細り、自然と粗食をとるようになる。野菜と魚、ごはん少々、と。
 テレビでは、これが高齢者の栄養失調の原因になる、と言う。八十歳でエベレスト登頂した男性が毎日肉を食べる映像が流れた。
 粗食で、タンパク質不足になると、運動能力も落ち、寝たきりになる可能性も高まるらしい。それは、おそろしいことだ。
 で、その番組の結論、高齢者こそ肉、効率よくタンパク質をとるには肉。
 あのハンバーグで祖母が元気になったのは、肉を食べたからだったのだろう。
 いつもは母が実家のごはんをつくる。母も粗食信仰者の一人。祖母にいつも大根切り干しだのヒジキだのほうれん草のお浸しだのを食べさせてきた。母は料理があまり上手ではなく、それで粗食となれば、さらにおいしくなくなる。おいしくなくなれば、食欲も湧かず、さらに少食となっていく……。この悪循環が、祖母が起きられなくなった原因だったのだろう。
 僕はちょくちょく肉料理を届けることにした。肉食女子に十年以上料理をつくってきたので、肉料理は得意だ。
 
 今年は、秋はあったのだろうか。いつの間にか真冬になってしまった。
 ちょっと冬用の帽子が欲しくなった。ニットのハンチングあたり。うちから車で郊外に行くと、巨大ショッピングモールがある。あらゆるものを売っていて、カネさえあれば一日時間をつぶせる場所だ。しかし、帽子は帽子屋で買いたい。その巨大ショッピングモールができたおかげで、町中の商店街は商売上がったり、次々に店が畳まれ、町の風景が変わってしまった。近所の店がなくなったおかげで、買い物に行けなくなったお年寄りは困っているらしい。時々、近所のスーパーの駐車場にタクシーが止まっているが、そんなお年寄りが来ているのだろう。
 幸い、近所に帽子屋がある。六月の父の日には、父へハンチングを買った。店員さんが実に丁寧に帽子の蘊蓄を教えてくれ、ベストな帽子を選んでくれる。
 で、その帽子屋で、グレーのニットのハンチングを選んでもらった。早速、その帽子をかぶると、ふとパンが食べたくなった。
 やはり、パンもパン屋で買うのがいい。この町には、自家製天然酵母パンをつくている店が一つあるのだ。
 夕食は、そのパンとシチューなんて組みあわせがよさそうだ。

「師走」

 職員室には、バツイチがちらほら。けっこういるものだ。その一人、先輩の体育教師、今は学校の近くのアパートに住む。信じられないほどお洒落な部屋、実に不似合いである。先輩は、全国レベルの部活の顧問、遠征に次ぐ遠征で、サービス残業は過労死ラインの百時間は余裕で超えている。
 そんな先輩のアパートで、毎月、給料日に近い金曜日、バツイチじゃない同僚も誘って、鍋を囲む。バツイチナイトだ。鍋は、先輩がいつもつくってくれる。男の中の男の料理だ。
 さて、はっきり言わせてもらうと、僕は男の料理が嫌いだ。いや、大嫌いだ。
 いばってつくる。ほめることを強要する。繊細さに欠ける。無駄が多い。だいたい、基本ができてない。たまにつくって、美味くできるほど、料理は簡単なものではないのだ。
 ということで、今回は僕が調理係に立候補し、ようやく先輩に了承してもらった。
 本気を出すのもどうかと思ったので、モツ鍋にした。うちに帰って作れるような簡単なものというコンセプト。
 仕事が終わると、いったんうちに帰り、キッチンでモモの夜の弁当をつくる。急いでいるときは、麺だ。
 うちの冷凍庫にある唯一の冷凍食品、讃岐うどんを茹でる。
 白菜とタマネギとシメジを炒め、時間差で鶏胸肉を入れて、さらに炒める。ここに、赤みそとみりんと醤油を溶いて、味付け。香りが立ってきたら、できあがり。味噌焼きうどんだ。ネギとプチトマトをトッピングして、これをタッパーに入れ、お茶といっしょにモモのところへ届ける。
 この頃のモモの口癖は「時短」、さんざん遊んできたので、今さらながら残り時間の少なさに焦っているのだ。
「車弁でしょ?」
 車に乗り込むなり、モモが言った。
「車弁っていえば車弁かな」
 学校から塾まで送っていく間に、車の中で食べる弁当が、車弁。
 父としての任務を果たし、買い出しへ。キャベツ、もやし、ニンニク、カップじゃなく袋に入ったインスタントの塩ラーメンを、いつもの八百屋で買う。モツだけは、肉屋で。みそ漬けになったものを一袋百八十円で売っている。やはり、肉は肉屋だ。
 先輩のアパートに着くと、持参したマイ包丁で、野菜をザクザクと切って、大鍋に入れる。水を足して、モツをのせ、蓋がないのでフライパンを伏せて置き、火にかけた。
 野菜がやわかくなったら、キッチンからリビングに運び、卓上コンロの上にのせた。
 歓声が沸く。そして、即席ラーメンを全員にわけた。袋を開けてもらい、スープの素を鍋の中に投入してもらい、味をつけた。
 ラーメンは各自、適当な大きさに割って、鍋の中に入れ、自分で入れた分は責任を持って自分で食べるようにお願いした。麺が残ると、ブヨブヨになって、よろしくないのだ。
 同僚との会話は、ほぼ職場内のストレスの原因に関するもの。ここですべて話して、ストレスを解消するのが、この会の趣旨でもある。
 もちろん、モツ鍋は好評だった。安くて、簡単で、美味。レシピなど、書き留める必要もなく、帰ってから再現可能。
 さて、先輩はというと、実は自分が食べるより、みんなに食べさせることに生き甲斐を感じていたらしく、今日は出番がないので、いつも以上に飲んで、酔っぱらって、片づけは頼むと言い残し、まだ僕たちがいるにもかかわらず先に寝てしまった。
 次回は、やはり、先輩を立てて、男の料理で我慢すべきなのだろう。
 
 今年も忘年会シーズン到来。僕は酒をほとんど飲まないのだが、飲み会は好きだ。コミュニケーションは楽しいし、新しい料理も覚えることができる。飲み会に行くたびに、たいてい、うちのキッチンで気に入ったおつまみを再現する。
 飲み会の前には、たいていモモの夕食を用意してから、飲み屋に行くのだが、たまに仕事が長引いてしまい、夕食をつくれなくなることもある。コンビニの弁当やスーパーのお総菜を買えば済むことなのだが、シュフ魂を持つ者として、その妥協はできない。
 そんなときは、力強い味方がいる。寿司職人の父だ。電話一本で、喜んで寿司弁当をモモに届けてくれる。
 なんとかこの冬も父の助けを借りながら、忘年会シーズンを切り抜けることができた。
「ほんとは、パパ、楽しんでんでしょ?」と、モモ。
「だから、パパは酒は嫌いだし、宴会も仕事なんだって」
「いいな、大人は」
「だから、仕事なんだって」
「別に行ってもいいけどね」
 別に言われなくても行く。仕事なのだから。

 さて、終業式も終え、僕の高校もモモの高校も冬休みに入ったのだが、僕は三年生のクラス担任、娘も高校三年生で受験生ということで、冬休み返上、受験モード突入だ。
 なんとクリスマスには、それぞれの学校で、センター試験対策模擬テストを実施することになっていた。進路課が、クリスマスつぶしの作戦に出たようだ。センター試験まで、もう一ヶ月はない。徐々に緊張が高まってくる。
 気づけば、クリスマスイブになっていた。例年は、大騒ぎするモモだが、今年は夕食をボーイフレンドとラーメンを食べるだけ、と受験生らしくするとのこと。よし。
 イブの朝、ロールキャベツの挽肉のタネの活用を考えていたら、まだうちにモモの母親がいたとき、彼女がクリスマスにつくっていたミートローフを思い出した。当時、クリスマスと言えば、ミートローフだった。
 実は、彼女と食べたごはんは、ほとんど覚えていない。結婚していた頃は、料理などしたことはなく、ただ出されたものを、受動的に、ただ食べていた。まるでエサのように。
 まず、ブロッコリーをレンジでチンした。長方形の型に、挽肉のタネを敷き詰め、ブロッコリーをその上に並べ、残りのタネで覆った。ソースは、ケチャップとおたふくソースと醤油を適当にブレンドして、タネの表面に塗って、一八○度に予熱したオーブンに入れて、二○分。
「これ、美味しいねえ」
 とはモモの反応。
 つけあわせは、プチトマト。それと、天然酵母の食パン。
「小さい頃、いつもクリスマスに食べたのだよ」
「そうなの」
 小学校入学前のことだ。覚えていないのも無理はない。
 冬休みでも、モモも僕も学校に行く。モモは自習室で勉強して、明日の模擬試験に備え、僕は職員室でクラスの生徒達の受験用書類作成デスクワーク。
 モモが朝ごはんを食べている間に、弁当を仕上げた。最近のモモのリクエストは、速弁。時間がもったいないので、速く食べて、すぐに机に戻りたいのだそうだ。
 となれば、のっけ弁。鶏胸肉を7ミリくらいの厚さに切り、片栗粉をまぶし、照り焼きにして、ごはんにのっけて、青ネギと白胡麻をトッピング。つけ合わせは、プチトマト、ポテトサラダ。ワンボックスに詰めた。

 通勤路の途中に、ブラジル人が営む食料品がある。以前はコンビニだったのだが、これにかわって二年ほどが経つ。仕事帰りに通りかかったら、「鶏の丸焼き980円」と貼り紙がしてあった。ちょっと勇気を出して、買うことにした。店の奥のガラス張りの厨房で、棒にささった鶏がグルグルまわっている。
 日本人の客はほとんど来そうにない店だが、僕が入っていくと、レジの女性がとてもうれしそうな顔で、いらっしゃいませ、と歓迎してくれた。エキゾチックな音楽が流れ、まったく読めない横文字の商品が棚にずらりと並び、ちょっとした海外旅行気分。
 目当ての鶏の丸焼きと、マテ茶のティーバッグを買った。レジで満面の笑みで、たどたどしい日本語で応対してくれる女性が、「クリスマスのケーキはいかがですか」というので、それもいただいた。生クリームでデコレーションされたケーキではなく、巨大なカップケーキ。ドライフルーツ入りだという。
 実家の面々には、クリスマスプレゼントを用意してあったので、鶏とケーキと一緒に持っていくことにした。
 ちなみにクリスマスプレゼントは、最近、僕も愛用し始めたレッグウォーマー。もう、レッグウォーマーのない冬は想像できなくなってしまった。

 脳の働きをよくする料理ついて、いろいろ調べてみた。脳の唯一の栄養源はブドウ糖、試験の合間のチョコもいいらしいが、やはり、米のごはんが一番いいようだ。だから、模擬テスト当日の朝は、カレーライスだ。ま、以前から、テストの日の朝食はカレーライスと決まっているが。
 タマネギ、スティック状に切ったジャガイモ、しめじ、鶏胸肉を炒め、和風だしと醤油とみりんを入れて煮込む。最後にルーを投入、レンジでチンしたほうれん草を水につけて冷まして絞って、トッピングして、和カレーのできあがりだ。
 受験当日には、消化の悪いものは厳禁らしい。験を担いでのカツ丼などもってのほか。消化が悪く、消化のために胃に血が集まってしまい、脳まで充分に行き渡らないそうだ。
 油っぽいのもよくないらしいので、弁当のおかずは消化の良さそうな肉団子にした。ハンバーグのタネを手のひらでボール状に丸め、蒸籠で蒸す。固まってから、タレと絡める。タレの材料は、醤油、みりん、砂糖、酢、水溶き片栗粉。
 サブおかずは、ポテトサラダとプチトマトとブロッコリーと卵焼き。ごはんはやや少なめ。それは、満腹も、消化のために血が胃に集めてしまうからだ。
 とにかく、低GI食品が一番いいらしい。低GIとは、すぐに血糖値を上げるのではなく、徐々に上げていくという意味。たとえば、白砂糖と黒砂糖。精製された白砂糖は、すぐに血糖値を上げる。しかし、すぐに上がる分、すぐに下がる。これは、高GI。黒砂糖は逆、すぐに上がらない分、すぐに下がらない。だから、受験のように、一日頭をフル回転させなくてはならないなら、低GI食品がいいということだ。甘いものや揚げ物ばかり摂取する子どもはキレやすい、と聞いたことがあるが、それはこれが原因なのだろう。
 もう少し研究する必要がありそうだ。料理で、モモの頭がよくなるのなら、安いものだ。

 クリスマスに、イチゴののったケーキを食べるのは、どうやら日本だけらしい。ケンタッキー・フライドチキンが予約しないと買えないほど売れるのも、日本だけらしい。
 同僚のアメリカ人が驚いていた。
 きっと、製菓会社がバレンタインデーにチョコという習慣を日本でつくったのと同じ手法だろう。
 だいたい、サンタクロースは、その昔、緑の服を着ていたのだ。それが、一九三一年にコカコーラの宣伝に赤と白の服を着たサンタを登場させてから、コカコーラが世界侵出して、ついでにサンタも紅白になってしまったようだ。
 資本主義の力は侮れない。
 さて、僕はケーキ作りも好きで、クリスマスには毎年ケーキを焼いている。今年も、生クリームと、クリスマス価格でなかなかのお値段名イチゴも買ってきてある。
 今年は、ふと思いついて、スポンジケーキでなく、シフォンケーキにすることにした。こちらのほうがカロリーが低い。
  シフォンケーキは、実にすばらしい発明品だ。アメリカの保険外交員の男性が一九二七年に考案し、そのレシピは、二十年ほど秘伝だったという。
 真ん中に煙突が立ったようなアルミの型を使う。中の空洞のおかげで、熱を内側にも伝えられる。
 卵を三つ、卵黄と卵白に分ける。ちょっとでも卵白に卵黄が混ぜったら、不思議なことに泡立たなくなるので慎重に。うちにはハンドミキサーがないので、手動でメレンゲをホイップ。僕の泡立て器は、ワイヤーが多い柳宗理のもの。その中にワイヤーのボールを入れたので、そこらの泡立て器とはちょっと、いやだいぶ違う。これで、卵白三個分に、砂糖四○gを三回に分けて混ぜながら、メレンゲを作る。
 メレンゲづくりの前に、卵黄には、砂糖二○g、は、水三五cc、油三五cc、ふるった薄力粉を六○g入れて、小さな泡立て器で、さっくり混ぜておいた。
 オーブンは、一八○度で十分、一六○度で二十分。余熱の間に、ボウルをひっくり返してもおちないくらいに卵白を泡立てメレンゲにして、卵黄と混ぜ、型に流し込む。メレンゲづくりは、なかなかの重労働だ。モモに一度やらせたらすぐに挫折したほど。
 後は竈(かまど)の神様にお任せだ。十分経ったとき、膨らんできたシフォンケーキに、少し切れ目を入れる。
 焼き終わったら、型をひっくり返して、ワインボトルに刺し、冷ます。
 型の内側にくっついたままのケーキを、さらに重力で下にも膨らませる。このアイディアがすごいと思う。
 ケーキが冷めたら、型から取り外す作業に取りかかる。これは慎重に行わないと、表面が破れてしまう。シフォン専用の細くて薄いナイフを、型とケーキの間に刺し込み、ゆっくりと回していく。焦ると破ける、焦るな、焦るな、と何度も自分に言い聞かせながら。
 ケーキは、祖母、父、母、兄、僕とモモで、六等分した。
 問題は、デコレーションだ。少し考えたが、六等分した時点で、生クリームの雪化粧は無理。ホイップした生クリームをポトッと落とし、そこにイチゴを埋め込んでよしとした。
 スポンジなみのふわふわの食感、生クリームとイチゴのハーモニー、形はいまいちだが、味は合格点。
 タッパー三つに二切れずつ入れて、うちに二切れ残し、実家に四切れ持っていった。
 もちろん、実家では大好評、記念撮影もした。ちょっとしたタイガーマスク気分。
 うちに帰ってきたモモにケーキを勧めたが、美容の関係で明日にする、と。
 で、翌朝、起きるとすぐケーキを食べたモモ、僕が当然残すと予想していたもう一切れも食べてしまった。
「ま、いっか」
「何、それ?」
「ま、パパのなくなっちゃったけど、ダイエットしたと思えばいっか」
「そうそう、ラッキーじゃん」
「で、美味かったのか?」
「めちゃめちゃ美味しかった。買ったのみたい」
 よし。

 十二月三十日、実家の近所の肉屋で、豚肉一キロを買ってきた。三枚肉が欲しかったのだが、売り切れだったので、ちょっと脂少なめの部位。
 紹興酒は、三軒回って、ようやく最後の一本を手に入れることができた。
 夜、豚肉を四センチ角に切って、二時間ほど蒸した。三枚肉なら三時間ほどか。
 ゆで卵と一緒に、肉を大きな鍋に入れ、水、紹興酒、黒砂糖、醤油、生姜、香辛料の八角を入れて、ことこと二時間ほど煮込み、眠くなったので、中断。
 翌朝、冷えて固まった脂が少しあったので取り除き、煮詰めていった。もう部屋中が、香辛料の効いた甘い香りが充満している。
「味見してやろうか?」
 と、起きてきたモモ。
「ま、いいんじゃない」
 悔しいことに、モモの舌はかなりの精度の味覚を持っている。
 二段の重箱に、卵と肉と分けて入れた。僕がシングルファーザーになってからの定番のお節だ。

 先月は、寝たきりになり、いよいよか、と思った祖母だが、年末に向けて、日に日に元気になり、このごろでは起きると、布団を畳み、なんと押入に片づけるようにもなった。完全復活のようだ。
 で、大晦日、今年は無理だろうと思っていた僕と祖母のお節づくりは、例年通り決行だ。「おばあちゃん、お節つくるよ」
「もう正月か?」
「明日だよ」
「全然、そんな気がしないやあ」
 昔は、もういくつ寝るとお正月、と歌って正月を待ち望んだらしい。そして、祖母は歌い出した。
 うちのお節は、きんぴらごぼう、大根と人参のなます、黒豆。きんぴらとなますを、僕たちが担当し、黒豆は母が担当する。
 実家の台所で、僕がごぼうの笹がき、祖母が大根と人参の拍子切りで、お節づくりがスタートした。
「もう正月か?」
「明日だよ」
「全然そんな気がしないやあ」
 それぞれ、包丁を使いながら、この会話を数分ごとに繰り返した。
 切ったごぼうを水を張った鍋に入れた。あく抜きだ。
 祖母の作業が遅れていたので、ヘルプに入る。大根は、繊維に沿って切るのだそうだ。僕は繊維を断つように切っていたので、途中から祖母に習った。切り方の異なる大根があるが、大勢に影響はないだろう。
 切り終わった大根と人参は、ボールの中に入れ、祖母の指示で塩をふって、手で揉んだ。 ここで、一息。お茶を祖母に淹れてもらい、お茶請けは干し芋。僕たちの大好物だ。昭和の頃は、石油ストーブの上で、少しあぶってから食べたのだが、それがもうできないのが残念だ。
 ごぼうが入っていた水が真っ茶色になった。大根と人参から水が出てきた。ごぼうをザルにあげ、しばらく茹でた。柔らかくしろと、母からの指令だ。
 大根と人参をてぬぐいで包み、ぎゅうぎゅう絞る。絞っても絞っても、水が出てくる。ついに水が出てこなくなったら、ボールに移し、味付けだ。延命酢という甘酢があったので、それと和えた。味を調える必要もなく、祖母が「こんなもんだよ」とOKを出した。
 柔らかくなったごぼうをまたザルにあげ、ごま油をひき、ごぼうを炒め、みりんと醤油で味付け。我が家は甘口なので、砂糖を少し足し、煮詰まって照りが出てくれば完成。
「黒豆はどうするだい?」
「それはお母さんがやるよ」
「やれるだか?」
「そりゃ、おばあちゃんがやるみたいにはできないけどさ」
「もう正月か?」
「明日だよ」
 祖母はくたびれたようなので、しばらく横になってもらった。
 僕にはもう一つの使命があった。そばつゆづくりだ。うちは、年越し蕎麦を晩ごはんの時に食べる。そばと天ぷらは母がスーパーかどこかで買ってくるので、紅白歌合戦が始まる前に用意しておく。
 父は寿司を握って持ってくるはずだ。紅白を見ながら、寿司をつまむのも恒例行事。
 ダシをとって、醤油、みりん、酒、砂糖、味見を何度かしながら、つゆを仕上げた。うちの味は、ちょっと甘めで濃いめだ。
 これで、あとは年が明けるのを待つばかり。
 僕は今年の大晦日は、紅白は見ないつもりだ。受験生のモモが正月返上を宣言したので、うちに帰り、モモとそばを食べたら、キッチン菜時記でも書きながら、静かに年を越すことにした。
 正月返上宣言のモモは、暖房を断つ宣言もした。寒い年越しになりそうだ。
 今年を振り返れば、いい年だった。とにもかくにも、祖母とお節をつくることができ、いつものメンバーで、年を越し、いつもの正月が迎えられそうだ。
 年が明けることは、実にめでたい。明けましておめでとうの意味が今さらながらよくわかった。

「睦月」

「睦月」最終回

 元旦の朝、うちで、モモに雑煮を食べさせた。あまり美味しくない、という。
 我が家の伝統的雑煮は、具は、たいてい、大根、水菜、白菜、長ネギなどの野菜を二種類ほど、それだけ。弱火にかけた醤油ダシの中に、餅は焼かずに入れて、野菜とともに柔らかくなるのを待ち、鰹節削りをトッピング。
 実家なら、ここに昨夜つくったお節料理が並ぶ。ごぼうのきんぴら、紅白なます、黒豆煮。この三つがあれば、他に何もいらない。この黄金比のような組み合わせは、おそらく祖母が嫁入りしていらい崩されたことはないだろう。
 にもかかわらず、この三種のお節料理を、モモはあまり好きじゃない、という。
 たしかに、僕も十代の頃は、うちのお節をありがたいと思ったことはなかった。ただ、餅をひたすら食べていたような気がする。初めて、そのお節が美味いと思ったのは、大学に入り、この町を離れ、一人暮らしをするようになったころのことだろう。
 今日もせっぱ詰まったモモは、一日うちで勉強するという。僕はまだ餅を一つしか食べてなくて、モモの邪魔をするわけにもいかず、お節も食べたかったので、モモが文句を言いつつ雑煮を食べ終え、机に向かうと、実家に行った。
 実家では、餅を買ったことがない。毎年、おすそわけで餅をもらうのだ。餅が届くと、すぐに両親は隠してしまう。次のおすそわけが来るからだ。それもまた隠すと、その次のおすそわけも届く。僕も餅をかなり分けてもらうのだが、それでも実家では一月いっぱいは毎朝餅を食べている。
 実家に行くと、ちょうど雑煮ができたところだった。ここ数年は、祖母から引き継いで、母がつくった雑煮だ。
 兄は、餅が苦手だ。喉につかえたら大変、と母が雑煮のかわりに、ごはんをよそう。僕がつくった中華風豚の角煮と煮卵を、レンジで温め、キッチンばさみで一口大に切り、ごはんにのせて食べるのだ。
「おばあちゃん、今日からお正月だよ」
 テーブルについた祖母に声をかける。
「わかってるよ、そんなこと。これからお餅食べるだで」
 本年は最初から調子がいいようだ。
「モモちゃんはどうしてるだい?」
「うちで受験勉強だよ」
「がんばってるだねえ。お年玉持ってってよ」
「ありがと」
「もう高校か?」
「大学だよ。受かればね」
 祖母が餅を食べるときには、近くに掃除機を置いておく。もし、餅が喉につかえたら、掃除機で吸い出す、とどこかで聞いたことがある。   
  祖母と母は三つ、父は四つ、僕は二つ餅をお椀に入れた。雑煮の上に、薄く削られた鰹節をかけると、湯気で踊り出す。
  たしかに、実家の雑煮と僕の雑煮は、やはり少し違う。同じ材料で、同じようにつくっているはずなのだが、モモが言う通り、僕の雑煮のほうが不味い。
 いちおう、新年の挨拶をかわし、大晦日につくったお節料理と雑煮をいただく。
 きんぴら、黒豆、ごぼうのハーモニー、実に美味だ。モモがこの美味を味わえないことが、重ね重ね残念だ。
「もういくつ寝るとお正月って、子どもの頃、いつも歌ったやあ」と祖母。
  父からもモモへのお年玉をもらう。それを胸ポケットに入れて、箸を進めた。
 家族が健康で、美味しいものを一緒に食べる、これに勝る幸せはないかもしれない。
 そして、餅とお節を食べながら、密かに新年の抱負を決めた。現状維持、と。不可能かもしれないが、挑戦するだけの価値はある。この健康、この美味、この幸せを、今年も全力で維持するのだ。
 うちでの元旦の恒例行事は、午後にファミリーレストランに行くことと、夕ご飯は、僕がボーナスで買った三段重の高級お節料理をつつき、夜はホームシアターで映画を見ることだ。祖母と母は、高級お節を肴にウイスキーを飲むことも毎年のこと。
 お節料理は、そもそも正月くらいシュフが料理をしなくて済むようにするもの。ま、シュフには、生活がある限り、休みはないのだが、お節のおかげで、たしかに料理の時間は短縮でき、ゴロゴロする時間もできる。まったく、正月は、実にありがたい。

 正月三が日、祖母は大晦日と元旦と張り切って疲れたのか、寝てばかりいた。
 両親は店、モモは受験勉強ということで、僕は兄と四畳半の座敷でダラダラと、テレビを見たり、食べたり、読んだり、わりと正月を楽しんでいた。
 祖母は、布団は畳まず、好きなときに寝たり起きたりとマイペース。
 実家の台所の隅に、あんこの缶詰を見つけた。そうだ、お汁粉だ。餅は潤沢にある。
 さっそく、あんこを鍋に入れ、水を足し、火にかける。
「おばあちゃん、おやつにお汁粉食べよう」
 布団で横になって、テレビを見ていた祖母に声をかけた。
「あるだか?」
「あんこ、さっき見つけた」
「じゃ、いただくだやあ。あんた、つくってくれるだか?」
「つくるよ。待ってて」
  しばらくすると、祖母が台所にやってきた。
「塩、入れたかね?」
 祖母がいつも言うのだが、塩を入れると、お汁粉は甘くなるのだ。
「しょっぱくならないの?」
 僕は驚いたふりをする。
「塩入れんと、甘くならんだよ」
「へえ」
 さらに驚く振りをする。
 塩を入れる前と後で、味見をしてみたが、たしかに後のほうが甘い。
「おばあちゃん、ほんと、甘くなったよ」
「昔から決まってるだよ。お汁粉に塩を入れるって」
 美味いお汁粉には、塩という反体制派が必要なのだ。よりよい国のためには、反体制派が必要なように。
 餅は、電子レンジで少し温め柔らかくして、お汁粉に入れた。
 食卓に、祖母と兄と三人で座り、おやつだ。兄は餅が苦手なので、餅はなし。マグに入れて、ストローで吸う。
 冷蔵庫には、たしか甘い黄粉もあった。汁粉に飽きたら、黄粉餅だ。ごはんにもおやつにもなる餅、偉大な食材だ。

 三が日も終わると、あっさりしたものが食べたくなる。
 一月四日の昼、まだ餅はたくさんある。そんなときは、餅しゃぶだ。
 切り餅を、厚さ二ミリほどの短冊に切る。大根と人参は、ピーラーで薄く切る。鶏のササミか胸肉を、刺身包丁で、これも薄く切る。水菜は、半分に切る。
 そして、テーブルの上のカセットコンロには、ひさびさに使うしゃぶしゃぶ鍋がのっている。ドーナツ状の中央に煙突が立ったようなこの鍋、いただきものだが、実は高級品らしい。鍋の中心の空洞の分、火に当たる表面積が増え、熱伝導効率がよい。
 モモが、勉強部屋からやってきた。
「調子、どうよ?」
「だめだめ」
「まじか。ま、食え」
 ひさしぶりのしゃぶしゃぶ、しかも餅しゃぶ、モモも僕も大好物である。
 ポン酢は、父がつくった業務用のものをもらってきた。ダシが効いて、酸っぱさがやさしい。
 センター試験が近づき、緊張が高まっている。正月は、お笑い番組が多いので助かる。ビデオで録りだめした漫才やコントを、ごはんのたびにちびちび見ている。
 笑っているうちは、緊張を忘れることができる。
 餅は、湯につけると、薄いのですぐに柔らかくなる。大根は、湯の中でと透き通ってくれば、食べ頃だ。鶏肉は白くなれば、すぐに食べられる。モモは大根と鶏肉ばかり食べている。
「おい、人参食え」
「食べてるって」
 おそらく嘘だろう。人参は、くたくたになるまで待たないと、美味しくない。
  餅が足りなくなりそうだったので、途中で追加分を切った。
  モモは、大して人参を食べることなく、二十分ほどで勉強部屋に戻っていった。

 受験生ごはん、リサーチの結果、豚肉、ネギ、やはり、ごはんが脳にいいらしい。
 しかし、験を担いでのカツ丼というのはよくないという。油っこいトンカツは、消化が悪く、脳に行くはずの血流が胃袋にとどまってしまい、脳に十分な栄養を送ることができなくなるらしい。
 挽肉ならば消化にいいだろう、とセンター試験当日の弁当のおかずは、タマネギの入ったハンバーグにした。腹八分目ということで、ごはんは少なめ。
 一月も半分以上終わっても、朝食はまだ餅。このごろは、キムチ鍋に餅を入れたものがモモには好評だ。
 弁当を持たせ、モモを送り出し、長い一日となった。
 そして、すっかり暗くなったころ、モモが公衆電話から電話をかけてきた。ここ数日、モモはケイタイを断っていたのだ。
「やっと、公衆電話見つけた。迎え来て」
 駅からうちまでは歩けば、小一時間。もう半分ほど歩いた、という。
 うちまでの道のりの四分の三ほどで、モモに追いつき、車に乗せた。
 うまくいかなかったようだ。
 うちに着くと、急いでごはんを炊いた。冷蔵庫に、豚の細切れがあった。
「なべか、しゃぶしゃぶか、生姜焼き、どれ?」
「生姜焼き」
「じゃ、二十分でつくる」
 モモの部屋のドア越しに聞くその声から察するに、そうとう悪かったのだろう。
 豚肉には、片栗粉をまぶした。タマネギを炒め、しなしなになったら、エノキと豚肉を入れて、炒める。タレは、醤油、みりん、生姜のすり下ろし、ごま油。
 キャベツの千切りの上に、タレたっぷりの豚の生姜焼きをのっけて、半分に切ったプチトマトをまわりに添えた。
 二十分後、モモは厚着の部屋着に着替えて、食卓にやってきた。
 今日も寒いうちの中。受験で、この冬は、暖房を断っている。僕もうちの中でもダウンジャケットを羽織り、下半身には毛布をスカートのように巻き、帯がわりのエプロンを締めている。
「あんなにがんばったのにさ」
「ま、お笑いでも見よう」
 僕は、いちおう笑顔は取り戻し、ごはんを食べ始めた。もちろん、生姜焼きは美味。
 緑茶の入った湯飲みから湯気が白く立っていた。

 いつまでも落ち込んではいられないのが、受験だ。センター試験後も、まだまだ勝負は続く。
 ド背水の陣、とモモが一日に何度も言う。
 たたかいはここから、たたかいは今から、ソレソーレ、と僕が一日に何度も歌う。
 平日の夜の弁当は、車弁。塾の食堂で食べると、友達としゃべってしまい、時間がもったいないから、車の中で食べる、とモモ。
 センター試験後、モモは日に日に明るくはなってきていた。
 六時半、塾の駐車場で待っていると、モモが車に乗り込む。少し移動して、近くの公園の外灯の下に車を停めた。いつしか、ここが定位置となっている。
 モモに弁当を渡すと、モモはひきかえに僕にノートを渡す。次の受験では、英語のエッセイを書かなくてはならないのだ。モモが食べている間に、添削して返す。
「言いたいこと、理由二つ、もう一回言いたいこと、わかってきたな。このパターン」
「いちおうね」
 車弁は、たいてい、のっけ弁か麺類。
「今日も大根おいしいね。甘い」
「上のほうのだからね」
 最近、うちでは野菜スティックが流行っている。ディップは、醤油こうじとマヨネーズを混ぜたもの。絶品だ。僕も味見で、冬大根を食べたが、瑞々しい、甘かった。
「明日、にんじんとかセロリとかも、どうよ?」
「うん、遠慮しとく」
「はいはい」
「パパ、もう行くよ」
「はいはい」
 二十分も経たないうちに、車弁は終わり、塾に戻る。
「じゃ、健闘を祈る」
「いってきまあす」
 モモは小さなビルの塾の中に戻っていった。

 モモの首都決戦が始まった。
 僕は有給休暇を取り、モモと朝六時にうちを出て、東京までつきそうことにした。
 さすがに、朝起きて弁当をつくるのは大変なので、前夜、モモを早めに寝かせ、朝ごはんと弁当をつくった。
 まず、白米を炊いた。
 生姜のみじん切りをごま油で炒め、白ネギとエリンギのみじん切と豚挽肉を入れて、酒を振り、さらに炒める。コチュジャンと醤油とみりんを混ぜたもので、味付け。肉味噌だ。
 ごはんがさめたら、茶碗にラップを敷き、その上にごはんをのせ、具になる肉味噌を汁を切ってのせ、さらにごはんをのせて、ラップごと握る。新幹線の中で食べる朝食用のおにぎりだ。海苔は、市販の韓国海苔。モモの好物である。ラップはまだ包まないで、開いたままにして、おにぎりを冷ます。今、ラップで包んだら、水滴がついてしまう。
 ワンボックスの弁当箱に、残りのごはんをいれ、その上に肉味噌をのっける。これは、昼食用。ブロッコリーをチンしたものと、作り置きしたポテトサラダと、プチトマトがつけあわせ。
 朝食も弁当も似たものになってしまったが、これはうちではよくあることなので、大丈夫だ。
 十二時を過ぎ、モモは眠ったようだ。
 できあがった弁当が冷めないと、蓋ができないので、待っている間、緑茶を一杯飲んだ。
 僕は、イベント前には、眠れないタイプ。テーブルの上で、パソコンを立ち上げ、受験会場と新幹線の時間を確かめる。もう、何度も見ているのだが、最終確認だ。きっと、明日の朝も確認するのだろう。
 弁当はまだ冷めない。長い夜が終わらない。

恋文(上)

(1)

 土曜日の朝は、ゆっくりと目覚めることにしている。モモは十時をすぎないとベッドから出てこない。たいてい僕のほうが先に起きだして、たまっていた家事を片づけたり、じっくり時間をかけて朝食の準備をしたりする。
 平日は、駆け抜けるように生活する僕たちには、こんなスローな朝が必要なのだ。
 モモと二人で暮らすようになって三度目の春、モモは小学校三年生となった。去年はそれほどでもなかったのだが、今春、僕は少し緊張している。なぜなら、突然予想外の転勤を言いわたされ、新しい高校に勤務することになったからだ。
 僕はパジャマ姿のまま、ベランダに出た。植物たちに水をやるためだ。面倒なので、ベランダのサンダルを履かず、スリッパのまま外に出た。その瞬間、僕は息を呑んだ。そして、寝室に走った。ネルのパジャマに身を包み、至福の寝顔のモモの体を揺すった。
「モモ、大変。起きて。大変なことになった」
「なに?」
 モモは目をつぶったままクールに言う。
「来れば、わかるから。起きて」
「あと五分」
 ここで五分待っても、また「あと五分」と言うに決まっている。僕はモモの体を抱き起こした。
「だから、なに?」
 モモはまだ目を開けようとしない。
「だから、来ればわかるって」
 今にも倒れそうに立つモモの体を後ろから押して、ベランダに連れていった。
「モモ、サンダル履いて」
「パパも」
「はいはい」
 僕たちはベランダに出た。
「あ、咲いた……」
 モモはそう漏らすと、そのまま黙った。寝起きの不機嫌はすっ飛んだようだ。
 プランターで、一番東端のチューリップが咲いていたのだ。赤に黄色が混ざった品種。少し勢い余って、いわゆるチューリップ型より開いた感じに咲いていた。
 去年の春、僕は突然ベランダにいくつもプランターや植木鉢を置いて、植物を育て始めた。そのうち、モモも自分の鉢を三つほど買い、自分で世話をするようになった。ところが、夏が終わり、秋が深まり、寒くなってくると、すべて枯れてしまった。それでは、どうにも淋しいので、大きめのプランターにチューリップの球根を植えたのだ。
 僕は冬を越さなくては咲かない花があるとは知らなかった。あの長く厳しい寒さに耐えてこそのチューリップなのだ。・咲いた、咲いた」の歌は、チューリップ以外にはありえない。ひまわりや朝顔では歌にならない。冬を越すからこそ、歌にもなるのだ。
「パパ、いつまで、ここにいるの?」
「まだチューリップ見てるよ」
「モモはもういいから」
 と、モモはさっさと中に入ってしまった。
 僕はまだベランダで、冬に少しだけ芽を出して、寒さに耐えていたチューリップを思い出していた。春をじっと待っていたチューリップ。僕も待った。植物を育てるようになって、僕は待つということを学んだ。
 すると、またモモがベランダに戻ってきた。モモにもチューリップの尊さがわかったのかと思ったら、モモが言った。
「パパ、おなかすいた。何か作って」
 
 ブランチの後は、それぞれのソファに寝ころびながら、それぞれの時間を過ごした。モモはマンガにビデオ、僕は読書にうたた寝。
 午後になり、僕はソファから身を起こし、パソコンと本を数冊、旅行バッグの中に入れた。パソコンは、小説を書くためのものだ。僕は昼間は英語を教え、夜は小説を書く。本は一冊しか出してなく、執筆だけでは食べていけないが、本業は小説家だと思っている。
 僕が支度をしている最中、モモは持っていくマンガを選ぶために本棚のところに行き、そこに座り込んでマンガを読んでいた。
「おい、モモ、支度は?」
「ああ、ごめん、ごめん」
「まったく、いつも遅くなるんだよね」
「でも、スローがいいんでしょ。パパ、いつも言ってるじゃん」
「スローにするためには、急がなきゃいけないんだって」
 自分の言葉に矛盾を感じつつ、僕はイライラし始めた。
「モモも、パパに似たんだよ」
「なに?」
「おじいちゃんが言ってたよ。パパものろまだったって」
 まったく、モモとはいいコンビの父が言いそうなことだ。僕は吹きだしてしまった。
 
 僕たちは、たいていの週末、実家に行く。
 旅行バッグと、それぞれのバイオリンを持って、軽自動車に乗り込んだ。
 バイオリンは、モモと習い始めて、もう一年になる。モモは、一年生の時、突然、バイオリンを習いたいと言った。その時は聞き流したのだが、モモは半年間言いつづけた。ついに根負けした僕は、二年生進級を機に、原稿料をつぎ込んで、バイオリンを買ったのだ。
 おじいちゃんの先生のもとで、最初の二回ほどレッスンを後ろで見たが、とにかくもどかしかった。簡単そうに見えたからだ。それに、座って見ているだけでは退屈で、時間が無駄にも思えてきた。
 そこで、僕は先生に訊(き)いた。僕にもできるだろうか、と。できないことはないという答えだった。そして、次のレッスンでのこと、先生は僕に中古のバイオリンを見せた。
 即決だった。安価でそのバイオリンを手に入れ、次のレッスンから、モモと二人で習うことになったのだ。
 時にさぼることもあるが、僕たちはたいてい毎日弾く。僕はモモより上手いと思うのだが、モモは僕より上手いと思っている。ライバルなのだ。
 実家までは、車で三十分ほど。その平屋の小さな家には、祖母と兄がいる。祖母は八十四歳で、最近耳が遠くなり、物忘れが増えた。兄は小児麻(ま)痺(ひ)による重度の心身障害者で、知能はもう何年も前に、モモに抜かれてしまった。言葉は数語しか言えない。利き手ではない左手は動かず、年々、腰も曲がり、数年前一人では歩けなくなり、トイレも介助が必要になってしまった。兄の老化の進行は、とても速いようだ。
 両親は、夜になると、実家に帰ってくる。少し離れたところで、小さな飲食店を経営しているからだ。この店は、以前営んでいた居酒屋を経営不振で閉めた後、日曜大工が得意な父が自前で改装して作った店だ。一回り小さくなったが、日当たりがよくなった。寿司職人の父と喫茶店を営みたい母が、双方譲らず生まれた、寿司もケーキも食べられる店。
 以前はその敷地内に家族で暮らしていたのだが、居酒屋を閉めた際、先祖が残してくれた大きすぎる家屋の部分を取り壊して、駐車場を広くした。その際、実家の面々はこの小さな家に引っ越してきたのだ。この家は、両親が二十年以上も前に建て、ずっとひとに貸していたが、最近空き家になったのだ。
 僕は実家の小さな庭の隅に軽自動車を停めた。隣の家の庭では、洗濯物を取り込む人影が見えた。ばあば、だ。ばあばは、幼少時の僕の乳母的存在で、よくばあばにあずけられたことを覚えている。僕が生まれて初めて歩いたのは、ばあばのうちでのことで、ばあばはそのことを何度も僕に話した。
「ばあば、こんちは」
 と、僕が言うと、モモも「こんちは」と続いた。
 ばあばは、家の境界の垣根のところまで来て、言った。
「あんたもえらいね。今日もイチロー君のお世話に来ただら」
 何となく、僕はうなずいた。ばあばは、感心と同情のまなざしで、僕を見つめている。
 ばあばは、独身の僕が週末デートもしないで、子連れで、実家に来ることを、哀れんでいるのだろう。
「ほんとにえらいねえ」
 と、ばあばは目を潤ませる。僕は困ってしまう。そんなにえらいことでもないのだ。僕はこれまでの人生、充分、自分のためには生きてきた。自分のためだけに生きることに、ようやく飽きたのだ。
 それに、もう恋にもうんざりしている。これまでの恋は全敗に終わった。最近、歌謡曲などを聞くと、腹が立つ。好きだ、会いたい、抱きしめたい……、二人がよければ、それでいいのだろうか。もうそんな恋は卒業だ。
 恋は、愛とは根本的に違うと思う。字を見れば、恋は心が下にあり、下心がありありと伺える。恋は、燃え上がるが、冷める。必ず、冷める。恋は、お互いに奪いあう。奪いつくして、終わる。これまで、今度こそ最後の恋とさんざん胸を焦がしてきたが、もう充分だ。結婚に結びついた大恋愛が終わりを告げてからというもの、恋などという一過性の感情を信じることはできなくなってしまった。
 そんな僕には、この頃、家族がいいようだ。燃え上がることも、冷めることもない情が、その量を変えることなく持続し、さして相手に求めることもなく、求められることもない。これがいいのだ。
 モモが玄関の戸を開け、・ただいま」と大きな声で言った。中からテレビの大きな音が聞こえてくる。
 上がって、居間の戸を開けると、祖母と兄が、テレビを見ながら、お茶を飲んでいた。兄はちゃぶ台の前に座り、大きな湯飲みに刺さったストローを吸っている。
「あれ、びっくりしたやあ。モモちゃん、よく来たねえ。兄ちゃん、ジーが来たよ」
 ジーとは、僕のことだ。ジローと発音できないので、兄はジーと僕を呼ぶ。
 居間の隅には、発泡スチロールの箱でできたおまるが置いてある。父が作ったものだ。軽くて頑丈で、四十センチほどの高さで、木の板の蓋がのせてある。
 僕は座(ざ)椅(い)子(す)を出してきて、腰を下ろした。
「パパだけ、それ使ってずるい」
 と、モモは僕の膝(ひざ)に腰を下ろした。
「兄ちゃん、おりこうさんにしてましたか?」
 と、僕が訊くと、兄は笑顔になり、目をあわせずに「アイ」と答えた。
「ずっと、いい子にしてただよ。おばあちゃんが、用がいっぱいあったもんで、ようやく今お茶にしたとこだっただよ」
 祖母は、いつも忙しい。用がたくさんあるのだ。用が増えてなくても、祖母の行動が遅くなっているので、年々忙しくなるようだ。
「今、お茶いれてやるでね」
 祖母が台所に行くと、兄は、早速、ちゃぶ台に手をつき、腰を上げ、声を出した。
「パパ、兄ちゃんおしっこだって」
 と、モモがいった。
「モモが膝にのってるから、できない」
「はいはい」
 と、モモは兄のパンツを下ろし、おまるに座らせた。小さなころから、兄のおしっこを見ているモモは、汚いとも思わないようだ。
 僕もすっかり居間におまるがあることに慣れた。そもそも、人間なんて、うんちまみれで生まれ、うんちまみれで死んでいくのだ。
 このおまるは、いろいろと用途がある。父はよくおまるの上に湯飲みを置いている。先日、母はこの前おまるに肘(ひじ)をつき、頬(ほお)杖(づえ)でうたた寝していた。僕は先ほどから座(ざ)椅(い)子(す)の横のおまるを、肘置きにしている。
 祖母が緑茶が入った湯飲みを持ってきた。
「このお茶は、ぬるいでね。そうしないと、おいしくないだで」
 居間に緑茶の香りが広がった。
 おしっこの音が止んだので、僕はモモを膝から下ろし、兄のパンツを上げ、おまるに蓋をした。
 静かで、スローな午後だ。僕の鼻は、兄のおしっこを避け、緑茶の香りだけを嗅(か)ぎとっていた。
 
 午後三時をまわり、そろそろ遠足の時間となった。遠足とは、兄を外に連れだし、好物のカフェオレを飲ませることを意味する。
 兄には、毎日、必ずすることがいくつかある。遠足はその一つで、他には、日めくりのカレンダーを破ることや、風呂に入ることなどだ。一つでも欠かすと、兄は大騒ぎをするので、すべてこなさなくてはならない。
 僕はお茶を飲みつつ、兄のおしっこの世話をしながら、座椅子でずっと本を読んでいた。兄は、僕の読書を妨害するかのように、数分おきに、尿意を僕に訴えた。三回に一回ぐらいしか、おしっこは出なかった。
 モモは隣の座敷でゴロゴロしながら、テレビを見たり、マンガを読んだり、至福の時を過ごしていた。
 時々、兄は僕の顔をのぞき込み、何かを言おうとする。兄とのコミュニケーションは、すべてがイエス・ノークエスチョンだ。兄は首を縦か横に振ることはできるので、いろいろ質問して、本意を探っていく。しかし、僕にはたいてい兄の言っていることがさっぱりわからず、適当に答えては、また視線を本に落としてしまう。
 兄は、やはり、コミュニケーションをしたかったのだろう。おまるは、言葉を使えない兄にとって、数少ないコミュニケーション・・・ツールの一つなのだ。
「じゃ、兄ちゃん、遠足行く?」
「アイ」
 と、兄は元気よく、右手を挙げて、答えた。
「モモも行く」
 と、モモが隣からやってきた。
 僕は洗濯物を畳んでいた祖母に、遠足に行くと告げた。
「ほい、晩のおかぞ、何にする?」
 モモが、祖母のおかぞという表現にくすりと笑った。
「私ぁ、肉のまんじゅうみたいなの食べたいやあ」
 僕が何のことかわからずにいると、モモが言った。
「モモもハンバーグ食べたい」
 祖母は、出てこない言葉がめっぽう増えた。
「やっとくことあるかね?」
「じゃ、タマネギみじん切りしておいて。シイタケも戻して、みじん切り」
 兄がその会話の最中に玄関まで這(は)っていった。そして、・ジー、ジー」と僕を呼んだ。
「今、行くよ」
「兄ちゃん、待っててね。すぐ行くから」
 と、モモも言った。
「兄ちゃん、いいねえ。ジーとモモちゃんと遠足で」
「おばあちゃんも行く?」
 と、モモが誘った。
「ありがとね。私ぁ、用がたくさんあるで、お留守してるよ」
 祖母は、本当に、いつも忙しいのだ。
 兄を車に乗せるには、コツがいる。助手席側から、使える方の右手を前のシートの肩にひっかけ、右足から踏み込んでいく。兄の力を最大限に引き出し、こちらの力は最小限というのが、介護のコツだ。兄は後部シートに腰を下ろすと、何度も指をならした。
「パパ、兄ちゃん、ナイスナイスしてるよ」
「うれしいんだよ」
 僕たちは、祖母に見送られ、出発した。
 途中、コンビニで、兄のためのカフェオレとどら焼き、モモはおまけ付きのペットボトルのお茶とチョコ菓子を買った。
 五分もしないうちに、湖にしては小さく、池にしては大きい、大池と呼ばれる池についた。まわりは水田で、おそらく人工の用水溜め池なのだろう。
 菜の花が池の周りの小道沿いに一斉に咲いていた。
「パパ、探検行ってくる」
 モモが車を降りて走っていった。僕は兄にカフェオレをストローで飲ませた。
 菜の花のむこうの水面には、数十羽の水鳥が浮かんでいる。車窓を開けると、やわらかい風が吹きこんできた。
「パパ、つくし、つくし」
 モモの声が聞こえてきた。カフェオレを飲み終えた兄の口の中に、僕はどら焼きを一口分ずつちぎって入れた。よだれがたれてくると、すぐにティッシュで受け止めた。兄はまた指をならした。
「おいしい?」
 兄は笑顔で頷(うなず)いた。その拍子に口からあんこが少し落ち、僕はまたティッシュでキャッチした。
 モモは車の中に帰ってくると、菓子を食べ、お茶を飲んだ。
「パパ、タンポポもあったよ」
 菜の花の黄色に、タンポポの黄色が、緑の中に鮮やかなこの場所にいると、時間を忘れてしまう。兄はどこを見るわけでもなく、車の中でじっと座っている。モモは、外に行ったり、戻ってきたり、忙しい。僕は車窓から外を眺めながら眠くなってきた。
 
 実家の台所では、洋食を作る時は僕がメインシェフで、祖母が助手となる。タマネギのみじん切りにバターを入れて、レンジでチン。シイタケも祖母がみじん切りしておいてくれたので、挽(ひき)肉(にく)と卵と混ぜ、タマネギを加えて、手でこねた。
 その間、兄のおしっこの世話は、僕の座椅子に座ったモモが見ている。
「モモちゃん、ありがとうね。兄ちゃん、モモちゃんのいうことちゃんとききないよ」
 と、祖母が時おり声をかける。兄は下をむいて、ニコニコしている。
 祖母が、その間に皿を並べたり、つけ合わせの野菜を切ったりした。僕はハンバーグのタネをフライパンに入れ、赤ワインをふりかけた。
「おばあちゃん、ケチャップとソース、しょう油で、ソース作って」
 祖母は言われたとおりに、ソースを作ってくれる。
「ほい、こんなんでいいだか」
 ソースの味を見た。少し砂糖を足した。最後にソースをフライパンの上でからめて、ハンバーグができあがった。
 兄のために、テーブルに新聞を敷いて、その上にトレイをのせ、そこにどんぶりごはんを置いた。ごはんの上に、レタスとハンバーグとトマトを切ってのせた。ハンバーグ丼だ。
 モモが兄の手を引いて、テーブルまで連れてきた。よほどお腹が空いていたのだろう。椅子に座ると、何度も指をならした。
 両親の分もハンバーグを焼いた。店が終わってから夜食に食べられるように、ラップをかけておいた。
「手を合わせてください」
 と、モモが大きな声でいった。兄も手を合わせた。
「いただきます」
 と、モモが言い、僕と祖母は唱和した。兄はアーと言って頭を下げ、スプーンを握って、ハンバーグを食べ始めた。時にスプーンの手を離し、指をならす。
「パパ、兄ちゃんナイスナイスやってるよ」
「兄ちゃん、おいしい?」
 と、僕が訊くと、また指をならした。
「ジロー、レストランみたいだやあ」
 祖母がしみじみと言った。
「こんなおいしいハンバーグ初めてだやあ」
 これまでも、僕は同じ水準のハンバーグを何度か実家で作ってきたが、祖母は忘れてしまったようだ。この頃は何を作っても、祖母はこんなにおいしいのは初めてと言ってくれるので、助かる。
 
 十時を過ぎ、両親が店から帰ってくると、実家もにぎやかになる。
「モモちゃん、兄ちゃんのお世話ありがとう」
 と、母が言った。モモは大して世話してないのだが、モモがうれしそうな顔をしていたので、僕は黙っていた。
「モモ、そろそろ、バイオリンやってくれるか?」
 父がモモにそう言うと、ちょっとしたコンサートになる。
 モモが、今練習している曲と、兄のために「結んで開いて」を弾く。兄は、首をゆらして聞いている。
 ライバルの僕としては、その演奏にいろいろ言いたいことがあったのだが、両親や祖母からは万雷の拍手だ。
「こんなにすてきな曲、初めて聞くやあ」
 と、祖母が言う。この曲は、ここ一カ月、ずっと弾いている。進歩すると、祖母には新曲に聞こえるのだろう。
「パパもちゃんと練習するんだよ」
「はいはい」
 この頃、実はモモについていくのが必死な僕は、隣の部屋の隅でひっそりと練習した。
 そのとき、祖母がテレビの前に正座した。耳にはイヤホンが差し込まれている。
「ほい、始まるでね。おばあちゃん、見にゃいかんでね」
 と、祖母は、イヤホンしているせいか、大声で言う。・冬のソナタ」が始まるのだ。最初はバカにしていた僕だが、祖母があまりにもいいというので、三回目から見て、すっかりはまってしまった。今夜はキッチンのテレビで、母のお夜食につきあって見ることにした。
「ジローのハンバーグは、店に出せるよ。ほんとにおいしい」
 母は、僕が何をしても、最大限に褒(ほ)める。執筆でスランプの時は、とても助かる。
 居間で、モモは父にまとわりつき、そのかたわらには兄がいて、その存在を示すかのように、おしっこを何度も訴えている。そのたびに、モモが世話をしていた。
 僕はヨン様がすぐに好きになった。あの誠実さがいいのだ。嘘(うそ)をつきそうにないし、打算的になったり、裏切ったりもしないだろう。日本の女性が熱を上げるのも、無理はない。
 母は、さほど熱を上げてはいないようだったが、とにかく、祖母は違った。次の日になっても、何度も言う。
「昨日の韓国のドラマ、よかったやあ。何度も思い出すやあ」
 これが、余韻というものなのだろう。
 恋にはうんざりの僕でも、ひとを好きになることはすばらしい、と思うようにはなってしまった。
 一つだけ、気になることがあった。祖母が何を思いながら冬ソナを見るのだろうか、と。おそらくもう恋をすることはない祖母だが、画面のむこうに何かを見ているようなのだ。
 冬ソナのエンディングの音楽が流れ始めた。その時、母が言った。
「引っ越しの時に、おじいちゃんの手紙出てきたから、ジローにあげるよ」
 いつか小説の役に立つだろうから、とも言った。母が、タンスの中から、手紙の束を持ってきた。
 数十通の古い茶色の封筒と葉書。見たこともない切手が貼(は)ってあり、軍事郵便の判と検閲の判が押してあった。なめらかな筆跡の宛(あて)名(な)はどれも祖母の名前だった。その手紙はすべて、生まれたばかりの娘、つまり僕の母の顔を見ることなく戦死した祖父が書いた、祖母への恋文だった。
(つづく)
連載 小説(2)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 この春、僕が勤務することになった緑が丘高校は、いわゆる進学校だった。この街には、工業高校と、商業高校、そして、普通高校の緑が丘高校の三校がある。この街では、入学試験の偏差値が一番高いらしいが、この街より少し大きな隣街にも、進学校があり、学力の高い中学生はそちらに流れているという。そちらに行けなくて、しかたなくここに来る生徒も多いようだ。ヤンキーが多くて、僕には居心地がよかった前任校の工業高校とは、緑が丘高校は百八十度違う学校のようだ。
 さて、今度の学校では、朝補習とやらがあるらしい。ゼロ時間目授業と呼ばれるものだ。一時間目の前に、授業をやるから、ゼロ時間目。出勤が、その日は一時間早くなるのだろう。それに加えて、土曜講座、勉強合宿などもあるという。僕は英語教師なので、そんな進学指導に携わるのだろう。英語は、主要受験科目なのだ。
 シングルファーザーにとっては、働きにくそうな職場だ。モモを起こし、朝ご飯を食べさせて、送り出し、花に水をやって、それから自分の弁当をつくる朝に、一時間早く出勤するような余裕はない。土曜日は、モモの小学校が休み、だから仕事は入れられない。勉強合宿とは、夏休みあたりに、三泊四日くらい生徒を監禁して、朝から晩まで勉強させるのだろう。まったく、これでは、教師か生徒か、どちらを鍛える合宿かわからない。
 僕は、思ったより集まった餞(せん)別(べつ)で新調したグレーの三つボタンスーツに身を包み、数年前に移転して新築されたばかりだという緑が丘高校の校門をくぐった。この春は、まだ肌寒く、校門周辺の桜は元気がなかった。
 この日、モモの小学校は始業式。モモは、新しい担任の先生が誰になるかを気にしながら、めずらしく早く起きて、登校していった。
 この日、緑が丘高校では、新年度最初の職員会議が予定されていた。初めて、これから同僚になる教師たちに会うのだ。
 ここで、英語を教えることは決まっているものの、他に担当するものが何かはまったくわからない。どの部の顧問になるか、どの課で仕事をするか、教師という職業は、授業以外に何を担当するかで、ライフスタイルが大きく左右される。
 学校の玄関を通り、事務室に声をかけると、応接室に案内された。会議用長机のまわりに、すでに五人の教師たちが、きっちりとスーツを着込み、うつむいて、静かに資料か何かを読みながら、緊張の面もちで座っていた。僕が一番若いようだった。唯一の三十代だろう。
 頭を下げて、挨(あい)拶(さつ)すると、その教師たちも、表情を崩さず、頭を下げてくれた。ふだんなら沈黙に耐えられず、すぐ誰かに話しかけるのだが、誰も話したそうではなかったので、僕もみなにならって、机の上に置かれていた茶封筒から会議資料や学校紹介パンフなどを出して、黙って眺めていた。
 校内の仕事の役割分担表があった。僕は自分の名前を探した。ぽつりぽつりと、大して重要ではないポストに僕の名前が書かれていた。クラス担任でもなかった。この一年は、まず慣れろ、ということなのだろうか。それとも、大勢に影響のないところに配置され、干されたのだろうか。
 僕は応接室に五つ並んでうつむいた頭越しに、窓の外を見た。小さな山が連なっている。遠くの緑を見ることが目にいいと聞いたことがあるので、しばらく山の木々を眺めていた。緑と一口にいっても、濃淡もあり、いろんな葉の形もあり、風に揺れ方も様々、数え切れない種類の緑を見ていて飽きることはなかった。
 一つ、気になることがあった。それは、部活動の顧問のことだった。どの資料を見ても、部活動の顧問のことは書かれていなかった。
 しばらくすると、その部屋に、猫背で、鼻眼鏡をかけた教頭が入ってきた。
「先生方、どうもすみません。先ほどまで、ちょっともめてまして、ようやく部活動の顧問が決まりましたので、今お配りします」
 と、教頭は何度も頭を下げながら言った。
 部活動の顧問の決定は、管理職にとって、もっとも困難な業務だろう。教師も必死だ。もし経験のないスポーツの部の顧問になり、毎週末、練習試合なんてことになれば、ライフスタイルが脅かされかねない。
 僕は水泳部の監督ということだった。ほっとした。水泳ならば、ブランクはあるが、十年ほど顧問をしたことがある。水泳のいいところは、シーズンスポーツであること。夏期だけがんばれば、オフシーズンとなるし、練習時間も一日二時間程度、これならばなんとか学童の迎えに間にあうだろう。
 僕はまた窓の外に目をやった。新緑に、目に癒されるような気がした。
 
 三十代のオトコは、働き盛りである。十年を越す経験がありながらも、まだ若い。管理職の期待も大きく、学校では中心的な存在だ。たいてい、クラス担任や運動部顧問に加えて、校務でももっとも大変なポストを任せられる。サービス残業や休日出勤は当たり前だ。
 シングルファーザーになる前は、僕も当然、そのような存在だった。
 三十代のオトコの仕事は、家事と育児を免除されていることが、大前提である。早くうちに帰る必要もなく、子どもの面倒を見る必要もなく、すべてを仕事に打ち込むのだ。だからこそ、プロジェクトXのような大仕事もできるのだろう。
 学校では、オンナの教師は、うちのことがあるだろうからと、定時の五時に帰ることが、暗黙の了解で許されている。しかし、その反面、三十代のオトコのように重責のあるポストにつくことはほとんどない。そのことで、引け目を感じるオンナの教師は多いようだ。
 僕は、サービス残業をしない。モモの学童保育所が六時に閉まってしまうからだ。休日出勤は、モモを連れて行けない場合、断らなくてはならない。早朝補習は、モモがうちを出てからでなくては、出勤できないから、これも不可能だ。勉強合宿も無理。僕は男でも、オンナなのだろう。
 なぜ五時に仕事を終えなくてはならないのか、今、それがよくわかる。その時間に帰らなくては、夕食をつくれないし、食卓を家族で囲むことができないからだ。
 しかし、学校は五時には終わらない。もし、全員が五時に学校を後にしたら、学校業務は立ち行かなくなるだろう。
 先ほどの鼻眼鏡の教頭が、また応接室に入ってきて、背中を丸めて言った。
「それでは、先生方、会議室のほうへご案内します。そこで、お一人ずつ、自己紹介をしていただきますので、よろしくお願いします」
 年齢順に廊下に並び、教頭の後をついていった。僕は自己紹介の言葉を考えながら、最後尾を歩いた。オーソドックスな自己紹介なら、名前と前任校、趣味などを紹介すればいいだろう。
 しかし、僕にはカミングアウトという問題があった。シングルファーザーであることを、いずれ新しい同僚たち伝えなくてはならない。
 困るのは、雑談をしているときなど、話が家族のことになったりして、僕がシングルファーザーであることを知った相手が、突然、フリーズすることだ。そして、しばらく沈黙して、同情のまなざしで僕を見つめる。たいてい言うのが、・大変ですね」という言葉だ。この言葉ほど、無意味なものはない。同情するなら、学童の迎えに行ってくれ、といつも思う。気まずい雰囲気となり、僕は努めて明るく振る舞わなくてならなくなる。これが、疲れるのだ。
 会議室にぞろぞろと入っていくと、大きな長方形に並んだ会議机に座っている新たな同僚たちの視線が一斉にこちらに向けられた。
 まず、五十代で、おそらくこの学校が最後の勤務校となる男性教師が、そつなく挨拶をした。そして、その後も、無難な挨拶が続いた。僕の前の女性教員が元気よく挨拶を終えた。この学校の卒業生ということで、感慨深いものがあるようだった。
 僕の番になった。初めに名前と前任校を言った。そして、続けた。
「僕はシングルファーザーですので、突然、学校から帰ったり、突然、学校を休んだりすることもあるかもしれませんが、その時はご容赦下さい。飲み会はいつも子連れ。家庭に仕事は持ち込みませんが、仕事に家庭を持ち込むことは多々あり、ご迷惑をおかけするとは思いますので、あらかじめ謝っておきます。どうぞよろしくお願いいたします」
 いつしか、僕の口が勝手に動いていた。その挨拶の途中で、笑い声が聞こえた。無事に笑いもとれて、カミングアウトもできて、これで安心だ。
 もうこれからは、気をつかうのは、僕ではなく、まわりになるだろう。慣れるより、慣れさせろ、だ。
 僕はある言葉を思い出した。
「汝(なんじ)の道を行け、人をして言うに委(まか)せよ」
 たしか、マルクスの言葉だ。
 シングルファーザーも三年目ともなると、ずいぶん、図々しくなるものだ。自分でも驚いた。
 
 その後、会議は、校長の所信表明演説となった。校長は、生真面目そうで、口べただった。
 口べたな演説は、たいてい、長くなる。言いたいことがたくさんあるのはわかるのだが、焦点がぼやけてきて、やがてポイントがわからなくなる。すると、こちらの集中力も切れてくる。
 おそらく、校長に求められる資質の一つに、長く話せるというのがあるのだろう。しかも、おもしろくないことを長く話し続けるのだ。それによって、職員や生徒の忍耐力をつけるのが目的に違いない。
 最後に、校長は、・数値目標」をいくつも掲げた。教育委員会からのお達しで、数値目標を掲げ、その達成度によって各学校に予算が配分されるというのだ。
 国公立大学進学者五十人以上、生徒の出席率九九パーセント、部活動県大会出場十種目以上、など。おかしかったのは、生徒は一日に挨拶を三人以上にする、他人のために一日三分は行動するなどといったこと。誰も笑わないので、僕は笑いをこらえていた。
 想像力がないと、こうなってしまうのだろう。数字にしないと、ものの価値がわからなくなるのだ。ものの価値を、値段でしか計れないように。
 人間の価値を、どうやったら、数字で表すことができるのだろう。テストの点数、五十メートル走のタイムなどは、人間の一面にしかすぎない。
 あなたの好きな人のすばらしさを数字で表せ。そんなことを言われても、困ってしまう。髪の長さ、体重、身長、年齢、年収など、数字を並べても、伝わってくるものは少ない。むしろ、数字で表現できないところに、ひとの魅力はあるのだろう。
 人間を数字で呼ぶことは、ナチスのユダヤ人収容所で行われていたことだ。人間は数値化できない、数字を越えた存在なのだ。もし、完全に人間を数値化してしまったら、ある意味、その生命を奪ってしまうことにもなりかねない。
 数字で割り切れないところから、芸術が生まれ、文化が育つのだ。
 僕は考えすぎなのだろうか。まわりの職員は、校長の話に、何の反応も示さず、うつむき加減で、じっとしている。静かに話が終わるのを待っているのだろうか。それとも、校長に共感しているのだろうか。
 
 会議が終わると、教師たちは各教科に別れて、また会議をすることになった。
 組合の集会などで何度か顔を見かけたことのある教師が、僕を英語科研究室に案内してくれた。
「石田です。先生の小説、読んだよ。毎回、楽しかったなあ」
 と、石田先生は、開口一番そう言った。連載時に読んでくれたのだ。お世辞でも、社交辞令でも、とにかくうれしかった。
 団塊の世代、ソフトな表情とソフトな語り口。ようやく、名前と顔が一致した。学生運動の闘士だったと聞いたことがある。僕は頭を深々と下げた。
「ありがとうございます。また、頼りにしてますので、よろしくお願いします」
 石田先生によると、この学校でも、組合員は少数派ということだった。小さくとも、僕を迎えてくれるネットワークがあることはありがたかった。
「今年は、先生は、一年生担当ですよ。僕も一年担当だから、いっしょにがんばりましょう」
「ああ、はい」
「適度に、ね」
 石田先生は、すべてを受け入れるような笑顔を見せた。
 英語科研究室に入る前、こっそり聞いた。
「先生、朝補習とか、土曜補習とか、あるんでしょ?」
 僕がもっとも恐れていたことだ。前任校の工業高校には、そういったものがなかったのだが、この学校は事情が違うのだ。
「まあ、いいよ。オレがやるからさ」
 何だか悪いような気がした。しかし、ラッキーだ。数年前なら、そのようなものは、僕がすべて引き受けていただろう。仕事を断り、やる気がないと思われることが、恐かったからだ。だから、きつい仕事は、たいてい喜んで引き受けていた。ひとが嫌がる仕事を引き受ければ、引き受けるほど、自分の地位が確立するような気にもなっていた。また、組合員としても、・権利ばかり主張して仕事しない」と思われたくはなかった。
 しかし、この頃では、積極的に、そのようなお言葉には甘えさせてもらうことにしている。あと十年もして、モモが自立したあかつきには、またバリバリ働くつもりだ。
 
 英語科の会議は簡単に終わった。カミングアウトしたせいか、なんとかモモとの生活に影響がでないポジションで、緑が丘高校での一年を始められることになった。これも、石田先生のおかげだ。どこかモモと旅行に行ったら、おいしいものでも買ってきてあげよう。
 他の教師たちは、まだ学校に残って、新学期の準備にとりかかったようだったが、僕は席を立つと、まず笑顔を作った。そして、胸を張って、顔を上げて言った。
「それでは、お先に失礼します」
 英語科には、サービス残業をいとわない真面目で熱心な教師が多いようだ。僕は浮いてしまうかもしれないが、これもやむなしだ。
 駐車場に急いだ。ちょうど疲れが僕に追いついたようだ。車のシートに座ると、体が急に重くなった。とにかく、今日一日は、新しいものを見て、新しいことを聞き、僕の頭の許容量をはるかに超えた情報量に圧倒され、外国にいるようだった。
 僕は、小学校のことなど、モモとのシンプルな会話が恋しくなった。
 モモを小学校の空き教室にある学童保育所に迎えに行った。
 モモが一人だけが残っていた。
「どうもありがとうございました」
 と声をかけると、コーチと呼ばれる指導員が「お疲れさま」と言ってくれた。
「パパ、遅い」
「ごめん、会議でさ」
「モモちゃん、お父さんもお仕事がんばったんだから」
 と、コーチがかばってくれた。
 モモが重そうなランドセルを背負ってやってきた。
「新しい教科書もらったよ」
「で、新しい先生は?」
「さき先生」
「女の先生?」
「うん、若いよ。今年、先生になったんだって」
 僕より一回りも若い先生だ。もう、先生に甘えるわけにはいかない。今年の僕たちのテーマは自立ということにしよう。
「ありがとうございました」
 と、モモと僕が声をそろえてコーチに言って、駐車場に向かった。
「モモ、晩ごはん何にする?」
 と、運転席に座ると、助手席のモモに訊いた。
「カレー」
「また、カレー?」
「いいでしょ。今日は三年生最初の日なんだから」
 と、モモは訳のわからない理由を言った。
 新しい職場での一日を終え、だいぶ疲れたので、早くつくれるものにした。トマトカレーだ。タマネギの粗みじん切りを炒(いた)め、鶏肉を投入、塩コショウして、水を足し、コンソメを入れてしばらく煮込む。トマトを切って入れさらに煮込み、最後にルーを入れる。二十分もあればできあがるだろう。
 
 夜十時になった。ようやく、一日が終わり、僕はキッチンテーブルについた。モモは寝室にいる。もう眠ったのだろうか。
 この頃、モモが寝る時間が遅くなってきている。放っておけば、十一時でも平気で起きている。学校で眠くならないかと心配して訊(き)くと、モモは「全然」といつも言う。どうやら、僕の血を引き、夜型人間のようだ。
 僕はやかんを火に掛け、コーヒー豆を、手動式ミルに入れて、挽(ひ)き始めた。
 ここからは、僕の時間である。あまりにも寝るのが遅いモモにずっとつきあっていると、夜、僕は何もできなくなってしまう。とにかく、小説執筆の時間は確保しなくてはならない。そこで、モモと相談して、夜十時になったら、パパの時間ということに決めた。モモは起きていてもいいが、僕は僕のためだけの時間を持つことにしたのだ。
 まず、湯をカップに注ぎ、カップを温めた。やかんの湯が少し冷めるのを待って、ドリップする。
 静かな夜、僕はコーヒーの香りを楽しんでいた。
 すると、ダイニングの戸が、いきなり開き、僕は驚きのあまり、ドリップ中の湯をこぼしそうになった。
 笑顔でモモが立っていた。
「パパ、まだ寝ないの?」
「寝ない。小説の仕事」
 と言っても、実はスランプで、ここのところ何も書けていない。
「モモ、明日学校だぜ。寝なくていいのか?」
「だって、眠いのなくなっちゃったんだもん」
「パパは知らないよ」
 これは、最近、モモによく言うようになった言葉だ。
 朝、何度起こしても、なかなか起きないモモに言う。
「パパは知らないよ」
 そして、最後に、こう言うのだ。
「朝ご飯とうちの鍵、テーブルの上にあるから。パパはもう行くよ。じゃあね」
 すると、モモが飛び起きてくる。一人で取り残されるのが嫌なのだ。
 僕は、キッチンで突っ立っているモモに言った。
「じゃ、牛乳温めて飲みな。眠れるらしいから」
「うん、そうする」
 モモは自分のマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジに入れた。
「何分?」
「一分半」
「いち、さん、ゼロ?」
「そう、一分三十秒」
 一年前の僕なら、ここで怒り狂って、怒鳴っていただろう。人間の主人が、時計ではなく、自分自身であると知ってからは、前には口癖だった「はやく」をあまり言わなくなった。
 娘は、マグカップを持って、ソファに座り、そこに置いてあった毛布を膝(ひざ)に掛けた。
「パパ、仕事してて。モモはここで寝るから」
「はいはい」
 僕は照明を落として、パソコンを立ち上げ、クッキーの缶を開けた。中には、乾燥剤とともに、先日、実家からもらってきた手紙が入っている。戦地から、祖父が祖母に書いた恋文だ。
 僕は一番上の葉書を一枚とりだした。軍事郵便と表に書いてあり、検閲の欄に、印が打たれていた。
 モモに目をやると、ホットミルクを飲み終え、白いヒゲを生やして、目をつぶっていた。僕は毛布をかけなおした。
 葉書の消印は、かすれていて読めない。六十年ほど前の葉書だから無理はないだろう。その字は、黒いインクで、流れるように書かれていた。達筆だ。
 
   拝啓
 新緑の候とはなりましたが 御前にはその後御変わり有りませんか 自分はその後益々頑健にて軍務に奮闘致し居りますから何(なに)卒(とぞ)御安心下さい
 ○○○に於(お)いて小犬を求め 丸(まる)公(こう)と名付け可愛がって居ります 夜は何(い)時(つ)も自分の部屋に寝 早くから起きて自分を起こして呉(く)れます 今は○内の人気者ですよ 自分は又ヒゲを生やし出しました 今は中々立派ですぞ 然し御前に会う時は笑われますから剃(そ)るつもりです 金谷の親族の方に御前から宜(よろ)しく伝えて下さい 体に気を付けて下さい
 
 ヒゲを生やした祖父を想像してみた。おそらく祖母と結婚したばかりの頃だ。考えることといえば、新妻のことばかりだろう。祖母は、若い頃、なかなかの美人だったそうだ。葉書からは、血気盛んな青年将校というより、ただの恋する青年としか、僕には思い浮かばない。
 これまで、おじいちゃんと呼んできたが、すでに僕は祖父が戦死した年齢を超えている。今さらながら驚いた。まだ若いつもりの僕の年齢までも、祖父は生きられなかったのだ。
 おそらく、その葉書が書かれたのは、広島あたりだろう。基地があって、祖母が面会に行ったという話を母から聞いたことがある。
 僕は祖父のことをほとんど知らない。戦争のことは思い出したくもないという祖母に、当時のことを訊いたこともない。
 僕は、数ヶ月前、地元の新聞の一面に載った写真を思い出した。それは、北海道で、イラクに向かう自衛隊の船を家族が見送る写真だった。日の丸だけでなく、旭(きよく)日(じつ)旗(き)も振られていた。祖父も、そのように送り出されたのだろうか。
 僕は、葉書を手に、もどかしくなった。僕の体の中に、その血が流れているはずの祖父が、あまりにも遠く思えたからだ。この手の中に、祖父の書いたものがあるにもかかわらず、僕と祖父、僕と第二次世界大戦の隔たりを埋められない。その隔たりは、六十年という時間だけではなかった。
 僕はパソコンに、その葉書の文言を打ち込んだ。この目を通して、この指を通して、祖父の命を、僕の中に吹き込もうとしたのだ。僕の目は、冴えてきてしまった。しかし、まだ、祖父は遠くにいる。
 パソコンの電源を落とすと、熟睡して、すっかり重くなったモモをソファから抱き上げ、ベッドまで運んだ。(つづく)

連載 小説(3)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄
 
 ようやく、うちに帰ってきた。緑が丘高校の長い一日が終わり、モモを学童に迎えに行き、スーパーに寄って、食材も買った。
 スーツ姿のまま、キッチンに立った。ごはんは、タイマー付の炊飯器がすでに炊きあげ、保温中だ。今夜のおかずはコロッケ。
「モモ、パパがごはんつくっている間に、バイオリン練習しておけば」
「はいはい」
「返事は一回」
「やればいいんでしょ、やれば」
 と、モモはソファから重そうに体を起こす。
「まったく。モモがやりたいって言って、始めたくせに」
「だから、今、やるんだって」
「じゃ、がんばって。おいしくて、カロリー低めのコロッケつくるから」
「パパも、あとで、やるんだよ」
「パパは、さぼったことありません」
 熱しやすく冷めやすい僕が、意外にも真面目に毎日バイオリンを練習している。ライバルであり同志でもあるモモの存在が大きいのだろう。
 モモのバイオリンが聞こえてきたときだった。ジャガイモを茹(ゆ)でている間に、タマネギをみじん切りしていて、突然、指に電気が流れたような痛みを感じた。
 僕は大きな声を上げていた。左手の親指の先もみじん切りしていたのだ。僕は右手で、左の親指の根元を握った。指先の真っ赤な血が、テントウ虫のように、表面張力で盛り上がっている。
「パパ、大丈夫?」
 僕は、指先からぶら下がる皮を、手で引っ張ってとった。
「大丈夫。モモ、絆(ばん)創(そう)膏(こう)」
 モモはすぐに絆創膏を持ってきた。
「モモが貼(は)る」
「頼む」
 モモが痛そうな顔で、ティッシュで血を吸い取り、傷口に絆創膏をあてた。また鋭い痛みを感じたが、黙っていた。
 絆創膏を貼り終えた頃、僕もようやく落ち着いてきた。左手を顔の前に上げたまま、ダイニングテーブルの椅(い)子(す)に腰掛け、まだうずく痛みに耐えていた。
 その時、モモが言った。
「パパ、モモが料理をする」
「できる?」
「教えてくれれば、できるって」
 僕は、うちの今年のテーマを思い出した。自立。モモが料理を覚えて、家事分担が進めば、お互いの自立につながる。これは、チャンスだ。逆境こそチャンスなのだ。
 モモは、まず、タマネギのみじん切りを続けた。涙が出るからと、水泳のゴーグルをつけて、切った。
「モモ、ニャンコの手」
 ニャンコの手とは、タマネギを押さえる指先を、切らないように、内側に曲げることだ。
「わかってるって。パパこそニャンコの手しなかったから、切ったんだよ」
 たしかに。
 時に、僕が見てられず、手を出すと、モモが怒った。
「モモがやるって言ってるでしょ」
「はいはい」
「はいは一回」
「………………」
 フライパンを弱火にかけ、パン粉を入れ、木べらで、かき混ぜる。
「茶色くなったら、すぐ火を止めて」
 僕が皿を出すと、その中にモモが重そうにフライパンを持って、茶色くなって香ばしくなったパン粉を入れた。
 ざるにあげておいたジャガイモが、少し冷めたので、モモが皮を剥(む)く。
「パパ、熱い」
 水を出して、指を冷やしながら、剥くように言った。
 ボールの中でジャガイモをつぶし、そこに炒(いた)めたタマネギと挽(ひき)肉(にく)を入れた。いつも使っているフライパンが、モモが持つとやけに大きく見えて、おかしかった。
「モモ、塩コショウして」
「どれくらい」
「適当」
「てきとうってどれくらい」
「そう言われても、わかんないよ」
 塩コショウだけは、片手でできるので、モモが僕にやらせてくれた。
 モモは、コロッケのタネを、両手で、丸めていく。
 つい手を出し、口を出したくなるのだが、ぐっとこらえた。待つことが、大事なのだ。ベランダの緑たちのように、待たなくては、自ら育たないのだ。
 オーブンを温め、天板にオーブンシートを敷き、タネに煎(い)ったパン粉をまぶし、その上に置いた。
 僕はずっと見ていて、指示を出すだけだ。モモは、手つきが雑だが、思ったより手際よく料理をする。
 オーブンでコロッケを焼いている間、つけ合わせのサラダをつくった。ちぎりレタスとプチトマト。僕が食器を出して、モモが盛りつけた。モモの真剣な表情は、ずいぶんとひさしぶりに見たような気がした。
「できた」
 と、モモがうれしそうに言った。僕まで、指の痛みを忘れ、うれしくなった。
「パパ、写真とって」
 僕はケイタイについているデジカメで、逆境から生まれたローカロリー・コロッケを撮った。
 記念写真のあと、いよいよ一口食べてみた。
「パパ、おいしい」
「たしかに、うまい」
 揚げてないので、ボリューム感には欠けるが、まずくはない。モモは、自分でつくったということに感動して、よけいおいしく感じるのだろう。
「初めて全部つくったね」
 と、モモが誇らしげに言うと、僕はコロッケをほおばったままうなずいた。
 その時、テーブルの上にあったケイタイが鳴った。モモの母親からだった。僕はコロッケを呑(の)み込んでから、電話に出た。
「あ、もしもし、元気?」
 元気そうだった。新しいフルタイムの仕事に就き、新しい車も買い、充実してきたようだ。
「モモも、元気。あ、そうそう……」
 僕は今日起こったことを話した。
 モモが口をはさんだ。
「ちゃんと、モモが一人で全部つくったって言ってよ」
 僕はケイタイをモモに渡した。モモは、早速、コロッケをつくったことを自慢した。
「パパ、ママがかわってって」
「いつがいい?」と彼女が言うので、・いつでもどうぞ」と答えた。
 それで、今週末、モモが彼女のところに行くことになった。最後に、彼女が信じられない言葉を言った。
「いい子に育ててくれて、ありがとう」
 僕は彼女にけなされたことしかなかった。無神経で自己中心的で最低なオトコと何度言われたかわからない。それが、ここ数年で初めて褒(ほ)められたのだ。
「いえいえ、一番大変なとき、育てていただいたからさ」
「一人、でね」
「はい」
 反論の余地はない。
「じゃ、がんばってね。仕事人間」
 この頃では、彼女のほうが労働時間が長い。
「よく言うよね。まったく」
「体も大事にね。もう、若くないんだし、さ」
「そちらに言われたくありません」
「そっか、こっちが四ヶ月年上か」
 と、僕たちは笑った。
 ケイタイを切ると、モモが何について話していたか、知りたがった。
「モモがいい子だってさ」
「ふーん。パパとママ、仲いいじゃん」
「そりゃね」
 モモが何かいう前に、僕はすかさず言った。
「一緒に住んでないからさ」
 モモは納得がいかないようだった。
 僕の指先はまだ痛んだが、指を切って本当によかったと思った。
 
 金曜の夜、仕事を終えた彼女が迎えに来て、モモを連れていった。
 土曜の朝は、一人、うちで目覚めた。トーストだけの簡単なブランチをとり、そのままキッチンで、新聞を読んだり、ニュースを見たりしていた。
 嫌な言葉が、何度も出てきた。・自己責任・。イラクでボランティア活動などをしていた三人の若者たちに浴びせられた言葉。武装勢力の人質となったが、ようやく解放され、日本に帰ってきたのだ。
 ・反日分子」などという言葉さえ、出てきてしまった。政府に逆らうもの、もはや非国民なのか。・国際貢献・。これも、嫌な言葉だ。迷彩服に身を包み、銃を持った自衛隊は、アメリカに貢献しているのだ。少なくとも、イラク人にはそう見られている。あの若者たちこそ、国際貢献してるのではないだろうか。
 嫌な言葉で、嫌な気分になった。ベランダに出て、マグカップを片手に、しばらく植物たちを眺めていた。朝顔の蔓(つる)が、少しだけ伸びてきた。ひまわりは、まだ背が低いが、葉が増えてきた。買ったときは覚えていたのだが、その名前を忘れてしまったいくつかの花が鉢の中で咲き出した。バジルも葉が増えてきた。夏には収穫して、パスタにからめて食べるつもりだ。
 ベランダのむこうに、茶畑が見える。明るい緑だ。もうすぐ新茶が飲めるだろう。
 僕はキッチンに戻り、緑茶を飲むことにした。
 のどかな田舎の風景、しかし、僕の胸の中はまだ波立っていた。仕事や家事に追われているときは気づかないのだが、ずっと波立ったままでいるのだ。
 何か匂いがする。形には見えず、言葉にはできないが、たしかに匂う。
 まだ、着任して一週間も経たない緑が丘高校でも、プンプン匂うのだ。
 生徒たちは、一年生ということもあってか、おとなしく、従順だ。教師たちは、熱心で、真面目、いつも忙しそうにしている。そんな教師たちの中で、僕は何をしていいのかわからず、ひとり時間を持て余し、オールのないボートのように漂っているような気がする。
 一年生を教える英語教師集団は、僕を含めて四人。団塊の世代、組合の仲間でもある石田先生。僕と同年代の女性教師、几帳面な山口さん。年齢は訊(き)いていないが、おそらく僕より二つ、三つ上だろう。そして、もう一人、僕より年下で、そろそろ三十代の男性教師、竜崎。僕より若いということは、大きな意味を持つ。僕が教師になったのは、バブルの最後の年。景気がよく、給料の安い公務員の教師など人気がなかったときだ。だから、採用試験も易(やさ)しかった。しかし、バブルがはじけたあとは、安定した収入を得られる公務員の人気が上がった。採用も狭き門となった。僕はあと一年若かったら、教師にはなれなかっただろう。僕より若いということは、その狭き門をくぐってきたということで、竜崎などは、優秀な教師だということになる。
 石田先生は、温厚でリベラルなベテラン、僕のよき話し相手だ。山口さんは、モモと同じ年の娘がいて、子育てや料理のことでも、話があう。しかし、竜崎とだけは、会話が弾まない。僕が何を訊いても、的確で必要最小限の言葉だけが返ってきて、会話がそこで終わってしまうのだ。
 数日前、その竜崎の担任するクラスの前を通ったときのことだ。竜崎は、通称、特進、特別進学クラスの担任である。入学試験の上位者を集めたクラスだ。その教室の後ろの黒板に、受験勉強のコツが、各教科、何項目にもわたって書かれていた。熱心で生徒思いだと感心して読んだ。僕にはできないことだ。その黒板の上には、大きな字で横書きに書かれていた。
「勝ち組に入るために」
 下にも、大きな字で書かれていた。
「負け組に入らないように、今日からがんばろう」
 週末のキッチン、緑茶の入った湯飲み茶碗を前に、嫌な言葉が僕の頭の中をいくつか回り始めた。・勝ち組・負け組」という言葉も、嫌な言葉だ。このプンプン匂う社会を象徴する言葉のような気がする。
 竜崎の父親は、どこかで校長をしていたらしく、最近定年したそうだ。竜崎には、三歳の息子がいるという。しかし、僕が山口さんと、育児の話をしているときなど、竜崎にふっても、ほとんど話に加わらない。
 僕は優秀な竜崎をひがんでいるのだろうか。だから、無意識に竜崎のあらばかり探してしまうのだろうか。
 ただ、僕が勝ち組にも負け組にも入れないアウトサイダーであることだけは、間違いないようだ。
 キッチンでお茶を一杯飲み終えて、このように職場のことを週末になっても考えていることが、僕の主義に反することだと気づいた。仕事に家庭を持ち込んでも、家庭に仕事を持ち込まないのが、僕の新しい主義なのだ。
 
 昼前、僕は気分を変えるために、祖父の恋文を読むことにした。
 もったいなくて、一度に一通ずつ読むことにしている。検閲があるせいか、さしさわりのない近況報告がほとんどで、若くてきれいだったらしい祖母への思いが主に綴られていた。
 さぞ、会いたかったことだろう。新婚の男など、考えることといえば新妻のことだけだ。しかし、手紙に妻への思いがあふれてくると、祖父は軌道修正をしていた。
 その検閲済みの葉書には、小さな字がきれいに並んでいた。
 
 宇品の別れは一寸淋しかったね 良く御前と二人で語ってから別れたかった 酔っぱらって寝てしまいすまなかった 翌日は御前の事が頭に浮かび眠られなかったよ 夫婦の愛情は格別だからね 然しこんな女々しい事は書いたが一度公務に立った時は一切を忘れ 吾(わが)國(くに)の為(ため) 生を捧げる事は今迄(まで)の修養にて十分出来る筈(はず)ですから 決して御前の顔に泥を塗る様な見苦しいことは決してしないからね 何か事が有った時は夫は笑って靖國の神になったと思って居て呉(く)れ
 
 宇品とは、広島の地名だ。そこに、祖父は滞在していて、祖母が面会に行ったのだろう。・靖國の神」とは、靖国神社に奉(まつ)られる戦死者、つまり、祖父は「英霊」として今も靖国神社で眠っているのだ。このとき、僕の心の中で初めて、第二次世界大戦と祖父と靖国神社がつながった。
 愛するひとを思い、生き続けることは、・女々しく・、・見苦しい」ことで、一切を忘れ、国のために、桜のように散ることが、男らしいとされた時代。
 今も昔も、日本でも他の国でも、ひとがひとを好きになることは変わらないはずだ。誰かを好きになり、いっしょにいたいという気持ちは、僕にも想像できる。僕もモモの母親には、激しく恋をした。会っているときも、会っていないときも、考えることは彼女のことばかりだった。ひとが一人生まれるには、そんな燃えるようなラブ・ストーリーが必要なのだ。
 僕は祖父のラブ・ストーリーを書いてみたいと思った。手紙をすべて読めば、ストーリーが立ち上がってくるのだろうか。生まれてもいない時代、会ったこともない人物を、僕にはとても書けそうにはないが。
 
 その日の夕方、僕は実家の台所に、祖母と立っていた。兄がおしっこを訴えると、交替で、面倒を見た。その晩のおかずは、太(た)刀(ち)魚(うお)の煮付け。祖母の得意料理、我が家の味を伝授してもらうことにしたのだ。
 僕の頭の中には、ここに来る前に読んだ祖父の手紙の言葉が、まだ残っていた。
 祖父は南国にいて、食べ物のことを書いていた。
 椰(や)子(し)の実の上を切って、中の甘い汁を飲むこと。その後、半分に割って、中の果肉をとって、醤(しよう)油(ゆ)につけて食べると、烏(い)賊(か)の刺身のような味がすること。
 パパイヤの塩漬けのことや、台湾バナナよりも味が劣るというモンキーバナナのことも書いてあった。
 好きな人を思う気持ちと同じように、おいしいものを味わう幸せは、戦時中も今も変わらないようだ。
 青年将校といえば、形容詞は「血気盛んな」となりそうだが、祖父はただの恋する食いしん坊な青年としか思えなくて、笑ってしまった。
 祖母は、火にかけただし水に、醤油、酒、みりん、砂糖を適当に入れていく。そして、いつものように、煮え立った汁に指を入れて味を見た。以前、真似をして、やけどしそうになったので、僕はスプーンですくって味を見た。甘くて、こってり、我が家の味だ。
「おばあちゃんは、甘いのが好きだだよ」
 そして、祖母は戦時中の話を始めた。あのころは、砂糖など、手に入らなくて、宝石に見えた、と。
 祖母は配給のことを話した。その言葉は何度も聞いたことがあるが、どういうものか詳しくは知らなかった。食料を好きなだけ買えなくなったという。家族の人数に応じて買える量が決まっていて、切符のようなものを持っていかなくては、買えなかったそうだ。
 今は、好きなだけ料理に砂糖を入れられる時代、僕には想像することができない。
 配給だけでは、栄養失調になり、飢え死にしてしまう。そこで、ヤミのものを買いにいく。祖母は、生まれたばかりの僕の母を乳母車に乗せ、いい着物を着て、農家をまわったという。いい着物を着るのは、みすぼらしい格好をしていると、警察にヤミを疑われてしまうからだ。警察にばれたら、没収されてしまう。ある農家では、乞(こ)食(じき)のように扱われ、頭を下げ続け、市価より高いヤミ値の食材を買ってきたという。ヤミの食材を、乳母車の底に隠し、赤ん坊をその上に置いて帰ってきたそうだ。
「栄養失調で、死んだひともいただよ」
「近所に?」
「学校の先生とか、かたいひとは、ヤミをやらなかったでね」
 物忘れが多くなった祖母が戦争中のことをよく覚えていることに驚いたが、戦争の話は聞きたくも話したくもないと言っていた祖母が、僕が訊くと、いろいろ話してくれることにもっと驚いた。今まで、祖母に戦争の話はしないようにしていたのだが、もうそんな気遣いもいらないようだ。
 魚が煮えると、取り出し、残った汁の中に、半分に切って格子の切れ目を入れたナスを入れた。つけあわせだ。今日のおかずは、これだけ。もちろん、それで充分だ。
 僕は兄を食卓まで連れてきた。椅子に座らせ、テーブルに新聞を敷き、トレイを置く。そこに、骨をとった太刀魚の身がのったどんぶりご飯をのせる。
 兄は、何度も指を鳴らした。
「兄ちゃん、ナイスナイスだね。おいしいよ」
 と、僕が言うと、笑顔になった。ご飯は、兄にとっては、数少ない楽しみの一つなのだろう。
 箸(はし)を進めている間も、祖母の戦時中の食べ物の話が続いた。
 米のご飯は、食べられなかったという。夕食のサツマイモのお粥(かゆ)に、かすかに米が浮いていればいいほうだったそうだ。
「肉や魚は?」
 と、僕は聞いた。
「肉なんか見たことなかったやあ。ここらの漁師もみんな兵隊に行ってたで、魚もなかっただよ」
 人間は、サツマイモだけで生きていけるのだろうか。僕はかつてベジタリアンになろうとしたが、一日で挫折したことがある。
「カボチャもよく食べたやあ。体が黄色くなるまで食べただよ」
 僕は生ゴミ処理機を買ってからというもの、残飯はその中にどんどん捨てる。いずれ、肥料になるからと、罪悪感もあまり持ったことがない。
 ところが、祖母は、残り物にはなんでもラップをかけてとっておく。僕やモモには炊きたてのご飯を食べさせるが、自分は冷やごはんをよく食べている。
「毎日、お米のごはんが食べれて、今でも時々、夢じゃないかなあって、思うだよ」
 祖母はご飯を食べ終わると、茶碗に緑茶をそそぎ、最後の一粒、ぬめりまでおなかに流し込む。僕は腹の贅(ぜい)肉(にく)に手を当てながら、ひもじいとはどういうことなのだろうかと思った。好きなものが好きなだけ食べられ、むしろ食べ過ぎないように気を遣う今、想像することができなかった。
「兄ちゃん、おいしかった?」
 と、僕が訊くと、兄がまた指をならした。祖母がお茶をいれ、兄はストローで飲みはじめた。
 
 僕は居間で、兄とお茶を飲みながら、テレビを見ていた。お茶がなくなると、祖母が新しいお茶を入れてくれる。
 この頃は、うちで何でも自分でやるので、不思議な気がしたが、黙っていた。
 これが、もし母だったら、おせっかいだとか、その行為が男をだめにするとか言っていたところだ。
 店を閉めて、両親が帰ってきた。兄はうれしいのか、大きな声を上げた。
 夜が更けてくると、祖母が言った。
「ほい、今日も見るでね。韓国のドラマ」
「冬のソナタでしょ」
「何時からやるだい?」
「十一時ちょっと過ぎ」
 毎週のことなのだが、祖母は覚えていられないのだ。
「ほい、ところで、ソナタって何だい?」
 今度は、僕が困ってしまった。そういえば、ソナタとは、よく聞く言葉なのだが、どういう意味なのだろう。英語なのだろうか。
 僕が黙っていると、祖母が言った。
「英語の先生でもわからんだか」
 わからないものは、わからなかった。
 祖母は、十一時になると、テレビの前に正座して、イヤフォンを耳にはめて、・冬ソナ」が始まるのを待っていた。
 祖母のところでは、音が聞こえないので、僕はキッチンで母と見ることにした。父は風呂に入ると、兄と布団に横になった。兄はいつも父と寝るのだ。
 やがて、テレビの画面が白くなった。濁りのない澄み切った銀世界。
 母は隣で僕といっしょに、ビールを飲みながら見ているが、ただドラマを見る以上の感慨はないようだった。
 一方、祖母はちがった。時折、祖母の溜め息や、合いの手を入れるような声が、キッチンまで聞こえてくる。イヤホンをつけているせいか、声がやけに大きかった。
 たしかに出演する俳優たちは、美男美女ばかりだ。しかし、このドラマの美しさは、それだけではないような気がする。
 何が僕や祖母をここまで惹(ひ)きつけるのだろう。ヨン様もいいが、恋敵のサンヒョクもなかなかだ。僕はいつしか二人を尊敬のまなざしで見つめていた。どちらも、同じ一人の女性に恋をして、とにかく、その気持ちに正直で、どこまでも誠実なのだ。
 ドラマが終わる頃、その美しさがわかるような気がした。ひとがひとを好きになるという行為は、純粋に美しいのだ。その美しさは、死を覚悟しつつも、恋心を隠すことのなかった祖父の恋文の文面にも感じられたものだ。
 たしかに、恋は美しい。それでもなお、恋は、僕から遠くにあるものだった。(つづく)

連載 小説(4)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 転勤してからの一番大きな変化は、通勤時間が二倍になったことだ。といっても、十分が二十分になっただけのことだが。それでも、朝の時間は、一分でも貴重なのだ。特になんでもギリギリにする僕にとっては。
 出勤も、もちろん、いつもギリギリだ。僕とモモの住む教職員住宅には、新しい同僚もいるのだが、朝、ベランダの緑たちに水をあげていると、・お先に」などと声をかけて、駐車場から出ていく。パジャマ姿の僕は、・じゃ、のちほど」などと答える。早々と出勤して、うちにいる時間を短くして、労働時間を長くするのは、嫌いなのだ。僕は朝たいてい一番最後に職員室に入る。しかし、遅刻はしない。時間と原稿の締め切りを守るのは、大切なことだ。
 朝、とにかく一番大変なのは、モモを起こすことだ。モモは僕の血をしっかりと引き継いだのか、夜型人間だ。小学校では、・夜九時に寝て、朝六時に起きましょう」というのだが、モモがそれを守ったことは、年に一度、遠足のときくらいのものである。
 朝六時、アラームがなる。恥ずかしながら、僕はモモとダブルベッドで寝ている。いちおう公式には、ベッドも風呂も別ということになっている。だから、もし僕が口を滑らせて、モモの友達に事実をばらしようものなら、大変なことになる。
 さて、僕は目を覚まし、隣のモモを起こす。
「パパ、あと少し」
「わかった」
 と言って、僕も眠る。
 五分後、またアラームがなる。モモを起こす。・パパ、あと少し」とモモ、・わかった」と僕。これを数回繰り返す。
 そして、これ以上眠れない時間になると、僕はベッドを抜け出し、朝食を作る。
 今年のうちのテーマは、・自立」だ。モモが三年生になってからは、もう何度もモモを起こすことはやめた。
 ベッドを出るときに、僕は言うのだ。
「じゃ、パパは起きるから」
 そして、決めぜりふ。
「起きなきゃ、パパは知らないよ」
 モモはすぐには起きないが、それでも、僕はキッチンに行ったら、もう起こさない。
 ここで覚悟しなくてはならない。このまま、モモが目を覚まさず、遅刻してもかまわない、と。僕は朝食と家の鍵をテーブルに置いて、出ていくだけだ。
 ・自己責任」という言葉は、こういう時に使う言葉なのだ。イラクから帰ってきた若者たちに、自分が国際貢献できない鬱(うつ)憤(ぷん)をはらすかのように、浴びせかけるのではなく。
 自分の一日は、自分の意志で、始めるべきだ。それが、朝、自分で起きるという行為なのだ。
 僕は、まず、小鍋でお湯を沸かした。そこにウインナーソーセージを入れる。バターロールに、切れ込みを入れて、レタスを挟む。そこに温まったソーセージも挟み、ケチャップをかければ、ミニドックのできあがりだ。小皿に、ミニドックを一つ置いて、脇にプチトマトを二つほど添える。これで、牛乳でも飲めば、完(かん)璧(ぺき)な朝食だ。
 僕は寝室のモモを見に行きたくなるが、ぐっとこらえる。そして、冷凍しておいたご飯を電子レンジに入れる。四分間、解凍する間に、ベランダのプランターで育てているネギを収穫してきて、みじん切り。焼き豚もみじん切り。そして、中華鍋を火にかけた。
 そこで、ようやく、モモの登場だ。もうパジャマから、体操服に着替えている。
「パパ、今日も、一人で起きたよ」
 誇らしげだ。
「やるな、なかなか」
「パパは、小学三年生の時、自分で起きてた?」
「そういえば、起きてない」
「おばあちゃんに起こしてもらってたんでしょ。モモの勝ち」
 たしかに、モモは、僕が子どもの頃にできなかったことを、いくつもできる。たしかに、負けだ。
 モモが、朝食のテーブルにつくと、僕は立ったままミニドックを一口頬(ほお)張(ば)り、中華鍋にごま油をたらし、溶き卵を入れた。次にネギと焼き豚を投入、ご飯を入れて、塩、コショウ、中華の素で味付けして、火を最強にして炒める。重い鉄の玉じゃくしの丸いところで、ご飯を鍋肌に押しつけ、玉じゃくしをひっくり返してご飯をほぐし、力を込めて、中華鍋をあおる。あっという間に弁当ができあがった。
「パパ、またチャーハン」
「どれだけおいしいの作れるか、研究してるんだって」
 その時、ドアの呼び出し音が聞こえた。
 同じアパートに住む一つ年上の小学生が、モモを呼びに来たのだ。モモはギリギリまでうちにいるので、その子が待ちきれずにうちまでやってくる。
 そうすると、僕がせかさなくても、モモが急いで支度をする。そして、風が通りすぎたかのように、・いってきます」と、モモはうちを出ていった。
 ここまでが、分刻み、いや秒刻みのたたかいだ。しかし、ここからは一転して、スローな時間が流れる。
 ベランダに出て、植物に向きあうと、僕の体内時計が切り変わる。僕は体内時計には二種類あると思う。動物時間と植物時間だ。
 最近まで、僕の体内時計は、ずっと動物時間だった。いつも、目に見える変化とすぐに出る結果を求めていた。子どもの頃、飼い犬にお座りを教えたことがあるが、菓子をエサに、すぐに芸を仕込むことができた。犬は、こちらの声に、すぐに答えてくれた。
 一方、植物は、こちらの声にはまったく耳を貸さない。ベランダでガーデニングをするようになったとき、僕は植物時間の存在を知った。植物の成長していく様は、ゆっくりすぎて目に見えない。結果もすぐに出ない。鉢や土など環境を整え、水をあげるくらいのことしかできない。してあげられることは、毎日、少しずつだけ、あとはひたすら待つ。日々の変化は見えないが、忘れた頃には、植物はしっかりと成長している。
 シングルファーザーになる前は、ひとを育てることは、動物を調教することに似ていると思っていた。しかし、今は、それが植物を育てることに似ていると思う。
 決して僕の思い通りにはならず、もちろん僕のものでもないモモは、毎日は気づかないが、この二年を振り返ってみれば確実に成長している。もし僕が体内時計が動物時間のままで、モモを育てたとしたら、きっとこの生活は破(は)綻(たん)していただろう。モモは、とても調教できるような存在ではないからだ。
 僕にとってベランダガーデニングは、つい動物時間に戻ってしまう体内時計を、植物時間にあわせるための行為なのだ。
 そんなことをベランダで考えていると、目の前を次々に同僚たちが出勤していく。
 時計を見たら、もううちを出なくてはならない時間だった。まだパジャマを着ていた僕は、慌てて支度を始めた。
 せっかく植物時計にあわせた僕の体内時計が、一気に動物時間に戻ってしまい、時の刻みが高速で回り始めていった。
 
 僕は車を降りると、弁当とバッグを持って、職員室へ急ぐ。駐車場から、職員室までは、一年生の教室の前の廊下を歩いていく。
 腕時計を見たら、あと二分だ。僕は廊下を走りだした。そんな僕を見て、笑っている生徒がいる。人なつっこい生徒が話しかけてくるが、適当にあしらった。
 職員室に入る前、竜崎のクラスの前を通った。・勝ち組に入るために」と勉強のコツが背面黒板に書かれているあの教室だ。教壇には、紺のスーツできめた竜崎が立っていた。特進クラスの生徒たちが、机に向かっている。これが、ゼロ時間目の授業なのだ。僕がベランダの花に水をあげていたころ、竜崎はすでにここで英語を教えていたのだ。
 職員室の席に着くと、少し汗ばんだので、上着を脱いだ。息が切れていたが、まわりに悟られないように、静かに息をした。
 そこで、朝の打ち合わせ開始のチャイムが鳴った。もちろん、今日も間にあった。僕は何でもギリギリにするが、時間は守るのだ。
 竜崎が、意気揚々と、チャイムの余韻が残るうちに、席に着いた。まわりが竜崎に「おつかれさま」と囁(ささや)き、ねぎらっていた。
 僕は出勤時間に間に合ったのにもかかわらず、一瞬、後ろめたさを感じた。
 朝の打ち合わせが始まった。教頭が司会をして、教師たちが次々と立って、連絡事項を伝えていく。新学期ということもあって、あわただしい。僕の頭の中に収まりきらない情報が乱れ飛んでいた。この学校のどこに何があるかも、いつ何があるかもわからない僕には、打ち合わせの言葉が外国語のように聞こえた。
 打ち合わせが終わって、一段落していると、同じ英語科の山口さんが通りかかり、僕に声をかけてくれた。
「先生、お弁当作ってきたの」
「ああ、はい」
「えらいのね。私はいつも給食弁当頼んでるから」
 そこで、しばらく弁当談義。山口さんは、自分の弁当を作ると、うちで何もしない夫に「俺のも作れ」と言われるので、それが癪(しやく)で弁当は作らないのだそうだ。夫も高校教師だという。きっと働き盛りなのだろう。
 竜崎が、出席簿を持って、職員室を出ていった。特進クラスの朝の会に出かけたのだ。山口さんも、クラス担任なので、慌てて竜崎の後を追った。
 前任校でもそうだったのだが、弁当を作ってくる男性教師は、この学校でも僕一人なのだろう。女性が弁当を作ってきても褒められないのに、男性の僕が作ると褒められる。たしかに不公平ではあるが、褒められることはうれしい。しかし、男の弁当はどうしても注目を集めるので、手を抜いた弁当は作れなくなってしまう。これも、なかなか大変ではある。しかし、おいしいお昼が毎日食べられるので、よしとすることにした。
 その弁当が食べられる昼休みまでは、まだ時間がある。朝は始まったばかりだ。まわりの教師たちがキビキビと動き出した。僕は今日も波に乗り遅れたようだった。
 しかし、前任校では考えられなかったこのスローなペースも、嫌いではなかった。
 
 緑が丘高校の生徒は忙しい。毎週水曜日の朝は、英単語テストがあり、週二回は授業の最初に英文法の小テストもある。英語の授業は毎日あり、毎授業の予習が義務づけられている。僕が教室に行くと、たいていほとんどの生徒が机に向かって、英文法のテキストを見ている。小テストが、毎回そのテキストの数ページから出題されるのだ。
 継続は力なり。学問に王道なし。意志あるところに道は開ける。竜崎クラスの背面黒板に書かれていた言葉だ。たしかに、その通りだ。毎日勉強することは、まったく間違ってはいない。
 ほとんどの生徒たちは、真面目で従順だ。ほとんどの教師たちも、真面目で従順、そして熱心、いつも忙しそうだ。
 宿題が出るのは、英語だけではない。数学の教師も熱心で、国語の教師も熱心ときている。理科や社会の教師も熱心だろう。
 ある教室に行ったら、坊主頭の生徒が僕に言った。野球部員だ。
「先生、宿題出すのはいいんだけどさ、俺は一人だから」
「え、一人って?」
「宿題出す先生は何人もいるけどさ、宿題やるのは、俺一人だってこと」
 彼に言われるまで、僕は気づかなかった。
 英語教師ががんばることはいいことだ。数学教師ががんばることもいいことだ。他の教科の教師たちががんばることもいいことだ。しかし、すべての教科の教師たちががんばって、宿題を出したら、それは悪いことになるかもしれない。やりきれない分量の宿題を与え、宿題が終わってないと、生徒たちを叱る。これでは、生徒たちはたまったものではないだろう。
 
 授業を一つ終えて、職員室に帰ってくると、小テストを採点して、コンピュータに点数を打ち込み、次の小テストを作る。そして、あっという間に、次の授業の時間となる。また授業を終えて帰ってくると、小テストの採点をして、点数を打ち込む。
 午前中の授業が終わり、給湯室にお茶をいれに行くと、石田先生も湯飲みを持ってそこに立っていた。
「もう、慣れた?」
「なんだか、忙しいですね」
 石田先生は、笑った。
「これで、来年、クラス担任にでもなれば、もっと忙しくなるよ。今年は様子見で、楽させてもらいなよ」
 緑が丘高校では、これで暇で楽なほうなのだ。不安になった。
 ようやく、今朝作ったチャーハン弁当の蓋を開けた。冷めてはいるが、一口食べると、合格点の味だった。
 職員室の自分の机で、半分ほど食べた頃、竜崎がプリントを抱えて出ていった。小テストの点数が悪かった生徒たちを呼び出して、再テストを行うのだ。
 また、昼休みに弁当を食べているだけで、後ろめたさを感じてしまった。今日、二回目だ。
 そのとき、背後から声をかけられた。
「せんせい」
 語尾が少し上がった口調。笑顔で、女子生徒が二人立っていた。英語の教科書を持っている。背が高くて静かな生徒と、小柄で明るい生徒の二人。
「今日の訳、聞き逃したんで、教えていただきたいんですけど」
 驚いた。前任校は、ワイルドなヤンキーが多い工業高校で、女子生徒はわずかしかいなかったが、緑が丘高校は、女子生徒のほうが多いのだ。女子生徒に、質問を受けることなど、教師になりたての頃以来だ。少し、感動してしまった。
 質問が終わると、背の低い明るい生徒が僕に言った。
「先生、おいしそうなお弁当」
「おいしいよ」
 僕は一口食べた。
「うん、おいしい」
「愛妻弁当?」
 と、背の低い明るい生徒が言うと、もう一人の生徒に肩のあたりを叩(たた)かれた。
 僕は最初の授業で、自己紹介をしたとき、僕の家族構成のことも話していた。
「料理好きなんだよ」
「晩ごはんも、作るんですか?」
 と、背の高い生徒が、敬語で言った。
「うん。朝ごはんもね」
「すごい、男の料理?」
 と、背が低い生徒が言うと、僕は答えた。
「どうかなあ。料理に男も女もないんだよ」
 背が高い生徒が、僕を見つめて、うなずいた。
「先生、ジェンダーフリーですね」
 その言葉は、どこかで聞いたことがあったような気がしたが、実は意味を知らなかった。
「まあね」と曖(あい)昧(まい)にうなずき、後でその言葉を調べようと思った。
 午後の授業の予鈴がなると、彼女たちは教室に戻っていった。
 入れ替わりに、竜崎が、不機嫌な顔で帰ってきた。自分の机につき、昼食をとりながら、隣の数学教師にこぼしてた。
「まったく、あいつら、できないんだよな」
 隣の教師も同調していた。
「ぜんぜん、勉強してきてない」
 隣の教師も、出した宿題がこなせてない、というようなことを言っていた。
 僕はあの丸坊主の野球部の生徒が言っていたことを思い出した。宿題を出す教師は何人もいるが、宿題をするのは一人だ、と。
 時に教師は、生徒にできないことをやれと要求して、できないからと叱ることがある。なぜこんな簡単なことができないのか、と。教師が、その教科ができるのは、そればかり何年もやっているからだ。決して生徒より頭がいいからではない。このことをつい忘れてしまい、悪循環に陥ってしまうのだ。
 この学校の実態は、僕にはまだよくわからない。これが、悪循環なのか、それとも竜崎が言うように生徒の努力不足なのか、これから見極めなくてはならないだろう。
 こういうことを考えてしまう僕は甘いのだろうか。
 自立、その言葉が、頭に浮かんだ。自立は、自分で立つこと。その基本は、自分で考えることだろう。しかし、生徒たちは、自分で考える暇もなく、次から次へと宿題が与えられる。
 もし自分で考えることを忘れてしまったら、命令でしか動けなくなってしまうだろう。まるで、オールのないボートのように。競争に敗れたり、そのことを恐れたりしたら、不安にも孤独にもなるだろう。そうなると、自由から逃走して、強く大きなものに服従して、安定を得たくなる。こうして、ファシズムのサポーターになっていく。服従という新しいオールを手にして。
 僕の机の上には、E・フロムの「自由からの逃走」が置かれている。この学校には、毎朝、十五分、読書の時間があり、今、それを読んでいるのだ。この本に、そんなことが書かれていた。僕は自由が好きで、モモはもっと好きだが、自由が怖い人も多いようだ。
 フロムがこれを書いたのは、四〇年代。ナチスが台頭してきた頃だ。当時、ユダヤ人のフロムは、ドイツを逃れ、アメリカに亡命していた。
 食後のお茶を飲んでいると、また匂(にお)ってきた。プンプンと。これはファシズムの匂いなのだろうか。
 ちょうど、フロムに影響されて、考えすぎているだけなのだろうか。ただの考えすぎなら、いいのだが。
 教師たちは、悪いことをしているわけではない。むしろ、いいことをしているのだ。生徒の学力を上げることに必死だ。熱心に、真面目に、従順に。
 日本が戦争にむかったときも、きっと国を思う多くのいいひとたちが、熱心に、真面目に、従順に、突き進んでいったのだろう。日本を守るため、アジアの国々の解放のため。
 いいひとが、いいことのために、突っ走り、いつしか引き返せなくなっていく。ファシズムの最大の支援者となっていることにも気づかずに。
 今、自衛隊は、・国際貢献」や「復興支援」といういいことのために、イラクの地に足をつけている。迷彩服に、自動小銃を持って、出陣式をした上で。自衛隊は、・いいこと」をしているのだから、それを批判する者は、・反日分子」なのだ。
 ファシズムに知らず屈している人間は、ファシズムに屈しない人間を非難する。自分達のように屈せよ、とは言わず、非国民などと言って。
 あのイラクで拘束された青年に「自己責任」という言葉を浴びせかけたひとたちが、ファシズムのサポーターに思えてきた。ファシストは、一人ではやってこない。サポーターたちに歓迎されて、笑顔でやってくるのだ。
 本当に、考えすぎならばいいのだが。考えすぎであってほしいと、心から願った。
 
 ようやく、金曜日の夜になった。モモは、金曜日のことをドラえもんの日と呼ぶ。
 夜七時から、テレビでドラえもんが放映されるからだ。僕たちは、ドラえもんの日が大好きだ。日々の様々な義務から解放され、ソファで寝ころび、ダラダラと夜更かしができるからだ。翌朝に備えて夜早く寝る必要がないということは、実に、自由で心地よい。
 僕の体内時計が、また動物時間から植物時間に戻っていく。
 モモが、またカレーが食べたいというので、僕はおばあちゃんのカレーを作った。僕がまだ料理ができない頃、モモと実家に行くと、祖母が必ず作ってくれたのが、このごく普通のカレー、つまりおばあちゃんのカレーだ。
 僕はカレーを煮込みながら、モモとテレビでドラえもんを見ていた。
 暴力でガキ大将に君臨するジャイアン。そのジャイアンに媚(こ)びる、金持ちのおぼっちゃんスネ夫。そんなジャイアンと、スネ夫にまで、いつもいじめられるのび太。勉強も喧(けん)嘩(か)もからっきしダメ、唯一の救いはドラえもん。未来の世界から持ってきたさまざまな夢の道具を使って、暴力と金が支配する社会の中で苦しむのび太を助けてくれる。
 ブッシュがジャイアンで、小泉がスネ夫で、僕たち国民がのび太のように思えてきた。しかし、現実ののび太たちには、ドラえもんはいない。万国ののび太は団結するしかないのだ。
 僕はのび太が嫌いだ。何か困ると、すぐ「ドラえもん、道具出して」と甘えるからだ。
 今夜も、テレビの中で、のび太がいつものように、いじめられ、ドラえもんに泣きついている。
「ったく、甘ったれるなっつーの」
 と、僕はテレビに向かって言う。
「いいの、アニメだから」
 と、モモが僕をなだめるが、僕はさらに言う。
「現実にはドラえもんはいないっつーの」
「だから、アニメだからって言ってるでしょ」
 モモにきつく言われ、僕は黙った。
 今日は一日、だいぶ考えすぎるようだ。
 
 カレーを食べ終わると、モモはソファにまた寝ころび、音楽番組を見ていた。僕はテレビに背を向け、流(は)行(や)りの歌を聞きながら、またキッチンに立って、ニンジンを薄く半月型に切り、タマネギも薄く切った。
 バターで炒め、塩コショウをして、水を差し、コンソメの素を放り込んで、煮込んだ。翌日、実家に持っていくスープだ。便秘気味の兄に野菜をとらせるためだ。
 スープは、じっくり煮込む。ことこと、一時間以上。時間は最良のスパイスなのだ。
 このごろ、僕とモモは、ほとんど口をきかず、ダイニングキッチンで毎晩時間をつぶす。お互いの時間、お互いの空間の中で、好きなことをしている。自立の表れだろう。
 自分で自分のことをやるのは、とても気分がいい。学校で、自分でアイロンをかけたワイシャツを着て、自分で作った弁当を食べると、ようやく大人になれたような気がする。
 大人になるということは、自立することなのだ。子育ても、なんでもしてあげるのではなく、なんでも自分でできるようにしてあげることなのだろう。
 シングルファーザーデビューをして、家事や育児をするようになって、少しは自立という意味がわかってきた。
 自分で自分のことができるようになると、僕の心の中に変化が起こった。大きな変化だ。僕は他人にも何かをしてあげたくなったのだ。それまで自分で自分のこともできなかった僕には、他人に何かをしてあげようと思う余裕がなかったのだろう。
 ニンジンが軟らかくなると、フードプロセッサーにかけた。そして、また鍋に戻して、生クリームを注いで温め、味を調え、ニンジンスープのできあがりだ。
 ソファで漫画を読みながら、テレビの歌を聞いているモモに、味見をさせた。
「うまい。何のスープ」
 僕は笑って、ニンジンだと答えた。ニンジンが嫌いなモモは驚いていた。
 スープが冷めたら、鍋の取っ手をはずして、タッパーの蓋をする。この鍋は、実家がスープの冷める距離にある僕にはとても便利だ。むこうで、また温めなおすのだ。
「モモ、歯磨きは?」
「わかってるって」
 モモが不機嫌に答えた。眠くなってきたようだ。そろそろ、祖父の恋文を読む時間となった。(つづく)

連載 小説(5)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 ゴールデンウィーク、今年ほどありがたいと思ったことはない。新しい職場で、訳もわからず四月を駆け抜け、ここで一息つく必要があったのだ。
 僕はふと旅に出たくなった。どこかに行きたいのではなく、旅に出たくなったのだ。僕にとっての旅は、どこかに行く手段ではなく、旅そのものが目的なのだ。
 モモとの二人暮らしでいいことの一つは、機動力がついたことだ。シングルになる前は、旅行などほとんど行かなかったのだが、今は違う。
 とにかく、決断が早い。僕が「行く?」と訊(き)き、モモが「行こう」と答えれば、即、出発となる。
 ゴールデンウィークの初日、僕とモモは実家にいた。僕たちだけで旅に出て楽しむのも悪いと思い、一日、兄の世話をすることにしたのだ。モモは、・兄ちゃん、兄ちゃん」と兄にまとわりつき、僕はおやつにホットケーキを焼き、祖母と兄に食べさせ、店に出ている両親にも届けた。晩ごはんは、圧力鍋を使って、父の好物のビーフシチューをつくった。祖母は、・このカレーはいつもと味が違うけど、おいしいやあ」と何度も言った。
 夜九時近く、モモと僕はバイオリンの練習をした。それは、実家の面々にとっては、ミニコンサートとなった。兄は頭を揺らしながら聞き、終わると指をならした。
 実家の面々の拍手が鳴り終わると、僕たちは旅立つことにした。
「気をつけないよ」と、祖母。
「疲れたら、休むだよ・、と母。
「お前たち、どこ行くんだ?・、と父。
 行きたいところは一つあるのだが、それ以外は決めていない。
「山のほう」
 旅に出るとき、僕はあまり計画を立てない。目的地に着き、予想していたものが、予想通りあることを見ることは、僕にとって旅ではない。旅とは、予想していないものに出会う行為なのだ。これを実家の面々に説明するのは、難しそうだったので、僕は黙っていた。
 僕たちは、自分の持ち物をそれぞれのトートバッグに放り込んだ。
「モモ、なんでそんな縫いぐるみ持ってくわけ?」
「必要だからに決まってるでしょ」
「何に使うわけ?」
 そこで、母がモモをかばって言った。
「モモちゃんには必要なんだよね。パパにはわからないんだから」
 モモは勝ち誇ったように微笑んだ。
「じゃ、一つにすれば」
 と、僕が言うと、・一人じゃ、さみしいんだよね」と母が言った。
 モモは「そうそう」と母に同調して、なぜ僕がそんな簡単なことが理解できないのか、不思議そうな顔をしていた。
 
 僕の軽自動車はワンボックス型で、後ろの座席を倒すと、真っ平らになり、僕とモモが横になれる充分なスペースがある。その平らなところに、カーペットを敷けば、立派なキャンピングカーだ。
 モモはパジャマに着替えて、車の後ろに乗り込んだ。少し粒の大きな雨が降り出していた。外はひんやりとしていた。
 両親が傘をさして見送りに来た。
「じゃ、また来るよ」と、僕が車の窓を開けて言った。
「おみやげ買ってくるからね」と、モモが言った。
 走り出すと、雨がフロントガラスに突き刺さってくるようだった。
「パパ、どこで寝るの?」
 と、モモが背後から言った。モモはすでに寝袋に下半身を入れ、眠そうな顔をしている。
「眠くなったところ」
「じゃ、モモも起きてる」
「いいよ、眠いんでしょ」
「だって、パパに悪いからさ」
「モモが起きてても寝てても、運転できるから大丈夫」
「でも、もう少し起きてる」
 と、言いながらモモはあくびをした。僕はCDをかけた。
「ンチャ、ンチャ、ンチャ」
 と、モモが歌い出した。レゲエだ。Love and Rebel、愛と反抗の音楽。
 しばらく走り、信号で止まって、後ろを見ると、あんなに起きていると言ったモモが寝袋に入って、蓑(みの)虫(むし)のように眠っていた。
「ノー、ウーマン、ノー、クライ」
 と、僕は歌った。モモが起きていれば、・イェッ、イェッ、イェッ」と歌うのだが、それがないので少し淋(さび)しくなった。
 北に向かっていた。海のほうではなく、山のほうだ。目指すは、長野の高原。
 僕が一つだけ行きたいところというのは、無言館だ。戦没画学生の遺作だけを集めているという。その場所はよくわからなかったが、どうしても見ておかなくてはならないと思った。
 僕の車にはナビゲーションはついていない。地図があるだけだ。そして僕は「地図が読めない男・、はたしてたどり着けるのだろうか。
 しかし、こんな状態で旅に出ることが、僕もモモも好きなのだ。少しだけ、冒険の匂(にお)いがするからだろう。これまでの人生、僕はいつも見切り発車をしてきたような気もする。
 
 朝、寝袋の中で目覚めた。少し寒かった。モモは隣で蓑虫のまま眠っている。
「モモ、朝だよ」
「うん」
 モモは目を開けない。
「朝ごはんどうする?」
「寝てる」
 僕は寝袋を出て、ジャケットをはおり、外に出た。昨夜あんなに降っていた雨は上がり、快晴だった。
 昨夜は暗くてわからなかったのだが、高い木々に囲まれた空き地だった。道路の向こうは崖(がけ)、かなり高いところで眠っていたことに驚いた。朝(あさ)靄(もや)がかかってる。
 この景色をモモに見せようと、もう一度起こしたが、モモは眼(め)を開けなかった。
 しかたなく僕は一人で朝食をとることにした。モモは、僕が運転中に食べればいい。まず、キャンプ用コンロでお湯を沸かすことにした。
 二人がけの折り畳みの椅(い)子(す)を出して座り、高原のひんやりした空気を味わった。雨に濡れた木々の葉が朝陽に輝き、鳥が囀(さえず)っている。
 お湯が沸くと、コーヒーをいれた。昨夜買っておいたコンビニのパンの袋を開けた。右手にコーヒーカップ、左手にパン、二九八○円にしては座り心地がいい折り畳み椅子に身を預けた。このコーヒーもこのパンも、この場でなくては、これほどおいしいとは思わなかっただろう。
 幸福感は、ふとしたときに訪れる。僕はなぜか急に、自分がいかに幸せかを実感した。
 一人ではあるが、一人ではない朝食。
 モモとでなければ、このような旅には出なかっただろう。
 
 モモが目覚めたのは十時近くだった。案の定、その頃、僕は道に迷っていた。どちらに向かっているのかもわからず、ひたすら車を走らせていた。
「パパ、今どこ?」
「わからない」
「何県?」
「たぶん、長野県」
「じゃ着いたの?」
「着いたようで着いていない」
 山の中の田舎道、対向車はほとんどなく、自動販売機もコンビニも朝から見かけていない。誰かに道を訊(き)きたいのだが、歩いているひともいない。
「パパ、おなか空いた」
「昨日買っておいたパンあるから食べれば」
 モモは寝袋から出てきて、パジャマのまま、朝食をとりはじめた。
「パパ、地図見ればいいじゃん」
「見ても、地図のどこにいるか、わからない」
 走れば走るほど、僕はどこを走っているのかわからなかった。
 朝食を終えたモモが僕に言った。
「パパ、お茶にしよう」
「え、朝、コーヒー飲んだんだけど」
「パパだけずるい」
「起こしても起きなかったくせに」
「それでもずるい」
 モモはお茶をあきらめなかった。モモにとって、何でもフェアでないことは許せないのだ。
 ちょうど、川原に下りる道を見つけたので、そこでお茶にすることにした。僕もじっくり地図を見たかったので、このティータイムはちょうどよかった。
 目の前のこの川は、日本で五番目に長い川で、はるか南で大きな河口となり海に合流する。
 柳の木が何本も生えていて、その木陰に僕たちは折り畳み椅子を出して座った。陽(ひ)が高くなってきて、朝のような冷え込みはなく、柳の枝を揺らす涼風が心地よかった。
 僕は本日二度目のお湯を沸かした。
「モモはミルキードリンクね」
 ミルキードリンクとは、モモの好物で、コーヒーにいれる粉末ミルクと砂糖をお湯に溶かしたもの。本当にお菓子のミルキーの味がするのだ。僕もそれを飲むことにした。
 あの大きな一級河川が、僕たちの目の前で、細い渓流となっている。そのやさしい流れを見ながら、口の中に広がるミルキードリンクの味を堪能した。
「モモ、これうまいね」
「でしょう」
 さすが、モモの好物だけのことはある。ミルキードリンクを無言で三口くらい飲んでから、モモがしみじみと言った。
「パパ、なんかいいねえ」
「うん、なんかいいねえ」
 五月の風に吹かれて、僕は少し眠くなった。
 
 モモは、車の後ろのカーペットの上に寝ころんでいた。
「パパ、いつ着くの?」
「こっちが知りたいよ」
「大人なのに?」
「そう、大人なのに」
「何の絵があるの?美術館行くんでしょ」
「戦争で死んだひとが描いた絵」
「また、戦争?」
「ま、つきあってくれ。小説の仕事だから、さ」
「じゃ、キーホルダー一個ね」
 モモは、旅に行く先々で、キーホルダーを買い、コレクションすることを趣味にしている。僕が教えたわけではないのだが、僕も小学生の時キーホルダー集めが趣味だった。
 途中で道を訊き、しばらく標識を頼りに走り、ようやく進む方向が定まってきた。なんとか無言館のある上田市にたどり着けそうだ。
 長野の道路は両側に緑が豊富で、高原の空気は透き通っているようだった。
 モモはゴロゴロしながら、マンガを読んだり、メモ帳に絵を描いたりしていた。それらに飽くと、僕としゃべった。モモは小学校でのできごとを大事件のように話す。それがおかしくて、僕はいつも楽しませてもらっている。モモのクラスメイトの名前も全員覚えているので、話がリアルに想像できた。モモが静かになり、後ろの様子を見ると、また蓑虫になり眠っていた。モモは実に自由気ままだ。
 途中、あまりにもおなかが空いたので、また車を川原に停めて、お湯を沸かして、カップラーメンをつくった。僕が食後のコーヒーを飲んでいると、モモは靴と靴下を脱いで、浅瀬を歩いた。
 そんな道草も食いながら、やっとのことで三時頃、無言館の駐車場にたどり着くことができた。エンジンを切って、後ろを見ると、モモは熟睡していた。実に心地よさそうな寝顔だったが、揺り起こした。
 静かなところだった。小高い丘の上に、それはあった。
「モモ、着いたぞ。起きろ」
「今どこ?」
「美術館」
「キーホルダーある?」
「わからない。でも、あったら買ってやる」
「じゃ、起きる」
 寝る子は育つらしい。モモはきっと、筍(たけのこ)のように育ってくれるだろう。
「行くぞ、筍」
「何それ?」
 僕は駐車場から歩きながら、無言の意味を教えた。無言とは、しゃべらないことだから、館内ではしゃべってはいけない、と。
「地震が来ても?」
「そのときは、いい」
「じゃ、火事は?」
「そのときも、いい」
「じゃあね……」
「無言」
「ラジャー」
 モモは親指を突き立てて見せた。僕も親指を突き立て、モモの親指とこすりあわせた。これが、この頃、僕とモモの間で流(は)行(や)っている。
 コンクリートがむきだしの三角屋根の建物に僕たちは入っていった。
 僕は美術館を見るとき、まず早足で全部を見る。そして、気に入った絵のところだけに戻り、じっくり見る。一つずつ見ていくと、僕の集中力は長続きしないので、最初のほうしかちゃんと見られないからだ。
 モモにも、そうするように言っておいた。
 館内には、ゴールデンウィークということもあってか、たくさんひとが入っていた。そして誰もが無言だった。
 モモは僕と別れ、来館者たちの間をすり抜け、次々に絵を見ていった。
 僕もまず全体を見てまわろうと思ったのだが、一番最初の絵の前で、足が、いや体が止まってしまった。
 裸婦像だった。何か覚悟を決めたかのような凛(りん)とした横顔。まだ熟す前の裸体を画家の前にさらすモデルは、画家が恋する女性だったようだ。
 
 あと五分、あと十分、この絵を描きつゞけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら、必ずこの絵の続きを描くから……
 
 僕には、充分美しく見えるこの絵は、未完成なのだそうだ。画家の筆によって、まだ美しく仕上げられる予定だったのだ。
 裸婦像の横には、その画家の自画像が置かれていた。髪を真ん中で分け、眼鏡をかけたその顔は、どう見ても、絵筆のかわりに銃を持つ兵士には見えなかった。
 
 二十年四月十九日、ルソン島バギオにおいて戦死。享年二十七歳。
 
 ルソン島は、たしかフィリピンだ。僕の祖父が死んだのもフィリピンだ。
 戦地では、その画家が眼を閉じれば、いつでもこの絵が浮かんだだろう。いや、この絵がさらに美しく仕上げられたイメージが浮かんだはずだ。それは、最後に、永久に目を閉じたときにも瞼(まぶた)の裏にくっきりと描かれていたにちがいない。
 僕はふと思った。祖父も永久に目を閉じたとき、きっと若くて美しかった祖母の姿がその瞼の裏に焼き付いていたのだろう、と。
 画家とその画家が恋する女性を引き裂いた戦争。しかし、引き裂かれまいとする熱情が、この絵をここに転写したのだ。たとえ命は奪われても、この恋だけは奪われまい、と。
 僕は一歩下がってその絵をもう一度見た。僕の視界に、裸婦像と自画像が収まった。
 彼女の視線のまさにその先に、画家のやさしくナイーブそうな顔があった。画家は、今、その恋する女性のまなざしの中にいる。
 戦争で永久に引き裂かれた二人ではあったが、ようやくここで再び巡り会えたのだ。二人は並んだまま、ここに永久に残るだろう。無言のまま。
 モモに見られないように、僕は素早く涙をハンカチでぬぐった。
「パパ、ちょっと来て」
 と、モモが僕の袖を引っ張って、好きな絵を見つけては、僕を連れて行くのだ。モモの好きな絵は、たいてい動物の絵か美人画だった。モモが見つけた絵を鑑賞しては、そのたびに、僕はこの絵の前に戻った。今日はこの絵を見れば、充分だった。
 
 その夜、僕たちは別所温泉にいた。温泉街を少し散策して、大衆食堂で夕食をとった。僕は信州そば、モモはいつものようにカレーライス。そして、公衆浴場の温泉に、男湯女湯に別れて入った。木造で、天井が高く、小さな温泉だった。
 入浴後、今夜の寝る場所を探さなくてはならなかった。まだ寝るには早かったので、コンビニに明日の朝食を買いに行ったり、ファミリーレストランでお茶をしたりして時間をつぶした。
 夜も更けて、僕たちはもう一度別所温泉に戻った。翌日、朝風呂に入ろうと思ったのだ。公衆トイレ付きの市営駐車場を見つけ、今夜はそこを宿にすることにした。
 僕たちは公衆トイレで歯を磨き、車に戻り、寝袋に入り、並んで横になった。
「パパ、なんで今日、あの絵だけずっと見てたの?」
 僕は、戦争で引き裂かれたあの二人がやっとあそこでまた会えたのだと、説明した。
「パパ、なんかいいねえ」
「うん、なんかいいねえ」
 うちでは、この頃、言葉にできない感動をその表現で表すようになった。
 静かな暗闇の中で、少し心細かったので、懐中電灯を上からぶら下げ、しばらく本を読むことにした。モモは「夢のチョコレート工場」を読み始めた。
 しばらくすると、モモが言った。
「パパ、時々ね、泣きたくなるときない?」
「あるかなあ」
「今、そうなんだけど」
「なんで?」
「なんでかわからないけど」
「そっか」
 モモもおセンチになる年頃になったのだろう。
 今まで、僕が突っ走ってきたのは、泣きたくなる気持ちから逃げ続けてきたからなのだろうか。
「パパはどういうとき?」
「泣きたくなるときのこと?」
「そう」
「もうあのときは戻ってこないなあってときかな」
「楽しいとき?」
「そう、あんな楽しかったときはもう戻ってこないなあって、さ」
 モモに理解できただろうか。しばらく、間があった。
「パパ、元気出して。これからもっと楽しいときあるよ」
「そうだね。そう思うことにする」
 いつの間にか、僕が慰(なぐさ)められていた。
「パパ、眠い?」
「電気、消す?」
「いいよ。本、読むんでしょ」
「悪いね」
「おやすみ」
「グッナイ」
 モモはあっという間に寝ついた。僕はしばらく本を読んだが、眠くなってきたので、電気を消した。そして、眼をつぶった。電気を消して、寝ようとすると、眠気が覚めることがよくあるが、このときもそうだった。
 あの裸婦像が瞼の裏に浮かんだ。あの画家が最後に想像した彼女の姿。祖父のことも思った。戦地から恋文を送り続けた祖父も、最後に抱きしめた若くてきれいな祖母を瞼に焼き付けて、永久に眼を閉じたはずだ。
「もう会えないかもしれない」
 と、祖父は祖母に会うたび言ったそうだ。祖母は、祖父を見送り、祖父の形見に爪と髪を持ち帰った。
 僕は今まで愛する人と会って、これが最後かもしれないなどと一度たりとも思ったことがない。愛する人とは永遠に何度でも会えるとさえ思っている。
 恋する女性に、もう会えないかもしれないと思いつつ、兵士は出征していったのだ。
 戦争が愛を引き裂くとは、そういうことなのだ。涙が止まらなくなった。
 僕は、明日になれば家族に会えるし、モモとはいつでも一緒だ。祖父は、赤ちゃんが生まれることを楽しみにしていた。祖母が最後に送った手紙には、生まれたばかりの赤ちゃんの写真を入れたそうだ。祖父は最後にそれを見てから死んだのだろうか。それとも、生まれたことも知らず死んだのだろうか。いずれにせよ、祖父はもう一度妻に会い、生まれたばかりの娘を抱きたかったことだろう。
 僕はいつもモモと一緒に過ごしているが、これこそ祖父が夢見ていたことだろう。僕が毎日モモと過ごしているのは、祖父の遺志を引き継いでいるからなのだろう。僕は、今、祖父が生きられなかった人生を生きている。運命を感じた。
 あの画家は、恋をして、絵を残した。その恋は、あの絵の中で永遠に生き続けるだろう。しかし、祖父は何を残したのだろう。
 恋文だけが、残っている。祖父が祖母を心から愛したという事実だけが、残っている。僕がそれを物語にしなくては、何も残らなくなってしまう。僕はあの恋を、この「今」につなげなくてはならないのだ。
 涙が出尽くした頃、僕はペンを執(と)ろうと思った。
(つづく)

連載 小説(6)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 夕食後、皿洗いをすませ、ダイニングテーブルに戻り、腰を下ろすと、ほっと一息だ。
 モモはダイニングテーブルで先ほどからずっと絵を描いている。僕はこっそり気づかれないようにのぞき込んだ。モモは未完成の絵を見られるのが嫌いなのだ。相変わらず、やけに頭と瞳が大きく、足が細くて長い少女の絵だった。少女マンガの真似だろう。
 僕はとりあえず、祖父の手紙が入ったクッキーの缶とパソコンをダイニングテーブルの上に置き、一生懸命絵を描いているモモの横顔を、明日の朝食と弁当のことを考えながら、ぼんやり見ていた。
 そのとき、つくづく思った。これは、戦死した祖父が見れなかった光景なのだ、と。僕が父親になったのは、二十六歳の時。祖父が父親になったのも、二十六歳の時。もし、戦死した祖父が僕の年齢まで生きたのなら、モモと同じ年の娘を見ていたことになる。一瞬、これが祖父の生きられなかった人生なのだと思った。この今が、とてもいとおしくなった。
 僕は祖父の手紙を一通だけ缶から取り出した。消印はよく読みとれなかった。下宿から送ったものらしく、検閲の印は押されていない。
 
 本日は御前の写真を久し振りに見て懐かしく嬉しかったよ 其れに今日まで三日間週番で疲れて帰って来たら 下宿のおばさんが疲れたでせう休まる薬を上げますよと言って渡すのだから余計にさ
 
 お国のために命を投げ出す覚悟はできているという青年将校は、いったん兵舎から下宿に帰り、ペンを持てば、ただの妻に恋する青年だったようだ。
 
 どうだな赤ん坊の様子 益々大きくなって来ただろうね 盛んに動くな 今一度御前の御(お)腹(なか)に触って見たいね 生まれたら可(か)愛(わい)いだろうな 然(しか)し今は赤ん坊がお腹の中に居る為(ため)会えないと思うと邪魔の様な気も寿(す)るね せめて僕の満期まで出来なかったら良かったとつくづく思うよ 此(こ)んな事書くと赤ん坊が怒るかも知れないかな
 
 祖父は、生まれ来る我が娘に対しても嫉妬しているのだ。僕にもそんなことがあったことを思い出し、吹き出してしまった。
「パパ、何がおかしいの?」
「何でもない」
「何でもなかったら、笑うわけないでしょ」
「ああ、そうか」
「もう、いい」
 と、モモはお絵描きに戻った。
 僕はその手紙をパソコンに打ち込んだ。祖父が祖母に最後に会ったのは、祖母が僕の母を身(み)篭(ご)もったときのことだ。それは、瀬戸内海の因(いんの)島(しま)という島でのことらしい。・満期」になったらとあるが、祖父はもちろんそれまでは生きていない。
 
 名前は男の場合にはうちで今一度相談してよいのが有ったら知らせて呉(く)れ
 
 名前は、二人で女の名前だけ決めてあったらしい。祖父が船に乗っていたので、太平洋から一字とって、洋子と。不思議なことに、女の子が生まれてくることがわかっていたようだ。この話は、母から何度も聞かされていた。今も祖父は南方の太平洋の底に眠っているはずだ。いい名前だと思う。
 モモは、ようやくお絵描きを止めた。その絵は、僕には見せようとしなかった。そのできに満足しなかったらしい。
「バイオリンは?」
「先に、お風呂にする」
 と、モモは風呂場にさっさと行ってしまった。
 それから、僕は一人ダイニングテーブルに頬(ほお)杖(づえ)をつき、祖父のことを考えていた。
 僕が祖父のことで知っているのは、陸軍にいたこと、輸送船に乗っていたこと、中尉だったこと、戦死したのはレイテ島あたりということ、そして、これらたくさんの手紙を祖母に送ったということだけ。
 祖父のことを何か書きたいとは思うのだが、あまりにも何も知らなすぎる。だいたい、どこでどのように死んだのかさえわからないのだ。
 祖父はどういう青年だったのか、どのようにして将校になったのか、祖母とはどうやって知り合ったのか、そんなことさえ僕は知らないのだ。疑問が、次々と浮かんだ。死ぬのは怖くなかったのか。本気で天皇のために命を捧げるつもりだったのか。いつもどんなことを考え、どんな服を着て、どんなものを食べていたのか。
 どうして将校になることを決意したのだろうか。どのようにして将校になったのだろうか。陸軍の学校にでも行ったのだろうか。それとも、将校が足りなくなって、試験や訓練を受けて、階級が上がったのだろうか。
 祖父が死んで、もう六十年も経つ。どうすれば、その六十年の時間を埋められるのか。どうすれば、祖父に近づくことができるのか。
 考えれば考えるほど、わからないことが増えていく。
 しかし、祖父のことを知らないと、前に進めないような気もする。僕にとって、祖父を知るということは、祖父を書くということだろう。書くということは、作品の中で僕が祖父の人生を生きるということなのだ。それは、死んでしまった祖父を、再生させることなのだ。
 うまく書けるかどうかは、もはや問題ではない。書かなくては、前に進めない。何かを書く前に、こんなことを思ったのは初めてだった。
 
 ようやく、バイオリンの練習が終わったのは、十一時ちかくだった。モモのあと、もちろん、僕も弾いた。
 時間が遅くなると、モモは眠くなるのか、不機嫌になり、演奏も雑になる。さらに、この頃、曲が難しくなってきて、その上、長くなってきている。もともと、下手なところに、そんな悪条件が重なった演奏を聴いていると、僕もつい一言コメントしてしまう。
 それで、たいてい喧(けん)嘩(か)になる。次に、僕が弾くと、モモが仕返しをするかのように、辛口でコメントしてきて、また言い争いとなる。バイオリンに関しては、僕たちはライバルで、お互い相手より上(う)手(ま)いと思っているので、よけい始末が悪い。モモは、自分より下手だと思っている僕に何か言われると、本当に腹が立つようだ。
 歯を磨き、日記の時間となった。僕とモモは、ベッドで並び、上体を起こし、それぞれ日記を書く。モモは膝(ひざ)にハードカバーの日記帳を置き、文章を少しだけ書き、余白に絵を描いていた。
 
 今日はバイオリンのれんしゅうで、パパとけんかした。
 
 絵は、モモが僕に跳び蹴りをしている場面だった。あんなにお互い不機嫌だったことも忘れ、二人で吹き出してしまった。
 僕は膝に乗せたパソコンで日記を書く。
「パパ、ずるい。パソコンで書くなんて」
 と、モモが毎日言う。
 僕のパソコンはインターネットにつながっていて、この日記はネット上で公開されている。ブログと呼ばれる最近流行のものだ。今のところ、ほんの数人の知人が読んでくれているだけだが、そんな知人がときに、日記にコメントを書きこんでくれたり、Eメールを送ってくれたりすることもあり、それがなかなかおもしろい。
「パパ、それ、毎日、書いてるの?」
「当たり前。パパは、モモみたいに何日もまとめて書いたりしないよ」
「あっそ」
 モモの手前、日記は毎日書いている。モモは何にでも公平を求めてくるので、モモに何かをやらせるなら、僕もやらなければいけなくなる。モモ以上に。まったく、モモにはいつも鍛えていただいている。二人で暮らすようになったこの二年あまり、すくすく育つモモに負けず、僕もずいぶん成長したような気がする。
 いつもなら、モモが寝たあと僕はキッチンで小説の仕事の時間となるのだが、今日僕がベッドにいるのには、理由があった。
 今、僕が学校で使っている教科書で、もうすぐ「星の王子さま」を扱うレッスンを教えることになったため、・星の王子さま」を読むことにしたのだ。童話と言うこともあり、一人で黙読するのも味気ないので、今日から毎晩読み聞かせをすることにした。
「書いちゃった? 早く読んで」
「はいはい。ちょっと待って」
 僕は日記を書き終え、パソコンの電源を切った。
 ・星の王子さま」を読むのは、久しぶりだった。モモに数年前読んだことがあるのだが、その時のモモには難しすぎて、僕も本文をやさしい日本語に同時通訳して読み聞かせすることが億(おつ)劫(くう)になり挫折してしまった。
「この絵はなんだ?」
 僕は挿絵の一つをモモに見せた。
「帽子でしょ。おじいさんがかぶるような」
 それは、どう見ても、ソフト帽にしか見えない。
「残念。答えは、ゾウを飲み込んだウワバミでした」
「ウワバミ?」
「大蛇、大きな蛇のこと」
「え、ゾウより大きい?」
「そう。ま、お話だからさ」
 この絵は、語り手であるパイロットが、子どもの頃に描いて、大人が誰もわかってくれなかったというもの。
 パイロットが、砂漠に不時着して、飛行機を修理しているところに、いよいよ星の王子さまの登場だ。
「ね、羊の絵を描いて」
 僕は王子になりきって読んだ。モモは絵を描くのが好きなので、この本の書き出しに興味を持ったようだ。
 パイロットは、久しぶりに絵を描くこととなり、幼少時に描いた、ソフト帽にしか見えないあの絵を王子に描いて見せた。
 僕は王子の声で読んだ。
「ちがう、ちがう、ぼくウワバミにのまれているゾウなんて、いやだよ。ウワバミって、とてもけ(・)ん(・)の(・)ん(・)だろ」
「けんのん?何それ?」
 僕にもわからなかった。
「無視、無視」
「ま、いっか」
 王子は、パイロットの描いた羊は、どれも気に入らなくて、何度も描き直させる。
「じゃ、また質問。どうやったら、上手に羊の絵が描けるでしょう?」
「そんなのわかんないよ」
 僕はまた挿絵を見せた。箱の絵だ。
「何それ?」
「この中に羊が入ってて、王子はこの絵が一番気に入ったんだよ」
「ふーん」
 箱の中にいるらしい羊を喜ぶ王子が言う。
「おや…、この羊、寝ちゃったよ」
「ね、パパ、なんで王子は見えないのにわかるの?」
「イマジン」
「ああ、想像するだっけ」
「そう、頭の中に絵を描くこと。じゃ、羊も寝たことだし、眠るとしよう」
「わかった」
 僕は電気を消した。
 
 週末、実家に行くことに、新しい意味が加わった。取材だ。祖父を書くためには、祖母に話を聞き、祖父の人物像を僕の頭の中に浮かび上がらせなくてはならない。
 この頃、実家の台所で、祖母と僕の息が合ってきた。また、兄の世話も、家事と並行して、あうんの呼吸でこなしていく。何にしろ、分担は大事だ。ことがはやい。
 台所で、僕は祖母に料理をいろいろと教わりながら、祖父のこともいろいろ訊(き)く。
 そんなとき、モモは畳の上でゴロゴロしながら、テレビを見たり、マンガを読んだりしている。僕が居間に行き、勉強するように小言を言うと、モモが言い返す。
「いつも忙しいんだから、たまにはいいでしょ」
 たしかに、子どもにはそういう時間も必要なのかもしれない。
「じゃ、そのアニメ終わったら、宿題やるんだよ」
「これ終わったら、他のアニメあるもん」
「なんだそれ」
「いいの、いいの。今日は休みなんだから。モモはいつも忙しいの」
「じゃ、兄ちゃんの面倒見ててよ」
「オッケー。ねえ、兄ちゃん」
 兄はにこにこしながら、・アイ」と答えた。
「パパ、今日の晩ごはん何?」
「魚」
「ええ、魚?」
「大丈夫、パパじゃなくて、おばあちゃんがつくるから」
「なら、食べる」
 僕のほうが絶対モモより忙しいのにと思いながら、僕は台所に戻った。
「おばあちゃん、いつ結婚したの?」
 祖母は、昭和十七年二月四日に慌てて結婚式を挙げ、近所の料理屋で披露宴を簡単に済ませたそうだ。前年の十二月八日に、真珠湾攻撃があり、太平洋戦争が始まったばかりのころだ。
 慌てていた理由は、婚約中に祖父の召集令状が来たからだ。祖父は徴兵され兵役についたが、いったん除隊して、実家に帰っていたところだった。
「結婚はとりやめてもいいって、おじいちゃんは言っただよ」
「なんで?」
「生きて帰れるかわからないからだよ」
 祖母は僕にアジの三枚下ろしを教えながら、話している。今夜は、アジのフライだ。魚はスーパーで切り身しか買ったことない僕は、おそるおそるアジに包丁を入れている。
 祖母は、嫁いできても、祖父とは一日も暮らさなかった。新婚旅行も、もちろん行っていない。
 祖父は、初めて祖母を見かけたとき、一目惚(ぼ)れしたそうだ。そして、祖母のうちに見合いを申し込んだが、即座に断られた。祖母は乗り気ではなく、祖母の両親もよくわからない申し込みに戸惑ったようだ。
 しかし、祖父はあきらめきれず、再三見合いを申し込む。
「それで、聞き合わせをしただよ」
 聞き合わせとは、つまり身元調査のことだ。祖母の父が、祖父はどんな人物かと聞いてまわったところ、一人も悪く言うひとはいなかったという。除隊となってからは、寿司屋の跡取り息子として、家業を手伝っていた。人望は厚く、町の青年団長もしていたらしい。
「お父さんが、聞き合わせから帰ってきて、お前をあそこにくれてやることにしたって言っただよ」
「それで、決まったの?」
「それで、決まっただよ」
「会ったこともないのに?」
「昔はそうだっただよ」
「おばあちゃんは、好きになったの?」
「好きも嫌いもないだよ」
 祖母は照れてそう言ったのだろうか、それとも本心なのか。
「その頃、恋愛結婚とかなかったの?」
「少しはあったけど、そんなことすりゃ、恥ずかしかっただよ」
「恋することが?」
「そんな時代じゃなかっただよ」
「デートするとつかまるの?」
「つかまるわけじゃないけど、恋なんていうひとはいなかったねえ」
 祖父の書いた恋文には、言葉にはおさまりきらない恋心が綴(つづ)られている。少し祖父に同情してしまった。
 それでも、婚約を解消してもいいと言われたにもかかわらず、祖父が生きて帰ってこれるかわからないのにもかかわらず、祖母は求婚を受け入れたのだ。
「だって、結婚を断れたんでしょ? 婚約破棄してもいいって言われたんでしょ?」
「断れるわけないだよ。もし断ったら、まわりに何て言われるかわからんよ」
 これから戦地に赴く帝国陸軍将校との婚約破棄など想像できない時代だったのだ。
 僕は祖父の手紙の一節を思い出した。
 
 便りは中々御前は呉れないね 今に呉れるだろう呉れるだろうと思っていたが一週間の余(あまり)寄(よ)越(こ)さないから待ちくたびれて出すはけだ 一度ぐらいは御前から先に呉れるだろうと思ってね
 
 僕は祖父の恋文を読みながら、実は祖父が片思いだったのではと思っていたのだが、祖母が親に勝手に決められた結婚ならば無理もないのかもしれない。
「最初は好きも嫌いもなくても、そのひとが一番いいと思うようになるだよ」
 と、祖母が言った。まんざらでもなかったようだ。
「そんなことより、あんたは結婚どうするだい?」
「考えてないよ」
「そのほうがいいかもしれんね」
 そういえば、再婚のことなど考えたこともなかった。
 
 僕はものを考えるとき、書いてみないと、頭の中が整理できない。そんなとき、公開日記であるブログは、うってつけだ。
 日曜の夜、実家から帰り、モモが眠ると、キッチンでパソコンに書いてみた。
 
 よくある恋の表現の一つ。
「君は僕のものだ」
 今思えば、暴言だと思う。僕も言ったことがある。
 英語だと、You belong to me・(君は僕に所属している)。
 これも、ひどい。
 人間は、誰かのものになることも、誰かを自分のものにすることもできないのだ。
 娘を見ていて、いつもそう思う。
 あんなに小さくても人格を持った一人の独立した人間なのだ、と。
 僕のものになるどころか、僕の思い通りになったことすらない。
 再婚はしないつもりだ。
 だいたい、そんな相手もいないだろうが、
 法的にも、因習的にも、女性をもう所有したくないのだ。
 恋も乗り気ではない。
 恋すれば、相手を独占したくなり、所有したくなるからだ。
 
 こんな雑文を読んで、僕にEメールを送ってくる見知らぬ女性がいるとは、このときは予想もしていなかった。(つづく)

恋文(中)

連載 小説(7)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 夏は、バカンスの季節だ。蝉(せみ)が盛んに鳴き始め、一学期の終わりが近づいてくると、学校で授業をしていても、僕の頭の中は、バカンスのことでいっぱいになる。
 この頃読んでいる本は、サガンの「悲しみよ こんにちは・。何度も読んだことがある本で、夏になると読みたくなる。主人公はシングルファーザーと暮らす十八歳の女子高生。夏になると、二人はバカンスに出かける。南仏の海岸の近くに、別荘を借りるのだ。なんと、二カ月間も。
 父親は、四十歳、・若く、生活力に満ち、豊かな前途のある男・。僕も四十歳になる頃には、そうありたいものだ。その父と娘の関係も、理想的だ。一緒に豪華な休日も過ごしつつ、お互いの世界を尊重しあい、お互いの恋の話をしたりもする。この本は、シングルファーザーである僕の教科書でもある。僕は娘にボーイフレンドができて動揺するような父親にだけはなりたくないと思っている。娘は父親の所有物ではない。誰かにあげたり、誰かにとられたりするものではないのだ。
 ページをめくるたびに、波の音が聞こえてきそうだ。とても仕事どころではなくなってくる。
 バカンスは、何かをしにいくための行為ではない。何もしないための行為だ。計画を立て、観光地を効率よくまわり、土産を買い込むことは、旅行とは言えるが、バカンスではない。何もしないでいることは、今暮らしているところにいては、なかなか難しい。携帯電話もインターネットもある今、ひとは見えるものにも、見えないものにもつながっている。アンプラグド、つまり、コンセントにつながっていない状態でなくては、バカンスとは言えない。だから、南国あたりに場所を移す必要があるのだ。ホテルに滞在すれば、家事からも解放される。仕事が休みでも、家事には休みはないので、これも僕にはうれしいことだ。
 きっちり休むということは、大切なことだと思う。中途半端に休むと、もっと休みたくなるが、充分休みをとると、最後には仕事がしたくなってきたり、むしょうに包丁を握りたくなってくるものだ。
 そんなことを言ってはみたものの、僕もいちおうフルタイムで、しかも日本で働いているので、バカンスといっても、せいぜい四泊五日くらいだ。そのくらいのバカンスに行くにも、この国では、けっこう勇気がいるものである。
 バカンスは、モモと二人で暮らすようになってから始まった夏の恒例行事である。家族旅行といっても、モモと二人なので、身軽で、しかも経済的負担も最小限で済む。
 僕はあまり貯金をしない。なんとかなるさと、極度の脳天気ということもあるが、日本経済を応援しようと、本気で思ってもいるのだ。夏のボーナスの大半は、毎年、バカンスで消えてしまう。
 おととしの夏は、グアムに行った。モモは初めての飛行機、初めての外国だった。
 去年の夏は、沖縄。あまりにもよかったので、冬休みにもう一度行って、離島までわたり、ザトウクジラを見てきた。
 うちのバカンスの条件は、飛行機に乗って行くことと、南国でリラックスできること。行き先は、できれば時差が少なく、交通費もさほどかからないところがいい。となると、アジアがいいのだろう。
 しかし、今年は問題があった。この春から、僕は水泳部の監督となった。夏といえば水泳の季節、夏休みともなれば、毎日のようにプールサイドに行かなくてはならない。
 そこで、放課後、水泳部の練習のときに、マネージャーの美紀に相談することにした。美紀は、一年生で、まだストップウォッチをうまく使いこなせず、練習中何度もパニックになることがあり、僕がプールサイドにいないと、不安になるようだ。
 僕はネクタイは締めず、半袖のボタンダウンシャツ姿で、ストップウォッチ片手に、美紀と並んで、プールサイドに立っている。
 ちょうど長距離を泳ぐ練習をしていて、しばらくはストップウォッチは押さなくてもよさそうだった。僕が切り出した。
「あのさ、夏休みだけど……」
「なに、毎日あるんでしょ、練習」
「そりゃね。週に一日くらい休むけどね」
「練習は午前中だけ?」
「そうだよ。だから、午後は自由」
「やったあ」
「モモちゃんも来る?」
「来るよ」
「連れてきて、連れてきて」
 放課後の練習が六時に終わらなければ、僕は学童の迎えに行き、モモをプールサイドに連れてくる。ここには、モモ用の机と椅子があり、モモはそこで宿題をすることになっている。美紀は、そんなモモが退屈しないように、よく面倒を見てくれる。
 そして、僕は言った。
「で、旅行に行っていい?」
「旅行って、どこ?」
「まだ決めてないけどさ」
「何日行くの?」
「四日か、五日……」
「そんなに」
 と、美紀の声が大きくなったところに、選手たちが次々と泳ぎ終えた。僕たちは会話を中断して、タイムを読み上げていく。そして、また選手たちが泳ぎだしていった。
「先生、それ、どういうこと?」
「つまり、モモとバカンスにさ」
「バ、バカンス?」
 美紀は、次々に質問を浴びせかけた。僕に答える暇は与えなかった。どうして美紀を一人残して行けるのか。美紀がうまくできなくてパニックになったらどうするのか。それでも水泳部監督か。
 結婚していたあの頃なら、夏休みに水泳部員たちをおいて、何泊もバカンスに行くことなど考えもしなかっただろう。
 僕はワーカホリックだった。ワーカホリックとは、ワーク(仕事)と、アルコホリック(アルコール中毒)を合わせた言葉で、仕事中毒と訳せばいいのだろう。毎日のようにサービス残業をして、休日出勤もいとわなかった。学校の仕事に加えて、教職員組合の仕事もあった。平日の夜に会議があったり、週末に泊まりがけの会合や集会があったり、いつも留守にしていた。家事をしたことはなく、モモとの思い出もほとんどない。
 しかし、今は違う。バカンスは家庭の恒例行事となり、価値観がすっかり変わってしまったのだ。仕事か家庭かと選択を迫られたら、一瞬の迷いもなく、僕は家庭をとる。
「ヨーロッパじゃ、何週間もバカンスするんだよ」
「ここは日本です」
「じゃ、もし美紀が結婚して、だんなが仕事ばっかりやって、家庭を大事にしなかったらどうする?」
「そんなひととは結婚しないもん」
「だろっ、だんなには、仕事よりも家庭を優先して欲しいよね」
「うん。だけど……」
 沈黙。
「わかった。でも、先生、おみやげよろしくね」
「了解」
 僕たちはまた仕事に戻り、選手たちのタイムを読み上げていった。
 これで、バカンス前の最大の難関を一つ乗り越えた。
 もう一つ難関があった。勉強合宿である。この夏、僕が恐れていた三泊四日の勉強合宿だ。モモを連れて行くには、少し、いやだいぶ難しそうだ。しかし、これには、特進クラスの担任である若手の竜崎が、他の誰にも行かせない勢いで、行くことを申し出たので、助かった。
 夏休み中に補習も何日かあるのだが、団塊世代の石田先生と、僕と同年代のママ先生山口さんが担当してくれることになった。
 僕の担当は、一学期に赤点をとった生徒たちの補習と再テストだ。こちらは、僕の得意分野だ。本来、教育の重点は、こちらに置くべきである。バカンスに影響が出ない日程で、とりあえず、講義は少なく宿題は多めという指導方針だけ決めた。
 これで、バカンス前の難関をすべてクリアだ。あとは、義理土産を買ってきて、ばらまくだけでいいだろう。
 まったく、この国では、バカンスに行くのも一苦労だ。
 NHKのプロジェクトXなどという番組が人気があるようだが、そんなことだからいけない。たしかに僕も見て何度も涙を流したことがあるが、偉業を成し遂げる「挑戦者」たちの家で、家事と育児をすべて引き受け、挑戦者たちの内助の功となり、アイデンティティを失った無数の専業主婦のことを忘れてはいけないと思う。
 だいたい、・挑戦者」たちの労働時間が長すぎる。あれでは、家事ができない。子どもとの時間も持てないだろう。ある企業でコンピュータをつくったすごい男の回を見たが、最後は飛行場で倒れ、死んでしまった。過労死だろう。まさに企業に命を捧げた企業戦士だ。
 そういえば、その企業は、日本の企業の中で最も早く「成果主義」賃金を導入して、それがうまく機能しなくて、業績も下がったという。
 まったく、プロジェクトXは、一日も早く、放映終了したほうがいいと思う。
 
 何通かの祖父の手紙の差出人住所のところに、昭南島と書かれている。学校で、そのことを社会の先生に訊(き)いたら、シンガポールのことだということがわかった。
 時差が少なく、南国で、近くで、英語が通じるところ。すべての条件があてはまる。
 取材をかねてのバカンスにもなる。祖父が滞在していたシンガポールに行けば、少しは祖父に近づくヒントが得られるかもしれない。
 完璧だ。
 学童に迎えに行った帰りの車の中で、モモに訊いてみた。
「今年も、バカンス行く?」
「行くに決まってるじゃん」
「だよね。シンガポールにしよう」
「また、戦争があったところでしょう?」
「戦争があったところでもある。でも、いいとこだって」
「じゃ、どういうとこ?」
「南の島だよ。ホテルでダラダラして、泳いだり、観光したり、ショッピングしたりさ」
「いいねえ」
 いくつもの難関をクリアしておいて、本当によかった。
 僕たちは、本屋に寄って、ガイドブックを買った。パラパラとページをめくり、僕の目を引いたのは、チキンライス。鶏肉がうえにのったごはんだ。炊き込みごはんらしい。
 それで、その夜のごはんは、チキンライスとなった。といっても、シンガポールのチキンライスはよくわからないので、適当につくってみることにした。
 スーパーにより、タマネギと手羽を買った。うちに帰るとすぐ、タマネギをクシ切りにして、手羽と一緒に、米にのせて炊いた。味付けは、醤油とみりんを少々。
「パパ、おいしい。これなに?」
 モモは一口食べると言った。
「チキンライス」
「え、チキンライスってオレンジ色でしょ」
「チキンは鶏、ライスはごはん」
「なあんだ、とりめしじゃん」
「そうともいう」
 それにしても、おいしかった。きっと、シンガポールのチキンライスは、これ以上だろう。楽しみになってきた。
 
 読み聞かせの時間となった。僕とモモは、ベッドに並んで、横になった。
 「星の王子さま」を、時に僕が要約しながら、まだ読み進めている。夏休みの前に、何とか最後まで読み進むことができそうだ。
 王子は、いろんな星を旅して、へんてこな人たちに出会った。命令ばかりする「王様・。誰にでも感心されなくては満足しない「うぬぼれ男・。酒ばかり飲んでいることが恥ずかしく、それを忘れるためにさらに飲み続ける「呑み助・。お金の勘定ばかりしている「実業屋・。自分の机から離れない「地理学者・。
 誰もがみな孤独、たった一人でそれぞれの小さな星に暮らしている。
 そんな中で、王子が一人だけ友だちになりたいと思ったのが「点燈夫」だ。夜になると、小さな星にたった一つある街燈を点ける。しかし、その星の自転は一分なので、点けても三十秒経てば朝になるので、すぐ消さなくてはいけない。そして、三十秒経つと、夜になるので、またすぐ点ける。
「モモ、何で点燈夫だけ、王子は友だちにしようとしたのかな?」
「誰かの役に立ってるからじゃない。星、光らせてさ」
「あ、そうか、他のひとは自分のことしか考えてないからか」
「たぶんね。次、読んで」
 王子は地球にやってきて、友達ができた。キツネだ。王子に友情や愛について教えるキツネの言葉は、意味深で、簡単なようで難しい。そして、王子と別れるとき、最後にある秘密を教える。
「大事なものは目に見えない・、と。
「これもイマジンじゃん」
 と、僕は言った。
「想像するってことでしょ」
「そう」
 転(てん)轍(てつ)手が出てきた。スイッチマンとルビがふられている。短い章だ。スイッチマンの仕事は、汽車の転轍、つまり交通整理のようなものだろう。人間を千人ずつ汽車に乗せて、右へ左へと振り分けて、送り出す。王子が、人間たちはそんなに急いで、何を探しているかと尋ねる。スイッチマンは言う。それは、汽車に乗っている人間たちも知らない、と。また、人間は自分のいるところに気にいることはない、とも。それを聞いた王子が言う。
「子どもたちだけが、何を欲しいか、わかってるんだね」
 そして、僕はスイッチマンになりきって、ため息混じりに言った。
「子どもたちは、幸せだな」
 僕は間をとり、大きくため息をついた。
「へんなの」
 と、モモが言って、あくびをした。
「じゃ、今日はここらにしよう。電気消そう」
「パパはどうする?」
「もうちょっと起きてる」
「パパの時間でしょ」
「そう、仕事。さ、点燈夫が電気を消すよ」
「パパも早く寝るんだよ。明日学校なんだから」
「ラジャー」
 
 僕はダイニングテーブルに戻って、しばらく考えていた。スイッチマンの場面だ。サン=テグジュペリは、フランス人で、一九四四年に死んだと言われているので、・星の王子さま」を書いたのは、フランスがナチス・ドイツに占領されていたころだ。アメリカに亡命していたサン=テグジュペリは、いつもファシズムのことが頭から離れなかったはずだ。
 人間が自分のいるところに満足することはなく、いつも急いでいて、何を探しているかもわからず、何かに乗せられて動いている。これはまさに、ファシストが支配する社会では、大衆はそうならざるをえないという比(ひ)喩(ゆ)なのだろう。
 僕は、一瞬、緑が丘高校のことを思い出した。自分のいるところに満足することはなく、いつも急いでいて、何になりたいか、何をしたいかもわからず、教師の敷いたレールの上を追い立てられるように、勉強していく生徒たち。学校がファシズムのサポーターを育てていく……。
 それは、考えすぎだろうか。考え過ぎなら、いいのだが。
 サン=テグジュペリは、作家であるとともに、パイロットでもあった。最後は、祖国フランスのために、兵士にしては高齢にも関わらず志願し、ファシズムと戦うべく飛行機に乗る。しかし、サン=テグジュペリは弾を撃ってはいない。無差別爆撃機に乗ることは拒み、偵察機を操縦したのだ。そして、地中海上空で、消息を断つ。
 そんなサン=テグジュペリが「星の王子さま」を書いていた頃、青年将校だった祖父が若くてきれいだった祖母に宛てて恋文を書いていたのだろう。思わぬところで、六十年前がつながった。ファシズムとたたかったサン=テグジュペリ、かたやファシズムの中で生きた祖父が、同じ時代を生きていたことに少し感動した。
 
 この頃は、バカンスのことばかり考えているのだが、もう一つ頭の中に常駐していることがあった。見知らぬ彼女からメールが来てからというもの、いつも、彼女の言葉と、彼女への言葉が、交互に並び、決して追いつかないメリーゴーランドのように頭の中で回り続けているのだ。僕は何かに感動したりすると、彼女に伝え、共感して欲しいと思うようになった。
 彼女のことは、顔も知らなければ、どこに住んでいるかも知らない。
 名前は、雪乃さんという。そのせいか、彼女のイメージは白い。
 ただ、知っていることと言えば、毎日インターネットで僕の日記を読んでくれることと、シングルマザーであることと、日本語を教えたり、翻訳をしたりして、生計を立てていることと、彼女の一人娘がモモと同じ年ということだけだ。
 雪乃さんからは、一週間に一回ほどメールが来るので、僕もその頻度で返事を書くようにしている。
 はたして、この夜、雪乃さんからメールが来ていた。
 
 こんばんは。
 先日、たまたまNHKのフランス語講座で、ジローさんがきっと気に入りそうなシャンソンが取りあげられていました。
 もちろん、私はフランス語を学んでいるわけではありませんが、本当に偶然テレビをつけて、その歌詞に出会ったのです。
 
「独身主義者のバラード」
 
ぼくはつつしんで きみに求婚しない
 
野の鳥には 自由に飛ばせてやろう
二人ともずっと仮釈放の身でいよう
魂を鍋の柄に 売り渡した
料理自慢の 主婦なんか
悪魔にくれてやれ!
 
ぼくはつつしんで きみに求婚しない
 
僕にはメイドなんかいらない
家事とさまざまな気苦労から
君を免除してあげよう……
永遠のフィアンセとして
意中の姫君のことを
いつまでも いとおしもう
 
四十年近く前の時代、この歌をつくったジョルジュ・ブラッサンス。保守的なひとからは、非難もされたそうですが、生涯独身主義を貫いたといいます。また、筋金入りのアナーキストだったとか。
どうでした?
 私はこの歌を作って歌ったブラッサンスにすっかりしびれてしまいました。
 思わず、フランス語を勉強するつもりもないのに、このテキストを買ってしまいました(笑)
 それでは、また。
 
独身主義者の雪乃より
 
 このメールには、僕もしびれてしまった。・独身主義者」という言葉が、また僕の頭の中で回り続けそうだ。
 もし、女性を「永遠のフィアンセ」として愛したならば、・釣った魚に餌をあげない」と言われることもないだろう。このセリフは、モモの母親に何度言われたかわからない。
 もし妻を、純粋に一人の女性として愛したならば、結婚しても恋は続くのかもしれない。妻としてでもなく、母としてでもなく、そのひとらしい一人の女性として。家事や育児をしてもらうために一緒にいるのではなく、ただ恋心だけで、つながっている関係。
 一人の女性に妻の役割を与え、母の役割を与え、彼女を独占し、束縛し、うちに閉じこめ、夫は外でよろしくやっている。それこそまさに、僕の終わってしまった結婚生活である。
 つくづく、この手の結婚はこりごりだと思った。不幸な結婚があるように、幸福な離婚もあるのだ。
 モモには仕事と言ったものの、結局、この夜は祖父の恋文をコンピュータに一文字も打ち込むことはなく、ブログを書いて終わってしまった。
 
「独身主義者宣言」
 
僕はつつしんで君に求婚しない
君を永遠のフィアンセとして愛そう
まるで、野の鳥のように
 
お互いのうちを持とう
できれば、近くに
いや、遠くてもかまわない
 
家事なんて、恋のじゃまにしかならない
自分のことは自分でしよう
 
ひとは、どんなに多くのものを手にしても、
もっと欲しくなり、決して満たされない
だから、求めあうのではなく
お互いに、与えあおう
 
寄りかかるのではなく
お互い自分の足で立って
寄りそうように
残りの人生を共有しよう
 
万国の男たちよ女たちよ、恋愛せよ!
 
 メールに触発され、調子に乗りすぎたようだ。明日になって、読み返したら、きっと恥ずかしくなるだろう。しかし、そう思う前に、僕はこの文章をネット上に公開してしまった。まったく、調子に乗りすぎるところは、子どもの頃からなおらない。
 恋愛せよ、などと書いてはみたが、まだ恋にはうんざりしている。実は、恋が怖いのかもしれない。恋はどうせ冷めるだろうし、飽きるだろう。いや、この僕が飽きられるのだろう。
 つくづく、僕は口先だけの男だと思った。時に、そんな自分が嫌になる。
 さて、明日になったら、早速、シンガポールのバカンスの手配をしよう。旅行社に電話して、もっと資料も取り寄せよう。
 僕はベッドに戻ると、暗闇の中で、モモの寝息を聞きながら、南国を思った。祖父が食べたという椰(や)子(し)の実はどんな味がするのだろう。チキンライスは、祖父も食べたのだろうか。祖父が見た海は、どんな色なのだろう。祖父はどんな空の下で、祖母に恋文を書いたのだろう。
 その同じ空の下で、その同じ海を早く見たくなった。バカンスの夏は・すぐそこまで来ている。(つづく)
連載 小説(8)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 真夏なのに、僕とモモは長袖を着ている。うちでは扇風機しか使わない僕たちには、機内のエアコンが効きすぎているのだ。
 雪乃さんに勧められた「1984年」の文庫本を僕は読んでいる。ファシズムのもとの監視社会が舞台で、オーウェルが一九四八年に未来を想像して書いた作品だ。
「パパ、ひま」
 と、モモが言った。すでに機内食は終わり、窓から雲を見下ろすことにも飽きてしまったようだ。
「本でも、読めば」
「面倒くさいもん」
「寝れば?」
「眠くないんだって」
 シンガポールまでのフライトは、六時間ぐらいだろう。まだ半分も過ぎていない。僕もこの狭い空間に閉じこめられていることにうんざりしていた。そして、読んでいた文庫本をパタンと閉じた。
 僕は「星の王子さま」を持ってきたことを思い出した。通路側に座るビジネスマン風の青年は、イヤホンをつけたまま眠っているので、ここで読み聞かせすることにした。あともう少しで読み終わるのだ。
 王子が地球に来て、一年が経った。王子は、自分の星に残してきたバラのことが気になり、星に帰ることを決めた。
「パパ、どうやって帰るの?」
「聞いてれば、わかるって」
 王子にとって、星に帰るということは、死を意味していた。毒蛇に噛(か)ませて、旅立つのだ。
「ね、王子さまは、バラが好きなの?」
「愛してるんだって」
「なんで、ケンカしたのに?」
「愛があっても、ケンカはする」
 王子は、命とひきかえに、愛するバラのところに帰っていった。
 僕たちは、ようやく「星の王子さま」を読み終えた。マラソンを走り終えたような達成感があった。
「パパ、読んじゃったね。ね、あのバラって何?」
「サン=テグジュペリはお嫁さんとうまくいってなかったみたいだよ。でも愛してた」
「あ、だから、女のバラだったんだ」
「たぶんね。サン=テグジュペリはさ、パイロットでしょ。お嫁さんをうちに置いて、いろいろ旅してたんじゃない? 王子が星を旅したみたいにさ」
 モモは黙って何度も頷(うなず)いた。
「ああ似てるねえ。自分のこと書いたのかあ」
「作家は、自分のことを書いたつもりなくても、書いちゃうんだよ。きっと」
「パパもそう?」
「パパは、自分のことしか書けないから、自分のことを書く」
「もっとイマジンしなきゃね」
「はい」
 モモがあくびをした。僕にもあくびがうつった。
 僕もうとうとしながら、サン=テグジュペリのことを考えていた。・星の王子さま」を、サン=テグジュペリは遺書のつもりで書いたそうだ。バラは、愛する妻であるとともに、愛する祖国フランスでもあったのだろう。王子が命をかけて星に帰るように、サン=テグジュペリも命をかけてフランスに帰ったのだ。そして、ナチスとたたかうべく、操(そう)縦(じゆう)桿(かん)を握った。爆撃機を拒み、偵察機に乗り込み、飛び発(た)ったまま戻らなかった。
 祖父も、死ぬ覚悟はできていたのだろうか。死に対する恐怖は、一言も祖母には言わなかったそうだ。恋文にも、・笑って靖国の神になったと思ってくれ」と書いてあるだけだ。もっとも、死への恐怖は口にできない時代だったのだろうが。
 僕はこれまで身内の死を経験したことも、自分の死を意識したこともない。死は、想像できない遠いところにあった。
 
 僕もいつしか寝入っていた。その時だった。飛行機が、一瞬、大きく揺れた。飛行機が苦手な僕は、恐怖で目を覚ました。腹から脚のあたりがひやりとした。
 ポーンと電子音が聞こえて、頭上のランプが点(つ)いた。シートベルト着用のサインだ。アナウンスが流れ、気流の関係で揺れるが運航に支障はないと告げた。
 心臓の鼓動が速くなった。
 モモは隣で眠っている。反対側のビジネスマンも目をつぶっている。近くに、二人並んで座っている客室乗務員は、笑顔で談笑している。
 大丈夫だ。なんでもない。飛行機で死ぬ確率は、二百万分の一だ。
 僕は、もう一度、目をつぶった。こんなにも、死は恐ろしいものなのだ。僕は眠って忘れようとしたが、心臓の鼓動がますます速くなり、眠ることができなかった。
 神風特攻隊員のことや、9・11同時多発テロの機内にいた乗客たちのことが思い出された。その恐怖はこんなものではなかっただろう。
 
 飛行機を降りると、僕たちお互いのスーツケースをゴロゴロ転がしながら、入国審査のゲートに向かった。
「モモは、飛行機、怖いと思ったことある?」
「ないよ」
「一度も」
「ぜんぜん、怖くないよ」
「すごいなあ」
 と、僕は感心した。
「え、もしかしたら、パパは怖いの?」
「怖いわけないよ。何度も飛行機乗ってんだから」
 僕はモモに入国審査で言う英語を教えた。たいてい、旅の目的と期間を訊(き)かれるので、・サイトスィーイング、ファイブデイズ」と教えた。
「パパ、もう一回、言って」
 僕は、何度も言わされた。
「パパ、一緒に来てよ」
「無理、一人ずつだから」
 モモは英語を使うことに、そうとう恐怖を感じているようだった。
「サイトシー、え、なんだっけ?」
 なぜ、あんなに恐ろしい飛行機が平気で、英語を言うことが怖いのだろう。僕には、さっぱり理解できなかった。
 
 まだ明るいうちに、ホテルに着いた。街中のホテルで、ロビーが広かった。部屋に入ると、お互いのベッドを決めた。モモは街が見下ろせる窓際のベッドをとった。僕がモモのベッドの上に何かを置くと、すぐモモに「ここはモモの陣地」と文句を言われた。
「パパ、プール行くよ」
 と、モモが浮き輪に体を通して、立ち上がった。夕食前のひと泳ぎだ。僕は文庫本とモモの本も持って、ついていった。
 プールサイドには、パラソル付きのリクライニングチェアが並んでいる。白人ばかり、たいていサングラスをかけて、本を読みながら横になっている。僕はそのうちの一つに横たわり、文庫本を開いた。
「モモ、先に泳いでて、すぐ行くから」
「だめ。それ嘘だから」
「ちょっと、読ませてよ」
「日本でも本は読めるでしょ」
 僕はしかたなく、日本でもプールには入れると思いながら、プールに飛び込んだ。僕にとってのプールは、ひたすら往復するところだ。遊ぶところではない。ところが、ホテルのプールは、ひょうたんのような変な形をしていて、コースロープもなく、ひともたくさんいるので、往復できない。モモが浮き輪につかまり、僕はその近くに浮いていた。
「パパ、つまんない」
「そう?」
「もっと楽しそうな顔してよ」
 それで、鬼ごっこすることにした。これなら、追いかけるときに泳げて、逃げるときにも泳げる。僕たちは、何度も鬼を交代しながら、ずっと泳いだ。
 そのうち、モモもさすがに疲れたのか、リクライニングチェアに並んで横になった。僕は文庫本を開くと、モモにも本を手渡した。・大泥棒ホッツェンプロッツ三たびあらわる・、シリーズ三作目だ。
 「1984年」は怖い話で、その怖いもの見たさで、ページをめくる手が止まらなくなる。主人公は、ある政府機関で働いている。政府に都合の悪い記録を消去するのが仕事だ。彼が消去すると、歴史の事実がまったくなかったことになる。まるで、南京大虐殺はなかったとか主張する団体のようだ。
「パパ、おなかすいた」
 まだ、数ページ読んだばかりだった。
「何食べたい?」
「カレー」
「どうして、どこに行ってもカレーばかり食べるわけ?」
「うまいからに決まってるでしょ」
 僕は本をきりのいいところまで読むまでモモを待たせ、カレーを食べに行くことにした。
「モモ、じゃ本物のカレー食べに行こう」
「っしゃー」
 僕たちは、お互いの右手の親指と親指をあわせて、こすりあわせた。
 
 シンガポールで、一つ楽しみにしているものがあった。シンガポリアンたちが話す英語、シングリッシュに触れることだ。
 シンガポリアンに日本語を教えたことがある雪乃さんから教えてもらったのだが、ここでは独自の英語が発達したという。それが、シングリッシュだ。シンガポリアンたちは、英語を完全に道具として使いこなし、自分たちでアレンジまでして使うそうだ。
 リトル・インディアというインド人街までは、タクシーで行った。その中国系の中年のタクシードライバーに、僕はいろいろと話しかけた。シングリッシュを聞くためだ。ところどころ聞き取れなかったが、なんとかたくさんの観光情報を得ることもできた。
 オッケーラ、サンキューラ、グッバイラと語尾にラをつけるのがシンガポール風のようだ。
「グッバイラ」
 と、真似して言ってみた。モモにも「グッバイラ」と言わせた。
 タクシーを降りると、シンガポールから、他の外国に来たようだった。アーケード街を歩くと、日本人は見あたらず、ターバンを頭に巻いた男性と、額の真ん中に赤い丸が描かれた女性としか、すれちがわない。そこらからノリのいい音楽が聞こえてくる。ゴミが落ちてないことで有名なシンガポールだが、リトル・インディアにはたくさんゴミが落ちていた。いろんな店が並んでいたが、どの商品も見たことのないものばかりだった。
「カレー屋探すぞ」
「パパ、知ってるの?」
「知らない」
「大丈夫?」
「まかせとけって」
 はぐれないように、僕はモモと手をつないだ。そういえば、久しぶりのことだった。
 カレー屋はすぐに見つかった。レジのところのガラスケース越しに、カレーの入った鍋や、黄色いライスやナン、骨つきの鶏肉が見えた。
 英語で話してみたが、通じたのかどうかよくわからなかったので、いくつかの料理を指さして、奥のテーブルに座った。男性客が二人、ナンをカレーにつけて食べていた。僕たちは注目を集めているようだった。
「パパ、なんでみんなジロジロ見るの?」
「日本人めずらしいんじゃない」
 僕は、目が合えば、笑顔を返した。むこうも戸惑いながら微笑んだ。
「モモ、食べ方研究するぜ」
 僕たちは、さりげなく他の客の食べ方を見ていた。スプーンやフォークを使っていないようだった。
「パパ、手で食べてるよ」
「右手しか使ってないよ」
 左手は不浄の手、つまりトイレの手、食事では使わないのだろう。
 僕たちの料理がすぐに運ばれてきた。カレーとナンとペットボトルに入ったミネラルウォーター。
「サンキューラ」と僕。・サンキューラ」とモモも言った。
 カレーはとにかく辛かったが、その辛さとおいしさは正比例していた。僕とモモは、一口食べては、一口水を飲んだ。
 それにしても、右手だけで、食べるのはむずかしい。僕たちは、他の客の眼を盗んで、時々こっそり左手を使った。
 
 翌日、午前中ひと泳ぎしてから、またタクシーで外に出た。タクシー代は、日本ほど高くなく、ドライバーもいろいろ教えてくれるので、本当に助かる。
 シンガポールは、どんな木や花でも、とにかく葉が大きい。街路樹は、巨大な扇子を広げたような見たこともない木だ。
 街を歩くシンガポリアンは、多くが中国系で、インド系やイスラム系も目立つ。白人もよく見かける。どこの国に来ているか、わからなくなるほど、いろんな人種に囲まれている。
 僕は、タクシーの運転手や店員など何人か英語を話したが、どのシンガポリアンも自分のアクセントで話しているようだ。ここでは、英語が誰かのものではなく、自分の道具として、使い込まれているのだ。
 日頃、アメリカ英語を手本にしていたことが、バカらしく感じた。シングリッシュは、シンガポリアンたちのアイデンティティを表現する道具なのだ。日本人も、日本人らしい英語を話すべきなのかもしれない。
 タクシーを降りて、ガイドブックの地図を頼りに歩くと、モスクが見えてきた。
「パパ、見て、タマネギ」
 たしかにモスクの上には大きなタマネギが金色に光り輝いている。歩いている女性は、頭から肩にかけて白い布をかぶっている。昨日はインド、今日はアラブの国に来たようだ。モスクの見学は無料ということなので、入り口で靴を脱ぎ、入ってみた。時刻の違う時計が二つかかっていた。一つはシンガポール時間、もう一つはメッカ時間のようだ。柱が何本も立つ、とにかく広い絨(じゆう)毯(たん)の間に、ポツリポツリと男性ばかり五人ほどいる。全員が跪(ひざまず)き、額を絨毯にこすりつけるようにして、祈りを捧げていた。
 僕とモモは、一言もしゃべらなかった。この神聖な静寂を破ることができるのは、この世に何も存在しないようだった。
「なんかすごいねえ」
 と、モモが囁(ささや)いた。僕は頷いた。ここでは、神は、見えないが、たしかに存在していた。
 アラブ・ストリートを歩いていると喉(のど)が渇き、腹も減ってきた。もう昼食の時間だ。
「モモ、そこらの店でいい?」
「なんでもいいよ」
 通りの角に、食料品店のような店があった。店の前には、テーブルがいくつか並んでいる。白いスカートのような服を着たアラブ人のおじいさんが店の前に立っていて、僕たちに微(ほほ)笑(え)みかけた。
「ハングリー」
 と、僕がいうと、おじいさんが店の中に招き入れてくれた。葉っぱにくるまれた弁当のようなものが売られていた。
「モモ、これにするぞ」
「うん」
 モモは不安そうだ。
 テーブルにつくと、近くでアラブ人の中年男性が一人でおいしそうに葉っぱの弁当を食べていた。
「パパ、手で食べてるよ」
 右手をスプーンのようにして食べている。僕たちが驚いて眺めていると、おじいさんがフォークを持ってきてくれた。
 僕は笑顔で頭を下げ、モモを突いた。
「サンキューラ」
 おじいさんが、にっこりした。
「パパ、通じた」
 僕たちは、お互いの右手の親指をこすりあわせた。
 葉っぱを開くと、細長くぱさついたごはんと小魚の唐揚げと野菜に甘めのタレがかかっていた。今まで経験したことのない味だったが、おいしかった。魚が苦手なモモでも、気に入ったようだった。
 先ほどのおじいさんが、シングリッシュで話しかけてきた。何を言っているのかよくわからなかったが、すっかり仲良くなった。日本から来たことや、この弁当がおいしいということくらいは、伝わったようだった。
 
 滞在中、モモはプールばかり行きたがった。適度な運動と読書、僕もすっかりプール通いが好きになった。
 プールサイドで読む「1984年」には、ニュー・スピークが出てくる。独裁政府が、その管理支配を完成させるために作っている新しい言語だ。ニュー・スピークは、極度に単純化された言語で、語(ご)彙(い)が減らされ、多義語も意味を一つに限定され、政府に都合の悪い言葉はなくなっていく。つまり、言葉が無力化され、思想まで抹殺されてしまう。
 ふと、わかりやすいワン・フレーズを繰り返し、少なくない人の心をつかんでいくファシストを想像した。
 オーウェルは、言葉の支配がファシズムの完成を意味すると言っているのだろう。ということは、言葉が、ファシズムとたたかう最大の武器ということなのだ。
 かつて植民地だったシンガポールでは、宗主国の英語が公用語になった。いったんは支配されたシンガポール、しかし、シンガポリアンは逆に英語を支配して、シングリッシュを作り上げた。シンガポール政府は、グッド・イングリッシュを話すよう国民に訴えているらしいのだが、僕が英語を聞いた限り、シングリッシュは健在だ。
 淡路島ほどの面積の小さな島に異文化の多民族が平和に共存していることは、世界を見れば、奇跡に近いことだろう。そんなシンガポリアンが、シングリッシュでつながっているのだ。
 雪乃さんが、シングリッシュはおもしろい、と言ったのが分かる気がした。
 シンガポールでは、楽しいところばかり行ったのだが、一つ楽しそうでないところに行かなくてはならなかった。モモは、当然、乗り気ではないのだが、水族館に行くことを交換条件に、またタクシーで出かけた。
 チャンギ博物館、第二次世界大戦の資料が展示してあるという。かつての刑務所で、戦時中は捕虜収容所だったそうだ。
 まず、驚いたのは、入り口に掲げられた、年代ごとに並んだ四枚のシンガポールの地図だ。入り口から最も近い地図は緑色で描かれてるが、館内に進むにしたがって、その島が北から白く染められ、徐々に赤い丸が浮かび上がり、最後に日の丸で島が覆われる。
 今さらながら、日本人が侵略者だったことを知った。祖父も、侵略者として、この地に立ったのだ。
 館内には、数人の白人がいただけだった。日本人は僕たちだけだった。モモは早足で館内を回り、時々、何か気になるものを見つけては、僕のところに戻ってきて、報告したり、質問したりした。
「パパ、早く水族館行こうよ」
「ちょっと待って。もうすぐ出るから」
 この会話が、何度か繰り返された。
 展示は、壁に写真と手記、当時の様々なものも置かれていた。説明よりも、圧倒的に手記が多かった。英語で書かれた名前入りの手記は、その歴史の中に生きていた人間の息づかいが伝わってきた。拷問の図解や、生首の写真もあった。
 モモが唯一興味を持ったのは、学校の写真だった。校門に日の丸が掲げられた学校、その教室で、シンガポールの子ども達が勉強していた。
 シンガポールが、昭南島だったのは、三年半だけだ。その間、英語だけでなく中国語も、敵国語として禁止されていた。
「パパ、日本語。ね、見て」
 写真の中の黒板には、カタカナが書かれていた。ここでも、言葉は奪われようとしていたのだ。
 日本人として、ここは気分のいいところではなかった。僕もモモのように早く出たくなった。モモは、館内を行ったり来たりしている。
 そして、最後に僕は一枚の写真の前に立った。若い女性が一列に並んで立っている。説明には、Confort women・ mostly Koreanと書かれていた。・慰安婦・、ほとんどが朝鮮半島出身。レストランでの仕事などと言われ、連れてこられたらしい。
 ふてくされて煙草を吹かしている女性もいれば、あきらめきったかのようにうつむいている女性もいた。子どもの肩に手をかけている若い母親もいた。
 侵略者たちは、女性をモノとして扱った。愛の対象としてではなく、兵士たちの性的慰安の手段として。祖父は、間違いなく、侵略者の側にいたのだ。
 僕はもう耐えられなかった。モモがまた僕のところに戻ってくるとすぐ、水族館に行くことにした。
 広い通りに出て、タクシーが通るのを待った。
「パパ、おもしろかった?」
「おもしろくはないよ」
「じゃ、なんで行ったの?」
「ちょっと調べにさ」
「パパのおじいちゃんでしょ。何かわかった?」
「わからなかった」
 モモは僕の隣に立つと、僕の肩を二回叩(たた)いた。
「ま、そういうこともあるよ」
 僕はモモに慰安婦のことを説明できなかった。言葉少なになりながら、祖父の恋文のことを思い出していた。
 
 此度来た所は 淫(いん)売(ばい)窟(くつ)が非常に多いようです 日本人の経営して居るのも有るようです と言っても御安心を 僕も御前だけ操を強いる様な無責任な男ではありません いくら御前が無理するなと言ったとてね 同室の岡田少尉は三十九才で子供が三人有り 応召以来三年になるのだが 一度も妻以外の婦女に接した事のない人だよ よく此人が度々奥さんの惚気(のろけ)話を聞かすついでに 御前が操を破ったら俺が承知しないと大変な張り切り方だよ
 
 この手紙は、きっとここシンガポールで書かれたのだろう。・淫売窟」とは慰安所のことだろうか。あの写真の女性たちの顔が浮かんだ。そこには、祖父たちの知らないどうしようもない悲しみがあったのだ。
 祖父の言葉に嘘(うそ)はないはずだ。孫の僕には直感でわかる。青年将校達の愛国心より、その恋心に、心が少し洗われた気がした。
 「星の王子さま」の一節を思い出した。王子は、星に残してきたバラを愛していた。地球にもバラは無数にあるが、そのどれ一つとも違う、宇宙にたった一つだけの花を。愛は愛としか交換できない。代替品はありえないのだ。慰安婦を抱いたところで、決して慰安されることはなく、相手を傷つけることで、むしろ自分も傷つくだけなのだ。祖父たちには、それが分かっていたのだろう。
 一人の女性を想い続けたことで、祖父たちは、慰安所というさらなる加害の現場には立ち会うことはなかったのだ。
 ふと、僕は雪乃さんのことを思った。
「パパ」
 と、モモが沈黙を破った。僕たちはタクシーに乗っていた。
「今、何考えてた?」
 モモがよくする質問だ。
「イルカショー早く見たいなってさ」
「本当? 同じこと考えてた」
 僕たちはお互いの右手の親指をこすりあわせた。
「モモ、今夜はチキンライスを食べよう」
「とりめしでしょ。オッケーラ」
 シンガポールのバカンスには、まだまだ楽しいことが残されていた。(つづく)

連載 小説(9)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 シンガポールの空港に、無料で使えるコンピュータがあったので、帰国のフライト直前に僕は雪乃さんへメールを送った。そのコンピュータは、日本語を使えなかったのだが、雪乃さんが英語は堪能なことを思い出し英語で書いた。
 その三日後、モモが寝た後、夜風が心地よいキッチンでパソコンにむかうと、雪乃さんから返信が届いていた。
 
お帰りなさい。有意義な旅だったようですね。
シンガポールから、わざわざメールを書いてくれて、ありがとう。うれしかったです。
私も、いつか、娘と旅行に行ってみたくなりました。まずは収入を安定させなくては。
 
ジローさんが写真を見たという「慰安婦」のこと、とてもショックでした。
私がその場にいたら動けなくなってしまっただろうと思います。
異国の地で、言葉も分からないまま、一日に何人もの兵士に……。
あのメールの一文を読んだだけでも、しばらく体の震えが止まりませんでした。
 
実は、私はDVのサバイバーなんです。
サバイバーとは、もちろん、生き残った者という意味です。私は暴力から生き残ったのです。
「慰安婦」のことで、あの経験がフラッシュバックしたのかもしれません。
話が暗くなってごめんなさい。
 
男性に近づくことも苦手な私ですが、顔も知らないジローさんのコトバには惹(ひ)かれているんですよ。暴力の対極にあるのがコトバ、私にとってジローさんはコトバ。だから、安心するんです。
私もコトバを教えたり、翻訳したりしていますから、いい刺激になっています。
では、また。
少し、混乱して返事が遅れてしまいました。ごめんなさい。
二人とも早く旅の疲れがとれますように。
 
 それにしても、雪乃さんがDVサバイバーだったとは、驚きだった。まさにオトコの暴力から生き抜いた雪乃さんの心の傷はまだ癒(い)えていないのだろう。
 シンガポールの「慰安婦」の写真の前で僕が感じたショックの、何倍ものショックを雪乃さんは感じたのだ。僕はだいぶ鈍いようだ。
 言葉をほめられ、物書きとしては、浮かれるほどうれしかった。だが、雪乃さんにとって、僕は体を持たない言葉。どういう意味か、うまくつかめなかった。
 
 夏休み、モモは、平日は毎日、朝から学童に行く。学校のプールで泳いだり、汗だくになって遊んだり、多少宿題をしたり、毎日楽しそうだ。昼食も出してくれる学童は、まさにシングルファーザーの味方だ。
 さて、僕はというと、モモが学童にいる間、ストップウォッチ片手に、マネージャーの美紀とプールサイドに立っている。夏休みの最後にある大会に向けて、選手達は毎日何キロも泳いでいる。
 そんな夏の日のこと、プールサイドに石田先生がやってきて、僕を呼んだ。
「あのさ、モモちゃんと広島行かない?」
 同じ英語教師の石田先生は、いつも一緒に仕事をして、僕はフォローばかりしてもらっているのだが、僕と同じ教職員組合に入っている。この地区の役員もしていて、なかなか忙しいようだ。
 僕は突然のことに、返事ができないでいると、石田先生が事情を説明した。毎年、八月六日、広島で原水爆禁止を訴える大きな集会が行われる。それに、組合は毎年カンパを集め、地区から組合員を一人派遣する。しかし、今年は予定していた参加者が、体調をこわしたため、代わりに行けるひとを探しているというのだ。
 広島は、祖父がいたところだ。祖母への手紙のほとんどは、広島から送られている。
「カンパけっこうあるからさ、交通費くらいは出るよ。どう?」
「行きます。モモと」
 即決だった。
 石田先生は、よほど助かったと見えて、何度も僕に礼を言って、去っていった。
 僕は、マネージャーの美紀に、おそるおそる事情を説明した。
「また?」
 美紀は大きな声で言った。
 僕はまた美紀に、シンガポールに行く前に言ったことを言った。
「だから、もし美紀が将来結婚して、ダーリンが仕事ばかりしてたらさ……」
 美紀は、僕が紅葉饅(まん)頭(じゆう)を買ってくることで、広島行きを了承してくれた。
「先生、これで最後にしてよ」
「ラジャー」
 
 シンガポールに持っていったスーツケースに着替えを入れただけで、荷造りは終わった。
 指定された新幹線に乗り込むと、この県からの参加者は、みなオレンジのたすきをかけていた。僕もホームで手渡されたのだが、バッグの肩ひもに縛りつけておいた。
「パパ、ちゃんとつけなよ」
「つけてるじゃん。ここに」
「体に巻くんだよ」
「無理」
「なんで?」
 僕は小声で言った。
「ちょっと恥ずかしいから」
「関係ないよ。戦争反対なんでしょ」
「でも、無理。ならモモにつけよう」
「それも無理」
「なんで? モモも戦争反対でしょ」
「絶対、無理」
 僕はまた小声で囁(ささや)いた。
「恥ずかしいんでしょ?」
 モモが頷(うなず)き、僕たちは肩を組んだ。
 
 原水爆禁止世界大会には初めて参加したのだが、大きな会場に着くと、全国から何千人も集まっていた。その中に、外国人もたくさん混じっていた。こんなにも同志がいるのかと、涙が出そうになった。
「パパ、このひとたちみんな戦争反対?」
「あったり前じゃん」
「よかった」
 と、モモは安心したようだった。
「パパ、じゃ戦争来ない?」
「来るわけないよ」
 大会は、ステージ上で、次々にスピーチやパフォーマンスが繰り広げられた。途中、モモが退屈したので、席を立って、会場の入り口あたりの売店を見たり、ジュースを飲んだりした。売店は、様々な団体が様々なものを売っていた。書籍、文集、CD、ビーズ細工、ハンカチやTシャツなどだ。モモはビーズアクセサリーとバッジ、僕は憲法の本とコスタリカの本、二冊買った。お互い二つずつ、フェアな買い物だ。
 ホテルに着き、ひと休みしても、まだ明るかったので、ちんちん電車で平和公園まで行くことにした。
 広島は、夏の夕方、ぴたりと風が止む。夕(ゆう)凪(なぎ)だ。
 電車を降りると、まだ昼間の熱気が沈殿しているようだった。
「モモ、風が止まってるね」
「暑い。パパ、アイス食べよう」
「これ、ゆうなぎって言うんだってさ」
「パパ、アイス」
 僕たちはアイスを求めて歩き始めた。
「あ、あれ知ってる」
 と、モモが言った。目の前に、川が流れていて、その向こうに原爆ドームが見えてきた。
 僕たちはベンチに座り、ただ対岸のドームを眺めていた。言葉はいらなかった。
 コンクリートの建物が、一瞬にして、こんなになるのだ。人間など、いとも簡単に溶けてしまうだろう。人類が開けてしまったパンドラの箱、最後に出てきたのがこの原子力なのだ。いまだに、・平和利用」と称して、電気とともに、二万年以上も放射能を出し続ける核廃棄物を生み出している。
「パパ、アイスは?」
「ひと休みだって」
 僕は肩掛けバッグから、モモの旅ノートを出して手渡した。シンガポールにも持参した小さなノートだ。
「サンキュ」
 モモは、ドームの絵を描き、今日あったことをメモし始めた。
 僕は川の水面を見つめていた。夕凪のため、水面は鏡のようにくっきりとドームを映している。その水面のように、僕はあの戦争を心に映し込むことができるのだろうか。
 モモがノートを書き終わると、また僕たちはアイスを求めて歩き始めた。
 
 夜は、ホテルの近くに小さなお好み焼き屋を見つけ、モモと入った。カウンターだけの小さな店で、愛ちゃんという名の店だった。
 僕たちは鉄板の前に座り、熟練した手つきで愛ちゃんが広島風お好み焼きを作るのを黙って見ていた。焼きそば入りお好み焼きは、初めて食べる。静かな店内で、じゅうっと焼くときの音とへらが鉄板に当たる音だけが聞こえた。
 先に来ていたタクシーの運転手の男性が、鉄板から直にへらを使って食べていた。シンガポールのリトルインディアで、インド人が右手だけを使って食べていたのを見たときくらい、驚いた。
 愛ちゃんは、僕たちが旅行者だと察し、皿と箸(はし)を出してくれた。
 運転手が帰り、客が僕たちだけになると、愛ちゃんが声をかけてくれた。
「戦争中、祖父が広島にいたんですよ。原爆の前に、南方で戦死したのですが」
 すると、愛ちゃんは、子どものころの記憶が残っているようで、いろいろ教えてくれた。
「いつも、陸軍の将校さんたちが、ここらを軍服着て歩いててね。私たちは憧(あこが)れたんですよ」
 愛ちゃんは、陸軍将校だった祖父を見かけていたかもしれない。
「兵隊の下宿が、ここらにあったんでしょうか?」
「ありましたよ」
 祖父に面会に来た祖母も、この店のあたりを祖父と歩いたに違いない。
「パパ、これ頼んで?」
 と、退屈してメニューを見ていたモモが、コーラを指さして言った。
「他のにしなよ」
「いいでしょ。旅行中なんだから」
 モモは、愛ちゃんに聞こえるように言った。愛ちゃんは笑っている。うちは、ファースト・フードとコーラは禁止なので、いつもなら絶対に許さないのだが、まだ話を続けモモを退屈させそうだったので、しかたなくコーラを頼んだ。
「パパも飲むから」
「オッケー」
 僕たちは、お互いの右手の親指をいつものように擦(こす)りあわせた。
 愛ちゃんは、原爆が落ちた朝、疎開先からちんちん電車で広島市内に帰ってくるところだったそうだ。見たこともない光、その後の爆音、大人たちが騒いでいたことを覚えているという。
 愛ちゃんのお兄さんは爆心地近くで被爆した。お父さんが、病院に行くと、顔の見分けがつかないほどやけどした無数の被爆者が寝かされていた。名前を呼ぶと、かすかに手があがったので、お兄さんだとわかり、戸板に乗せてうちに連れ帰った。お兄さんは、その夜なくなった。うちの前の道を、皮膚が焼けただれたひとたちが、手を前に出して、幽霊のようにぞろぞろと歩いていったことも覚えているという。
「でも私は、若い人たちには期待してるんですわ」
 愛ちゃんは、昼間、平和公園や原爆ドーム周辺で、歌を歌ったり、踊ったりして、絵を描いたりしている若者を見たそうだ。
「あの若い人たちは、私ら年寄りとは違うと思う。だから期待してるんですよ」
 自分のことだけを考えた自己主張ではなく、他者のことをも考えた自己表現なら、多くのひとの心に届くかもしれない。
 ホテルに戻る短い道のり、祖父が歩いたかもしれない道を歩いていると、不思議な気分になった。僕が祖父になって歩いているような気分だ。一瞬、六十年前の昭和十九年に戻ったような錯覚に陥った。
「パパ、コンビニ寄っていこうよ。ホテルで食べるお菓子買おうよ」
 と、モモがすぐに僕を平成の現代に引き戻した。
 
 翌日、僕たちは船に乗った。広島から近い似(にの)島(しま)というところに行ったのだ。原水爆禁止世界大会中に企画された、小学生が参加できる唯一のツアーだった。
 似島は、戦中、弾薬庫や軍の病院があったところで、原爆投下後は、多数の被爆者たちがこの島に運ばれてきたそうだ。その島へ、たくさん子どもたちがフィールドワークに行くのだ。ガイド役は、地元の学校の先生たちがボランティアで務めてくれた。
 モモは、同じホテルに泊まっていた姉妹とすっかり仲良くなった。二人は、神戸から活動家の祖母に連れられてきた。モモと同じ年の妹と二つ年上の姉。二人は、メモ帳を持ち歩き、壁新聞を作ると言っていた。
 モモは、ジュースを僕にねだるとき以外、ずっとその姉妹と行動をともにしていたので、僕は一人、甲板に立った。熱風を突っ切って、船は岸を離れ、進んでいく。木が生い茂る小さな島がいくつかあり、すり抜けるように沖に向かった。この風景は、六十年前と変わらないはずだ。祖父も船の上から、同じ空と海、そしてこの風景を見たのだ。
 すると、また昨夜のあの気分が舞い戻り、祖父と気持ちが重なっていった。
 
 俺は今離れていく日本に、もう帰ることはできないかもしれない。俺とて帝国陸軍将校の端くれだ。死を恐れることは、自分に許すわけにはいかない。そのために、これまで修練してきたつもりだ。それに、俺が死を恐れたら、部下達はもっと恐れるはずだ。俺は、どんなときでも落ち着いて部下を指揮し、何かあれば笑って靖国の神になるのだ。
 この戦争は、この国の行く末を決める。愛する妻、きほの行く末も決めるのだ。
 この輸送船の船首にある指揮所から見下ろすと、部下の砲手たちが、二台の高射砲台につき、敵機の襲来に備えている。輸送は戦争の要、輸送が止まれば戦争も止まる。比島まで無事に送り届けるのだ。
 ふと、気をゆるめると、俺はきほに会いたくなってしまう。体力的に余裕があったり、腹が充たされていると、すぐにきほの温もりを思い出してしまう。そんなとき、俺は命も惜しくなってくる。愛と命は対になっているものなのだろう。
 しかし、そんな未練から俺を引き離すかのように、船は俺を日本から引き離していく。
 
 似島には、すぐに着いたので、僕の想像はそこで打ち切られた。
 モモは姉妹とずっと一緒だったので、僕は同年代のガイドの男性教師と歩き、いろいろと質問をした。
「おじいさんも、この島にいらしたと思いますよ。輸送船に乗った暁(あかつき)部隊の兵隊さんが、この島にいろいろ物資を運んだんですから。原爆投下後は、被爆者の方をここまで運んだりして、活躍されたんです」
 暁部隊という名前は、祖母から何度も聞いた。やはり、あの船の上の光景は、祖父が見た光景だったのだ。
 炎天下、軍の病院、弾薬庫、見張り台、トロッコの線路などのあった場所を歩き、最後に小学校の体育館で、昼食をとり、合唱や被爆者の話を聞いた。
 帰りの船を港で待っていると、モモが言った。
「明日、一緒に原爆の資料館行く約束したから」
「戦争の見るの嫌なんじゃないの?」
「でも、見ることにした。パパ、連れてってよ」
「ラジャー」
 
 広島で最後の夜は、姉妹のおばあちゃんには部屋でゆっくりしてもらい、僕はモモたちを灯(とう)篭(ろう)流しに連れて行った。この日の昼間も三人を連れて原爆資料館に行ったので、すっかり、僕たちは仲良くなっていた。真面目な二人には、僕とモモがおかしくてたまらないらしく、笑いが止まらないようだった。
 これまでさんざん僕に戦跡を連れまわされたモモは、そういったものにはうんざりしていたのだが、その姉妹の影響で、平和に関心が出てきたようだ。
 夕凪の中で川の水面に映った原爆ドームとともに、その夜、同じ水面を流れていった無数の灯篭が、僕の中で残像となり、いつまでも消えなかった。モモは灯篭に、Love and Peace と書いた。外国人もいるから英語で書きたいというモモに僕が教えたのだ。
 灯篭が見えなくなると、モモが灯篭がどこまで行くのか僕に何度も訊(き)くので、僕は実行委員会のメンバーに尋ねた。何艘(そう)かの漁船が、下流で待っていて回収するという。モモは、それで安心したようだった。
「パパ、おなかすいた」
 モモと一緒に、姉妹も頷いている。
「よし、お好み焼き食べにいこう」
「じゃ、あいちゃんに行こう」
 僕は、今日こそ、広島風お好み焼きの作り方を目に焼き付けようと思った。
 
 翌日、僕とモモは姉妹と別れ、電車で尾(おの)道(みち)まで行き、小さな船に乗り、因島(いんのしま)に渡った。因島は、祖父と祖母が最後に会った場所だ。ちょうど帰り道でもあり、どうしても寄りたかったのだ。
「おばあちゃんはさ、こうやっておじいちゃんに会いに行ったんだよね」
「いつ?」
「六十年前」
「そんな昔」
 モモの声のトーンがいきなり上がった。
「きほばあちゃんとパパのおじいちゃんがここで会ったから、洋子ばあちゃんが生まれて、それでパパも生まれて、最後にモモも生まれたんだよ。わかる?」
「じゃ、今から行く島がなかったら、パパもモモもいないってこと?」
「そう」
 ようやく期待していた因島に着いたのだが、船を下りると、あたりには何もなかった。蝉(せみ)の声ばかりが勢いよく聞こえた。港には船着き場以外、建物も何もない。そこで下船したのは僕たちだけだった。小さな待ち合い所に貼(は)ってあった時刻表によると、次の船までは二時間ほどあった。
 港のむこうに、鉄工場のような大きな建物が見えた。それは、昔からある造船所のようだった。祖父は自分の乗る船が修理でもされている間、この島で待機していたのだろう。
「パパ、ここで何するの?」
「わからない」
「誰もいないよ」
「歩いてみよう」
 二時間も、日陰もないところで、どうしたらいいのだろう。少し歩くと、畑の間に民家がちらほらと見えてきた。
「ペットボトルのお茶、大事に飲むんだよ」
「うん。自動販売機もなさそうだしね」
「そう」
「トイレ行きたくなったらどうする?」
「困る」
 今日も三十度を超えているだろう。汗を拭きながら、僕たちは歩いた。
「パパ、あそこ」
 モモが指を差す先に、小さなお好み焼き屋が見えた。砂漠のオアシスに見えた。
 僕たちは、クーラーの効いた店内に入り、また広島風お好み焼きにありつけた。おばさんがてきぱきと焼いていく手つきを一瞬も見逃さないように観察した。ちょうど昼時だったせいか、次々と客が入ってきた。
「お皿とお箸出そうか?」
 僕たちは今回、広島のひとのように、へらで食べてみることにした。おばさんは、研究熱心な僕たちに好感を持ったらしくいろいろと話してくれた。
 一度来てみたくてようやく夢が叶(かな)ったことや、僕の祖父がここにいたことなど、僕は話した。
「ちょうど、店から出たとこが、陸軍の兵舎の入り口だったんだよ」
「じゃ、ここらに下宿屋もあったんでしょうか?」
「もうつぶしちゃったけどね、子どものころ、道の向こうにたくさんあったよ」
「そうだったんですね。来てよかったです」
 おばさんは、また来てね、と言った。
 僕たちは、その店に長居した。食後に、かき氷も頼み、モモは店にあったマンガを読みふけっていた。僕はおばさんと話したり、テレビを見たりしていた。
 因島で、何を見たというわけではないのだが、自分のルーツとなる場所に足をつけただけでも、僕は満足だった。ここは、モモのルーツでもある。
 船着き場には、里帰りしたらしき若い母親と男の子がいた。老女が見送りに来ていた。なんだかしんみりとした気分になった。
「キーホルダーなかったね」
 と、モモが言った。モモは行った先々で、キーホルダーを買うのが趣味なのだ。
「尾道に、きっとあるよ」
 その親子と小さな船に乗った。いよいよ、旅も終わる。新幹線に乗れば、夜にはうちに着くだろう。
 この帰り道は、祖母が祖父と別れ、たどった道でもある。祖母も、あの船着き場で、祖父に見送られたのだろう。それが、永遠の別れとも知らずに。
 僕は、戦争とは引き裂くものだと知った。愛するものたちを引き裂き、生き残る者と死にゆく者に引き裂き、祖父は、国のために命を捧げようとする自分と、妻と生まれ来る我が子のために生きようとする自分の二つに引き裂かれていったのだ。
 愛には、結びつけ、新たなものを生み出す力がある。戦争には、引き裂き、殺す力しかない。Love and Peace モモが灯篭に書いた言葉が頭から離れなかった。
「切手と便せん買ってよ」
 と、モモは帰りの新幹線の中で何度も言った。あの姉妹に手紙を書くというのだ。
 僕もいつかは雪乃さんに、メールではなく、手紙を書いてみたいと思った。
「パパも、買うから」
「誰に書くの?」
 僕は笑顔で、黙っていた。(つづく)

連載 小説(10)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 秋。あんなに暑く、毎日泳いでいた夏が終わった。
 実は、僕は秋が苦手だ。夏の終わりを受け入れられず、おセンチになってしまう。毎年のことだ。
 秋はバイオリンの発表会があり、この頃はけっこう真面目にモモと練習している。僕はバイオリンを手にするたびに、高校の国語で習った詩を思い出す。
 
  秋の日の
  ヴィオロンの
  ためいきの
  身にしみて
  ひたぶるに
  うら悲し
 
 ヴィオロンとはバイオリンのことで、僕たちのバイオリンは、下手すぎて、そんな風には響かないのだが、その詩が頭から離れないのが、僕の秋なのだ。秋の風とため息は、どこか似ている。
 モモが寝つくと、夜はいっそう静かになり、秋の虫の声がいっそう悲しげに聞こえてくる。
 結婚していたころは、あんなにさみしかったにもかかわらず、シングルファーザーとなってから、さみしさはほとんど感じなくなった。日々、家事や仕事に追われると、さみしさを感じる暇もない。もしかしたら、僕は無意識に忙しくしてさみしさから逃げているのかもしれない。
 そんな秋の夜、雪乃さんからメールが届いた。いつもと同じ間隔、前のメールから一週間ほど経ったころだった。
 
  すっかり、涼しくなりましたね。
  今夜は、月がとてもきれいです。
  こんな青い月夜が、大好きです。
 
 僕はベランダに出てみた。満月が出ていた。本当に、夜が青かった。部屋に戻って、メールの続きを読んだ。
 
  私は、時に孤独に苛(さいな)まれるんです。
  でも、いつも明るい娘に助けられています。
  では、また。
 
 短いメールだった。雪乃さんが、孤独に苛まれていることに、少し悲しくなった。僕はすぐに返事を書いた。
 
  >私は、時に孤独に苛まれるんです。
  僕にできることが、何かあったら、いつでも言ってください。
 
 雪乃さんのメールの一文を引用して、それだけの短いメールをすぐに送った。
 しかし、返事は、すぐには来なかった。
 
 モモは、たいてい月に一回は、母親のところに泊まりに行く。必ず持っていくものは、バイオリンの他には、日記だ。モモがその日記を読むことを許可しているのは、世界中で、母親と僕の二人だけ。彼女は日記を読むことで、モモと会っていない空白を埋めているはずだ。また、モモと彼女が過ごした日々のことも日記に書かれるので、モモが帰ってくると、今度は僕がその日記を読む。モモの日記があるため、僕はいつ日記に書かれても恥ずかしくないように生きていこうと思う。しかし、なかなか思い通りには人生は運ばない。
 モモのいない週末、僕はいつものように実家に行った。両親が店に出ていて、祖母がうちの中で家事をしている間、僕は居間で兄と過ごしていた。兄のお茶をいれたり、兄のトイレの介助をしたりしながら、本をペラペラめくりつつ、テレビを見ていた。本にもテレビにも集中することはなく、ただダラダラとしていた。
 何か目的があるわけでなく、ただ時間と空間を共有することが愛なのかもしれないと、ふと思った。
 両親が店から戻ると、父がつくった海(の)苔(り)巻きの夜食を食べながら、家族団らんとなる。モモがいないと、とても静かな夜だ。そのぶん、むこうのうちが、明るくなっていることだろう。
 実家では、僕は祖母と枕を並べる。
 豆電球の灯りの下、かすかに虫の音が聞こえた。
「あんた、また本書いてるだかね」
 祖母は僕をあんたと呼ぶ。
「書いてないけど、アイディアはあるよ」
「何の話だい?」
 僕は、祖父の恋文を題材にして書きたいと言った。
「ありゃ、恋文かね」
「どう読んだって、恋文だよ」
「ありゃ、恋文か……」
 少し、祖父に同情してしまった。
「でも、うれしかったやあ。毎晩、何度も読んだねえ。何回読んでも同じなのにねえ」
 やはり、まんざらではなかったようだ。
「あんたは、生まれかわりかもしれんねえ」
「おじいちゃんに似てるの?」
「似てるとか、似てないとかじゃないだよ。けんぞくだでね」
「けんぞく?」
 輪廻転生を信じて疑わない祖母が言う「けんぞく」とは、死んでも身近に生まれかわってくるひとのこと。祖父の思いがあまりにも強かったので、祖父は孫になって生まれかわってきたのだろう。
「あんた、私のことを書くだかね?」
「うん、たぶんね」
「じゃ、いいのになるねえ」
「なんで、そう思うの?」
「モデルがいいでさ」
 その夜、祖母は、兄弟の話をしてくれた。実直で、要領が悪かった兄。南方で野営中、斥(せつ)候(こう)を命じられ、そのまま帰ってこなかったという。心やさしかった弟。南方でマラリアにかかり、帰国したが、伝染病のため下船を許されなかった。
「けんちゃんは、本当にかわいそうだったやあ」
 祖母たちの母親が、その船へ見舞いに行ったそうだ。
「おかあちゃん、おかあちゃんってずっと呼んでただってさ」
「船で死んじゃったの?」
「そう。別れ際に、帰っちゃいかんって言って、ベッドから転げ落ちたっていうだよ」
 気丈な母親が、げっそりして帰ってきたという。
「我が子に先立たれるほど、つらいことはないよ」
 僕は黙っていた。この話は初めて聞いた。
 
 祖母は、思ったより祖父のことを知らなかった。それもそのはずで、婚約したらすぐに召集令状が来て、慌てて式を挙げ、祖父は出征した。夫婦として、一日も家で暮らしたことがないのだ。
 自分で祖父のことを調べることにした。うちで、モモが寝てから、祖父の手紙の束をもう一度見なおしてみたら、部下から祖母に宛てた手紙が見つかった。
 消印は、昭和二十年九月十六日、終戦後だ。
 
 私は隊長殿とまさしく生死をともにしていたのですが、炭坑技術者だったため、突然、召集解除になって一人帰還したわけです。
 当日は隊長殿はじめ多くの戦友が、朝の三時だというのに皆見送ってくださいました。私は特に小隊の事務の方をやらしていただきましたので隊長殿に可(か)愛(わい)がられていました。広島の因島(いんのしま)のドック入(にゆう)渠(きよ)致(いた)した時でも特に十余日という長い(兵隊にはほとんど考えることも出来ない)休暇を頂いたのも私でした。
 船中でも何かの話から必ず奥さんの噂(うわさ)話になりまして「うちのき(・)ほ(・)は、うちのき(・)ほ(・)は」を大方聴かされたものでございます。やさしいしっかりした本当にいい隊長殿でした。それやこれやでいよいよ別れるとなると私は船を飛び降りて又皆と一緒にどんな辛いことでもやっていきたいと思ふ衝動に駆られて困ったものです。
 今ペンを執り乍(なが)らぢっと船中での生活を思い浮かべると何一つとしてなつかしく思われないものはありません。兵隊をかばってよく船員と喧(けん)嘩(か)していた隊長、緊急の場合でも少しも慌てず的確な指導を執って居られた隊長、何でも兵隊のことを先にしか考えないいい隊長でしたよ。別れるときの隊長殿のあの顔は瞼(まぶた)に焼きついています。奥さん宛の手紙も頼まれていましたが、途中で憲兵にとり上げられてしまったのが返す返す残念です。
 さてお尋ねの件でございますが我々の部隊は、防(ぼう)諜(ちよう)上「暁二九五四部隊」と呼ばれていましたが、正確には船舶砲兵第二連隊第九中隊第三小隊でございます。近くでしたらお目にかかって詳しくお話し致すとよいのですが何分遠方でありますし手紙でも意をつくしませんが何でもございましたらご遠慮なく御問い合わせ下さい。先に帰還したものの義務でございます。
 
 戦争が終わっても、祖父の消息はわからなかったという。だから、祖母が部下の一人に手紙を書き尋ねたのだろう。この手紙はその返事のようだ。
 祖母から聞いて思い描いていた祖父の人物像は、部下の目から見たものと、あまり変わらなかった。
 それにしても、祖父は祖母に惚(ほ)れていたようだ。将校が、腹心の部下にとはいえ、そんなにのろけていていいのだろうか。ばれていたら、きっと非国民と呼ばれただろう。
 僕の勤務する緑が丘高校の日本史の教師にもいろいろと訊(き)いてみた。東京の防衛庁の防衛研究所に行けば、日本の戦争の資料が豊富にあるから、きっと祖父の足跡もわかるはずだ、と教えてくれた。県庁にも軍歴の資料があるはずだから、遺族だと言えば、教えてくれるという。
 早速、県に問い合わせると、一枚の書類が届いた。いつ入営して、どの階級に昇進したのかが書いてあった。最後の階級は大尉だった。中尉だったのだが、戦死して一階級昇進したと、祖母に聞いたことがある。
 死亡年月日は昭和十九年十月十八日、死亡場所はレイテ島東北方洋上ということもわかった。
 後は防衛研究所だ。平日しか空いていないので、なかなか行けなかったのだが、ちょうど水泳大会の代休が取れたので、思い切って東京に行くことにした。
 その日はたまたま火曜日で両親の店の定休日だったので、モモは父に頼むことにした。そういえば、モモの面倒を頼むのは初めてだった。孫を預けるのも、親孝行である。モモと父はいいコンビなので、モモは大喜びだった。父は、夕方学童へモモを迎えに行き、二人でアパートに戻り、僕の帰りを待つことになる。
「パパ、いつおじいちゃん来るの?」
 と、モモはその日が来るまで、何度も僕に訊いた。

 雨の降る、肌寒い十月の火曜日の朝、モモと朝食をとり、モモを送り出してから、僕は久しぶりに新幹線で東京を目指した。
 東京は学生時代に暮らしたところでもある。新幹線が、東京に近づくにつれて、なぜか悲しくなってきた。秋というせいもあるだろう。学生時代の孤独を思い出したのかもしれない。都会というところは、僕のような田舎者には、淋(さび)しいところだ。こんなにも多くのひとがいるにも関わらず、全員が僕に無関心なためだ。一人でいる孤独より、他人の中にいる孤独のほうが、耐えがたい。
 僕は車窓から林立するビルや、密集した住宅地を見ながら、雪乃さんのことを思っていた。雪乃さんが苛まれるという孤独は、どういう孤独なのだろう。僕は何かできることがあればしたいと申し出たのだが、次のメールで、雪乃さんはどう答えるのだろう。
 やがて空腹感が孤独感に勝り、東京駅に着き、山手線に乗り換えた。昼近くだったが、乗客は多く、僕は座れなかった。
 
 池袋で電車を降り、傘を差して、街を歩いた。雨のせいで少し寒かった。たまたま通りかかった小さなラーメン屋で、スーツ姿のサラリーマンたちと昼食をとった。食事というより、栄養補給といった昼食だった。まわりにせかされるように、速く食べてしまった。
 防衛研究所に行く前に、大叔母のところに顔を出すことにした。大叔母は、祖母の妹で、祖父のことなど少しは知っているかと思ったのだ。学生時代、ちょくちょく顔を出しては、ごはんをごちそうになった。そのお礼に、今日は、ウナギパイを持参していた。
 大叔母は、数年前になくなった夫が残したマンションの管理人として、ネコ数匹と裕福に暮らしている。
 僕はマンションの最上階まで登り、ドアベルを鳴らした。インターフォンがあったので、名前を名乗った。
「あら、よく来たわねえ」
「おばさん、ごぶさたしてます」
 と、僕はウナギパイを手渡した。
「あらあら、ご丁寧に」
 窓から大都会を見下ろせる居間のちゃぶ台の前に座った。そこは、学生時代からの定位置である。猫が三匹、僕を警戒しているようだった。ちゃぶ台の上に、みかんがあったので、手持ちぶさたに、テレビを見ながら、食べることにした。
「コーヒーでいいでしょ」
「うん」
 大叔母が、コーヒー持ってきてくれ、ちゃぶ台に座った。
「聞いたわよ、本書いてるんだって?」
「うん、まあ。学校の先生もしてるよ」
「立派になって」
 僕は大学受験の時、ここに泊まった。
「おばさん、あのとき、お弁当もつくってくれたよね」
「そんなこともあったかしら」
 大叔母は、ずっと東京に暮らしているので、祖母と話し方が全く違う。少し、上品に話す。
 僕は上京してきた理由を話した。
「ね、おじいちゃんのこと、何か覚えてるでしょ?」
「まだ小さかったからねえ、ジロー君のおばあちゃんとはひとまわりもちがうんだからねえ」
 それでも、出征の見送りをよく覚えていた。
「いっぱい、駅に見送りに来ててねえ、私たちも旗を振ったのよ。みんなニコニコしてたのに、おじいちゃんが見えなくなったとたん、泣き出してたひとがいたのを覚えてるわ」
 僕は祖母からもらった手紙の束の中に、大叔母が祖母に宛てて書いた手紙があったことを思い出した。
 
 ねいちゃん、もんぺいをおくってくれてありがたう。邦子はうれしくてすぐはいたらたいへん、にやいました。毎日學校へはいてゐきます。桂一もお宮さんえかあちゃんがおぶって邦子もついてゐったよ。あしたは、り(※)んじたいさいで、おにいちゃんも戦地でよ(※)うはいをするとおもひます。ねいちゃんもしっかりやって来ださい。さようなら。
  昭和十八年四月二十四日
 
 ちょうど、大叔母は、当時、モモと同じくらいの年だったのだ。まだ、何が起こっているのか、よくわからなかったはずだ。
 大叔母は、祖父に会ったのはほんの数回で、あまり記憶がないという。そのかわり、祖母が一番きれいだったころのことをよく話してくれた。
「そりゃあ美人で、あの当時にしては進歩的なひとだったんだよ」
 海外旅行や映画や洋食が好きな祖母は、当時から進歩的だったようだ。
「なんだか、おじいちゃんの片思いだったような気がするんだよね」
 と、僕がポツリと言うと、大叔母が言った。
「そりゃ、そうだよ。いいひとがいたんだから」
 ショックだった。恋人の浮気を告げられたようだった。やはり、片思いだったのだ。祖母の結婚は、父親が決めたことだ。恋よりも、親の勧める縁談が優先される時代だったのだろう。
 大叔母は、その青年に可愛がられていたそうだ。祖母は、妹をその青年のところに連れていくという口実で、いつも家を出たという。実際、二人が会えば、大叔母は放っておかれ、近くで一人で遊んでいたそうだ。
 それにしても、大叔母の口の軽さに、僕は笑いを抑えるのに必死だった。その口の軽さは、姉譲りだ。僕も祖母にいくつ秘密をばらされたかわからない。
 あまり長居もできなかったので、その重要な情報を得て、大叔母のうちを後にした。
 僕は、祖父が知らなかったことを知って、少し肩を落としながら、雨の中をとぼとぼと歩いていった。
 
 途中、防衛研究所の場所を聞きながら、それらしき建物の前にたどり着いた。制服を着た自衛官が、門番として立っていた。門柱の間には、巨大な有刺鉄線のような車止めが置かれている。不審な動きをしたら、たちまち連行されそうな雰囲気に、少し緊張した。
 僕が門番に頭を下げて、門を通ると、彼は僕に敬礼をした。僕は驚き、さらに頭を深く下げた。門を入ったところの受付で、名前と住所、今日の目的を書類に記入して、僕は防衛研究所資料閲覧室に入った。
 テーブルが置かれていて、数人が資料を積み上げ、なにやら調べている。僕は何をどう調べていいかわからず、途方に暮れた。
 こういうときは、目と耳と口を使うに限る。まず、カウンターに行くと、ベテランに見える司書さんに相談することにした。
「あのう、祖父のことを、調べてるんですが……」
 ネクタイをきちんと締めて、カーディガンを着た初老の司書さんが、おだやかに答えた。
「部隊名とかわかりますか?」
 僕は、暁二九五四部隊と答えた。司書さんは、カウンターを離れ、コンピュータに向かった。何かを打ち込んで、しばらくして戻ってきた。
「船舶砲兵ですね。第二連隊だね」
「はあ、船舶砲兵って何をしていたんですか?」
 司書さんは、まるで答えを用意していたかのように、話し始めた。
 船舶砲兵の任務は、輸送船の護衛。高射砲という大砲で、敵機を打ち落とすのが仕事。しかし、砲弾はほとんど当たらず、輸送船は民間の船を突貫工事で改造したものが多く、敵機の爆弾でおもしろいように沈められたそうだ。
 僕は、祖父の戦死した日にちと場所を言った。司書さんは、海図を広げ、調べてくれた。
「その日のレイテ島東北五十キロのところでは、船は沈んでないねえ」
 せっかく東京まで出てきて、祖父の片思いの事実だけを知って、帰ることになるのだろうか。僕は落胆の表情を隠すことができず、ため息をついた。
 司書さんは、また立ち上がると、奥の書庫に行き、ハードカバーの本を持ってきた。
「これでも、読みなよ」
 その本のタイトルは「船舶砲兵」だった。まさに最適の本なのだが、厚すぎた。四百ページもあり、最初から読んだら終わりまで行きそうにないし、どこをどう読めばいいかもわからなかったが、とりあえずその本を持って、テーブルに着いた。
 僕はすぐ、先ほどの司書さんのところに戻った。
 祖父は将校だったようだが、いかにしてそこまで昇進したのか、訊いてみた。
「祖父は、陸軍士官学校出の職業軍人ではなかったようなんですけど」
 司書さんは、立ち上がって、一冊の本を持ってきて、それを開いて説明した。徴兵されたとき、旧制中学卒ならば、特別幹部候補生の試験を受けることができる。それに合格すれば、さらに一年近く訓練を受け、将校になれたという。謎(なぞ)が解けた。寿司職人の修業中の若者でも、そうやって将校になれたのだ。
 僕はその本も借り、またテーブルに戻ったが、情けなくなるほど知的作業には向いていないことがわかった。本を開いても、読み進む知的持久力が全くないのだ。
 いったん外に出て、ケイタイでうちに電話をかけた。もうそろそろ、モモが学童から帰ってくる時間だ。
「パパ、今どこ?」
「東京。おじいちゃんは?」
「ここにいる。モモがね、お茶いれてあげたんだよ」
「おじいちゃん、何してる?」
「ソファで、テレビ見てる」
「コンビニとか行くなよ」
「わかってるって」
 祖父は、モモにとにかく甘い。すぐにコンビニに連れて行って、中身よりおまけが大きなお菓子などを買い与えるのだ。
「パパ、じゃあね。早く帰ってきてね」
 モモは明るい声で、電話を早く切り上げた。何をしているのか、楽しくてたまらないようだ。
 テーブルに戻り、二冊の本を交互に開いた。モモがうらやましくなった。僕は祖父に会ったことがない。今こうして東京に来ても、祖父の足跡さえつかめないのだ。本に飽きると、僕はモモの子ども、つまり僕の孫は、思いっきり甘やかしてやろうと思った。
 閉館時間が迫っていた。結局、ここまで来てわかったことは、祖父が、簡単に沈められる輸送船に乗って命中率の低い高射砲を撃っていたことと、正規の将校が不足したために急造された将校だったことくらいだ。
 僕はついに眠くなってきた。ふと顔を上げると、司書さんが目の前にいた。
「さっきの部隊名は?」
 僕は部下の手紙をメモしてきた紙を見ながら、船舶砲兵第二連隊第九中隊第三小隊と答えた。
 すると、司書さんが、僕に一冊の文書を手渡した。表紙には、陣中日誌と書いてあった。丸秘と判が押してある。僕は薄い紙をそうっとめくった。
 第九中隊第一小隊の日誌だった。誰が、何時に、何をしたかの報告だ。めくっていくと、第二小隊の日誌になった。そして、第三小隊、見覚えのある筆跡だった。隊長名を見ると、そこには祖父の名前があった。
 僕は立ち上がり、司書さんのところに行った。
「ありました。ほんとに。おじいさんの字です」
「こんなことはめったにないんだよ。全国から、遺族が調査に来るけどね」
 司書さんの笑顔がまわりに伝染した。僕が祖父にようやく出会えたことを、喜んでくれているようだ。
 司書さんにいわれ、その陣中日誌のコピーを依頼する書類を書いた。後日、請求書とともにコピーが郵送される。その書類を書き終えると、五時、まさに資料室の閉館時間だった。
 資料室を出る前に、いろいろと資料をしまっていると、そのうちの一枚に目がとまった。祖父の軍歴の書いてある紙だ。
 なぜ気づかなかったのだろう。今日は、祖父の命日なのだ。祖父が死んで、ぴったり六十年後だった。
 帰りも雨だったが、僕の心は晴れ晴れとしていた。
 僕は心の中でモモに語りかけていた。モモ、パパもおじいちゃんに会ってきたよ、と。
(つづく)

連載 小説(11)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 モモを学童から連れて帰るとすぐ、僕はキッチンに立った。モモはダイニングテーブルで、宿題にとりかかった。
 僕はまずキャベツを千切りにする。そして、ボールに小麦粉をふるい入れ、水を足した。フライパンを熱し、焼きそばをウスターソースで炒(いた)め始めた。ジャーと音がして、湯気が上がる。
「パパ、またでしょ?」
 モモが僕の背中にむかって言った。
「そう、また」
「またか……」
 と、モモはため息をついた。
 炒めた焼きそばを皿にとって、フライパンに水で溶いた小麦粉を丸く広げ、そこにドサッとキャベツを置き、もやし、天かす、焼きそば、豚バラ肉をのせて、塩こしょうを振った。
「モモは戦争反対でしょ」
 僕は振り返って言った。
「そりゃ、そうだけど」
「なら、広島風お好み焼き食べなきゃ」
「でももう、飽きたんだよね」
 広島風お好み焼きをうちで作るのは、なかなか難しい。夏から、何度も作ってきたのだが、なかなか満足のいく味にはならない。何度も試作品を食べさせられたモモが文句を言うのも無理はない。しかし、たとえモモに文句を言われようと、ヒロシマへの思いを込めて、僕はお好み焼きを焼く。
「明日はカレーかなんかにするからさ」
「はいはい」
 モモはまた宿題の漢字の書き取りを再開した。
 残しておいた水で溶いた小麦粉をかけて、へらを二つ使って、お好み焼きを持ち上げ、勇気を出して、ひっくり返した。
「パパ、うまくいった?」
「たぶん」
 へらでぎゅうぎゅう押さえつけると、あんなに盛り上がっていたキャベツが、平たくなった。最後に茶(ちや)碗(わん)の中で卵を割り、少しだけ溶き、お好み焼きを持ち上げ、その下に卵を滑り込ませる。卵が固まるまで待ち、後は皿に取り、広島風お好み焼き専用のソースをかけ、青のりを散らせばできあがりだ。
「パパ、宿題終わった。テレビ見ていい?」
「いいよ。ちょうどできるから」
「じゃ、モモ、へらで食べる」
 僕たちは、広島人を真似して、箸(はし)を使わずに食べることにしたのだ。僕たちはテーブルにつき、モモの音頭で、いただきますを言い、一口食べた。
「パパ、今日のはおいしい」
 たしかに、今日は成功だ。
「Love and Peace な味がするだろ?」
「しない」
「じゃ、ヒロシマを思いながら、食べよう」
「はいはい」
 僕は平和を願いながら、箸を、いやへらを進めた。
 
 以前はモモを早く寝かせつけることに躍起になっていた。時間が刻一刻と過ぎていくうちに、僕は焦りだし、不機嫌になった。平日の夜は、すべきことがたくさんある。宿題、入浴、バイオリンの練習、日記、翌日の準備などをこなしながら、テレビも見るし、本も読む。これらを、寝る前に片づけるのだ。小学校の指導通り九時に寝ていたら、とてもこなせる量ではない。
 それに、子どもがまっすぐ最短距離を進むことは、まずない。子どもの旺盛な好奇心、繊細な感性が、寄り道をさせるのだ。大人がせかせばせかすほど、子どもは最短距離の軌道からはずれていく。
 結局、子どもを早く寝かせたいのは、大人の都合なのだ。焦ったり、せかしたりして、不機嫌になる理由は、思い通りにならないからだ。
 そんなとき、僕は時間にコントロールされている。自分の人生は、自分が主人公で、自分でコントロールするものなのに、そうできないことでよけい機嫌が悪くなるのだろう。
 しかし、このごろでは、僕とモモは、共有する時間と、お互い自分の時間を使い分けられるようになってきた。一緒に何かする時間があり、お互い勝手に好きなことをする時間もあるのだ。これで、ずいぶんと楽になった。
 僕の人生を決めるのは、時計ではなく、僕自身だとわかってから、不機嫌になることも少なくなった。何時になったから何かをするのではなく、何かをしたいから何かをすることにしたのだ。
 あまりにも早寝早起きがいいと聞かされ続けたので、一度、モモと早く電気を消して寝たことがある。僕たちは、暗闇の中で、すっかり退屈してしまった。眠気はさっぱりやって来ず、無意味な時間だけが過ぎていった。ようやく寝ついたのは、いつもより少しだけ早い時間だった。そして、翌朝、眠さはまったく変わらなかった。何時に寝ても、朝は眠いとわかってからは、寝る時間にもこだわらなくなった。
 そして、この夜も、モモがベッドで眠ったのは、十一時近くだった。僕はようやくダイニングテーブルの上のパソコンを前にして座った。秋も深まり、熱い緑茶がおいしくなってきた。
 まず、パソコンのメールをチェックした。
 ため息が出た。雪乃さんからのメールは来ていなかった。孤独に苛(さいな)まれると言った雪乃さんに、僕は何かできることがあれば言ってほしいと書き送った。それから、一週間が経(た)つが、まだメールが届かない。きっと、僕の言葉は、雪乃さんに対して、踏み込みすぎたのだろうか。後悔しても、送ってしまったものは削除できない。
 それから、ブログを書いた。僕とモモと時間の関係について、書きながら、頭の中を整理した。
 それから、祖父のことを書き出してみたが、二行書いて、気に入らなかったので、消去した。書き出しては消去、書き出しては消去、ここ数カ月の間にもう何度も繰り返している。きっと、テーマを押し進めていくためのパッションも資料もイメージもまだまだ足りないのだろう。
 僕は、そのとき、ふと思いついて、パソコンのインターネットに「船舶砲兵」と打ち込んで、検索をかけてみた。千件以上もヒットして、今さらながらネット上の世界の広さに驚いた。
 そして、たどり着いたのはある画家を紹介しているページだった。
 その画家は、船の絵を専門としている。祖父と同じ船舶砲兵だった。乗っていた輸送船が六回も沈没したにもかかわらず、生き残ったという。その画家の名前を検索にかけて、調べてみると、さらに詳しいことがわかった。
 最後の沈没の際、利き手の右手の自由を失い、戦後、海に沈んでいった戦友の鎮魂のため、左手で、資料もほとんど残っていない輸送船を描き続けているという。
 いくら夜型の僕でも寝なくては明日に響く時間になったのだが、興奮して目が冴(さ)えてきてしまった。その画家が、実家のすぐそばに住んでいることを知ったからだ。
 東京の防衛研究所で、祖父の直筆の陣中日誌を見つけて、祖父との距離が近くなったところに、この画家と会うことができれば、さらに祖父に近づくことができるはずだ。
 明日、電話帳でその画家の名前を調べ、電話してみることにした。
 
 モモが、母親のところに泊まりに行った週末、僕は画家のうちに車を走らせていた。手みやげには、緑茶の葉を買っておいた。
 僕が電話をかけたとき、何と呼んでいいのかわからなかったので、先生と呼んだ。むこうは最初照れくさそうにしていたのだが、僕は教わる立場、先生と呼ぶしかなかった。
 先生は、僕が船舶砲兵だった祖父のことを知りたいというと、喜んでくれたようだ。船舶砲兵のことを、語り継ぐのが使命だと思っているとさえ言ってくれた。
 隣町のはずれの田んぼの中に、先生のうちはあった。広い屋敷の少し古風な玄関で声をかけると、トレーニングウェアを着た先生が出てきた。小柄だががっちりとした体格で、一見がんこそうに見え、僕は緊張してきた。
 僕が名前を名乗り、深々と頭を下げ、お茶缶を渡すと、よく来たとねぎらってくれ、応接間に通してくれた。壁一面に、軍艦の絵が飾ってあった。不思議に、その絵が懐かしく思えた。
 僕はソファには座らず、絵を一枚一枚見ていった。
「これは、先生が全部お描きになったんですよね?」
 先生は頷(うなず)いた。
 一番大きな横長の絵は、戦闘の場面だった。火や水柱まで、リアルに描かれていた。これは、見た者にしか描けないだろう。迫力が違った。
 その隣には戦艦大和の絵があった。
「それはプラモデルの箱絵だよ」
 それで、合点した。
「先生、この絵を見て、なぜか懐かしく思ったんですが、そうだったんですね。僕は子どものころ、よく軍艦のプラモデル買ってましたから」
 僕は、そうだったのか、と呟(つぶや)き、何度も頷いた。
「子どものころから、先生にはお世話になってたんですねえ」
 先生の顔が、とたんに、ゆるんだ。なんだか、かわいい笑顔だった。
「レイテの船の上から、大きな船を見たんだよ。それが大和だったんだな。その頃は、そんな大きな船があることは極秘だったからね。とにかく、でっかくて驚いたなあ。しかし、すぐ沈められてしまって……」
 先生は早口で言った。そして、面子(めんつ)にばかりこだわり、そんなに大きな船を造り、しかも失ってしまったことを嘆いているようだった。
 僕は背筋を正した。あの戦争を生き抜いた、歩く歴史とも言える人物を前にしているのだ。乗っていた船が、六回も沈められたにもかかわらず、奇跡の生還を果たし、その後六十年、今日まで生きてきたのだ。
 先生に勧められてソファに座ると、僕は祖父のことを説明した。船舶砲兵第二連隊にいて、中尉だったこと。高射砲を担当して、レイテ沖で戦死したこと。できれば、そのことを文章にまとめたいということも伝えた。
 先生は、第二連隊ではなく第一連隊に所属していて、広島では兵舎が隣だったそうだ。終戦時は上等兵だったという。連隊は違っても、船舶砲兵ということには変わりなく、祖父のおかれた状況についてよく知っていた。
「因(いんの)島(しま)で、祖父は祖母と面会したんです」
「ああ、ドックがあったからな」
「そのとき、祖母が母を身(み)篭(ご)もったので、僕も生まれてきたんです。でも、祖父は娘の顔を見ることはできなかったんですよ」
「そっか……」
 先生は、とたんに涙ぐんだ。そんな戦友が何人もいたそうだ。それから、先生は立ち上がると、段ボール箱を一つ持ってきた。中には、本が何冊も入っている。
「みんな、ここに持ってくるんだよ。今じゃ、図書館みたいだな」
 東京の防衛研究所で目を通した「船舶砲兵」という本があった。
「これは、幻の本ですよ。手に入らないんです」
 段ボールの中には、船舶関係の本が何冊もあった。
「貸してあげるから、じっくり調べなよ」
 僕は何度も頭を下げた。そして、祖父の部下の手紙を見ながら、質問をした。
「いったい、祖父はどんなことを船の上でしてたんでしょうか?」
「中尉なら、小隊長だろう。高射砲ってことなら、指揮をしてたんだな」
 先生は、裏の白い広告を束ねたものを取り出して、鉛筆で船の絵や、高射砲の絵を描いてくれた。さすがは画家だ。わずかな時間で、的確な図を描く。
 船には、たいてい、船首と船尾に二基ずつ高射砲が取り付けられ、小隊長は指揮台に監視係と立ち、二つの高射砲の砲手たちを指揮したという。一つの高射砲は十二人で取り扱うそうだ。
 高射砲のリアルな絵を見ながら、先生の説明はよどみなく続いた。しだいに、僕の頭の中に祖父のイメージが浮かんでいった。
 ある時、先生たちが甲板にいると、敵機の一団が現れ、機銃掃射で攻撃してきたという。先生たちは、慌てて高射砲で応戦した。そのとき、同じ砲手の一人が腹を撃たれていた。戦闘が一段落すると、その砲手が腸をずるずると引きずりながら甲板を歩いてきたという。先生は、その腸を腹の中に戻してあげたそうだ。
「その戦友は、ありがとうって言って死んだんだよ」
 先生の話によると、先生は上官にはそうとういじめられたようだ。戦争の恐怖よりも、やたらと天皇の名を語り威張り散らす上官に絶対服従しなくてはならないことが、つらかったという。
「あんたのおじいさんは、よっぽどいい人だったんだなあ」
「はあ」
「普通、部下から手紙なんてもらわないよ」
 手紙の束には、数人の部下からの手紙があった。どれも、隊長殿にはかわいがってもらったというような内容の文面だった。
 船内でのことを僕はたくさん訊(き)いた。いつ眠っていたのか? 戦闘が始まりそうなときは一時間交代で眠った、と。何を食べていたのか? いつも握り飯と佃煮だった、と。
 船には、兵隊以外にも、船長以下船員、炊事などをする軍属などがいたという。
 ある日突然、民間の船が軍に徴用され、軍事輸送船となる。突貫工事で、改造され、兵隊が乗り込んできて、戦地へと物資を届けるという危険な任務を遂行することになる。軍人ではない船員や軍属も、その死地への旅に同行することになるのだ。
 軍人でさえ、死の恐怖を克服するのは、並大抵のことではなかったはずだ。船員や軍属たちの恐怖は、それ以上だっただろう。
 突然、僕は幸福感に包まれた。現在、死を強要されることはなく、モモと暮らせることが、ありがたく感じた。
 先生は、最後の沈没のとき、利き手の右手を負傷した。ぶらぶらになった右手を体にしばりつけ、傾き持ち上がる船首から海に飛び込んだ。海に浮かんでいると、運良くやがて救助されついに帰国することができた。
 戦争が終わっても、右手は不自由なままだった。実家の家業の塗装業をしながら、絵が好きだった先生は、利き手ではない左手の訓練にと、絵筆をとった。
「そしたら、戦友たちが乗り移ったかのように、手が動き出したんだよ。海の写真を見ても、波が揺れて見えるようにもなった」
 先生は、明けても暮れても、船の絵を描いた。輸送船ばかりだ。
「俺が描かなきゃ、戦友たちも忘れられちゃうからな」
 戦友の鎮魂にと、先生は船を描き続けた。
「見たことのない船も描けるようになったのが、不思議だったなあ」
 そのうち、先生の活動の場が広がり、戦記の挿し絵やプラモデルの箱絵なども依頼されるようになったそうだ。
 先生は、軍事郵便のはがきを何枚か見せてくれた。そこには、船のスケッチが描かれていた。
「将校たちが、船の絵を欲しがったから、何枚も描いてあげたよ。おかげで、何人かの上官にはよくしてもらったよ。みんな戦死したけどね。このころは、右手で描いてたんだ」
 先生は、当時、独身で、手紙を書き送るひともいなかったので、はがきを集めて、いろんな船の絵を描いていたという。
「あまった葉書を戦友からかき集めて、俺は絵を描いたんだよ。戦友にも何枚もくれてやったよ」
 葉書のそんな使い方もあったのだ。もし、祖父だったら、一枚残らず、祖母に手紙を書いていただろう。
 人間が生きるとは足跡を残すことだ。先生は絵で、祖父は恋文で、足跡を残したのだ。しかし、その恋文は、僕がコンピュータに打ち込んだところで、やがて忘れ去られてしまうだろう。やはり、祖父のことを書かなくてはならない。足跡は、継承されなければ、消えてしまうのだ。
 先生と、海図をテーブルに広げて、資料を見ながら、調べてみた。昭和十九年十月十八日、レイテ東北五十キロ。祖父が戦死したというその日、その場所で、沈没した船は書いてなかった。
 先生は、また他の資料を持ってきてくれた。太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑という三万円もする大型本や戦時輸送船団史、続・船舶砲兵、数冊の回想文集などだ。
「これ全部貸してあげるから、じっくり調べるといいよ」
 気づいたら、三時間が過ぎていた。そこで、僕はそろそろお暇(いとま)することにした。
「先生、まだまだ元気でいてくださいよ。また、いろいろ教えてもらいに来てもよろしいですか?」
「ああ、いつでも、いらっしゃい。あと五年は元気だと思うから」
 と、先生は笑った。
 最後に、先生の仕事場を見せてもらった。
「この頃は、こんな絵も描いてるんだよ」
 田園風景の絵だった。打ってかわって、平和な光景ばかりだった。船の絵の激しくも精巧なタッチとは違い、素朴でやわらかいタッチの絵だった。
 先生が、そのような絵も描くと知り、僕はうれしくなった。
「こっちはね、まだ勉強中なんだよ」
 戦争の話をしているときは、勇ましく見えたが、今は少し照れていて、やさしいおじいちゃんにしか見えなかった。
 段ボールの箱いっぱいの資料を借りて、僕は先生のうちを後にした。
 運転をしながら、僕の頭の中は整理できないままの情報であふれていた。箱いっぱいの資料に目を通すことも思うと、気が遠くなった。
 僕は先生が最後に見せた照れて、やさしい笑顔を思い出していた。最初先生は元日本兵にしか見えなかったが、最後は絵が好きでたまらない絵描きにしか見えなかった。
 ゆきがかり上、軍艦ばかり描いてきた先生だが、本当は田園風景のようなのどかなものを描きたかったのかもしれない。きっと戦争がなかったら、そんな絵ばかりを描いていたのだろう。
 
 その夜、僕はひとりでうちにいた。夕ご飯は、近所のラーメン屋ですませた。料理とは、誰かのためにするものなのだろう。あんなに毎日料理をするのが好きだったのだが、モモがいなくなると、料理をする気がまったくといっていいほどなくなってしまうのだ。
 意味もなく、ただテレビをつけっぱなしにしながら、ソファに座り、借りてきた資料が入った段ボール箱から、本を出しては戻し、また出してはまた戻しと、そればかり繰り返していた。その段ボール箱が、一瞬、太平洋の大海原のように思えた。すぐ近くの海から、東南アジアの浜までつながる歴史の資料がつまっているのだ。その海のどこから漕ぎだしていいものか、さっぱりわからない。
 そして、ダイニングテーブルの前に座り、パソコンを立ち上げた。
 期待しないようにと思うのだが、それでも期待しながら、メールボックスを開いた。
 メールが一通届いていた。雪乃さんからだった。実際、待ちこがれていたメールが来てみると、期待を不安が上回っていった。
 
ごぶさたしてしまいましたね。ごめんなさい。
>僕にできることが、何かあったら、いつでも言ってください。
こんなにやさしい言葉かけていただき、光栄です。
では、一つ、お願いを。
ジローさんは、ジローさんらしく生きてください。
ジローさんの存在が私にとって、どれだけ励みになっているか、はかりしれません。
それでは、また。
 
 僕はそのメールを暗記するほど、何回も読んだ。ここ数年忘れていた感情が体の奥から湧(わ)き起こるのを感じた。
(つづく)
連載 小説(12)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 放課後、僕は一時間の有給休暇をとり、駐車場へと急いだ。ジャージ姿の運動部員とすれ違うと、・さよなら」と大きな声で挨(あい)拶(さつ)をしてくれる。中には「先生もう帰るの?」と訊(き)いてくる男子生徒がいた。これから夜遅くまで練習するので、嫌みのつもりだろう。
 「ちょっとね。がんばれよ」
 「どこ行くの?」
 「映画」
 「え、これから?」
 「そう」
 「お嬢さんと?」
 「そう」
 「明日、学校じゃん」
 「そんなことわかってるって」
 「いいなあ。俺も行きたいよ」
 「ま、部活がんばれ。あばよ」
 と言いながら、僕は走り出していた。時間がないのだ。
 映画館までは、車で一時間はかかる。しかしそれは渋滞していない場合だ。もし道路が込んでいたら、もっとかかってしまうだろう。
 モモの小学校の駐車場に車を停め、まだ忙しそうに仕事をしている先生たちがいる職員室の前を小さくなって通り、モモがいる学童へ迎えに行った。
 「モモ、急げ」
 「わかってるって」
 僕たちは声をそろえて、コーチと呼ばれる指導員に「どうもありがとうございました」と言った。
 「お父さん、お出かけですか?」
 「今日は、ちょっと会合があって……」
 と、僕は嘘(うそ)をついた。平日の夜に、子どもを映画に連れていくなんて、とても言い出せなかった。
 車へと急ぎながら、モモが言った。
 「なんで、嘘ついたの?」
 「これから映画行くって言ったら、みんなうらやましがるだろ」
 「あ、そっか」
 「今日、字幕?」
 「そう」
 小学校三年生だと、字幕の何%くらいを読めるのだろう。僕は、僕が見たい映画にモモを連れていくので、たいてい字幕の洋画となる。モモが言うには、読めない漢字は適当に想像して読み、それでもストーリーはわかるらしい。
 「また字幕か……」
 「今日のは絶対おもしろいよ」
 「ならいいけどさ」
 僕は映画がおもしろいことと、ラブシーンがないことを祈った。
 ラブシーンになると、モモは顔を伏せ、僕が合図したら顔を上げることになっている。事前に、どの程度のラブシーンがあるかわかるようにしてくれると、ありがたい。そういうサービスはあるのだろうか。
 今日の映画は、子どもが主人公なので、まず大丈夫だろう。
 
 この日は運良く、道路が空いていて、少し早めに県庁所在地に着いた。そこで夕暮れの街を歩くことにした。映画までにまだ一時間ほどあった。
 本屋に寄った。マンガが欲しいというモモを無視して、ひときわ僕たちの目を引いた絵本を一冊買った。パステルカラーで描かれた個性的な横長の顔の人物の絵が、モモ好みだった。タイトルは「パパのカノジョは・、こちらは僕好みだった。
 映画のときにいつも立ち寄るイタリア料理店でパスタを食べながら、一緒に読んだ。
 シングルファーザーと暮らす少女の話。パパに新しいカノジョができた・とても変わったひと・野菜ばかり食べ・チューバを吹き・パパには赤ちゃん語で話す。
 しかし、カノジョはいつでも少女の味方だ。学芸会では、一番大きな拍手をしてくれ、機嫌が悪いときにはそっとしておいてくれ、話を聴くときはテレビを消してくれる。パパの新しいカノジョは、少女にとって、ちょっといい感じなのだ。今のところ。
 「これ、モモのにしていい?」
 「気に入った?」
 「うん。だから、モモのにする」
 「だって、うちにおいとくんだから、二人のなんじゃないの?」
 「ダメ、モモのにする」
 ここに、マジックがあったなら、モモは名前を書いていただろう。僕との共有物に名前をマジックで書き、自分のものにするのがモモの常(じよう)套(とう)手(しゆ)段(だん)だ。
 「じゃ、パパにいつでも貸してくれるならいい」
 「わかった。でも、ちゃんとモモに貸してって言うんだよ」
 「はいはい」
 うちに置いておくのだから、どちらのものでも構わないと僕は思うのだが・モモはそうは思わないらしい。
 Imagine no possession・(想像して、所有なんてない、と)、イマジンの三番の歌詞の一節を思い出し、僕は吹き出しそうになった。
 
 この映画館は、小さな映画館だ。上映する映画は、県内ではここでしか見られないものばかり。ドル箱ハリウッドスターが出たり、ディズニーのキャラクターが出たりすることは決してない。
 僕たちがチケットを買い、整理券を受け取ると、そこの若い女性が言った。
 「字幕ですけど、大丈夫ですか?」
 モモのことを心配しているのだ。
 「漢字が読めなかったら、想像させますから」
 モモは頷(うなず)いていた。
 ロビーのソファに座ると、モモが言った。
 「パパ、あのひと、新しいひと?」
 「たぶんね」
 と、僕はモモの肩を叩いた。
 僕につきあわされ、ここでもう何本も字幕映画を見てきたモモは、子ども扱いされたことが少し悔しいのだ。しかし、この映画館で子どもはいつもモモ一人だ。彼女の心配も無理はない。
 「あーあ」
 と、モモがため息をついた。僕にはわかっていた。ここでは、館内で、僕たちの好物のキャラメル味のポップコーンを食べられないのだ。
 「ま、次はポップコーン売ってるとこで映画見ようぜ」
 僕はロビーにサービスで置いてあるキャンディーを二つ持ってきて、モモの手に握らせた。字幕映画は見られるようになっても、まだまだ子どもである。
 
 今(こ)宵(よい)の映画は、昆虫が大好きな少年が主人公。余命数カ月と宣告された脳腫(しゆ)瘍(よう)患者だ。彼には夢があった。幻の青い蝶(ちよう)を、死ぬまでに見ること。そこで、彼のヒーローである著名な昆虫学者に、無謀にも、いっしょに蝶を探しに行ってほしいと直談判する。
 彼は、シングルマザーと暮らしている。彼女もその夢を応援する。彼の情熱が伝わり、ついに昆虫学者は、蝶を探す旅に出る決意をする。そして、三人は、コスタリカへと旅立っていく。
 僕は、美しいコスタリカと、美しいシングルマザーにすっかり魅せられていた。
 政情不安定な中米にありながら、軍隊を持たない国として有名なコスタリカは、世界で最も多くの種の生物がいることでも知られている。エコ・ツーリズム発祥の地。自然を守ることで、観光客が増えるという好循環。
 それにしても、シングルマザー、いくら女優とはいえ、魅力的すぎた。
 僕はモモの耳元に囁(ささや)いた。
 「あの子、頭に何かできて、もうすぐ死んじゃうんだよ」
 「わかってる」
 と、モモがうるさそうに答えた。こちらから、語句を説明するのは、失礼なのだろう。
 
 帰りの車の中で、モモが助手席でパンフレットを見ながら、訊いた。
 「あの話、本当にあった話なの?」
 「らしいよ」
 三人は、そうとう苦労した後、ついに幻の青い蝶に出会うことができた。そして、十年後、主人公のモデル本人はまだ生きているという。その旅を終えると、腫瘍が消えていた。夢には、そんな力があるのだ。
 おもしろかったのは、主人公が、母親の恋を応援しているところ。なんとか、尊敬する昆虫学者と仲良くさせようと、気を配るのだ。日本では、ちょっと想像しがたい場面だ。
 「あ、パパ、宿題」
 「そっか……」
 「漢字と算数のプリントあるよ」
 うちに帰れば、十一時頃だろう。
 「朝やる?」
 「そうする。パパ、起こしてよ」
 「ラジャー。じゃ、シート倒して、もう寝な。明日早いから」
 僕は、右手でハンドルを握りながら、左手でなんとか後部座席にあった毛布をとって、モモにかけた。
 「パパ、ありがと」
 「遅くなって悪かったな。これも芸術のためだ、許してくれ」
 「うん」
 モモは目をつぶった。車に乗ると、すぐ眠たくなるのだ。
 芸術至上主義は、我が家の家訓でもある。学校の宿題くらいは、ときに犠牲にしなくてはならない。
 夜の景色の見えない道路を進みながら、映画のシングルマザーのことを考えていた。なぜ、僕はそんなに惹(ひ)かれるのだろう、と。
 たぶん、それはシングルマザーが自立していて、男に媚(こ)びていないからだろう。そんな凛(りん)とした姿が、美しく見えるのだ。太陽に照らされて光る月ではなく、自ら光る太陽のように。・元始、女性は太陽であった」のだ。
 家事を覚え、ようやく自立しかけた僕は、もう寄りかかって生きていきたくはない。お互い、自立した人間どうし、寄りかからず、寄りそう。それに、憧(あこが)れるのだ。
 うちに帰ったら、このことをブログに書こう。雪乃さんもきっと読んでくれるはずだ。
 
 夕食後は、バイオリンの練習の時間である。毎年、この季節には発表会が行われる。モモは、ソロで一曲弾くことになった。実は、僕も発表会に参加することになってしまった。バイオリン教室の生徒全員で合奏をするので、モモといっしょにそれに加わるのだ。曲はカノン、三つのパートに別れ、同じメロディを輪唱のようにずらして弾く。
 さすがに、この頃は怠け者の僕たちも練習に熱が入ってきている。ふだんより十分ほど長く練習をするようになった。
 まず、モモがソロの曲を練習する。その後、二人でカノンだ。
 僕はCDをかけた。二小節後、僕が弾き始め、また二小節後、モモが弾き始める。もう一カ月近く練習しているのだが、CDとあわせて弾けたことがない。何度弾いても、つっかかり、途中でどこを弾いてるのかわからなくなってしまう。
 「モモ、速いって。ちゃんとCDにあわせろって」
 と、僕が自分の下手さにいらつきながら、モモに言った。
 「パパが遅いんだって」
 「そんなことない」
 モモも僕もお互い、決して自分の非を認めない。
 もう一度、CDを最初からかけ、僕たちは弾き始めた。また、CDについていけなくなってしまった。僕はCDを聴こうとするのだが、モモのバイオリンも耳に入ってきて・どちらにもあわせられなくなったのだ。
 「ちゃんとCD聴けって」
 「パパが聴いてないんだって」
 「モモが速いって」
 「もう、パパと弾かない」
 モモは怒鳴って、ベッドルームに行ってしまった。
 この頃・三回に一回は・このように喧(けん)嘩(か)になってしまう・バイオリンは・僕たちの生活の中では主要な位置を占めるのだが、芸術至上主義もなかなか大変である。
 モモが楽譜を僕に投げつけ、その楽譜が破れてしまったのは、その翌日のことだった。
 
 モモは、破れてセロハンテープで補修したカノンの楽譜とバイオリンと日記を持って、母親のところで週末を過ごすことになった。ブランチをとり、うちを出て、途中、コンビニで楽譜をコピーした。いつも一つの楽譜を二人で見ていたのだが、モモが泊まりに行っている間は、別々に練習するため、僕も楽譜が必要なのだ。
 そのコンビニの駐車場が、待ち合わせ場所だった。彼女は赤いスポーツカーでやってきた。車から降りると、僕は少し目をそらしてしまった。完(かん)璧(ぺき)なメイクにファッション、まぶしすぎたのだ。あいかわらずヒールも高かった。
 「いつも、娘がお世話になります」
 と、僕は大げさに頭を下げた。彼女は笑って答えた。
 「こちらこそ、いつも娘がお世話になります」
 僕は大笑いしてから、彼女にもう一度頭を下げた。モモの発表会の衣装のことを頼んだのだ。
 「オッケー。今回は、私のドレスを作りなおすから」
 「じゃ、タダ?」
 「もちろん」
 と、彼女が自慢げに微笑むと、モモがクチをはさんだ。
 「パパ、ラッキーだね」
 僕たちは右手の親指どうしを擦(こす)りあわせた。
 前々回の発表会は、ドレスを新調した。あまりにもそれが高かったので、前回は貸衣装にした。そして、今回は彼女のリフォームと、年々安上がりになっている。これも仕方がないことだ。モモはこれからバイオリンを子ども用から大人用に買い換えなくてはならないので、ここでお金をかけすぎるわけにもいかないのだ。
 「パパ、これからどうするの?」
 「映画かな」
 「ずるい」
 「じゃ、ママと楽しんできな。バイオリンちゃんと練習しろよ」
 「パパもね」
 手を振るモモを乗せて、車は走り去っていった。
 
 発表会当日、小さなホールの会場、モモの母親は後ろのほうに座っていた。いつもながら、背筋が伸び、姿勢がよかった。最前列には、僕の母が座っている。僕は合奏の出番が近いので、入り口寄りの席に、彼女とも母とも距離をとって座り、モモの出番を待った。
 そして、薄い緑色のワンピースを着たモモの登場だ。モモがスカートを履くのは、一年でこの発表会の日くらいだ。今回の衣装はさほど派手でなく、これまででは一番まともだと思った。それにしても、モモの発表のときは、自分のときよりも緊張する。モモはいったい緊張しているのだろうか。
 数分後、演奏は終わった。モモは、つっかかることなく、練習のとき以上も以下もなく弾いた。
 僕は緊張から解放され、控え室に戻って、自分のバイオリンの調弦をした。すぐにモモが帰ってきた。
 「パパ、すごい緊張したよ。どうだった?」
 「ま、よかったんじゃない」
 「ママと話してきた。これも」
 モモは、花束をもらってきた。そして、椅(い)子(す)に座ると、ペットボトルの冷たいお茶を飲み、リラックスしていた。ソロを終え、そうとう力が抜けたようだ。
 ついに、合奏の順番がまわってきた。モモは何も緊張していないようだったが、僕はさらに緊張してきた。そして、先生について、大人の生徒さんや、モモたち小さな子どもたちと、ステージに向かった。
 通路で、僕はモモに訊いた。緊張しないのか、と。
 「全然。だって、間違えても、合奏ならわからないもん」
 たしかにそうだ。少しは、リラックスしてきた。
 数分後、カノンの合奏が終わった。
 「あんなに練習したのになあ」
 と、僕がため息をつくと、モモが僕の肩を叩いて、言った。
 「まあまあ」
 いつか、先生が言ったことを思い出していた。合奏には、上(う)手(ま)いひともいれば、下手なひともいる。速く弾くひともいれば、遅く弾くひともいる。調弦があっているひとも、いない人も。それでいいのだ、と。いろんなひとがいてこそ、幅のある重厚なハーモニーが生まれる、と。
 とりあえず、僕はハーモニーの幅を広げることだけには、貢献できたようだ。
 
 うちの中が、花であふれ、いい香りだ。モモが母親からもらった花束が一番大きくて、まずダイニングテーブルの中央に置いた花瓶に入れて飾った。参加賞の小さな花束もあったので、生ビールのジョッキに差した。
 母も、僕とモモに花をくれた。こちらは、鉢植えだ。感動で目を潤ませた母は、合奏の後、それを僕に手渡しながら言った。ジローの生き方は間違っていない、と。母の前では、今回は、演奏よりも、生き方が問われたようだ。とにかく、母は何でも肯定的にとらえてくれるので、助かることが多い。カノンの弾き方は何度も間違ったが、生き方は間違ってないということなので、よしとしよう。
 だいぶ疲れていたが、僕はキッチンに立っていた。モモのリクエストで、ハンバーグを作っている。タマネギとシイタケのみじん切りと卵と挽肉をこね、塩こしょうとナツメグを入れたタネを、フライパンで焼き始めた。赤ワインを振りかけ、ケチャップとウスターソースと醤(しょう)油(ゆ)を混ぜたソースをからめてできあがりだ。
 タネは余分に作り、冷凍しておいた。ハンバーグは祖母の好物、今度、実家に持っていくことにした。
 キッチンタイマーが鳴った。
 「モモ、ごはんだよ」
 蒸らしの時間が終わったのだ。僕は野菜とハンバーグを盛りつけた。ごはんをよそうのはモモの仕事だ。モモはミトンを両手にはめて、炊飯用土鍋の蓋(ふた)をとった。
 このごろ、ごはんを土鍋で炊くようになった。つやのあるごはんが炊きあがり、本当においしい。
 僕は緑茶、モモは牛乳で、お互いをねぎらい乾杯をして、ごはんを食べ始めた。
 「うまい」
 「あ、自分で言ってる」
 「うまいものは、うまい」
 「パパ、たしかに、うまい」
 僕たちは、ぼんやりテレビを見ながら、箸(はし)をすすめていた。そのとき、モモが呟(つぶや)いた。
 「なんか、嫌なんだよなあ」
 そして、男性の名前を君づけでポツリと言った。
 「え?」
 「ママをとられるような気がするんだよね」
 モモもそのことを知っているとは、少し驚いたが、もうそろそろ、そういったことも知っておいたほうがいいだろう。
 「たまにはデートもいいんじゃない?」
 「ううん」
 「ママも人生を楽しまなくっちゃ」
 「うん」
 「べつにママがモモのママじゃなくなるわけじゃないんだしさ。ママから楽しみとっちゃダメだって」
 「そりゃ、そうだけど……」
 僕はデザートを用意した。カスピ海ヨーグルトだ。残り少なくなったら牛乳を足せば増殖するヨーグルト。今日はブルーベリージャムを入れた。
 デザートが終わった頃、それまで口数が少なかったモモが、突然、きっぱりと言った。
 「そりゃ、そうだよね」
 「そうそう。ま、パパともデートしたい女のひといるかもしれないしさ」
 「はあ」
 と、モモが語尾をあげた。
 「だから、あの『パパのカノジョは』みたいにさ」
 「ああ、大丈夫。いないから」
 と、モモは確信して言った。
 「わからないよ」
 「いるわけないって」
 「いるかもしれないよ。少しはファンだっているかも」
 「ああ、それはね。パパの本が好きなだけで、パパが好きなわけじゃないから」
 僕は無言で、ダイニングテーブルの上にあったパソコンを立ち上げた。
 「それがさ、いるんだよなあ。きっと」
 満を持してメールボックスを開いた。そろそろ、雪乃さんのメールが来る頃だ。
 「いないって。いるわけないって、心配いらないって」
 モモが執(しつ)拗(よう)に言う。そういうひとがいないほうが、僕自身は心配だ。
 しかし……、メールは一通も届いていなかった。
 「いるわけないか……」
 と、僕はため息をついた。
 「そうそう」
 と、うれしそうに言うモモが、ひさしぶりに憎たらしくなった。
 「Absence makes the heart grow fonder」
 と、僕の口からこぼれた。
 「何それ?」
 「何でもない」
 僕の好きな英語のことわざだ。・不在は愛を深める・。祖父も戦地で、なかなか届かない祖母からの恋文を待ちながら、愛を深めたのだろう。その気持ちの何分の一かを理解できたような気がした。
 「モモ、ガチャンしろよ」
 「はいはい」
 ガチャンとは、食後に食器をシンクまで運ぶこと。モモがこれをしなかったら、うちでは翌朝まで食器がテーブルにのっている。
 なぜ、僕はここまで落胆しているのだろう。皿を洗いながら、ずっと考えていた。
 僕は雪乃さんの不在を感じていた。雪乃さんは、たしかにパソコンの画面上の言葉にすぎないので、これまでも不在だったのだが、いつしか目の前にいる以上の存在感を持つようになった。こうして、雪乃さんからのメールが途絶えてみると、ただ会えない以上の不在を感じるのだ。
 たしかに、不在は愛を深めるのかもしれない。
(つづく)

恋文(下)

       連載 小説(13)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 雪乃さんからメールが来ない日々が続いている。もうすぐ十二月、押入からオイルヒーターを出したばかりだ。
 平日の夕食後、モモの反対を押し切ってテレビを消して、ようやく静かな夜になった。
「モモ、宿題終わったの?」
「まだ」
「じゃ、すぐやる」
「はいはい」
 僕は紅茶の入ったマグカップを持ってソファに座り・本を開いた・この頃、不在と愛の関係の研究をすすめているのだ。モモが・宿題に集中できず・話しかけてくるたびに、僕は本から目を離さず適当に答えた。
「パパ、聞いてるの?」
「聞いてるって」
「いつも本ばっかり」
 僕は一息ついて、本をパタンと閉じた。
「じゃ、好きなだけ話して。聞くから」
「もう、いい」
 と、モモがぶっきらぼうに答えるので、僕はまた本を開いた。
「ほんと、本ばっかり」
 僕がまた本を閉じると、モモが言った。
「本読んでて。モモは宿題やるから」
「なんか、話そう。小学校のことでもさ」
「もういいって」
「はいはい」
 僕が読んでいるのは、『夜と霧』。著者のフランクルはユダヤ人、第二次世界大戦中、強制収容所に入れられ、充分な食べ物も命の保証もなく、生死の境をさまよった。そのときの記録である。
 ある朝早く、フランクルたちは極寒の中、強制労働の現場まで、ぬかるみを行進していた。少しでも隊列を乱すと、監視兵に容赦なく長靴で蹴(け)られた。歩けないものは、歩けるものの肩を借りて歩いた。
 そのとき、フランクルは妻に会ったのだ。もちろん、実際に会ったわけではない。不在の彼女をしっかりと胸に感じたのだ。
 フランクルは言う。
「思いつく限りもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、充たされることができるのだ(※)」
 心が震えた。
「愛は人が人として到達できる究極にして最高のもの・
 僕はその言葉を何度か繰り返し呟(つぶや)いた。
「パパ、何?」
 と突然モモが話しかけてきた。
「ちょっと、これよくない?」
 僕はその言葉を繰り返した。モモは、僕の言葉を聞き流してから、言った。
「宿題終わったから、テレビつけてもいいでしょ?」
「はいはい」
 僕は集中力を維持するたたかいに挑みながら、ページをめくった。テレビの音というのは、無駄に騒がしい。特にCMの音が耳につく。
 何度も一進一退を繰り返しながら、読み進めていくと、また心が震える文章を見つけた。
「愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり本質に深くかかわっている」
 フランクルの妻は、当時、別の収容所に入れられていた。彼女が生きているかどうか、フランクルには知るすべがない。結局、フランクルは家族で一人だけ生き残り、彼女とは再会することはなかった。そのフランクルは、監視兵の怒号にせかされ、つるはしを振るいながら、妻を思う。
「妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもどうでもいい。それはいっこうにわたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった」
 僕は愛を知った気になっていた。しかし、まったく愛を知らなかったことに気づいた。愛とは、それほどまでに深い感情、いや行為なのだ。
 フランクルは、見えない妻を見ていた。それは存在を超えた存在だった。
 いよいよ、テレビの音に耐えられなくなり、ソファのモモに目をやると、モモは自分で毛布を掛けて、眠っていた。
 僕はテレビを消して、祖父のことを思った。祖父は、簡単に沈められる輸送船の上で、死がすぐ目の前まで迫ってきているときに、きっと祖母と語っていたのだろう。
 そういえば、祖父は洋上で書いていた。
 
 別れてから又二ヶ月余りになりましたね 僕はなんだか長く会わない様な気がしてなりません 本年は洋上に於(お)いて新喜を迎へ感慨深きものが有りました 内地は厳寒の候というのにこちらは汗びっしょり流して遥(よう)拝(はい)式を挙行しましたので何だか正月の気分はなかったね この頃は毎晩良い月夜で南十字星が夜空に輝いて居り月を見ると無骨な自分も歌の文句を思い出しセンチになります
 
 千里離りょと思いは一つ
 同じ夜空の月を見る
 
なんて俺にも似合わない歌を口(くち)吟(ずさ)みます 弱気な男だと思って笑ふでないよ
又俺は口ヒゲを生やし始めたよ 然(しか)し内地帰りの時には落としますよ 又御前に笑われますから 又有る人曰(いわ)くヒゲを生やすと口づけの時ヒゲが鼻に入って困るから落とせとね ハァ……
自分達の結婚一周年記念になりますね 一緒に居れば有意義な事も出来ませうがこんな遠く離れては仕方有りません
然し奈良への行楽は我々一生の中にも良き思い出の一つだろうと思います あんなに楽しい一日は今までに有りませんでした あの時を思い出しては又一人微笑んで居ります
此度の帰りは遅くなるだらうと思いますから便りも何時御前の所へ行くか解(わか)りませんが 便りのない間は元気で働いて居ると思って居て下さい 今度は男として働き甲斐の有ると思います 御前も正月で大変忙しいでせうと察します 共に一戦を銃後に於いて頑張りませう 又二人楽しく送る日が有るのですから それを楽しみに僕も御前にだけ苦労はさせません では呉(くれ)々(ぐれ)も体に十分気を付けて僕の帰りを待って居て下さい
 
 土曜日、僕とモモが新しく行くところができた。兄がデイケアに行くことになり、その施設に兄を迎えに行くようになったのだ。母によれば、市の福祉サービスで行けることになったらしい。兄は平日の昼間は施設に通い、毎週末は実家で祖母と過ごしていたのだが、これからは土曜日だけ、その施設で世話になることになったのだ。朝連れていくと、昼食と夕食まで出て、夜八時まで預かってくれ、困ったときには、宿泊することもできる。母いわく「兄ちゃんの終(つい)の棲(すみ)家(か)も見つかった」ということだ。もし誰も兄の面倒を見られなくなっても、障害者年金で、その施設にお世話になることができるのだ。
 そのことを母と電話で話していたのを聞いたモモが言った。
「兄ちゃん、もう帰ってこないの?」
「帰ってくるよ。だから、迎えに行くんだって」
「だって、ずっと預かってもらえるって言ってたじゃん」
「誰も面倒見れなくなったらだって。大きいおばあちゃんが死んで、じいじとばあばが死んで、パパがよぼよぼになったら、困るだろ」
「モモが面倒見る」
「あ、そっか。じゃ、頼むよ」
 僕たちは、右手の親指と親指を擦(こす)りあわせた。
 施設は、町のはずれの田んぼの真ん中、街灯もない淋(さび)しいところにある。玄関に車を横づけすると、職員が押す車椅(い)子(す)に乗せられた兄が笑顔で出てきた。
「兄ちゃん、楽しかった?」
 と・僕が訊(き)くと・兄は動く方の右手の指を鳴らした。
「ナイスナイスだ。兄ちゃん楽しかったんだね」
 と、モモが兄の肩を叩(たた)いた。
 兄は人気があるらしく、見送りに二人の女性が来ていた。
「また、来てね。今度はまた土曜日だね」
「気をつけて帰りないよ」
 二人の髪は白いものが混ざっていた。彼女たちにとって、ここは終の棲家なのだろう。
 モモは助手席を兄に譲り、後部座席に座った。助手席が兄の指定席なのだ。僕は兄を車に乗せた。ちょっとしたコツがあり、僕が軽く手を添えるだけで、兄が上(う)手(ま)く座ると、みんなが兄をほめた。兄はうれしそうに微笑んで、指を鳴らした。
 車が走り出すと、モモが言った。
「兄ちゃん、モテモテだったね」
「そう、パパみたい」
「パパ、自分でそういうこと言わないほうがいいよ」
「はい」
 途中・コンビニによって・兄のためのカフェ・オレを買った・そして・いつもの公園の駐車場に車を停めて・兄にストローで飲ませた・これも兄の日課の一つだ。
 祖母のいる実家に着き、ひと息すると、やがて両親が寿司を持って帰ってくる。
 土曜の夜は寿司と決まっているのだ。僕はちらし寿司、モモはツナ巻きだ。
 ようやく、家族全員集合して、団らんとなる。といっても、家族は好き勝手に過ごす。モモは父の膝(ひざ)に座り、母はビールで晩(ばん)酌(しやく)を始める。祖母は、・冬のソナタ」以来ファンである韓国ドラマを見る。僕は兄のそばで座椅子に座り、兄の面倒を見ながら、『夜と霧』の続きを読んだが、集中することができなかった。
 寝るときは、僕とモモは祖母の部屋に行き、川の字に横になった。
 モモが寝入ると、僕はいつものように祖母に祖父のことを聞いた。この夜は、結婚の頃の話だった。
 
 日曜日の午後、モモは隣の座敷でちゃぶ台に向かっていた。月末が近づいているのに、今月号の学習帳がまだ終わってないのだ。かなりたまっているようだ。月末までに終わらせないと、月がかわってからテレビ禁止になる。これは僕が決めたうちのルールだ。テレビ好きなモモは、それは困るので、必死になっている。
 僕はまた居間で、兄のそばで座椅子に座って、膝にパソコンをのせている。昨夜聞いた祖母の話を書きとめようとしていたが、細かな情景がなかなか浮かばなくて、うまく進まなかった。
 兄がちゃぶ台に手をつき・腰を上げて・僕を呼んだ・パンツを下ろして・おしっこさせろという意味だ。
「兄ちゃん、ダメ。自分でやらなきゃ」
 僕は決めていた。今日一日で、兄がパンツを下ろせるようにすることを。かつては一人でトイレに行っていた兄、多少老化が進んだといっても、それくらいはできないわけがない。
 兄は、さらに大きな声を出すが、僕は無視。モモが、隣の座敷から、声をかけた。
「パパ、兄ちゃん、うるさいよ」
「今日は自分でパンツ下ろせるようになるまでがんばるんだから、我慢して」
「じゃ、兄ちゃん、がんばって」
 モモに声をかけられた兄はにっこりして、いったん腰を下ろした。兄の左手は完全に使えない。兄は一人で立つこともできない。だから、膝立ちになり、右手一本でパンツをおろすのだ。時間はかかったが、なんとか兄はパンツを自分で下ろすことができた。
 ここで、褒(ほ)めなくてはいけない。
「兄ちゃん、えらかったね。できたね、すごいね」
 と、僕が騒いでいると、モモも隣の座敷からやってきた。
「兄ちゃん、やったね」
 と、モモは兄の頭をなでた。兄は、指を鳴らした。パンツを履くのは難しそうだったので、それは僕が助けた。
 すると、大きな変化が起こった。これまで、兄はひどいときには、五分に一回くらい尿意を訴え、本当に憎たらしくなるほどだったのだが、頻繁に訴えなくなったのだ。この変化は、大きな進歩である。
 たぶん、兄にとって、おしっこは家族の気をひくための行為で、尿意があったわけではなかったのだろう。これからは自分でパンツを下ろさなくてはならなくなったので、さすがの兄も面倒になったにちがいない。
 しばらくして、また兄が尿意を訴えたときは、洗濯をしていた祖母を呼んできた。
「あれやあ、兄ちゃん、自分でできるようになっただねえ」
 祖母とモモと僕で、拍手をした。兄は笑顔で、指を鳴らした。
 祖母は、兄がおむつをとったときの話をした。当時、兄は四歳、まだおむつをはめていた。祖母と兄は、養護施設に泊まり込んで、歩行や言語の訓練をしていた。祖母は、おむつのことで、他の保護者から悪く言われたという。親がちゃんとしつけしてないからできないのだ、と。
 そんなある日曜日、他の障害者や保護者が帰省していたため、祖母は朝からトイレを独占して、兄を便座に座らせていた。何時間も。しかし、兄はなかなかおしっこをしなかった。それでも、祖母はトイレのそばでずっと待っていた。
「そんときゃ、私ぁ、鬼になっただよ」
 最初は怒っていた祖母も、長期戦になると、手を合わせて拝んだという。
 そして、ついに、兄は生まれて初めてトイレでおしっこをした。祖母は涙を流した。兄も一緒に泣いた。
 何度聞いても、いい話だ。子どものころから数え切れないほど祖母から聞いたことがあるが、何度聞いてもいい話だ。
「兄ちゃんは何でもできるだよね」
 と、祖母が兄に話しかけた。兄はうつむいたまま、ニコニコしていた。
「いつも、日曜日は兄ちゃんとデパート行ったっけねえ。まだ兄ちゃんが舗装靴履いてたもんで、バス乗ったりするの大変だったねえ。それで食堂行っただよね」
 兄もそのことを覚えているのか、うれしそうに祖母の話を聞いていた。
 今日一日で自分でズボンとパンツを下ろせるようになり、おしっこの回数が減ったことは、それ以来の大きな偉業である、と僕は思った。
 そして、モモが、ようやく学習帳を終わらせた。
「パパ、もうモモの部屋行ってもいいでしょ」
「はいはい、どうぞ」
 モモは縁側廊下の一角に自分の部屋を持っている。モモに甘い僕の父が、古いテレビとビデオデッキと座椅子を置き、タンスで仕切って作ったのだ。秘密基地っぽくて、モモのお気に入りだ。
 その後、兄は何度かズルをして自分でパンツを下ろさずおしっこをしようとしたが、僕も昔の祖母にならって鬼となった。
 僕とモモのこの頃のテーマは自立だ。自立したものどうしでなくては、助けあえない、と思う。兄はもちろん自立などほど遠い重度の障害者なのだが、それでも自ら立とうとする姿勢がなくてはいけないと思う。
 寄りかかる関係は続かない。寄りそう関係でなくては。愛とは、寄りかかるものではなく、寄りそうものなのだから。
 僕は兄を励まし続けた。
 兄のパンツを下げることが上達すると突然、物語が胸の奥から湧きおこってきて、僕の手が動き始めた。
 
 きほは、車窓から冬の枯れ野を眺めながら、悔しさと腹立たしさに口を真一文字につぐんでいる。汽車はやがて目的の駅に着く頃だった。向かいあう席の老夫婦をちらりと見ると、駅弁を一つずつ買って膝にのせていた。その包み紙には、・熱だ!力だ!協力だ!総力戦一人一人がみな戦士」などと、書かれている。ほんの数週間前の年の暮れ、日本が真珠湾で成果を上げて、米英と戦闘状態に入ってからというもの、そんなものが町にあふれている。しかし、きほにとっては、戦争はまだ遠い国でのことだった。頭の中は、今、次雄とのことしかなかった。
 汽車を降りると、正月の雰囲気がすっかりなくなった町を、空っ風に吹かれ、下駄を鳴らしながら、次雄のもとへと急いだ。歩いて五分とかからないところに、次雄の家はある。次雄の母が女将として料亭を営んでいて、次雄は、すでに板前の修業を終え、家業を手伝っている。
 この縁談は、むこうから一方的に申し込んできたものだ。何度か断ったにもかかわらず、結局、きほの父親が勝手に決めた縁談である。とは言うものの、きほはその運命を引き受ける覚悟はできていた。次雄が、男前でこそないものの、何度か会ううちに、何とも言えず安心感を与えるところに、思いも芽生えつつあったのだ。
 料亭の勝手口にまわり、そこにいた女中に声をかけると、すぐに奥座敷に通された。火鉢が一つぽつんと置かれた、きれいに片づいた部屋だった。
 先ほどの女中が茶を出すとほぼ同時に、前掛けをほどき右手に握りしめながら次雄が入ってきて、きほの前に正座してうなだれた。
「どういうことなの? 婚約を破棄してもかまわないとは」
 と、きほが切り出した。昨夜、きほの家に電話があった。次雄の母親が、きほの母親にそう告げたのだ。
「それだけしか聞いてないのか?」
「そうだけど。それにしても、ひどい話じゃない」
 次雄のうちも商売屋なら、きほのうちも魚屋で商売屋だ。おたがい、急いで電話に応答して、何かを聞きもらしたのかもしれない。
 次雄は、いったん立ち上がり、その部屋から出て、手紙らしきものを片手にすぐ戻ってきた。
「これが来たんだよ」
 きほは、また正座した次雄から、それを手にとり、本当に赤いことに驚いた。
「召集令状ってことは、次雄さんも戦争に行くってこと?」
 次雄は頷(うなず)いた。きほは、汽車の中で向かいに座っていた老夫婦の弁当の包み紙を思い出した。総力戦、一人一人がみな戦士。ついに、戦争が目の前にやってきたのだ。
「俺は、今度また軍に戻れば、将校だ。でも士官学校を出たわけじゃなく、急造の将校だから、最前線に行かなくちゃいけないんだよ」
 少し間があった。それで、ようやく、きほにも話がわかってきた。
「そんなの、また生きて帰ってくればいいことじゃない」
「ことはそう簡単じゃないんだよ」
「まさか、それで婚約破棄しようと思ったわけ?」
 次雄は頷いた。
「次雄さん、死ぬつもりなの?私を残して?」
「生きて帰りたい気持ちはあるさ。でも、喜んでくれ。お国のために戦えるんだ……」
 次雄は前掛けを握りしめ、うつむいて、黙った。
「ままならないんだよ」
 それが、次雄の口からようやく出た言葉だった。
「私は結婚するって決めたの。だから、今日はもう帰る。入隊まで、まだ日があるんでしょ。それまでに式を済ませなくちゃ」
「いいのか?」
 次雄は顔を上げなかった。
「決めたの。もう、決めたんだから」
「すまない」
 きほは、背筋を伸ばしたまま、なんとか笑顔をつくった。これ以上何と言っていいかわからず、その部屋を出た。
 来た道を、風に吹かれながら、足早に戻っていくきほを、次雄は慌てて追った。
「待ってくれよ。送っていくから」
「お店はいいの?」
「だいじょうぶ。俺は手伝いのまねごとしてるだけだから」
「じゃ、洋画にでも行きましょうよ」
「今から?」
「そう、今から。この町は小さいけど映画館があるから好き。『スミス氏都へ行く』を見たいな」
「それは、上映されないよ」
「どうして?」
「アメリカ映画だから」
「そんなの誰が決めたの?」
「だから、ままならないんだよ」
 きほは、・ままならない」という言葉に腹立たしくなった。これから、そんなままならないことばかり起こるのかと思うと、いっそう怒りが込み上げてきた。
 結局、その日は二人は駅で別れた。別れ際、改札口できほが次雄の耳元に囁(ささや)いた。
「私、決めたんだから。次雄さんを、好きになるって」
 二人は手を握りあうこともなく、次雄は立ちつくし、きほは軽やかに帰っていった。
 
 僕はこの文章を祖母に読んで聞かせようと、一瞬、思ったが、やめた。
 いつしか、夕食の準備の時間になっていた。買い物に行かなくてはならない。祖母は、僕がつくる夕食を楽しみにしている。
「おばあちゃん、夕食、どうする?」
「なんだか、肉を食べたいやあ。ずっと食べてないでね」
 モモが話に入ってきた。
「じゃ、焼き肉にしよう。おばあちゃんも食べたいって言ってるから」
 魚屋に生まれ、幼少から魚を食べ続けてきた祖母は、今では肉が大好きなのだ。
 夕食後、僕とモモはうちに帰った。
 雪乃さんからのメールが久しぶりに来たのはその夜だった。(つづく)

連載 小説(14)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 モモが寝静まった日曜日の夜、僕はダイニングテーブルの上にパソコンを置き、スイッチを入れた。そして、早速、メールボックスを開いた。少し投げやりな気持ちだった。どうせ雪乃さんからのメールは来ないだろう、と。
 はたして、メールが一通届いていた。
 僕は自分に言い聞かせた。落ち着け、舞い上がるな。これが最後のメールですとかそんなことが書かれているかもしれない。
 件名は、・おひさしぶりです」だった。
 
 ずいぶんとご無沙汰になってしまいましたが、ジローさんはお元気でしたか?
 今日、ようやく私のコンピュータが修理から戻って、ネットにつながりました。ジローさんに最後にメールをしたそのすぐあと、コンピュータの画面に何も映らなくなったのです。
 メールが途絶えていた日々がとても長く感じました。
 今、こうしてメールを書きながら、本当にホッとしているんです。
 ジローさんとのメールは、私にとってはライフ・ラインですから。
 重荷に感じたとしたら、ごめんなさい。でも、事実なのです。
 会うことはなくても、ジローさんのコトバに触れることに、癒(いや)されるのです。
 もし、私のことを覚えていてくださり、ご迷惑でなかったら、お返事お待ちしています。
雪乃
 
 僕はそのメールを何度も読み返した。明日からまたがんばろう、と思った。特に何をがんばるというわけでもないのだが、日に日に寒くなるにつれて熱を失いつつあった気力をまた取り戻すことができた。
 楽観的なはずの僕が、雪乃さんからのことに限っては、悲観的に考えていたので、とにかく安心した。
 そのとき、僕はふと気づいた。これまで悲観的になるのは決まって恋をしているときだったと。
 僕は雪乃さんからのメールに浮かれてもいたのだが、たった一文が気になり、また悲観的になってしまった。雪乃さんは、・会うことはなくても」とたしかに書いていた。以前のメールにも、僕は肉体をともなわないコトバであるとも書いていた。
 つまり、雪乃さんは、僕と会う気はないということなのだ。(※)DVのサバイバーである雪乃さんは、もう男性に近寄れないのだろうか。
 僕はダイニングテーブルに両肘(ひじ)をつき、うなだれるあごを両手で支え、大きくため息をついた。
 
 僕の学校もモモの小学校も冬休みに入った。
 暮れも差し迫った頃、うちも世間に習って、大掃除なるものに挑戦した。しかし、目標としていたイメージの半分ほど終わったところで、僕はモモを乗せて、車を運転していた。
「パパ、あんないい加減でいいの?」
 大掃除のことだ。
「いいよ。死ぬわけじゃないし。いい加減が、よい加減なんだって」
「まだ汚いとこあったよ。ガラスとか網戸とか」
「それは、春休みにやればいいんだって。春のほうがあたたかいから、窓開けたりしても寒くないし」
「ふーん」
「モモはいつ四年生になる?」
「次の四月」
「そう、春は新しい年が始まる季節でしょ」
 モモは僕の家事理論に納得したのか、もう質問してこなかった。
 僕は町で一番大きな本屋の駐車場に車を停めた。正月用の本を買いに来たのだ。この正月も寝正月と決め込んでのことだ。
 モモは「チョコレート工場の秘密」という児童文学の本を選んだ。
「パパ、早くしてよ」
「ちょっと、待って」
 僕はDVとジェンダーの本を一冊ずつ選んだ。
「なんでパパだけ二冊なの?」
「これは勉強だって」
「ずるい」
 納得いかないモモはもう一冊本を選んできた。マンガだった。僕は渋々レジで精算して、包装を断り、バッグに本を入れ、少しきれいになったうちに戻った。
 
 大掃除の残りを春休みに延期してからというもの、師も走る十二月、しかも年の暮れにも関わらず、僕とモモは意外にうちでのんびりとしていた。
 起きるのは毎日昼近く、ブランチを食べ、テレビを見て、それに飽きると本を読んだ。
 モモはオイルヒーターの近くに小さく丸くなって座り、・チョコレート工場の秘密」を読みふけっていた。僕はソファで、DVの本とジェンダーの本を交互に読んだ。僕は飽き性なので、並行読書が好きなのだ。
「パパ、何か飲みたい」
「じゃ、ココア飲もう」
「いいねえ」
 僕たちはジャンケンをした。僕が勝ったので、モモがココアを準備した。ただマグカップに牛乳と粉末ココアを入れ、レンジでチンするだけだが、これが冬はとてもおいしい。
 僕の読んでいる本は、その甘くて温かいココアとは対照的だった。DVとは、どこか遠いところのことだと思っていたのだが、DVの芽はまわりにいくらでもあることがわかった。まるで小さいうちに芽を摘んでおかないと大変なことになるバオバブの木のように。星の王子さまの小さな星に生えるバオバブの木は、放っておけば、太い根を深く張り、星をこわしてしまうほど大きくなってしまうのだ。
 DVの本には、暴力について、詳しく書いてあった。まず、暴力の目的について。それは、こわがらせ、自由を奪い、コントロールすること。
 たとえば、妻が外出しようと思っても、夫に怒られるのが恐くて、外出できないでいる。これが、すでにDVなのだ。たとえ、身体的暴力がなくても、恐がって、自由を失い、コントロールされているからだ。
 暴力の性質は、上から下へ、つまり強いものから弱いものへと向かい、下に行くほど増大していく。たとえば、高校の部活などで、三年生に叱られた二年生が、一年生をさらにひどくしごいたり、と。
 きっと対等なパートナーどうしなら、暴力など存在しないのだろう。
 ふと、学校を思い出した。教師が、生徒を恐がらせて、自由を奪い、コントロールしていないだろうか、と。これは学校では、めずらしいことではない。
 僕は、たしかに、モモの母親から、自由を奪い、彼女をコントロールしていた。僕が家事や子育てに参加しないことで、彼女にそれらすべてを押しつけ、彼女の自由を奪い、結果的に、彼女をコントロールし、独占すべく、うちに閉じこめていたのだ。
 冬の日は短く、いつしか暗くなってきた。ずいぶんとおとなしくなったモモは、ヒーターの前で、猫のように丸くなり眠っていた。僕は灯りをつけ、もう一杯ココアをつくり、続きを読むことにした。
 暴力の下降増大の法則は、軍隊でも見られたことだ。会社でうだつの上がらない男が、うちで妻にいばるというのも、この法則だ。上にペコペコ、下にビシビシ、少なくないオトコたちは、この法則を生きている。強きに弱く、弱きにはめっぽう強い。
 僕はふと子どものころ、本物のプロレスラーを近くで見たことを思い出した。とにかく、山のように大きいのだ。背が高く、腕や足が太く、胸板が厚かった。女性にとっての暴力夫は、僕にとってのプロレスラーのようなものだろう。
 僕は初めて、恐いと思った。とても腕力ではかなわない相手が怒ったときの恐怖は尋常ではないはずだ。
 雪乃さんの味わった恐怖は、僕の想像をはるかに超えたものだったはずだ。雪乃さんが、言葉を重視する理由が、少しわかったような気がした。暴力の対極にあるものが、まさに言葉だからだ。
 
 大(おお)晦(みそ)日(か)の夜、僕とモモは実家にいた。昼間、僕たちは多少店や実家の大掃除を手伝い、今は実家の面々と、紅白歌合戦を見ながら、天ぷら蕎(そ)麦(ば)を食べている。
 この日、京都の料亭のお節料理も宅急便で届いた。これは毎年、僕がボーナスで買うことになっている。
 年を越さない年越し蕎麦を食べ、フライングでお節をつつくことが、我が家の伝統行事だ。
 僕は蕎麦を食べ終わると、隣の座敷のテレビで格闘技を見始めた。お気に入りの歌手が出たときだけ、居間に行った。
 紅白歌合戦が終わり、行く年来る年が始まると、僕とモモは出かける準備を始めた。いちおう、十二時になり年が明けるのを待ち、実家の面々と新年の挨(あい)拶(さつ)を交わしてから、車に毛布や防寒具を積み、乗り込んだ。
 僕たちは初(はつ)日(ひ)を見に行くのだ。今年で二回目、二回続けば、我が家の伝統行事の一つになるだろう。僕もモモも早起きが苦手なので、軽キャンピングカーで、海辺へ行き、朝まで眠り、起きたらすぐに初日を拝むという計画だ。
「これ持ってきないよ」
 と、母が追いかけてきて、使い捨てカイロをモモに手渡した。
 僕たちが向かったのは、実家から一番近い海岸である。途中のコンビニで、飲み物やパンを買い込み、駐車場に車を停めた。耳を澄ませば、車の中まで波の音が聞こえてくる。
 僕は地球に申し訳ないと思いながら、エンジンをかけたままにして、暖房をつけっぱなしにした。そうしないと、寒さで眠れないだろう。
 僕の車の後ろの部分は、絨(じゆう)毯(たん)が敷いてあり、ちょっとした部屋になっている。
「なんか心細いね」
 と、モモが言った。まったく同感だ。
「じゃ、ラジオもつけっぱなしにしておこう」
 人の声がすれば、多少、気も紛れるだろう。
 寝袋にくるまり、その上に毛布を掛けて、僕たちは並んで横になった。体の下から、エンジンの振動と熱が伝わってくる。
「パパ、目覚ましかけた?」
「だいじょうぶだって」
「何時に太陽のぼるかわかってるの?」
「七時前くらいだよ」
 モモの心細さが、眠さに負けたようだ。お年玉の使い道について話しあっているうちに、モモは眠ってしまった。
 一方、僕はなかなか寝つけないでいた。
 僕は本を開いた。DVの本は読み終えたので、ジェンダーの本だ。オトコらしさが、いかに権力者によってつくられてきたかが書かれていた。咲いて散るより、散って咲け、桜のように潔く国のために黙って死んでいくオトコらしさは、戦争を遂行する為政者たちによってつくられたのだ。
 本を閉じて、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。ラジオでは、どこかの女優がすでに新年の抱負を語り始めていた。今年は、映画に挑戦し、役作りに力を入れたい、と。
 俳優が演じるということは、台本を読んで、表情を作り、体を動かすだけではないらしい。与えられた役になりきって、実生活を送るのだそうだ。どんな食べ物をどんなふうに食べるのか、どんなものが好きなのか、これを見たらどう思うのか、あれをしたらどう感じるのか、すべてが理解できて、自分の血となり骨となったとき初めて、いい演技ができるというのだ。
 まだ若そうなその声に、力を感じた。役作り、それは小説にもいえることだろう。
 ラジオの音量を下げ、気持ちよさそうに眠るモモの隣に横になると、目をつぶった。
 
 俺は今朝目覚めて、驚いた。いつも見る天井板の木目の模様が違ったからだ。すぐに、他の座敷だと気づいた。妻をめとったらここで一緒に寝起きするようにと前々からいわれていた座敷の天井だったのだ。
 簡単に八幡神社での婚礼儀式、このうちの大広間での三三九度をすませ、新婚生活初めて迎えるこの朝は、俺の出征の朝でもあった。隣におそらく眠っていたきほは、すでに台所にでも立っているのだろう。きほの布団は、足下に畳んで置かれている。枕元には、軍服が畳んで置いてあり、それを見るとぎゅっと身が引き締まった。その上に、赤い点々のついた手ぬぐいがあった。俺はうつぶせになり、布団の中から両腕を伸ばし、その手ぬぐいを手にとった。千人針の実物を見たのは初めてだ。広げてみると、・武運長久」の文字と虎の絵が、縫い目の赤い点線で描かれていた。
 後悔の念が心の奥底から、込み上げてきた。昨夜は飲み過ぎた。昨夜の宴席で、親戚に加え、町の青年団の団員までが、めでたいめでたいと酒を注ぎにきた。俺は団長ゆえ、団員からの酒は断るわけにもいかず、勧められるがままに素直に飲み続け、気づいたらこの朝を迎えてしまったのだ。どうして、きほとの時間を過ごさなかったのだろう。話したいことは、山ほどあったのだ。俺は千人針を握りしめ、涙をこぼしそうになった。こぼさなかったのは、きほが朝食の準備ができたと、呼びに来たからだ。
 俺は即座に布団の上で正座して・きほに頭を下げた。
「すまない。昨日はお前と話もしないうちに酔っぱらって寝てしまって」
「私、怒ってるわよ」
 きほはなぜか笑顔だった。
「本当にすまない」
 俺は酒を呪った。酒の失敗は過去何度かあったが、まさかこんな大事なときに失敗するとは思わなかった。
 きほが俺と向かいあって正座して、千人針を持った俺の手に触れた。
「これ作るの大変だったんだから」
 急いで、作ったのだ。知人にはみな頼み、針で縫ってもらったという。きほの手に力が入ると、きほの目が潤んだ。きほは涙をこぼす前に、さっと立ち上がって台所に戻っていった。
 きほは何も言わなかったが、俺にはそのことがありがたかった。生きて帰ってきてと言われても、立派にたたかって死んできてと言われても、俺はどうしていいかわからない気持ちになっただろう。
 やはり、結婚はすべきではなかった。
 子どものころからの教育と、日頃の鍛錬で、死ぬ準備はできていた。国のため、家族のため、そしてきほのためにたたかい、俺の命とひきかえに国や家族やきほが救われるのなら、笑って靖国の神になるつもりだった。その気持ちに嘘はない。人間は誰もがいずれ死ぬのだ。それならば、咲いて散るより、散って咲くだけだ。
 しかし、俺はきほを妻として迎えた。惚れた女とようやく夫婦になれたのだ。きほと一回でも多く会いたい、一日でも長く暮らしたいと思う気持ちが生じるのは、自然なことだろう。困るのは、生きたいと思ってしまうことだ。
 国のために死にたいというのも事実なら、きほのために生きたいというのも事実だった。まったく正反対のどちらも、心の事実で目には見えないが、決して消すことはできない。
 俺は、両親ときほを呼んで、正座して爪を切った。いつも気丈な母は何も言わず切った爪を紙に包んだ。父は、何か気が利いたことを言いたかったのだろう。そういう性格だ。しかし、何も浮かばなかったのか、ずっと黙っていた。俺が自分の感情を言葉にできなかったように、父も感情を言葉にできなかったのだろう。今は沈黙がありがたかった。
 
 玄関を出ると、驚くほど多くの日の丸が振られている。空が澄んでいて、いつも吹いている空っ風は止んでいた。一瞬、目がくらむほどのまぶしさを感じた。
 背後にきほがいることはしっかりと感じていた。隣組で用意したのか、のぼりまで立っている。
 万歳がところどころで起こった。歌も始まった。
  勝ってくるぞと勇ましく
  誓って故郷を出たからは
  手柄立てずに死なりょうか
  進軍ラッパ聞くたびに
  まぶたに浮かぶ旗の波
 振り向くと、きほも歌っていた。きほと軍歌が似合わなくて、目があうと、お互い微笑みがこぼれた。
 いくつもの種類の感情が同時に胸のうちに巻き起こった。感情が胸からはちきれそうになるのを、軍服と外(がい)套(とう)が押さえ込んでいた。俺は背筋を伸ばし、皆に敬礼をした。
 万歳合唱が起こり、また「勝ってくるぞと勇ましく」と歌い始めた。
 裏のうちの子どもも来ていた。近所のじいさんばあさんも、遠い親戚も近い親戚も集まっていた。みな、日の丸を振りながら、俺を駅まで見送りに来てくれた。
 俺は先頭を歩きながら、出征の見送りのしきたりはよくできたものだ、と思った。恐怖や不安や疑問など抱えていても、前へ前へと背中を押してくれるからだ。このしきたりは、出征兵士たちに躊(ちゆう)躇(ちよ)することをまったく許さない。そのおかげで、覚悟は決まるものの、一方では、残酷なような気がした。
 駅のホームに入ってきたのは、身内だけだった。これで少しは話ができるので助かった。
「絶対に会いにいくから」
 と、きほが言った。
「ああ、頼む」
 面会の機会くらいはあるだろう。幸い、俺は将校だ。内地にいるときは、兵舎の外に下宿することになるはずだ。
 きほの右手が、俺の左手の袖に触れていた。俺は両親や親戚の面々にまなざしを送りながらも、意識は左手のその部分だけに注がれていた。きほの好きな洋画なら、ここで抱きあっていることだろう。
「むこうに着いたらすぐ手紙を出すよ」
「ちゃんと行き方も書いてね。会いに行くんだから」
 汽車に乗ると、ホーム側の窓際に座り、まわりの乗客に頭を下げ、窓を開けさせてもらった。汽車が走り出し、俺は窓から身を乗り出して、帽子を振った。汽車はぐんぐんと俺をきほたちから引き離し、きほの姿がどんどん小さくなっていった。
 
 なにやらにぎやかな人声が聞こえてきて、僕は目が覚めた。もう外は明るくなっていた。
「モモ、起きろ、朝」
 モモは見慣れぬ場所で目覚め少し驚いたようだ。
「ああ、初日の出か」
 昨夜は一台も停まってなかった駐車場に車がたくさんあった。僕たちがマフラーと手袋をして外に出ると、ひとの流れが逆なことに気づいた。どうやら、帰っていくようだった。
「モモ、走れ」
「ちょっと待ってよ」
 浜まではすぐだ。防砂堤の階段を上りきると、一気に海が目の前に広がった。そして、すでに太陽は水平線を離れていた。
「パパ、もう太陽出てるよ」
「すまん、目覚ましかけわすれた」
「もう、楽しみにしてたのに。また一年待たなくちゃいけないよ」
「ま、ちょっと遅れたけど、あれは初日だからさ、拝んどけば」
「何を?」
「世界の平和」
「はいはい」
 僕たちはとりあえず太陽に向かって手を合わせた。
 すると、こちらに金髪の若者が歩いてきた。
「先生、今頃来たの?」
 僕が工業高校に勤めていた時の生徒だった。当時はなかなかの問題児で、今は自動車の部品を作っているはずだ。
「まあね」
「ちょっと遅くない?」
 彼と後ろにいた仲間が笑った。
「寝坊した」
 彼らがさらに笑った。彼も高校生の時はよく遅刻していたにもかかわらず。それにしても、この海岸に誰よりも早く来たにもかかわらず、寝坊したのは、たしかに情けない。
 僕はモモの肩に手をまわし、今年初めての太陽に向かっていった。
「今年のスタートは最悪だ。だけど、あとはよくなるだけ。スタートは悪いくらいがいいんだって」
 娘はしばらく間をおいて言った。
「はいはい」
 僕たちが肩を組んで、砂浜を帰っていくと、背後から彼らの声が聞こえてきた。
「すげえ、プラス思考」
「ある意味、かっこよくねえ」
 僕は振り向かなかった。時には、背中で教えることも大切なのだ。
「パパおなか空いた」
「帰ったら、おもちが待ってるよ」
 僕は早く祖母の雑煮を食べたくなった。きんぴらごぼうとなますと黒豆も、祖母がつくってくれてある。そんなにおいしいものは、世界にもそうないだろう。
「パパ、初日に何お願いした?」
「モモは?」
「ないしょ。パパは?」
「パパも内緒かな」
 実は、世界の平和に加え、雪乃さんのこともお願いしたのだ。(つづく)

連載 小説(15)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 モモが、ソファで毛布にくるまったまま、眠ってしまったころ、僕のケイタイが鳴った。モモの母親からだった。
「いつも娘がお世話になります」
 と、僕が少しおどけて言った。
「こちらこそ、いつも娘がお世話になっています」
 いつもの挨(あい)拶(さつ)を交わした後、彼女が言った。
「今週末、モモを借りていい?」
「どうぞ、どうぞ。いつでも、どうぞ」
 この前、モモが泊まりに行ったとき、彼女はモモの宿題の様子を見て、心配になったそうだ。
「私、算数のドリル買ってきたから、モモにやらせてみる」
 僕たちは、しばらく、モモの教育について話した。彼女は、僕以上に、そのことを真剣に考えていた。
「この前なんか、一桁(けた)の計算、指使ってたんだから。もう三年生なのに」
 驚きだった。それは問題だ。一年生の時、モモは二十くらいまでの暗算はできたはずだ。毎晩のように、僕がストップウォッチで計り、モモは、時には泣きながら、計算をしてきたのだ。
 彼女の分析によると、僕が芸術至上主義を掲げ、情操教育ばかりに熱を入れた結果らしい。
「そっか、調子に乗りすぎた……。ごめん」
「だいじょうぶ、まだモモは小さいから挽回可能」
 彼女の考えでは、芸術至上主義は間違っていない、と。ただバランスをとるべきだ、と。その通りだと思う。
 ここで、一回電話を切って、僕からかけ直した。
「いいのに」
「まだ、僕のほうが稼いでるからさ」
「そうね」
「慰謝料代わりに」
 彼女はふき出した。
「やっぱり、慰謝料もらっとくんだった」
 僕は彼女にいろいろと自慢したくなった。
「飲み会なんて、この頃、全部断ってるよ。もし行くなら、モモと一緒。二次会なんて、もう何年も出てないから」
「ああ、そうなの。どうせ飲めないんだから、ちょうどいいんじゃない」
 たしかに、その通りだ。僕は酒が苦手だ。
「仕事だって、サボりまくり、断りまくり、休みとりまくり、すっかり干されてるんだから」
「ああ、そうなんだ。でも、クビにならないでね。モモの教育費稼いでもらわなくちゃ」
 まったく、その通りだ。
「組合活動なんて、すごいよ。今は、月一回、組合の新聞にコラム書くだけなんだから。しかも、在宅勤務で」
「へー、変わったんだ。あんなに燃えてたのに」
「そうそう。だから、もうとにかく絶対出世の見込みはなし。どう?」
「それはすごい」
 ようやく、信じてもらえたようだ。
「料理だって、毎日作ってるんだから」
「インスタントラーメンしか作らなかったのに?」
「必要に迫られれば、覚えるんだって」
「信じられない」
「ま、うちは散らかってるけどさ」
「それは想像がつく」
 少し間があって、彼女はポツリと言った。
「もっと早くからそうなってればよかったのに……」
「そりゃ、無理だって。僕は痛いめにあわなきゃ、気づかないタイプだから」
「かもね」
 また間があって、彼女が言った。
「再婚は?」
「しないよ。もしかして、するの?」
「いつかはしたいなあ」
「え、結婚はもうこりごりとか言ってたくせに」
「そんなこと、私言った?」
「ま、いいけど。その時はお幸せに。じゃ、週末、モモを頼むよ」
「はい、お預かりします」
「おやすみ」
「おやすみ」
 長い電話だった。三十分以上話しただろう。離婚後、彼女とこんなに長く話したのは初めてだった。こんなに笑って話したのも、初めてだ。
 すっかり熟睡して重くなったモモをベッドまで運び、僕はまたソファに戻り、パソコンを膝にのせて、ブログを書き始めた。
 
 「あったかい気持ち」
 
 冷たい気持ちでもなく、熱い気持ちでもなく、
 あったかい気持ちなんです。
 離婚して、もうすぐ三年になります。
 一緒に暮らしていた頃は、
 いつもお互いイライラしていて、
 あんなに毎日ケンカしていたのに、
 今は、嫌なことはあまり覚えていないのです。
 離婚ホヤホヤの頃は、
 彼女のことを思い出すだけでも、ムカムカしたのに、
 この頃は、彼女には、あったかい気持ちしか残っていないのです。
 
 だからといって、よりを戻したいというわけではないんです。
 彼女が、誰を愛そうと、それもいいんです。
 ただ、彼女のことを思うと、あったかい気持ちになるんです。
 こんな気持ちもあるとは、知りませんでした。
 
 あの頃は、激しく恋すればするほど、お互いを傷つけあっていました。
 それはおそらく、お互い、相手を自分のモノにしようとしあっていたからでしょう。
 ひとは、誰も自分のモノにはできないし、誰のモノにもなれないのに。
 
 ジョン・レノンのLoveという歌の一節。
 Love is free・
 
 今はその意味が分かるような気がします。
 愛とは、束縛とは無縁なもの。
 そう、愛は、自由なんです。
 
 彼女には、彼女らしく生きて、幸せになってほしいんです。
 ま、余計なお世話でしょうけど。
 今、彼女と出会ってよかったな、と心から思います。
 彼女との出会いがなくては、娘との出会いもなかったわけですから。
 
 このあったかい気持ちは、もう熱くなったりも冷めたりもしないような気がします。
 そして、この気持ちを知ってからの恋は、ちょっと違ってくるような気がするんです。 
 僕はこの文章を書き終えてから、・ある愛の詩」の中のセリフを思い出した。
 Love means not ever having to say sorry・
 (愛とは決して後悔しないもの)
 きっと人生には無駄な出会いなどないのだろう。彼女と結婚したことは正解だったと思う。
 僕はふと立ち上がった。急にモモの寝顔を見たくなったのだ。
 
 その翌日の夜九時近く、彼女が残業を終えてから、モモの迎えに来た。
 モモがいなくなってからパソコンを立ち上げると、雪乃さんからメールが届いていた。
 
 「こんばんは」
 
 昨日のブログ、とっても共感しました。
 Love is free なんてステキな言葉。
 さすが、ジョン・レノンですね。
 ジョン様とお呼びしたほうがいいかしら(笑)
 
 でも、私は元夫と、ジローさんたちのような関係は築けそうにありません。
 絶対に。
 私は近寄ることも、声を聞くこともしたくないんです。
 ジローさんは、きっと理想の離婚相手なんでしょうね。
 そんなこと言われてもうれしくはないでしょうけど(笑)
 
「あったかい気持ちを知ってからの恋は違ってくる・、と書いていましたよね。
 ジローさんが、この先、どんな恋をするのか、興味津々です。
 
 それでは、また。
 
 僕は寝る前に、そのメールを何度も読んだ。
 僕が理想の離婚相手だということが、少し誇らしくなってきた。理想の離婚相手は、そう簡単になれるものではないだろう。僕はひとりで声を出して笑った。
 
 その週末、土曜の夜は、いつものように兄を施設まで迎えに行き、実家に行った。
「モモちゃんがいないと、さみしいねえ」
 と、祖母が何度も僕に言った。
「いつも一緒だから、何とも思わないよ」
 と、僕は何度も同じことを答えた。
 両親が店から帰ってきても、同じことを言った。僕はまた同じことを何度も言った。そして、いつもモモと一緒にいない彼女こそさみしいのだろう、と思った。今頃、モモがむこうの家を明るくしているにちがいない。
「ほい、あれ見るかね」
 と、祖母が言った。祖母との会話には、以前から「あれ」が多いのだが、この頃では僕はだいぶ分かるようになってきた。
 祖母が押入の奥から、衣装ケースを出してきた。中にはカーキ色の軍服が入っていた。厚手の布のコートだ。その存在を母から聞いて、見せてほしいと祖母に頼んでおいたのだ。
「何度洗っても、油の染みがとれなかっただよ」
 言われてみれば、色がくすんでいるような気がする。重油の染みだという。
 袖を通してみた。ぴったりとサイズがあった。
「あんた、やっぱり生まれかわりかもしれんねえ」
 そして、祖母はそのコートにまつわるエピソードを話してくれた。前にも何回か聞いたことがあったのだが、今回は僕がいろいろ質問したので、今までになく詳しく話してくれた。
「そんなの昔のことだで、細かいとこまで覚えてないやあ」
 と、祖母が何度か言った。しかし、細部こそ肝心なのだ。なかなか情景が浮かばなくて、もどかしくなった。
 祖母と枕を並べて、電気を消しても、僕と祖母は話し続けた。祖母が眠った頃、僕は目が冴えてきてしまった。そこで、座椅子に座り、暗闇の中パソコンを立ち上げた。不思議だった。一行書いたら、資料で読んだことと、祖母の話や祖父の手紙が、少しずつつながっていった。
 
 輸送船の船尾には、敵機を撃ち落とすための高射砲が二台とりつけられている。一台の高射砲は、砲手十二人で扱い、それぞれの高射砲を分隊長が監督する。二台の間には高くなった指揮所があり、そこに観測と監視を担当する兵士と、この小隊を指揮する小隊長が立つ。中尉である次雄は、その小隊長だ。
 陸軍ではあるが、船に乗るのが次雄たち船舶砲兵だ。海軍船と輸送船のもっとも大きな違いは、海軍の船は装甲されているのだが、輸送船の多くは民間の船を徴用して、塗りかえ、高射砲を取り付けただけのものが多く、装甲はされていないことだ。だから、敵にとって、海軍船に比べ、輸送船はより簡単に沈められる。
 それと、海軍船が全員海軍兵士によって運航されるのに対して、輸送船は商船会社の船員が船を動かし、船舶砲兵が船を守るということも大きな違いだ。
 次雄は、船員たちを気の毒に思うことが多々あった。帝国陸軍兵士は、戦争に行く覚悟はできている。そのための修練は積んできている。ところが、船員の多くは、覚悟をする間もなく、会社からの命令で軍属となり乗船している。なにも戦争に行くために、船乗りになったわけではないだろう。あまり見かけることはないが、船長はいつも毅然としている。大したものだ。飯を炊いたりする朝鮮人たちは、どんな気持ちなのだろう。洋上では、高射砲を撃つことも、船の舵(かじ)をとることも、炊事をすることも命がけだ。
 航海中、よく言われることは、・死ぬときは死ぬ」だ。次雄ももう何のために死ぬかは、あまり考えなくなっていた。人間、誰もがいつかは死ぬ。その早いか、遅いかは、運命である。とにかく、戦うことに必死だった。生き残らなければ、戦えないのだ。また、戦わなければ、生き残れないのだ。
 航行中、船舶砲兵小隊は、四つの組に分かれ、一時間交代で、指揮所の歩(ほ)哨(しよう)に立つ。極度の緊張と集中を要する歩哨を一時間勤めたら、三時間は休むことができる。ただし、危険地帯に入れば、一時間ごとに、二手に分かれて休む。そして、戦闘となれば、小隊員全員が配置につく。
 高射砲は、甲板から高くなったところに砲座が設置されているため、船舶砲兵たちは、その下に天幕をはり、むしろを敷いて、そこに休んでいる。
 次雄がまどろんでいると、怒号が聞こえてきて目が覚めた。分隊長の伍長が、砲手の一人を叱(しか)りつけていた。
「どうしたんだ?」
 上体を起こした次雄が、声をかけると、分隊長が説明をした。上等兵の中田が、手紙に女々しいことを書いていたというのだ。
「ちょうど、いい。俺が歩哨に上がるから、中田も連れて行く。あとは任せておけ」
 二人は、指揮台に登ると、沈みつつある夕日に輝く海面を見渡した。輸送船は、船団を組み航行するので、他の船数艘(そう)が視界に入ってきた。
「隊長殿、先ほどはありがとうございました」
 中田は、あのまま次雄が連れ出さなかったら、伍長にさらに責められていたことだろう。当然、殴られもしたはずだ。
「待て、まだ許したわけではないぞ。何があいつを怒らせたんだ?」
 中田は、故郷に残してきた恋人へ書いていたという。
「許(いい)嫁(なづけ)ではないのか?」
「そんな話をする前に召集されたんであります」
 九州で炭坑技術者だった中田は、その炭坑の事務所に働く彼女と親しくなったばかりだったという。
「そうだったのか。その気持ちはわからないでもないな」
「隊長殿は、奥様を残されての応召ですよね?」
「ま、俺のことはいい」
 とは言ったものの、次雄はきほのことを語っていた。次雄は、中田が書いている以上のことをきほに書き送っていた。将校の郵便の検閲は、下級兵士に比べ、さほど厳密ではないのだ。
 それがきっかけで、次雄は中田をよく側に置くようになった。ようやく、信頼してのろけられる部下を一人確保できたのだ。例の分隊長には、次雄がしっかりと中田を教育すると言いふくめておいた。
 
 昭和十八年の秋、黄(たそ)昏(がれ)時の海は凪(な)いでいた。宇品から太平洋岸沿いに航行していて、季節は秋といっても甲板は冷え込んでいるため、次雄たちは外(がい)套(とう)を着ていた。
「お前の故郷はここからは遠いな」
 と、次雄が中田に言った。笑顔だった。
「隊長の故郷は近いんでありますか?」
「先ほど船員に聞いたら、この海を北にいったあたりだそうだ」
 薄闇の中に家の灯(あか)りが点(とも)り始めていた。
「それでは、思いも募りますね」
「まあ、そんなところだ」
 次雄は監視を続けながら、この前、きほの手紙に書かれていたことを思い出していた。すでに出征しているきほの弟の謙作が、軍用列車で故郷を通ったときのことだ。ホームには、事前に連絡を受けていて、きほや両親、親族が集まっていた。列車が近づいてくると、用意しておいた日の丸の小旗を振りながら、目を凝らして、謙作を捜した。列車は、軍用ゆえ、停車することはない。すると、車窓から顔を出して手を振る兵士が何人か見えてきた。そのうちの一人が謙作だったのだ。その再会はわずか数秒だっただろう。
 そんなつかの間でも、きほに会えた謙作がうらやましく思えた。
 その時だった。船は魚雷攻撃を受けた。
 
 次雄は海水と重油が染みこんだ外套を着たまま、寝静まった町の夜の道をひたすら歩いていた。あれから何時間が経ったのだろう。夜明けは近づいているようだ。所持品はすべて失った。今や所持品といえるものは、この軍服の外套だけだ。
 冷たい秋の夜風に吹かれ、濡れている分いっそう寒さが身にしみたが、もうずいぶんと歩き続けているため、体が熱を持ち始め、その寒さに抗っていた。
 この方角でいいはずだ。見覚えのある通りに入ったようだ。次雄は歩き続けた。まだ、わずか数時間前のあの戦闘が頭から離れなかった。
 指揮所において、中田と黒い海面の監視活動をしていたときだ。突然、大爆音が聞こえ、船が大きく揺れた。次雄は指揮所から振り落とされそうになったが、腰のあたりをひどく打って、踏みとどまった。船の右舷に魚雷が当たったようだ。
 次雄たち船舶砲兵は、次の攻撃を警戒しつつ、潜水艦のいる推定方向に砲撃を開始しようとしたが、被雷した右側面から海水が滝のように流れ込んできたため、すぐに船が傾き始め、・総員退避」の号令がかかった。
 次雄は、腰の痛みを感じる間もなく、船が沈み始めたため、近づく海面に、救命胴衣をつけて、できるだけ高いところから、できるだけ遠いところを目指して、飛び込んだ。船が沈没するときの渦に巻き込まれたら、いとも簡単に溺死してしまうからだ。
 水中から様々なものが、浮上してきた。船の中から出てきたのだ。
 とにかく、船から少しでも遠ざかるように、泳ぎ続けた。極度の疲労のため、いったん泳ぐのをやめ、漂流物につかまり、振り返ると、炎上する船が、舳(へ)先(さき)を高く上げ、沈んでいくのが見えた。部下たちの安否はわからなかったが、隣にいた中田は生き残り、ともに漂っていた。まわりには、まったく動かない兵士も浮かんでいた。負傷しているか、死んでいるものだった。
 救命胴衣だけでは、体は水中にあり、冷えていくので、できるだけ大きな漂流物につかまり、上体を少しでも海面から上に出そうと試みた。その時、次雄はあまり何も感じなかった。腰の痛みも、恐怖も怒りも悲しみも、今は生き残るために、まずは感情は脇に置いておかねばならない。
 次雄は潮の流れにも助けられ、ようやく上陸すると、一緒に泳いできた中田に、それぞれ広島の連隊に戻り、再会することを誓って、別れた。
 砂浜を抜けると、道はあったが、あたりは真っ暗だ。遠くの家の灯りの見える方向を目指し歩き始めた。幸い、腰の痛みは、海水で冷やしたせいか、さほど感じなくなっていた。
 あの船員の言葉がたしかなら、二十キロ近く歩くことになるのだろうが、この先にうちがあるはずだ。たとえ船員がまちがっていても、どんな道も、距離が違うだけで、たしかにうちへ通じている。次雄は歩き続けた。
 
 今が何時なのかはわからない。月明かりをたよりに歩き続け、なつかしい風景がうっすらと見えてきた。やはり、あの船員は正しかったのだ。
 疲労と空腹感とともに、様々な感情が込み上げてきた。死の恐怖、仲間を失った悲しみ、生き残ったことへの安堵、米英への怒り、輸送船が沈んだことの無念。そして、すべてを押しのけて、一つの思いが込み上げてきた。
 きほに会いたい。
 空が紫がかって白んできた頃、ついに次雄はうちの玄関の前に立った。戸を何度も叩いて、声を上げた。ずいぶんと待たされて戸が開くと、次雄のいない家に次雄の妻として嫁いだばかりのきほが立っていた。
 
 気づいたら朝方だった。僕は少しでも眠ろうと思った。布団に横になって、目をつぶったが、その目が回るほどに様々な感情が渦巻いていった。
 やがて、その渦の真ん中から一つの思いが込み上げてきた。
 雪乃さんに会いたい。(つづく)

連載 小説(16)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 二月の朝は、まだ暗く、寒い。一分でも長くベッドの中にいたい。
 僕は夢を見ていた。もう起きなくてはならない。歩(ほ)哨(しよう)に立つ順番だ。どうして、こんなことになったのだろう。この前まで、日本は平和だったのに……。
 目が覚めた。今が平和な日本であることを確認して、もう少し眠った。温かい毛布に包まれ朝ギリギリの時間まで眠る。これほど、幸せなことはない。
 祖父の足跡を追っているうちに、そんな夢を何度も見るようになった。
 僕は戦争について知りたいと思っていた。・もはや戦後ではない、戦前である・、と誰かが言ったのを聞いたからだ。それから、どんなに戦跡を訪ねても、どんなに戦記や歴史の本を読んでも、どんなに写真やデータを見ても、ピンと来なかった。戦争があったことはわかる。戦争で死んだ人がいたことはわかる。しかし、それは、僕にとっては戦争を知ったことにはならなかった。あの戦争を、分析して高みの見物を決め込んでも、意味がないのだ。
 僕にとって、戦争を知るとは、祖父の目で戦争を見ることだと思った。それはつまり、祖父を書くことだった。祖父の思いに僕の思いを重ねて、僕が小説の中で祖父を生きることでもあった。
 そんな夢から覚めるたびに、自由を感じた。僕の人生を、僕が決めて、僕が思うように生きられることに感謝した。あと五分眠ることもできるのだ。
 目覚めると、バレンタインデーの朝だった。昨夜は、遅くまで、僕はモモとキッチンに立っていた。モモがバレンタインチョコを作るのを手伝わされていたからだ。作るといっても、市販のチョコレートをいくつか溶かして、混ぜて、型に流し込むだけなのだが。
 モモのほうがめずらしく僕より早く目覚め、僕を起こした。
「早く起きて、今日はバレンタインデーなんだから」
 と、モモは僕には関係のないことを言った。
 ミルクココアとトーストの朝食をとりながら、僕はモモに訊(き)いた。
「ところで、何人にあげるわけ?」
「だから、三人だって」
 モモは、女の子の名前を三人言った。
「なんで、女の子にあげるわけ?」
「パパ、友チョコ知らないの?」
 友情を深めるためのチョコレートというものがあるのだそうだ。
「クラスの男の子にあげなくていいわけ?」
「パパ、わかるでしょ」
 参観日皆勤賞の僕はモモのクラスメイトは全員知っている。男の子たちには、もっとがんばってほしいと思う。
「たしかに……」
「パパもらえるかなあ、チョコ。もらったら、ちょうだいね」
「ま、期待するな」
 そして、僕はモモにバレンタインチョコの由来を話した。製菓会社が、チョコを売るために、そんな日をでっちあげた、と。
「だから、チョコなんて、本当はあげなくてもいいんだって」
「はいはい」
 と、モモが答えた。
「だから、パパはバレンタインチョコには反対なんだって」
 ところが、残念なことに、チョコは僕の大好物でもあった。
「パパ、もらえなかったらさ、モモのあげるよ」
「ま、ありがとよ」
 学童では、バレンタインデーには、おやつはチョコと決まっている。モモは、それを毎年くれるのだ。
 僕はバレンタインチョコには、いい思い出はない。高校のときは、チョコを手渡しされ、お礼を言ったら、クラスメイトにあげてと頼まれたり、そんな僕に同情した母が、毎年、こっそり郵便受けにチョコを入れたりした。
 まったく、バレンタインデーは、僕には迷惑な一日なのだ。
 
 今年もバレンタインデーの一日が終わり、僕は学童にモモを迎えに行った。
「モモ、チョコもらえたと思う?」
「パパがもらえるわけないでしょ。はい、これ」
 と、モモが同情のまなざしで僕を見つめて、学童のおやつで出た百円くらいのチョコレートを僕に手渡した。
 学童のコーチは、その光景を見ていて、・モモちゃん、えらいねえ、お父さんにチョコレートあげて」と言った。
 駐車場まで歩きながら、僕はモモに言った。
「モモ、チョコありがとう。これで、やっと二十個になったよ」
 モモは、・うそ」と大きな声で言った。
「パパ、車に乗ったら、チョコ食べさせて」
「え? パパはチョコもらえるわけないんでしょ」
「ちがいます、ちがいます。パパがもらえないわけありません」
 モモは、頼みごとをするときだけ、言葉遣いが丁寧になる。
「じゃ、モテモテのパパ、チョコレートをくださいっていったら、あげる」
「はい、モテモテのパパ、チョコレートをください」
 と、モモは頭を何度も下げた。
「しかたがないなあ」
「モテモテのパパ、ありがとうございます」
 僕たちは車まで走り、さっそくチョコレートを食べた。ナッツが入ったものだ。他にも、チョコ味のクッキー、チョコのケーキ、板チョコ、マーブルチョコ、チョコならなんでもあった。
 今朝、一時間目の授業に行くと、まず教卓にチョコレートが五個置かれた。廊下でもいくつかもらい、昼休みも職員室でもらい、放課後は顧問をしている水泳部の女子部員が全員くれた。それで十九個、モモのを入れて、二十の大台に乗ったのだ。こんなにたくさんチョコレートをもらったのは、三十数年生きていて初めてのことだった。
 チョコをくれた女子生徒のほとんどは言った。・モモちゃんと食べてください・、と。
 だから実は、チョコをたくさんもらったのは、モモのおかげでもあったのだ。
 それでも、一人だけ、・先生はカッコイイから」と言った女子生徒がいた。もちろん、僕の外見がかっこいいわけではない。家事と育児ができて、仕事より家庭を優先する大人の男性が、カッコイイということだった。
 一方、モモは、友チョコを三人にあげたにもかかわらず、二人からしか回収できなかったようだ。
「ま、元気出せ」
 と、僕は助手席のモモの肩を叩いた。
「チョコもっと食べるか?」
「食べる、食べる」
「じゃ、言うことあるだろ」
「モテモテのパパ、チョコください」
「やっぱりもう、それ言わなくてもあげるよ」
 だいたいチョコのほとんどはモモのおかげでもらえたのだ。モモにも、チョコを食べる権利はある。
 結局、その日の晩ごはんはチョコになってしまった。うちにつくまでに、僕たちはチョコを食べ過ぎて、食欲がなくなってしまったのだ。
 それでもまだチョコはたくさん残っていた。
 
 この頃、夜、僕はよく途方に暮れるようになった。
 モモが眠った後、リビングルームで、僕は段ボール箱の前の床に座る。箱の中には、元船舶砲兵で画家でもある先生のうちから借りてきたたくさんの資料が入っている。他にも、祖父の手紙が入ったクッキーの缶、僕が集めてきた本や、東京の防衛庁防衛研究所資料室で見つけた祖父直筆の陣中日誌のコピーもある。
 祖父について調べようとするのだが、どこから手をつけていいのかわからない。たった一つの段ボール箱が、大きな海のように思えてきた。
 まずはクッキーの缶を開け、床に封筒や葉書を広げ、一枚ずつ手にとり、眺めていた。そして、この葉書を見つけた。
 
前略
先日は突然帰省し御前の元気な姿を見て安心致しました 色々無理な事を言って寿(す)まなかったね 自分は無事帰隊致しましたから御放念下さい
汽車は呉経由の為大変遅くなり廣島に着いたのは二十四時過ぎ 電車はなくなり宇品まで歩いたよ 荷物は首に巻き一寸百姓の様な姿 街に何か有ったのかポリ公に二度尋ねられ一寸間が悪かったよ 廠(しよう)舎(しや)に着いたのが一時四十分さ 一汽車前に出れば何の事もなかったのにね 一時間程別れるのが惜しかった為に そうしたのだから仕方がない
今回は紙入れを海でなくしました 紙入れには未練はないのですが 然し其の中に御前の写真が入って居たのは大失策 寿まないが紙入れはどうでも良いから写真は送って呉れ それから両親をよろしく頼みます 困ったら何でも相談してあげてください きっと喜ぶはずですから
草々
夫より
 最愛の妻へ
 
 これは祖父の乗っていた船が魚雷を受け沈没し、命からがら岸まで泳ぎ着き、海水と重油でずぶ濡れの外(がい)套(とう)を着たまま夜通し歩いて帰ってきたときの顛(てん)末(まつ)の記述だ。
 そういえば、この場面を書いたときから、祖父の一部が僕の中に存在しているように思えてきた。変な夢を見るようになったのも、そのときからだ。
 ケイタイにもカメラがついている今と違って、当時、写真は、写真館に行って撮る貴重なものだったのだろう。別れを惜しんで帰りの汽車を一時間遅らせた祖父は、戦地でもいつも妻の写真を持ち歩いていたにちがいない。
 それほど思っていた女性から、あの戦争は、祖父を引き離したのだ。一瞬にして涙が溢(あふ)れ出てきた。
 僕はスープをつくることにして、キッチンに立ち、水の入った鍋を火にかけ、ジャガイモとニンジンと大根を細く切り、タマネギも薄く切り、次々と放り込んだ。切れ目を入れたソーセージも入れた。あとは時々アクを取り、固形スープと塩こしょうで味をつけるだけだ。これは、明日の朝食のスープになる。モモの好物のソーセージが入った野菜スープだ。
 スープを煮込んでいる間、鍋の様子を見ながら、ダイニングテーブルで、パソコンを立ち上げ、ブログにバレンタインデーのことを書いた。
 
 バレンタインデーの由来を最近知りました。
 
 西暦三世紀ローマでのこと。
 当時は戦争中で、皇帝は悩んでいました。
 若者たちが、愛する人を残して、戦争に行きたがらなかったからです。
 そこで、皇帝は、結婚禁止令を出しました。
 しかし、愛しあう男女の絆は、そう簡単に断ち切れるものではありません。
 若者たちに同情したキリスト教司祭の聖バレンタインは、
 恋人たちをこっそり結婚させてあげました。
 ところが、それは、皇帝の知るところとなり、
 聖バレンタインは、二月十四日、処刑されてしまったのです。
 
 そう、バレンタインデーは、愛と戦争と平和を考える聖なる日。
 男が女にチョコレートをもらって、うかれる日じゃないんです。
 
 しかし、それでも、本命チョコ、来年こそ欲しいと思ってしまうのでした。
 
 ブログを書き終わると、メールボックスを開いた。また、最近、間隔が長くなってきた雪乃さんのメールは今夜も来ていなかった。
 頬杖をつきながら、今日もらったチョコレート・ボンボンの箱を開けた。これはブランデー入りなので、モモは食べられない。だから、僕がすべて食べることにした。
 チョコレートには、中毒性があるのだろう。チョコの包みを開ける手がとまらなくなった。僕は湯を沸かして、紅茶をいれた。棚の奥にずっとしまってあったブランデーを出してきて、紅茶にたらした。ブランデーも中毒性があるようだ。
 少し頬が火(ほ)照(て)ってきた。僕は酒が苦手で、ほとんど飲むことがない。だから、少量のアルコールでも、僕には充分効くのだ。
 気づけば、キーボードを叩き始めていた。書きながら、なんだか気分が解放されていくような気がした。そのうち、僕自身が体を離れ浮遊して、祖父の魂と共鳴しあうような不思議な感覚に陥った。
 
 昭和十八年の十月、瀬戸内海に浮かぶ因(いんの)島(しま)に秋風の吹き始めたころ、きほは丘の上の将校用の長屋のような借家で、長い一日を終えようとしていた。洗濯物が乾き、物干し竿から衣類をはずして、海を見下ろした。ドックに数艘、船が浮かんでいるのが見えた。そのうちの一艘が近々次雄が乗り込むものだろうと思った。子どもの声がする隣の借家からは、魚を焼く匂いが漂ってきた。隣にも、将校が家を借りて、暮らしていた。
 それにしても、どのようにすれば魚が手に入れられるのか、きほは不思議に思った。実家は、魚屋だったため、魚が手に入らなくて困るなどということがあるとは、想像することもできなかった。きほは、今夜もれんこんを煮なくてはならないことを思い、うらやましくなった。
 
 次雄は、将校の執務室で、陣中日誌を書き終えようとしていた。
 左手は、首から吊ってある。内地に帰る前の航海中、次雄たちの船は、南洋で空襲を受け、また沈没した。次雄は二回目の沈没も生きのびた。左手の負傷は、そのときのものだ。骨折していた。一晩海を漂流したのち、巡洋艦に救出され、ようやく内地に帰ってきた。今、次雄たちは、因島で、次に乗船する輸送船の修理を待っている。乗船命令が出るまでの束の間の兵士の休息だった。
 次雄は二回目の沈没の際、初めて小隊の部下を失った。部下が目の前で息絶えていくのを見とったのだ。今も自分が生きていることを、現実に思えないときもある。生きていることが、申し訳ないと思うことさえあった。
 しかし、陣中日誌の記入が終わり、表紙を閉じる頃になると、生きている喜びが込み上げてくる。次雄は、軍服の襟を正し、背筋をのばし、兵舎をあとにする。けっして、うかれた表情は見せられなかった。
 将校になると、兵舎内で過ごす部下たちと違い、外の下宿で生活することが許される。将校ならば、家族を呼び寄せて暮らすこともできるのだ。だから、ここにいる間、次雄は、毎日、きほのもとに帰る。次雄たちが担当する高射砲の取り付けられた輸送船の修理がドックで済むまでは、このような日が続くのだ。次雄は、幹部候補生の試験を合格し、一年訓練を受けて、将校になって本当によかったと思った。
 兵舎の門の守衛に、敬礼をして、次雄は足を速めた。
 丘を上り、長屋に近づくと、魚を焼く匂いがしてきた。また、隣の岡田中尉のところだろう。次雄は、今夜も夕食のおかずはれんこんであることは知っていた。たしかに魚は食べたいが、毎晩れんこんを食べているうちに、れんこんもなぜか好物になっていた。
 
 毎晩、狭い借家では、話はつきることがなかった。
 次雄もきほも、ラジオもつけず、何度も笑いながら、話し続けた。布団に入ってからも、どちらかが眼が開けていられなくなるまで、話は止まらなかった。
 故郷の次雄の家に、きほが嫁いできたものの、夫婦としては一日も暮らしてはいない。ここでの暮らしが、初めての夫婦らしいものだった。
 しかし、無情にも、次雄に乗船命令が下った。
 
 執務室のドアが開くと、中田が立っていた。
「隊長殿、今回の航海は、その腕が完治していないため、見合わせていただきたく思っているのですが」
 次雄は、笑って、中田の肩を叩いた。そして、腕を首から吊っていた三角巾をとった。
「お前たちだけで、行かせられるものか」
 と、添え木をして包帯で巻いてある左手を上下左右に振って見せた。
 中田は頭を下げ、もう一度同じことを言った。次雄は笑顔でとりあわなかった。
 次雄が骨折しているのは、たしかだ。治りつつあるとはいえ、完全ではないことも事実である。
「高射砲を実際に撃つのはお前たちだ。俺の仕事は指揮、これくらいの怪(け)我(が)なら、問題はない」
 その日は、因島で過ごす最後の夜である。次雄は、一秒でも早く帰りたかったので、それ以上中田を相手にしなかった。
 たしかに、中隊長に申し出れば、今回の乗船は見合わせることはできるだろう。
 もし、きほが中田と同じことを言ったのなら、気持ちも揺れたのかしれない。しかし、中田のすすめで気持ちを変えることは、多少なりとも部下を預かる将校として、自分に許すことはできないことだった。
 
 丘の上の長屋の一室で、今(こ)宵(よい)は最後の夜と、次雄は飲み過ぎない程度に、れんこんの煮物を肴(さかな)にして酒を飲んだ。
「今日、部下が俺を心配して言ってきたんだ。今度は危ないなどと言って」
 次雄は、次の航海を見合わせるように勧められたことを言った。
 きほは、その部下と同じ気持ちだった。戦争の勝ち負けより、この生活が続くかどうかのほうが、よっぽど大きな問題だった。
 次雄は目の前に、左腕を横にしてかかげ、手のひらを握ったり開いたりした。
「もう大丈夫だよ。添え木ももうすぐとれる。二回沈んでも大丈夫だったんだ。俺は死なないような気がするよ。憎まれっ子世にはばかる、さ」
 きほは、次雄にあわせて笑顔をつくったが、何も言うことはできなかった。腕の負傷を理由に内地に残ると言い出すほうが、次雄には勇気のいることなのだろう。それでもきほは、一言でも次雄が弱音を吐いたのなら、足にすがりついて行かないよう懇願するつもりだった。
 一方、次雄は強がってはみたものの、きほは引きとめるものと思っていた。傷病兵としての申告は恥ずかしいことではあったが、きほが言うならば、申告をしたかもしれなかった。
 この夜の二人は、お互い、相手の口から望む言葉がこぼれることをずっと待っていた。しかし、最後まで、お互いの望む言葉のたった一語さえ、相手から聞かれることはなかった。
 
 翌朝、次雄は、もんぺ姿ではなく、着物を着たきほを見送った。船着き場から、ポンポン船と呼ばれる小さな船で、駅のある尾道に帰っていった。次雄は、怪我した左手も振って、小さくなっていく船をずっと見ていた。
 きほが身(み)篭(ご)もったのは、この島でのことだった。そして、これが二人が会った最後だった。
 
 僕は、夏、モモと降り立った因島のことを思い出していた。船を下り、しばらく歩き、ようやく見つけて入ったお好み焼き屋の近くに、兵舎の門柱だけが残っていた。その門を通って、祖父は祖母のもとに帰ったのだろう。二人の夫婦生活は、わずか一週間。その七日間は、あの暗雲立ちこめる時代で宝石のように美しく輝いた日々だったはずだ。
 やがて死にゆく祖父は、因島で命をつないだ。その後、僕の母が誕生した。そして、僕も生まれた。
 母は、因島でのことをよく僕に話した。行かずにすんだ戦争に行って死んだ父親を、愚かだと思うときもあれば、立派だったと思うときもある、と。国を愛する男らしさが、妻を愛する祖父の自分らしさを殺し、ついには命さえ奪ってしまったのだ。
 僕は自分の新婚の頃にもあった、一人の人間の誕生の背後にある恋物語を思い出していた。
 パソコンの電源を落とす前に、もう一度、メールボックスを開けてみた。
 すると、雪乃さんからの久しぶりのメールが来ていた。
 
 ごぶさたして、すみません。
 いつもジローさんはすぐにメールを返信してくれるのに、申し訳ないと思っています。
 ジローさんのメールが一通来るたびに、心がジローさんに近づくことを感じます。
 それでも、慎重すぎるくらいに慎重になってしまうんです。
 きっと、まだ男の人が恐いんだと思います。
 あれだけやさしかった元夫が豹変したことが、トラウマになったのでしょう。
 
 メールの間隔が空く理由がわかり、少しはホッとしたが、埋まりそうで埋まらない男女の深い溝を感じた。それが埋まらないのなら、どう橋を架けたらいいのだろうか。ひさしぶりに、さみしいという感情が湧いてくるのを感じた。
 
 ジローさんとのメールは、私にとってはリハビリのようなものなんです。
 こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
 
 実は……、昨夜はうちも娘と二人でチョコレート作り。
 娘は、今日、クラスの男の子にあげたようです。
 私もつくったんですよ。
 ジローさん、迷惑でなければ、もらってくれますか?
 もしよかったら、住所を教えてください。
 
 それでは、また。
 
 バレンタインデーの二日後、夕方、モモとうちに帰ると、郵便受けに小包が入っていた。見知らぬ名字の下に、雪乃と書いてあった。
「パパ、何それ?」
 うちに入る前に、ドアの前で、包みを開けると、きれいな包装紙に包まれたチョコレートが入っていた。
「これで二十一個目だ」
 また、モモが頭を下げた。
「モテモテのパパ、チョコレートをください」
「ごはん前だからダメ」
 これをモモにあげるのは、惜しかった。
 雪乃さんの直筆を初めて見て、雪乃さんがこの世界に実際に存在することを今さらながら実感して、ホッとした。
 そして、小包の差出人の住所欄を見て、心臓の鼓動が速くなった。雪乃さんの住所は、うちから車で一時間もかからないところだったのだ。
 キッチンに立ち、包丁を握っても、胸は高鳴ったままだった。
 すると、モモが僕を呼んだ。振り向くと、手にはチョコと一緒に包みに入っていた雪乃さんからのカードがあった。
「パパ、ここに『モモちゃんと食べてください』って書いてあるよ。ごはん食べたら、チョコもらうからね」
 勝手に見るなとモモに怒りながら、雪乃さんからチョコをもらえたのも、モモのおかげかもしれないと思っていた。(つづく)

連載 小説(17)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 日曜日の昼下がり、ドアのチャイムが鳴り、モモの同級生が、二人やってきた。モモが出迎えて、その子たちがキッチンにやってきた。
「いらっしゃい」
「おねがいします」
 と、二人は頭を下げて、早速エプロンをして、頭に三角巾を巻いた。
 今日は、うちでクッキー教室を開くことになっていたのだ。モモが僕のつくるクッキーがおいしいと学校で同級生に話し、その二人がぜひクッキー作りを習いたいとモモを通して頼んできたのだ。
 僕はバレンタインデー以降、クッキーの試作を繰り返していた。それは、もちろん、雪乃さんにもらったチョコのお返しを作るためだ。
 三月に入り、僕はついにクッキー作りの黄金比を発見した。それは、一:二:三だ。うちのオーブンなら、粉砂糖三十グラム、無塩バター六十グラム、小麦粉九十グラムで、一度に二十枚ほど焼くことができる。これに、塩をほんの少し、卵黄一個も加える。
 僕が試作を繰り返せば、モモも試食を繰り返し、ついにその黄金比のおかげで、モモが満足するクッキーを作ることができるようになった。モモは、味にはうるさく、僕よりも舌は過敏なようだ。モモがおいしいといえば、たいてい誰もがほめてくれる。
 料理はつくづく誰かのためにするものだと思う。その誰かへの思いが大きければ大きいほど、その味もおいしくなるのだ。
 僕が作るクッキーがおいしいのも当然といえば当然だ。雪乃さんのために作っているのだ。気合いが違う。
 
「じゃ、小麦粉、九十グラム入れて」
 モモの同級生のしっかりものの子のほうが、はかりを前にして戸惑っていた。はかりの針がボールの重さを示していたからだ。
「足し算すればいいんだって」
 僕ははかりのネジをまわして、針をきりのいい百グラムに合わせた。
「百足す九十は?」
 子どもたちは納得して、何度も頷(うなず)いた。モモがボールに小麦粉を入れたのだが、まわりにこぼしただけでなく、小麦粉を入れすぎて、目盛りをオーバーしてしまった。
「だからいつも言ってるだろ。料理は、慎重にやれって」
「はいはい」
 と、モモが言った。
 もう一人の同級生が、スプーンで小麦粉を袋に戻した。こちらの子は、モモと同じでいたずらっ子のようだ。
「これ、甘くない」
 と、その子が指についた小麦粉を舐(な)めて言った。
「ほんと、まずい」
 と、モモも小麦粉を舐めた。しっかりものの子は、そんなことはしなかった。
 三人は、粉砂糖やバターもそうとう苦労をして、必要な分量を量った。
 ここまで済ませて、しっかりものの子が言った。
「みんな、手を洗ったのかなあ」
 その子以外の僕たち三人は、あわてて手を洗った。
「いつもは洗うんだけどなあ」
 と、僕が言うと、モモが続けた。
「そうそう、今日だけ、忘れちゃったんだよ」
 クッキー教室は、僕が忍耐を学ぶ場でもあった。自分でやったほうが数倍早くできることも、手を出さず眺めているのはなかなか大変なことだ。少しでも手を出すと、子どもたちは怒り、自分ですると言い張った。
 僕の仕事は、濡(ぬ)れた布巾でこぼれた粉を拭きとることと、モモといたずらっ子の同級生が砂糖やクッキーのタネを舐めないように見張ることだけだった。
 
 タネを棒状にしてラップで包み冷蔵庫で冷やす間、モモたちはトランプで遊んでいた。
 本当はモモはテレビゲームが欲しいのだ。しかし、僕はモモがどんなにねだっても、これまで買い与えてはこなかった。
 モモがいつも言う。
「クラスで、ゲーム持ってないのモモだけなんだから」
「ああ、そう」
「一人だけなんだよ。持ってないの」
 演技派のモモは目を潤ませる。
「それは気の毒にねえ。パパの子だったばっかりにねえ」
「もういい」
 何度も繰り返されてきた会話だ。
「パパも入ってよ。三人じゃつまらないから」
 しかたなく、僕もトランプに参加した。モモたちは、七並べをやっていた。モモは七並べがどういうわけか大好きで、トランプといえば七並べをやりたがる。
 僕は七並べのどこがおもしろいのかさっぱりわからなかったのだが、モモたちは真剣で、本当に楽しそうだった。
 いつしか、僕も熱くなってきた。七並べには戦略が必要で、思ったより奥が深かった。
 一時間近く七並べをして、冷蔵庫を覗(のぞ)いた。すると、クッキーのタネが固くなっていた。
 オーブンを百八十度になるまで予熱する間、モモたちが順番に包丁でクッキーを切った。見守るということは、本当に大変な作業だ。子どもたちの手つきは危なっかしく、厚さも均等ではない。つい、手と口を出したくなるが、モモに厳しく叱られるので、グッと辛抱していた。
 それでもつい声だけは出てしまう。すると、モモが振り返り、僕をにらみ、唇の前に人差し指を立てる。
 手を切ったら切ったで、それも勉強だ。僕は開き直ることにした。
 ようやく、たくあんのように切り終わったクッキーのタネを天板に並べた。焼く時間は十六分。モモたちは顔をくっつけて、ターンテーブルの上で回るクッキーを見つめていた。
 十分を過ぎた頃から、甘く香ばしい匂いが部屋に充満してきた。
 モモたちは待ちきれないのか、オーブンのタイマーからずっと目を離さない。
 ようやく、焼き上がると、まだ軟らかいクッキーを網の上に載せた。あとは、冷やすだけだ。モモがうちのどこからか、うちわを持ってきて仰いだ。疲れるので、子どもたち三人で交代に仰いだ。
「パパ、まだ食べちゃだめ?」
「だめ」
 僕はずっとクッキーを見張っていた。気を許したらいつ勝手に味見をされるかわからない。モモたちの味見は、いったん始まったら、クッキー一つでは決して終わらないだろう。
 ようやくクッキーが冷え、固くなったようなので、僕は一人一個の味見を許した。
 僕も一つ食べてみたが、本当においしかった。固くもなく、軟らかくもなく、ちょうどよい歯ごたえ、くどくない上品な甘さ、完(かん)璧(ぺき)だ。
 僕は湯を沸かした。残りのクッキーは、紅茶を飲みながら、みんなで味わうことにしたのだ。
「午後の紅茶だ」
 と、モモの友だちのいたずらっ子のほうが言った。
「ティータイムっていうんだよ」
 と、モモが生意気なことを言った。
 僕はストレートティー、子どもたちはミルクと砂糖をたっぷり入れたミルクティーを飲んだ。無為な時間を、おいしいものを味わいながら過ごすほど、贅(ぜい)沢(たく)なことはない。口の中でクッキーの甘さを紅茶の苦みで、中和させながら、そう思った。
 さて、モモの友達が帰る時間となった。残ったクッキーを分けることになり、僕が提案した。
「じゃ、うちの人の数だけ、持って来な」
 彼女たちは、田舎の三世代家族なので、祖父母のぶんと兄弟のぶんもとっていった。
 いつしか、背後にいたモモが僕の袖を引っ張り、耳打ちをした。
「パパ、そうすると、モモは二つしかもらえないよ」
 たしかに、そうだ。忘れていた。しかし、すでにモモの友達は家族分、六個、七個ととっていた。
 僕はモモの肩に手をかけて、囁(ささや)いた。
「心配するな。ホワイトデーで百枚くらい焼くから、味見しまくれるぜ」
 僕とモモは右手の親指どうし擦(こす)りあわせた。
 
 ホワイトデーまで、あと一週間ほど残した頃(ころ)、モモは突然熱を出した。僕の勤務する学校に、昼休み、モモの小学校から電話がかかってきた。
 保健室の先生からで、モモがベッドで寝ている、と。熱は三七度ちょっとというので、少し安心して、すぐに迎えに行くと先生に言いつつ、一つだけあった午後の授業をこなして、介護休暇をとって小学校に行った。インフルエンザのシーズンは終わったので、さほど心配ないと踏んでいた。
 迎えに行くと、モモは自分で駐車場まで歩いて、車に乗った。
「大丈夫か?」
「大丈夫。でも、ちょっと寒くてだるい」
 顔が少し赤い。僕が授業をしている間に、熱が上がったのだろう。額を触ると、すでに七度以上の熱さだった。
「欲しいものあるか?」
「アイス、プリン、ヨーグルト」
 モモが熱を出すと、何も食べなくなるので、食べたいというものを食べさせることにして、コンビニで要求のものをすべて買ってうちに帰った。
 翌日は金曜日で、大事をとって、モモを休ませることにした。モモの熱はだいぶ下がったようだ。一日、うちでおとなしくしていれば、完治するだろう。
 その日の僕の時間割は飛び飛びに授業があったので、うちと学校を何度も往復することにした。
 朝、ベッドで眠るモモを起こして言った。
「じゃ、一回学校行ってくるから。なんかあったらケイタイに」
 僕は電話の子機を枕元に置いた。
「暇になったら、映画でも見てな」
 ベッドの横にイスを置き、ノートパソコンとDVDをその上に載せておいた。
「土産は何欲しい?」
「アイス、プリン、ヨーグルト」
「オーケー。これ、朝ごはん」
 僕は冷蔵庫から出してきたゼリー状の健康食品を枕の横に置いた。寝たままでも、口をつけて吸えば食べられるすぐれものだ。パッケージを見るかぎり、ビタミン豊富で栄養はあるらしい。
「パパ、ありがと。いってらっしゃい」
 眠いのか、弱っているのか、モモにはめずらしいか細い声だった。
 その日は、結局、三回出勤して、三回帰宅した。午前中に一回戻ると、モモは気持ちよさそうに眠っていた。買ってきたアイスを冷蔵庫に入れ、また職場に戻った。昼休みは、食材を買って帰った。うちは、風邪のときは、カレーうどんと決まっている。中華鍋で、豚肉、タマネギ、ジャガイモを炒(いた)め、そばつゆとカレールーを入れて、少し煮込む。うどんを茹(ゆ)で、その湯でほうれん草にさっと火を通す。カレーのつゆとうどんと合わせ、ほうれん草を添えればできあがりだ。
 うちに入ると、モモは起き出して、ソファーで横になって、テレビを見ていた。カレーうどんをさっと作り、いっしょに食べて、また職場に戻った。
 最後の授業が終わると、その日は早く帰ってきた。
「モモ、暇だった?」
「べつに」
 たくさん寝て、たくさんテレビ見て、映画鑑賞もして、なかなか充実していたようだ。
「パパ、明日も休みたい」
「どうぞ」
「いいの?」
「どうぞ、明後日も」
「やったー」
 モモは熱で曜日の感覚を失っていたようだ。それにしても、僕も土日はゆっくりしようと思った。
 
 原因は、プリンだった。僕は確信している。
 どうしても、我慢ができなかったのだ。モモがあまりにもおいしそうにプリンを食べていたので、その食べかけを食べたのだ。・パパ、うつるよ・、とモモが言ったが、僕は無視した。
 その金曜の夜、体がだるいような気がしてきた。
 土曜に目覚めてみると、今度は頭が痛くなっていて、背中や関節も少し痛んだ。それでも、風邪で寝込んだことも、仕事を休んだこともない僕は、そのうち治るだろうと、多少無理して、朝食や昼食を作ったり、アイロンがけや、簡単な掃除を済ませた。
 しかし、午後になると、寒気がしてきて、立つのも億(おつ)劫(くう)になってきた。モモの風邪が完全にうつったようだ。風邪は、ここ数年ひいたことがなかったので、忘れていたつらさだった。ソファーで、毛布にくるまっていた。
 夕方になると、症状は悪化、僕はベッドに横になると、そのまま、とうとう起きあがれなくなった。
 モモが何度も、寝室と居間を行ったり来たりして、飲み物を運んだり、額の冷やしタオルを変えてくれたりした。
「パパ、大丈夫?」
「たぶん、寝てれば治る」
 とても車を運転して病院や薬屋まで行く気力はなかった。
「置き薬の中から風邪薬探してきてくれ」
 モモはいつになく機敏に動いた。僕に薬を飲ませたモモに僕は言った。
「テレビ見てていいよ。なんかあったら呼ぶから」
 土曜の夜は、モモの好きな番組が立て続けにあるのだ。
「じゃ、いつでも呼んでね。ナイチンゲールになるから」
 モモの夕食は、ごはんに昨日のカレーうどんのつゆをかけて食べてもらった。和風カレー丼だ。家事分担を目指し多少家事をモモに仕込んでおいて正解だった。
 僕はベッドの中で、体調によって、気力がここまで左右されるということを初めて知った。気力だけでなく、食欲もさっぱりなくなっていった。
 風邪などめったにひかないせいか、あまりのつらさに、もしかしたら死ぬんじゃないかとさえ思ってしまった。
 モモはCMの度に寝室に覗きに来たようだ。僕はそれに気づくこともあれば、気づかないこともあった。
 なぜか、僕は大げさに死ぬときのことを考えていた。ひとは死の床に伏せって、何を思うのだろう、と。ただの風邪でこれだけ気力を失うのなら、死の病にあっては、あらゆる欲がなくなるだろう。そのとき、救いとなるものはあるのだろうか。
 もしあるとしたら、今の僕に思いつくことは、命がつながっているという実感だ。
 モモが、僕の額の濡れタオルを換えに来た。そんなモモを、暗闇から眺めながら、そう思った。僕の命はたしかにモモへとつながっている。
 
 次雄はまた中田と監視所に立っていた。深夜の歩(ほ)哨(しよう)である。船は静かに南洋を進んでいた。夜間は、敵機の空爆はめったにない。いくら性能のよいアメリカ機でも、パイロットは空から海面の輸送船が見えないからだ。
「隊長、自分は無念であります」
「もう言うな」
 次雄は月を映す静かな海面を眺めていた。近々、九州で炭坑技術者だった中田は召集解除となり、帰国することになりそうなのだ。本国では、石油でも木炭でも石炭でも、燃料となるものはすべて総動員されるのだろう。
「しかし、隊長……」
「戦争の道具は、銃弾だけじゃない。石炭だって、立派な武器だ。お前もむこうで戦うことになるんだよ」
 中田は言葉をつまらせ、また言葉にならない何かを言いかけたが、次雄が制した。
「もう言うな」
 唇を噛(か)みしめて海面の監視を続ける中田の傍らで、次雄は南洋でしか見られない星座、南十字星を見上げていた。小さくとも明るく色鮮やかな星座。毎晩、それを見つけるのが日課のようになっている。きほとは、同じ空の下にいるといつも思うのだが、南十字星はきほとの距離も感じさせた。いつかこの戦争のことを懐かしく話しながら、ともに南十字星を見上げることがあるのだろうか。
「中田、実はな……」
 中田がようやく顔を上げた。次雄は、きほが身(み)篭(ご)もったことを部下に初めて話した。
「そ、それはおめでとうございます」
 中田が次雄に深々と頭を下げた。
「だから、お前は帰らなきゃいけないんだよ」
「え、どういうことでありますか?」
「お前の命はまだつながっていない」
「それは、そうでありますが」
「故郷であのこが、待ってるんだろ」
 中田は無言で頷いた。
「俺はこれで死ねる」
 二人は黙った。船が波を切る音だけが聞こえた。
「もう、名前は決めたんだよ。この前、因(いんの)島(しま)で、もし子どもが生まれたら、俺はいつも太平洋にばかりいるから、太平洋の洋に子で、洋子とな」
「では、隊長、男の子の場合は」
「決め忘れた。男が生まれたら、その時はあちらで考えてくれるだろう」
 次雄が豪快に笑うと、中田も控えめに笑った。
「おい、監視観測活動中だぞ」
「はい」
 中田は笑いをこらえて、敬礼をして、任務に戻った。
「中田、お前に頼みがある」
「はい、何なりと」
「お前と別れるまで、俺は手紙を書けるだけ書く。日本に戻ったら、なんとかきほに届けてくれないか」
「はい、命にかえてでも」
「そんな大げさなもんでもないんだよ」
 と、次雄は目を海面から離さず笑った。
 
 土曜から日曜にかけて、僕はずっとベッドで寝ていた。そして、ようやく日曜の夜、布団の中でドッと汗をかくと、熱が下がってきた。
 モモは、この週末、うちにあるものをなんとか食べつないできた。
 僕は少し食欲が出てきたので、キッチンに立ち、おかゆをつくって、食べた。モモにはそれに卵とタマネギを入れ、醤(しよう)油(ゆ)で味付けして、おじやをつくった。
 食べ終わると、モモは風(ふ)呂(ろ)に行き、僕はパソコンを立ち上げた。
 雪乃さんからメールが来ていた。しばらくブログが更新されていないので、どうかしたのか、と。たとえメールが頻繁に来なくとも、ブログは毎日気にしてくれていたのだ。僕は一人微笑んだ。モモがいたら、何があったか、しつこく訊(き)かれそうなほどのにやけかただっただろう。
 僕は返事に、思い切って書いてみた。ホワイトデーのクッキーをお届けしたい、と。できれば、手渡ししたいのだが、送ってもかまわない、と。そのメールを送信するとき、数秒ためらったが、結局、送信ボタンをクリックしてしまった。
 僕は調子に乗りすぎたようだ。案の定、雪乃さんからのメールはまたなかなか来なくなった。そして、ようやくホワイトデー直前に届いたメールには、こう書かれていた。
 
  クッキー、送ってもらえますか?
  楽しみにしています。
(つづく)

連載 小説(最終回)
渥美 二郎
挿し絵(題字も)
西岡民雄

 僕は予熱したオーブンにクッキーのタネを入れると、またダイニングテーブルにつき、祖父の手紙を読み始めた。
 クッキーの味見目当てに僕を手伝っていたモモは、十一時を過ぎついに眠くなり、一人でベッドルームに行った。
 昨日も今日も、うちに帰るとオーブンは回りっぱなしだ。明日はホワイトデー、義理クッキーを配り歩かなくてはならない。
 雪乃さんには、一番最初に焼いたクッキーを、昨日コンビニから、宅急便で発送しておいた。到着日を指定しておいたので、ホワイトデーには雪乃さんのもとに届くはずだ。
 祖父の手紙は、娘の出産が書かれたものだけを集めてみた。
 
 其後如何 愛の結晶にも異常なしかな 御前は相当御(お)腹(なか)も大きくなり大変だろうな 男が戦場に苦労するのと同じだろうね 大いに案ずるよ 体も早六ヶ月との事 お腹も相当なものでせう 見たいですね 赤チャンも活動し始めたとの事 さては僕に似てイタヅラな赤チャンかな 顔は何と言っても僕に似ない方が良いのだがね 僕も早く赤チャンの顔を見たいね 余り予定より早すぎては困るがね 体には呉(くれ)々(ぐれ)も十分気をつけて下さい 自分は益々元気ですから安心してくれ 便りも出来ず御産の事が解らず心配して居ります 間違いはないとは思いますが 矢張り心配でね お前も御母さんとはちょっとへんな気が寿(す)るね この頃は商売繁盛で毎日土木作業土方の親方ですよ 御(お)蔭(かげ)で体の調子は良いよ 裸でやるので顔や背中は真黒です 比島(フイリピン)人顔負けです お前と会ったら此(こ)れが私の夫かとびっくり寿るでせう 然し男性的になったよ 今の処(ところ)は多忙な為(ため)面白い事がないがそのうちに探すよ 便りを表記の処に呉(く)れ 手に入るから
 
 祖父の船はフィリピンに上陸したようだ。そこで、出産の報を待っていたのだろう。祖父は船を下り、間近に迫ったアメリカ軍上陸に備え、要塞構築のための土木作業の監督をしていたようだ。
 部屋の中に甘く香ばしい匂いがたちこめ、ついに最後のクッキーが焼き上がった。あとは冷まして、袋詰めするだけだ。
 
 次雄は露営用の天幕の中のランプの下で、ようやく手紙を書き終えた。昼間の炎天下での土木作業の疲れからか、まぶたが重くなったが、両手の平で頬(ほお)を叩(たた)き、眠気を吹き飛ばそうとした。今夜は眠るわけにはいかなかった。
 部下の中田が、炭坑技術者として召集解除となり、深夜、輸送船に乗り、本国へ帰ることになっているのだ。
 次雄はランプをはずし、手に持って、外に出た。小隊の有志で、山を下り、湾岸で中田を見送ることになっていたのだ。有志の数は思ったより多く、中田は感極まったのか、言葉少なにうつむき、戦友に囲まれ歩いていった。
 午前三時のことだった。物資の積み下ろしを担当する船舶工兵たちが輸送船への荷積みを終えようとしていた。湾内にはすでに艦隊を組む船が数艘(そう)浮かんでいる。
「隊長殿、いよいよお別れであります」
 中田は両拳を握りしめ、唇を震わせながらそう言った。
「無事に帰国できることを祈っている。お前にはむこうで大事な仕事があるんだからな」
 そして、次雄は中田の肩に腕をまわすと、脇に連れていった。
「すまないが、これを頼む」
 次雄は封書を何通か中田に渡した。
「はい、肌身離さず、隊長の命だと思って」
 次雄が噴き出した。
「そんなものでもないんだよ。単なる妻への手紙なんだから」
 と、次雄はまた笑ったが、中田はあわせて笑うことはできなかった。
「隊長、赤ちゃんは無事に生まれたんでありますか?」
「もうそろそろだろう。知らせを待っているところだ。さ、もう行け。おいてかれるぞ」
 中田は、敬礼をして、戦友たちに別れを告げにいった。そして、何度か振りかえりながら走っていき、やがて日中より安全な夜の闇(やみ)の中の輸送船へ紛れていった。
 
 翌朝からまた次雄は、新たに配属された初年兵四十人を指揮して、要塞構築のための土木作業にとりかかった。船舶砲兵は陸軍でありながら海の兵隊だったのだが、今度はまさに陸の上での陸軍らしい任務となった。
 土木作業を指揮するのが職務だが、次雄も積極的につるはしを握った。上半身裸となって土を掘るのは、無心になるための行為だった。次雄は、すぐにきほと生まれ来る子どものことを考えてしまった。それを考えないときには、決まって一つの場面が繰り返し現れた。
 それは、この上陸前の戦闘でのことだ。次雄たちが乗る輸送船はフィリピンを目指していた。そのとき、突如、敵機が現れた。上空から編隊を組み爆撃する機影の中から、戦闘機が一機、急降下してきたのだ。急降下爆撃は、射程距離が狭まるので、命中率が格段高くなる。もちろん、同時に、攻撃を受ける危険も伴う。
 次雄たちは高射砲をキーンキーンと休まず撃ち続けて、弾幕を張っていた。上空の敵機には遠すぎて届かないので、ねらいは弾幕を破り、急降下爆撃を仕掛けてきた戦闘機に絞った。その時、一瞬、次雄は見たのだ。真っ白な顔のパイロットの必死の表情を。まだ幼さが残り、ひどく怯えていた。かわいげのある顔立ちだった。あんなに憎んでいたアメリカ兵の顔が、鬼畜とはかけ離れた、あまりに人間的だったことに次雄は驚き、言葉を失った。結局、そのパイロットの急降下爆撃も、次雄たちの高射砲射撃も、ともに功を奏さず、戦闘は終わった。
 以来、次雄はそのパイロットから逃れられないでいるのだ。パイロットには、なぜか敵意も憎しみも感じなかった。では何を感じさせているのか、次雄はそれ以上深く考えなかった。その先を考えると、自分が何を考え出すかわからなくて、こわくなった。だからこそ、パイロットの顔を振り払うかのように、つるはしを振るい続けた。
 
 義理クッキーを配り歩いて一日が終わり、学童へ迎えに行くと、モモが言った。
「パパ、モモのクッキーは?」
「あれだけ味見して、まだ食べるのか?」
「あったり前じゃん」

 夕食後、紅茶をいれ、モモとクッキーを食べた。僕はここ数日クッキーの味見をしすぎて、もうおいしいのかおいしくないのかわからなくなっていた。
 少し、不安になってきた。満を持して雪乃さんに送ったクッキーは、はたしておいしかったのだろうか。
「ほんと、パパのクッキーはおいしいね」
 と、モモが言ったので、その言葉を信じることにした。
 ティータイムをとりながら、テーブルにパソコンを置き、スイッチを入れた。もう雪乃さんはクッキーを一枚くらい食べているだろう。そして、早速メールをチェックした。
 メールは来ていなかった。ため息をついて、もう一枚クッキーを食べた。
「ほんとにおいしいか?」
「うん」
「なら、いいけど」
「パパ、おいしくないの?」
「よくわからなくなってきた」
「じゃ、パパのも食べてあげるよ」
 モモが僕のクッキーを奪ったが、抵抗する気力もなくなっていた。
 
 モモは、この頃、いつまでも起きている。十時前に寝たことなど、遠足の前の日以外、一度もない。バイオリンに触る程度の練習をして、宿題と風呂をすませると、テレビドラマを見ながら、鼻歌まじりに、少女マンガのような絵をずっと描いている。
「モモ、眠くないの?」
「ぜんぜん」
「学校では、眠くないの?」
「ぜんぜん」
 睡眠時間も、大人はひとそれぞれだが、子どももそうなのだろう。
 明日は土曜日だ。モモも僕も夜更かしをする日だ。
 僕はモモを放っておき、テーブルで祖父の手紙を読むことにした。
 
拝啓
夜はランプ生活です 今書く便りもランプ引き寄せ書いています 暗くなるとホタルが澤(たく)山(さん)飛び廻(まわ)り内地を思い出させます 本日の夕食は筍(たけのこ)をとり煮て食べたが甘かったよ 閑(ひま)にでもなれば海岸に出て魚でも獲る予定です 之(これ)からも大いに修養に勉め立派な野(や)僧(ぞう)になる覚悟です 若いお母さん現在に於(お)いては種々労苦も多い事とは思いますが大いに頑張って下さい 此度は表記の処(ところ)に落ち着きましたから 便りはジャンジャン出して貰(もら)い度(た)いね 赤ん坊の調子は如何(いかが)なりや 段々愛可(かわい)くなって来たでせう 一目見度いね 出来たら子供と一緒に写真を撮って送って呉れないかな ご両親様は初孫の事だから珍しがって居られるでせう 御両親様と子供の事は頼みます 体には呉々も注意して呉れ 決して無理はするな
  南十字星輝く南海の涯(はて)より御前の多幸を祈る
草々
 
 祖父に出産の知らせは届いていたのだ。ということは、女の子が生まれたのも知ったはずで、男の子の名前は考えてなかった祖父は、ほっとしたことだろう。
 自分の両親のことを、御両親様と書いてあり、一瞬、おかしいと思ったが、そういえば、祖父は子どものない夫婦のところへ、養子としてもらわれてきたのだった。それゆえに、両親には、実の親以上に気をつかっていたのだろう。
 一度、祖母に聞いたことがある。祖父は娘の写真を見たのかどうか、と。祖母は、生まれて百日目の時に写真館に行き写真を撮って、すぐに戦地に送り、それきりだ、と言う。
  
 中田を乗せた輸送船は、護衛艦に守られ、無事に南洋を渡りきり、門司港へと帰ってきた。中田が下船する際、憲兵が船に乗り込み、所持品検査を始めた。
 近く、フィリピンあたりで、今大戦を決する海戦が行われるらしい。そのため、特に南方からの船は、防(ぼう)諜(ちよう)上の取り調べがかなりきびしくなっているということだった。
 生真面目そうな三十代らしき憲兵が、中田を問いただした。
「これは、何だ?」
「隊長殿から預かった手紙であります。これはお渡しするわけには参りません。奥様にお届けする約束であります」
 中田は、連行され取り調べを受けるか、手紙を引き渡すか迫られ、返事をできないでいるうちに、手紙は奪われてしまった。
 検閲を受けてない手紙が、国内に持ち込まれることなど、防諜上許されるはずがなかった。
 早く任務を終わらせたい憲兵は、中田の言葉を待たず、中田に船を下りるように命じた。
 
 僕の母が生まれたのは、七月。すでに、サイパンが陥落し、本土空襲も始まっていた。祖母たちが暮らしていた家にも焼(しよう)夷(い)弾(だん)が落ち、女中さんが干したばかりでまだ濡(ぬ)れていたおむつをかけて消火したという話も何度も聞いたことがある。
 乳児を背負って外出するのは、そうとう危険だっただろう。祖母は、ようやく百日目のときに、舅(しゆうと)と姑を(しゆうとめ)連れ、乳児を背負って、写真館に行ったのだ。
 
 南国の陽射しは激しい。次雄たちの船舶砲兵小隊は、大発と呼ばれる小型の船に乗り込んだ。バターン半島ラマオの陣地構築作業を終え、次はレイテ島での作業に取りかかることになっていた。
 次雄は船に乗っているのに、高射砲を気にしなくてもいいことに、居心地の悪い気がした。大発は、上陸用船艇であるため、船首に機銃がついているだけの軽武装だが、船体が小さい分、機動力はあった。
 レイテ島までの航行中、次雄は露営地が変わることで、手紙を受け取れなくなるのではないかと心配ばかりしていた。生まれたばかりの娘の写真が海を渡ってもうすぐ届くはずだ。
 
 実際、この頃では、米軍の空爆が激しさを増し、これまで以上に輸送船が沈められている。軍事郵便もほとんど届かなくなっていた。
 パソコンで、ここまで書くと、メールボックスを開いた。まだ、雪乃さんからのメールは来ていなかった。ため息をひとつついて立ち上がると、ソファで毛布にくるまりテレビを見ているうちに眠ってしまっていたモモをベッドまで運んだ。
 キッチンに戻ると、テレビを消して、音楽をかけた。暗いカウンターだけのバーで流れているようなジャズだ。僕は酒は弱いのだが、そんなバーが好きなのだ。照明を落として、またパソコンの画面に向かい、続きを書こうとしたのだが、キーボードを打つ手が止まってしまった。
 愛するひとのために命を捧げる若い兵士……、そんな美談を僕は書こうとしているのだろうか。ひとのいい祖父は、やむを得ず戦争に巻き込まれた被害者……、そう書いてまとめてしまっていいのだろうか。
 殺される側にいた祖父は、同時に、殺す側にもいたのだ。被害者であるとともに、それ以上に加害者でもあったのだ。片方だけを見れば、美談にもなるだろう。当時の政府が、戦死した勇敢な英雄を脚色して教科書に載せたように。
 僕が書いているのは、どんな物語なのだろう。
 紅茶に少しブランデーをたらし、それを飲みながら、もうすでに何度も開いているメールボックスを見てみた。
 ようやく、雪乃さんからのメールが届いていた。もう午前一時を過ぎていた。
 
  「ジローさん、こんばんは」
 
もうきっとおやすみになっていますよね。
クッキー、わざわざ、この日に送ってくださり、ありがとうございました。
とっても、おいしくて、娘ととりあいになりました。
もちろん、ちゃんと私の分は確保してあります。娘のよりも多く(笑)
どうして、あんなにサクッと焼けるのですか?
 
さきほど、娘を寝かしつけ、一人でお茶をいれ、クッキーを食べたのです。
誰にも邪魔されず、一人で一口ずつ味わいながら。
気づくと、涙が頬を伝っていました。
 
ジローさんの手を感じることができたんです。
その手は、こんなにおいしいクッキーを作ったり、
毎日私に元気を与えてくれるコトバを書くのです。
決して、暴力を振るったりはしない手。
 
いつかジローさんが書いたことに、とっても共感したんです。
 
お互い、自分の足で立って、
見つめあうのではなく、
ともに同じ方向を見つめ、
よりかからず、よりそう。
 
そんな二人が理想なんでしょ?
私に一文、書き加えさせてください。
 
手をつないで、と。
 
これを書くのに、
これを送信する勇気をふりしぼるのに、
今日は何時間もかかってしまいました。
 
それでは、今から送ります。
 
 僕は深夜のキッチンテーブルで一人、いい映画を見終わったような余韻に浸っていた。
 頭の中で音楽が流れてきた。一瞬、何の映画のテーマ曲だったかわからなかったが、すぐに思い出した。チャップリンのモダンタイムズだ。
 一本の道が続く。そのむこうには山が重なって見える。その道を、チャップリンとヒロインが、手をとりあって歩いていく。そして、THE ENDとなる。
 雪乃さんと、いつか、暗くてジャズが流れるバーに行くことも夢ではないかもしれない。
 
 土曜の夜、僕はモモと実家にいた。祖母は隣の座敷で、テレビの前に正座して、・冬のソナタ」が終わって新しく始まった韓国ドラマを見ていた。モモは父にまとわりついていて、母はキッチンのテーブルで晩(ばん)酌(しやく)。僕は座(ざ)椅(い)子(す)に座り、膝にパソコンをのせて、兄の面倒を見ながら、祖父の最後を書き始めた。
 祖父がいたのは昭和十九年十月十八日のレイテ島のあたり、大発の墓場と呼ばれていた海域だ。その二日後にはアメリカ軍がレイテ島に上陸する。
 
 次雄たちの乗った船が、レイテ島に近づいた。次雄はそこが死地だと思っていた。高射砲を撃つことが任務である次雄たちは、何もできずただ甲板にじっと座っている。上陸したら、海に手(しゆ)榴(りゆう)弾(だん)を投げて、爆発後浮いてくる魚をとって食べようなどと考えていた。今後ジャングルに入るようなことになれば、栄養確保も難しくなるはずだ。
 終わりは突然訪れた。米軍の機影が視界に入った。ぐんぐんと近づいてくる。
 この船には、高射砲は配備されておらず、船長は爆撃を回避するため蛇行運転を始めた。
 来るな、今は徒手空拳だ。むこうに行け。次雄は部下たちに動揺を見せないよう努めながら、そう願った。通り過ぎてくれ。いずれ死ぬ覚悟はできているが、まだ娘の顔を見ていない。待て。写真が届いてないのだ。もう少しだけ待ってくれ。
 
 祖母が言うには、戦死の公報には「全身爆傷」と書かれていたそうだ。その公報は、終戦後、一年以上経ってから届いたという。
 たしか祖母の話では、生まれたばかりの母の写真を撮ったのは、誕生から百日目だったはずだ。それならば、計算すると、その日にはすでに祖父はこの世にはいなかったことになる。祖父が最後に書いた恋文は、中田が憲兵に取りあげられ届かず、生まれたばかりの娘の写真も祖父のもとには届かなかった。
 祖父は、愛するもののために死んだのではなく、ただ愛するもののために生きることができなかったのだ。それ以上でも、それ以下でもなかった。
 僕は祖父を書いて、祖父を生きたような気がする。そして、物語が生まれた。物語はいったん生まれたら、決して死を迎えることはないのだ。
 祖母は、韓国のドラマを見ると胸がいっぱいになり、その夜は眠れなくなって、次の日も一日中ずっと考えているという。きっと、今も祖父との物語が胸のうちに存在していて、それを思い出しているのだろう。
 
 僕のケイタイが鳴った。メールの着信音だ。
 
  今、電車に乗りました。よろしくお願いします。
 
 今うちを出て、車で駅まで行けば、少し早めに着くだろう。
「モモ、早く支度しろ」
「だって、何着てけばいいかわかんないんだもん」
 僕はモモの洋服だんすから適当に選び、コーディネイトした。
「パパ、これでいいの?」
「大丈夫」
「本当かなあ」
 モモは頭をひねった。
 僕も多少は小学生の女の子のファッションがわかってきたつもりだ。
 窓際に行き、天気がいいことを確かめて、メールを返信した。
 
 では、駅の北口で待っています。後で電話します。
 
「ほんとにいいのかなあ」
 と、洗面所の鏡で自分の姿を見てきたモモが言った。
 今度は、僕がモモに訊(き)いた。
「パパの格好、ダサさくない?」
「別に」
「じゃ、かっこいい?」
「それはない」
「じゃ、恥ずかしくない?」
「ま、いいんじゃない」
「本当かなあ」
 僕は頭をひねった。
 
 ようやく、僕たちはミルクティーの入った水筒とホットサンドが入ったランチボックスを持って、車に乗り込んだ。
「パパ、だから、どこ行くの?」
「花見行くんだって」
「誰と?」
「シングルママフレンド」
「何それ?」
「ま、友達ってこと」
「ふーん」
「モモと同い年の子も来るってさ。楽しみにしてるらしいよ」
「男の子?女の子?」
「女の子」
「やったー」
 駅前で車を停(と)めた。心臓の鼓動が速くなった。こんなに緊張するとは、思ってもみなかった。
 もう時間だ。僕は呼吸を落ち着かせ、雪乃さんのケイタイにかけてみた。
「パパ、がんばれよ」
 助手席のモモがすべて見透かしたように、僕の肩を叩いて、微笑(ほほえ)んだ。
 そして、数秒後、僕は初めて雪乃さんの声を聞いた。(完)

GROWING UP

 朝六時、目覚まし時計のアラーム音が鳴る。ダブルベッドに寝ていた僕は手を伸ばし、スヌーズボタンを押した。このボタンを押すと、五分後に また鳴るのだ。そして僕は至福の五分間を過ごす。
 六時五分、またアラーム音。ここで僕は、一瞬、考える。今起きようか、それとももう五分眠ろうか。しかし、迷うことなくスヌーズボタンを押し、また眠る。
 六時十分、今度は、隣りで眠るモモの体を揺する。小学校一年生にしては大きいが、まだまだ小さいモモの体が揺れる。
「モモ、朝だよ。起きる時間」
 不機嫌なモモがなにやらつぶやいている。眠いとか、もう少し寝かせて、とかいったようなことだろう。そして、スヌーズボタン。親子で、また五分間眠る。
 六時十五分、ここで僕は覚悟を決める。もう起きなくてはならない。今度は、スヌーズボタンを押さず、アラームのスイッチを完全に切った。
「モモ、いい加減に起きて。小学校行くんでしょ」
「まだ、眠い。百数えて」
 僕はしかたなく、数え始める。一二三四五六七八九十……。
「パパ、速すぎる。もっとゆっくり数えて」
 僕は頭に来るが、大きく息を吸って吐いて、もう一度数え直す。十一、十二、十三……。
「違う、最初から。一から数えて」
 僕はもう数えない。
「いい加減にしなさい。もう起きなさい。小学校行かないの?」
「行くけど、眠いの」 
 僕は布団をはぎ取る。それでもモモはまだ起きない。ため息が出る。怒りをぐっとこらえて、次の作戦に出る。
「姫、朝でござるよ」
 モモは目をつぶったまま笑顔になる。
「姫、姫、起きるでござるよ」
 モモはようやく目を開ける。
「じい、まだ眠い」
 モモは威張って答える。これは、このごろ二人でよくやるバカ姫ごっこだ。バカ殿の姫バージョンだ。
「起きてもらわなくては、じいは困るでござるよ」
 僕はモモを抱き上げて揺する。
「じい、抱っこで連れてっておくれ」
「姫、わかったでござるよ」
 僕がモモを食卓まで連れていき、椅子に座らせ、ようやく一日が始まる。モモは、パジャマではなく、体操服を着ている。今日は体育のある日だ。
 体操服というのは、すこぶる便利なものである。パジャマにもなるし、朝、服を選ぶ手間も省ける。
 時間はすでに六時半を過ぎている。モモを起こすまでが、毎朝、戦争である。毎日、戦法を変え、強い意志で、戦わなくてはならない。
「何食べるの?」
「餅」
 最近、ありがたいことに、モモは餅に凝っている。サトウの切り餅をビニールパックからとりだし、海苔を巻き、小皿にのせ、五十秒電子レンジで温める。その間、大小のグラスを二つテーブルに置き、大には牛乳、小には野菜ジュースを入れる。レンジから出した餅に醤油をかければ、朝食の準備は完了だ。
 モモはなかなか食べ始めない。僕は早く食べなさいと言いたくてたまらないのだが、ここでもこらえる。早く早くと言われて育てられた子どもが、暴走族に入ると聞いたことがあるからだ。
 僕はまだ朝食はとらない。モモの監視を続ける。モモは僕の目を盗んで醤油を大量に餅にかけたり、ソファーに寝ころび二度寝したりするからだ。まったく、戦争である。一秒も気が抜けない。
 モモが餅を食べている間、僕はその背後に立って、髪をとかす。この髪は、入学前に美容院に連れていき、ショートになった。モモにはショートのほうが似合うしかわいいからと言ったのだが、本当は美容師に朝時間がかからない髪型と言って切ってもらったのだ。
 ようやく餅一個がモモの腹におさまったが、まだ野菜ジュースが残っている。僕に見張られたモモは観念して、いかにもまずそうな顔をして野菜ジュースを飲み干す。
「さ、歯磨き」
 モモが、洗面台に歩いていく。今にも倒れ込んで眠りそうな足取りだ。毎朝のことだが、今夜こそ早く寝かそうと思う。
 もう七時をまわっている。体操服の上に、カーディガンを着せて、モモにランドセルを背負わせた。
「ハンカチ持った?」
 これから靴を履こうとしているモモに僕が訊いた。
「忘れた。パパ、持ってきて」
 僕はハンカチをとってくると、モモの体操服の半ズボンの後ろポケットに突っ込む。
「パパ、おなか痛い」
「じゃ、治してあげるよ」
 毎朝のように腹痛を訴えるモモは、おなかとおなかをくっつけて僕と抱き合えば治ると信じている。僕が椅子に腰掛け両手を差し出すと、モモが僕の膝にのり、胴体に巻きついてくる。この治療法は、僕があみだしたものだ。一分もそうしていれば、たいてい、モモの腹痛は治ってしまう。
「さ、いってらっしゃい」
 と、モモの背中を軽く叩き、モモを床に下ろして、立たせる。
 しかし、モモは立ちつくしている。
「パパも来て」
 僕はパジャマ姿だが、しかたなくそのままうちを出る。この団地の子ども四人が駐車場に集まって登校することになっている。そこまで手をつないで連れていく。
 女の子二人、男の一人が、すでに集まっていた。その子たちの母親や、おばあちゃんが、見送りに出ている。
「モモちゃん、おはよう」
 と、同級生の女の子が声をかけてくれる。モモは僕の手を離し、小走りでそちらに行く。
 僕は大人たちに「おはようございます」と、精一杯の笑顔で頭を下げ、モモを見送る。モモは、一回だけ振り返り、僕に手を振った。僕はうちに戻りながら、数回振り向く。モモの大きなランドセルが、振り向くたびに小さくなっていった。
 郵便受けから、新聞をとって、うちに戻ると、七時十五分、三月まで僕がまだ熟睡していた時刻だ。
 モモの小学校入学と同時に、この二人暮らしが始まり、それまでより一時間三十分も早く起きるようになった。
 僕はテレビをつけ、新聞をめくり、湯を沸かす。こんなひとときは、生まれてこのかた持ったことがない。六時起床など、年に一回あるかどうかだった。起きてから家を出るまで三十分以上かけないのが、これまでのやり方だった。これまでのやり方がまったく通じない新生活が始まったのだ。
 それにしても、早く起きて、朝刊を朝読むのも悪くない。これまで、朝刊はたいてい夜に開いた。夜には、ニュースが古くなっているので、これまではテレビ欄を眺める程度だった。やはり、朝刊は、朝読むに限る。
 それに、朝食に時間をかけられるのも悪くない。朝のコーヒーは、時間をかけて味わうほうがおいしいようだ。
 新しい生活は、そんな思わぬ収穫も用意してくれていた。

           *             *

 離婚後、モモと二人で暮らすようになって、なぜ、とよく訊かれる。
 まず、なぜ別れたかという質問。これを訊いてくる者には、一言、none of your buisiness と言いたい。まったく、もし一言で別れた理由を言えるのなら、別れていなかったにちがいない。人生はそんなに単純ではないのだ。
 だから、この質問には、答えないことにしている。
 それともう一つの質問、なぜ、モモをひきとったか。これにも困ってしまう。
 そういえば、まわりに母子家庭はあるが、なかなか父子家庭にはお目にかかることはない。それに、僕が家事、育児、そして、仕事をすべてこなせるのか、心配もしてくれているのだろう。
 ありがたい心遣いだが、これもnone of your buisiness である。
 ただ、モモと暮らすことを決めたこれといった理由はないのだが、そのことを決めた情景は思い当たる。
 それは冬のことだった。
 僕は高校教師としての昼間の仕事以外に、月に何回か労働組合や市民団体の会合に出かけなくてはならない生活を何年も続けていた。 
 次の春に離婚することが決まり、数ヶ月が経とうとしていた。専業主婦だった妻は、週末にアルバイトをするようになった。離婚を心に決めている彼女が見つけてきたバイトは、皮肉にもホテルの結婚式場での仕事だった。彼女はいったいどんな気持ちでその仕事に当たっていたのだろう。いつしか、妻の考えていることが、さっぱりわからなくなっていた。
 そんなわけで、僕は極力、週末はモモと過ごすようにした。休日に会合がある時は、モモを連れていった。
 一月、大寒の日曜日、モモを助手席に乗せて、車を走らせていた。ちょっとした会合にモモをつきあわせた帰りだった。会合の間、モモは絵を描いたり、絵本を読んだりして、よく耐えていた。
 カーラジオが、午後五時になったことを告げた。少しは日が長くなったのか、まだ明るかった。車はある一級河川の鉄橋にさしかかろうとしていた。
 それは、ふとした思いつきだった。
「モモ、ちょっと、河原行ってみようか?」
「何があるの?」
「何もないよ」
「ふーん」
 鉄橋の手前から、車は混み始めた。鉄橋をのろのろと走っていくと、河原が見えた。野球のグランドや公園があり、それらを遊歩道がつないでいる。河原の面積は、川面のそれより、はるかに大きい。
 モモは河原にはあまり興味がないようだった。それも当然だろう。外は寒いし、河原には石しかないのだ。
 やがて川の真上を走った。車窓からは、青みがかった鈍色の水面が見下ろすことができる。この川には、小学生の頃、よく釣りに来た。僕は鮎釣りに来たのだが、鮎は一匹も釣れず、ドンコと呼ばれるハゼを小さくしたような魚ばかりを釣り上げた。
「パパ、河原行ってみよ」
 モモが言い出した。まだ鉄橋を半分ほど渡ったところで、むこう側の河原なら下りられる。
「じゃ、行こう」
 二時間近く続いた会合の間、モモはずっと僕の隣りに座り、小さな部屋の中に閉じこめられていた。外がいくら寒くても、広いところに出てみたくなったのだろう。
 こちら側の河原には、公園などはなく、地面の石と、点在する枯れ野しかなかった。ここは、海までは五キロほどで、もう下流と呼んでいい地点だ。
 石ばかりの河原には轍があり、そこを通れば、車を走らせることはできた。背の高い雑草の先の揺れ具合を見ると、外の風がそうとう強いことがわかった。空っ風だ。
 水辺には、さすがに、車で近づくことはできなかった。轍がなくなり、下手をすると、タイヤがはまりそうだった。
 轍の尽きるところに、車を停めると、モモに赤いジャンパーを着せた。モモは足が地面についた瞬間、解き放たれた野鳥のように、走り出していった。スカートからはみ出たモモの両脚が心地よく回転していく。
 そんなモモの背中を見ながら、僕もジャンパーを羽織ると、マフラーを無造作に首に巻いて、車から出た。空っ風が、頬に突き刺さるようだった。
 ここから、まだ水辺は遠い。あたり一面、隙間なく無数の灰色の石があった。ほとんどの石は角がとれて丸くなっている。
 かすかに明るさを残す空にも河原にも、灰色が無限を感じさせるほど広がっていた。
 百メートルほど川上に、一台のスポーツカーが停まっているのが見えた。あの中では、恋人どうしが、人目を避けて、ささやきあっているのだろう。十年以上前に、当時の恋人を連れてここに来たことを思い出した。
 モモがなにやら叫んでいる。気づけば、モモはずいぶんと遠くまで行っていた。一面に広がる河原の灰色の中に、モモのジャンパーの赤が一点、鮮やかに映えている。
 走ってみた。モモに向かって、走ってみた。足が地面につくたびに、丸い石が微妙に動くのを感じた。
 モモと水際に立った。息は上がっていた。しばらく、しゃべるのも面倒だった。水幅は広い。向こう岸まで、四、五十メートルはあるだろう。流れは思ったより速く、うねるように海へと向かっていく。この水は、あと鉄橋を一つくぐれば、海にたどりつくのだ。
 モモがおそるおそる流れに近づき、しゃがんだ。そして、手を水の中に入た。
「つめたい」
「そりゃ、そうだよ。こんなに寒いんだから」
「パパも手入れてみて」
 しゃがんで水に手を入れてみた。たしかに、冷たい。かみつくような冷たさだ。
「パパ、落ちないでよ」
 背後にモモが立ち、ジャンパーの首のあたりをつかんでいた。
 それから、モモは、小石を拾っては、川に投げた。
「水切りって、知ってる?」
「知らない、何それ?」
 野球のアンダースローのモーションで、水面に対してできるだけ平行に石を投げた。石は、ズボッと水面に消えた。モモは、不思議そうな顔をしている。
「ちょっと待って、もっと平たい石でなきゃだめだ」
 モモは足下にあった石を拾い、手渡した。
「パパ、これは?UFOみたいだよ」
 またアンダースローで投げた。今度は、一回だけ、石は跳ねた。
「すごーい、すごーい」 
「もっとできるよ。今のは一回跳ねただけだから」
 二人で、UFOのような石を探した。そして、モモが渡す石を投げ続けた。投げるたび、指先に血が集まっていくような、しびれに近い鈍痛を感じた。
 最後に、思い切り走ったり、投げたりしたのは、いつのことだろう。思い出すことができなかった。
 どんなに力を込めて投げても、石を二回跳ねさせるのが、精一杯だった。小学校の頃、僕が投げた石が何回も跳ねていった記憶がある。
 なおも投げ続けたが、指のしびれを感じてあきらめた。それでも、初めて水切りを見たモモは、父親の業績に満足しているようだった。
 いつの間にか体が温まってきた。そして、小学校の時、水切りをしたのは静かな湖面だったことを思い出した。この川の水面のように、うねりながら流れていては、水切りはできないのだ。一人合点すると、かすかな笑みが顔に浮かんだ。
 モモは、水切りに飽きると、流木を拾っては、川に投げて流していた。
「パパ、この木、どこまで行くの?」
「海だよ」
「外国まで行く?」
「どうかな。あ、そうだ、今度さ、ビンに手紙を入れて流してみようか?」
「やりたい、やりたい」
 モモはビンが落ちてないか探して、歩き始めた。
 ビンの中に、手紙を入れて、今の時代ならEメールアドレスでも書いておけば、返事が来るかもしれない。それで、どこかの誰かにつながり、そのつながった先が、新しい世界へと通じていて、今の現状を抜け出せるのだろうか。
「パパ、この木投げて」
 モモは僕の空想を断ちきり、足下に転がる一メートルほどの流木を指さした。表面がなめらかで、直径は十五センチほどあった。軽くはなかった。両手で抱え上げると、ハンマー投げの要領で、体を回転させて、川に放り投げた。その流木は、大きなしぶきを上げて、一瞬、水の中に潜り、すぐに浮かび上がり、川の流れにのった。モモはその流木を追いかけて走っていく。黄昏時の薄闇の中に吸い込まれるモモの背中がみるみる小さくなっていった。
 何度かモモの名前を呼んだが、モモは足を止めない。しようがなく、走っていった。 すると、モモが立ち止まり、叫んだ。
「パパ、来て、たいへん。早く来て」
 ようやく追いつくと、モモが川面を指さした。
「あの木、流さなきゃ」
 モモの指の先に目をやると、半分だけ姿を現した潜水艦のような真っ黒な流木が、浅瀬に打ち上げられていた。モモの胴体くらいの大きさだ。モモにとっては、流木は海まで流れていくもので、それが流れなくては大変ということになるのだろう。
「よし、石投げてみよう」
 と、提案した。モモがどっこいしょどっこいしょと両手で大きめの石を運んでくる。それを受け取ると、流木の手前に投げ込む。その時できる波で、流木をむこうに押し出そうという作戦だ。
 橋を通る車がライトを点灯し始めた。薄闇が濃くなってきた。流木の上に出た部分は黒光りしている。
 石をいくつか投げ込んでも、流木はなかなか動かない。水分を含んで、重くなっているのだろう。
 モモが棒きれを拾ってきた。今度は、それで流木の横腹をつつこうという作戦だ。ところが、棒きれが流木に届かない。
「モモ、島をつくろう。そこに足をつけばいいよ」
 浅瀬に一点を決めて、そこに石をいくつか投げてみた。モモも投げた。やがて、小さな山の頂上が水面に出てきた。
「まだ、だめ。もっと石を投げよう」
 モモは小さい石は投げ、持てないような大きな石は手渡してきた。やがて姿を現した即席人造小島に足をついてみた。思ったより、しっかりとした足場だった。モモから棒きれをもらい、右足をそこにのせ、右手の棒でその木をついた。左手はモモとつないでいる。
 かなり重い。強くつつくと棒が折れそうだったので、そっとつついてみた。すると、木がぐらりと転がり、少しむこうに行った。
 さらに押そうとした時である。右足の島が崩れ始めたのだ。右足の足首まで水が迫っている。黒光りする流木は、ますますその存在感を増していた。モモは後ろからがんばれと叫んでいる。僕は棒でつつく手を休めることはしなかった。
 いつしか、流木と戦っているような気になった。どうしても、その木の塊を奔流にのせなくては気がすまなくなった。モモがもうやめようと言った瞬間、足場が完全に崩れた。冷たい水が一気に靴の中に入ってきた。
 いったん岸に戻った。片手をモモの肩に置き、もう片方の手で靴をつかみ中の水を出した。
「重たいよ。なかなか動かない」
「パパの靴濡れちゃったよ、これ使って」
 モモがハンカチを差し出した。
「いいよ、そんなんじゃ拭けないよ。もうどうせ濡れちゃったから、足入れて、もう一度やってみるよ」
「もう、帰ろうよ。暗くなってきちゃうよ」
「だめだめ、どうしてもやんなきゃ」
 その木の塊が、目の前に立ちはだかる大きな障害のように思えてきた。それを取りのぞかなくては、次に進めないのだ。もはや、木の塊の存在は、暗黒の象徴にまで高まっていた。
 今度は、右足をどっぷりと水の中に入、塊を棒きれでつついた。モモを引きずり込みそうなので、手はつながなかった。黒光りする潜水艦のような木の塊は、こちらを威嚇しているかのごとくまったく動じない。僕は怒りさえ感じ始めた。つつくたび、棒が弓形に反る。
 そして、最後に声まで出して、渾身の力を込めてつついた。結果は、あっけなかった。棒はぽっきりと折れ、木の塊ではなく、棒の先が奔流にのって流れていったのだ。木の塊は、すっかり闇に馴染んでいた。その上のあたりが、まだかすかな光を反射させている。木の潜水艦が勝利を確信し、僕をせせら笑っているように見えた。
  大きなため息が出た。ため息ととも、体内から気力も抜け出ていった。そして、体内にあいた穴に、敗北感が充満し始めた。
 岸に再度戻ると、先ほどと同じようにモモの肩に手をかけ、もう片方の手に持った靴の中の水を出した。モモはハンカチでその靴の濡れた表面を拭き始めた。
「パパもがんばったのになあ」
「もういいよ」
 モモはハンカチで拭くのをやめようとしない。
「がんばっても、だめなこともあるよ」
 とモモに言ってみた。
「うん」
「じゃ、帰ろうか」 
「帰ろ」
 すっかり闇に包まれる前に、急がなくてはならなかった。車からは、三百メートルほど離れていた。
 早足で歩くと、靴の中で水が奇妙な音を立てる。冷たさは、一歩ごとに、じわじわと肌に染みてくる。そんな右足とは対照的に、左手に握るモモの手が温かかった。
「そっちの手に何持ってるの?」
「パパがのっかてた石」
「あの島の」
「そ」
 それは、何という種類の石かはわからなかったが、渦が巻いている模様のオレンジがかった石だった。
「さ、急いでいこう。おばあちゃんちで、温かくておいしいもの食べよ」
 二人で走り出した。モモの手を引きながら、その手が、眠る前、温かくなることを思い出していた。 
 以上が、おそらく僕がモモをひきとることを決めたであろう情景である。妻と離婚してモモと二人で暮らすことは、川の水が上流から下流に流れるように、極めて自然なことだった。
 
 小学校入学を控えた春休みのことだ。モモは、夕食後、七時から始まるテレビのアニメを見ていた。妻は入浴中だった。
 テレビの前にあぐらをかいているモモが、背後で寝ころんでいた僕に言った。
「パパ、知ってる?」
「え?」
「ママのこと」
 僕は少し気構えた。
「ママのことって?」
「離婚するんだって」
 モモはませていて、離婚などという言葉の意味は知っている。
「ママに聞いたんだ」
「うん。パパも知ってたの?」
「そりゃね」
 モモは視線をテレビの画面からそらさない。僕はその背後で寝ころんでいた。
「大丈夫だよ」
「うん」
「ビリーみたいに、パパと暮らすんだから」
「あ、ビリーね」
 ビリーとは、映画クレイマークレイマーに出てくる少年の名前だ。ダスティン・ホフマン扮する主人公が、ある日突然妻に離婚を切り出される。妻が去った後、彼は息子ビリーと二人で暮らし始める。
 僕は、モモがこんなことになっても驚かないようにと、DVDでその映画を見せていたのだ。
 夜、ベッドに入ってから、隣りの部屋で寝る妻に隠れて、僕のノートパソコンで、DVDを見るのが、僕とモモのささやかな楽しみである。
「ビリーみたいに一緒に料理したりしよっか?」
「うん」
 僕はおそるおそるモモの横顔を見てみる。いたって普通の表情だ。
「いや?」
「別にいいけど」
 それはモモの口癖である。
 その夜、二人で湯船につかっている時にも、モモは離婚のことを口にした。
「パパ、どうして離婚するの?」
「うぅん」
「ママが嫌いなの?」
「そういうわけじゃないけど……」
 僕は嘘をついた。大嫌いである。
「じゃ、なんで?」
「ママは心の病気だから」
「心の病気ってどんな病気?」
「トラウマ」
「虎と馬?」
 僕は笑う。
「パパ、何それ?」
「心の傷かな。悲しいことがあると心に傷ができるんだよ。でも、悲しいことは忘れたいでしょ。だから、いつの間にか忘れちゃうの。でも傷は残るんだよね」
「それが心の病気?」
「うん。その傷のことを忘れちゃうでしょ。そうすると、どこに傷があるかわかんなくなっちゃうから、治せなくなっちゃうんだよね」
「じゃ、思い出せばいいんじゃない」
「そう。でも、それが、なかなか思い出せないんだよね。だから病気ってわけ」
「ふーん」
 僕はひさしぶりに頭をフル回転させた。
「ママはね、このうちにいるとその傷をなかなか思い出せないみたい。だから治らない。それで、離婚しておばあちゃんちでのんびりするんだよ」
「ふーん」
 そのとき、この浴室まで、かすかに、玄関のドアが開いて、閉まる音が聞こえた。
「また、ママ出てったよ」
 モモも気づいてしまった。
「うん。そうみたい」
「どこ行くのかな」
「友達に会いにいくんじゃない。心の傷のこと相談してくるんだよ、きっと」
「あ、そっか」
 妻が長風呂だったため、湯は温かった。だから、湯船に長く浸かっている必要があった。
「ママ、帰ってくる?」
「モモがいい子で寝てれば、帰ってくるよ。心配いらないよ」
「でも、なんで離婚しなくちゃいけないの」
 モモの目は好奇心で輝いていた。
「他にもいろいろ心の病気があるからね。潔癖症とか」
「何それ?」
 僕はしばらく沈黙した。湯船の湯をかき混ぜながら、言葉を探した。
「ママはきれい好きだよね」
「うん。掃除大好き」
「あれはね、ママには、埃がなくてもあるように見えちゃんだよ。汚くなくても汚く思えちゃうんだよ」
「だからママ掃除ばかりするんだ」
「そう、パパなんか、埃の塊が歩いているみたいに見えるんじゃないかな」
 モモは笑った。
「モモにはそうは見えないけど」
「そりゃね。モモは心の病気じゃないから」
「パパ、心の病気って他にもある?」
「あるよ」
「どんなの?」
 僕は妻のアイデンティティの喪失を説明しようと、言葉を探した。
「自分がなんだかわかんなくなっちゃう病」
「そんな病気あるの?」
「あるよ。大人になったら、みんな何かにならなきゃいけないでしょ。パパは学校の先生。でもママは、今、自分がなんだかわかんなくなっちゃったんだよ」
「それが病気なの?」
「そう」
「なんで?」
「うん。もし、モモが劇に出なくちゃいけなくて、ステージに立ってるけど、自分の役がわかんなかったら困るよね」
「そりゃ、困るよ。泣いちゃうかも」
「つまり、そういうこと。わかった?」
「ふーん」
 モモは他人事のように答えて、ポケモンのおもちゃを、湯の中に沈めたり浮かべたりして遊びだした。 
 風呂から出て、歯磨きを終え、ベッドに入ると、モモが言った。
「パパ、ビリー見よ」
「もう遅いからだめだよ」
「じゃ、ちょっとだけ。料理するとこだけでいいから」
「それ見たら寝る?」
「ちゃんと寝るから」 
 僕はベッドの背もたれに寄りかかり上体を起こし、膝の上にのせたパソコンを起動させた。モモは僕の肩にもたれて少し上体を起こした。
 やがて、パソコンの画面で、ダスティン・ホフマンが出てきた。妻が出ていった翌日、息子のビリーと、フレンチトーストを作り出すが、卵を割って殻を入れてしまったり、コーヒーの豆を入れすぎたりと、悪戦苦闘する。失敗するごとにめちゃくちゃな言い訳をして、必死に楽しそうに振る舞う。結局、熱くなったフライパンの取っ手を素手でつかんでしまい、その熱さにフライパンを床に落としてしまう。頭に来たダスティン・ホフマンが壁を蹴るところで、そのシーンは終わる。
 モモは、そのシーンを見ながら、何度も笑った。同い年くらいのビリーにも親近感を持っているようだ。
「じゃ、もう寝るよ」
「いや」
「ちょっとって言ったでしょ」
「もう一つの料理のとこだけ」
「だめ」
「おねがい」
「もう遅いって」
「そこだけだから」
「絶対寝るって約束する?」
「するする」
 僕はしようがなく、映画の終わり頃のもう一つのフレンチトーストのシーンを見ることにした。
 ダスティン・ホフマンがボウルに卵を割って入れる。向かい合ってシンクの横に座っているビリーが卵をかき混ぜるフォークや、パンを父親に手渡し、流れる作業でフレンチトーストができあがっていく。
 映画の中では、二人の暮らしが始まり、一年半が立っている。その時間の流れと、親子の絆の深まりを、感じさせるシーンだ。
 モモはあくびをし始めた。
「パパ、もう寝よ」
 僕はパソコンをベッドの下に下ろし、電気スタンドのスイッチを切った。
 明朝、モモはフレンチトーストが食べたいと言い出すだろう。映画の影響を受けやすいのだ。映画でキスシーンを見れば、その翌日は必ず僕に何度もキスしてくるのだ。

 朝目覚めると、すでに妻は外に出かけていた。三月の末日、いよいよ妻が出ていく日が迫ってきた。
 僕はダブルベッドで、隣りに寝ていたモモを起こす。
「もう、起きて。朝だよ」
 いつもは目覚めの悪いモモの目がぱっちりと開いた。
「あ、サファリパーク行く日だ」
 モモがすぐベッドから出た。
「ママは?」
「もう仕事に行ったんじゃないかな」
「ふーん」
 僕はベッドを抜け出し、ダイニングに行った。とりあえず、朝食だ。
 居間には段ボールが積み上げられていた。妻が荷造りを始めたようだ。
 モモがチェックのスカートと白いとっくりセーターという格好で現れた。昨夜に決めておいたコーディネイトだ。
「モモ、コーンフレークね」
 モモがテーブルにつくと、僕がボウルにフレークと牛乳を入れた。
「はい、食べて。食べたら出発だよ」
「しゅっぱーつ」
 モモが拳を天井に向かって突き上げた。僕は、「しんこー」と言った。モモは僕の声が元気ないので不満そうな顔をした。
 素早く湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れて、テーブルにつくと、市役所の封筒が置かれいるのが目に入った。中を見ると、離婚届が入っている。何か大病を告知されたかのように、胸のあたりが落ち着かなくなった。開くと、僕の署名欄以外すべて記入済みだった。
 本物を見るのは初めてだった。なかなか緊張感を持たせる書類だ。
 僕は努めて平静を装い、モモと同じメニューの朝食をとった。

 モモはちょっとしたことですぐ泣くようになった。
 サファリパークに車で行く途中も、一回、泣いた。
 その日は天気もよくかなり暑くなった。富士山の麓のサファリパークまでは、車で二時間ちょっとである。車窓を少し開け、温まった春の風を頬に受けながら、走った。
 うちを出て一時間ほど経った頃だ。モモはおなかが痛いと言い出した。コンビニによってトイレに行くことをすすめても、モモはくびを横に振る。下痢ではないようだ。
 そういえば最近モモはよく腹痛を訴える。おそらく精神性のものなのだろう。
 車はうちに引き返すには遠すぎるところを走っていた。富士山も大きく見えてきた。
「モモ、もうすぐ着くから、我慢できそう?」
「うん、我慢できる」
 すると、突然、モモが暖房をつけた。
「ちょっと、それ一番熱くなるとこにしてるよ」
 僕が暖房を止める。
「寒いの」
 また、モモが暖房をつける。僕がもう一度消すと、モモがもう一度つけた。僕は車窓を全開にした。
「パパ、寒い。閉めて」
 ハンドルを握っている僕は、そのうち、イライラしてきた。そして、暖房を止めた。
「寒いって言ってるでしょ」
 モモがまた暖房をつける。
「パパ、窓閉めてって言ってるでしょ」
 モモは叫び声に近い声を出す。
 寒いわけがない。外を歩行者は、半袖で歩いている。
 僕が暖房を消せば、モモが即座につける。車窓を開ければ、モモが騒ぎ出す。これが何回か続いた。
 汗が出てきた。かなり、腹も立ってきた。窓を開けて、暖房を切った。
「寒ければ、おなかにタオルでも巻きなさい」
 ついに怒鳴ってしまった。そして、モモが泣き出した。僕は大きく息を吐いた。
 泣きながら、モモは暖房をつけた。僕は車窓を開け、モモが何を言ってももう閉めなかった。
 僕は車を走らせ続けた。モモの泣き声もそのうちか弱くなっていった。おなかが痛いとも言わなくなった。
 富士山はさらに大きく迫ってきていた。サファリパークはもうすぐだった。 

 サファリパークに着くと、車でライオンやキリンやゾウなどがうろつく脇を、車で進んだ。車は渋滞になるほど、数珠繋ぎになっていた。
 しかし、そのぶん車はゆっくりと進むので、じっくり動物を見ることができた。モモは後ろの座席に行き、右に行ったり、左に行ったりしながら、はしゃいでいた。
 僕はハンドルを握りながら、排気ガスの動物たちへ与える影響について考えていた。なかなか楽しめない性質なのだ。
 僕たちはサファリゾーンを抜けて、駐車場に車を停めると、昼食をとった。レストランもあったが、モモはスタンドの焼きそばとアメリカンドッグが食べたいと言った。少し、寒くなっていた。富士山の麓のため、山頂から冷気が降りてくるのだろう。僕たちは、その寒さに耐えながら、野外のベンチでそのジャンクフードを食べた。
 このサファリパークでモモが一番喜んだのは、意外にも、猛獣を見ながら車で進んだサファリゾーンではなく、おまけでつくられたようなふれあいコーナーだった。そこでは、小動物に触ったり、餌をやったりすることができた。
 僕たちは、早速、柵の中に入った。モルモットとウサギが、あわせて二十匹くらい柵の中にいて、僕がつかまえ、モモが抱き上げた。モモはほとんどのモルモットとウサギを抱っこした。
  その柵を出る頃には、すっかり黄昏れていて、ジャンパーが欲しくなるほど冷え込んできた。僕が何度も帰ろうと言っても、モモはまったく耳を貸さなかった。
 そして、羊のところに行った。入り口のところで、カップに入っていた餌が売られていた。一カップ百円で、モモが執拗にねだり、二カップ買わされてしまった。羊は思ったよりおとなしい動物だった。
 冷え込みがそうとうきつくなったが、モモは羊に餌をあげたり、体を撫でたりするのに忙しく、とても帰ることに同意しそうになかった。そこで、僕はとりあえず羊のところにモモを残して、車の中においてきたジャンパーを取りに行った。いちおう、走っていった。
 息を切らして、モモのところに戻ると、モモは飼育係の男性と仲良く話していた。おそらく四十代だろうその飼育係の男性は、長靴を履き、ホースで地面の糞を洗い流していた。もう、閉園間近なのだろう。
 モモはしゃがみ込んで、子羊の頭を撫でていた。
「パパ、この子、メメちゃん」
 飼育係の男性が、モモと子羊を眺めて、微笑んでいる。モモにその羊の名前を教えてくれたのだろう。僕はその男性に軽く頭を下げた。
 僕もモモのそばにしゃがみ込んだ。モモは「メメちゃん」と呼びながら、その子羊の背中を撫でていた。
「メメちゃんね、ママいないんだって」
「なんで知ってるの?」
「あのおじさんが教えてくれたの」
 飼育係の男性のことだ。
「メメちゃんのママはね、おっぱいくれなかったんだって」
「なんで?」
「メメちゃんが産まれた時から、おっぱいあげなかったみたい」
 動物の母性本能が絶対ではないことに、僕は驚いた。
「それでね、メメちゃん、哺乳瓶でミルク飲んでるんだよ。あのおじさんがミルクあげてるんだって」
 僕はモモにジャンパーを着せた。いつしか、飼育係以外には、誰もいなくなっていた。閉園時間はとっくに過ぎたのだろう。
 先ほどの飼育係の男性が、羊を数頭ずつ柵から出して、屋根のある建物の中に導いていく。
「モモ、もうメメちゃんもうち帰る時間みたいだよ」
 モモはメメちゃんを抱きかかえるようにして、別れを惜しんでいた。
 もうあたりは薄闇が立ちこめ、さらに冷え込んできた。手をつなぐと、モモの指先が冷たくなっていた。
「パパ、寒い」
 ようやく、この寒さに気づいたのだろう。僕は飼育係の男性に言った。
「どうもお世話になりました。遅くまで残っててすみませんでした」
 男性はホースを持ったまま、会釈した。そして、モモに微笑みかけて、手を振った。
 駐車場まで手をつないで走っていき、自動販売機を見つけると、ホットのミルクティを分けあって飲んだ。
「パパ、ひと休みしよ」
 僕たちは車の輪留めに腰をかけ、一口飲んでは、ミルクティの缶を手渡しあって、かじかんだ手を温めた。
 駐車場のまわりはまさに荒涼とした平原が続いていて、やけにさみしい風景だった。駐車場には、一台だけぽつりと僕の車がかすかな夕陽を受けて、弱い光を反射させ、その存在を浮かび上がらせている。僕は、取り残されたような気になってきた。
「モモ早く、車乗ろう」
「まだ、これ残ってるもん」
 モモが、缶を振った。
「いいよ、残りは車で飲めば」
 僕はモモを抱き上げると、車まで連れて行き、逃げるように駐車場を後にした。
「モモ、何が一番よかった?」
 僕はハンドルを握りながら訊いた。
「モルモットとウサギのとこと、メメちゃんとこ」
「ライオンとかは?」
「それもよかったけど…」
「よかったでしょ」
「うん、よかったよ。でもメメちゃんが一番かわいかったよ」
「へー、そうなんだ」
 車はようやくさみしい荒野を抜け出た。家の灯りが前方に見えてきた。
 僕が無口に運転していると、その沈黙をモモが破った。
「メメちゃん、モモと同じだね」
「ママいないから?」
「うん」
「モモには、ママはいるよ。ただ、おばあちゃんちにいるだけ」
 僕はモモの横顔を見た。モモはぼんやりと車窓の外を見ていた。離婚すると、子どもは捨てられたと感じることがあると聞いたことを思い出した。
「いつでも会えるよ。ケイタイにかければ、すぐ話せるし」
 モモは即座に妻のケイタイの番号を言った。妻が覚えさせたのだろう。
「ねえ、パパが仕事で、小学校ない時はさあ、ママんとこ行っていい?」
「いいよ。そうしよっか」
「うん」
 モモは弾む声で答えた。
「ママ、喜ぶよ。会いにいってあげれば」
「そっか」
「大丈夫だよ、大丈夫」
 とモモにいい、僕自身にも大丈夫とつぶやいた。そのうちモモは眠った。僕は信号で停まった時、モモのシートを倒した。
 
 妻が連日うちをあけるようになった。僕は学校が春休みというのをいいことに、ほとんど出勤はしないで、たいていモモと一緒にいた。
 食事は、コンビニで買ってきたものか、外食ですませた。そんな食事が続き、罪悪感にとらわれると、僕は野菜ジュースを買って、モモに飲ませた。
 その朝、僕とモモはゆっくりと目覚めた。春休み、好きな時に寝て、好きな時に起きる毎日が続いている。
 昨夜は、いとこの女子高生がこの春大学に入学したので、モモと二人で、お祝いを持っていった。彼女はモモとよく遊んでくれるので、モモはそのうちに行くのをいつも楽しみにしていた。叔父と叔母におめでとうを言ったついでに、離婚のことも伝えた。夕食をよばれて、そのとき、少し酒の入った叔父に、お説教のようなことを言われた。
 僕はすき焼きの鍋をつついていた。
「お前な、死が二人をわかつまで、とか言うだろ。あの意味わかってるのか?」
 それが始まりだった。それからは、親の責任、仕事と家庭の両立の難しさ、女親の大切さなど、三つ言えば、二つは繰り返して言った。離婚をする前に、そのようなことを考えない人間は存在しないだろう。叔父の言葉は、僕にはまったく意味のないものだった。
 そして、お前は女の扱いを知らない、と。女になめられているからそうなる、とも言った。叔父に言わせれば、女を完全に支配すれば、離婚などにはならないのだそうだ。
  早めにごちそうさまをしたモモは、いとことテレビのアニメを見ていた。叔父との話は聞こえていたのかもしれない。
「まったくお前は情けないなぁ」
 説教が続く中、僕は、ちゃぶ台をひっくり返したい気持ちを抑え、すき焼きの味に精神を集中させた。モモに聞かれまいと、何度も話の方向を変えようとしても、叔父は僕が答えるつもりのない別れる理由についても、執拗に質問を繰り返した。僕は必死に笑顔をつくり、話をそらし続けた。
 叔母は泊まっていくようにと言ったが、もちろん、僕はモモを連れて帰ってきた。
 帰りの車の中で、あまりの叔父の頭の悪さに、もう二度とあのうちには行かないことを決めた。モモにもそのことを言った。モモは「ふーん」と言ったきり、黙っていた。なぜ、叔父は芸能リポーターのようなことしか訊けないのだろう。傷口に塩をすりこむようなことしか言えない叔父があわれにさえ思えた。そして、ちゃぶ台をひっくり返さなかった自分をほめてやりたい気分になった。
 その翌朝のことである。目覚めても、不快感が、その量をまったく減らさずに体内に残留していた。
 昼近く、モモとブランチをとった。コーンフレークに牛乳をかけたもの。いちおう、野菜ジュースもコップについだ。 
 朝食後、モモは居間でビデオを見始めた。「となりのトトロ」だ。もう何回見たか数え切れない映画だ。
 僕は仕事部屋に行って、パソコンに向かった。ビデオはなかなか優秀なベビーシッターである。これで、二時間は自分の時間がとれるだろう。
 途中、うたた寝をしながら、書きかけの文章を綴り、二時間近くたった頃、モモのところに行った。
 モモは僕を見ると驚き、部屋の隅に行き、膝を抱えてうずくまった。テレビの画面では、トトロが終わろうとしていた。モモは手に紙のようなものを握りしめていた。写真のようだった。
 そういえば、トトロは、女の子二人が入院している母親を恋しがり、最後に会いにいく話だ。モモは顔を膝の間に埋めていた。
 僕が近づくと、モモは立ち上がり、逃げるように寝室へ走っていった。テレビの画面には、病院のベッドにいる母親の姿が映っていた。ビデオを止めて、僕は寝室にモモの様子を見に行った。
 モモは、先ほどと同じように、部屋の隅にうずくまっていた。泣いているようだった。そして、モモは僕の気配を感じると、また寝室を出ていった。僕はベッドの上に寝ころんだ。
 昨夜までは、モモは離婚のことを受け入れたと思っていた。
 一度だけ、モモが、なぜ妻ではなく僕と住まなくてはならないか、訊いてきたことがある。僕と住めば転校しなくてすむし、経済的にも困らないし、そのほうがママの心の病気も早く治ると説明した。モモはそれ以降、離婚の話は一切しなかった。僕はそれでモモが現状を理解して、受け入れたと思っていたのだ。
 寝室まで、なにやら物音が聞こえてきた。モモが何かを始めたのだ。紙を破るような音がした。僕はモモの様子を見に行った。
 モモは、居間にあった紙という紙を引き裂いていた。足下に、僕の読みかけの本が落ちていた。あわてて、拾い上げると、ページが破られている。
「おい、モモ、何これは。パパが読んでた本じゃないか」
 と、僕が怒鳴っても、モモは次から次へと、雑誌や新聞を拾い上げては、びりびりと破っていく。僕は先回りして、仕事部屋に行き、破られてはいけない書類を集めてまわった。
 やがて、予想通り、モモが仕事部屋にやってきた。書類やブックレットなどを手にとっては破り、手にとっては破りと、大暴れだ。
 モモが不要な書類を破くたびに、僕はわざと困ったふりをして、大声で叫んだり、取り上げたりした。モモに気のすむまで暴れてもらうことにしたのだ。
 いつしか、モモの顔は泣き顔から、いたずらっ子の顔になっていった。
 次にモモは下駄箱に行き、僕のすべての靴の紐をほどいて、抜きとった。僕は狼狽するふりを続けながら、モモを見ていた。
 モモはスニーカーを洗面所に持っていった。やがて、水の流れる音が聞こえてきた。後を追うと、モモは靴の中に水を流し込んでいた。僕はすぐに下駄箱に行くと、革靴をすべてベランダに持っていき隠した。
 その次は、モモは居間に戻り、僕の財布を見つけだして、中のものをすべて出して、床にばらまいた。
「こら、モモ、お金は大事だから破っちゃいけないんだよ」
 モモは笑顔で千円札を二つに引き裂いた。幸い、財布の中には札が一枚しか入ってなかったので、破られたものはそれだけですんだ。
 僕はこれ以上モモが暴れないようにと、抱き上げた。すると、モモはおとなしくなった。顎を僕の肩にのせて、一人で笑っている。ようやく、満足したのだろう。
 足下には、先ほどモモが握りしめていた写真が落ちていた。それには、妻がモモと写っていた。 

 朝、僕がトイレに起きて、居間を覗くと、妻はすでにいなかった。市役所に行ったのだろうか。
 前夜、僕は離婚届に署名して、捺印していた。
 離婚は予定通り、今日か明日にも決行されることになりそうだ。
 僕はモモを起こした。
「さ、モモ、朝だよ」
 モモの目がぱっちりと開いた。
「ママは?」
「いないよ」
「ふーん」
 最近、モモは妻がいない理由も訊かなくなった。
「モモ、うちに何もないから、朝ご飯食べにいこう」
「どこ行く?コンビニ行こうか」
「いや」
「じゃどこ?」
「マック」
「また、ハッピーセット?」
「うん」
 モモは満面の笑みを浮かべて、元気よく答えた。
 ハッピーセットは、ハンバーガーにポテトとドリンク、それにおおまけがついてくる。
モモのねらいは、もちろんそのおまけでついてくるおもちゃだ。
 僕はマックのハンバーガーは好きではない。モモも、いつも必ず残す。それでも僕たちは出かけた。街のはずれの茶畑に囲まれたアパートからは、車で二十分くらいのところにそのマックはある。
 ドライブスルーで、朝食を買うと、走る車内で朝食をとった。お目当てのおまけのおもちゃは、ディズニー映画のキャラクターものだった。モモは、おもちゃで遊んだり、ハンバーガーを食べたり、そして時折、僕にもハンバーガーやドリンクを手渡したりと、車内では大忙しだった。
 僕たちは行くところがあったのだ。やがて、車の中でのあわただしい朝食を終えると、目的地に着いた。
「さあ、いいのあるかな」
 と、僕が言うと、モモは返事もしないで早々と車を降り、走っていった。
 僕たちが来たのは、家具屋である。勉強机を買いに来たのだ。購入資金は僕の両親と祖母、そしてお説教をした叔父からもらった入学祝いだ。全部足して、六万円ある。机の相場はわからなかったが、これだけあれば、二つくらい買えるだろう。
 広い店内には、食卓や食器棚が並び、隅に学習机のコーナーがあった。学習机がいくつか置かれている。
「モモ、好きなの座ってみたら」
「うん、そうする」
 モモは片っ端から、すべての机の前の椅子に座っていった。
 もし、離婚の話がなかったら、勉強机は買いに来なかっただろう。妻がそれをうちに置くことに猛反対していたからだ。理由は、たった一つ、うちのインテリアにはあわないからだそうだ。
 だから、僕にとってモモの勉強机を買うことは、妻に対する一種の反抗でもあり、決意表明でもあった。
「モモ、もし机買ったら、どこに置く?」
 机に向かって何か書いているふりをしていたモモに訊いた。
「パパの部屋」
「え?そんなの無理だよ」
「置くの」
「どこに?」
「パパの机のとなり」
「並んで?」
「そ」
「どうして?」
「わからないとことかあったらきけるでしょ」
 僕の仕事部屋は、書斎と呼んだほうがいいのだろう。壁一面の天井まで届く黒いスチール製の本棚に、デスクトップコンピューターがのった大きな黒いデスク。僕は部屋の中の配置をイメージしてみた。
「モモ、向かい合ったほうがよくない?」
「だめ」
 モモにも、モモの計画があるようだ。
 僕のデスクは部屋に入ると、南向きの窓を背にして、置かれている。映画などで出てくる社長室のようだ。縦長の六畳の部屋に、机二つが並ぶほど、幅に余裕があるだろうか。
  勉強机は、この店内で見る限り五万円が相場のようだった。様々な種類があったが、僕たちが選ぶポイントは、場所のことを考えて、幅だった。モモがどうしても並べて机を置くと言って譲らないからだ。
 幅九十センチ、白木の勉強机があった。そこに並んだ中で、幅は一番狭く、値段は二番目に高いものだった。
 紺のブレザーを着た老紳士が近づいてきた。
「お嬢さんのお勉強机をお求めですか?」
 僕はいっぺんでその声と口調が気に入った。まさに、英国風ジェントルマンである。僕は背筋を伸ばして、はいと言った。僕も努めて英国風を装った。
 モモがその幅九十センチの机に座り動かなくなった。
「お嬢ちゃん、それが気に入りですか?」 
「うん」
 英国紳士が、その木材のすばらしさ、そのメーカーの信頼性について、僕に話してくれた。値段は六万六千円、六千円足りない。机の表面に触れてみた。なめらかに磨き上げられている。僕も欲しくなった。
「モモ、隣りのはどう?」
 少し幅が広くて、茶色の木の机。五万八千円だ。
「いや」
 冷たく言われた。
「パパ、これがいい」
 英国紳士は、お嬢さんはお目が高い、とほめた。
 僕は英国紳士を装うことをあきらめ、その六千円を値切ることにした。
  しかし、英国紳士は、その口調はやさしくエレガントだが、決してくびを縦には振らない。
 モモはすっかりその机が気に入り、もう自分のものと考えているようだ。近くにいた若い店員に、椅子の高さを調節させていた。
 交渉は長引き、結局、消費税だけは負けてもらい、足りない六千円は、机をうちに配達してもらった時に払うことになった。
「モモ、その机、高いけど買ってあげるから、ちゃんと勉強しなさいよ」
「うん、ちゃんとする」
 モモは、取り付けられている蛍光灯をつけたり消したりしながら、答えた。
 それから、店内を見て回った。すべての勉強机に座ったモモは、ダイニングテーブルにも興味を持ったようだ。僕もつきあわされた。テーブルにつくたびに、僕は食事を食べるふりをしなくてはならなかった。
「はい、パパ、朝ご飯ね」
 僕はぱくぱく食べるふりをして、ごちそうさまを言う。
「パパ、お昼だよ」
 また食べるまねをして、ごちそうさま。
「パパ、晩ご飯」
 僕はいい加減に食べるふりをする。
「ちゃんと食べて。はい、お夜食ね」
 このように四回食べるふりをしなくてはならない。
「パパ、こっちこっち」
 次のテーブルに行く。
「二人で暮らすようになったらね、こういうテーブルもよくない?」
「うん、そうだね」
 しかし、モモの勉強机がもう三、四個買える値段のものばかりだ。
「はい、パパ、朝ご飯ね」
 僕は食べるまねをする。もちろん、この後、昼ご飯、夕ご飯、お夜食を食べることになる。
 これを運動場ほどもある店内のすべてのダイニングテーブルで行った。
 英国紳士もついてきた。僕たちのままごとを笑顔で見守りながら、高級なダイニングテーブルにつくと、木の産地やそのすばらしさを教えてくれた。
 ようやくすべてのダイニングテーブルを制覇すると、モモは二階に駆けあがっていった。二階には、ソファーが置かれていた。そこでも、すべてのソファーに座り、くつろいだ。
「はい、パパ、ワイン」
 僕は空想のワイングラスを揺らし、香りを楽しんでから、ワインを飲み干す。少し酔いがまわり、寝ころんだ。モモは、リモコンを片手にビデオで映画を見ているふりをした。
 一人がけが十五万円、二人がけが二十五万円以上するソファーは、まさに極上だった。座ると重力が吸い取られ、その包まれるような柔らかさに、心も体も癒されるような気がした。
「パパ、これいいね」
「そりゃ、いいよ。四十万もするんだから」
 イタリア製だった。ソファーはイタリアがいいようだ。僕は目をつぶった。一日の仕事を終え、このソファーに座れば、疲れも吸い取ってくれるだろう。
 目を開けると、笑顔の英国紳士がいた。
「これはいいでしょ。座り心地が全然違いますから」
 たしかに、違う。しかし、これを買うことは、おそらく一生かなわないだろう。僕はまた目をつぶった。
「パパ、二人で暮らすようになったら、こういうの買おうよ」
「いいねえ」
 僕たちはついにインテリアの決定権を手にしたのだ。それまでは、家具の位置を移動させることさえ、厳しく禁じられ、絶対座ってはいけない椅子も絶対立ち入ることができないスペースもあった。
 そういえば、モモは「二人で暮らすようになったら……」と、さっきから何度も言っている。
 眠りそうになると、モモに起こされ、三階に行った。そこはベッドがあった。すべてのベッドで横になり、眠り、朝を迎えなくてはならなかった。
「パパ、お休み」
 僕は横になって目をつぶる。モモも僕にくっついて眠る。五秒も経てば、朝になる。
「パパ、おはよ」
「まだ眠いよ」
「パパ、起きて」 
「そうだ、モモ、学校行かなきゃ」
「じゃ、起きよ」
 そして、次のベッドに行く。するとまた夜になる。三階では、数え切れないほどの夜を過ごした。
 僕たちが一番気に入ったのは、ウォーターベッドだ。それに体重をあずけると、完全に脱力することができた。
「体に負担がかかりませんからね。疲れがとれますよ」
「目覚めはいいんでしょうね」
「もう最高ですよ。比べものになりませんから」
 英国紳士が、寝転がる僕たちに、品のいい笑顔でそう教えてくれた。
「パパ、二人で暮らすようになったら、これもいいねえ」
「うん、最高だね」
 僕は毎朝こんな心地のいいものの上で目覚めることを想像してみた。たしかに、よい。
 しかし、英国紳士の説明によると、実際には、ウォーターベッドは、電気で温めなくては使えず、けっこう電気代もかかり、十年も経つと、また十万円で水を取り替えなくてはならなくて、やっかいなものだそうだ。
 いつしか、外は真っ暗になっていた。階下に降りていくと、他に客は一人も見あたらなかった。閉店時間はとっくに過ぎていたようだ。僕たちは二時間以上もここにいたことになる。
 英国紳士は、閉店時間のことを告げたかったのだが、僕たちが何か買うかもしれないと思って、ずっと近くで微笑んでいてくれたのだろう。
 僕たちはここで数え切れない食事を食べ、数え切れない夜を過ごし、新しい生活のリハーサルは十分できた。
 その帰り、モモとホームセンターにも寄った。二人で相談して、タイマー付き炊飯器を買うことにした。これさえあれば、夕方うちに帰った時に、炊きたてのご飯が僕たちを待っていてくれるのだ。
 想像力を働かせてみると、新しい生活が、なんだか楽しみに思えてきた。
 
 いよいよ月がかわり、四月になった。まだ、勤務する学校が春休み中で、仕事は休んでいる。
 昼近くに起きて、居間に行くと、妻がテレビの前に正座して、自分の洗濯物を畳んでいる。服はいつものようにブティックの棚に置かれてもおかしくないくらい丁寧に畳まれていた。
 メイク済みの白い横顔が、あいかわらず、ため息が出るほど美しかった。妻は、その美を鎧のように身につけて、自分自身を必死に守ってきたのかもしれない。
「もう、名字かわったので……」
 もう僕の妻ではないという彼女は、手を休めず、目も合わせず、そう言った。僕はその横顔をぼんやりと眺めていた。
「あ、そう……」
 と、僕は涼しく答え、ふと「おめでとう」という言葉が、思わず出かかった。そんな言葉が、無意識に出てきそうになったのが、おかしかった。
 居間の隅に高く積まれていた段ボールは、いつの間にかなくなっている。
 彼女は、大きな旅行バッグに、最後のブラウスを畳んで入れた。
 モモが、ベッドに一人取り残されたことに気づいて、こちらにやってきた。
「ママ、おはよ」
 と、正座した彼女の膝に座り、抱きついた。
「モモちゃん、ママ行くね」
 彼女が、モモの背中をトントンと叩きながら、言った。
「もう行くの?」
 彼女はモモの肩に顎をのせて、うなずいた。
 なかなか緊張する局面である。生まれて初めての離婚をこれから経験するのだ。僕は脈拍が速くなり始めたのを感じた。
 彼女が凛として立ち上がった。その姿には迷いはないように見えた。
 玄関まで僕とモモはなんとなくついていった。彼女は靴を履きながら、顔を下に向けたまま、言った。
「どうも、今まで、お世話になりました」
 僕はなんと言っていいのかわからず、こちらこそ、と答えた。
 彼女が、ともにボクシングのリングの上で最終ラウンドまで戦った相手のように思えてきた。最後のゴングが鳴り、ボクサーたちのお互いをたたえ合う気持ちがわかるような気がした。もうたたかいは、終わったのだ。憎しみは消えた。
「ママ、いってらっしゃーい」
 モモが明るく、そして軽く言った。彼女はモモの顔を眺めて、さみしげな笑顔をつくった。
 僕は壁にもたれて、斜めに立っていた。
「あ、違った」
 今は、モモだけが、明るい表情をしている。
「ママ、いってらっしゃいじゃないね。ばいばいだ」
 僕は黙っていた。
「ママ、バイバーイ」
 最後に、モモと彼女は抱き合った。モモは彼女のほっぺたにキスをして、自分にも同じことをするように言った。
「今まで、お世話になりました」
 今度は、彼女が僕と目をあわせて言った。
 僕にはもう何も言うことがなかった。また、こちらこそ、と返した。おそらく、現在、人生の一大事を経験しているのだろう、とぼんやり考えながら、この心境は、教師として、卒業生を送り出す時のものに似ていると思った。僕はいつもなにか重大なことが起こっても、ことの重大さを実感できない。映画のワンシーンを見ているのと大して違いがないのだ。
 そして、ドアが開き、閉まった。僕の姓を名乗らなくなった彼女は、完全に、ドアのむこうの存在となった。
 これで家族の三分の一がいなくなった。振り返ると、このアパートが急に広く感じられた。涙が出るほどではなかったが、さみしい気持ちにはなった。
 それからモモがしたことは、発砲スチロールをどこからか見つけてきて、それを線引きで削り粉状にして、雪を降らせることだった。
 モモはソファーの上に立った。前妻が自分以外のものには、一切座らせなかったソファーの上にだ。
「雨よー、雪よー、降れ降れ降れ降れ」
 と、モモが変な節で歌いながら、カーペットの上に雪を降らせる。
 潔癖性だった彼女がいたなら、発狂して怒り、卒倒しかねない。
 モモは降り積もった雪をかき集めて、また雪を降らす。
 そのうち、モモはソファーの上で飛び跳ね、踊り始めた。歌も歌った。
「雨よー、雪よー、降れ降れ降れ降れ」
 モモは僕にもその歌を歌うようにと言った。僕はしかたなく、モモにあわせて歌った。まったくバカらしかったが、モモはこういったことをやりたくてたまらなかったのだろう。
「パパ、踊りも」
 僕はまたしかたなく、ソファーの上のモモの正面に立った。両手の平を合わせて、その指を絡ませた。
「雨よー」で右足でトントントンと跳ね、「雪よー」で左足でトントントンと跳ねる。「降れ降れ降れ降れ」で、左右の組んだ手を交互に上げながら、両足で高く飛び跳ねる。
 モモはなかなかやめてくれなかった。汗をかいて踊っていた。
 ようやく宗主国の支配から解放され、独立した先住民族の気分になった。僕とモモが手に入れた最大のものは、自治権だ。これからは、このうちの中のことは、二人で協議して、決定して、執行するのだ。
 雪踊りの後、僕は倉庫に眠っていた食器乾燥機を持ってきた。これも、インテリアのコーディネイト上の理由で、使用が禁止されていた。その食器乾燥機は、前の職場で結婚祝いにもらったものだった。離婚を経て、ついに使用されることになったのだ。
 白木の家具が置かれたダイニングに、その灰色の食器乾燥機は、たしかにあわないといえばあわない。しかし、これからは、僕が毎日洗い物をしなくてはならない。そんなことは言ってられないのだ。
 次に、仕事部屋に置かれていた二人がけのソファーを、居間に移動した。これまでほとんど立ち入ることさえ禁止されていた居間で、モモと二人でソファーに寝っ転がって、テレビを見ようと思ったのだ。
 モモの雪踊りと、僕のインテリアの模様替えは、独立して自治権を得た後、これまでの秩序を壊す革命でもあった。新しい生活には、過去を壊す革命が必要だったのだ。

 僕はモモと車で買い物に出かけた。まず、夕ご飯を食べなくてはならない。これまで、モモと二人の時、コンビニ弁当はさんざん食べてきた。外食も近くのところは行き尽くして、飽きてしまった。いい加減、うんざりしていたので、僕が夕食をつくることにした。とりあえず、うちから一番近いスーパーマーケットに行った。
 買い物かごを持って、肉売り場の前を歩いていると、モモが言った。
「パパ、料理つくれるの?」
「あったりまえじゃん」
 と答えたが、不安はあった。大学を出て、社会人になってからの十年間、米を炊いたことすらない。
「ほんと?」
「大丈夫だよ」
 僕はとりあえず、豚肉の細切れのパックを手にとった。モモは肉が好きだ。
 そして、野菜売り場で長ネギを買い、それからペットボトルに入ったすき焼きのタレを見つけた。卵もかごに入れた。モモは、どさくさに紛れて、おまけ付きのチョコレートをかごに放り込んだ。いつもなら文句を言うところだが、黙っていた。少しはモモのわがままも聞かなくてはならないだろう。
 米も切らしていたので、米の売り場にも行った。無洗米というものを初めて見た。とがなくても炊ける米があるとは知らなかった。こんなに便利なものはない。もちろんそれを買った。
 帰り道、僕はハンドルを握りながら、モモに言った。
「今夜はすき焼きだよ。おいしいぞ」
「やったー」
 ネギと豚肉だけだが、卵につけて食べれば、格好はつくだろう。
「そうだ、パパ」
「何?」
「マーちゃんも呼ぼう」
「そりゃいいね。そうしよう」
 マーちゃんは、本名は雅史、僕の高校時代からの友人である。年は一つ上なのだが、いつの間にか僕のほうが威張るという関係になってしまった。
 マーちゃんは、配管関係の仕事に携わり、一人で暮らしている。家族は、奥さんと子どもが二人いたのだが、今は実家に帰ってしまっている。僕はもう帰ってこないと信じているのだが、マーちゃんは帰ってくると信じている。
 すき焼きは、一緒に食べる人間が多いほうがおいしいにちがいない。
 僕は胸ポケットからケイタイをとりだすと、信号待ちの時にダイヤルして、モモに手渡した。
「マーちゃん、夜うちに来て。すき焼きあるから。うん、うん。じゃーね」
 と、モモがケイタイで言って、切った。
「モモ、マーちゃん来るって?」
「うん、すぐ来るって」
「よっしゃ」 
 マーちゃんは、僕とモモが二人きりの時に、よくうちに遊びに来た。モモが僕のケイタイで呼び出すのだ。
 モモはマーちゃんが大好きである。肉体労働で鍛えたその筋肉で、モモと真剣に遊んでくれるからだ。僕にできない力技が得意である。高い高いなどはお手のもので、モモの手や足を持って、ぐるぐる振り回す。マーちゃんは、モモの相手をしていて、疲れることも、飽きることもないようだ。
 アパートのドアを開けると、炊きたてのご飯のにおいがした。この前買ったばかりのタイマー付きの炊飯器から、湯気が出ていた。
「モモ、ご飯もうできてるよ」
「うん、ご飯のにおい。パパ、炊飯器買ってよかったねえ」
 モモは、しみじみと言った。
 そして僕は料理にとりかかった。ここ十年、インスタントラーメンとパスタ以外、ほとんど何もつくったことがない。本当にひさしぶりの料理だった。
 長ネギを斜めに切り、豚肉をパックからとりだし、それらを鍋に入れ、水を足し、すき焼きのタレを上からかけた。すぐに火が通り、そのうち、すき焼きらしくなってきた。
 それから、食器棚を覗いた。まだ、どこにどんな食器があるのかわからない。そして、彼女の成し遂げた偉業に、素直に驚いた。その食器の収納の秩序が実に美しかったからだ。
 僕はようやくテーブルに食器を並べた。モモは、移動したばかりのソファーに気持ちよさそうに寝転がり、子ども番組を見ている。
 そのとき、ドアのベルが鳴った。モモが飛び起きて、玄関に走った。
 マーちゃんが来たのだ。モモは早速、作業服姿のマーちゃんの腕にぶら下がっている。
「おじゃましまーす」
「いらっしゃい。マーちゃん、ご飯もうできたよ」
 僕はキッチンから声をかけた。マーちゃんにぶら下がったまま、モモが今日はすき焼きだと言っている。
「じゃ、シャワー借りるね」
「オッケー」
 マーちゃんは、いつも居間に上がる前に、靴下を脱いで足を洗う。安全靴というつま先を車にひかれても大丈夫なブーツを一日履くと、足がそうとう蒸れるのだそうだ。
 マーちゃんが足を洗い終えると、夕食の準備が整った。彼女の席にマーちゃんが座り、僕たち三人は生卵を割って小皿に入れた。
 いただきますを三人で唱和して、食べ始めた。
「パパ、おいしい」
 と、モモがすぐ言った。シンプルなわりになかなかの味だ。マーちゃんの箸のスピードも上がる。仕事帰りで、腹も減っているのだろう。
「マーちゃん、今日ね」
 モモが切り出した。
「パパとママね、離婚したよ」
 まるで、今日の天気を報告するような口調だった。
「うっそ」
 マーちゃんの箸が止まった。
「ほんと?」
 マーちゃんが僕のほうを見た。
「今日出てったよ」
 と、僕が答えた。僕の口調も軽かった。それは、僕がまだ離婚したという実感がわいていなかったせいかもしれない。。
「パパ、マーちゃんのご飯ないよ」
 僕はマーちゃんのご飯をよそった。
「これからは僕が毎日料理するから」
「えらいねえ」
「マーちゃん、おいしいよね、この豚すき」
「うん、おいしいよ。モモちゃん、マーちゃんまたごはん食べに来てもいい?」
「いいよ」
「モモ、ネギを食べなさいよ」
 と言いながら、自分がそんなことを言っていることに少し驚いた。これからは、このような小言をたくさん言うようになるのだろう。
 食後、僕が洗い物を始めると、モモはマーちゃんと遊び始めた。モモの体が上に行ったり下に行ったり、体の向きもぐるぐる変わっていく。
 三人分の食器を洗うのは、思ったより時間がかかった。洗った食器をすべて食器乾燥機に入れ終わると、ソファーに寝転がった。マーちゃんは、汗を流して、モモを持ち上げて遊んでいる。モモは頭を下にして、顔を真っ赤にさせても、笑っている。
 僕はテレビをなんとなく眺めていた。ソファーの柔らかさが、家事の疲労を吸い取っていく。瞼が重くなった。
「モモちゃん、お父さん、寝ちゃいそうだよ」
 そんな声が聞こえた。モモの笑い声も聞こえた。いつしか、僕は眠りに落ちていった。

 洗濯をしてみた。朝起きて、眠っているモモを放っておき、洗濯機の置いてある洗面所に行った。
 学生時代に使っていた洗濯機は二層式だったが、うちのは洗うところが一つしかない。使い方はよくわからなかったが、洗濯物と洗剤を入れ、蓋をして、とりあえずスタートボタンを押してみる。すると、デジタル表示が、洗濯の残り時間を告げた。四十分ほどで終わるらしい。よく見れば、タイマー設定もできるようだ。これなら、夜にタイマーをセットすれば、朝起きた頃に洗濯が終わっていて、出勤前に干すことができる。
 炊飯器と洗濯機は、やはり、タイマー付きがいい。
 僕はモモのいるベッドに戻った。明日は、モモの入学式で、僕の仕事もそろそろ始まる。だから、春休み最後の朝寝をした。
  心地よく眠っていると、ピーッという電子音で目が覚めた。それは洗面所のほうから聞こえてくる。一瞬、何がなんだかわからなかったが、すぐにそれが洗濯機の電子音だとわかった。
 脱水された洗濯物を、ベランダに持っていった。外は晴れていた。物干し竿を見上げ、水分を含んでずっしりと重くなった衣類に、洗濯ばさみを一つずつつけていく。このアングルから見る太陽が、寝ぼけまなこにやけにまぶしかった。
 干すだけでも、予想以上に時間がかかる。これが乾いたら、畳んで、それぞれの行き場所に収納しなくてはならない。まだうちのどこに何があるのかよくわからない。それに僕のワイシャツにはアイロンもかけなくてはならない。一瞬、ぞっとした。そして、つくづくこの家を出ていった彼女の偉業を思った。なかなか、やるものである。
 住み慣れたはずのこのうちが、なんだか探検に来た未開の土地に見えてきた。思わぬところに存在した未知の世界は、なかなか手強そうである。

 すき焼きのタレは、たいそうありがたいものである。パッケージの説明を読むと、これを使えば肉じゃがもつくれるのだそうだ。
 早速、夕食につくってみることにした。モモとスーパーマーケットに行き、ジャガイモとタマネギを買ってきた。モモはまた買い物かごに菓子を入れた。二つ入れたので、さんざん言いあったあげく、僕が一つ返してきた。モモが買ったのは、ポケモンのおまけ付きのラムネだった。
 キッチンに立ち、ジャガイモの皮をピーラーで剥き始めると、モモが近寄ってきた。僕が連日料理をするのがめずらしいのだろう。
 トム・ソーヤが、おばに壁のペンキ塗りを命じられた時、いかにも楽しそうに塗って、友達におもちゃと交換でやらせたことを思い出した。
「これ、すごく楽しいな。皮むきっておもしろいね」
「モモにもやらせて」
 のってきた。しかし、すぐにやらせてはいけない。
「えー、だっておもしろいもん。子どもにやらせてもいいのかなあ」
「いいの、お手伝い。お手伝いは子どもがやってもいいんだよ」
「どうしようかなあ」
「だって、ママ言ってたもん。お手伝いはいいことだって」
 モモの顔が涙を流さない泣き顔になった。
「わかった、わかった。じゃ、いいよ。やらせてあげるけど、ちょっとだけだよ」
 モモはすぐに笑顔になり、大喜びでピーラーを手にとった。しかし、なかなかうまく剥けない。イライラしてきたようだ。すぐにくじけそうになるモモは、僕に励まされながら、ようやく一つ皮剥きを終わった。
「モモ、交代して。もう一個終わったでしょ」
「だめ、もう一つやるの。お手伝い、お手伝い」
 モモは得意げにピーラーを見せびらかす。僕は悔しそうなふりをした。
 結局、モモが三つジャガイモの皮を剥き、その隣りで僕が涙を流しながらタマネギを切った。
 鍋の中に、ジャガイモとタマネギと凍ったままの豚肉を放り込み、水を入れて、火をかけた。
 炊飯器が、吸気口から湯気を出し、炊きたてのご飯のにおいをキッチンに漂わせ始めた。
 すき焼きのタレをトクトクと適当に入れて、つゆをスプーンですくい、吹いて冷ました。味見はモモにやらせた。
 モモはスプーンを口に入れたまま黙っている。僕は沈黙に耐えた。モモはやけに大人びた顔で、すましている。
「うん、いいんじゃない」
 テーブルに食器が並んだ。ご飯の入った茶碗から湯気が上がっている。肉じゃがも、食欲をそそる香りがする。
 僕はもう一品、おかずをつけた。即席みそ汁だ。テーブルの上で、お椀に味噌と具を入れて、ポットのお湯を注ぐ。これでりっぱな肉じゃが定食だ。
 モモが元気よく言った。
「いっただきまーす」
 僕はすでに次の献立を考えていた。残ったタマネギに、鶏肉と卵を加えれば、親子どんぶりができるだろう。味付けは、もちろん、万能すき焼きのタレだ。
 僕の中に料理の才能が眠っていたとは知らなかった。
「モモ、パパって料理の天才だよね」
 モモに同意を求めると、また沈黙されてしまった。
「まあまあなんじゃない」
 モモはどうして、料理のことになると、急に大人になるのだろう。僕たちは甘くてホクホクしたジャガイモを頬張った。

 モモの入学式の朝が来た。この日、僕の職場では、新年度最初の会議が予定されていたが、また有給休暇をとった。今年度は、とても仕事どころではない。
 興奮と緊張で、僕とモモはめずらしく早く起きた。といっても、七時半だが。
  まず、朝食だ。まだ残っていたコーンフレークに、牛乳をかけて、素早く済ませた。それから、大きく真っ赤なランドセルに、上靴、赤白帽、道具箱、筆箱が入っているのを確認した。次に提出しなくてはならない書類にも目を通した。諸費用を振り込む口座申告書、家庭環境調査票、健康調査票、そして学童保育申込書だ。保護者としての事務的な作業は思ったより多くて、驚くほどだった。
 モモの小学校は、一学年一学級しかない小さな学校だ。モモのクラスには生徒が三十人しかいない。学校の空き教室に、学童保育所があるという。モモは学校が終わってから、そこで僕の迎えを待つことになるのだろう。
 子どもを学校に送り出すまでに、頭に入れなくてはならないことは、数え切れないほどあるようだ。育児はまったく頭脳労働である。神経も摩耗する。頭の中に、これまで保っていた自分のためだけのスペースが、モモのことで徐々に占領されていった。
 モモを立たせて、グレイのスーツを着せた。そのは、コムサ・デ・モードだ。ちなみに、ランドセルもコムサ・デ・モードである。離婚する前、モモが前妻とデパートに行き、僕のカードで買ってきたものだ。代金は夏のボーナス一括払いになっている。
 僕は紺のスーツにクリーム色のワイシャツ、そして黄色いネクタイを身につけた。何か特別な行事の時は、いつもこのコーディネイトだ。
 その格好で、鏡の前に立った。今日は、シングルファーザーとして、公式にデビューするのだ。ピリッとしなくてはならない。僕は鏡の中のだいぶ丸くなった自分の顔に向かって、Look Up と言い聞かせた。昨年、僕の英語の授業で出てきたフレーズだ。「顔を上げて、どうどうとしていなさい」といった意味だと、僕は生徒たちに教えた。差別とたたかうエイズ患者の息子に、母親が言ったセリフだ。
 離婚の可能性が濃厚になってきたとき、僕は実家の近くに引っ越して、両親にモモを見てもらいながら、暮らすことも考えた。しかし、そうなると、モモが幼稚園からの友達と別れることになる。
 また、どこか遠くて、誰も僕たちのことを知らないようなところで、二人でひっそりと暮らすことも考えた。しかし、これは僕のスタイルではない。
 入学式は、僕にとっては、新しい状況を世間にカミングアウトする絶好のチャンスである。ひとに陰でこそこそ言われるくらいなら、僕のほうから言って回ったほうがいい。
「モモ、離婚のこと、友達に訊きかれたらどうすんの?」
 僕はモモにピカピカのランドセルを背負わせながら言った。
「きまってるじゃん」
「じゃ、なんて言うの?」
「ママは心の病気で離婚しておばあちゃんちにいるって言うよ」
 それでいい。別に隠すことではない。でも、まだ気にかかることがあった。
「じゃ、モモんち離婚してるんだって、からかわれたら?」
「そんなの、簡単、簡単」
「なんていうの?」
「うんそうだよ、っていうだけ」
「それでもしつこく言ってきたら?」
「それがどうしたの、っていえばいいじゃん」
「そっか」 
 僕は難しく考えすぎていたようだ。
 それにしても、ランドセルは大きい。少し離れて立って、眺めてみた。さすがは五万円するコムサ・デ・モードのランドセルだ。光沢に品がある。
 靴を履く前に、モモの短い髪をとかした。モモの髪も、いい具合に光沢を出している。 そのとき、ドアベルが鳴った。ドアノブが回され、鍵のかかっていなかったドアが開けられ、そこには、朝の光を背にした前妻が立っていた。心配で見に来たようだ。あいかわらず、朝から洒落ている。春らしい薄い色のチェックのミニスカートに、胸元が開いた白いブラウス、やけに顔が白く見えた。
「ママァ」
 と、モモが靴下のまま、玄関にまで出ていき、抱きついた。僕は準備しなくてはならないものはすべてそろえたことを告げた。 
 彼女をあらためて眺めると、初めて会ったような気がした。先週まで数年間、同じ空間の中で暮らしていたとは、とても思えなかった。
「モモ、靴履いて。いい靴下汚くなっちゃうよ」
 と、僕が言った。
「あ、そっか」
 モモはスーツとそろいで買った黒い靴を履いた。
「一緒に行くの?」
 と、僕が尋ねた。
「まさか、私が行ってはいけないでしょう」
 と、る依然モモの母親である彼女が答えた。僕とモモの姓を名乗らないということは、そういうことも意味するのだろう。僕は黙っていた。
 僕とモモは、彼女に見送られて、小学校に向かった。すぐに、彼女が赤い小型車で僕たちを追い抜いていった。彼女とモモは、お互いに、激しく手を振りあっていた。
 国道に出て、ガードレールの内側の歩道を歩いた。足下のアスファルトの割れ目には、タンポポがぎっしりと並んで咲いている。こんな排気ガスが多く、土も少ないところで、タンポポも大したものだ。
 Look Upと、またつぶやいてみた。僕は今にも走り出しそうなモモの手を握っていた。

 学校に近づくと、モモの同級生とその母親が何組か歩いていた。
 校門のところで、近所の真澄ちゃん母子と一緒になった。真澄ちゃんはモモと同じようなスーツ、お母さんは着物を着ていた。
 校門を入ると、桜の木があった。今年の春は例年に比べて、異常なほど暑かったため、すでに葉桜になっていた。
 歩きながら、僕が挨拶をした。
「おはようございます」
 モモにも同じことを言わせた。モモは真澄ちゃんと先に行った。
 真澄ちゃんにはたしかお姉さんが二人いる。これが三回目の入学式になるはずだ。真澄ちゃんのお母さんについて行けば、間違いないだろう。
「わからないことばかりなので、今日はよろしくお願いします」
 と、僕は頭を下げた。真澄ちゃんとモモは同じ幼稚園に行ったので、お母さんとも顔見知りである。
「モモちゃんのお母さんは?」
 Look Up と僕は心の中で言った。
「離婚したんですよ」
 真澄ちゃんのお母さんは、言葉を失い、無表情のまま固まった。
「冗談でしょ」
「ほんとですよ」
「うそ」
「ほんとですって」
「まぁ」
 僕は笑顔で言った。 
「また、いろいろ教えてください。お料理なんかも」
 真澄ちゃんのお母さんは、ややかたい笑顔をつくってくれた。

 玄関で、スリッパを履いていると、美紀ちゃんのお母さんとも行き会った。幼稚園のお母さんたちの間では、中心的な人物だった。このひとに言えば、一日で、離婚のことは広まるだろう。会うひとごとに、離婚のことを言って、固まられてはこちらが疲れてしまう。
「おはようございます」
 と、声をかけた。すると、予想通りの答えが返ってきた。
「今日はパパと一緒?ママは?」
「実は、離婚したんですよ」
 また、固まられてしまった。あちらもどう反応していいのかわからないのだろうが、僕のほうもよくわからない。
「なんで?また……」
「ま、いろいろと。一言ではねえ」
 別れた理由を答えることも、それを考えることもうんざりだ。
「大丈夫なの?」
 僕は、モモを放課後は学童にあずけて、二人で暮らすと答えた。
 美紀ちゃんのお母さんの顔を見ていると、一目で、僕に同情していることがわかる。同情されても、僕は困ってしまう。同情されることは、意外に迷惑なものだ。僕はみじめでかわいそうなひとにならなくてはならないし、相手は何をしてくれるわけでもない。まったく、同情してくれるのなら、子守をしてもらいたいものだ。
 ちょうどそのとき、すでに上靴を履いたモモが僕を呼んだ。
「パパ、早く来て」
 僕は、美紀ちゃんのお母さんに、「じゃまた後で」と言って、モモを追った。
 これで、今日中に、僕の離婚のことは広まるだろう。もう誰も固まらせたくなかった。

 入学式は体育館で、全校生徒が集合して、行われた。
 モモたち一年生は、体育館中央に並べられた椅子に、上級生、保護者、教職員に三方囲まれて座った。
 小学生にもなると、国歌斉唱があるようだ。伴奏のテープが流されている間、一年生たちは、わけがわからないまま、ぐらぐらしながら立っていた。僕はきりりと口を結んでいた。
 続いて、一人ずつ、担任の先生に名前を呼ばれた。担任の先生は、僕より少し年上らしい女性だった。やさしそうで、かわいらしい先生だ。僕までうれしくなってしまった。
 二番目に名前を呼ばれたモモは、ふにゃふにゃして立ち上がり、元気よく返事をしていた。
 式は、順調には進まない。一年生たちは、式の間中、そわそわして、来賓祝辞などまったく聞いていない。保守系の市会議員が、長い祝辞の最後に、早く話を聞けるようになりなさいと言っていたのには、僕は一人こっそり吹き出してしまった。彼は、大人も聞いてもらえるような話をしなくてはならいないことを忘れている。
 最後に、上級生たちが、校歌を歌ってくれた。一年生たちは、最後まで、ふにゃふにゃしていた。僕はふと学級崩壊のことを思った。

 式の後、モモたち一年生は、教室に行き、僕たち保護者もついていった。モモたちは自分の名前が書いてある机のところに座り、保護者たちは教室の後ろに立った。 
 先生は、あすかせんせいと呼んでほしいと、やさしい声で言った。なかなかの先生のようだ。すでに、ふにゃふにゃ一年生たちを静かにさせ、興味を一身に集めている。
「おあずかりしたお子さんたちを、手塩にかけて育てさせていただきます」  
 先生が、子ども向けの自己紹介の後、口調を変えてそう言った。僕はモモを一人で育てるわけではないのだ。なんとかやっていけそうな気持ちがしてきた。

 その後、学童保育所にモモと行った。その場所は、一年生の教室の隣りにあった。
 二つ並びの教室が、保育所のようだ。壁に本がぎっしりと並び、カーペットが敷かれていて、上級生たちがいた。寝ころんで本を読んでいたり、オセロをやっていたり、ブロックで遊んだりしている。
 その隣りの教室には、座卓が並び、すでに五人のお母さんたちが座っていた。その子どもたちは、そこにあるもので遊び始めていた。
 モモは、ひとりブロックで遊んでいる同じ一年生らしき男の子に話しかけると、一緒に遊び始めた。人見知りしないのは、父子共通の性質のようだ。
 座卓の端に座っていたシャキシャキした感じのる五十歳くらいの女性が、モモたちの面倒を見てくれる指導員のようだった。
 やがて、説明会が始まった。その指導員の女性は天野さんといった。他にもスタッフは二人いて、常に最低二人は子どもたちの世話にあたるそうだ。この学童保育所では、毎日六時まで、しかも六年生になるまであずかってくれるという。六時までというのが、涙が出るほどありがたかった。僕の職場は、ここから車で十分なのだが、五時に仕事が終わることはまずないのだ。
 宿題をやらせてくれ、給食のない日は弁当まで出してくれるという。夏休みは朝からあずかってくれるというのも驚きだった。これで、保育費は月五千円である。渡る世間に鬼はないとは、このことを言うのだろう。
 ここでは、指導員は、コーチと呼ばれるという。先生ではなく、コーチというのが、僕はやけに気に入った。モモもここで鍛えられるのだろう。
 モモは先ほどの男の子と、すっかり馴染んで、遊んでいる。少し背の高いモモのほうが威張っているように見えた。
 説明が終わって他のお母さんたちが帰ってから、シャキシャキの天野コーチにうちの事情を話しておいた。
「ま、お父さん、大丈夫ですよ」
 と、コーチはさっぱりと答えた。今日、離婚のことを話しても固まらなかった唯一のひとだった。ここには様々な事情の子どもが集まっているにちがいない。ま、大丈夫だろう。そんな気がしてきた。
 天野さんが言うには、この街の小学校すべてにこのような学童保育所があるわけではないそうだ。保育所がまったくなかったり、学校から離れたところまで子どもたちが行かなくてはならなかったり、というところもあるようだ。
 モモとの生活は、正直、見切り発車ではあったが、最初からかなり幸運に恵まれているようだ。

 無事に、小学校に入学して、学童保育にも入り、僕たちは大仕事を終えたような気になった。実際、たしかに大仕事なのだろう。
 もう昼は過ぎていたのだが、僕たちはまだ学校にいた。他の子どもたちは、すでに帰っていて、校庭には誰もいなかった。
 僕は腹が減ってきた。モモは、空腹より、校庭を独占したいという気持ちのほうが強いようだった。
 モモはスーツの上着とランドセルを僕にあずけると、校庭の中央に向かって走っていった。モモの背中が、みるみるうちに小さくなっていく。
 モモのところに向かいながら、僕もスーツの上着を脱いだ。校庭の地面をなでつける春風が、僕のワイシャツにあたり、背中がふくらんだ。
 それから、僕も荷物を芝の上にすべて置いて、二人で、ブランコに乗った。メダカの池も観察した。丸太で組んだフィールドアスレチックにも登った。
「モモはいいなあ」
 丸太の櫓の上で、校庭を見下ろしながら、隣りに立っているモモに言った。
「なんで」
「この小学校楽しそうだし、先生もやさしそうだし、学童もおもしろそうだし」
「いいでしょ」
「もう一度小学生になりたくなっちゃった」
 本心だった。
 モモの髪が、なびいている。僕のワイシャツもぱたぱた音を立てている。走り回ってほてった体には、この風が気持ちよかった。

 昼食は、ご飯だけ新しい炊飯器で炊いて、おかずはスーパーの総菜を買うことにした。モモは、買い物かごに肉団子を入れた。ポケモンラムネも一つ入れたのだが、僕との格闘の末、ある条件をのんで、今日はあきらめた。その条件とは、お小遣いを週一回もらうことだった。とりあえず、週五百円とした。
 スーパーの駐車場で、車のドアを開けようとすると、僕のケイタイが鳴った。うちの電話は、これからは留守になることが多くなるので、すべてケイタイに転送されるよう設定してある。
 決して若くはない女性のハスキーな声、すぐに河本さんだとわかった。反射的に僕は背筋を正した。
「あ、どうも、どうも」
 頭を下げてしまった。
 僕にはささやかな、されど最優先事項としている楽しみがある。それは、小説の執筆だ。学生時代に小説家を目指したが果たせず、今は地元の同人誌に拙作を投稿しているのだ。電話の主は、その同人誌のリーダーからのものだった。
「そろそろ、原稿できあがるんじゃない」
 しまった。そういえば、毎年発行している同人誌の締め切りが迫っていたのだ。
「もう他のみんなは書けてて、校正したいのよ」
「あのぉ……、実は……」
 離婚してシングルファーザーになったことを告げ、急場をしのぐことにした。
 すると、河本さんの声が、熱したフライパンに水滴を落としたように弾んだ。
「いいじゃない」
 一瞬、何のことかわからなかった。
「最高の題材よ」
「はあ」
 僕は言葉を失った。そして、つくづく、女性という種族の力強さに敬服した。
「悪いニュースだか、いいニュースだか、わかんないですけど……」
 河本さんは言い切った。
「絶対、いいニュースよ」
 河本さんは語りだした。感情に流されてはいけないこと。決して、娘かわいやの話は書かないこと。徹底的に、自分を突き放して、客観視すること。自分の代表作を書くつもりで、書くこと。
 僕は、リリーフエースとして、監督に背中を叩かれ、マウンドに送り出されるような心境になった。
「いいじゃない」
 彼女は自分の提案に満足したのか、再度そう言った。
「巻頭に載せてあげるわよ」
 ケイタイを切ってから、モモの顔を見下ろして言った。
「いいじゃない」
 彼女の口調をまねてみた。なんだか笑いがこみ上げてきた。
 僕は車をとばした。車中では、モモが何がいいのか何度も訊いてきた。

 いよいよ、六万六千円のモモの勉強机が届いた。
 僕たちは、その到着予定時刻の一時間前から、何度もうちの外に出て、トラックを待った。
 そのトラックがようやく来たのだ。
 玄関で、運転手にこの前払えなかった残りの六千円を手渡した。教育には金を惜しんではいけない。僕はゆがむ顔を、極力笑顔につくりなおした。
 運転手が助手と二人で慎重に運び入れ、僕の大きなデスクの隣りに、ひとが一人通れるほどの通路を開けて、机を置いた。
 背中には南向きのサッシ戸、モモの机は思ったよりスリムで、この部屋にぴったりとはまった。
 モモは早速椅子に座り、机に向かって、何かを書くふりをした。
 僕は机の横にランドセルをかけた。そして、自分のデスクの前に座った。僕は電源の切れたコンピューターのキーボードを適当に打ってみた。
 僕の椅子にはキャスターがついているので、床を蹴れば、滑ってすぐにモモの隣りに移動できる。
「パパ、モモが勉強わからないとこあったら、こうやってすぐ来れるね」
「モモはいいなあ」
「なんで」
「こんないい机あって。パパなんか、もらい物のぼろくてダサい机で勉強したんだよ」
「それで」
「そんなの途中で使うのやめたよ」
「で、どうしたの」
「畳に座って勉強したんだよ。だから、いいなあモモは」
「いいでしょ」
「それに頭のいいパパもいるし」
 モモは頭をひねった。
「そりゃないな」
「じゃ、わからないとこあったら、誰に勉強教わるの?」
「ママ」
「いつもいないじゃん」
「ケイタイがあるでしょ」
「あっそっか」
「パパのパパはどうだった?」
 僕はいつもモモに変なことを教える父のことを思い、吹き出した。モモはそんな父が大好きなのだ。僕はいつも困っている。
「おじいちゃんが頭いいわけないよ。モモにバカなことしか教えないでしょ」
 この前は、鼻の穴にピーナツを入れて、飛ばすことを教えていた。
 モモは、そんな父をかばいだした。
「わかった、わかった」
 たしかに、父は知的ではないが、やることなすことおもしろい。人生を肯定的にとらえ、明るく生きる術を知っている。その能力には、敬意を表さなくてはならないだろう。
 僕はまた言った。
「いいなあ、モモは」
「いいでしょー」
 モモは意地悪そうに言った。僕はもう一度子どもになりたくなった。
 それから、文房具屋に行き、ハードカバーの小さな日記帳を買った。僕の提案で、モモは日記を書くことを毎日の勉強とすることにしたのだ。
 これからは、モモが日記を書く横で、僕が新作の執筆にいそしむのだろう。

  気になり始めたことがあった。フロアに、埃が目立つようになったのだ。ランプシェードの傘や、テーブルの表面にもうっすらと埃が積もっている。
 モモも、うちが汚くなったと言い出した。
 そういえば、僕とモモの鼻が最近つまる。これは、この埃の出現と関係があるのかもしれない。
  これまで、このうちでゴミくずも見たことがなかった。ところがが、フロアを見ると、食べかすやら紙切れやら、いろいろ落ちている。
 潔癖性の前妻は、一日二回は掃除機をかけ、そのフロアをさらにワックスで磨き、常にホテル並みの清潔さを保っていた。
 僕が一人暮らしをしていたころは、掃除は一度もしたことがない。たまに、部屋を訪ねてきた来客が耐えかねた時だけ、僕ではなくその来客が掃除をした。当時は、埃など気にしたことがなかった。たぶん、埃は綿雪のように積もっていたのだが、見えなかったのだろう。見るとは、つくづく意識することだと思う。
 気づけば、タオルをしぼって、埃を拭き始めていた。僕はそんな自分に驚いた。出ていった彼女が、まだ僕の中に存在していることを悔しくも思いながら、テーブルを拭いた。鏡を拭いた。テレビを拭いた。僕はいつの間にかこのように教育されていたのだ。
 掃除を始めると、次々に埃が目に入ってきた。一カ所きれいにすると、また他の汚いところが見つかった。掃除には、きりがない。汚いところを自然に探してしまう。
 タオルを何回かしぼった。
 人間とは高度に学習する動物である。僕は掃除を効率的に行う方法を、早くも発見したのだ。
 それは、アニメの「一休さん」の歌を歌いながら掃除をすることである。
 ♪スキスキスキスキスキスキ、あ・い・し・て・る。スキスキスキスキスキスキ、一休さん。とんちは鮮やかだよ、いっきゅうひん。♪
 この歌のリズムは、掃除に実にあう。僕はリズムに合わせて、手を動かす。そのうち楽しくなってきた。次々に未開の埃地帯が目の前に開けてくる。僕は片っ端からきれいにしていく。
 モモが興味を示した。
「パパ、違うよ。一休さんは、こうやって掃除するんだよ」
 モモは雑巾がけを始めた。タッタッタッタと、フロアのむこうに走っていく。モモの短い足が、細かく刻んだリズムで動き、見ていて心地よい。
 また、っタッタッタッタと、こちらに向かってモモが帰ってくる。僕にタオルを手渡すので、シンクで濯ぐ。そして、モモにタオルを畳んで渡す。
 今度は違う方向に向かって、モモがタッタッタッタと走っていく。
 「一休さん」の歌は、モモを寺の小坊主のように働かせる効用もあるのだ。
  僕は、料理だけでなく、掃除も才能があるようだ。次々に見つかる埋もれていた才能に、僕は一瞬酔いしれ、ひとり微笑んだ。

 記念すべき入学式の日の締めくくりは、パーティである。明日は土曜日で、今年から学校が休みだ。少しぐらいモモを夜更かしさせても大丈夫だろう。
 まず最初にマーちゃんが、モモに招待された。
 僕は、ユウとキョウを呼んだ。二人は、僕の教え子である。ユウは僕が顧問をしていた水泳部のマネージャー、キョウはバタフライの選手だった。
 二人はこの春高校を卒業した。在学中、モモとは何度も会って、遊んでくれたことがある。彼女たちも、新生活を始めている。ユウはフリーター、キョウは看護学生になった。そして、まだ彼女たちの承諾はとってないが、モモのベビーシッターになることが、自動的に決まっている。
 ダニエルも、来日中のガールフレンドと来ることになっていた。ずいぶん前に、モモの入学パーティに呼ぶ約束をしていたのだ。ダニエルは、職員室の席が隣りのアメリカ人英語講師である。
 ユウとキョウは、一足早く、四時ころやって来た。今夜のパーティの準備を頼んであったのだ。
 小柄でちょこまか動くユウと、大柄で力持ちのキョウは、なかなかのいいコンビだ。僕たちは二人まとめて、ユウキョウと呼んでいる。
 ユウが部屋の片づけを始めると、キョウはバタフライで鍛えた筋肉でモモを持ち上げ、遊び始めた。
 今夜の献立は、実にシンプルだ。うどんを茹で、スーパーで買ってきた天ぷらをのせるだけだ。しかし、このうどんはただのうどんではない。讃岐うどんである。通信販売で四国から取り寄せた絶品の乾麺である。ここらのうどんとは、こしとねばりが全然違う。
 僕はモモとユウキョウをうちに残して、ケーキを買いに出た。「モモちゃんにゅうがくおめでとう」と書かれたチョコのプレートをのせてもらった。
 うちに戻ると、モモはあいかわらずキョウと遊んでいて、ユウは勉強部屋で、モモの教科書とノートに名前を書いていた。小学生がすべての持ち物に名前を書くことを僕はすっかり忘れていた。僕が礼を言うと、ユウは僕に紙切れを手渡した。
「全然、足りないよ。マスクだって、給食の時、毎日使うし、鉛筆は丸いのはだめ、赤青鉛筆は一本しかないよ」
 その紙切れは、買い物リストだった。まだまだ、買わなくてはならないものがあった。給食用のプラスチックコップ、箸箱、給食袋、遠足用のリュックなどだ。
 マーちゃんもやってきた。差し入れを買ってきてくれた。イカの塩辛とイカそうめんだった。パーティの差し入れというよりは、ただ単によほどイカが食べたかったのだろう。
 マーちゃんは、若い女の子が二人も部屋にいて、喜んでいた。教え子だよ、というと、しきりに僕が教師であることをうらやましがっていた。キョウの筋肉が疲れてくると、マーちゃんがかわりにモモと遊び始めた。
 モモは、マーちゃんに、あの雨雪踊りを教えて、一緒に踊りだした。モモは汗をかき始めていた。
 ユウキョウに手伝ってもらい、あっという間に、テーブルに食器とうどんと天ぷらが並んだ。三つしか椅子がないので、モモの勉強机と僕のデスクの椅子も出してきた。
 ダニエルとカナダ人のガールフレンドが、やってきた。その二人は、ソファーでうどんを食べてもらうことにした。ガールフレンドのジャネットは、初めてうどんを食べるということだった。
 うどんはガラスの器に氷と一緒に盛り、つゆにつけて食べた。
 ツルツルッとすすっても、決して切れることのないうどんは、歯ごたえもプリプリしていた。こんなにうまいうどんは、ここらでは、絶対に食べられない。
 ユウキョウもそのおいしさに喜んでいた。モモは、うどんを食べなくてはケーキなしと僕が言ったので、一生懸命食べていた。
 ダニエルたちは、ツルツルッと食べることが、文化の違いからどうしてもできないようだったが、delicious と言った。
 マーちゃんは、黙って、ズルズルとうどんを掃除機のように吸い込んでいた。
 ユウが気を利かせて、うどんの第二弾を茹で始めた。
 僕は離婚のことをダニエルに話した。
"I got divorced on April first. I decided to live with Momo here."
(四月一日に離婚して、モモと暮らすことにしたよ)
 ダニエルは、少し困ったような顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
"Congratulations"
 さすがは、離婚王国アメリカから来ただけのことはある。言うことが違う。もちろんダニエルの両親も、離婚している。ダニエルは、クリスマスプレゼントを二つもらえることを喜んでもいた。僕はThank youと答えた。どうやら、めだたいことらしい。パーティを開いて、正解だったようだ。
 みんなおなかいっぱいうどんを食べた。最後に残った約一杯分のうどんは、誰も食べたがらなかったので、マーちゃんが無理して食べた。
 僕はなんだか疲れて、ソファーに寝転がった。目の前では、モモがジャネットとままごとセットで遊んでいた。ダニエルとマーちゃんが、なにやら、メチャメチャな言語でコミュニケーションしている。それを聞いて、ユウキョウが大笑いしている。
「ユウキョウ、ケーキ食べよう」
 モモが飛び上がって喜んだ。ユウが紅茶を淹れ、キョウがケーキを切る。
「モモちゃん、またパパ眠りそうだよ」
 と、マーちゃんが言っているのが聞こえた。マーちゃんが来ると、自動的に瞼が重くなるようだ。思えば、今日一日本当に忙しかった。疲れが蓄積して、体が重くなり、ソファーに沈んでいくような気がした。僕はまた眠りに落ちていった。

 しばらくして、目を覚ますと、ソファーテーブルの上に、僕の分のケーキが置かれていた。
 ユウキョウを中心に、すでに片づけが始まっているようだった。モモも手伝いらしきことをしていた。
 十一時を過ぎ、みんなが帰っていった。最後にユウキョウが帰る時、あれほどはしゃいでいたモモが泣いた。ユウキョウが交替でモモを抱きしめた。
 そして、二人きりになると、今度は僕が抱き上げて、ベッドに連れていった。
  僕は、明日は映画でも見に行こうと言って、寝かしつけた。

 ついに僕の新学期も始まった。春休みは、完全に終わったのだ。そして、モモの授業が始まった。
 初めて、六時に起きた。七時には、モモに朝食を食べさせて、服を着せて、必要なものが入ったランドセルを背負わせて、送り出した。
 僕たちはこれまで寝ていた時間に、一つ大きな仕事を終えた。
 僕は自分でアイロンをかけたワイシャツを着て、レジメンタルのネクタイを締め、紺のスーツに腕を通した。
 今年度は一年生のクラス担任になることになった。今日は、二、三年生の始業式、明日が僕のクラスの生徒たちを迎える入学式だ。
 僕が勤務する学校は、工業高校である。女生徒が一握りしかいなくて、とにかくヤンキーが多い。
 朝、駐車場で車を降りて、歩いていると、そんなヤンキーの一人に話しかけられた。柳田というその生徒は、背が高く、スキンヘッド、応援団の一員でもある。
「先生、どうよ、このごろ?」
  僕はヤンキーたちになめられいるせいか、よく話しかけられる。自分では親しまれていると思ってもいるため、そんな馴れ馴れしい彼らが嫌いではない。
「おう、ま、よくないな」
「奥さんとはどうよ?」
 柳田は、会うたびいつもそう訊いてくる。だから、夫婦不和のことも知っていた。
「離婚したぜ」
 僕は隠すつもりはない。
「うっそぉ、まじ」
「こんな嘘ついても楽しくないよ」
 柳田は気まずそうな顔をした。
「先生、娘さんは?」
「一緒にいるよ」
 柳田は僕がモモをひきとったことに驚いたようだった。彼のうちは、たしか母子家庭だったはずだ。
「先生、なんで?」
 僕は返答に困った。
「たしかにあっちに娘ひきとらせる選択肢もあったな」
「俺ならできないなあ」
 彼の目が、尊敬のまなざしになった。
「ま、人生にはいろんなことがあるよ。君も大人になればわかるよ」
 僕より頭一つ分背が高い彼が、僕の肩を叩いた。
「先生、がんばってや」
「おうよ」
「先生にいい女探しとくから」
 僕は笑って、答えた。
「しばらく女はいいよ。お嬢で充分」
 これで百人単位で、生徒たちに伝わるだろう。全校に知れわたってくれれば、助かる。いちいち会う生徒ごとに、離婚のことを言うのも、面倒だからだ。
 午前中に、始業式があり、その後、大掃除をするだけで、用事がない生徒は放課となった。
 この日、廊下ですれ違ったり、大掃除を一緒にやった生徒たちは、僕の顔を見ると必ず夫婦関係のことを訊いてきた。彼らの間で、僕の夫婦不和がそこまで広まっていたのだ。正直に僕が答えると、決まって生徒たちは固まった。これもあと数日だろう。二、三日後には、全校に広まるはずだ。

 僕は生徒会の担当である。生徒会執行部のメンバーは十人いて、放課後はたいてい生徒会室にたむろする。新学期の生徒会は忙しい。一年生を迎える会、部活動説明会、生徒会予算案作成などで、これから毎日追われるだろう。
 教師の仕事は、五時に終わることはほとんどない。生徒会活動は、特に生徒総会や学園祭の前など、八時九時まで生徒が学校に残り、僕もつきあっていく。
 モモをひきとると僕が言った時、前妻が、仕事と育児の両立はできるのかと、訊いてきた。僕は、仕事を減らすと答えた。私のためには減らしてくれなかったのね、という彼女の言葉がまだ耳に残っている。
 仕事を減らすことは、たしかに難しいことだろう。今まで仕事は家に持ち帰らず、学校に残って終わらせていたのだが、これからはそうもいかないだろう。何しろ、毎日六時までには、モモの迎えに行かなくてはならないのだ。
 生徒会活動などで、どうしても六時に仕事が終わらない時には、いったんモモを迎えに行って、学校に連れて戻ってくるしかない。学校で、夕食にほかほか弁当でも食べることになるのだろう。
 生徒会執行部のメンバーたちは、僕の離婚のことはすでに知っているようだった。
 昼食を店屋物で食べて、生徒会室に行くと、メンバーたちが五人弁当を食べていた。
「先生、ほんとに?」
 副会長の正夫が、僕の横に寄りそうように立って、ささやいた。そういえば正夫は柳田と同じクラスだ。そんな正夫は、このメンバーの中では、恋愛経験豊富で、唯一大人の会話ができる生徒である。
「おう。やばいって言ってただろう」
「それは、聞いてたけど……」
 会長の麻美は、このことについては何も触れなかったが、一言だけ言った。
「モモちゃんの面倒、私も見てあげるね」
 さすがは会長。同情するなら子守して、という僕の心境がわかっている。
 麻美は、小さな弁当を食べ終わると、ホワイトボードになにやら書き始めた。
「みんな、今年の私たちの目標ね」
 会議の効率化、と麻美は赤字で書いて、にっこりと笑った。
 これからは、彼女たちにも助けてもらうしかないだろう。
 
 新年度になっての大きな変化がある。それは、これまでは勤務中に仕事以外のことを考えることはほとんどなかったのだが、今は常に頭の半分、いや、それ以上がモモに占領されているということだ。僕が必死に守ってきた頭の中にある自分のためだけのスペースも、洪水が起こってそこに大量の水が一気に流れ込み、沈下してしまったかのようだ。
  僕の学校の始業式であるこの日が、モモの実質的な小学校デビューだった。初めての授業、初めての学童があるのだ。
 幼稚園では、モモは母親がつくった弁当を毎日食べ、二時にはうちに帰ってきていた。これからは、朝七時にうちを出て夕方六時まで、一日の半分は小学校と学童で過ごすことになる。
 僕はこの日の午後、翌日の入学式の準備をすることになっていた。新入生とその保護者たちに話すことを考えなくてはならなかったし、配布物の整理をして、当日の新入生たちの動きとタイムテーブルも頭に入れなくてはならなかった。それだけではない。新しい教科書にも目を通さなくてはならないし、出席簿なども作成しなくてはならない。
 しかし、その日、生徒会室に顔を出した後、気づくと僕は自動車のハンドルを握っていた。学童保育所に向かったのだ。モモがどう過ごしているか、無性に気になり、自分の目で確かめなくては気がすまなくなったからだ。
 この日は、給食がまだ始まっていなくて、モモたちは学童で支給される弁当を食べることになっていた。知らない子どもたちに囲まれ、モモは大丈夫だろうか。
 小学校の駐車場に車を停め、おそるおそる学童保育所に向かった。そして、窓の外から中を覗くと、四十人ほどの子どもたちが座卓のまわりにぎっしりと座り、にぎやかに昼食をとっていた。その中に隣りの子どもと笑顔で話しながら、おにぎりを頬張っているモモがいた。中から、天野コーチがあわてて出てきた。
「お父さん、お迎えですか?」
 僕は驚いた。僕もあわてて何でもないと答えた。とても我が子の様子を見に来たとは言えなかった。
「ちょっと、学校に用事があったものですから」
 そのとき、モモが僕を見つけた。モモは隣りの子どもに僕を指さして何か話している。僕が手を振ると、モモは面倒くさそうに振りかえした。
 僕は急いで、勤務に戻った。職場で、誰かが僕を捜しているかもしれない。そういえば、教頭に何の届けも出していない。
 またハンドルを握り、来た道を戻りながら、笑ってしまった。すっかり親バカになっている自分がおかしかったのだ。

 新入生を迎えることは、担任教師にとっては、一大事である。本来ならば、緊張するところである。
 僕は礼服を着て、入学式の式場である体育館の中にいた。BGMのG線上のアリアを聴きながら、静かに新入生を待っていた。
 親子連れが次々と入ってきて、後ろの保護者席と前の新入生席に別れて、ずらりと並んだパイプ椅子の空席を埋めていく。
 この学校は、八クラスあり、一クラス四十人で、新入生は全員で三百二十人だ。真っ黒な詰め襟の制服を着た、生徒たちがそれだけの人数かたまって座ると、なかなかの光景である。
 やがて式が始まった。全員が起立して、君が代斉唱を行い、担任教師が自分のクラスの生徒の名前を一人ずつ呼んでいく。名簿には、ふりがながついていて、ただそれを読み上げるだけなのだが、緊張のためか、毎年必ず何人かの担任教師は名前を呼び間違える。
 僕は頭の半分は、モモとのことにとられているため、緊張も半分のようだった。僕は一組の担任で最初に名前を呼んだが、つかえることも読み違えることもなく、僕のクラスの四十人の名前を読み上げた。
 その後、二百八十人の名前が呼ばれる間、僕は夕食に何をつくるか、ずっと考えていた。そろそろ揚げ物に挑戦してもいい頃だ。
 全員の名前が呼ばれるまでに、むこう三日間の献立が、頭の中にできあがった。
 そして、校長式辞、来賓祝辞が長々と続く。また、モモのことが気になり始めていた。今頃、モモは学校でひらがなでも習っているのだろう。僕はこの後、教室に新入生たちとその保護者たちに、何か語らなくてはならない。所信表明演説のようなものだ。
 それにしても保護者たちは大したものだ。すでに子どもを高校生まで育てあげているのだ。モモは小学校一年生、、あと九年もある。
 さほど緊張することもなく、式が終了した。新入生たちを連れて式場を出ると、同僚が僕たち担任教師にお疲れさまと言ってくれる。そのとき、ずっと緊張していた隣りのクラス担任は、ようやく今日初めての笑顔を見せた。彼は僕と同い年だ。
 無言で緊張した面持ちの新入生たちをぞろぞろと引き連れて、階段を上り、教室に連れていった。僕は彼らに番号順に座るように指示した。工業科の僕のクラスには、男子生徒しかいなかった。 
 真っ黒な襟詰めを来た彼らは、ほとんど見分けがつかない。彼らの顔と名前を覚えるのは一苦労だろう。
 少し遅れて、保護者たちが教室の後ろに入ってきて、背面黒板の前にずらりと並んだ。
 ここで、僕は所信を表明するのだ。まずは僕の名前を黒板に書いた。
「一年生のクラス担任をするのはこれで三回目です」
 と、切り出し、今朝思いついたことを言った。
「以前は俺についてこいという気持ちで、指導していましたが、もうやめました」
 一部の保護者たちの顔色が曇る。
「だいたい、今まで、生徒たちは僕についてきてくれませんでしたし、だいたい僕についてきたら、僕を超えることができなくなってしまうんじゃないでしょうか。僕はここにいる新入生たちとともに成長していきたいと思っています」
 何人かの親が笑った。生徒たちは、まったく表情を崩さない。
 そのあとは、連絡事項を伝えた。雑巾を二枚持たせてほしいとか、欠席や遅刻の時は学校に電話してほしいとか、そういったことだ。
 保護者たちを見ていると、子育ての大先輩に思えた。子どもを一人、高校生まで育てることは、並大抵のことではないはずだ。まだモモは小学校に二日しか行っていない。義務教育を終えるまで、日数では、いったい、何日になるのだろう。僕は、この保護者たちの偉業に感心した。
 新入生たちを育てるにも、モモを育てるにも、僕自身が育っていかなくては、とても追いつかないだろう。
 今、生徒たちの後ろには親たちが立っている。ほとんどが母親だ。明日から、この教室には、生徒たちしかいないのだが、僕はやはり彼らの後ろに親の存在を感じるのだろう。これも大きな変化の一つだった。
 新入生たちが帰り、教室に一人残されると、ふと、ある英熟語が頭に浮かんだ。grow up、それは他動詞でもあり、自動詞でもある。「育てる」という意味もあれば、「育つ」という意味もある。新入生と親たちが帰った後、このことも所信表明演説で言えば、かっこよかっただろうと思った。 

 僕は洗い物が好きである。ずいぶん前からそうだった。学生時代一人暮らしをしていた時も、まだ妻がいて三人で暮らしていた時も、食器洗いは積極的にこなした。なぜ好きだったのかは、よくわからない。好きなものには、あまり理由はないようだ。しかし、それ以外の家事はほとんどやらなかった。やらなかった理由は明確である。面倒くさかったのだ。
 最初は天文学的数字で表現しなくてはならないほど膨大な量に思えた家事も、なんとかこなせるようになった。一日で全部やろうと思わず、何日かに分割してやるということを学んだからだ。今日洗濯をしたならば明日アイロンをかけるとか、二日分の食材を買い込むとかいった技術を習得したのだ。
 それにしても、驚かされるのは、前妻が残していったシステムだった。たとえば、洗濯物が、キッチンで使うもの、寝室で使うもの、浴室で使うものと、それぞれの場所にきちんとしまってある。しかも、限られたスペースに最大限収納されるように、畳み方も統一されている。このように完璧なまでに効率を考えて構築されたシステムは、僕の仕事ではないことだ。
 キッチンにも、システムは存在していた。食器や鍋の収納、調味料も秩序正しく整頓されている。僕は高度な文明を持った隠された王国を発見したような気がした。
 家事は、システムなのだろう。日々の努力と工夫の積み重ねが、このような王国を築いていくにちがいない。
  僕は前妻とは違い、完璧主義者ではないので、もちろん家事の手抜きはする。いや、せざるをえない。しかし、無菌室のようなきれいなうちに結婚以来暮らしていたせいか、うちの中が散らかっていたり、汚くなっているのが、気になるようにはなっていた。
 そこで、掃除については、五分あれば完璧に片づききれいになる状態を保つ、というのを基準とした。五分で片づききれいになるのなら掃除をする気にもなるのだが、五分以上かかるのなら、僕の性格なら面倒でいやになるだろうからだ。
 このように、僕は、不完全ながらも、自分自身のシステムを構築しようとしていた。
 家事をいろいろとするようになって、一つ気がついたことがある。それは、以前は大嫌いだった家事が、いつの間にかわりと楽しくこなせるようになっていることだ。これは、不思議だった。
 彼女がいる頃は、下心があり点数稼ぎのために皿を洗ったり、彼女に命じられて義務感でしようがなく洗濯物を干したりしていた。
 今はただ、僕とモモが快適に暮らせるように、家事をするだけで、点数稼ぎする必要もなく、誰にも家事を命じられることもない。受け身の家事から、主体的な家事に転じたのだ。より快適に暮らすためという積極的な動機でする家事は、攻めの家事である。こちらの家事は、あまり苦にならないようだった。

 ひとの心というものは、思わぬ変化をしていく。
 離婚する前、僕がもっとも恐れていたものは、孤独だった。ところが、モモとの生活には、孤独に浸る暇などは一切ない。しなくてはならないことは、いくらでもあった。家事と育児は、どこまでやっても、終わりがないのだ。終わりもなければ、休みもない。集中力と忍耐力が、常に必要とされる。
 しかし、そんな毎日は、発見の連続で、目の前の世界が新鮮に映り始めたのも事実だ。これは今までに味わったことのないかなりエキサイティングな経験だった。離婚後、僕の心を埋めたものは、孤独ではなく、そんな新鮮な世界に囲まれて妙な充実感だった。
 僕はつくづく世界の半分を見てこなかった、と思う。たとえば、これまでは、本屋に行けば、真っ先に海外文学の新刊をチェックした。そのあとには、日本文学にも目を通した。だいたいそれだけで一時間は経ってしまう。立ちっぱなしで、足が疲れ、他のジャンルの本に目を通すような気力が残っていなかった。ところが、今では、本屋に行くと、小説以外のものも目に入るようになってきた。まずは、オレンジページやレタスクラブといった料理やインテリアの主婦向けの雑誌などだ。簡単料理特集とか、梅雨の黴対策などが載っている雑誌は、必ず手に取った。最初は気恥ずかしさもあったが、今ではどうどうと買うようになった。家事をしていることに、誇りさえ感じるようになっている。
 テレビを見ていても、見えるものが違ってきた。こんなにも多くの便利な洗剤や掃除グッズのコマーシャルがあるとは知らなかった。
 料理番組もこんなにもたくさんあり、どれを見ても、実用的でおもしろく、飽きることはなかった。
 もちろん、そういったコマーシャルや番組は今までもやっていたはずだ。ところが僕はまったく目にも気にもとめていなかったのだ。このことに気づくと、前妻のことも、半分は見ていなかったことにも気づいた。それはおそろしいことだ。もし、僕が自分の半分も無視されていたとしたら、一ヶ月も耐えられないだろう。
 新婚時代、彼女は数万円する鍋のセットを欲しがった。僕はその購入には賛成しなかった。そして、彼女は少し涙を流してそれをあきらめた。今は、その気持ちがわかるような気がする。
 今まで見過ごしてきた世界の半分の中心は、灯台もと暗し、意外にもこのうちの中にあった。そして、この空間は創意工夫と努力で、どうにでもなるクリエイティブなものだった。
 攻めの家事は、創作活動である。創作家は、道具や材料に妥協はしない。彼女があの鍋を欲しがったのも、当然のことだろう。
 近所のスーパーも、新世界だった。そこで僕が今まで買ったものといえば、パスタとレトルトパック入りのミートソースくらいなものだった。今こうしてスーパーに通うようになると、これほど奥の深い場所だったとは知らなかった。野菜や肉は、毎日、値段が変わる。特売品も日替わりだ。季節が変われば、品揃えも変わるのだろう。他の客が、何を買っていくかこっそり覗くのも、密かな楽しみとなった。
 大きな家を見ると、これまでの僕だったら、どんな職業の人間がこれを建てたのか、そのぐらいしか頭に浮かぶことはなかった。今、真っ先に頭に浮かぶことは、さぞかし掃除が大変なのだろう、ということだ。掃除の時は、掃除機を二階にまでもっていくのだろうか、それとも、掃除機が二台あって、一階にも二階にもあるのだろうか。一度、訪ねて訊いてみたかった。
 つくづく、ものごとはあるから見えるのではなく、見えるからあるのだ、と思う。見るということは、その対象について、考えるということなのだろう。
 料理も立派な創作活動である。これのいいところは、作品の評価や批評がすぐ出ることである。つくって、おいしければ、いい作品となる。モモはなかなかの批評家である。一口食べて、まずいと言ったら、もう食べてはくれない。僕がモモのぶんもしぶしぶ食べていると、モモはさっさと餅に海苔を巻いてレンジでチンして、勝手に食べ始める。餅は、朝食にもなるし、僕の料理が駄作の場合の非常食にもなる。まったく、ありがたい便利なものだ。
 僕はモモというすぐれた批評家を得て、料理の腕が、日に日に上がっていった。そして、ついにモモもパパの料理はどうかと誰かに訊かれると、おいしいと答えるようになった。
 ただ、料理で一つ難しいことがあった。それは、僕とモモの食べるちょうどいい分量の料理をつくることだ。料理の本は、たいてい、四人分か二人分の分量のものばかりだ。本の通りにやると、スーパーに行っても、すぐ買いすぎてしまう。モモの体重は僕の三分の一、したがって、食べる量も三分の一だ。だから、僕は約一・三人分という微妙な量をつくらなくてはならない。これが不可能に近かった。
 しかし、この問題もすぐに解決することになる。それは、多くつくりすぎたら、マーちゃんに電話すればいいと気づいたからだ。おかずあるよと言うだけで、三十分以内にタッパー持参のマーちゃんが、玄関に現れる。これで、つくりすぎの問題はなくなった。僕はこれで一安心した。
 
 モモは、夕方が苦手のようである。
 僕は、六時少し前に、勤務校を出て、車をとばして、モモの迎えに行く。それまでに終わらない仕事は、持ち帰るか、誰かに頼むか、それでもだめなら手を抜くことにした。
 僕が小学校の駐車場に車を停めて、学童の部屋を覗くと、たいていモモは二、三人の子どもと、テレビを見ている。学童では、五時からテレビを見ることが許されているのだ。
 いつも、僕はモモの顔を見ると、ひさしぶりに会うような気になる。朝七時から夕方の六時までの約十一時間ぶりの再会だ。モモは映画のシーンのように、両手を広げて、パパと叫びながら走ってくる。モモは、以前一緒に見た映画のまねをしているのだ。僕はモモにつきあって、大きな一年生を抱き上げる。そういえば、抱っこの回数と時間はずいぶんと増えた。先日、風呂の鏡の前で大胸筋が少し発達していることに気づいたが、間違いなくこれが原因だろう。
 モモは体重が二十キロ以上ある。背は三年生並みだ。そんなモモをずっと抱き上げていれば、もちろん、疲れてくる。そして、機嫌も悪くなる。
 僕がそんな状態になるような時、かならずモモも一日の疲れからか、機嫌が悪くなる。疲れて機嫌の悪い二人が、同じ空間で一緒に暮らすことほど大変なものはない。
 そんな時、喧嘩は、ほんの小さなきっかけから始まる。少しのことで、モモが腹を立て、僕にバカと言い、その言葉遣いをとがめるのが、きっかけになることもある。ほんの些細な手伝いを頼んで、やるやらないの議論が、白熱して喧嘩になることもある。
  モモが小学校に行き始めて、一週間も経たない頃のことだ。僕は夕飯のおかずをつくり始めた。モモのリクエストで、鶏の唐揚げに挑戦しようとしていた。
 ランドセルを背中から下ろしたモモが何かを探していた。
 揚げ物は、まだ二回目、少し緊張気味だった。
「パパ、ここに置いてあった、お花は?」
 一瞬、何のことかわからなかった。
「知らないよ」
 僕は、モモに背を向けたまま答えた。
「あったでしょ。赤いお花が」
 まだ何のことだかわからない。
「テーブルの上に朝あったでしょ」
 と、モモが怒りで声を上げた。
 ようやく思い出した。朝、テーブルの上に小さなバラの造花が置いてあった。モモがどこかから出してきて、置きっぱなしにしたものだ。
「あったよ」
「どこにあるの?」
「ないよ」
 僕はおそるおそる鶏肉を油の中に入れていく。この前、揚げ物に挑戦した時は、油が飛んで痛い目を見た。僕は料理するようになって、ものごとを慎重にすすめるということを学んだ。
「パパ、お花は?」
 きつね色に揚がった鳥肉を、菜箸でつまむ。油がぽたぽた落ちる。食欲をそそるにおいだ。
「だから、もうないよ」
 そういえば、朝、ゴミ袋に入れて、集積所に出してしまった。
「どうして?」
「捨てちゃった」
「なんで捨てるの?」
 モモはゴミ箱の中を覗いた。
「ごめん、もうゴミ出しちゃった」
 唐揚げは、思ったより、うまくいった。
「ばぁか」
 と、モモが言い、僕の尻のあたりを叩き始めた。
「こら、やめて。今、油つかってるんだから」
「うるさい、ばぁか」
 僕は菜箸を持ったまま、振り向いて、睨み付けた。
「あれ、ママのだったのに……。なんで捨てたの?」
 僕はごめんとだけ言って残りの鶏肉を揚げ続けた。
「ばぁか、ばぁか」
 と、モモが僕の尻をまた叩き始めた。
「バカって、言っちゃいけないって、言ってるでしょ」
「うるさい、ばぁか」 
 僕は、気づくと、モモの頭を平手で叩いていた。
 モモは爆発したかのように大声で泣き出した。そして、ベッドルームに走って行った。ベッドルームはモモ泣く場所と決まっている。しばらく、放っておき、すべてきつね色に揚がった鳥肉を皿に盛った。色も香りも完璧だった。
 料理のできに満足すると、それまで怒っていたこともすっかり忘れ、ベッドルームに行くと、モモがベッドにうつぶせになって、まだ泣いている。
「モモ、ごめん。知らなかったんだから。そんな大事なものだとは」
「うるさい、もう、あっちいって」
「モモ、許してよ。モモの好きな唐揚げもできたから」
「そんなのいらない。あっち行ってて」
 と、モモが泣き叫ぶ。僕がモモを抱き上げようとすると、誘拐でもされるかのように、手足を動かして抵抗した。僕はあきらめて、テーブルに肘をついて、座った。ため息が立て続けに出てきた。
 やはり、無理なのだろうか。離婚した夫婦は、まわりにいくらでもいるが、父子家庭は見たことがない。父親は子育てできないから、父子家庭はいないのだろうか。
 全身の力が抜けていくほどの、無力感に襲われる。今までずっと張ってきた気力の糸が、切れかかっている。
 再度、ベッドルームのモモを見に行くと、すでに寝息を立てていた。小学校と学童に行くのも、そうとう疲れるのだろう。ついこの前までは、昼を少しまわれば、母親のいるうちに帰ってきていたのだ。かすかに動くモモの背中を見ていると、モモが急に小さくてデリケートな存在に思えてきた。
  夕方、多くの家庭では、うちの中が明るくて、夕食の準備のにおいが玄関のあたりまで漂い、エプロンをつけた母親が子どもを出迎えるのだろう。僕たちの場合、帰りにスーパーに寄り、うちに帰れば、湯気を上げるタイマー付き炊飯器くらいしか出迎えはない。
 しばらくぼんやりとベッドの端に腰掛けていた。モモは少し汗をかいて熟睡している。あれだけ、怒って、泣けば疲れるのだろう。僕はダイニングに戻り、テレビをつけ、一人で、唐揚げを食べた。緊張してつくっただけあり、そこらの食堂で食べる唐揚げに負けないできだった。間違いなくモモが喜ぶ味だ。
 ニュースを見るのは、ひさしぶりだった。そして、僕は驚いた。僕がほとんどの労力をこのうちの中でのことに費やしている間に、ちゃっかり小泉首相たちは着々と戦争のできる国つくりを進めていたのだ。まったく腹が立つ。
 本来ならば、教員組合の仲間あたりと街頭でビラを配って署名を集めたり、デモでシュプレヒコールを唱えたりしなくてはならないところだ。しかし、今の生活では、なかなかそれもままならない。そんな歯がゆさに、怒りが倍増していった。
 小学校入学から、二回目の月曜日を迎えた。
 週末は通常の洗濯に加え、上靴や給食の配膳の時に着る白衣、赤白帽も洗った。上靴を洗おうとしたが、うちに手頃なブラシと洗剤がなかったので、ネットに入れて、他の衣類と一緒に洗った。すると、これがけっこうきれいになったのには驚いた。これからもこの方法で洗うことにした。
 平日の夜は、分単位のあわただしさだ。夕方六時に学童へ迎えに行き、スーパーで買った食材を調理して、七時頃に夕食を食べる。以前は、禁止されていたテレビを見ながらの食事である。
 今週から、ついに宿題が始まった。始めての宿題は、大きなマスのノートに「あおいうみ」と三回書くというものだった。
 食事が終わると、洗い物は後回しにして、テーブルのモモを抱き上げて、勉強机のところに連れていく。
 まずは日記だ。
「モモ、今日はなにがあった?」
「幼稚園の先生が来たよ」
「カズミ先生来た?」
「来たよ」
「じゃ、そのこと書けば」
 モモが書き出すと、僕は隣りのデスクの上のコンピューターを起動した。インターネットでもやろうと思ったのだ。
「パパ、何やってるの?」
「仕事、仕事」
「だめ、こっち来てて」
 育児では、あくまでも無私の精神を求められるようだ。
 僕はモモが日記を書くのを見守らなければならない。モモは、毎日、日記を「きょうは」で書き始める。きょうはかずみせんせいがきたよ、と大きな字で書いた。それから、絵を描き始めた。
 僕はすかさず、コンピューターの前に行き、インターネットにつなぐ。少しでも外の世界とつながろうとと思ったのだ。
「パパ」
 とがめる口調で、モモが言う。僕は泣く泣くモデムを切断する。育児には、手を抜く暇はない。高度な持続力を要求されるのだ。
 モモは日記帳を閉じると、あおいうみ、を書き始めた。書き順はでたらめ、鉛筆の持ち方もおかしい。モモは僕に矯正されながら、あおいうみを書いていく。モモは、鼻歌を歌いながら、なんだか楽しそうだ。
 勉強とは、そもそも、楽しいものなのだろう。今まで知らなかった世界の謎が、目の前で、次々と解明されていくのだ。
 勉強は、いつから苦痛になるのだろう。僕が英語を教える工業高校の生徒たちのことが頭に浮かんだ。彼らの多くにとっては、英語は拷問のようなものらしい。
 モモは、宿題が終わると、鉛筆を削らなくてはならない。またこれがなかなか手がかかるのだ。電動の鉛筆削りを買えばよかったと後悔した。僕が鉛筆削りを押さえて、モモがハンドルを回す。二人がかりでないと、まだできない作業だ。
 最後に、明日使う教科書をランドセルに入れる。時間割表は、モモの机の横に貼ってある。
「火曜日、一時間目は何?」
「こくご、はい」
 モモが僕にこくごの教科書を渡す。僕はそれをランドセルに入れる。
「二時間目」
「さんすう、はい」
 僕はまた次の教科書を入れる。
 こんな具合に、明日の準備が整うと、次は風呂だ。ここまでを八時半までに終わらせなくてはならない。
 モモは、ここらから、だんだん不機嫌になっていく。眠たい時のモモほど、おそろしいものはない。
 たいてい、風呂で、一度は喧嘩になる。なかなか体を洗わなかったり、いつまでも湯船におもちゃを浮かべて遊んでいたりすると、僕がせかす。すぐには言うことをきかないので、つい大声を出したり、尻を叩いたりする。そんなとき、モモは大泣きして、叩き返してくる。まったく、子どもにはまだ時間の感覚がないので、困ってしまう。急ぐということを知らないのだ。
 眠い時のモモも言うことを聞かないが、泣いた時のモモはもっと始末に負えない。泣いたまま突っ立っているので、僕が下着とパジャマを着させてやらなくてはならなくなる。急がせれば急がせるほど、モモは頑なになり、時間がかかってしまう。
 ようやく風呂が終わると、ベッドに入る。九時前にここまでたどりつければ、僕が絵本の読み聞かせをする。一冊読み切って、電気を消す。
 ここでしばらくのおしゃべり。
「パパ」
「何」
「学童いや」
 どきりとする。
「なんで?」
「なんでも」
 先ほどより深いところで、またどきりとする。学童に行かなくては、モモとの生活が破綻してしまう。ここで、高圧的に出ると、モモの場合、よけい行きたがらなくなるだろう。
「ふーん。いやなんだ」
「明日、学童行かない」
「ほんとに行かないの?」
「うん、だから、早く迎えに来て」
「そっか……」
 僕は明日の仕事の予定を頭に浮かべた。早退は難しそうだ。
「なんで、早く帰りたいの?」
「だって、おもちゃで遊びたいもん」
「どこで?」
「うちで」
「ふーん」
「モモにも鍵作って」
「なんで?」
「そうすれば、一人で帰ってきて、遊べるでしょ」
 僕はまた無力感に襲われる。やはりシングルファーザーは無理なのか。
 たしかに、分単位でせかされる生活は、子どもにはプレッシャーなのだろう。朝の一時間と帰ってきてからの三時間、それだけがモモがうちにいる実質的な時間なのだ。
 モモがもう話さなくなった。闇の沈黙に耐えながら、僕はモモが寝付くのをじっと待つ。
「モモ」
 と小さな声で呼ぶ。返事がない。僕はこっそりベッドを抜け出す。マラソンを完走したような心境だ。
 このようにすべて順調にいけば、ここで九時半、ようやく僕は自分の時間を獲得する。

 翌日、仕事を早く終わらせて、というより終わってはいなかったが、とにかく職場を後にした。昨夜のモモの言ったことが気になり、いつもより早めに迎えに行ったのだ。四時だった。
 学童保育所に行く途中、職員室の前を通る。先生たちは、まだ机に向かっていた。同じ教職員として、少し罪悪感を覚えた。
 学童の部屋の中にモモがいなかったので、運動場を見ると、モモは友達と走り回っている。
 僕が大きな声でモモの名を呼んだ。モモは立ち止まって、叫んだ。
「もー来たの?」
「早く来いって言ったでしょ」
「また、後で来て」
「いつ?」
「いつもと同じくらい」
 子どもとは、こんなものなのだろう。僕の接している高校生もそうだ。モモは、時価で売られる高級鮮魚みたいなものだ。
「じゃ、ばいばい」
 と、僕はモモに叫んだ。
「パパ、またね」
 モモはまた友達を追いかけて走っていった。
 その後、僕はひさしぶりに喫茶店に行くことができた。

 始めての参観会があった。金曜日、僕は午後の授業を午前に移して、有給休暇をとって出かけた。
 昼休みが終わる頃、お母さんたちに紛れて、教室に入っていくと、子どもたちは走り回ってる。モモも近所の子と遊んでいた。
「パパァ」とモモが手を振ってきたので、振りかえした。
 やがて、あすか先生が入ってきて、子どもたちを席に着かせると、日直の子が前に出て、「はじめます」と言った。モモたちは声をそろえて、「おねがいします」と挨拶した。
 モモは窓際の前から二番目。僕は窓際の後ろに、デジカメを片手に、立った。
 モモは、何度も僕のほうに振り返り、変な顔を見せた。僕がデジカメを持ってきたことに気づいたのだろう。みんなが手を挙げている時も、頭の後ろで、両手を組んだりして、まじめに授業を受けていない。
 これは、困ったことになった。僕は、あせりだした。
 授業は、国語の最初の単元だった。ページにはほとんど字がない。今日の授業は、教科書の絵を見て、動物のキャラクターたちの気持ちを考えるのが目的のようだった。
 何度も振り返るモモに、僕は怒った顔をして、あごをしゃくり、前を向くように促す。モモは、まったく、言うことを聞かず、怒った僕の顔を見て、にこにこしている。これが何回か繰り返されたので、隣りのお母さんに笑われてしまったほどだ。
 手も挙げず、後ろばかり気にするモモは、授業の最後で、先生に指名された。もう一人の子どもと寸劇のようなものをするのだ。モモは、「なんで手あげてないのに……」とつぶやきながら、だるそうに歩いて前に出た。
「はい、モモさん、ネズミさんの気持ちになって、答えてください」
 相手の子は、狸さんになって、元気よく言った。
「ネズミさん一緒に遊ぼう」
 モモは、ふにゃふにゃ立って黙っていたので、先生に促された。
「いいよ」
 と、モモは下を向いたまま答えた。授業は、これで終わった。
 ため息が出た。小学校一年生から、この状態なら、この先どうなるのだろう。あのしらけようは、日ごろ僕が手を焼いている高校生並みだ。

 授業参観の後は、子どもたちのいなくなった教室で机を丸く並べて、あすか先生を囲み懇談会があった。
 お母さんたちと先生の中で、男性は僕一人だった。こういった状況にも、これからは慣れなくてはならないだろう。
 あすか先生がクラスの状況を話してくれた。子どもたちは、少しは学校に慣れてきて、子どもどうしぶつかりあったりしながら、人間関係をつくっている最中だという。
 先生は、うちで乱暴な言葉遣いをしないでください、と言った。学校で、そのような言葉遣いをしてしまうからだそうだ。僕は、モモがすぐバカバカと言うことを思い出した。学校でもモモはバカバカ言っているのだろうか。 
 その後、自己紹介が始まり、うちでの子どもたちの様子が話された。どの子も、新しい生活で、そうとう疲れて、ストレスもたまっているのだそうだ。僕はモモだけがそういう状況でないことを知り、ひとまず安心した。
 五人目のお母さんが、立ち上がった。凛とした立ち姿だった。隣りの仲良しクラスに二人いるダウン症の子の片方のお母さんだった。
「息子はダウン症です。その症状についてご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、説明をさせてください」
 そのお母さんは、時おり笑みさえ浮かべながら、的確な言葉で、簡潔に説明した。その口調は、気負っているわけでもなく、沈んでいるわけでもなかった。まさに、凛とした口調だった。その子がどのような症状でどのような行動をするか、他の子どもたちにどのように接してほしいか、また家庭でその子についてどう話してほしいかなどをきちんと話した。
 僕は、素直に、そのお母さんがかっこいいと思った。その姿勢には、感動さえした。
 僕の番がまわってきた。僕も凛と立ち上がったつもりだった。
「こんにちは。娘が授業であんなに落ち着きないとは知らなくて……。ちょっと驚きました。なんか僕の小学校の頃を見ているようで」
 何人かのお母さんが笑った。先生は、いつもはそんなことはありませんよ、とフォローしてくれた。
「この四月、離婚をしまして、現在はモモと二人で暮らしています」
 お母さんたちの表情が凍りつくのがわかった。
「いろいろわからないことばかりで、いつもバタバタしています。また、料理なども皆さんに教えていただきたいとも思っていますので、親子ともども、これからもよろしくお願いします」
 僕も凛とした姿に映ったのだろうか。それだけ言うと、ひとまず心が落ち着いた。離婚のことで僕が下を向いていたら、モモまで下を向いて生きていかなくてならなくなるのだ。Look Up、と僕はつぶやいた。
 懇談会の後、廊下であすか先生と行き会った。
「お父さん、モモちゃん、いつもはちゃんとしてますよ。手もいっぱい挙げますし」
「はあ」
「お父さんが気になってしかたがなかったんですよ」
「はあ」
 僕は返す言葉がなかった。
「心配いりませんよ」
 あすか先生は、つい最近の道徳の授業の時のことも話してくれた。ひとの心を傷つけることについて、先生が話をした時、モモがクラスメイトに言ったのだそうだ。ママは心の病気で、離婚しておばあちゃんの家にいる、と。心の傷は治すのが難しいとまで、語ったらしい。
 僕は声を上げて笑ってしまった。まったく、モモの言いそうなことだ。先生もつられて笑った。
 僕はあすか先生にお礼を言って別れ、学童保育所へと廊下を歩いていった。まだ時間が早かった。今日こそモモに鶏の唐揚げを食べさせようと思った。

 四月も終わろうとしている。
 くじけそうになったことも、何度かあった。
 どうしてうちにはママがいないの、と何度もモモに訊かれた日もあった。
 朝、学校に行きたくないと言った時もあった。そのときは、車でモモを学校に連れていき、あすか先生の出勤を待って、先生にモモをお願いした。
 幸い、モモはとにかくあすか先生が好きだ。時々、間違えて、先生をママと呼ぶこともあるらしい。モモいわく、先生はママと同じで美人だから好きなのだそうだ。
 最初は気恥ずかしかったが、エプロンをつけることも、苦にならなくなった。腕時計はダイバーズウォッチに変えた。これなら洗い物や洗濯の時、水につけても大丈夫だ。
 そして、同人誌のための小説も書き始めた。モモが寝てからの、一、二時間を執筆にあてることにしたのだ。せっかく離婚したのだから、これをテーマに書かない手はない。パソコンに向かいながら、「いいじゃなあい」とつぶやいては、一人で笑っている。
 最近、僕が買ったものがある。ローラーブレードだ。車輪が縦に四つ並んだローラースケートである。よくアイススケートの選手が陸上で練習する、あれだ。
 僕がそれを買う前から、モモはローラーブレードを持っていた。それは前妻の嫁入り道具の一つだった。箪笥などは一切持ってこなかった彼女は、ローラーブレードは段ボール箱に入れて大事に持ってきたのだ。倉庫にまだそれがあったのを知っていたモモが、このごろ練習を始めた。近所に住む外国語講師のカナダ人夫婦がローラーブレードを履いて仲良く滑っていたのを見て、刺激を受けたようだ。
 近所の倉庫の駐車場は、夕方、モモのローラーブレード練習場になった。二、三日、僕がモモの手を引いて練習すると、すぐにモモはローラーブレードをマスターし、すいすい滑り始めた。それがなんとも気持ちよさそうに見えた。
 風を切って滑るモモを見ていると、僕もどうしても自分のものが欲しくなり、つい先日インターネットオークションで、念願のローラーブレードを競り落として、手に入れたのだ。
 今度は、靴を履いたモモに手を引いてもらい、僕が練習を始めた。初めてローラーブレードを履いた瞬間、恐怖のあまり後悔して、返品したくなったが、モモに励まされて練習を続けた。
「はい、パパ、ちょこちょこ歩いて。モモが手を持ってるから大丈夫だから」
 一度、後ろに転んで、ひどく尻を打った。息が止まるほどの激痛だった。僕が顔をしかめていると、モモが僕の頭を撫でていた。
 僕は練習を再開した。
「はいパパがんばって。外へ外へと足を動かせばいいの」
 しばらく尾てい骨が痛んだが、その傷みがやわらぐ頃、ついに僕も滑れるようになった。僕の成長を見届けたモモは、ようやく自分もローラーブレードを履いた。
 今度は二人で、空腹のことなど忘れ、いつまでも滑った。すれ違う時は、僕とモモは手をタッチした。
「パパ、気持ちいいね」
 と、モモが言いながら、反対方向に滑っていく。
 僕は体いっぱいに風を受けた。四月の風が、五月の風に変わりつつあるのを感じた。
 もうすぐゴールデンウィークが始まる。五月病になど、かかっている暇はない。五月の風を体に受けながら、僕はこれから学ばなくてはならないことの数々を頭に浮かべていた。 
                          

世界は今日もラブ&ピース

 僕の平日は、週末のためにある。決してその逆ではない。平日の労働と家事を五回繰り返すのは、この週末のためである。
 ゴールデンウィークも近づいた土曜の朝、少し早めに目覚め、休日だと確認して、また眠りにつく。この至福の時間、朝の布団の中ほど居心地のいい場所はない。
 寝すぎで背中が少し痛くなってきたので、ベッドから出て、窓を開ける。緑のかまぼこを並べたような茶畑が見える。そして、ヨガマットの上に立つ。たった十五分程度だが、毎朝ヨガをする。この体と宇宙をつなぐため、まずは息を大きく吸い込む。
 ヨガの後は半身浴で、じっくり本を読む。汗が出る頃、腹が減り、ブランチのために風呂を出る。
 この春、中学に入った娘のモモは、まだ眠っている。そんなモモとの二人暮らしも、もう六年が過ぎた。
 モモの布団は、キッチンに続くリビングルームに敷いてある。
 ブランチ前に、キッチンで新聞に目を通していると、やがてモモが目を覚まし、枕元にあるリモコンで、すぐテレビをつけた。
「パパ、おなか空いた」
「はいはい」
 僕はキッチンに立つ。離婚前は、料理などしたことがなかったのだが、今では料理は趣味のようなものだ。
 その朝は、いや、限りなく昼に近いその朝は、冷蔵庫にはろくな食材がなかった。買い物に行くのも面倒だ。
 困ったときは、おにぎりだ。ただのごはんでも、三角形になるだけで、ご馳走となる。あったかいおにぎりに、味噌汁と緑茶、これで充分だ。
 食後は、果物を食べ、午後は、お互い、勝手に過ごす。同じ空間を共有しつつも、お互いの時間を有意義に使う。いつしか、こんな過ごし方もできるようになった。
 僕はダイニングテーブルの上でノートパソコンを立ち上げた。モモはリビングのソファで横になり、中学生用のファッション雑誌をめくり始める。テレビでは、太ったタレントが高カロリーな料理を貪る番組が流れている。僕たちの好きな番組だ。
 このようにグータラするのは、労働力の再生産のためではない。ただグータラするために、グータラするのだ。万国の労働者よ、グータラせよ。

  土曜の午後は、じっくり、スープをつくる。冷蔵庫の中で眠る野菜を炒め、くたくたになるまで煮て、フードプロセッサーにかけ鍋に戻し、生クリームでのばし、塩こしょうで味を整えれば、たいていの野菜がスープになる。時間がかかるスープは、グータラする土曜の午後につくるにかぎる。
  スープの冷めない距離という表現があるが、実家は、僕の軽自動車をとばせば、その距離にある。スープを、取っ手がとれ、タッパーの蓋がつけられる鍋に入れ持っていく。
 昼下がり、コトコトと煮込み、夕方、ニンジンスープができあがった。ニンジンが嫌いなモモに味見をさせたら、ニンジンとは気づかず、おいしいと言った。今日もいいできだ。
 僕はトートバッグに、使うものも使わないものも、思いついたものをドカドカと入れる。
「モモ、忘れ物はないか?」
「ない」
「勉強道具、日記、お絵描き帳、筆入れ、着替え、あとは……」
「ぬいぐるみ」
 モモは、黒い犬のぬいぐるみを選び、自分のトートバッグに、放り込んだ。
 スープが冷めきる前に、実家へ着く。僕たちは思いっきりおなかを空かせていく。実家には、おいしいものがたくさんあるからだ。

 かつて僕は、ロマンチックな週末を過ごすために、全精力を注いだ。ロマンチックではない週末は、しょんぼりとしていたものだ。
 しかし、今では、実家で過ごす週末が、ロマンチックな週末と同じくらい、楽しみだ。もちろん、今もステキな女性とロマンチックな夜を過ごすことは大歓迎なのだが、実家での週末も、大歓迎なのだった。
 それがなぜなのか、もはや僕にとっては文学的課題でもある。
 実家の面々は、両親、兄、祖母。両親は、小さな、非生産的な飲食店をどうにか営んでいる。兄は重度の心身障害者だ。しゃべれなくて、手をつながなくては歩けなくて、利き手ではない左手は動かず、トイレも自分では行けない。祖母は、二ヶ月ほど前、軽い脳梗塞で入院したばかりで、半分寝たきりだ。
  僕も非生産的なことには変わりない。教壇でしゃべったり、文章を書いたりはしているが、何一つ、目に見えるモノは生産してはいない。
 そんな非生産的な実家の面々と過ごす非生産的な週末が、非生産的な僕は待ち遠しい。
「ただいま」 
 と、モモが実家の玄関の戸を開けて、大きな声で言う。反応がない。うちの中からは、大音響のテレビの音声が聞こえてくる。
 モモが中に入っていくと、お勝手でなにやらもぐもぐ食べていた祖母が言った。
「あれ、びっくりしたやあ」
 祖母は、真っ白な髪に寝癖がついていて、寝間着を着ていた。
 僕は、モモに少し遅れて、うちに上がった。兄を車から降ろして、連れてきたためだ。実家に来る途中、デイケアの施設で一日過ごした兄の迎えに行ってきたのだ。
「あれ、兄ちゃんもおかえり」
 兄はにこりとする。
「おばあちゃん、具合はどうなの?」
「わりあい、いいだよ」
 僕とモモは目を合わせ、頷いた。
 先週末に来たとき、祖母は布団の中から出てこなかった。「横になって目をつぶっているのが一番楽だ」と言って。
 祖母は、退院後しばらくして、少しよくなった頃、うちの中で転び、また寝たきりになったのだ。もうこのまま起きてこないような気がしていたので、ホッとした。
「スープあるよ」
「うれしいやあ。今ちょうどあるもので晩ごはん食べてたところだで、いただくよ」
 祖母は、残り物をおかずに冷やごはんを食べていた。僕は早速スープの鍋を火にかける。
 モモは、早速、隣の部屋のテレビをつけて、終わらい番組を見始めた。 
「モモ、勉強道具持ってきたんだろ」
「だから、テレビ見たらやるんだって」
 モモが、そのうち寝てしまうことぐらいはわかっている。 
 
 母が店から帰ってきた。両親の店は実家から車で五分ほどだ。少し変わった店で、父が寿司を握り、母がコーヒーを出す。店の壁の一面は、市民のちょっとした芸術の発表の場になっている。寿司もコーヒーも、僕の舌には充分おいしいのだが、残念ながら、あまり儲かっていないようだ。
 父は、まだ店に残っている。明日の仕込みをしていることになっているが、録画したテレビ番組を見たりしながら、ひとりの時間を過ごしているのだろう。
 僕は母の帰りを心待ちにしていた。母は、父がつくったちらし寿司を持ってきてくれるからだ。モモにはツナ巻き。土曜はいつも寿司と決まっている。小学校の頃も、土曜の半日授業の後急いで帰り、ちらし寿司を食べたものだ。
 僕の月曜日から金曜日は、このちらし寿司のにあるのだ。シャリにからむタレがうまい。穴子を煮たときの汁をだしにする秘伝のタレだ。
 僕は兄のいる四畳半の部屋で、テレビの前の卓袱台で箸をすすめる。この部屋には、兄のオマルがある。僕はちらし寿司を食べながら、兄の用を手伝うことなど、平気だ。臭いも、オマルにフタをすれば別に気にならない。
 ちらし寿司の後は、本を持って、風呂に行く。やがて、兄がじっくり時間をかけて服を脱ぎ、風呂場まで這ってくる。毎週土曜の夜、僕には兄の髪を念入りに洗うという使命があるのだ。
 僕が先に湯船につかって本を読んでいると、兄がやってきて、脱衣場で右手一本で、服を脱ぐ。僕が手を貸さないので、けっこう時間がかかる。
 「ヨガ入門」、それが風呂で読んでいる本のタイトルだった。
 兄が浴室に入ってくる。父がとりつけた手すりを使い、ゆっくりと片足を風呂に入れる。この手すりは、あるとないとでは、大違いである。実家には、父が取りつけたそんな手すりがいくつかある。
 僕は右手で本を持って、左手で兄を支える。介助のコツは、力づくではなく、そっと手を添えて、こちらに倒れても大丈夫というメッセージを送ることだ。
 そして、僕と兄は浴槽の中で肩を並べる。僕は本を読み続け、時おり、兄に話しかける。
「兄ちゃん、今日は楽しかった?」
 デイケアの施設のことを訊くと、兄はうつむいたまま笑顔になる。
「音楽療法あったの?」
 兄はうれしそうに頷いた。月に一回、楽器を演奏するボランティアの方たちが来てくれるらしいのだ。兄は音楽が大好きだ。
 兄とは話ができるわけではないので、会話はそこでとぎれる。
 僕は兄と肩を並べたまま、時々兄に声をかけながら、ヨガの本を読み続けた。すると、「最先端の微生物科学ではダーウィンの進化論が書きかえられようとしている」という一節があった。人間の祖先はサル、弱肉強食、適者生存、自然淘汰が自然界のルールだと、疑ったことがなかったので、これはちょっとした発見だった。しかし、ヨガの本ゆえ、それ以上詳しくは説明されてなく、その後の記述には、病気は、異物ではあるが、排除すべきものではなく、共存してうまくつきあうべきだというような健康論が展開されていった。要するに、自然界では、種は異物を排除せず共存して生きのびている、ということだ。そもそもメスはオスという異物を受け容れ、子孫を残す。異物との共生なくして、生命はリレーされない。
 本を脱衣所のほうに放り投げ、兄を浴槽から出した。シャンプーハットをかぶせて、髪を洗った。二度洗いだ。頭がいい匂いになった。それから、体。チンチンもお尻の穴も洗う。兄の体は、弟の僕には、自分の体のようなものなので、なんとも思わない。
 もう一度、湯船につかり、兄と明日の計画を立てた。兄は常に未来志向なのだ。兄が右手をお湯の中から出し、親指と人差し指を折る。明日の用事を数え上げろというサインだ。
「兄ちゃん、明日は朝起きて、ごはん食べて、のど自慢見て、お茶飲んで、おしっこして、おやつ食べて、遠足に行きますか?」
「アイ」
 と、兄は元気よく答えた。右手を挙げて。
 遠足とは、大池と呼ばれる近くの貯水池のほとりに車を停め、缶コーヒーを飲むだけのことだが、兄にとっては一大イベントである。
「それから、夕方は、ジーがおいしいごはんをつくる。食べてくれますか?」
「アイ」
 ジーとは、僕のことだ。ジローと発音できない兄は、僕をジーと呼ぶ。
 兄の顔が汗ばんでくると、母を呼んだ。兄を風呂から出し、体を拭いて、寝間着を着せるのは、母の担当だ。

 ようやく風呂から出ると、台所から焼き芋の匂いが漂ってきた。鋳鉄の鍋の中にサツマイモを入れ、弱火にかけておいたのだ。小一時間で、ほっこりとした焼き芋ができあがる。祖母のためのものだ。戦争中、サツマイモほどのごちそうはなかったという祖母は、今もサツマイモが大好物だ。
「まるで夢のようだやあ」
 毎日でも焼き芋が食べられるこの平和な日本が、時に夢かと思うらしい。
 祖母は布団に入り、イヤホンをつけて、十一時過ぎからの韓国ドラマを見ながら、焼き芋をもぐもぐやっている。入れ歯なので、歯磨きの必要も、虫歯の心配もない。
 モモ、僕、祖母と枕を並べ、川の字になって寝る。僕とモモは、電気スタンドの灯りで、日記を書いてから、音のないテレビの画面を見ているうちに眠くなる。
 その頃、店に残っていた父が帰ってくる。
 母は一人で寝て、父は兄と同じ布団に入る。しばらく、父の声が襖越しに聞こえてくる。一日の終わりに兄といろんな話をするのだ。ときおり、兄がゲラゲラ笑うのも聞こえる。兄を笑わせることができるのは、父だけだ。僕には兄の笑いのツボがわからない。その夜は、電車がいつも時間どおり来ることがすごいとか、父が言っていた。どんな文脈でそのセリフが出てきたのか、僕は非常に興味をひかれたが、やがて僕も寝入った。 
 
 実家の朝は遅い。朝九時になっても、みな眠っている。年寄りは、早寝早起きと聞いたことがあるが、祖母は、夜は目が開かなくなるまでテレビを見ていて、朝はみなが起き出してからようやく布団を出る。
 僕が一番早く目覚めた。ふとんの中で、しばらく本を読んでいた。
 隣の部屋では、兄も目を覚ましたようだった。僕が眠っている部屋の襖を開けた。
「兄ちゃん、今、ジーが電気つけるよ」
 僕は電気をつけた。兄はうち中の電気をつけるのが仕事なのだ。母によれば、兄は自分の行為で変化が起こるのがうれしいらしい。
 部屋が明るくなると、兄はチンチンのあたりをさわり、「シー」と言った。
 兄が「シー」と言えば、家族の誰かが兄の世話をしなくてはならない。これも兄が引き起こす変化の一つなのだろう。
 実家でのブランチは、たいてい冷や飯に味噌汁をかけ、漬け物か残り物をおかずにする。そんな献立でも、実家で食べると、懐かしく、おいしい。
 味噌汁は母が作ったものだ。ずっと祖母が作っていたが、最近、母が担当している。
 祖母の味噌汁は、具が三つくらい入り、そのバランスがよくて、おいしい。祖母の料理は、目分量で、ピタリと適切な量になる。 一方、母の味噌汁には、具も愛情もたっぷり入っている。栄養価はたしかに高いのだが、あまりおいしくない。
 そんなことを言っても、他に食べるものはなく、僕たちはおとなしく母の具だくさんな味噌汁を飲む、いや食べる。
 祖母は、布団を畳み、寝間着ではなく、普段の服を着て食卓にやってきた。
「今日は起きてるでねえ」、と祖母。
 僕とモモが来ると、張り切るらしい。母が言っていた。 
 モモに、朝ごはんだと声をかけたが、まだ目を覚まさない。
 ブランチがすめば、父と母は軽自動車で店に出て行く。
 NHKのど自慢が始まった。兄と祖母の好きな番組だ。兄と居間の卓袱台の前に座り、テレビを見ていると、祖母がお茶を持ってやってくる。
「これで聞こえるだかね?」 
 僕はボリュームをもう少しで最大のところまで上げる。一曲目は、元気のいい女性三人組のキャンディーズの歌。兄が体を揺する。音楽は偉大だ。ダイレクトに兄の琴線に響く。
 僕は座椅子に座り、膝にパソコンをのせ、書き物を始めた。
「ジーがいると、兄ちゃんはおとなしくしてるだね」
 と、祖母が言うと、兄は自分のことが話題になっているので、にこやかになる。
 僕が書かなくてはならないのは、組合の新聞コラムと、教育雑誌に頼まれた本の紹介と、新しく出る雑誌のエッセイ。資料に目を通したり、ノートを開いたり、兄の世話もしたり、僕の頭の中はグルグル回り、のど自慢の大音響の影響もあって、なかなか書き進められない。
  モモをまた起こしたが、まだ眠るとのこと。起きるのは昼過ぎだろう。

 午後三時はおやつの時間だ。
 いつ頃からか雨が降り出して、少し肌寒くなってきた。
 僕はまだ兄のそばで膝にパソコンをのせたまま、旅番組をぼんやり見ていた。祖母が、洗濯物を畳み、一段落してやってきたので、僕が言った。
「おばあちゃん、なんか甘いもの食べたくなってきたね」
「なんかないかねえ」
 その会話を聞いて、隣の座敷で宿題をしていたモモが襖を開けた。
「モモもなんか甘いもの食べる」
「モモちゃんもか。困ったやぁ」
 僕は台所を漁り、小豆の缶詰を見つけた。
「おばあちゃん、お汁粉は?」
「モモもお汁粉食べる」
「兄ちゃんも甘いのほしい?」
 と、僕が訊くと、兄は指を鳴らした。
「ナイス、ナイスだ」
 と、モモが喜んだ。兄は機嫌がいいときにだけ指を鳴らす。
「じゃ、おばあちゃんがつくってやる」
 祖母が台所に立った。僕は座ったまま祖母の足取りを見ていた。歩みが少し遅いような気がするが、大丈夫だろう。
 祖母が缶詰を開けるのに苦労していたが、黙って見ていた。
 誰かが見たら、僕は冷たいと思われるだろう。しかし、祖母ができることを僕がやったら、それもできなくなってしまい、まずいような気がするのだ。
「うどん粉あるかいやあ」
 僕は棚の上にあった小麦粉を見つけた。餅はないので、すいとんだ。僕はこちらのほうが好きだ。
「お汁粉にゃ、塩入れにゃいかんでね」
 塩を入れると、もっと甘くなるようだ。お汁粉にも反体制派が必要なのだ。
「兄ちゃんも食べられるかいやあ」
 と祖母が言った。兄はなんでもどんぶりとスプーンで食べるが、スープ状のものは難しそうだ。
 ふと、棚を見上げると、使いかけのホットケーキの粉があった。祖母がつくる隣で、を兄にホットケーキをつくることにした。
「モモ、ホットケーキ作りたい?」
「つくる、つくる」
 これはチャンスだ。僕はモモに料理を仕込もうと、ここ数年企んでいる。
 モモは僕の指導のもと、粉に牛乳と卵を入れ、混ぜ始めた。モモの手つきのがさつさに、僕はイライラし始める。台所にはテレビがあり、バラエティ番組が流れている。モモが先ほどまで見ていたものだ。なぜ、タレントが水の中に落ちるのを見るのが、そんなにおもしろいのだろう。
 バターをフライパンに入れ、溶けると、モモがホットケーキのタネを流し込む。
「おい、テレビ見ながらやるなって」
「わかってるって」
 案の定、タネを入れすぎた。ひっくり返すとき、苦労するだろう。
「ほら、大きくなりすぎじゃないか」
 と、僕が咎めると、モモは「わかってる」と不機嫌な語調で答えた。
「ちゃんと見てないと焦げるぞ」
  と僕が言っても、モモも視線は、フライパンより、テレビに向いていた。
 兄が呼ぶので、僕はモモにフライ返しを渡し、兄の世話をすることにした。モモの近くにいると、ケンカになりそうだったので、すこし間を置くことにしたのだ。
 で、これが悪かった。
 モモがテレビに気を取られているうちに、やはりホットケーキは焦げてしまった。
「パパの言うとおりになったじゃないか」
「どうしよう……」
「テレビ見ながらやるなって言っただろう」
 と僕がテレビを消した。
「もう、料理やんない」
 モモは泣きべそをかいて、台所を去った。家事分担への道は、そうとう険しいようだ。
 僕はホットケーキの焦げた部分を包丁でこそげて、どんぶりに入れ、キッチンはさみで、兄の食べやすい大きさに切り、バターをのせ、蜂蜜をかけた。
 祖母の汁粉ができたようなので、僕がモモを呼びに行くと、モモはテレビを見たまま、振り向かなかった。放っておくしかない。
 そのとき、祖母が声をかけた。
「モモちゃん、お汁粉、食べるかね?」
「うん、食べる。おばあちゃん、ありがと」
 と、即座に笑顔で答えた。
  ひとによって態度を変える術など、モモはいつ覚えたのだろう。ま、これも、成長だ。
 僕は居間で兄と、モモは台所のテーブルで祖母と、それぞれおやつをを食べた。甘さと温かさが、体に染み渡るようだった。
  祖母に学校のことを話すモモは、すっかり機嫌がなおっていた。

 僕は脳梗塞に効くレシピ集を開いた。これは、先日、僕が買ってきた本だ。祖母の意見も聞きつつ、夕食のメニューを決めた。揚げずに、トースターで焼く春巻き。
 早速、買い物に出かけることにした。
「兄ちゃん、遠足行くよ」
「アイ」
 ようやく遠足の時間になり、兄が笑顔になった。池の畔で飲むコーヒーは兄の好物で、兄は「コヒ」と言うこともできる。これは、兄が発音できる唯一の二文字の単語だ。
「モモはどーする?」
「うちで宿題やってる」
 モモも忙しいようだ。
「じゃ、おばあちゃん見ててね」
「わかった」
 兄が玄関まで廊下を這っていく。
「さ、これ履いて」
 と、僕が兄に祖母の靴を差しだした。兄は首を横に振る。
「あれ、違うかなあ。じゃ、これ履いて」
 と、ちゃんと兄の靴を渡すと、「アイ」と答えた。兄は、右手だけ使って靴を履いた。左右は逆だったが、兄にはあまり関係ないようだ。兄を車の助手席に乗せて、出発だ。雨は上がっていた。
 スーパーの駐車場に車を停めた。
「じゃ、ラジオ聞いて、待っててよ」
 走って、買い物を済ませて戻り、貯水池のほとりに車を停めた。兄のコーヒーはスーパーで買ってきてあった。ストロー付きのカフェオレのパック。
 大池と呼ばれるだけあって、貯水池はなかなか大きく、水鳥が集団で浮いていた。まわりは、ついこの前までは菜の花がきれいだったが、今は新緑が鮮やかだ。
 僕は右手でミネラルウォーターを飲みながら、左手で兄にカフェオレを飲ませた。
「おいしい?」
「アイ」
「兄ちゃん、水鳥がいっぱいいるよ。見て」
 兄は興味がないようだ。鳥よりコーヒーだ。
 窓を少し開けると、湿気と植物の匂いが混ざった風が、車の中を通り抜ける。
 ここにいると、時間を忘れてしまう。兄の隣で、ただぼんやりしているだけなのだが、退屈することはない。やがて家の灯りが点き始めた。そろそろ、うちに帰ってごはんをつくる時間だ。

 実家に戻ると、モモがテレビを見る横で、祖母は二つ折りにした座布団を枕にして、毛布を掛け横になっていた。
「だいじょうぶ?」
「おなかぺっちゃんこで力が入らだよ」
 これを言い出したら、祖母の具合は悪い。「今、ごはん作るよ」
「とても、食べれんやあ」
 これは悲しいことだ。
「手伝ってやれんけん、悪いねえ」
「ま、寝てて。できたら呼ぶから」
「そのころにゃ、おなか空くかもしれんでね」
 本を見ながら、まず春巻きの具を作った。キャベツ、シイタケ、挽肉を炒め、春雨を入れ、味付けをして、片栗粉でとろみをつけた。そして、折り紙のように、皮で具を巻く。
「モモ、巻くのおもしろいぞ」
「モモも巻く」
 最初は長方形に包んでいたモモだが、そのうちオリジナルの形に挑戦し始めた。三角やや丸、時に具がはみ出たりして、僕はイライラし始めたが、こらえて黙っていた。
 ここで、やる気を挫いてはいけない。
 春巻きはモモにまかせて、僕はごはんを炊く。昨夜、サツマイモを焼いたフランス製の鋳鉄の鍋を使う。僕は、電気炊飯器を信用していないので、この鍋をうちから持ってきて、置いてある。炊飯には、厚手で、蓋の重い鍋がいい。一粒一粒がその存在を主張し、ピカピカに炊きあがる。 
 春巻きは、トースターで加熱すると、思ったよりカリッと仕上がった。    
  祖母を見にいくと、まだ横になっていて、イヤホンを使って、テレビを見ていた。
「おばあちゃん、春巻きできたよ。どう?」
「まだ、いいやあ」
 これは本当に悲しいことだ。
 兄をダイニングテーブルまで連れていき、トレイの上にどんぶりを置き、ごはんと一口サイズに切った春巻きをのせた。兄はスプーンを握りしめ、かきこみ始めた。モモもやってきて、小さな茶碗にごはんをよそった。
「パパ、このごはん、おいしい」
 モモは、ごはんの炊き具合にうるさい。
「で、春巻きはどうよ?」
 モモは自分が巻いた三角のものを食べた。
「あ、おいしい。おばあちゃんは?」
「そのうち、おなかが空いて、起きてくるよ」
「悲しいね」
 モモも僕と同じ気持ちだ。モモが兄に声をかけた。
「兄ちゃん、おいしい?」
「アイ」
 と、鼻の先にごはん粒をつけて、笑顔を見せた。モモは兄にいろいろと話しかける。施設は楽しいかとか、祖母が早く元気になってほしいかとか。兄はうなずいたり、頭を横に振ったり、終始ニコニコしている。
 食器を片付ける頃、サザエさんの終わりの歌が流れてきて、また悲しくなってきた。もう週末も終わりだ。
 やがて母が店から帰ってきた。
「ただいま。モモちゃん、お世話ありがとね」
「うん」 
 と、誇らしげに答えるモモだが、礼を言われるほどのことはしていない。しかし、実家に来るのにつきあってくれることだけでも感謝しなくてはならないだろう。
 僕はお盆にごはんと春巻きをのせて、祖母のところに持っていった。
「おばあちゃん、食べるかね?」
「それじゃ、もらうかね」
 僕は卓袱台の上にお盆を置き、、祖母が食べ始めるのを見届けて、帰ることにした。
「おばあちゃん、また来るよ」
 と、モモが祖母に言う。
「また来てね。楽しみにしてるでね」
 祖母がゆっくりと立ち上がる。
「おばあちゃん、なんだい?」、と僕。
「見送りに行かにゃいかん」
 心配性の母に寄りそわれ、祖母は玄関でサンダルを履き、家の前で僕とモモを見送った。僕たちは車の中から手を振った。
 もうすぐゴールデンウィークだ。今度は、もっとのんびりできるだろう。

 平日の朝、6時半に起き、簡単な朝食をつくり、モモに食べさせ、その間に僕はヨガをする。呼吸を整え、筋肉を伸ばし、体中に血を巡らせる。最近、毎朝、体が僕に囁く。早くヨガしてくれ、と。
 この春まで、スカートなど履いたこともなかったモモが、セーラー服を着て、学校指定の大きなリュックサックを背負い、靴を履く。
 僕はヨガを続けながら、モモを送り出す。
「行ってきます」
「がんばれよ」
「おう、がんばる」
 僕は「がんばらないようにがんばる」主義なのだが、毎朝、モモには「がんばれよ」と言う。
 モモが出ていくと、そばを茹で、ネギを刻み、そばつゆを小さなペットボトルに入れ、納豆パックと一緒に弁当バッグに詰めた。
 ネクタイを選び、結局ギリギリの時間にうちを出る。それでも僕は一度も遅刻したことはない。〆切は守る主義なのだ。
 車を飛ばし、始業のベル直前に職員室に滑りこむと、僕以外の同僚はみな席に着いてる。一時間以上も前に来ている同僚もいるようだ。早く来れば、それだけ労働時間が長くなるのに、なぜ早く来るのだろう。むこうにしてみれば、僕がなぜギリギリに来るのか、理解に苦しむのだろうが。
 このごろ、学校もなにかとやりにくくなっている。教職員評価制度の試行が始まり、二年目を迎えたからだ。校長が数値目標を掲げ、全職員がそれを達成させるための自己目標を立て、年度末に校長が一人ひとりの成果について通信簿をつける。
 なぜ、二年目の試行かというと、僕もいちおう加入している少数派の組合が猛反発をして、その本格実施を一年遅らせたからだ。
 今のところ、校長は褒めて伸ばす方針らしく、甘い評価を乱発している。
 しかし「上」の真の目的は、その評価制度による成果主義賃金だ。財源は限られているので、甘い評価で全員の給与を上げることは当然不可能になる。どうしたって、差がなくても差をつけなくてはならないだろう。
 うちの校長は、退職間近、在職中に評価制度の賃金連動はないと見ている。私も反対なんだよ、と僕にこっそり言ったことがある。
 年度初めに、自己評価シートを提出すことになっているのだが、僕はそのシートをまだ提出していない。この〆切はとっくに過ぎている。校長に、「なぜ出さないのか」と訊かれたときには、「校長先生と同じ気持ちですよ」と答えておいた。

 一時間目の三年生の授業に行く。センター試験対策の英文法の問題演習だ。
 一人ずつ生徒を指名して、解答させ、ごく簡単な解説をする。
「先生、なんでそうなるんですか?」
 と、理系の男子生徒が言った。僕が気にもかけないところが、疑問に思うようだ。
「あ、これキマリだから。このまま覚えて」
「出た、キマリだよ、キ・マ・リ」
 僕は笑顔で言う。
「観念しな。なんで君を産んだ女性をmotherと言う?キマリだからじゃないの?」
 その生徒も諦めて笑い出す。
「先生、いつもそうなんだよなあ」
 たしかに、疑問を持つことも大事だ。しかし、goの過去形がなぜwentになるか考え続けるより、次にtakeの過去形がtookになることを暗記した方が効率がいい。
 ところが、それでは納得しない生徒もいる。納得しなければ暗記できないのだ。
「頭いいから、それゆえに、英語できない生徒もいるんだよなあ」
「先生、それオレのこと?」
 少し間を置いた。そして、無表情で言った。
「はい、次の問題行きます」
 他の生徒が何人か笑った。
 英語は、社会同様、例外が多く、すべて法則どおりにはいかない。しかし、英語にも論理的な法則を求めるバリバリ理系の生徒もいる。そういう人間もいなくては、世の中困るだろう。例外まみれの僕のような人間が、もし飛行機を作ったら、何機墜落するかわからない。
   
 昼休み、僕は職員室の机で、そばをすすっていると、組合の大先輩の先生がやってきた。
「また、そばか。よく飽きないなあ」
 その大先輩は数学教師、基本的に、誰に対しても上から目線で話す。
「いつ飽きるか、待ってるんですけどねえ」
 もう半年以上、昼はそばを食べ続けている。
 と、その時、大先輩が小脇に抱えている本の背表紙に「微生物」の文字が見えた。
「先生、微生物詳しいでしょ?」
「そんなわけないだろ」
 と言いつつも、にやけている。大先輩は、博学で、鋭い批評眼も持っている。いつもけっこういいことを言うのだが、上から目線で言うので、僕はつい聞き流してしまう。しかし、今日は教えを請わなくてはならない。
「あのダーウィニズムが最先端微生物研究では書きかえられようとしているらしいんですけど。ご存じ?」
「どこで知ったんだ?」
「ヨガの本の中で」
 大先輩は噴き出した。ヨガとどうつながるんだ、と。しかし、さすがは大先輩だった。だてに上から目線じゃない。
「いろんな大腸菌の生き残りレースをやると、いつも弱者が生き残るらしいぞ」
「弱いものが、自然淘汰されないってことですか?」
「そうなんじゃないか。オレもよく知らないんだけどさ、その学者、調べてみなよ」
 大先輩が、大阪大学の四方哲也と言ったので、すかさずメモした。
 心の準備ができると師が現れる。中国の諺だ。大先輩がたまたま微生物の本を持って現れたのは、偶然ではなく、必然だったのだ。
 残り少ない昼休み、職員室の片隅にあるコンピュータに向かい、検索をかけ、何枚かプリントアウトした。
  授業の前に教科書を見直そうと思っていたのだが、もうチャイムが鳴るので、午後の授業に出かけた。廊下を歩きながら教科書を開き、また生徒主体の授業をしようと思った。教師が一方的に教えるのではなく、生徒が答を探るのを援助する授業だ。

 午後の授業は、ゴールデンウィーク前の最後の授業となった。運動部の生徒が多い僕のクラスで、なんとか眠らせないよう雑談で適当にウケをとりながら、授業を進めた。
 僕は諺を板書した。Absence makes the heart grow fonder.
「わかるひと?」
 反応がない。
「わかったら、購買のジュース一本おごるよ」
 生徒達はざわついたが、誰も答えられない。
「不在は愛を深める。つまり、会ってないときに、恋する気持ちが深まるってこと」
 二、三人の男子生徒が興奮し始めた。
 学力は教師と会ってないときに伸びる。だから、僕になど頼らず、うちで毎日勉強すべき、と説明をした。
「出た、超イイカゲン」
 お互い、笑った。
 そして、授業ははまとめに入っていた。
「つまり、英語は前にしか進まない。常に前から訳す。わかる?I love you.は、私はあなたを愛するじゃなくて、私は愛する、あなたを」
「じゃ、その日本語でテストで丸になる?」
 と、体育会系女子生徒の一人が言った。
「僕は丸つけるけどさ」
「他の先生のテストでも、そう書いていい?」
「それはやめといたら」
「ならダメじゃん」
 彼女は、いつも英語の訳を、教科書の本文の行間に書き込むことに情熱を傾けている。速記の授業じゃない、と言っても、彼女は写経のように訳を書き写す。
「ま、とにかく、英語と人生は前にしか進まないから」
 彼女が頷いた。
「後ろを見ないで、常に前、前」
「先生、オトナ。いろいろあったんだね」
 と彼女が僕をからかった。この年齢ともなれば、たしかに、いろいろあった。

 授業が終わると、帰りの会、連絡事項を伝え、教室の掃除だ。僕のクラスの生徒は、僕をあてにせず、自分たちでさっさと掃除をすませる。僕は少し手伝うだけだ。
 放課後は、プールに行く。水泳部監督も仰せつかっているのだ。
 高校では、若手ならば、たいてい運動部をまかせられる。たまたま初任校で監督になったのが水泳部で、それ以来ずっと水泳部ひとすじ、いつしか水泳の先生になってしまった。
 水泳は、個人競技で、休日の練習試合もない。僕の性に合っている。
 水泳部のモットーは、文武両道と初心者歓迎だ。やはり、勉強は大事だ。そんなに部活動ばかりやられても僕の家庭生活が困る。
 もし初心者を歓迎しなかったら、部員が減り、廃部となり、僕が他の運動部の顧問になってしまう。だから、勧誘は必死だ。
 プールサイドでは、選手達がストレッチを始める。まだこの季節は水温が低く、そんなに長い時間練習することができない。
 ここでも、主役は生徒である。僕は極力、出しゃばらない。僕が仕切ろうとしても、たいていうまくいかない。
 部長がいち早く冷たいプールに飛び込む。すると、他の選手も入らざるをえなくなる。マネージャーが、ストップウォッチ片手に、笛を吹く。すると選手達は、一斉に泳ぎ出す。
 僕は、超文化会なので、怒号を発して選手をコントロールすることはできない。部員達も、当然、そのことはわかっているので、自ら練習に取り組むようになる。やらされる練習より、自らやる練習のほうが、心理的にも身体的にも効果があるようなので、これでいいと思っている。
 僕は、初心者コースで泳ぐの選手達を見守っている。僕なら決して選ばないだろう茨の道を選んだ初心者達を、密かに尊敬している。また、初心者達ががんばる姿は、他の部員達に少なくない影響を与えるようだ。
 この日も、水泳部員達は、ひたすらただ水の冷たさに耐えて、短時間で練習を終えた。
「先生、今日は晩ごはん何つくるの?」
 と、女子マネージャーが毎日訊いてくる。
「もう腹ぺこだ。何食べたい?ヘルシー系がいいなあ」
「じゃ、サラダうどんは?」
 彼女は、母親が作ってくれるサラダうどんを詳しく説明した。絶品だそうだ。
「鍋焼きうどんがいい」
 と、唇を紫にした細身の男子部員が会話に加わってきた。まだ、体が震えている。
「この季節にあえて鍋焼き?ま、どっちかにする。では、お先」
「おつかれさま」、と部員達の声が背後から聞こえた。
 駐車場に向かいながら、二階の職員室を見上げる。まだ電気がついている。今日も多くの同僚たちは残業にいそしむのだろう。 
     
  スーパーの駐車場から、モモのケイタイにかける。この春から、交渉が続き、ついにモモもケイタイを持つようになった。
「今日うどんなんだけど、何うどんがいい?」
「鍋焼きうどん」
「マジで?」
「うん」
「もうすぐ帰るから、お湯沸かしといて」
「ムリ」
 僕はケイタイを切った。夢の家事分担への道は長く険しいようだ。
 それで、今夜のメニューは、モモが鍋焼きうどん、僕がサラダうどんとなった。

  さて、腹もふくれれば、夜も更けていく。僕は眠くなるまで、ダイニングテーブルで緑茶を飲みながら、パソコンに向かっている。
 モモは勉強部屋で宿題を終わらせ、風呂に入り、明日の準備をして、ダイニングに続く居間に布団を敷いて横になる。
 平日の夜は、あっというまに終わる。
「モモ、日記書いたか?」
「明日二日分書く」
「またか?」
「明日ちゃんと書くから。おやすみ」
 モモは目をつぶった。
 日記は、我が家の日課だ。モモが小学校に入学したときに、僕が一方的に決め、続けているが、モモは中学生になり、日記をためることが増えた。
 僕は日記がわりのブログを更新すると、〆切の早い順に書き物にとりかかったが、ふと今日プリントアウトした微生物の記事を思い出した。早速、それを持ってベッドに行くことにした。
「明日は日記サボるなよ」とモモに声をかけたが、もう返事はなかった。

  枕を背中にあてて、ベッドで上体を起こし、大腸菌の勉強を始めた。まず、四方先生が、どうして実験を始めたのかが書かれていた。もし、ダーウィン進化論が正しければ、競争を勝ち抜いた優秀なものだけが生き残ることになり、我々人間もがんばり続けなくてはならなくなる。これが気持ちを重くさせたというのだ。また、もし進化論の通りなら、今存在する我々全員が、優秀でなくてはならない。先生は、それもあやしいと思ったそうだ。
 とたんに四方先生は僕のチェ・ゲバラとなった。先生を紹介してくれた組合の大先輩も多少尊敬し始めた。今後少しぐらい上から目線で話しかけられても、我慢しようと思った。
 四方先生は、様々なレベルの大腸菌を、シャーレに入れ、生き残りレースを試みた。
 目が冴えてきた。
 自然界は弱肉強食、人間社会も当然弱肉強食、大企業が残り、中小企業がつぶれるのは、自然の理。人間も、競争の中に放り込めば、強者だけが生き残り、弱者が減り、結果、強くて、豊かな社会が生まれる……
 しかし、世界は、それほど単純ではない。ところが、その手の考え方は単純ゆえにわかりやすく、首尾一貫していて、受けいれられやすかったりもする。
 四方先生の実験では、生き残りレースを何度繰り返しても、強者だけが生き残ることはなかった。大腸菌は、多様性を維持し、様々なレベルのものどうし共存している。
 両親の非生産的な店を思い出した。サンドイッチがおいしかったりするお寿司カフェ、今のところ存続している。
 教師に不向きな僕も、いまだに教師だ。
 なんだか、おかしくて、うれしくなった。
 四方先生の研究の成果は、なんともラブ&ピースで、僕は幸福な連帯感に包まれ、ベッド脇の電気スタンドを消した。

  ようやく、明日からゴールデンウィークだ。
 水泳部部長と話しあい、ゴールデンウィーク中は、五連休中三日だけ午前中に練習することに決めた。他の運動部は、毎日練習するらしいが、うちはうち、よそはよそだ。
 学校を後にして、スーパーの駐車場から、モモのケイタイにかけた。
「何食いたい?」
「鍋焼きうどん」
「この前食べたって」
「じゃあねえ、おいしいもの」
「それが一番困る。じゃ、スーパーでひらめいたものつくる」
「うん、じゃおいしいものね」
 いつものスーパーは、小さいので、どの棚に何があるか、覚えてしまった。ここでは何を売ってないかも見当がつき、いつも一緒にレジに並ぶ常連の主婦やレジの店員の顔も覚えてしまった。
 大きいスーパーもあるが、僕はこちらのほうが好きだ。
 このごろは、娘の言う「ショボめし」ばかり食べていた。玄米と野菜中心のおかずだ。メタボ対策で、玄米菜食を始め、何とかメタボは脱出することができた。
 体型が変わると、好みも変わってしまい、そんなものばかり料理していたら、ぽっちゃりしていたモモもゴボウのように細くなってしまった。一時期、僕はモモの小学校の先生たちに虐待疑惑をかけられていたらしい。
 実際は、それまで僕が張り切って、豊かすぎる食生活を送っていたのだ。
 最初は、お子様ランチのようなものばかりつくっていた。カレーライス、ハンバーグ、鶏の唐揚げ、オムライス、おやつも。それはそれで、たしかにおいしかったのだが、今はもっとおいしいものを食べている。
 本当のおいしさのためには、まず腹を空かせなくてはならない。次に、舌だけでなく、体を喜ばせるものを食べることだ。
 モモは、最初、ショボめしを嫌がっていた。しかし、モモも体重を気にするようになり、母親に玄米食べると美人になる聞いてから、受け容れるようになった。
 玄米は、圧力鍋で炊き、擦りごまと塩をかければ、びっくりするほどおいしい。やがて、体が玄米を欲するようになる。
 スーパーのレジに並んだ。前のお母さんは、冷凍食品とお総菜を買い物かごの中に積み上げている。仕事帰りで、お疲れなのだろう。その前の作業服を着た中年男性は、刺身と焼酎とお総菜を買っていた。出稼ぎだろうか。ここは、いろんな人生を想像させる。
 僕の買い物かごには、カレーの食材が入っている。福神漬けも忘れなかった。
 明日からモモは母親のところに行くので、たまにはモモの舌を喜ばせることした。カレーのレパートリーはいくつかあるが、ふつうのカレーだ。我が家で、おばあちゃんカレーと呼んでいるものだ。学生時代、帰省すると、祖母が決まってカレーをつくってくれた。ジャガイモが煮くずれて、黄色っぽくなったカレーに、ソースをかけて食べる。このカレーが、モモの好物なのだ。僕がつくるカレーの中で、一番おいしいのだそうだ。僕は肉抜きのラタトゥーユカレーが一番だと思うのだが。
「ただいま」とドアを開けると、「おなか空いた」とモモが答えた。
「モモ、今日は白いごはんだ」
「やったー。で、おかずは?」
「おばあちゃんカレーだ」
「やった、やったー。お手伝いする」
 モモはピーラーでジャガイモの皮をむき始めた。僕が他の野菜と肉をを切り終わり、フライパンで炒め始めると、モモが作業を引き継いだ。圧力鍋で煮込む間、白米を土鍋で炊いた。
 圧力鍋のおかげで、時間をさほどかけずにカレーはできあがった。
  若手の歌手ばかり出る音楽番組を見ながら、僕たちはカレーライスを食べた。僕だけ、カレーにソースをかけた。モモにも勧めてみたが、「カレー本来の味を味わいたい」と、ソースを拒んだ。おばあちゃんカレーは、懐かしい味がした。
 テレビに集中して、黙々と食べるモモに僕は言った。
「だから、なんか、言うことのないのか?」
「ああ、おいしい、おいしい」
「だから、どういうふうにおいしいんだ?」
「うん、カレー本来の味っていうか……」
「また本来の味か」
 家族にごはんをつくり、もし無言で食べられたら、それはシュフに対する冒涜だ。芸術家は、作品を酷評されるより、無視されるほうがつらいという。ごはんは、エサではない。シュフの作品なのだ。
 食後、モモが食器をシンクに片付けた。ようやく、モモにこの習慣が定着した。もし、モモが食器を片付けなかったら、食器は汚いまま翌朝までテーブルにのっている。僕はモモの召使いではない。ただ座っていれば、ごはんが出てきて、片付けられるようなことは、我が家ではありえない。ま、それはうちに専業主婦がいた頃の僕のしていたことではあるが。
 実家の物置で眠っていた南部鉄瓶で湯を沸かし、緑茶を淹れて、モモと飲んでいると、ドアチャイムが鳴った。
「あ、ママだ」
 彼女の仕事がようやく終わり、モモの迎えに来たのだ。アパートの外には、今頃、彼女の赤いスポーツカーが駐まっているはずだ。
 モモが急いでドアを開け、玄関で彼女と抱き合った。遅れて、僕も彼女と顔をあわせた。今日も、あいかわらずまぶしい。三十後半に入り、年々若返っているかのようだ。ヒールの高い靴と膝を出すスカート、笑顔で、凛と立っている。
「いつも、娘がお世話になります」、と僕。
「いつも、娘がお世話にあります」、と彼女。いつもの挨拶だ。
 ここに暮らしていたころ専業主婦だった彼女は今や仕事人間である。一方、僕は仕事人間であることをやめ、家庭的になった。ひとは、変化する。変化し続ける。願わくば、よいほうに。
「悪いね、わざわざ、迎えに来てもらって」
「いえいえ」
 モモが中学のこと一気に報告し始めると、僕はダイニングに戻った。皿洗いの途中だと装ったが、実は彼女をずっと見ていられなかった。少しまぶしすぎた。
 モモの支度が終わったようだ。
「じゃ、モモをお借りします」
「どうぞ、どうぞ、期限無しでどうぞ」
  モモはなにやらいっぱい入ったトートバッグを引きずって、玄関までやってきた。最後に、玄関脇の棚から黒い犬のぬいぐるみをとるとバッグの中へ放りこんだ。
「じゃあね、パパ」
「おう、数学、ママに見てもらえ」
「うん、そうする」
 モモはうれしそうに答え、僕がいかに教えるのが下手か報告した。
「学校では大丈夫なの?」、と彼女が言った。
「大丈夫。高校生は自分で勉強するから」
「そんなんでいいの?」
「いい加減がよい加減ぐらいなんだって」
「クビにならない?」
「じゃ、がんばる」
 モモがクチをはさんだ。
「でも、パパ、いつも、がんばらないようにがんばるって言ってるくせに」
「うるさい、早く行け」
「はいはい」
「お二人ともよい休日を」
「バイバイ」
 と、二人が声を揃えた。
 ドアが閉まると、夜が静かになった。天井の蛍光灯を消して、シェード付きの電気スタンドをつけた。これで、うちの中が少し北欧っぽくなった。
 冷蔵庫の奥に一本だけ缶ビールを見つけた。古いフランス映画のDVDを再生して、ソファに座ると缶を開けた。夜は始まったばかりだ。そして、ゴールデンウィークはまだ始まってもいない。
 酒はほとんど飲まない僕だが、そのビールの最初の一口はおいしく感じた。いつもは一本飲みきれないのだが、今宵は飲み干せそうな気がした。

 ゴールデンウィーク初日、いつもの時間に起きた。しかし、モモの朝食をつくらなくてもいいと知り、至福の二度寝に入った。
 目覚めのヨガ、長風呂で読書、その後、パスタを茹で簡単なブランチを食べた。食後には、豆を挽いて、コーヒーをドリップした。
 ダイニングテーブルで、パソコンを立ち上げ、例の書き物にとりかかろうとしたが、ついインターネットをダラダラと見てしまい、無駄に時間が過ぎていった。
 まだ、ネタが僕の頭の中で熟成されていないのだろう。もう少し寝かす必要があるようだ。やがて、発酵が進み、ネタが溢れだし、僕の指が勝手に動き出すはずだ。とりあえず、待つことにした。積極的休養だ。
 僕はキッチンに立つと、干し昆布と干し椎茸を水に入れて放置してとったダシで、そばつゆをつくりはじめた。気分転換には、料理に限る。ひじきを見つけたので、もう一つのコンロで、ついでに常備菜もつくることにした。水で戻し、炒めてから、ニンジンと油揚げを入れ、隣の鍋のそばつゆを少しこちらの鍋に移して煮た。
 テーブルとキッチンの間の僕の定位置で、パソコンと鍋を交互に見ていたが、料理は着々と進んでも、書き物のほうはさっぱりだ。
 僕は書き物の〆切に追われると、料理をしたくなってしまうようだ。
  料理が終わっても、やはりもう少し創造的先延ばしを決め、例の四方先生の遺伝子の研究について読むことにした
 その前に、また、コーヒー豆を挽き、もう一杯コーヒーを淹れ、それから、ようやくプリントアウトした紙を数枚持って、ソファに座った。
 また違う実験のことが書かれていた。今度は、大腸菌と他の微生物をシャーレに入れた。森の木陰でひっそりと生きている粘菌だ。すると、粘菌が大腸菌を食べ始めたのだ。弱肉強食だ。
 やがて、粘菌は追い込まれていく。このまま大腸菌を食べ尽くせば、エサがなくなり、粘菌も絶滅してしまう。
 ここまでは容易に想像がつく。資源の有限な地球で、強者が弱者を食い尽くせば、天に向かってつばを吐くようなものだ。
 しかし、微生物は単細胞ではあるが、バカではなかった。食べ尽くし、食べ尽くされ、両者が絶滅する寸前、なんとお互いに姿を変え、栄養を与えあい始めたのだ。
 ミクロの世界はなんともLove and Peace だ。感激で、ブラボーと立ち上がって叫びたくなった。マイノリティを受け容れる多様性、そして強者と弱者の相互扶助、複雑にからみあっての共生、もしかしたら生物の細胞のすべてにはLove and Peace がインプットされているのだろうか。となると、六十兆もの細胞を持つ人間の中には六十兆ものLove and Peace の種子が埋め込まれているかもしれない。
 幸福な気分に浸り、朝寝したにもかかわらず、眠くなってきた。実家に早く行こうと何度か起きようとしたが、体が液状化して、ソファーに溶け出したかのようだった。完全のシエスタに落ちる寸前、僕はモモに語りかけていた。世界はこんなにもLove and Peace だ、と。

 実家に着いたのは、結局、午後四時過ぎ。
 祖母は、ひさしぶりに寝間着ではなく普段の服を着ていて、居間でテレビを大音響にして見ながら、洗濯物を畳んでいた。画面には、サスペンスの再放送が映っていた。祖母は、洋画の次に、サスペンスが好きなのだ。
 僕は背後から声をかけた。ただいま、と。
「あれ、びっくりしたやあ」
 テレビで物音が聞こえなかったようだ。
「おやつ、そばでもどう?」
「いいねえ。やってくれるだかね。私ぁ火を使っちゃいかんって言われてるだよ」
 母に禁止されているのだろう。少し行きすぎのような気がした。たしかに、祖母は鍋に火をかけっぱなしで、何度も焦がしたが。
「じゃ、今、蕎麦を茹でるよ」
「そう、うれしいやあ」
 僕は台所で、蕎麦を茹でている間、ネギを刻み、海苔をキッチンばさみで切った。ゆであがった蕎麦を水洗いして皿に盛り、蕎麦猪口に持参したつゆを入れると、祖母を呼んだ。
 台所のテレビをつけた。
「おばあちゃん、ここでサスペンス見れるよ」
 祖母がすっと立ち上がるのが見えた。ふらつくこともなく、こちらにやってきた。
「歩けるねえ」
「それっくらいできるよう」
 と、祖母が誇らしげに言う。
「このつゆ、僕がつくったのだよ」
「ほうか」
 祖母が蕎麦をつゆにつけて、口に運ぶ。僕は黙っている。
「おいしいやあ」
 僕の味付けは祖母の口にはあうようだ。僕は祖母がつくった料理を食べて成長したので、味の好みが同じなのだろう。
「いくらでも食べれちゃうやあ」
  僕と祖母はしばし無言で蕎麦を啜った。蕎麦とネギと海苔、こんなにシンプルなのにおいしいことに、僕はいつも感心する。
 祖母はテレビを見ながら、僕にいろんなことを訊く。モモのことや僕の学校のことなど。
 僕は祖母に、サスペンスのあらすじがわからなくなりはしないかと訊いたら、時々見れば全部わかるという。もう犯人もわかっている、とも。
「私ぁ、若い頃から洋画たくさん見てるでね」
 それに人生経験も加わるので、ちょっと見るだけで、予測がつくのだろう。それに、あらすじがわかってもわからなくても、大した違いはないという達観もあるにちがいない。
「あんたも男だでねえ」
 と、突然、祖母が僕を心配し始める。
 そういえば、しばらくデートをしていない。
「そのうちデートするから、心配ないよ」
「ほんならいいけど」
 祖母が淹れたお茶の入った湯呑みを左手で持ちながら、右手でケイタイメールを送った。シングルマザーフレンドに。彼女はナースで、交代勤務も休日出勤もあり、なかなか会えない。しかし、ここは祖母の安心させるためにも、デートの約束をとりつけなければならない。とりあえず、ランチに誘ってみた。
 たまたま、彼女は休憩中だったらしく、メールがすぐに戻ってきた。明日は休みなので、ぜひ一緒にランチを、と。
「おばあちゃん、明日デートでもしてくるよ」
「よかったやあ。あんたも男だでねえ」
 祖母はデートは勧めても、再婚は勧めない。シングルグランドマザーは、自由の尊さを知っているのだ。
 
 翌朝やや早く起き、実家を後にした。午前中、水泳部の練習につきあい、短時間で終わらせ、スーパーへ急いだ。うちに帰ると、すぐ掃除だ。時間がないので、あれもこれもモモの勉強部屋に放り込み、掃除機をかけた。
 とりあえずダイニングと居間は人が呼べるほど片付いた頃、ドアチャイムが鳴った。ドアを開けると、久しぶりだが、いつも見ているような笑顔で彼女が立っていた。彼女は、食べ物に例えると、サラダのようだ。物静かだが、実は胸にパッションを秘めている。
 プールサイドから直行した僕はスポーティな格好をしていたのだが、彼女もジーンズにピンクのパーカーとスポーティな格好だ。
 今日のランチは、彼女のリクエストで、外食ではなく、僕のうちで玄米菜食。
  彼女は、ジーンズをいきなり脱ぎ、膝までのスパッツ姿になった。
 食前には、一緒にヨガをすることにもなっていたのだ。ヨガを教えることも、彼女のリクエストだ。ナースの激務のの疲れを、ヨガで癒したいそうだ。
 居間のフロアに、ヨガマットを二枚並べ、簡単なポーズをとった。マットは、スペースの関係でぴったりとくっつけて並んでいて、彼女の体が思いのほか至近距離にあった。時に彼女の体に手を添えるように頼まれたりもしたので、僕は不純な気持ちを抑えつつ、ヨガを続けた。
 ヨガの後、彼女はすっきりとした表情になり、おなかが空いた、と言った。
 僕はすぐにキッチンに立ち、圧力鍋で、玄米を炊き始めた。その間、れんこんでおかずをつくった。半分すり下ろして、半分みじん切りにして、そば粉と卵と混ぜた。れんこんのお焼きだ。ポン酢につけて食べる。
 彼女は興味深そうに僕の隣に立ち、僕がしてほしいこと察して、手伝ってくれた。
 やはり、家事は、言われて手伝ってもダメだ。相手の立ち場に立って、想像力を駆使しなくてはならない。前妻にさんざん言われたことだ。
 彼女に油揚げの短冊切りをフライパンで煎っている間、僕は大根の葉っぱをみじん切りにして、ボールに放り込み塩を振り、大根を荒く下ろした。煎った油揚げの上に大根おろしと塩揉みした大根の葉っぱをのせ、ポン酢をかけると、けっこうなおかずになる。
 冷蔵庫の中には、ダシ昆布の出がらしの佃煮、大根切り干しの煮物があったので、それぞれ蕎麦猪口に入れて出した。手作り蒟蒻も買ってきたので、薄く切って刺身にした。これには酢味噌を添えた。
 玄米が炊きあがる頃には、テーブルいっぱいに皿が並んだ。
 彼女に、ふりかけ用の炒りたての黒ごまを擦ってもらっている間、僕が鉄瓶で湯を沸かし、緑茶を淹れて、準備はすべて整った。
 彼女は、私の好きなものばかり、と僕をねぎらってくれた。
 僕たちは、けっこうな勢いで食べた。玄米がこんなにおいしく感じたのは初めてだ。舌だけでなく、体が喜ぶおいしさだ。魂が喜ぶソウルフードに近づけたような気がした。
 食後は、けだるいボサノバのCDをかけ、コーヒーを淹れ、ソファに移動して、彼女が焼いてきてくれたケーキを食べた。
 眠くなるような心地よい昼下がり、そんな時間はあっという間に過ぎ、気づけば五時。彼女のシンデレラタイムとなった。彼女もシングルペアレント、うちに帰って晩ごはんを作らなくてはならない。
 彼女は、ガソリンをピットで補給したF1カーのように去っていった。
 さて、僕も実家に行き、夕飯を作る時間だ。

 ゴールデンウィークも最終日、いつもは一番遅くまで寝ている祖母が、早く起き、化粧箱を開き、蓋の裏側の鏡を見ながら、顔をピシャピシャ叩いている音で、僕も目が覚めた。
「まだ寝てりゃいいよ」、と祖母。
 といっても僕の体がヨガを欲していた。掛け布団を払いのけ、まず太陽礼拝。実家にもヨガマットを置いてある。
 今日は、祖母と出かけることになっている。

 昨夜、風呂上がりの祖母が、布団の上に座って、さっぱりした笑顔で僕に言った。
「デートはしてきたかね?」
 僕は隣の布団の上で、体をねじるポーズをとりながら、いちおうデートで食べたものの報告をすると、祖母は安心したようだった。
「そうやってたまに会うくらいがいいだよ。なまじっか一緒になるとうまくいかんだで」
 祖母も結婚には向かなかったのだろう。
「明日は映画でも行こうと思うだよ。おいしいものも食べて」
 と、祖母が言った。これはすばらしいことだ。もちろん、僕と行くつもりなのだ。
「なんかいいのやってるかね?」
 祖母の好きなものは、中国の歴史物だ。それか、見た後スカッとする洋画だ。
「僕が見たいのがあるけど、それでもいい?」
「私ぁ何でもいいだで」
 明日が最終日のフランス映画、見た後スカッとしそうもないが、ちょうどいい機会だ。祖母は、映画は何であれ、おしゃれをしておでかけをすることが必要だ。
 この会話を聞いていた母が、ダイニングからやってきて、少しきつく言った。
「お母さん、行くなら車椅子で行きないよ」
 とたんに、祖母はしょんぼりとした。そして、僕だけに聞こえる声で言った。
「私ぁ、まだ寝てたほうがいいだよ」
 これは、大変だ。せっかく前向きになってきた祖母が、また寝たきりになってしまう。
 僕はダイニングに引っ込んだ母を追った。母がビールを飲んでいたので、コップ一杯だけつきあって、僕の考えをまず話した。
 おしゃれしておでかけすることは、祖母の寿命を延ばすはずだ、と。車椅子など大げさで、祖母が自分の足で立つことを妨げる、とも。
 母は言う。今度転んで骨でも折ったら、そのまま寝たきりになる、と。
「それで終わりだよ」、と母が付け加えた。
 脳天気で楽天的な僕と、常に最悪のケースを想定する慎重な母、話は平行線だった。
 たしかに、祖母の面倒を毎日見ているのは母だ。しかし、過保護になっては、できることもできなくなってしまう。それに、最近、祖母に対する母の口調は、小さな子どもに対するかのようだ。祖母をもっと大人扱いすべきだし、心配しすぎてうちに閉じこめておけば、ますます体力が落ち、老け込んでしまう。
 僕とモモが実家に来ると、たしかに祖母は元気になる、と母がいう。気を張っているからだろう。しかし、僕たちが帰った翌日は、たいてい一日寝ているそうだ。
 このことは、知らなかった。僕は黙るしかなかった。
 結局、祖母のことで全責任を負うのは、母だ。週末だけ来る僕ではない。それに、兄の世話もある。祖母も要介護となれば、その負担は倍以上だろう。
 僕はとりあえず祖母の隣に布団を敷き、枕元に読書用の電気スタンドを置き、横になった。祖母は、イヤホンを耳につけて、テレビを見ている。
 僕は寝転んだまま、プリントアウトしたA4の紙を読み出した。また微生物だ。二種類の微生物を扱う実験で、強い方が弱い方を食べるという設定。この実験の弱い方は、葉緑体を持っている。そして、その二つの微生物がいる環境に、ある条件を加えて、どうなるかを観察した。酸素のない状態にしたのだ。強い方が、いくら弱い方を食べても、酸素がなくては生きていけない。
 ここでもまた共生関係が生まれた。強い方が、弱い方を体内に取り込み、共生が始まり、弱い方が葉緑体で酸素を作って強い方に提供し始めたのだ。
 太古の昔、地球には酸素はなく、二酸化炭素が満ちていた。最初の生物は、その二酸化炭素を吸い、酸素を吐いていた。そんな生物が増えると、大気汚染が起こった。酸素が増えすぎたのだ。そして、この危機に、我々の祖先、酸素を吸い、二酸化炭素を吐く生物が誕生したのだ。お互いに、酸素と二酸化炭素を交換するように呼吸して、助けあい、命をつないできた。
 その次の段階で、この実験のような体内共生が始まったのだろう。単細胞生物が、細胞を次々と増やし、複雑な相互扶助の共生関係を体内に蓄積し、ついには体内に六十兆も細胞を持つ人間まで進化したのだ。
 進化の推進力は、弱肉強食の競争ではなく、実は相互扶助による共生なのだ。
 生物界は、かくもLove and Peace なのである。立ち上がってブラボーと叫びたくなった。モモのケイタイに電話して伝えたくもなったが、もう夜も遅く、どうせモモは興味を示さないだろうから、布団の中でブラボーと囁いた。
 僕はうつぶせになり、日記にそのことを書きとめていた。
 その時、襖が開いた。母がいた。
「おかあさん、明日は、ジローが一緒に行ってくれるから、私も安心だやあ」
 祖母は、イヤホンをつけているので、聞こえない。僕は祖母の体を揺すった。
「お母さんが何か言ってるよ」
「おかあさん、ジローと明日は映画楽しんできないよ」
「行ってもいいだかね?」
「ジローと手をつないで歩くだよ」
「そうだね」
「おばあちゃん、いちおう、杖も持ってくよ」
 僕が言った。登山用の杖をいつか祖母のために持ってきたのだ。祖母は使ったことはないが、うちのどこかに転がっているはずだ。
「転ばぬ先の杖っていうからさ。杖は、歩けるひとが持つんだよ。歩けないひとは、杖があっても歩けないんだから」
「それなら、杖も持ってくだやあ」
 と祖母が言った。もう先ほどのしょんぼりした表情が消えていた。
「映画、なんかいいのかかってるかねえ?」
「僕が見たいフランス映画あるから、それに行こうと思ってるんだけど」
 と、また同じことを言った。
「何でもいいだよ、私ぁ」
「ちょっと高尚かもしれないよ」
「たまにゃ、高尚なのもいいかもしれん」
 祖母はまたイヤホンをつけて、韓国のドラマを見始めた。
 どうして、母の気持ちが変わったのだろう。ビールが効いたのだろうか。
「母ちゃん、なんかあったらおんぶしてくから、心配ないよ」
「そうすりゃいいね。安心だよ」
 母はまたダイニングに戻っていった。
 母の許可が下りて、ようやく、祖母と街に繰り出せることになった。 
 
 僕が朝のヨガをしている間、祖母は眉を描いていた。
 兄は、いつもの施設に行くことになっている。このごろ、施設が祝日も面倒を見てくれるようになったようだ。兄は今日も卵の殻を割って肥料を作る仕事をがんばってくるはずだ。なにしろ、卵班の班長なのだから。ところで、どうやって、班員をリードしているのだろう。
 僕は仕上げの三点倒立を終え、隣の座敷で朝ごはんを食べる兄に言った。
「兄ちゃん、今日も卵のお仕事がんばってよ」
 兄は、牛乳を吸うストローを加えたまま、ニコニコしている。
「なんたって班長さんだものね」
 と、母が言うと、兄は指を続けて鳴らした。
   祖母は、母に言われ、パンツ型おむつを履いたようだ。僕は聞こえないふりをした。
「ほい、これでいいかいやあ?」
 祖母が服を選んだ。田舎のおばあちゃんにしては、少し派手なコーディネートだ。
「バカいいよ」
「ほうか」
 ハンドバッグは、オストリッチだ。以前、祖母がオストリッチだと教えてくれた。
「それオストリッチ?」
「そうだよ。よく知ってるねえ」
「ダチョウの皮だよ」
「バカなこというじゃないよ」
 僕は黙った。
 
 街へ向かう車中で話し合い、昼食は蟹に決めたした。かに道楽が映画館の近くにあるのだ。街に着くと、映画館から最短の距離の駐車場に車を駐めた。
 映画の上映まで時間があったので、喫茶店でコーヒーを飲むことにした。祖母もコーヒーが好物だ。
 車を降り、祖母は右手に登山用ステッキを持ち、左手は僕の手とつないだ。そういえば、祖母と手をつないだのは初めてだ。
 もう半袖でもよさそうな陽気、雨が降っていないことに感謝した。祖母は両手がふさがっていて、とても傘など差せない。
 その日、街の風景が、まったく違って見えてきた。
 駐車場と映画館とかに道楽を線で結べば、一辺が百メートルもない三角形なのだが、果てしない荒野のように感じた。街の風景の中には、蛍光マーカーで印を付けたかのように段差がはっきりと浮かび上がった。
 祖母の手を引き、ゆっくりと歩く。僕はやや胸を張った。
 三角形の真ん中あたりに、喫茶店が一軒ある。僕たちは店の前で立ち止まった。まず店に入るのに、数段階段を上らなくてはならない。何度か入ったことがある喫茶店だったが、こんな段差があったとは気づかなかった。
「おばあちゃん、映画始まるまで、ここでコーヒー飲むよ」
「行けるかいやあ」
 祖母は段差を見上げる。
「大丈夫だよ」
 ここは祖母を励まして、喫茶店に入るしかない。
「おばあちゃん、ゆっくり、休み休み行こう」
 なんとか、階段を四段ほど上り、店のドアを開け、ひとまず席に落ち着いた。
 コーヒーを一杯ずつ頼み、チーズケーキを一つだけ頼んだ。
「おばあちゃん、疲れた?」
「これっくらい、大丈夫だよ」
「そんならいいけど。まだ、映画館まで歩かなきゃいけないから」
「私も歩かにゃいかんでね。うちの中にずっといたじゃ、弱っちゃうで」
「痛いとかはないの?」
「ないねえ」
 チーズケーキが来ると、祖母は三角形の頂点から、僕が底辺から、食べはじめた。
「あんた、たくさん食べないよ。私ぁちょっとありゃいいだで。もう一個頼むかね」
「映画見たら、ごはんも食べるから大丈夫」
「そうだね。ごちそう食べなきゃいかんでね」
 僕はモモと行ったデンマークの話をした。街は段差がなく、ベビーカーも障害者も老人もたくさん街に出ていた、と。
「ヨーロッパかね」
「そうだよ。北欧」
「外国、行けるうちにあんたと行っといてよかったやあ」
 祖母とは二人で海外旅行に三回出かけたことがある。最後に行ったのはカナダ、もう十年も前のことで、マリリン・モンローの映画に出てきた滝を見たいという祖母が言い、一緒に出かけたのだ。
「また元気になれば行けるんじゃない?」
「もう無理だやあ」
 この頃はうちの近くから空港までバスが出てるから楽だ、と言ったが、無理かもしれないとも思った。
「あんたの作るのと変わらんねえ」
 と、祖母が小声で言った。
「また作ってくるよ」
「楽しみにしてるでね」
「もうすぐ、新しい空港もできるよ」
「そりゃ、飛行機乗らなきゃいかん」
 赤字必至の地方空港がこの県にもできるのだ。新しい空港なら、きっとどこもかしこもバリアフリーだろう。ここは期待したい。
 
 喫茶店を出ると、三角の荒野の真ん中から、いよいよ映画館に向かった。今日はフランス映画ということで、小さなシネマだ。ハリウッド系は、もう少し歩いたところのシネマコンプレックスで上映している。そこで売っているキャラメルポップコーンは、祖母の好物でもあるが、残念ながら、今日は食べることができない。
 杖をつく祖母の手を引き、ようやく映画館にたどり着くと、愕然としてしまった。
 一階と二階に一つずつシネマがあり、今日のフランス映画は、二階だった。当然あると思っていたエレベーターがなかったのだ。
 目の前にそそり立つ螺旋階段を見上げた。
「今日は、映画やめるかね」
「せっかく来たんだから、見ようよ。階段大変なら、おんぶだってできるし」
 チケット売り場ガラスのショーケースの向こうに立つ従業員が、困惑した表情で僕たちを見ている。
 なぜこうどこもかしこもバリアフリーではないのだろう。格差社会は、段差も多いのか。
 ためらう祖母を背に、僕はチケットを買った。パンフレットも。振り向いて言った。
「ゆっくり、休み休み、行けば大丈夫だって。ダメならおんぶするから」
 ついに、祖母は第一歩を上り始めた。杖は僕に預けて、右手で手すりを持って。
「足痛い?」
「大丈夫だよ」
 この杖は、年に一回、僕の誕生日に水泳部員達と学校の裏山に登るときのためのものだ。これは部の伝統行事で、一時間半くらい登るのだが、僕にはなかなかのハードワークだ。僕があの山を登るときくらいの労力で、今祖母が階段を登っているのだろうか。
「おんぶするか?」
「休み休み行きゃ、なんとかなるよ」
 踊り場で一休みして、頂上を見上げた。腹が立ってきた。

 祖母はいったん登り始めればすいすいと階段を上りきった。まだ余力があるようだったので、ひと安心だった。とりあえず、二階のロビーに座って、開演を待った。
 僕は祖母を残して、急いで階下の売店まで行き、キャラメル味ではない塩味のポップコーンとウーロン茶を買った。ただ階段を駆け下り、また駆け上っただけだが、これができることはすごいことなのだと思った。
 祖母の手を引き、段差に気をつけながら歩き、劇場の真ん中あたりに座った。祖母は映画が始まるまで、老眼鏡をかけて、パンフレットを見ていた。
「ほい、なんだかよさそうだね」
 と、祖母は期待にあふれる笑顔になった。
「明るい映画じゃないかもしれないよ」
「たまにゃ、こういうのもいいだよ」
 今日の映画は「潜水服は蝶の夢を見る」、脳梗塞で体が動かなくなってしまった男が左目の瞬きだけで本を書くという話。タイトルの詩的な感じに惹かれた。名画だろうと思うが、祖母にはどうなのだろう。
 ブザーが鳴り、ド派手なアクション映画の予告が始まった。大きな音が前から後ろから左右から走るように聞こえてくる。
「よさそうだね」、と祖母。
「予告だよ」
「ほうか」
「聞こえる?」
「聞こえるよ」
「よく聞こえる?」
「よく聞こえるよ」
「これ食べなよ」
「もらうでね」
「これも飲む?」
「トイレ行きたくなるでいいよ」
 これ以上しゃべるとまわりに迷惑になるので、僕は黙った。
 そういえば、洋画は字幕だ。たとえ聞こえなくても、楽しめるだろう。 
 予告編はどれもよく作られていて、退屈することはなく、見たくなるものばかりだった。
「また来なきゃいかんやあ」
 と、ポップコーンをつまみながら、祖母が言った。
 そして、突然、今までに見たことのないアングルの映像で、映画が始まった。画面が楕円形に縁取られ、やがてその縁がまぶたの縁であることがわかる。カメラが眼球となり、まぶたの裏側から見る光景なのだ。
 主人公は、今、まぶた以外、体を動かすことができない。叫んでも、声も出ず、誰にも届かない。医者が現れ、右のまぶたが縫い合わされてしまった。これで、視界は片目だけとなっった。主人公は、全身で、左のまぶた以外動かすことができなくなった。
 主人公は、脳梗塞で倒れ、それまでずっと昏睡状だった。その直前まで元気だった。祖母も一歩間違えばこうなっていたかもしれない。やはり、この映画は祖母には選択ミスだったか。祖母を横目で見ると、膝の上に広げたハンカチの上にポップコーンをのせて、少しずつ食べながら、画面を見ている。
 主人公は、はたから見れば植物人間。不自由な体に閉じこめられ、自由な想像力だけが頼りだ。
 彼の心は、想像力という翼を得て、まるで蝶のように自由となった。一方、いまだ彼の体は重く、動かすことはできない。彼は自分を閉じこめる牢獄のような肉体を潜水服と形容した。この映画のタイトル「潜水服は蝶の夢を見る」の意味がようやくわかった。
 僕は映画を見ながら、なぜか、同じ脳梗塞で入院した祖母ではなく、兄のことを考えていた。不自由な体に閉じこめられた兄も、想像力という翼を持っているのだろうか。言葉を話すことができない兄は、発せられない、たくさんの言葉をうちに秘めているのだろうか。この主人公も、言語療法士がいなかったら、言葉を持たない肉体として扱われていたはずだ。兄は、こちらの言うことは理解できる。ということは、声なき言葉を引き出すことも可能かもしれない。
  その映画の映像が、眼球を通してのものが多かったので、時に僕も動かぬ肉体に閉じこめられたような錯覚に陥った。すると、僕は兄になった。こちらは、すべてがわかっているのに、他人はいつまでも赤ん坊のように扱ってくる。こちらの声はまったく届かない。体もいうことをきかない。
 胸のあたりで、かきむしりたくなるような混沌とした固まりが大きくなっていった。
 兄は、祖母とは意思の疎通ができるようだ。祖母が、兄の幼少の頃から面倒をみていたからだろう。兄の言葉を、よく祖母が代弁する。祖母はイエス・ノー・クエスチョンと想像力で、兄の声をすくい取るのだ。
 主人公の日曜日は気が遠くなるほど長い。平日は理学療法士と言語療法士と回復に向けてのコミュニケーションがあるのだが、休日には彼女たちとは会えない。ある時は、テレビでサッカー観戦を楽しんでいる最中に、病院スタッフにより、テレビを消されてしまう。テレビを消すなと叫ぶ声は、どこにも届かない。その後、長い日曜日の残りの時間だけが残される。
 映画はクライマックスを迎えた。ポップコーンはすでになくなった。
 主人公は、左目のまばたきだけで、本を書き始める。アルファベットを編集スタッフが読み上げる。A,B,CではなくE,S,A..の順で。アルファベット順ではなく使用頻度順だ。使いたい文字が読み上げられた時、彼は瞬きをして、選択する。そして、またアルファベットが最初から読み上げられ、彼は瞬きで次の文字を選ぶ。これが繰り返され、二十万回のまばたきで、一冊の本を書き上げる。
 そのうち、主人公がかすかな回復の兆しを見せた。リハビリの効果が出たのだ。主人公は本の出版を待つばかりとなった。なんとか暗い気分で映画館を出なくてすみそうだと思っていたら、突然、主人公が風邪から合併症を引き起こし、死んでしまう。
 あっけなくスクリーンにはエンドロールが映る。僕は後半かなり感情移入していたためか、まだ対応できないまま座っていた。
「ああはなりたかないねえ」
 と、祖母が言った。
「ああならんよう、体大事にしないよ」
 この映画は、祖母には健康についての啓蒙映画になっただろう。来た甲斐があった。
  エンディングテーマ曲が終わり、観客がほとんどいなくなり、照明がついてから、僕は祖母の手を引いて立ち上がった。
「おばあちゃん、転ばんようにね」
 まだあの長い階段を下りなくてはならないが、上りよりは楽だろう。

 今日おそらく最後の階段を下りきって映画館を出ると、陽光がまぶしかった。
「あんた、おなか空いたら?」
「ぺこぺこだよ」
 祖母は常に僕の空腹具合を気にしている。
「ほんじゃ、かに道楽に行くかね」
「歩ける?」
「大丈夫だよ」
 階段を上って下りて自信がついたのか、祖母の足取りは軽くなったようだ。
 今日はやけに遠く感じる道のりを、祖母は右手で僕の手を握り、左手で杖をついて、ゆっくりと歩いた。そういえば、モモと歩く時、もう手をつながない。そのかわり、これからは祖母と手をつなぐのだ、と思った。
 脚が動く巨大な蟹の看板が見えてきた。
「おばあちゃん、あそこだよ」
「もう杖はいらんやあ」
 年寄り扱いされたくないのだろう。僕が杖を受け取ると、多少祖母の背筋が伸びた。銀髪にオストリッチのハンドバッグ、品のいい老婦人に見えるだろう。

 僕たちは小さな座敷に通された。掘りごたつになっていて、祖母はありがたがっていた。そういえば、いつも座るときは正座だった祖母が正座している姿を最近見かけなくなった。仏壇に向かってお題目を上げるときも、風呂で使うプラスチックの椅子に座って、簡易的な正座をしている。
 祖母が何を頼んでもいいというので、コースを二人前頼んだ。蟹の刺身、蟹の天ぷら、蟹のグラタン、蟹釜飯、蟹寿司、蟹づくしだ。
「おばあちゃん、飲んだら?」
「いいよ、私ぁ」
「飲めなきゃ、残せばいいから、飲めば?」
「じゃ、いただくかねえ」
 にっこりとした祖母はまんざらでもようだ。一度は遠慮するのが、祖母の作法なのだ。
「いいでね、手酌でやるから」
 という祖母に酒を注ぎながら、映画のことを訊いた。
「そうだねぇ。悪かなかったよ」
「僕はずっと見たかったんだよねえ」
「ああいうのも、たまにはいいねえ。いつもミーちゃんハーちゃんでもねえ」
 蟹を食べる作業は、僕たちしばらく無口にさせた。蟹専用のスプーンを駆使しても、身を根こそぎとるのは難しい。
「兄ちゃんもあんな感じなのかねえ」
 作業に疲れた頃、僕がつぶやいた。
「私もずっとあの子のことを考えてただよお」
 僕たちはまた作業に没頭した。
 不自由な体という重い潜水服を着た兄の想像力の蝶も飛んでいるのだろうか。
「おばあちゃんが、入院してたとき、兄ちゃん一人で来たんだよね?」
「そうそう、病室の入り口で、立ってただよ」
「すごいねえ」
「どこにもつかまらないでねえ。障害者じゃない、ふつうの子の顔だったやあ」
 これは何度も祖母に聞いた僕の好きな話だ。兄が一人で見舞いに行くことも、つかまらないで立つことも、もちろん不可能だ。
「不思議だやあ。どうやって来ただかねえ」
 初めて祖母がそう言ったことを聞いた父は、いよいよ呆けたか、と言ったが、そのようでもない。ただ、この兄の姿だけは、よほどはっきり見えたのだろう。事実だと疑っていない。
 母の解釈では、兄に会いたい祖母の気持ちと、祖母に会いたい兄の気持ちが引かれあい、その映像を生じさせた、と。
 僕は母の解釈に賛成だ。こんなことがあったほうが、人生はおもしろい。
「おばあちゃん、ほんとに不思議だねえ」
「あの子も映画に連れてきてやりたいけどねえ」
 と祖母がつぶやく。祖母に加え、兄も連れ出すとなれば、僕一人では無理だろう。
「モモも連れてくればいいんじゃない?」
「モモちゃんがいりゃ大丈夫だねえ。あの子はまにあうでねえ」
 祖母のモモに対する評価は高い。
「あんたが上手に育てたからねえ」
 決して一人で育ててきたつもりはない。
「ほんとにおいしいやあ。お酒も蟹も」
 祖母がしみじみという。僕は酒を注いだ。
「悪いねえ。私ばっか。あんたも飲むか?」
「飲んだら、仕事クビになるよ。車だから」
 それに僕はあまり酒が好きではない。体がアルコールを歓迎しないのだ。
 蟹のコースは進み、天ぷらやグラタンと、黙らなくても食べられるものが出てきた。
「私ぁね、三ヶ月ごとにお金が入るだよ」
「遺族年金?」
「そう。今まで、無頓着に使ってきたけどね」
「自分のお金なんだから、好きに使えばいいんじゃない?」
 といいつつ、ずいぶんと祖母には金銭面で世話になってきた。大学の学費もそうとう出してもらい、社会人になって車を買ったときも、五十万円ほど借りた。たしか、まだ八万円しか返してないと思うが、祖母はすっかり忘れている。
「そう好きに使っていいもんでもないだよ。あんたのおじいちゃんが命をかけて戦争行ってきたもんでもらえるお金だでね」
 たしかに、祖父の命と引き換えのお金だ。
「少しは残さなきゃいかん」
「墓場に持ってけないんだから使えばいいよ」
「もう欲しいもんもないだよ」
「じゃ、僕に買ってくれればいいよ」
 と、ためしに言ってみた。
「ほんじゃ、次のお金が入ったとき、背広でも買ってやるん」
 細身のダークスーツが欲しい。
「ありがたいよ」
「あんたもセンセイだで、しっかりしたのを着にゃいかん」
「しっかりしたスーツでないとねえ」
 英国製がいい。
「安物買いの銭失いって言うでね」
 そのとおりだ。
「ありがと。じゃ、その時また映画も見よう」
「なんかいい映画かかってるかねえ?」
「必ずあるよ。毎日何本もやってるんだから」
「そのころにゃ、もっとよくなってるでね」
「杖もいらなくなるんじゃない?」
「そうだね。私ぁ骨が丈夫だでね」
 魚屋に生まれた祖母は、小さいころから魚ばかり食べてきた。それで骨が丈夫なのだ。
 祖母に酌をしようととっくりを持ったら、もう空だった。
 蟹の寿司が母の好物なので、土産に買っていくことにした。デザートを持ってきた仲居さんに、祖母が注文した。
 抹茶味のアイスクリーム、ラッキーなことに祖母が半分残したので、僕は一個半食べた。
 食事代は、祖母が出した。今日一日、僕は一円も金を使っていない。僕が払おうとしても、祖母は僕を子ども扱いして払わせない。
 かに道楽は、靴脱ぎ場、エレベーターの前、入り口の脇と、いたるところに座るところが用意されている。祖母には、実にありがたい。
 祖母の財布を預かり、僕が支払いを済ませた。祖母には座って待っていてもらい、駐車場まで走った。
 祖母を迎えに行くと、寿司折りの入った紙袋を二つ持っていた。待っている間に、母の土産をまた注文したのだ。デザートの時に頼んだことは、忘れてしまったようだ。
「おばあちゃん、またお土産頼んだの?」
「あれやあ」
 ま、よくあることだ。寿司折りが一つ増えても、困ることはない。分けて食べればいいだけだ。分けあえば、おいしさは、倍になる。

 実家に着くと、もう母と兄が帰ってきていて、居間のテレビを見ながら、お茶を飲んでいた。父はいつものことだが店に残り、明日の仕込みをしているらしい。
「母ちゃん、蟹の寿司買ってきたよ。二人前」
「うれしいやあ、兄ちゃんと食べるでね」
 兄は、うつむいたまま笑顔で、指を鳴らした。
 祖母は部屋着に着替えると、さっそくエプロンをして、台所に立った。お茶を準備してくれるのだ。
「映画はよかったかね?」
 と、母が台所に行き、祖母に訊いた。
「たまにゃああいうのもいいねえ」
 祖母が淹れてくれたお茶を飲みながら、テレビを見ていると、たまたまダーウィンの生涯を紹介する番組をやっていた。自然を愛し、その多様性を尊重していたダーウィン。いつしか、ダーウィンの理論の「適者生存」「自然淘汰」だけが抽出され、強者が強者であり続けるための理論に転用さたのだろう。
 兄が「シー」と言った。
「パンツ自分で脱がなきゃダメだよ」
 僕は手を貸さない。
「おしっこ出ないのに、おしっこ、おしっこって言っちゃダメだよ」
 兄は、おしっこさえすれば誰かが来てくれると思っているのだ。甘やかしてはいけない。
介護とは、いろいろしてあげることではなく、自分でできることを援助することだ。
「うれしいやあ、ありがとね」
 母が寿司折りと醤油差しを持って、居間に入ってきた。
 兄が、自分でズボンとパンツを下ろしたので、ほめてから、おまるの用意をした。
 母が僕にも勧めるので、二つほど、蟹寿司をつまんだ。おまるの至近距離で。
 たしかに、蟹寿司はうまかった。
 隣の部屋では、祖母がはやばや布団を敷き始めた。今日はひさしぶりに出かけたので、疲れたのだろう。 
「おばあちゃん、具合はどう?」
 と、襖を開けて、むこうの祖母に声をかけた。
「もうどっこも悪かないよ。また行かにゃいかんね」
 と、何かを企む子どものように笑った。
「また行かなきゃいかんね」
 今度はもっとスカッとする映画にしよう。キャラメルポップコーンも食べよう。
 そして、祖母は、布団から顔だけ出して、イヤホンをはめ、テレビを見始めた。
 僕はモモにメールをした。ママのところで楽しんだか、と。しばらく待ったが返事はない。友達にはすぐに返信する娘だが、僕にはなかなか返事をよこさない。
 兄が用を済ますと、今度は兄に寿司を食べさせることにした。卓袱台の上にお盆をのせ、どんぶりを置き、中に寿司を入れ、キッチンばさみで食べやすい大きさに切った。
「兄ちゃんも食べる?」
「アイ」
 と、右手まで挙げて、兄は返事をする。
 母が兄の隣に来て、ひっくり返したビールケースの上に腰を下ろす。母も正座ができなくなったようだ。
 母がビールの栓も抜いた。もちろん、僕は飲めず、兄も飲まないので、母は独酌で飲む。
「母ちゃん、ダーウィン知ってる?」
「お母さんだって、人間が猿から進化したことぐらい知ってるよ」
「じゃ、適者生存、自然淘汰も?」
「バカにするでないよ。常識だよ」
 僕は微生物のことについても話した。
「微生物は、必ず弱者も子孫を残して、強いものばかり生き残るんじゃないんだって」
 母は黙って、耳を傾けていた。
「だから、父ちゃん母ちゃんの店も生き残るべきだって。いくら回転寿司が流行っても」
「そんなもんかねえ。商売は続けるだけでも精一杯だよ」
 この町でも、日曜の夕方、回転寿司の前を通ると、駐車場にガードマンが光る赤い棒を持って、車の整理をしている。それほど、繁盛しているのだ。おそらく、安いだけでなく、不味くもないのだろう。
 僕は種の多様性の保存についてを説明した後、相互扶助について話した。
 すると、兄がまたズボンを下ろし始める。
「さっきおしっこしたばっかりだよ」
 と、僕が兄に言う。少し、怒って。
「いいだよ。兄ちゃんはこれがコミュニケーションなんだから」
 と、母が言う。たしかにそうだ。これも相互扶助か。僕は兄のオマルの蓋をとった。
 二種類の微生物が、弱肉強食ではなく、共生を始めることについて説明した。
「ここまで、わかる?」
「ビール飲みながらでも、わかるよ」
 僕は持論を雄弁に展開した。母の前だと、つい上から目線で話してしまう。
「母ちゃん、微生物だって、助けあってるんだから、何十兆も細胞がある人間なら、もっと高度に助けあわなくちゃいけないんだよ」
 僕は気持ちよくなって、さらに続けた。
「だから、おばあちゃんや兄ちゃんを大事にすることは、自然で当然なことなんだって。単細胞微生物でも助けあってるんだから」
 母は、一通り僕の演説を聴き終わると、ビールを一口飲んで言った。
「そんなの当たり前のことだよ。お母さんとお父さんのお店は赤字なんだから、おばあちゃんの遺族年金と兄ちゃんの障害者年金で助けてもらわなきゃ、生活できないよ」
 僕は黙った。すでに、ここでは、とっくにダーウィニズムは乗り越えられていた。
「兄ちゃんとおばあちゃんは稼ぎ頭だよ」
 兄や祖母が施設に入れば、年金はその利用料に消えるだろう。二人が、うちで暮らせば、それだけで稼いでいることになる。
 そういえば、この僕も、兄と祖母のことを書いて、原稿料を稼ごうともくろんでいる。
 兄の用が済んだようなので、ありがたく、パンツとズボンを上げさせてもらった。
「兄ちゃん、かにのお寿司食べよう」
 兄は指を鳴らした。
「ナイスナイスだね」
 兄はうつむいたままにっこりとする。
「兄ちゃんのおかげで、ジーも助かるよ」
 兄はまた続けて指を鳴らした。
 世界は、こんなにもLove and Peace にあふれている。僕も指を鳴らしてみた。

シュフ魂

 「パンケーキな朝」

 パンケーキである。ホットケーキではない。アメリカのダイナーで出てくるような、直径十二センチくらいで、厚さが八ミリくらいのパンケーキ、それをを五枚くらい重ねたもの。英語では、pancakeもhotcakeも違いがないようだが、ここ日本では、大きな違いだ。
 もちろん、ホットケーキも悪くない。小学生の頃、日曜日に、母に教わりながら、おそるおそるフライパンで焼いたのを覚えている。うちのホットケーキは薄いのに、どうして喫茶店のホットケーキはあんなに厚いのか、不思議だった。
 さて、パンケーキである。昼休みにふらりと僕の勤務する学校の図書館に立ち寄り、雑誌コーナーで「暮らしの手帖」をぺらぺらとめくっていたら、レシピを見つけたのだ。ようやくの出会いに、うれしくなった。紺のブレザーの内ポケットから、愛用の安物のメモ帳とボールペンを取り出し、メモした。創作意欲が沸いてきた。
 その午後は、とても長く感じた。早くうちに帰り、キッチンに立ちたかった。
 僕は、仕事で手を抜いても、晩ごはんは手を抜かない主義だ。職場には僕の代わりがいくらでもいるが、うちにはシュフは僕一人である。

 パンケーキを食べる予定の翌朝、寝坊してしまった。あわてて、中学二年になる娘のベッドルームの前で声を上げた。
「起きろ。すまん。寝坊した。すぐ朝ご飯だ。もう間に合わなくなるぞ」
 昨夜、僕も娘も寝るのが遅かった。深夜まで、娘とキッチンで、バレンタインチョコづくりに励んでいたからだ。今年のバレンタインデイは日曜日だったので、娘は今日学校で配ることになっていた。最近のチョコ事情は、友チョコといって、女子どうしチョコを交換するらしい。
 昨夜の晩ごはんは、チョコに備えて、玄米に野菜たっぷりの蒸し煮鍋とカロリー低めのメニューにした。その食器を片づけてからは、オーブンとコンロはフル回転、試食をたっぷりしながら、チョコケーキ、チョコクッキー、チョコクランチなどをつくった。
 僕と娘がこよなく愛するチョコが、やはりスイーツの中のスイーツであることを、あらてめて確認できた夜となった。
 もう、娘の朝食までには、あと十分くらいしかない。しかし、朝食をつくらないわけにはいかない。僕の毎朝の日課であるヨガを今日は中止にして、フライパンを火にかけた。
 生地は昨夜仕込んでおいた。
 小麦粉百グラム、牛乳二百cc、サラダ油大さじ一、卵一個、砂糖大さじ一、塩小さじ四分の一、ベーキングパウダー小さじ一半を、ボウルに入れ、混ぜ合わせ、冷蔵庫の中で一晩眠らせてある。
 レードルで、油を薄くひいたフライパンの上に、生地をゆっくりと垂らす。円がだんだん大きくなっていく。そして、ここは焦らず、しばらく待ってひっくり返す。
 娘がようやくテーブルに着くと、一枚目が焼きあがった。
「あ、ホットケーキだ」
「違う、パンケーキだ。しかも焼きたてだぞ」
「ホットケーキじゃないの?」
「まったく違う。食べればわかる」
 テーブルの上に、バターとブルーベリージャムとピーナツバターを置いた。
 娘がジャムを塗っている間に、二枚目が焼きあがった。
「次々に出てくるぞ」
 僕もピーナツバターを塗り、立ったまま食べてみた。 
「アメリカにいるみたいだぜ」
 アメリカには行ったことがないが、朝から気分が高揚してきた。
「おいしいねえ」と娘。
「何が?」
「ホットケーキ、じゃなくてパンケーキ」
「よし」
 フライパンに気を配りながら、小さなどんぶりのようなカフェオレボウルに、牛乳、インスタントコーヒー、砂糖を入れ、レンジでチンする。
「ま、これも飲め」
「ありがと」
  と、娘は、テレビの方を向いたまま、僕と目を合わせずに言った。
 先月、娘と見に行った古いスペイン映画で、主人公の幼い少女が、冬の朝、湯気の立つカフェオレを、そんなボウルを両手の平で包んで、飲んでいた。それ以来、うちではまだカフェオレブームが続いている。
「パパ、おかずは?」
 忘れていた。冷蔵庫をのぞくと、トマトくらいしか目に入らない。とりあえず、スライスした。
「ま、足りない野菜は、給食と晩ごはんで」
 晩ごはんのメニューのことを考えながら、パンケーキを焼き続けた。
「自立って知ってるか?」
 僕は立ったまま、パンケーキを海苔巻きのように丸めて食べながら、背後の娘に訊いた。立っていたら、ふと、自立という言葉が浮かんだのだ。
「それっくらい知ってるよ」
「パパは、家事できなくて、家庭的に自立してなかっただろ」
 娘は、テレビの隅に表示される時刻を見ながら、いちおう聞いている。
「ママは、仕事してなくて、経済的に自立してなかっただろ」
 またパンケーキが焼け、皿に移す。
「しかし、今は、パパは家事をバリバリしてる」
「掃除はしてないけどね」
「そこは、家事分担だ」
「はいはい」
「ママは、今、仕事して、バリバリ稼いでいる」
「そうだねえ」
 それにしても、パンケーキはアメリカンな味がして、美味い。
「だから、リコンは、自立のためだったんだなあ」
 娘は返事をしなかった。
「今、パパとママは、協力して、子育てもしてるし」
「なら、もう一回結婚すれば?」
 僕は即答した。
「それは、無理だな」
「なんで?」
「一緒にいて仲が悪いパパママと、離れているけど仲がいいパパママとどっちがいいんだ?」
 娘は黙っていた。星座占いのランキングを見ている。
「あ、ビリだ」
「ま、気にすんなって」
 朝食にまた新たなメニューが加わったことに、僕はシュフとして感激していた。
「山羊座、何位?」
「見てなかった」
 パンケーキは十枚焼いたが、あっという間に完食してしまった。
 僕もそろそろ髪の寝癖を直し、ワックスをつけ、ネクタイを選ばなくてはならない。
「ね、車で送ってってくれないよねえ」
 僕はいつもぎりぎりの時間にうちを出るのだが、すぐに髪とネクタイを処置すれば、送っていけないことはない。
「パパが寝坊したんだからさ」
 それもそうだ。
 少し、間を置いた。そして、決断した。
「走れ」
 娘は、立ち上がった。それからは、支度が速かった。歯を磨き、セーラー服を着た。 もしかしたら、遅刻しないかもしれない。
「じゃ、いってきます」
「おう、自分の足で走れ、そして、先生に怒られてこい」
 娘は、走って出ていった。
 娘が出ていくと、まだ時間が思ったよりあった。僕は、とりあえず、コーヒーを淹れることにした。

「水道屋マーちゃん」
 
 数々の暴言を吐いて生きてきた。中でも「全自動洗濯機」についての暴言が最悪だろう。新婚の頃、同僚に自慢げに言ったのだ。うちの洗濯機は全自動でアイロンまでかけてくれる、と。
 
 現在、僕はシングルペアレントとして家事を一手に引き受けるシュフである。このことには、実は誇りさえ感じている。仕事をしながら、子育てをしながら、ブログも毎日更新しながら、家事をこなすことは、シュフ魂がなくてはこなせない、プロジェクトXばりの一大事業だ。
 さて、そんなシュフの夢は、家事分担である。
 かつて娘に料理を仕込もうと思ったことがある。何度も挑戦したが、そのたびに挫折をした。だいたい、親が子に、何かを教えるということは、ほとんど不可能だ。算数などを教えたりすると、たいてい僕が怒鳴り娘が泣くという結果に終わってきたものだ。馬を水辺につれていくことはできるが水を飲ませることはできない、とは言ったものだ。
 そもそも、ひとに命令されて、雑用をさせられるのは、つらいことだ。きっとそれは人間の尊厳と関係しているのだろう。下拵えのような単純作業だけを命じられ、創造性も主体性も発揮できない調理補助など、単なる苦痛をともなう作業にすぎない。
 そこで、キッチンでの主従的家事分担はあきらめ、分業的家事分担を目指すことにした。とりあえず、料理は僕が担当、掃除は娘が担当ということに決めた。
 相手が苦手なことはやってやろうと思うのは、人情だ。立ち上がれないひとがいれば、手を貸したくなるものだ。
 食うために生き、生きるために食う僕は料理は得意だが、うちの中が汚くても生きていけると確信してるので、掃除は苦手だ。
 娘は料理はできないが、掃除は僕よりできる。お互い、自分が苦手なことを相手にやってもらえば、感謝の気持ちも自然に沸くというものだ。
 料理は僕、掃除は娘、この分業的家事分担で、今のところ、うちの中の平和は保たれている。

 さて、洗濯は、家事における大きなウェイトを占め、時間もかかる事業である。
 洗う、濯ぐ、脱水する、干す、取り込む、畳む、収納すべきところに収納する。この一連の作業は、天候にも、左右され、思うようにはかどらない。
 動線という言葉を最近知った。文字通り動く線、動線がうまく流れないと、家事はこなせないといわれる。洗濯でいえば、服は、脱衣所→洗濯機内→ベランダ→ソファの上→それぞれの収納場所と流れる。
実は、この動線を頭に入れるという習慣がつくと、職場でも仕事がかなり速くなる。きちんと段取りをして、もっとも効率のよい順番で、時に複数の作業を同時にこなし、最短距離を最短時間で進む。あらゆるものを、静止しているものではなく、動いていくものととらえ、常にそれが動く方向と道筋をイメージすると、違う世界も見えてくる。
 さて、その洗濯だが、これはなかなか大変な労働なので、よく手を抜いてしまう。すると、動線が渋滞する。脱衣所に洗濯すべきものがたまったり、ソファの上に洗濯したものが山になっていたり、と。こうなると、日常生活にも悪影響が出てくる。
 はっきり言って、こんな大変な仕事は、娘も僕もやりたくはない。そこで、思い切って、新しい洗濯機を導入することにした。
 数日にわたり、各社の製品を比較検討して、ついに購入したのは、全自動乾燥機付ドラム型洗濯機だ。
 夜、入浴後に衣服をドラムの中に放り込み、スイッチを押してベッドに入り、朝になれば、洗濯が終わっている。また、朝、洗濯機のスイッチを押して、出勤して、夕方帰宅すると、洗濯が終わっている。
 あとは、洗濯物の仕分け、僕のものだけを畳んで収納して、娘のものは籠の中に入れておく。娘が、洗濯物を畳んでも畳まなくても、収納してもしなくても、それはもう僕の関知するところではない。
 これで動線は劇的に変化した。それまでは、洗濯機→ベランダ→ソファ→収納場所という動線だったのが、洗濯機→収納場所と大胆に短縮されたのだ。脱水した衣類を無数の洗濯ばさみではさんで吊し、ベランダで干し、その間は天気を気にしつつ、ようやく乾いたら取り込み、ソファの上の積んでおく、このすべての作業もなくなったのだ。
 この全自動乾燥機付ドラム型洗濯機導入は、ワーキング・シュフ・ライフに革命をもたらした。まさに幸せを呼ぶ家電、かなりの時短、労力軽減は、夕食後、シュフにパンでも作ろうかという気分にさせる。
 また、ドラム型というのがいい。日本古来の渦巻き型洗濯機だと、衣類は、最後に、遠心力で、ドーナツ型に絡みあったまま固められる。干すときには、そのドーナツ型の混沌とした固まりから、衣類を引っ張りだし、伸ばさなくてはならない。衣類にかかるストレスはそうとうなものだろう。
 一方、ドラム型では、衣類は上に舞い上がり、パラリと下に落ちる。この運動が繰り返されても、衣類が絡まったまま固められることはない。衣類を少なめに洗えば、ワイシャツなどはほとんどしわが残らないので、アイロンをかけなくても、洗濯機から直に取り出して着用することも可能だ。衣類にかかるストレスは、渦巻型と比べれば、かなり軽減されるだろう。
 このことを、職員室での井戸端会議のさい、しきりにまわりのワーキング・シュフや、洗濯を専門とする男性のアシスタント・シュフに訴えるのだが、固定概念というのはなかなか打ち破るのは難しいようだ。オンナは家事、オトコは残業、洗濯は渦巻、これらを打ち破るには、革命を引き起こさなくてはならない。

 さて、シュフにもたまには休日が必要だ。仕事は休日があるが、家事は家庭生活があるかぎり年中無休、シュフが休みをとるには、もううちを出るしかない。実家にいったら、また家事をしてしまうので、うちでも実家でもないところへ行かなくてはならない。また、せっかくの逃避行でも、娘がいっしょだと、なにかと家事的業務が生じる。
 ということで、僕は年に一回、かつての同僚たちと一泊の温泉旅行に出かける。ただ、集まって、飲んで、食って、悪口を言う会である。これが、また楽しいのだ。
 娘は、この週末、母親と過ごすことになっている。
 僕は午前中に家事を片づけ、昼過ぎに出発する予定だった。洗濯は、いつものようにスイッチを入れておけば、僕の旅行中に終わっているはずだ。
 とりあえず、最小限の着替えを持っていこうと、洗濯機のある脱衣場に行ったときのことだ。大変なことになっていた。洗濯機の中では乾燥が行われていたのだが、床が水浸しになっていたのだ。さらに悪いことに、洗濯した衣類を籠に入れず、とりあえず床に山にしておいたため、その山の裾野がたっぷりと水を吸っていた。
 動線が遠くに延びないで一点に集中しているだけに、問題も一点に集中してしまった。
 まずは、濡れた衣類を浴室に放り込み、タオルを数枚床に敷き詰めて、水を吸い取った。それだけでは、水は吸いきれなかったので、タオルを洗面台で絞って、また床に敷き詰める。これを数回繰り返し、ようやく床の水がなくなったと思ったら、今度は洗面台の排水口が詰まってしまった。床の水を吸い取ったタオルを絞った際、床のゴミも排水口に流れ込んだのが原因のようだ。
 シュフ魂をも挫けさせる、なかなかの絶望感に浸っていると、乾燥機が止まり、洗濯が終わった。
 洗濯物を、今度は籠に入れて、洗濯機の上に置き、濡れてしまった衣類と床を拭いたタオルをドラムの中に放り込んだ。
 きっと洗濯機のふたがぴったりの閉まっていなかったのだろう、というのが僕の見解だった。
 洗濯機のふたが完全に閉まっているのをしっかりと確認して、もう一度洗濯機のスイッチを入れた。水が洗濯槽内にたまり、ドラムが回り始める。もう水が漏れることはないようだ。 
 そして、安心して、ようやくうちを出ようとしていたら、濯ぎが始まっていた。最後に脱衣場を確認すると、またもや水浸しになっていた。この洪水の原因は、洗濯機のふたではなく、洗濯の排水口が詰まっていることだった。
 あふれる水を、バスタオルで拭きとってはしぼり、拭きとってはしぼりを繰り返した。時間は無情にも過ぎ去っていく。
 恒例の一泊温泉旅行は夕方の宴会から始まるが、それに間に合うのだろうか。腹が立ちすぎて、泣きたくなってくる。
 僕はホームセンターへ向かった。エプロンをした男性店員に、排水口がつまりの対処について相談した。液体の薬剤を流し込んで、詰まっている髪などを溶かす方法と、ワイヤーの先にブラシがついた器具でパイプの中のゴミを除去する方法があると言われた。迷うことなく、特性ブラシと薬剤を購入し、その二つを試すことにした。
 うちに戻り、早速、作業を開始したが、パイプの入り口に蓋のようなものがあって、ブラシ付きワイヤーは中に入っていかず、薬剤の効果は待っても待っても見られず、無駄な買い物だったということがわかった。
 シュフ魂も、ここで挫けた。ここ数年、うちの中のことはすべてシュフとしてこなしてきた自負があったのだが、それも砕け散った。
 温泉地へは、本でも読みながら、のんびりと鈍行で行く予定だったのだが、この騒動でかなりの時間を無駄にしてしまい、鈍行では間に合わなくなってしまったので、新幹線で行かざるを得なくなった。電車代は倍になる。さらに無駄な金が必要になった。
 怒りと絶望感、これほど不快になることは、そうざらにはないことだ。
 とりあえず、忘れることにした。温泉に入って、おいしいものを食べて、苦手な酒を少しは飲んで、悪口を言いまくれば、気も紛れるだろう。
 最後に、薬剤をすべて排水口に流し込んだ。もしかしたら、帰ってくるまでに開通しているかもしれない。

 日曜日の午後、温泉旅行から帰ってきても、排水口は開通していなかった。娘が帰ってきて、これでは洗濯ができない、と文句を言った。
 もう打つ手はない。このシュフ魂を持ってしても、僕は無力だ。
「パパ、マーちゃんに電話したら?」
 忘れていた。僕の数少ない友人の一人、マーちゃんは水道屋である。
 コインランドリーに行くことも考えたが、まずマーちゃんに電話をかけてみた。
「もっしもっし、モモちゃん」 
 と、元気よく、陽気にマーちゃんが答えた。いつもマーちゃんに電話するのは、娘なのだ。
「今日は、僕なんだけど」
「あ、ごめんごめん、ジロちゃんか」
「ちょっと相談があるんだけど……」
「なになに、どうしたの?」
 ひとの気持ちは、口調でだいたいわかるものだ。マーちゃんは、本気で心配してくれている。誰かが困っていたら、一肌脱がずに入られないオトコが、今ここに、いるのだ。
 事情を説明すると、そんなことなら今すぐ行く、と言ってくれた。
 A friend in need is a friend indeed.まさかの友が真のとも。
 友達が真の友達かどうかは、午前二時に電話をかけて来てほしいと言って、来てくれるかどうか、でわかるという。マーちゃんは、まさしくa friend indeed、友達の中の友達だ。二時でも三時でも四時でも、僕なら絶対に行かないだろうが、必ず来てくれるだろう。
 
 マーちゃんは、実は僕より一つ年上である。最初は、さんづけで呼んでいた。
 マーちゃんは、結婚していて、三十五年ローンのマイホームに住み、子どもが二人という「健全な家族」を持っているのだが、数年前は、妻子が実家に帰ってしまい、別居していたことがある。
 当時、僕は離婚ほやほや、家事も覚えたでで、毎日、心身共にぐったりとしていた。
 そんな状況だった頃、いつも一人で寂しいマーちゃんは、毎日のように僕のうちへごはんを食べにきた。
 ごはんの後、皿を洗うと、僕はすぐにソファで横になり、やがて眠ってしまったが、マーちゃんはそんなとき娘とずっと遊んでいてくれた。
 母親がいなくなったことで、娘は情緒不安定になることが多かったのだが、マーちゃんのおかげで、ずいぶんと助けられた。
 あるとき、三人でサーカスを見にいったことがある。マーちゃんが、どこかから無料招待券をもらってきてくれたのだ。
 ピエロが、トランポリンで跳びはね、そのとき客席に向かって問いかけた。トランポリンに挑戦したい方はいませんか、と。僕は即座にマーちゃんの手を持って、上に挙げた。即、ピエロに指名されたマーちゃんは、満員の客の前で、トランポリン芸をすることになった。そのとき、ピエロが名前を訊き、観客に紹介したのだ。
「はい、こちらは、マーちゃんです」
 それ以来、マーちゃんである。

 マーちゃんは、夕方、仕事着のまま、道具箱を持参して、下の娘を連れてやってきた。トモエという名の小学四年生。上の息子は、中学一年生、モモより一つ下、年頃なのでついてこなかった。
 マーちゃんが言うには、娘はトモエの憧れのお姉さんらしい。僕が晩ごはんを用意している間、二人はいっしょに宿題をやったり、テレビを見たり、遊んだりしていた。
「マーちゃん、今日は、今流行りのトマト鍋だよ」
「いいねえ。野菜たくさん入ってそうで」
「先に食べる?」
「先に仕事片づけなきゃ」
「で、手伝うことある?」
「ジロちゃんじゃ、役に立たないからいいよ」
 たしかに。僕はキッチンに立ち、マーちゃんは洗濯場に行った。
 野菜を切っていると、マーちゃんに呼ばれた。全自動乾燥機付きドラム型洗濯機は、とにかく重い。排水口は、その下にあるので、洗濯機を動かさなくてはならない。さすがのマーちゃんでも一人では持ち上げられないので、手伝ってほしいとのこと。
 そういえば、その洗濯機をうちに入れるとき、運送屋も音を上げるはど苦労したのを思い出した。
 僕はマーちゃんの指示通り動いた。僕が任されたのは、マーちゃんが真っ赤な顔をして洗濯機を持ち上げた瞬間、隙間に古雑誌を入れるという、力はいらない単純作業だ。僕の仕事は簡単だが、それでも僕がいなくては作業は進まない。ここは気合いを入れるところだ。
 その後も僕に重要な任務が与えられた。懐中電灯で、排水口を照らす仕事だ。さすがのマーちゃんでも、手元が暗くては、何もできない。
 その際、マーちゃんを背中から見ていたのだが、全身の筋肉の躍動しているのが感じられた。
「すごい力だねえ。動きが違うよ。筋肉ももりもりだし」
 マーちゃんは、元高校球児、年齢は四十は超えているが、いまだに体を鍛えているという。
「体がなまちゃったら、若い衆にかなわんで」
「こんなにスゴくても、負けちゃうの?」
「若い衆はよく動くよ。若いだけにね。だけど、まだ負けるわけにはいかないよ」
 次に、マーちゃんは道具箱を開いた。あらゆるサイズや形のネジやボルトに対応できる工具が、きちんと収納されている。
 僕がいくら努力しても、まったく対処できなかった排水口が、マーちゃんの知識と技術筋肉と工具によって、口のところの蓋のようなものが取り外され、中からヘドロが現れた。ピンセットのようなものが必要となったのだが、うちにはなかったので、割り箸でヘドロをつまみ出した。僕がそのヌルッとした固まりを新聞紙を敷いた洗面器で受け取った。なかなかの不快感を催させる物質だ。
「よし、これで大丈夫だよ」
 マーちゃんがコップに水を入れて、排水口に流してみると、美しい水琴窟の音がした。ついに排水口が開通したのだ。
 ブラボー。僕はスタンディングオベーションで拍手をした。
 マーちゃんこそ、オトコの中のオトコ、オトコらしくてかっこいい、と素直に思った。
「マーちゃん、ありがとう。ほんとに助かったよ。マーちゃんは神様だよ」
 本心だった。心から、おいしいごはんを食べてほしい、と思った。
 娘がやってきて、その喜びを、現場で共有することができた。
「マーちゃん、ありがとう。この洗面台も水の流れが悪いんだけど……」
 と、娘がマーちゃんに要求した。
「そんなの迷惑だろ。マーちゃん、おなか空いてるだろうし」
「いいよ、いいよ、こんなのすぐになおせるから」 
 我らがマーちゃんは、いとも簡単に、洗面台の排水口を分解し、中から絡みついた髪の固まりを取り出した。
 僕の髪は短いので、娘の長い髪が原因だった。
「だから、髪の毛、流すなって」
「ごめんごめん」
 この髪の固まりも先ほどの新聞紙で包んだ。モモが水を勢いよく流しても、もう水がたまらなくなった。
 水が流れるということは、本当に幸せなことだ。
「マーちゃんが、言ってたこと、やっとわかったよ」
「なにが?」
「水道は、町の血管だって」
「あ、そうだよ」
「血管が詰まったら大変だよねえ」
「あったりまえだよ」
「人間なら死んじゃうしねえ」
「そう、町も死んじゃうよ」
 僕は娘と、マーちゃんに深々と頭を下げた。そして、すぐにキッチンに戻り、トマト鍋を仕上げた。隣のコンロで、ごはんはすでに炊きあがり、蒸らしているところだ。 
 マーちゃんの夢は、町の血管である水道の博物館を建てることだ。その壮大な夢を、僕はずっとバカにしてきたのだが、今回の件で、水道博物館建設推進派となることにした。こういったことは、子どもが小さいうちから見せて、水道の大切さを頭にたたき込んだほうがいい。

 トマト鍋は、まず鶏肉とタマネギとニンニクををオリーブオイルで炒め、塩こしょうして、ワインを振りかける。そして、白菜を下の部分はスティック状に切り、上の部分はざく切りにして、鍋に入れる。トマトもヘタをとり、大きめに切って入れる。シメジも入れ、もう一度塩を振り、山盛りの野菜を蓋で押さえ込んで、しばらく待つ。水は一滴も入れない。そして、耳を澄ます。やがて、野菜から水分が出てきて、グツグツと煮える音がする。さらに待つ。音で、鍋の中がだいたい想像できる。
 娘とトモエは、宿題にきりをつけ、テーブルにやってきた。
「トモ、宿題、終わったの?」
「トモちゃんって呼んでよ」
 僕は、ダメ、と答えた。ただ小さい女の子だからという理由でお姫様扱いすることは、トモエの将来のためによくない。
「ジロちゃんは、小さな女の子を甘やかさない会会長だから、そこんとこよろしく」
 と、僕が言うと、トモエと娘は、サイテー、と声をそろえて言った。
 オトコの中のオトコ、マーちゃんが、道具を片づけて、手を洗って、テーブルについた。
「トモ、お父さんのかっこいいところ見たか?」
「見てない」
「すごかったぞ」
「ふーん」
 と、無関心だ。マーちゃんは、いつも妻にもトモエにもバカにされているが、二人ともマーちゃんの勇姿を一目でも見れば、父親として尊敬の念を抱くだろう。
 僕はキッチンのコンロの火にかけていた鍋をテーブルの卓上コンロの上に置き、蓋を開けた。たっぷりの野菜のスープから湯気が上がった。
「よし、たべるぞ。マー様、今日もありがとう。いただきます、とみんなで言うぞ」
「なんで、マー様なの?」
 と、いつもマーちゃんをマーちゃんと呼ぶ娘が言った。
「今日からマーちゃんは、マー様に格上げになったから」
「はいはい。じゃ、言えばいいんでしょ、いえば」
 僕たちは、マー様に感謝の言葉を捧げた。
 ごはんは玄米だ。うちはいつも玄米だ。黒米を玄米一合につき大さじ一杯混ぜるので、紫色のごはんになる。
 驚くトモエに、娘が、いちおう食べられる、と言った。
「鍋もごはんも、ほんとにおいしいねえ」
 と、マー様が言う。鍋はテキトーにシュフの勘で作ったのだが、その勘が今日は冴えていたのだろう。本当においしかった。
「マー様、流しは、海への入り口なんだねえ。水道博物館、応援するよ」
 マー様は、僕のその発言に驚いていた。
「あれ、ジロちゃん、反対じゃなかったの?」
「賛成派に転向した。場合によっては、署名とかも集めてもいいくらいに思ってるよ」
「ジロちゃん、俺はうれしいよ」
「僕も排水口が開通してうれしいよ。マー様、おかわりは?」
「もちろん、いただくよ」
 まったく、マー様のオトコらしい食べっぷりは、シュフ魂を鼓舞してくれる。
 最後は、トマト鍋のスープに玄米を入れ、リゾットをつくった。さっぱりした味のスープと、プチプチの食感の玄米の相性は抜群だった。
「ジロちゃん、こんなにおいしいの毎日食べてんの?」
「だから、仕事は手を抜いても、晩ごはんは手を抜かないんだって」
 マー様は、「オレがそうしたら絶対にクビになる」と言って、笑った。
 食後は、娘があの頃を懐かしんで、あの頃、マー様と遊んでいたように遊び始めた。
「キャンディー」、とマー様がバービー人形を手に言う。
「キャサリン」、と娘がもう一つのバービー人形を手に答える。
 アメリカン女子ごっこだ。
「早く支度してよ。ダンスパーティが始まっちゃうわよ」
「ねえ、いいこと、マイケルと踊るのは私よ。わかってる?」
 僕とトモエは、そのやりとりを聞きながら、笑い転げている。これは、いったん始まると、なかなか終わらない。あの頃は、二人がアメリカ女子ごっこを続けている間、僕はソファでたっぷりと眠ることができた。
 娘が、途中から、英語を使い始めた。中学で習ったばかりの簡単な英語だ。マー様はあまり反応しない。それでも、娘は英語でマー様にしつこく絡み続ける。マー様がその英語を理解できないことをからかっているのだ。
 僕は怒鳴っていた。
「英語なんて、排水口が詰まったとき、何の役に立つ?マーちゃんは、英語より大事なことたくさん知ってるんだぞ。今日だって、マーちゃんが来てくれなかったら、どうなってたと思う?」
 娘は反省したようだった。
「でも、マー様じゃないの?」
「ああ、そう。マー様だ」
 食後は、バレンタインの時に余ったチョコブラウニーケーキセットがあったので、僕の指導の下、娘とトモエがデザートを準備した。二人の手つきががさつで、僕は何度も叱ったが、なんとか僕の的確なアドバイスのおかげで、一時間もかからないうちにチョコブラウニーケーキができあがった。
 僕はコーヒーを淹れた。豆を手動ミルで挽き、細口ケトルを使って、ドリップした。味は、家庭のコーヒーにしては不味くはないが、やはりいつものようにイマイチだった。
「ジロちゃん、このコーヒーおいしいねえ」
「喫茶店のにはかなわないけどね」
「そんなことないよう」
 そんなことはあるが、マー様が喜んでくれたので、よしとした。
「モモちゃん、トモちゃん、このケーキもおいしいよ。ほっぺた落ちちゃいそう」
 と、マー様は甘い顔をする。説明書通りつくれば、誰にでもできるのだ。僕は、そう甘い顔はできない。
 あまったトマト鍋のリゾットとあまったチョコブラウニーケーキをタッパーに入れて、マー様のお土産とした。
「ジロちゃん、また、困ったときはいつでも言ってよ。すぐ来るからさ」
 僕は腹が減ったときはいつでも食べに来てと言って、マー様を見送った。

「お花見な日曜日」
  
 子どもは、両親で育てるべきである。
 と、つくづく思う。リコンはしたが、彼女は最も信頼すべき子育てのパートナーである。夫婦としてのパートナーシップは築けなかったが、両親としてののそれは、リコン後、なかなかのものになってきた。
 さて、ここ数日、娘の機嫌がすこぶる悪い。昨夜は、娘に数学を教えたのだが、たいていこれでケンカになる。僕は教師で教えるのが仕事なのだが、なぜ娘に教えるのはこうも難しいのだろう。
 今日は休日で、さきほど簡単なブランチをつくり、一緒に食べたのだが、そのときも娘はテーブルで必要最小限の言葉しか発することがなかった。
 理由は、なんとなくわかっている。娘は、けっこうがんばるときはがんばるのだが、僕が娘のがんばることつい当たり前に思ってしまい、さらにがんばれといってしまうことがある。また、娘がテレビをダラダラ見ていて、そのうちがんばろうと思っているときに、がんばれといってしまこともある。とにかく、がんばれ、という言葉はやっかいなのだ。
 僕のモットーは、がんばらないようにがんばる。それなのに、娘には常にがんばれと言い続けるこの矛盾。ちょっといきづまってしまったようだ。
 そんなときは、彼女の出番だ。彼女にケイタイメールで、娘の面倒を頼むと、快く引き受けてくれた。まったく、彼女ほど頼りになる子育てのパートナーはいない。それで、娘は今日の午後から彼女と過ごすことになっている。彼女のところでこの週末を過ごし、僕の悪口を言いまくり、母親に甘えて、月曜の朝、また機嫌が直って帰ってくるだろう。

 こんなときは、美しいものを見るにかぎる。たとえば、果てしなく地平線まで広がるひまわり畑とか。
 僕は軽バンを飛ばし、実家に向かった。まだ肌寒いが、すでに春である。セーターは必要なことはあるが、もうダウンジャケットはいらない。
 実家に着くと、両親と祖母と兄は、ブランチをとっていた。両親はこれから店に行くところだった。両親は小さな店を営んでいる。この家では、その店の利益より、祖母と両親の年金と兄の障害者年金と、僕のボーナスの一部によって、生計が立てられている。
「おなかはいいの?」
 と、母が「おかえり」の後に言った。いつものせりふだ。実家の面々は、僕の腹の空き具合をいつも気にしている。
「さっき、食べてきたから大丈夫だよ」
 とは言ったものの、母に勧められ、茶碗一杯のごはんにみそ汁をぶっかけてかき込んだ。
「行儀が悪いよ」
 と、母が言う。子どもの頃からずっと言われてきたせりふだ。僕はこのみそ汁ぶっかけごはんを今後もやめるつもりはない。好物なのだ。
「今日は、兄ちゃんとおばあちゃんは、面倒見るよ」、と僕。
 兄は重度の障害者で、祖母は八十九才。兄の知能は赤ちゃん程度で、言葉を発することができず、食事も排泄も介助が必要だ。祖母は特に健康上の問題はないが、耳が遠く、最近、物忘れがひどくなってきた。
「助かるやあ。じゃ頼んだでねえ」、と母。
 父の運転する軽自動車で、両親は店に出かけていった。僕はその店には、経済的利益ではなく、両親の呆け防止効果を期待している。
 もし、僕がいなかったら、両親は店の奥で兄の面倒を見ながら、実家に置いてきた祖母の心配もしながら、営業をすることになるだろう。たとえ、客の入りさほどでもないとはいえ、それでは気が気ではないだろう。
 両親が出ていくと、祖母が僕と兄にお茶をいれてくれた。僕も兄も寿司屋の大きな湯飲みで、緑茶を飲む。兄は、ストローを使う。
 やがて、NHKのど自慢が始まった。兄の好きな番組だ。祖母もやってきて、一緒に見た。祖母が見るということは、テレビの音量はマックスというだ。僕もだいぶ大音量のテレビにも慣れてきて、最近では、テレビの近くにいても、新聞を読むという芸当もできるようになった。
 音楽は、偉大な芸術だ。聴いている者の心に直に届く。幼稚園の先生三人組が、キャンディーズの「もうすぐ春ですね」を歌い始めると、兄は体を揺らし、笑顔で聞いている。
「おばあちゃん、あとで花見に行こう」
「もう桜咲いてるかいやあ」
「花見といっても、菜の花畑だよ」
「それも、いいねえ」
 兄は、左手が不自由だが、その分、右手はよく動く。その右手の指を鳴らした。これは、兄が幼少の頃に父が教えたらしい。うちでは、ナイスナイスと呼ばれる技だ。
「お花見、ナイス、ナイスだね」、と祖母。
 これは、兄の最大限の肯定を意味する。

 のど自慢が終わり、祖母はぼちぼち支度を始めた。
 僕は兄と居間のテレビの前にいる。兄はお茶をストローで飲みながら、アルバムを眺めている。それは、クリスマスの時の写真だった。イチゴのケーキと娘が映っている。僕がうちで焼いたスポンジケーキを実家に持ち込み、娘が生クリームをホイップして、イチゴをトッピングして、デコレーションしたケーキだ。クリームの白とイチゴの赤、娘のピンクのセーター、ちょっと彩りがいい。僕が兄とケーキを食べているところの写真もある。
 アルバムを眺めるのは、兄の数少ない娯楽の一つだ。僕は今日の花見の写真も撮って、兄のアルバムに収めようと、デジカメを持ってきた。
 祖母がようやくよそ行きの服に着替えると、僕の軽バンに乗りこみ、花見に出発した。「これから、どこ行くだっけやあ?」
 と、後部座席の祖母が言う。
「兄ちゃん、バアに、どこ行くか教えてやってよ」
 と、後部座席で祖母の隣に座る兄に言う。もちろん、兄が教えることなどできない。
「兄ちゃん、今からどこ行くだっけやあ?」
 と、祖母が訊いても、兄は笑っているだけだ。
「どっかお店へ食べにいくだかね?」
 兄はうなずいた。
「じゃあ、どのお店がいいかいねえ?」
 ルームミラーで、兄の顔を見ると、笑顔が満開だ。
 実は、僕はコンビニで何か買って、菜の花畑の駐車場で、フロントガラス越しに菜の花を見て、花見を簡単にすまそうと目論んでいたのだが、いつしか、どこかに食べに行くことになっていた。
「おばあちゃん、花見行くんだよ」
「桜、咲いてるかいやあ」
「咲いてないよ。だから、菜の花畑見に行くんだって」
「ほうか、菜の花なら、咲いてるね」
 祖母はおなかが空いたと言い、外食好きな兄も待ちきれない様子で、花見の前に何か食べることになった。
 こんなときは、とりあえず、ファミリーレストランだ。最近は、障害者用駐車スペースがあり、トイレも広く、段差がない店が多い。実にありがたい。
 祖母は味にはうるさく、ファミレスでは絶対に満足しないのはわかっているが、今回は我慢してもらうことにした。僕一人で、高齢者と障害者を連れて行くには、ある程度条件がそろってなくてはならない。
 カジュアルなイタリアンのファミレスに着いた。すると、障害者用駐車スペースが空いていなかった。時に健康な運転手が堂々と駐車することもあるが、今日はきっと障害を持った先客がいたのだろう。他の店を探すことにした。
 少し車を走らせると、同じようなチープなイタリアンのファミレスを見つけた。入り口の真横の障害者用駐車スペースも空いている。そこに車を停めた。
「おばあちゃん、ピザ好き?」
「好きだよう」
「ピザってわかる?」
「それがわからんだよ」
「丸いの。上にチーズがのったの」
「それは好物だよう」
「お好み焼きじゃないよ」
「そんなのわかってるよう」
 兄はそうとうご機嫌で、何度も指を鳴らし、僕に頭を下げた。
「兄ちゃん、偉いねえ。ジーにちゃんとお礼を言って」
 ジーとは、僕のことだ。ジローと発音できないので、兄を僕をジーと呼ぶ。それにしても、兄がナイスナイスを連発して、ここまで喜ぶのなら、コンビニで食べ物を調達してすますわけにはいかない。
 入り口に一番近い障害者用駐車スペースに車を停め、兄の両方の手を、祖母と僕で引きながら、ゆっくりとレストランの入り口に向かった。たかが数十歩の道のりだが、祖母と兄を連れて行くとなると、なかなかの距離である。そんなとき、段差がないのは、本当に助かる。段差はたとえ十センチ程度でも、兄にはけっこうな障害である。もし車椅子だったら、もっと大変だろう。
 入り口で、ウェイトレスに迎えられると、僕はできるだけ入り口から近い禁煙席をとってもらった。
「兄ちゃん、コーヒー、飲みますか?」
 ようやくテーブルにつくと、僕は訊いた。
「アイ」
「兄ちゃん、ピザでいいよね」
「アイ」
  兄は、手を挙げてまで、元気よく返事をする。
 祖母は、メニューを見て、ずっと悩んでいる。祖母もピザを食べる予定だったのだが、メニューの写真で気が変わったようだ。
「これにするだやあ」
 と、祖母が指さしたのは、シーフード・スープ・スパゲッティだった。
 テーブルには店員を呼ぶボタンがあったので、兄に押してもらった。やがて来たウェイトレスに、兄のピザと祖母のスープスパと、僕はカロリーが低そうなきのこリゾットを頼んだ。ドリンクバーも忘れなかった。
 早速、僕はドリンクバーの前に立った。コーヒーマシーンは、さほど複雑ではないが、祖母には扱えそうもないので、僕がカップにコーヒーを入れ、祖母と兄の分をまず持っていった。そして、ミルクと砂糖とたっぷりと入れ、兄のカップにはストローを差した。
 隣の若い夫婦の三歳か四歳くらいの男の子が、こちらをずっと気にしている。障害者を見慣れないのだろう。祖母も兄も、そんな視線には無頓着だ。僕が子どものころは、そんな視線を送られるのをいちいち気にしていたが、もちろん今は僕も気にしなくなっている。
 見てはいけないものにおそるおそる目を向けるようなその少年と目が合うと、僕は微笑みかけてみた。少年よ、よく見ておけ。そして、障害者が町の風景の一部になるまで、見慣れろ。そんなメッセージを込めたつもりだ。
 やがて、ピザが運ばれてきた。僕はせっせと回転式ピザカッターで、一口サイズに切っていく。それを、兄がスプーンですくって食べ始めた。スプーンと皿とテーブルの角度と位置がうまい具合に定まらず、兄のスプーンからピザがこぼれ落ちた。しかたなく、僕がときおり、フォークでピザを兄の口に運ぶ。
 その横で、祖母がスープスパゲッティを、音を立てて、啜る。娘が同じように食べたら、叱るところだが、僕は黙っていた。祖母にとっては、スープスパゲッティもうどんもラーメンもかわりはないのだ。
「なんだか食べにくいやあ」
 さすがに箸を頼むのはやめておいた。
 僕はひとがおいしいものを食べているときの顔を見るのが好きだ。祖母も兄ももいい顔をしている。まわりの客もいい顔をして食べている。そんな顔を見るためだけでも、ここに来る価値がある。
 僕のきのこリゾットは、イマイチだった。この店の中で、僕だけがいい顔をして食べていなかっただろう。
 祖母は、スープスパゲッティを半分残して、僕に食べさせた。こちらは、まあまあだった。
「おばあちゃん、こういうの今度僕がつくってやるよ」
「あんたがつくるとおいしいでねえ」
 僕は祖母のつくる料理を食べて大きくなった。祖母のおいしいと思う味が、僕のおいしいと思う味である。だから、僕がつくる料理が、祖母にはおいしいのだ。
 祖母の財布を預かり、先に勘定を済ませた。僕が払う、と言っても、祖母は一度も僕に払わせたことはない。僕はケチなので、いつも祖母に甘えさせてもらっている。
「また、背広、買ってやるでねえ」
 春にまた遺族年金が入るらしい。恥ずかしながら、四十をすぎた僕の持っているスーツの半分以上が、祖母に買ってもらったものである。
「ほい、お金、払ったかいやあ」
 祖母にまかせたら、何度払うかわからない。
 食後のコーヒーを飲み終わると、他の客の視線を集めながら、僕たちはゆっくりと店を後にした。

 その菜の花畑は、十校分の運動場を合わせたくらいの広さである。フロントガラス越しの黄一面の菜の花は、圧倒的な生命力と美しさを見せつける。
 実は、去年も、祖母を連れてやってきた。
「去年も来たの、覚えてる?」
「知らんやあ」
 やはり、忘れていた。そういえば、去年は、もう菜の花は散り、緑一面だった。記憶に残らないのも、無理はない。
 そのときは、他に花見客はまったくいなかったのだが、今日はやけに車も人も多い。知られざる名所だったここが、いつの間にか有名な菜の花見スポットとなっていたようだ。いつもはただの空き地のような駐車場に車を停める場所を見つけるのが、一苦労だった。
 兄が尿意を訴えだしたら面倒なので、しばらく車の中で菜の花を眺めてから帰ろうとおもっていたら、祖母が言った。
「ちょっと、むこうに行ってみるかね」
「兄ちゃんは、どうする?」
 車椅子は持ってきてなかった。どうぜ、更地なので、車椅子はスムーズに進まないだろうが。
「兄ちゃん、悪いねえ、ちょっと待っててね」
 と、祖母が言った。僕は兄がかわいそうなので、FMラジオをつけておいた。
「兄ちゃん、音楽聞いててね。バーとちょっと歩いたら、すぐ戻るよ」
 こんなときのために、車の中には、登山用ステッキが置いてある。
「おばあちゃん、転ばぬ先の杖だよ」
 祖母は、一瞬いやそうな顔をしたが、ステッキを受け取った。
「写真機、持ってきたかね」
 デジカメを持って、祖母と駐車場から菜の花畑に降りていった。いつもは祖母と手をつないで歩くのだが、今日は杖があるため、祖母は一人であぜ道をすいすい歩いていく。
 昨日雨が降ったので、地面が少しゆるい。杖を持ってきてよかった。
「ここらで、写真撮ってくれるかね」
 僕は菜の花畑を背景に祖母の写真をとった。まわりの見物客が、僕たちを見て微笑んでいる。祖母と町に出ると、町の人たちがとてもやさしいことに気づく。見知らぬひとが、「お元気そうですね」と祖母に声をかけてきたりもする。。
「きれいなおばあちゃんですね」
 と、今日は中年女性が声をかけてくれた。祖母はうれしそうに照れている。たしかに、八十代後半部門にかぎれば、おしゃれな祖母はかなりイケているのだろう。
「あんたの写真も撮ってやるん」
「いいよ、いいよ」
「とってやるよ、写真機よこしない」
 僕は祖母にデジカメを渡し、シャッターボタンの位置を教えて、菜の花畑を背景にして立った。
 祖母はデジカメをおでこにくっつけて、おかしいやあ、と言っている。写真機にはあった覗き穴がないのだ。
「おばあちゃん、写真機の裏に、僕が映っているでしょ」
「ああこれかいやあ、私の顔しか映ってないやあ」
 デジカメの後ろ側のガラス面の画像が光の反射の具合で見えないのだろう。そこに祖母の顔が映っているらしい。
「じゃ、テキトーにボタン押してみて」
 祖母はデジカメをおでこに当てたまま、シャッターを押した。祖母から、デジカメを受け取り、リビューを見ると、僕の顔から足までとと、一面の菜の花が映っていた。これは、すごい。
「うまく撮れてたよ、ありがとう」
 祖母はリビューがあることなど知らない。
 車に戻ると、僕たちを見た兄がひきつけを起こさんばかりに驚いた。
「ごめん、ごめん。びっくりさせちゃってさ。じゃ、帰ろう」
 と、僕は祖母からステッキを受け取り、車に乗り込んだ。
「兄ちゃん、悪かったねえ」
「来年もまた来にゃいかんやあ。ねえ、兄ちゃん」
 兄はアイと元気よく答えた。
 エンジンをかける前に、ケイタイで店にいる母に晩ごはんに食べたいものを訊いて、スーパーによって、帰ることにした。。

 日曜日の晩ごはんは、いつもカレーだ。今日も両親はカレーがいいと言う。祖母もカレーならうれしいと言う。父がよく言う。次の日もカレーを食べられるのがいい、と。
 実家のキッチンに立つと、祖母がやってきた。
「なんかやることないかね」
 両親の店の常連客にもらった土付きの野菜を洗って切ってもらった。ジャガイモは、僕がピーラーで皮を剥いた。圧力鍋で、肉を炒め、ジャガイモ以外の野菜を入れて、水を足し、蓋をした。
「ありがと。もうやることないよ」
「ジャガイモ入れてないやあ」
 おうちカレーは、うちの数だけ流儀がある。もともと、祖母の流儀では、ジャガイモを煮崩す派だったのだが、最近、僕は野菜ゴロゴロ派になったのだ。
「後で入れると、形が残るからさ」
「そういやぁ、そっちのほうがおいしいかもしれんねえ」
 祖母もゴロゴロ派に転向だ。煮くずれた野菜で味が薄くなったカレーにソースをかけて食べるのも、またいつか恋しくなるだろう。僕が帰った後、翌日のカレーは、きっと煮崩す派カレーになるはずだ。また違ったおいしさが出るにちがいない。
「おばあちゃん、コロンボ、見よう」
「やってるだかね」
「ビデオだよ」
「うれしいやあ」
 僕がビデオをセットしている間、祖母はキッチンの隣の居間にいる兄にお茶を持っていった。兄はNHKを見ている。兄はどういうわけかいつでもNHK派なのだ。CMが嫌いなのだろうか。マジメでおとなしい番組がいいのだろうか。謎だ。
 お茶が用意されて、ダイニングテーブルの椅子に座ると、祖母が雷おこしを持ってやってきた。このうちには、食べきれないほどの雷おこしがあるのだ。かつて、祖母がもらいものの雷おこしを何気なく食べて、ひとこと、おいしいと言ったら、その後、各方面から雷おこしが届いたのだ。どうやら、今では祖母はそれほど雷おこしが好きではないらしい。せっせと、家族に食べさせて、処分しようとしているようだ。
 ま、僕は雷おこしが嫌いではない。今のところ。
「この人はこの役が一番いいねえ」
 映画好きな祖母が言うには、ピーター・フォークは他の映画にも出ているが、コロンボ役に比べると、どれもダメらしい。
 このキッチンのいいところは、料理しながらでもテレビが見られることだ。僕のうちでは、キッチンに立つと、いちいち振り向かなければ、テレビを見ることができないが、ここではシンクの隣にテレビを置いてあるので、ちょっと横を見れば、画面がそこにある。
 いつものテーマ曲が流れてきた。圧力鍋の圧力がかかり、重りが回り始めた。椅子をキッチンの近くに置いたので、座りながら手を伸ばし、弱火にした。 
 実は、コロンボ、僕のヒーローである。一見、しょぼいが、実はスゴい。そんなオトコになってみたいものだ。
 祖母は、お茶を一口飲んで、立ち上がり、シンクで洗い物を始めた。
「わからんくならんの?」
「大丈夫だよう」
 祖母は、何度か料理を焦がしてしまったことがあり、火を使うことを母に禁じられた。それ以来、キッチンでは洗い物専門だ。祖母は、決して他の誰にも洗い物はやらせない。祖母のシュフ魂はまだ残っているのだ。
 水の音がうるさいので、もともと大きかったボリュームをマックスにした。
 コロンボの今日の相手は、かなりの知能派だ。犯人は、完全にコロンボをバカにして、上から目線で話している。
 それでも、謙虚に、犯人に教えを乞うコロンボ。実にすばらしい。だいたい、上から目線で話すヤツは、劣等感を克服できてないことが多い。
 ようやく、祖母が洗い物を終えて、椅子に座った。
「この人が犯人だよ」
「わかってるよう」
 さすが。祖母は、女学校時代は校則を破ってまで、洋画を見たそうだ。今も、僕といっしょに、ちょくちょく隣街のシネマコンプレックスまで出かけ、キャラメルポップコーンを食べながら映画を見る。ちょっと見るだけで、だいたいわかるのだそうだ。
「洗濯物を取り込まにゃいかん」
 洗濯物を干して、取り込んで、畳むのも、祖母の仕事だ。
 僕は全自動乾燥機付ドラム型洗濯機派なので、干して取り込むことはしない。畳むのも、自分のものだけ、娘のものはかごに放り込むだけ。
 祖母はもの干場に出ていった。コロンボどころではない。祖母のシュフ魂は、まだ熱い。
 もうカレーの具が煮えたころなので、火を消した。まだ圧力がかかっているので、鍋の中で調理は進む。僕はコロンボから目が離せない。
 犯人が、徐々にいらだってくる。つじつまのあわない事実が次々に出てきたのだ。コロンボが悩んでいると、犯人はまた上から目線で、嘘で固めたつじつま合わせをコロンボに教える。コロンボは、きちんと礼を言って、帰っていく。ほっとする犯人。
 圧力が抜けたので、蓋をとって、ジャガイモを入れて、さらに煮込んだ。
 祖母が帰ってきて、またキッチンに座った。
「この人が犯人だよ。いらいらしてきたよ」
「わかってるよう。だんだん追いつめられてくだで」
 今日の犯人は実に頭脳明晰、今度こそ完全犯罪か、と思ってしまう。
 コロンボは、めずらしく若い頃の話をした。警察の採用試験を受けたとき、まわりには自分より頭のよさそうなのばかりいたそうだ。
「しかしねえ、こんなあたしでもね、注意深く、ねばり強くやれば、ものになるんじゃないかと思いましてね」
 充分、ものになっている。僕も葉巻を吸ってみたくなってきた。
 僕は立ち上がると、竹串でジャガイモを突いてみた。あともう少しだ。
 コロンボは、ついに犯人を追いつめ、犯人は自分が犯人であることを、うっかり認める発言をしてしまう。観念する犯人。
 ここで、常人なら調子づくだろう。しかし、コロンボは犯人に対して謙虚な姿勢を崩さない。すでに追いつめられた人間をさらに追いつめるようなことはしない。ブラボー。
 またジャガイモを突いてみると、柔らかくなっていた。ルーを入れた。
「おばあちゃん、わかった?」
「わかるも、わからんもないだよ。私ぁ、この人見てるだけでいいだよ」
 たしかに。僕もそうだ。
 雷おこしも食べ飽きた頃、カレーはできあがった。ごくふつうのうちのカレー、今日も野菜ゴロゴロだ。
 僕はカレーをタッパーに詰めた。
「おばあちゃん、もう行くよ」
「食べてかないだかね?」
「今夜、ちょっと、あるからね」
「デートか?たまにゃあ、いいねえ。あんたも男だでねえ」
「たまにゃあ、ね」
 そうだ、僕も男だ。
 明日の朝、母親のもとから帰ってくる娘の朝ごはんは、カレーにしよう。朝カレー、日本人メジャーリーガーも毎朝食べているらしい。
「兄ちゃん、来週は泊まりで来るよ。今日撮った写真も持ってくるでね。アルバムに貼ってよ」
 笑顔ながら、うつむく兄に別れを告げた。
「今日は、お花見行けてよかったやあ。カレーも楽しみだよう」
「あとはごはん頼むね」
 実家の面々は、ごはんはやわらかめ派。僕はかため派なので、水加減は祖母に任せたほうがよさそうだ。
 車に乗り込むと、祖母がうちの中から出てきた。
「じゃ、また来るよ」
「またねえ。楽しみにしてるでね」
 僕は手を振る祖母に見送られて、実家を後にした。
 急いで、うちに帰らなくてはならない。シャワーを浴びて、勝負服に着替え、髪にワックスをつけるのだ。
  今夜はシングルナイト、ちょっと、ちょっとあるかもしれない。